【イヌココ+春ココ】影踏み
切れた電話をぼんやりと見やった。
目の前には怒ったような、縋るような、そんな表情をした青宗がただ静かに九井を見つめている。
九井は彼の手の中で暗くなった自分の携帯画面から怖々と目を離した。
「……返せよ」
取り上げられた携帯に手を伸ばすが、ひょいと簡単に躱されてしまう。
と、青宗の手の中の携帯が震えた。
着信を知らせる無機質な音と、画面にはつい先ほどまで通話していた三途の名前が表示される。
関東卍會の一員としてのちょっとした仕事帰りのはずだった。
金を受け取ってアジトに帰る。それだけのことだったのに、こんな所で彼と出くわすなんて誤算もいいところだ。
近くの車で待たせている三途にこれから戻る報告を入れていた最中に青宗と会い口論になった。
惚れた腫れたは当座の内で、別れ話はあの時に終わったはずだったのに。
青宗にとってはそうじゃなかったのかもしれない。
そんなみっともない会話を聞かされる三途の方も不憫だ。
携帯から響くような大声でワーワー何事かを言う三途にキレた青宗が九井の携帯を取り上げて通話を切ったのが、ついさっきの話。
急に電話が切れたものだから三途もかけ直してきたのだろう。
九井としてはとっとと携帯を回収してそのまま車に飛び乗りたい気持ちでいっぱいだ。
「おい、いい加減にしろよ」
「ココがオレの話聞いてくれたら返す」
「話しただろ。これ以上何もねぇよ。オレは関卍辞める気はねぇし、オマエのことももう支えてやれねぇ」
「……ココはもう、オレのこと忘れられねぇくせに」
けたたましく鳴り響く着信音が青宗の呟きをかき消す。
伸ばされた腕が九井の左手首を掴んで、握られていた携帯はそのままコンクリートの上に落下した。
カツン、という嫌な音と共に着信音が途切れる。
反対の手は九井の右肩を押し、そのまま狭い路地裏のビルへ背中を付けて逃げられないようにしてから少し乱暴に唇を重ね合わせた。
くぐもった声が鼻の中を通る。九井の右手が青宗の二の腕辺りを強く掴んだ。
「こんのクソ無能が!」
ジャリ、と音を立てて走り込んで来たのは片手に携帯を握り締めたままの三途だった。
額に汗と青筋を浮かべている彼は肩で息をしながらずんずんと2人の方へ向かって来る。
その足に、コツ、と九井の携帯が当たった。三途は眉をひそめて地面に視線を落とす。
よく見ると背中のカバーが外れて電池パックが飛び出していた。
だから何度かけ直しても電話が繋がらないわけだ。
三途は大きく舌打ちすると散乱する携帯を拾い上げて特攻服のポケットにしまった。
「手間かけさせやがって。帰るぞ」
青宗の手に囚われたままの九井の手を引く。
しかし、彼もまたその手を易々と手放す気はなかった。
「これはオレとココの問題だ。部外者は黙ってろ」
「部外者はそっちだろ。九井はもうオレらのもんだ。コイツは自分の意思でオレらの所にいるんだよ」
トゲのある声音に三途も青宗を睨み返す。
どけ、と言わんばかりに彼の体を押して九井をその腕の中から引き抜いた。
そのまま来た道を早足で戻っていく。
「ココ!」
背中に青宗の悲痛な想いがぶつけられる。
その声に思わず振り向こうとした九井を三途が遮った。
「クソダセェ。自分から手放しといてみっともなく縋るな。ザコが。そんなに大事なモンなら地獄でもどこでも一緒に着いて行けよ。その覚悟もねぇくせにコイツの名前呼ぶんじゃねぇ」
それだけ吐き捨てると三途は再び九井の手を引いて路地裏から出て行く。
青宗は遠ざかる2人の長い影を見送ることしかできなかった。
*
「このグズ」
「……悪かったって」
車を運転する三途が助手席で居心地悪そうにしている九井をチクチクとつついた。
電話口から聞こえてきた口論とあの薄暗い路地裏で見えた一瞬の2人の姿から、何となくそういう関係だったんだろうなということは察しがつく。
前の男を忘れられないとか女々しすぎて吐き気がした。
九井にはもうその気がないのにいつまでもグズグズとなんと格好悪いことか。
あの男のことを考えるだけでムシャクシャした気分になる。
それでも今、九井が隣に座っていることでなんとか腹の虫を押さえ込むことができているのだ。
アジト前まで到着してエンジンを切る。
ドアの鍵をかけてポケットにそれをしまおうとして、その中に入ったままになっていた九井の携帯の存在を思い出した。
「おい、携帯」
「あぁ」
バラバラになったままの携帯と電池パックを順に渡していく。
そして、最後にポケットからカバーを取り出した時、脳の奥がカッと熱くなるのを感じた。
「あっ、おい!」
三途は勢いに任せてカバーをぶん投げる。
自身の遙か後方に飛んでいくそれを、ただただあっけに取られて目線だけで追いかけた。
「何してんだよ!」
「それはこっちのセリフだ!オマエがあんなモン付けてっから!アイツに……」
ぐしゃりと顔を歪めて憤る彼を置いて、九井はカバーが落ちた場所まで駆けていく。
あそこにはすべてを失った九井に残された宝物の一欠片がある。
カバーの裏側に1枚だけ貼られた、小学生の頃に3人で撮ったプリクラ。
かつて、初恋の人に誘われて、渋る青宗の腕を引いて一緒に撮った最初で最後の写真。
ムスッとした表情の青宗と、ふんわり笑う彼女。その隣で少し緊張した面持ちでぎこちないピースをしている自分。
もうずいぶん昔に撮ったものだし、電池パックの熱で若干色が褪せている。
それでも確かに、そこには九井の忘れたくない思い出が残っていた。
少し砂のついた表面を手で払う。
ホッとして胸を撫で下ろす九井の背中に、三途が影を落とした。
「捨てろよ」
「は?」
「そんなもモン、捨てろって言ってんだ」
「……いやだ」
九井の胸ぐらを掴み上げる。
結局コイツも、前の男を忘れられないのかと思うと腹が立った。
すべてを捨てて此処に来たのだと思っていたのに。
そんなモノは不要だ。これからを歩くオレたちには、いらないモノだ。
「全部捨てて、オレらと一緒に来るんじゃなかったのかよ」
「そうだよ。全部捨てて来た。だけど、忘れられねぇもんくらいある。オマエだってそうだろ」
彼の冷ややかな視線を受けて九井も負けじと睨み返す。
三途も大事なものを捨てて来た。けれど、それを忘れられるかと言われれば、それはまた別の問題だ。
そして、それはまた彼らの王である男も同じこと。
大事だから捨てて、大切だから忘れられない。
そういう傷を抱えて集まったのだ。
三途はぐっと眉間に皺を寄せて九井を突き放す。
「……テメェは、オレらのモンだ。だから、絶対ェ裏切るな。……オマエは、いなくなるな」
秋の濃い夕日が逆光になって表情がよく分からない。
けれど、その声音は"クソダセェ"くらいに情けなくて頼りなかった。
濃い影を落とす三途の元へ歩み寄る。
「帰ろう、ボスのところへ」
【愛だの恋だの、互いの汚え所さらけ出してなんぼだろ】
目の前には怒ったような、縋るような、そんな表情をした青宗がただ静かに九井を見つめている。
九井は彼の手の中で暗くなった自分の携帯画面から怖々と目を離した。
「……返せよ」
取り上げられた携帯に手を伸ばすが、ひょいと簡単に躱されてしまう。
と、青宗の手の中の携帯が震えた。
着信を知らせる無機質な音と、画面にはつい先ほどまで通話していた三途の名前が表示される。
関東卍會の一員としてのちょっとした仕事帰りのはずだった。
金を受け取ってアジトに帰る。それだけのことだったのに、こんな所で彼と出くわすなんて誤算もいいところだ。
近くの車で待たせている三途にこれから戻る報告を入れていた最中に青宗と会い口論になった。
惚れた腫れたは当座の内で、別れ話はあの時に終わったはずだったのに。
青宗にとってはそうじゃなかったのかもしれない。
そんなみっともない会話を聞かされる三途の方も不憫だ。
携帯から響くような大声でワーワー何事かを言う三途にキレた青宗が九井の携帯を取り上げて通話を切ったのが、ついさっきの話。
急に電話が切れたものだから三途もかけ直してきたのだろう。
九井としてはとっとと携帯を回収してそのまま車に飛び乗りたい気持ちでいっぱいだ。
「おい、いい加減にしろよ」
「ココがオレの話聞いてくれたら返す」
「話しただろ。これ以上何もねぇよ。オレは関卍辞める気はねぇし、オマエのことももう支えてやれねぇ」
「……ココはもう、オレのこと忘れられねぇくせに」
けたたましく鳴り響く着信音が青宗の呟きをかき消す。
伸ばされた腕が九井の左手首を掴んで、握られていた携帯はそのままコンクリートの上に落下した。
カツン、という嫌な音と共に着信音が途切れる。
反対の手は九井の右肩を押し、そのまま狭い路地裏のビルへ背中を付けて逃げられないようにしてから少し乱暴に唇を重ね合わせた。
くぐもった声が鼻の中を通る。九井の右手が青宗の二の腕辺りを強く掴んだ。
「こんのクソ無能が!」
ジャリ、と音を立てて走り込んで来たのは片手に携帯を握り締めたままの三途だった。
額に汗と青筋を浮かべている彼は肩で息をしながらずんずんと2人の方へ向かって来る。
その足に、コツ、と九井の携帯が当たった。三途は眉をひそめて地面に視線を落とす。
よく見ると背中のカバーが外れて電池パックが飛び出していた。
だから何度かけ直しても電話が繋がらないわけだ。
三途は大きく舌打ちすると散乱する携帯を拾い上げて特攻服のポケットにしまった。
「手間かけさせやがって。帰るぞ」
青宗の手に囚われたままの九井の手を引く。
しかし、彼もまたその手を易々と手放す気はなかった。
「これはオレとココの問題だ。部外者は黙ってろ」
「部外者はそっちだろ。九井はもうオレらのもんだ。コイツは自分の意思でオレらの所にいるんだよ」
トゲのある声音に三途も青宗を睨み返す。
どけ、と言わんばかりに彼の体を押して九井をその腕の中から引き抜いた。
そのまま来た道を早足で戻っていく。
「ココ!」
背中に青宗の悲痛な想いがぶつけられる。
その声に思わず振り向こうとした九井を三途が遮った。
「クソダセェ。自分から手放しといてみっともなく縋るな。ザコが。そんなに大事なモンなら地獄でもどこでも一緒に着いて行けよ。その覚悟もねぇくせにコイツの名前呼ぶんじゃねぇ」
それだけ吐き捨てると三途は再び九井の手を引いて路地裏から出て行く。
青宗は遠ざかる2人の長い影を見送ることしかできなかった。
*
「このグズ」
「……悪かったって」
車を運転する三途が助手席で居心地悪そうにしている九井をチクチクとつついた。
電話口から聞こえてきた口論とあの薄暗い路地裏で見えた一瞬の2人の姿から、何となくそういう関係だったんだろうなということは察しがつく。
前の男を忘れられないとか女々しすぎて吐き気がした。
九井にはもうその気がないのにいつまでもグズグズとなんと格好悪いことか。
あの男のことを考えるだけでムシャクシャした気分になる。
それでも今、九井が隣に座っていることでなんとか腹の虫を押さえ込むことができているのだ。
アジト前まで到着してエンジンを切る。
ドアの鍵をかけてポケットにそれをしまおうとして、その中に入ったままになっていた九井の携帯の存在を思い出した。
「おい、携帯」
「あぁ」
バラバラになったままの携帯と電池パックを順に渡していく。
そして、最後にポケットからカバーを取り出した時、脳の奥がカッと熱くなるのを感じた。
「あっ、おい!」
三途は勢いに任せてカバーをぶん投げる。
自身の遙か後方に飛んでいくそれを、ただただあっけに取られて目線だけで追いかけた。
「何してんだよ!」
「それはこっちのセリフだ!オマエがあんなモン付けてっから!アイツに……」
ぐしゃりと顔を歪めて憤る彼を置いて、九井はカバーが落ちた場所まで駆けていく。
あそこにはすべてを失った九井に残された宝物の一欠片がある。
カバーの裏側に1枚だけ貼られた、小学生の頃に3人で撮ったプリクラ。
かつて、初恋の人に誘われて、渋る青宗の腕を引いて一緒に撮った最初で最後の写真。
ムスッとした表情の青宗と、ふんわり笑う彼女。その隣で少し緊張した面持ちでぎこちないピースをしている自分。
もうずいぶん昔に撮ったものだし、電池パックの熱で若干色が褪せている。
それでも確かに、そこには九井の忘れたくない思い出が残っていた。
少し砂のついた表面を手で払う。
ホッとして胸を撫で下ろす九井の背中に、三途が影を落とした。
「捨てろよ」
「は?」
「そんなもモン、捨てろって言ってんだ」
「……いやだ」
九井の胸ぐらを掴み上げる。
結局コイツも、前の男を忘れられないのかと思うと腹が立った。
すべてを捨てて此処に来たのだと思っていたのに。
そんなモノは不要だ。これからを歩くオレたちには、いらないモノだ。
「全部捨てて、オレらと一緒に来るんじゃなかったのかよ」
「そうだよ。全部捨てて来た。だけど、忘れられねぇもんくらいある。オマエだってそうだろ」
彼の冷ややかな視線を受けて九井も負けじと睨み返す。
三途も大事なものを捨てて来た。けれど、それを忘れられるかと言われれば、それはまた別の問題だ。
そして、それはまた彼らの王である男も同じこと。
大事だから捨てて、大切だから忘れられない。
そういう傷を抱えて集まったのだ。
三途はぐっと眉間に皺を寄せて九井を突き放す。
「……テメェは、オレらのモンだ。だから、絶対ェ裏切るな。……オマエは、いなくなるな」
秋の濃い夕日が逆光になって表情がよく分からない。
けれど、その声音は"クソダセェ"くらいに情けなくて頼りなかった。
濃い影を落とす三途の元へ歩み寄る。
「帰ろう、ボスのところへ」
【愛だの恋だの、互いの汚え所さらけ出してなんぼだろ】
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