【イヌココ】野良猫の話
東京卍會の集会前。
家の近い青宗と鉢合わせないように少し早めに家を出たせいもあって、集会場所となっている神社は誰もおらず閑散としている。しいていうなら虫の鳴き声がするくらいだろうか。
九井は黒い単車を脇に停めて階段の一番下に腰掛けた。
暇だ。特にすることもない。ただただ他の隊員が来るのを待つだけ。
それもこれも昨日青宗とちょっと派手な喧嘩をしたせいだ。内輪揉めは御法度ではあるが、こと二人においてはちょっとしたことでの小競り合いが絶えない。ひとことで言えば犬猿の仲というやつだろうか。
昨日は九井の嫌味に過剰に反応した青宗と悪口の応酬の果てに拳が出た。もちろんお互いやられっぱなしではプライドが許さない。殴っては殴り返され、ヒートアップしたところに大寿のゲンコツが飛んできて幕を閉じた。
これには今まで大目に見てくれていた万次郎からも苦言を呈され、二人並んで頭を下げた。ついでに大寿も監督不行き届きとして一緒に怒られた。そのあと彼にもう一発ゲンコツを食らった。あれは完全に八つ当たりだと思ったが、まぁ原因は自分たちにあるのでそう強く文句も言えない。
その険悪な空気のまま今日に至る。仲直りもしていないしこちらから謝るつもりもない。別にそういう形式めいたものがなくても、結局いつも通りで変わりないだろう。お互いがお互いのことをよく思っていないだけ。よく言えばライバル、そう、宿敵みたいなものなのだ。
仲が良かったのは小学生くらいまでで、それからはずっと腐れ縁だ。
通う学校は違うのに青宗が学校をサボれば九井も一緒にサボって、青宗が黒龍に入ると言えば九井も一緒に入って、東京卍會に行くと言えば一緒に行った。せっかく偏差値の高い高校に入ったのに、こんな不良少年に育って親は泣くだろう。それもこれも全部、青宗に負けたくないからだ。
不良がかっこいいとは特別思わないけれど、彼より劣っている部分がひとつでもあるのが嫌なだけ。この愛機だって効率よく稼いだ金で買った、普通の高校生には到底手が出せないようないいバイクだ。だが、悔しいことに運転テクニックでは青宗に劣る自覚はあるので、自分よりも彼が乗っていたらもっとかっこいいだろうなぁと思ったことはある。口が裂けても言わないが。
九井はぐーっと背伸びをして空を見上げる。どこまでも晴れ渡る、青い空。そんな、小説に出てくるみたいな表現が似合う空だ。
はやく誰か来ないかな、できれば大寿がいいな、なんて思っていると、遠くから何か聞こえる。
バイクのエンジン音じゃない。何だろう、人の声だろうか。いや、足音かもしれない。誰か来たのだろうかと周りを見渡すが人影らしきものはない。はて、と不思議に思い、音のする場所へ向かう。
階段の上、もう少し右側。こっちの木陰の方か、いや、あっちの茂みか。
「……、ーー! ーー、ーーーー」
人の声がする。何を言っているのかまでは分からない。先に来ていた隊員か、はたまたまったく知らない人か。後者だったら困るので九井は足音を立てないようゆっくりと声のする方へ歩みを進める。
「ココ!」
ビクッ、と肩を震わせて思わず足を止めた。この声は間違いなく青宗だ。なんだ、先に来ていたのか? こちらから彼の姿は見えないが、どこにいるのだろうか。
「ココ、探したんだぞ」
探していた? 一体何のために。もしかして昨日の続きをしようってか? 別に逃げも隠れもしない。喧嘩がしたいならいつだって相手になる。
「今日はオマエが好きなマグロにしたから」
……いや、待て。何かがおかしい。マグロは好きだが何で急にマグロの話になる。それ以前にこちらは返事も何もしてない。一体誰としゃべっているんだ。
「ココはたくさん食べるなぁ。そんなとこまでココそっくりだ」
「……誰と誰がそっくりだって?」
「わっ!」
のそり、と茂みを覗き込んだら案の定青宗がいた。手にはビニール袋を提げている。背を丸めてしゃがみ込んでいる彼の足元には小柄な黒猫が一匹。こちらには目もくれず一心不乱に缶詰の中身を食べている。おそらくマグロとはコレのことだろう。猫缶特有の臭いがする。
「コ、ココ……」
「それはどっちの“ココ”だぁ?」
「こ……っち、」
青宗は口から心臓がまろび出そうな表情でおそるおそる九井の方を指差した。だが、それが気に食わなかったのでその指をはたき落とした。
「猫ごときにオレの名前付けて遊んでんのか、あ?」
「猫ごときってなんだ」
「本物のオレには勝てねぇからって、こんなんでオレのこと見下した気分になってんのかよ、ダセェな」
「ちげぇ! なんでテメェはいっつもそんな物言いしかできねぇんだよ!」
青宗の大声に黒猫がビクッと食事を止めた。耳をイカらせて体の毛を膨らませている。臨戦態勢に入った黒猫を宥めるように、青宗は声のトーンを落とした。
「ココ、ごめん」
「つーか、その名前やめろや。気分悪ぃな」
「ココは賢いから、ココって名前もう覚えたんだ。今さら変えられない」
「たかが猫一匹だろ」
「たかがじゃない! ココは本当にいい猫だ。オレがココと喧嘩した時にはココが側に来て慰めてくれるし、オレがココって呼ぶと絶対返事する。ココはしねぇだろ。ココよりココの方がよっぽど頭いいかもな。それに食べる量だってココに負けねぇんだ。ココはマグロ缶なら一回に三缶は食えるぜ。もしかしたらココよりも食うかもな」
得意気に自慢する青宗に九井は額を押さえた。自分の名前と猫の名前が一緒で一瞬どっちのことを言っているのか分からなくなる。いや、そもそもどうしてそんなことになってしまっているのだ。九井に見立てた小動物をいじめるならまだしも、こうして世話を焼いているどころかかなりの愛着があるようだ。憎い相手に見立てているならそんな感情は持たないはず。余計に分からない。
「あぁ……もう、どうでもいいわ……」
考えても分からないものは分からない。考えることを放棄するのは簡単だ。そう、これ以上この男を理解することはやめよう。
「どうした、ココ。ココの有能さに負けたか」
「……紛らわしいんだよ。反論する気も起きねぇわ」
げんなりした九井の様子にようやく合点がいった青宗は、なるほどと手を打った。
「はじめ」
一瞬、時が止まったような気がした。彼女とよく似たその綺麗な顔から、彼女が呼ぶのと同じ名前で呼ばれると、
「はは、ココも赤くなったりするんだ」
意地悪そうな彼の笑顔に、思わず手の甲で顔を隠した。あぁ、ダメだ。顔が熱い。一瞬で体温が上昇してしまう。この顔は魔性だ。むかつく、むかつく。昨日もっと殴っておけば良かった。顔中絆創膏だらけになってしまえ。あぁ、でもそんなことしたら彼女が悲しむ。できない。本気で殴り合うなんて出来ないんだ。だからお互い、今日も傷ひとつない顔でこうして向かい合えている。
「イヌピーのくせに生意気だ! 二度と呼ぶな!」
「じゃあココと一緒だけどいいのかぁ?」
「猫の方変えろや!」
「無理だっつってんだろ!」
結局、集会が始まる直前までそんなしょうもない喧嘩をして、声を聞きつけた大寿から本日一発目のゲンコツが飛んでくるまで言い争った。この騒ぎに慣れたのか、黒猫は猫缶を平らげたあと二人の側で丸まって寝ていた。この図太い神経は間違いなく世話主である青宗に似たに違いない。黒猫は大寿に引きずられながら集会に行く二人を見送ると、金色の目を瞬かせ大きなあくびをひとつこぼして放浪の度に出た。明日の同じ時間にまたこの場所に戻ってくるだろう。
そして、多分。明日はきっと、二種類の猫缶が食べられるかもしれない。黒猫はピンと尻尾を立ててコンクリートの街に消えて行った。
家の近い青宗と鉢合わせないように少し早めに家を出たせいもあって、集会場所となっている神社は誰もおらず閑散としている。しいていうなら虫の鳴き声がするくらいだろうか。
九井は黒い単車を脇に停めて階段の一番下に腰掛けた。
暇だ。特にすることもない。ただただ他の隊員が来るのを待つだけ。
それもこれも昨日青宗とちょっと派手な喧嘩をしたせいだ。内輪揉めは御法度ではあるが、こと二人においてはちょっとしたことでの小競り合いが絶えない。ひとことで言えば犬猿の仲というやつだろうか。
昨日は九井の嫌味に過剰に反応した青宗と悪口の応酬の果てに拳が出た。もちろんお互いやられっぱなしではプライドが許さない。殴っては殴り返され、ヒートアップしたところに大寿のゲンコツが飛んできて幕を閉じた。
これには今まで大目に見てくれていた万次郎からも苦言を呈され、二人並んで頭を下げた。ついでに大寿も監督不行き届きとして一緒に怒られた。そのあと彼にもう一発ゲンコツを食らった。あれは完全に八つ当たりだと思ったが、まぁ原因は自分たちにあるのでそう強く文句も言えない。
その険悪な空気のまま今日に至る。仲直りもしていないしこちらから謝るつもりもない。別にそういう形式めいたものがなくても、結局いつも通りで変わりないだろう。お互いがお互いのことをよく思っていないだけ。よく言えばライバル、そう、宿敵みたいなものなのだ。
仲が良かったのは小学生くらいまでで、それからはずっと腐れ縁だ。
通う学校は違うのに青宗が学校をサボれば九井も一緒にサボって、青宗が黒龍に入ると言えば九井も一緒に入って、東京卍會に行くと言えば一緒に行った。せっかく偏差値の高い高校に入ったのに、こんな不良少年に育って親は泣くだろう。それもこれも全部、青宗に負けたくないからだ。
不良がかっこいいとは特別思わないけれど、彼より劣っている部分がひとつでもあるのが嫌なだけ。この愛機だって効率よく稼いだ金で買った、普通の高校生には到底手が出せないようないいバイクだ。だが、悔しいことに運転テクニックでは青宗に劣る自覚はあるので、自分よりも彼が乗っていたらもっとかっこいいだろうなぁと思ったことはある。口が裂けても言わないが。
九井はぐーっと背伸びをして空を見上げる。どこまでも晴れ渡る、青い空。そんな、小説に出てくるみたいな表現が似合う空だ。
はやく誰か来ないかな、できれば大寿がいいな、なんて思っていると、遠くから何か聞こえる。
バイクのエンジン音じゃない。何だろう、人の声だろうか。いや、足音かもしれない。誰か来たのだろうかと周りを見渡すが人影らしきものはない。はて、と不思議に思い、音のする場所へ向かう。
階段の上、もう少し右側。こっちの木陰の方か、いや、あっちの茂みか。
「……、ーー! ーー、ーーーー」
人の声がする。何を言っているのかまでは分からない。先に来ていた隊員か、はたまたまったく知らない人か。後者だったら困るので九井は足音を立てないようゆっくりと声のする方へ歩みを進める。
「ココ!」
ビクッ、と肩を震わせて思わず足を止めた。この声は間違いなく青宗だ。なんだ、先に来ていたのか? こちらから彼の姿は見えないが、どこにいるのだろうか。
「ココ、探したんだぞ」
探していた? 一体何のために。もしかして昨日の続きをしようってか? 別に逃げも隠れもしない。喧嘩がしたいならいつだって相手になる。
「今日はオマエが好きなマグロにしたから」
……いや、待て。何かがおかしい。マグロは好きだが何で急にマグロの話になる。それ以前にこちらは返事も何もしてない。一体誰としゃべっているんだ。
「ココはたくさん食べるなぁ。そんなとこまでココそっくりだ」
「……誰と誰がそっくりだって?」
「わっ!」
のそり、と茂みを覗き込んだら案の定青宗がいた。手にはビニール袋を提げている。背を丸めてしゃがみ込んでいる彼の足元には小柄な黒猫が一匹。こちらには目もくれず一心不乱に缶詰の中身を食べている。おそらくマグロとはコレのことだろう。猫缶特有の臭いがする。
「コ、ココ……」
「それはどっちの“ココ”だぁ?」
「こ……っち、」
青宗は口から心臓がまろび出そうな表情でおそるおそる九井の方を指差した。だが、それが気に食わなかったのでその指をはたき落とした。
「猫ごときにオレの名前付けて遊んでんのか、あ?」
「猫ごときってなんだ」
「本物のオレには勝てねぇからって、こんなんでオレのこと見下した気分になってんのかよ、ダセェな」
「ちげぇ! なんでテメェはいっつもそんな物言いしかできねぇんだよ!」
青宗の大声に黒猫がビクッと食事を止めた。耳をイカらせて体の毛を膨らませている。臨戦態勢に入った黒猫を宥めるように、青宗は声のトーンを落とした。
「ココ、ごめん」
「つーか、その名前やめろや。気分悪ぃな」
「ココは賢いから、ココって名前もう覚えたんだ。今さら変えられない」
「たかが猫一匹だろ」
「たかがじゃない! ココは本当にいい猫だ。オレがココと喧嘩した時にはココが側に来て慰めてくれるし、オレがココって呼ぶと絶対返事する。ココはしねぇだろ。ココよりココの方がよっぽど頭いいかもな。それに食べる量だってココに負けねぇんだ。ココはマグロ缶なら一回に三缶は食えるぜ。もしかしたらココよりも食うかもな」
得意気に自慢する青宗に九井は額を押さえた。自分の名前と猫の名前が一緒で一瞬どっちのことを言っているのか分からなくなる。いや、そもそもどうしてそんなことになってしまっているのだ。九井に見立てた小動物をいじめるならまだしも、こうして世話を焼いているどころかかなりの愛着があるようだ。憎い相手に見立てているならそんな感情は持たないはず。余計に分からない。
「あぁ……もう、どうでもいいわ……」
考えても分からないものは分からない。考えることを放棄するのは簡単だ。そう、これ以上この男を理解することはやめよう。
「どうした、ココ。ココの有能さに負けたか」
「……紛らわしいんだよ。反論する気も起きねぇわ」
げんなりした九井の様子にようやく合点がいった青宗は、なるほどと手を打った。
「はじめ」
一瞬、時が止まったような気がした。彼女とよく似たその綺麗な顔から、彼女が呼ぶのと同じ名前で呼ばれると、
「はは、ココも赤くなったりするんだ」
意地悪そうな彼の笑顔に、思わず手の甲で顔を隠した。あぁ、ダメだ。顔が熱い。一瞬で体温が上昇してしまう。この顔は魔性だ。むかつく、むかつく。昨日もっと殴っておけば良かった。顔中絆創膏だらけになってしまえ。あぁ、でもそんなことしたら彼女が悲しむ。できない。本気で殴り合うなんて出来ないんだ。だからお互い、今日も傷ひとつない顔でこうして向かい合えている。
「イヌピーのくせに生意気だ! 二度と呼ぶな!」
「じゃあココと一緒だけどいいのかぁ?」
「猫の方変えろや!」
「無理だっつってんだろ!」
結局、集会が始まる直前までそんなしょうもない喧嘩をして、声を聞きつけた大寿から本日一発目のゲンコツが飛んでくるまで言い争った。この騒ぎに慣れたのか、黒猫は猫缶を平らげたあと二人の側で丸まって寝ていた。この図太い神経は間違いなく世話主である青宗に似たに違いない。黒猫は大寿に引きずられながら集会に行く二人を見送ると、金色の目を瞬かせ大きなあくびをひとつこぼして放浪の度に出た。明日の同じ時間にまたこの場所に戻ってくるだろう。
そして、多分。明日はきっと、二種類の猫缶が食べられるかもしれない。黒猫はピンと尻尾を立ててコンクリートの街に消えて行った。
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