【イヌココ】小学生の話

「ココ、何センチだった?」
「136.2! イヌピーは?」
「う、」
 身体測定の用紙をピッと差し出して自分の測定結果を見せる九井に反し、青宗は自分の用紙をぐっと自身の胸に押し付けた。少し厚めの紙にぐしゃりとシワが寄る。
「見ーせーて」
 体操着のまま距離を詰めると裸足のつま先がちょんと触れ合った。青宗は分が悪そうにぷっくりと頬を膨らませて視線を下げる。そんな彼に目を合わせようと下から覗き込むように腰を折ると、その隙をついて青宗の右手が九井のつむじを強く押し込んだ。
「ちぢめぇ!」
 ぐりぐりと手のひらを擦りつけながら遠慮なしに力いっぱい押し込むと、九井も耐えきれずに膝を折る。
「わっ、な、なに! いたい!」
 摩擦で熱くなるつむじにぎゅっと顔をしかめる。彼の左手にぐしゃりと握られている用紙からチラリと見えた身長の数字は『136.1センチ』だった。1ミリだけ負けたのが悔しかったらしい。
 青宗はいつもそうだ。九井に何かで劣っているのが気に入らない。負けたとあればすぐにそれを覆そうと躍起になった。逆上がりも二重跳びも九井より多くできる。運動面で負けたことはほとんどない。あとクロールがもっと速くなれば全部青宗の勝ち、のはずだった。まさか身長で負けるなんて思わなかったのだ。それで今必死に九井のつむじを押し込んでいる。
「せんせぇ! せいしゅうくんがはじめくんいじめてる!」
 近くで見ていた他の同級生が先生を呼んでくるまで、青宗の手は止まらなかった。おかげで九井のつむじは少しだけ赤い。
 別にけんかをしていたわけでも、いじめられていたわけでもないと九井から説明をして事なきを得たが、青宗のぶすくれた態度は放課後まで続いた。
 それでも帰りの会が終わったら一緒に教室を出たし、一緒に下駄箱に行って、一緒に帰路についた。登校も下校も、二人はずっと一緒だ。九井が青宗と登下校を共にする大きな理由。それは、この道の途中に彼女が通う学校があるから。ここからは三人で一緒に帰るのがいつものルーティン。
「あれ? 青宗なんかご機嫌ナナメ?」
 むすっとした顔で校門の前に立っている彼に赤音はいつもの穏やかな笑顔で話しかけた。
「赤音さん!」
「はじめくん」
 赤音の側に早足で駆け寄ると、彼女はにっこりと笑いかけてくれる。九井の体温が少し上がった。思わず下唇を軽く噛んで服の裾をきゅっと掴む。
「青宗、なんかあった?」
「あのね、今日身体測定があって、」
 高鳴る心臓を宥めながら九井が一生懸命話していると、その後頭部めがけて体操着の入った巾着袋が飛んできた。
「いたッ」
「言うなよ、ココ!」
「あ、コラ! 青宗!」
 身長で負けたのが悔しくて拗ねてます、なんて、カッコ悪くて知られたくない。それで体操着を投げつけている方がもっとカッコ悪いのだが、ここまできたら意地だ。
「なんだよ、もう! そんなに背ぇ伸ばしたいなら牛乳飲めばいいだろ!」
「言われなくても毎日飲む! 帰ったらすぐ飲む!」
 先ほどの「身体測定」という言葉と、いがみ合う二人の会話からある程度の事情を察した赤音はおかしそうに微笑んだ。
「二人とも、暗くなる前に行こっか」
 赤音が歩き始めると九井は慌ててその隣に並んだ。青宗は、ゆっくり歩く二人の後ろをつまらなそうについていく。楽しそうに今日の出来事を話す九井と、それに相づちを打つ赤音。そんな二人の間に入ろうと思うほど野暮でもなくて、手持ち無沙汰に巾着袋をサッカーボールのように蹴りながら歩いた。また泥まみれにして、と母親に怒られるだろうなぁとぼんやり思いながらつま先で巾着袋を蹴っ飛ばす。
「それでね、オレ、この前のテストで1番だったんだ!」
「すごいね! 青宗もはじめくんくらい勉強頑張ればいいのにねぇ」1
「オレはココより運動できるからいいの」
 会話の矛先がこちらに向いて、それをつっけんどんに返す。青宗の負けず嫌いはもちろん勉強面でも発揮されていた。しかし、小学校中学年になって勉強が少し難しくなってからは、勉強で勝つのは諦めた。勉強ができるより運動ができる方が強いからと彼なりに割り切ったらしい。
 正直、九井のことはすごいヤツだと思っている。勉強ができて好きな人に優しい。だから、そんな九井より強くありたい。彼が自分のことを必要としてくれるくらい強くありたい。もっと言えば「イヌピーはすごいな、かっこいい」と言わせたい。
 赤音のオマケみたいな存在じゃなくて、あのキラキラした目で、自分を認めさせたい。だから何一つだって負けたくないのだ。クロールも、身長も、来年は勝つ。
「私たちは図書館行くけど、青宗は?」
「帰る」
「じゃあまた明日な、イヌピー」
 分かれ道で二人の背中を見送ると青宗はランドセルを揺らしながら家まで駆けた。帰ったらすぐに牛乳を飲んで、あっという間に身長を抜き返してやる。
 来年のリベンジに向けて青宗の終わらない挑戦はまだまだ続くのだった。
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