第1章 いじめなんて
どこにでもあるような普通の教室。
生徒達の話し声や笑い声に溢れているその教室――2年1組というプレートが掲げられている教室に香緒里はドアを開けて入った。
「なんだ、吉崎か。危ねーもうちょいでかけるとこだった。」
クラスの男子の一人は入ってきた香緒里を見て言った。
その手には教室のゴミ箱がある。
またか…毎日毎日、本当飽きない。
「おっ、来たぜっ!!準備いーか?」
「もちっ!」
椅子に乗り、上の小窓から廊下の様子を窺っていた別の男子がゴミ箱を持つ男子に声をかける。
そして、教室に入ってきた一人の生徒に向かって思いっきりゴミ箱の中身をぶちまけた。
「おっはよー石川!いい朝だな!」
「朝からゴミと対面する気分はどうだい?」
どっ、と近くにいた男子達が笑った。
唇を噛みしめながら、ゴミまみれの石川翔太は自分についたゴミとばらまかれたゴミをゴミ箱に戻していく。
アホらしい、と香緒里は思い自分の席に座った。
「朝からすごいわねー。」
「ねー。おはよー香緒里。」
席に着くとさっそく萩本棗、三浦静、金村朱理が寄ってきた。
「おはよう。」
「ねっ。今日席替えなんだって。」
「へぇ。二学期初めだもんね。」
嬉しそうに言う静に対して香緒里はそう返す。
でも、と今度は朱理が口を開いた。
「正直、石川君とか雪音とかと同じ班になるのは勘弁。」
「あ、やっぱ?あーいうの、目の前でやられるのは嫌よね。」
そう言って棗は花瓶の水を自分の机にまかれるのを呆然と眺めている、安西雪音を見た。
ぶちまけた本人の谷中沙世はそれを見てニヤニヤしている。
「万が一、巻き込まれたらたまったもんじゃないしね。」
「でもさ、逆に一緒になったら沙世に交換してもらえばいいんじゃない?」
「あ、いいかも。さすが静!頭いいっ!」
突然、教室の端の方で笑い声が上がる。
口々に言い合っていた棗達は驚いてそっちを見た。
「うっわ、気の毒~……」
ぼそりと朱理は呟いた。
石川の机の中から数匹のみみずが教科書と共に出てきて、床に散らばっている。
「沢田もねー、普通にしてればかなりかっこいいのに。」
「ちょっと恐いよね、目つきとか。かっこいいとは思うけど。」
石川をいじめている中心人物である沢田真を見て静と朱理は言う。
その沢田は自分の机に座り、石川を見て大笑いしている。
「あんまり沢田のこと言ってると、沙世に絞められるよ。」
「沙世、沢田にぞっこんだもんねー。幼なじみだっけ?」
「うん。家がお隣同士だったはずだよ。」
二人と同じ小学校だった静がそう言うと、へ~どうりで。と朱理が納得したような相槌を打った。
「でさー、話戻るけど、誰だったらいい?隣とか同じ班とか。」
「え~男子だったらダントツ新谷君でしょ。超イケメンだし、頭いいし。」
「だよね~うちの学校で一番かっこいいもんね。運動神経もいいしさ。」
「クールなとこがまたいいんだよね~!何しても様になるっていうか~。」
やばいかっこいーよねぇ。
と、三人は教室の一番後ろの席で黙って本を読んでいる新谷を見て小声で騒ぐ。
香緒里はその会話を時折相槌を打ちながらぼんやりと眺める。
所詮、彼女達にとって他人事なのだろう、いじめなんて。
自分達さえ巻き込まれなければいい。
そんなふうにしか思っていない。
助ける気なんて欠片もない。
香緒里のことを『私の一番の親友』と言っているが、香緒里がいじめのターゲットになったら間違いなく離れていくだろう。
結局信用ならないのよね、他人って。
そう心の中で香緒里は呟く。
もちろん、彼女達のことが嫌いなわけではない。
ただ、仲良くなって数ヶ月しか経っていないのに『親友』と簡単に称してしまう。そこが信用ならないのだ。
香緒里は小学校から中学二年の今まで、毎年一緒にいる友達を変えてきた。
いや、変わってきた。
クラスが変わり別のクラスになってしまえば、いくら前の年に『親友』なんて言っていたって、関わりは薄くなる。
そういう浅い、とても浅い関係を続けてきた。心から『親友』と呼べる友達がいたことがない。
対人関係なんて、香緒里にとっては面倒くさいものでしか、なかった。
「香緒里~何番だった?」
帰りのホームルームの時に席替えのためのくじ引きをした。
引いた番号と黒板に書かれた座席表を見比べて、皆喜びの声を上げたり、不満そうな声を発したりしていて、クラス中がざわめきあっている。
「16。だから、窓側の一番前の席だ。」
「えーじゃあ遠いね。私、廊下側の列だもん。」
そう言って少し悲しそうな顔をする静に対し、香緒里はニコリと笑みを見せた。
「大丈夫、授業中だけじゃない。」
「…そーだよね!休み時間は一緒に話せるもんね。」
疲れるなぁ、と香緒里は思う。
どうも気を使ってしまう。
これは彼女達ではなく、香緒里自身の気持ちの問題のせいなのだが。
小さくため息をつき、荷物を持って新しい席へと移動する。
席に着いて周りを見渡し、香緒里はげんなりした。
隣が沢田真で、香緒里の後ろが谷中沙世でその隣が石川翔太。
更にその後ろが安西雪音と新谷秀人。
つまり、この五人と同じ班ということになる。
なお悪いことに11月の修学旅行はこの班で行くという。
先が思いやられた。
げんなりしたのはまぁこのメンバーだから、というのもある。
けれどそれ以上に気分が悪いのは、明らかに仕組まれてこの班が構成されたということだ。
仕組まれなければ被害者二人と加害者二人が偶然同じ班になるなんてことは有り得ない。
例え雪音と石川が同じ班になったのは偶然だとしても。
大方二人と同じ班になった誰かが沙世と沢田に席を交換するように頼んだのだろう。
「雪ちゃん、これからよろしくね☆」
わざとらしい猫なで声で沙世が言っているのが聞こえる。
「なーに浮かない顔してんだよ、吉崎。そんなに俺の隣が嫌なのかよ?」
眉をひそめていると、沢田が片足を椅子の上に乗せて座ったまま、話しかけてきた。
香緒里が少しそちらの方に顔を向けるとその鋭い視線と絡み合った。
「あ、そーか。お前も嫌なんだよな~石川と安西とそれに無口で何考えてるのかわかんねぇ新谷もいるし。」
わざと後ろの三人に聞こえるような声で沢田は言った。
「別に、そんなんじゃないわよ。」
ふいと視線を逸らして答えると沢田は不機嫌な顔になり『あっそ。』と言って前を向いた。
まとわりつく好奇の視線が鬱陶しい。
その視線は時に悪意が籠もっているようにも感じられる。
自分ではないから、平気。
自分には関係がない。
自分は悪くない。
そう、クラスの誰もが思っている。
香緒里だってその内の一人にしか過ぎない。
けれどこの状況にたまらなく嫌気がさし、そんな自分が嫌で仕方がない。
それでも結局、ヒトなんて自分が一番かわいいのだ。
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「香緒里も大変だよね~。毎日毎日あの四人と一緒で。」
席替えから数日後の昼休み。
比較的日の当たらない涼しい空き教室で香緒里は棗達と雑談をしていた。
「なんか席替えしてから更にエスカレートしたかんじしない?」
静の言葉に香緒里は頷いた。
席が近くなり、かつ班も同じであるから、授業中や給食中であろうと危害を加えることが出来るようになり、以前よりやることが酷くなっている。
「なんかもう、目もあてられな~い。」
「朱理、助ける気ゼロっしょ。」
「当たり前じゃん。なんか言ったら私達にも被害及ぶし。」
まぁねぇ、と棗と静は相槌を打つ。
あぁ、彼女達もやはりその他でしかない。
群集の中にいれば安心。
そう思っている。
「なんとかならないかな。」
いじめも、私達も。
そう心の中で付け加える。
棗は顔の前で手を左右に振った。
「無理無理。下手に雪音達庇ったら、何されるかわかんないよ?」
「そーそー。まぁ、香緒里のそういう正義感あるとこもいいとは思うけどさ。もう少し自分のこと考えた方がいいって。」
朱理も続けて言う。
私が自分のことを考えた方がいいのならば、皆はもっと人の事を考えるべきではないのか。
そう言いたいのを香緒里は堪えた。
私も本当は自分のことが一番かわいいから。
口先だけならばいくらでも言える。
行動が出来ないならば…同じだ。
そして、そんな自分が大嫌いだ。