【イヌココ】知らない顔

今年の桜もあっという間に寿命を終えそうだ。
青宗が八代目の右腕についてからというもの、それまでしばしば行っていた学校にも顔を出さなくなり、家にも帰らなくなった。
立派な不良少年、というやつだ。
目まぐるしく過ぎ去る時間の中では季節に趣を感じる暇などもなく、ただただイザナの言うままに暴力を誇示する兵隊になっていた。
そんな彼でも心をなくしたわけではなく、美しいものは美しいと思う。
そう、例えば。
「なんだよ、イヌピー。また来たのか」
窓から吹く風が花弁と共に図書館の中に入ってきた。
本を捲る九井の前髪が乱れて、それを鬱陶しそうに掻き上げる様が綺麗だなと思う。
「本とか読まねぇくせに」
「……ココがいるから」
正直に言うと九井は呆れたように笑った。
少し汚れた白い特攻服。ヒールの高い靴。
図書館に似つかわしくない人物の来館に周りの人はそそくさと離れていく。
ジロジロ見られるよりは好都合だ。
人気のなくなった席で青宗は九井の目の前の椅子に腰掛けた。
「なぁ。この前一緒にいたヤツ、誰」
「ん?いつの話だ」
「一昨日の夜。繁華街の方で豚みてぇなオヤジと一緒にいたろ」
「……さぁ」
九井は青宗の方には目もくれずに手元のページを捲る。
手のひらで口元を隠すように片肘をついているため表情はよく分からない。
本当に覚えがないのか、それとも真実を悟られないようにしているのか。
青宗は眉間に皺を寄せた。
「ココが金集めてんのは知ってる。でも、もし何か危ねぇことしてんなら……」
「全然危なくねぇよ。合理的な方法、かつ、確実な手段だけを選んでる」
「……オレはココみたく頭良くねぇから、難しいことは分かんねぇんだけどさ」
かぽ、と踵からヒールを離して所在なさ気に弄ぶ。
赤音のために金を集めると決めてからの九井は、青宗も近寄りがたいほどに殺伐としていた。
恐怖を感じるような鋭い目付きをする時もあった。
それも、彼女が死んで、金を集める目的が無くなれば元に戻ると思っていたのに。
彼女を失ってからの彼は以前にも増して金に執着するようになった。
そして、青宗にも。
正しくは、青宗の顔に、だろうか。
幼い頃は姉とよく似ていると言われていたこの顔も、今では酷い火傷に覆われている。
暴走族に入ってからは笑うことも忘れた。
世界を呪うみたいにいつもガンを付けて歩いてる。
似ても似つかないこの顔に、九井はまだ、彼女の亡霊を見ているのだろうか。
「分かんないままでいいよ、イヌピーは」
桜吹雪と一緒にカーテンが舞う。
その微笑む顔は何だか悲しげなのにどこか安堵しているような、そんな、何とも言いがたい表情だった。
一昨日見た大人っぽく笑う彼も、火事の後の綻びた彼も、今目の前にいる彼も、全部違う人みたいだ。
青宗が知る幼い九井はもうどこにもいない。それでも彼のことが好きだ。
どれだけ互いの姿が変わっても、これまでの関係性が歪んでも、それだけはうんざりするくらいに変わらない。
「分かんないままでいて」
「……ココがそう言うなら」
青宗は揺れる木漏れ日から逃れようと瞼を閉じる。
それで彼が安心できるのなら、それでも構わない。
今彼が何を求めているのか、どこで何をしているのか、何ひとつ知らなくても。
自分が九井のことを好きだということだけ分かっていればそれでいい。
彼が隣からいなくならない限りは、すべて些末な事だから。



【罪悪感であんたを縛れるなら道化にでもなってやる】
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