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第1章 いじめなんて

その日の五、六時間は何も起こらずに過ぎていった。他のクラスと変わらないように、静かに授業は進み、何の障害もなく終わった。
それがかえって気味が悪かった。まるで嵐の前兆のようで。


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次の日。
香緒里が自分の下駄箱を見ると案の定、
『バーカ』
『死ね』
『キモイ』
などと書かれた紙が何枚も上履きの上に乗っている。それをどかして鞄の中に詰める。
上履きをひっくり返してみると今度は画鋲が数個出てきて床に落ちた。
わかってはいたことだけど…やること陰湿ね、本当。
画鋲を拾い上げ、近くのゴミ箱に捨てると教室に向かう。
雪音や石川に向いていたものが今度は自分に降りかかるのかと思うと気が重かった。

階段を登り、四階の二年一組の教室まで行く。
今日はいつも以上にドアを開けるのが憂鬱だ。
ふと、上の方に気配を感じてその場から1、2メートル瞬時に飛び退く。
バシャーンと派手な音をたてて先程まで香緒里がいた場所に水が降って来た。
ドアの上の小窓を見るとクラスの男子がバケツを片手に驚いた顔をして小窓から覗いていた。

やる事えげつない。
香緒里は少し顔をしかめ、水を避けながら教室に入る。
「ヒューッ!さっすが吉崎。一筋縄には行かねーな。」
「たーっぷり可愛がってあげるから、楽しませてよね?かおちゃん♪」
教室の窓辺にいる沢田と沙世はニヤニヤ笑いながらそう言った。
…沢田まで、私に向かって来たか…。
新谷にかなわないであろう沢田の矛先が香緒里に向かうのはある程度は予想していたが…。
そして、やはり棗達は遠巻きに軽蔑の眼差しをこちらに向けてきた。

結局、友情なんてこんな物だ。
あっけなく壊れてしまう。
巻き込まれたくない、外で見ていたい。
そんな人達ばかりだ。
わかっていたはずなのに、ショックを受けている自分に対して余計に悲しくなった。
なんだかんだ言ったって、所詮私もそんな安い絆にすがりついている一人だった。
わかっていたはずなのに。
充分に。
馬鹿だな、私も。


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はぁ、と大きな溜め息を一つつく。
「でけー溜め息。」
隣に座る新谷が言う。

昼休み、教室に居場所がなくなってしまった香緒里は屋上に来ていた。

「溜め息もつきたくもなるわよ。前より酷いじゃない。」
教科書にはカッターが仕込まれ、
机の中にはゴキブリや蝉の死体があり、
予習してきたはずのノートはどこかにいき、
バッグの中には生ゴミが。
以前のいじめより質が悪くなっている。
「あんたに向かうはずの矛先が私に向かって来てるんだからね?」
「いや、悪いとは思ってるけどさ、もちろん。
でも俺にも多少被害は来てるぞ。大したことないけど。」
「え、嘘。」
「本当。」
ごろんと仰向けに寝転がり、新谷は足を組んだ。
「数学の教科書と英語のノート、それから英和事典が消えた。」
「それって、大したことじゃない?」
「大したことじゃねーって、吉崎のに比べたら。」
「授業に支障出ないの?」
「全く。」
香緒里の問いに対して新谷はあっさり答えた。
「だって数学は教科書見なくても黒板見てりゃわかるし、ぶっちゃけノートなくても問題ないし。
英語は教科書さえあれば平気。っつーか、先生の話聞いてれば答えられる。」

そうだ、忘れていた。
新谷は異常に頭がいいのだった。
定期試験では必ず全教科満点で学年一位。
模試をやらせれば常に偏差値は80近い。

「…尋ねた私が馬鹿だったかも。」
新谷はおかしそうに笑い、それからポツンと言った。
「ま、学校で避けられたり、一人でいるのは慣れてるからな。」
その表情が酷く寂しげに見え、香緒里は新谷から目を逸らした。

「でも本当に意外だったな。
新谷、クラスの事にあんまり興味ないんじゃないかって思ってたから。」
「んーまぁ、興味はあんまりないけどな。
けど、目の前であーいう事されんのはいい加減、気分が悪い。だからそれをはっきり言ったまでだ。」
「そっか……。」
「吉崎もそれに近いんだろ?」
「うん、まぁ…。」

香緒里はいじめを止めようとした。
けれどそれは雪音達が可哀相だからではなく、ただ見ていることに耐えられなかったから。
自己本意だ。
それは新谷にしても同じで。
人間なんて皆そんなものだ。
確かに偽善と言われればそれまでだが、少なくとも香緒里は今の状況を、見ているだけの自分を変えたかった。
それだけのことだ。

「なんか、このままだと今日一日の中で新谷としか話さなくなりそう…。」
「部活や家でも話さないのかよ?」
問い返すと香緒里は少し目を伏せた。
「部活はまぁ、別だけど…今日はないし。それに私、あんまり両親とも姉とも仲良くないから…。」
ふ〜ん。と新谷は言い、それ以上は追及しなかった。
「誰とも話さないで一日が終わるよりはいいんじゃん?」
「それはそうだけど。」
「ずっとこのままってことはねーから大丈夫だよ。」
起き上がって新谷は香緒里と目を合わせて微笑んだ。
そうよね、と香緒里も呟き少し頬を緩めた。
「そろそろ昼休み終わるし、先教室行ってるぞ。」
香緒里の頭を軽く叩くと新谷は立ち上がって屋上を出て行く。
新谷は寂しくないのだろうか。
クラスでも部活でも一線引かれていて。
でもそう聞いたら彼はきっと一言、『慣れてるから。』と言うだろう。
強いな、新谷は。私なんて……。
脳裏に家族の顔が浮かぶ。
冷たい視線。
無関心な態度。
暖かみのない言動……
余計に気が滅入ってきたので香緒里は頭を軽く振り、それらを角に追いやった。


今は、前を向くしかない。
耐えるしかない。
頑張っていれば……きっと……
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