【イヌココ】合コンがあるらしい

 夕方、バイクのメンテナンスをする青宗に一通のメッセージが届いた。ピロン、という軽い音と共にポケットの中のスマホが震える。スパナを置き軍手を外すと、スマホを取り出して画面をタップした。愛機を待ち受けにしたロック画面を上にスワイプし、赤いバッチが浮かぶメッセージアプリを開く。

【ごめん! 今日行けなくなった】

 相手は青宗の彼氏、九井だ。これまで、九井にヨコシマな思いを抱く数多のモブをちぎっては投げ、長年のライバルである実の姉を倒し、長い片想いを経てようやく勝ち取った九井の彼氏という立ち位置。付き合い始めたのは高校の終わり頃。恋人期間1年目のまだまだアツアツの時期である。が、最近はめっきりふたりの時間が減っている。
 九井は大学の授業の他にサークルにも入っているようでそれなりに充実したキャンパスライフを送っている。青宗は社会人であるが接客業のためシフト制だ。少人数でバイク屋をやっているため固定の休日はない。今日は青宗が早番で九井も夜は予定がないというので久々にどこかご飯でも行こうという話になっていた。なのに、残り1時間で退勤というタイミングでこれだ。彼氏とのデートより大事な用事とは一体何だ。

【急にサークルの先輩に誘われちまって】

 ピロン、と続けざまにメッセージが送られてくる。この文面からして、また飲み会だろうか。3日前も飲み会があったはずだが。もはや飲みサーなのかと疑いたくなるくらい飲み会がある。今日はこっちが先約だからその先輩とやらは断れ、と、言いたい。だが、そんなことを言って九井に嫉妬深い男だと思われるのも嫌だ。ただでさえ九井の彼氏というポジションを得るのに苦労したのだ。こんなつまらないことでフラれたくない。
 同い年とはいえ相手は大学生、こっちは社会人。ここは社会的に一歩大人である自分が大人の余裕を見せるしかない。青宗はぐぅッと喉を鳴らして文字を打ち込む。

【分かった。帰り迎えに行くから場所だけ教えて】

 一緒にご飯は無理でも、今日会う予定だったから会いたい。九井に会いたい気持ちになっている。家に帰る数十分だけでも一緒にいたい。
 送信したメッセージはすぐに既読がついた。ややあって返信が来る。

【1人で帰れるから大丈夫!】

 そうじゃない。そうだけどそうじゃないんだ。
 青宗はふぅ、と息を吐いてタプタプと文字を打ち込む。

【教えて】
【えー……ほんとに大丈夫なんだけど】
【行くから】

 既読がついてから数分。返信はない。何だ、どうした。ソワソワして仕事が手につかない。しつこすぎるのも良くないかと思い「気をつけて帰れよ」とだけメッセージを送ろうと再びスマホを手にした時、着信が鳴った。
 画面には“ココ”の文字。メッセージではなく電話? と不思議に思いながらも通話ボタンをタップした。
「もしもし」
『あ、イヌピー。さっきの話なんだけど』
「ごめん。さすがにしつかったよな」
『あー、いや。……オレ、イヌピーには正直に言っとこうと思って』
「ん?」
 電話口の九井は怒るでも呆れるでもなく、どこか焦っているようだった。どちらかと言えば何か言いにくいことを言い出すような、少しだけにんじりとした口調。何を言い出すのかと九井の言葉を待つ。一呼吸置いて、九井がすっと息を吸う音が聞こえた。
『オレ、このあと合コン行ってくる』
「はぁ!?」
 予想だにしない言葉に思わず大きな声が出た。合コンってのはあれか、世間一般によく知れ渡っているあの合コンか。はじめましての男女が一緒にご飯を食べたりお酒を飲んだりして親睦を深め、気に入った相手とは連絡先を交換してあわよくば彼氏彼女になっちゃいましょうという、あの合コンか。いや、イマドキお付き合いの手順をすっ飛ばして体の関係になっちゃいましょう、なんてのも大いにある。
 九井の目的は一体どっちだ。青宗という彼氏に飽きてやっぱり可愛い彼女が欲しいというやつか。もしくは男ならはやり女の子とエッチしてみたいというアレか。前者は許せないが後者ならまだ譲歩でき……ない。絶対に嫌だ。どっちも許せないし絶対に行かせたくない。
「ココ……オレのことが嫌いになったのか……?」
『違う違う! 逆! 好きだから正直に話してんの!』
 落ち込んだ青宗の声に九井は慌てて返した。たしかに、別れるつもりならこんな回りくどいことをせず最初から別れ話を切り出すし、浮気するつもりなら『合コンに行きます』なんて正直に言わない。青宗はスマホを耳に当てたまま彼の弁明に耳を傾けた。
『あー、実は、今日先輩に合コン来いって言われて最初は断ったんだけど、そもそもオレが行くっていうのを前提にセッティングしたらしくて。もちろんオレそんなの了承した覚えねぇし、合コンのこともさっき初めて聞いたんだぜ? だって、オレにはオマエいるし』
「そう思うんなら断固拒否しろよ」
『した。したけど離してくんねぇんだわ。もう床に頭擦り付けるレベルで懇願されてんの、現在進行形で』
 遠くから他の男の情けない声が聞こえた。『頼む~』とか『お願いします~』とかなんとか言っている気がする。おそらく九井の目の前で土下座でもしているのだろう。嘘偽りなく、現在進行形で。
『だから、ちょこっとだけ顔出してすぐ帰ろうと思ったんだよ。でも、オマエ迎えに来るとか言うし』
「オレに内緒で合コンに行こうとしてたってことか?」
『あー、それは~、うーん、そのぉ……悪かったと言うか……』
「テメェ、何が正直に話すだ、浮気だぞコラ」
『顔出すだけならセーフかなって』
「アウトだろ」
『悪かったって! それで、もういっそ正直に話してオマエがOKしてくれんなら、』
「するわけないだろ!」
『だよなぁ』
 分かってました、と言わんばかりのため息交じりの声が聞こえたあと、電話口が遠くなる。通話は繋がったままで九井と土下座男の声が遠くから聞こえてくる。行く行かないの押し問答をしているようだ。そのまま押し切れ、なんなら電話を代わってくれればその土下座男を一喝してやる、と耳をそばだてていたら、何やら電話の向こうが騒がしくなった。『わ、ちょっと、やめてくださいよ!』という九井の声が聞こえたあと、ガサガサという音がして音声が切り替わる。
『九井の彼女さん! ほんっと! 絶対! 絶対に九井を無傷で返すので1時間……いや30分だけ貸してください! 一生のお願いです! 隣の女子大の美女が来るんです! 絶対に流せない大事な勝負なんすよ~! 他の女の指1本九井には触れさせませんので! 清い体のままお返しすることを、この男佐藤大地、命をかけて誓います!』
 この土下座男、名を佐藤大地というらしい。合コンごときに命を賭けられるプライドのない男、というインプットが完了した。ついでに言うと青宗はれっきとした男なので九井の彼女ではない。九井が青宗のことをどこまで伝えているかにもよるが、おそらく男ということは知らないのだろう。
「だ、」
『マジで! ほんと! ほんっと! 一瞬ッスから! 店の場所も教えときますんで! 安心してください!』
 佐藤大地、こちらが口を挟む隙もなくしゃべり続ける。九井もこのマシンガン懇願に辟易していたのだろうな、というのがよくわかる。とにかく手とか頭を擦りに擦っているのが安易に想像できた。
 ピロン、と送られてきたのは九井の通う大学から少し離れた場所にある居酒屋の住所だ。その女子大とやらが近いのだろうか。青宗はどこにどの大学があるかなんて把握していないため詳しくは分からない。
『わ! 何してんすか! 場所送らないでくださいよ!』
『場所分かった方が彼女さんも安心するだろ!』
『そうじゃなくて!』
『じゃあそういうことで! 絶対30分で解放しますんで!』
 遠くでギャーギャーと騒がしい声がしたと思ったら、佐藤大地のその言葉を最後に通話は切れた。こっちは了承も了解もしていない。一方的すぎる言い分に腹が立った。
 居酒屋の住所をマップに入れてここからどれくらいかかるのか検索する。バイクで30分前後といったところか。現在時刻は17時45分。定時まであと45分。その合コンが何時にスタートするのかは知らないが、時間的に18時から19時の間だろうと予測する。
 19時スタートならバイクをかっ飛ばせば合コンが始まる前に連れて帰れるはずだ。ふー……と息を吐いて最短ルートを血眼になって探していると、コツン、と頭を小突かれた。
「おい、何してんだよ」
 作業着姿の真一郎が人好きのする笑みを浮かべながら青宗を見ている。彼とは対照的に、青宗はしごく深刻な表情で彼を見上げた。
「……合コンが、あるらしいっす」

   ◇

 青宗はバイクを飛ばしてアスファルトの上を駆けていく。神妙そうな表情の青宗から話を聞いた真一郎はすぐにタイムカードを握らせた。はやく九井を連れて帰れ、ということだろう。青宗はありがたくタイムカードを切って着替えもそこそこにバイクに飛び乗った。おかげで18時半までには目的の場所に着けるだろう。九井が来たら居酒屋に入る前に連れて帰ることができるし、万が一もう始まっていたとしても約束の30分は果たしたことになる。途中で連れて帰っても文句は言わせない。ついでに土下座男・加藤ナントカの顔も拝んでやろう。
 18時26分。店の前に愛機を停めて周りを見渡す。九井らしき人物はいない。店の扉を開くと、店員の元気な声が聞こえてきた。
「いらっしゃいませー! お1人様ですか?」
「あー……えーっと、人を待ってて……」
「お待ち合わせですね! ご予約とかされてますか?」
「あー、たしか……加藤……」
「加藤様……は本日ご予約にないですね」
「合コン……で……」
「あ! 佐藤様ですね! 失礼しました! ご案内しますね!」
 微妙に噛み合ってるようで噛み合ってない会話を繰り広げる。ひとりで合点がいっている店員と、騙すつもりはなかったがなぜか合コンメンバーになってしまっている青宗。釈明するのもめんどくさいので青宗はそのまま店員について席に案内されることにした。
「お連れ様ご到着でーす!」
 半個室の座席には既に男女が3人ずつ座っている。「え、もう揃ってますが?」と言わんばかりの沈黙とその状況に皆が違和感を覚えた。ただひとり、頭を抱える九井を除いて。
「……い、いぬ、」
「え! ヤバッ! イケメン!」
 おそるおそる口を開いた九井を遮ってひとりの女子大生が声を上げた。それを皮切りにあれよあれよと九井の隣に青宗の席がご用意される。
「ちょっとー! そっち4人なら先言っといてよ! こっちもあと1人呼んだのに!」
「今からでも呼ぶ? ひとみ来てくれるかな」
「何飲みます? てか佐藤くんたちと同じ大学ですか? あっ、先に名前!」
 九井を連れてさっさと帰るつもりが、なぜか一緒に合コンに参加している。かしましい女子たちに囲まれて青宗はただただ沈黙してそこに座っていた。加藤ナントカなんて比じゃないくらいよくしゃべる。こちらが返答する暇もない。
 だが、一番状況が分かっていないのは加藤ナントカ改め佐藤大地たちの方である。同じ大学でもなければ知人友人にこんな綺麗な男はいない。突然現れたキミは一体どこのどなたデショウカ? という顔で青宗に釘付けである。九井はしばらく頭を抱えていたが地蔵になっている青宗の背中を叩いた。
「こ、こいつ、オレの友達で! 大学生じゃなくて社会人なんだよ。た、たまたまだな~、オマエもこの店来てたんだ?」
「え? でもさっきお連れ様って」
「先輩! グラス空いてます!」
 無駄に勘の良い佐藤の口を塞ぐように新しいグラスを差し出す。こうなればうまく切り抜けてなるべくはやくここを出るしかない。九井の頭はフル回転していた。
「え~! 社会人なんだ。カッコイイ。大人ってカンジだね」
「やっぱイケメンの友達ってイケメンなんだ~」
「私、美香。イケメンくんの名前は?」
「乾……青宗」
「イケメンは名前までイケメンなのか~!」
 テンションの高い女子3人に詰め寄られて珍しく萎縮しているようだ。ソイツ、ちょっと前まで暴走族やってて女にナイフ突き付けてましたよ、なんて言っても信じてもらえないだろう。まるで借りてきた猫のように大人しい。
 その反対の席で友人の鈴木は佐藤とちびちび酒を舐めていた。イケメンなんて滅びろ、とでも言いたげな視線をこっちに送っている。このままでは色々危うい、と九井はわざとらしくスマホを覗き込んだ。
「あ~、オレそろそろ帰らねぇと」
「えー。九井くんもう帰るの?」
「あぁ、時間がさ~、ヤバくて」
 そもそも九井の役目はここに参加すること。場がそこそこ盛り上がったら早々に帰るはずだったのだ。話上手の佐藤がいい感じに女子たちの心を掴み、そろそろ退散してもいいかもなと思ったタイミングで青宗の登場。イケメンに目のない女子たちはこの男に興味津々だろう。佐藤も鈴木も決してブサイクではない。どちらかと言えば整った顔立ちだ。だが、青宗の隣に並べば霞む。誰だって霞む。この男の隣に立って見劣りしない人物を、九井は片手で数えるくらいしか知らない。
 九井はパチッと佐藤にアイコンタクトを送る。青宗を連れて退散するから援護しろ、という意を汲み取った彼はグラスを掲げた。
「あ~そうだったな! 九井、今日は用事あるからちょっとしかいれないんだよ! ワリィな、こんな遅くまで」
 全然遅い時間ではないが、そう言われてしまっては九井を解放しないわけにもいかない。女子たちは渋々と九井を見送ることにした。
「え~残念。また飲み行こうね」
「ついでにコイツも連れて帰るな」
 九井は青宗の二の腕を掴む。そのまま立ち上がろうとした青宗を引き留めたのは他でもない、かしまし女子たちだ。
「えー! 乾くんも帰っちゃうの? せっかくだからもっといようよ」
「そうそう! 九井くんも乾くんもいなくなっちゃったら寂しいじゃん!」
「コイツもたしかこの後用事あるんだよ。な?」
「……」
 青宗は静かに頷いた。正直、青宗もとっとと九井を連れて帰りたい。席に案内された瞬間スマートに九井を連れ出せば良かったのだが、すっかりタイミングを見失ってしまった。九井が作り出したせっかくのチャンス、ここは余計なことは言わずに黙って退出しよう。
 財布から数枚のお札を抜いて机の上に置くと席を立つ。九井と一緒に半個室を出ようとした時、再びかしまし女子たちに退路が塞がれた。苛立ちが募る。
「あ、九井くん。帰る前に連絡先交換しようよ」
「急いでるからあとで先輩から聞いといて」
「わかったぁ」
「乾くんも」
「ヤダ」
 青宗から思わず冷たい声が出た。その不機嫌さを察知した女子もさすがに一瞬口を閉じる。が、ダメ元でもう1回、とスマホを握り直す。貪欲な乙女たちはどこまでもたくましい。
「ダメなの?」
「違う、オレのじゃなくて、ココの」
「ん? ココ?」
 聞き慣れない名前に首を傾げる。二人のやり取りを見ていた九井は思わず片手で顔を覆った。どうしようかと考える間もなく、ぐい、と青宗に肩を抱かれる。
「コイツの連絡先、教えらんないから」
 一瞬の沈黙。
 冗談など言っているような風でもないため、その場にいた彼らは訳がわからないといった様子だ。九井に連絡先を聞いた女子がおもむろに沈黙を破る。
「……え? それって乾くんがわざわざ言うこと?」
「うん」
「なんで?」
「ちょ、イヌピー」
 九井は自分の肩を抱く青宗の手をぽんぽんと叩いた。これ以上余計なことを言うな、ややこしくなる。そんな思いは届かずに青宗はより一層九井の肩を強く抱き、自身の方へ引き寄せた。友達、と呼ぶにはやや近すぎる距離にギャラリーは固唾を飲む。
「ココはオレのことが好きだから」
「は?」
「あ、でも……オレもココが好きだから、オレの連絡先もやっぱダメだ」
「ちょ、ちょっと待って。何? どういうこと?」
「こういうこと」
「ちょ、」
 青宗はそのまま九井の顎を掴むと制止の声も聞かずにそのまま彼の唇にかぶりついた。舌先で唇をなぞればいつもの癖で素直に口を開いてしまう九井が愛しくて、思わずそのままじゅるりと舌を吸い上げる。声にならない悲鳴が青宗の口内に響いた。
 九井の顎を掴む手首を強く掴まれ、青宗はようやく唇を離す。そして、挑発的な妖しい視線で女子を見下ろした。
「だからダメ」
 ぬらりと濡れた舌で自分の唇をひと舐めし、唾液を拭う。少しだけ首を傾げてみせると、彼女がヒュッと息をのむのがわかった。
「な?」
「あ……はい……」
 件の女子はスマホを握り締めたまま顔を赤くしフリーズする。それ以上何も言葉が出てこなかった。
 九井はまるで、もうお嫁に行けませんみたいな雰囲気を纏って小さく蹲っていた。顔は完全に隠れてしまっているが、ちらりと見える耳が赤い。
「あとオマエ、加藤」
 青宗はピッと指を突き出す。事のあらましをただただ呆然と見ていた男2人組のうちの片方を強い視線で射貫いた。
「オレは鈴木だよ」
 射貫かれた鈴木がそう返事をすると、青宗はその指先をゆっくり隣の男へ移す。正真正銘、こっちが佐藤だ。
「もうココを合コンなんかに呼ぶな」
「はい」
 思わず正座をする佐藤。そのまま土下座でもしそうな勢いだ。土下座男の異名は伊達ではない。
 青宗は九井を引っ張り上げるとそのまま店を出る。九井は青宗に手を引かれながら、明日どんな顔して大学に行けばいいのだろうと沸騰する頭でぼんやり思っていた。

   ◇

 店を出ると九井がパッと青宗の手を振り払う。その顔は未だに真っ赤だ。だが、少し怒っているような、困惑しているような表情に、その熱が羞恥からくるものなのか怒りからくるものなのか、すぐには判断が付かなかった。
「何してんだよイヌピー……!」
「だって……ココが合コンなんか行くから」
 唇を突き出しふて腐れながら答えると、九井は振り払った手を額に当てて項垂れた。そして、わざとらしくため息を吐く。
「はー……もう……だから迎えに来てほしくなかったのに」
「あ? なんだよ。ココはオレじゃなくてオンナがいいのか?」
「そんなこと言ってねぇじゃん」
「言ってんだろ! オレ、オマエの彼氏なのに、友達ってウソつくし……せっかくの合コン邪魔して悪かったな!」
 バイクに置いてあったヘルメットを掴んで思わず投げる。九井はそれを受け止めると、しおしおと青宗の側に歩み寄った。眉を下げてこちらを見上げてくる彼は、どこか不服そうな表情をしている。九井は少し迷った後、戸惑いながらも口を開いた。
「……来て欲しくなかったのは、オマエが……その、かっこいいから……。女どもがほっとかないだろ。実際、みんなオマエに夢中だったし。友達ってウソついたのは……オマエみたいなかっこいいヤツの恋人が、オレみたいな冴えない男だと釣り合わないっていうか……オマエに迷惑かけちまう、し……」
 劣等感と嫉妬。この恋に、不安になっている。恋人を独り占めしたいのはお互い様だ。
 青宗からすれば、元々恋愛対象が女である九井からいつ別れを切り出されるか分からないし、九井からすれば、こんな美男子なら恋人なんて選びたい放題、いつ目移りされるか分からないわけで。だから、不安分子は少しでも近づけたくないのだ。まぁ、お互いこんなに好き合っているのだから、すべては杞憂だったのだけれど。
「ココ」
「……なに」
「ココは自分が思ってるよりかっこいいぞ」
「は、」
「あと、オレばっかココのこと好きじゃなくて安心した。嬉しい」
「っ、るせ」
 青宗は九井の両頬を包み込むと小さな黒い瞳を覗き込んだ。店先の灯りでゆらゆらと水面が揺らいでいる。少しだけ赤い耳は、やっぱり恥じらいの証らしい。青宗は愛しさを滲ませた瞳を細める。
「……キス、していい?」
「もうしてるじゃん、バカ」
 顔を近づけると同時に瞳を閉じた。唇が触れ合う瞬間、九井の両手の指先に力がこもってヘルメットがキュッと音を立てる。数秒の間。そしてゆっくり唇を離す。と、ヒュー、とどこからか口笛が聞こえてきた。
 ハッとして周りを見れば、こちらを見物している人がチラホラ。そうだ、ここは往来、ましてや店先だ。こんな人目につくところで痴話喧嘩から仲直りまでしっかりお見せしてしまった。
 九井は顔を赤くしたり青くしたりしながらヘルメットを被るとすぐさまバイクに跨がる。
「帰るぞ! はやく!」
 その様子にふっと笑いをこぼすと青宗も愛機に乗ってエンジンを吹かした。そのまま派手な排気音を出しながら店を離れていく。あぁ、もうこの近くには来られないだろうなぁ。九井は青宗の腰に腕を回すと、八つ当たりに渾身の力を込めてぎゅっと強く抱きついた。
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