観月はじめ
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20年越しの恋
15歳の私には好きな人がいました。名前を観月はじめくんといいました。きっかけは図書室でした。私は図書委員をしており、彼はよく本を借りに来ていました。クラスメートでしたので、本の貸出作業の際に取り留めのない話、例えば宿題の話とか次の授業の話とか、をぽつぽつとするくらいには親交がありました。お互い好きな本をおすすめし合ったり、新刊の入本をいち早く伝えたり、実家から届いた果物を頂いたり、それなりに仲の良い異性ではあったのだと思います。少なくとも私は、彼のことが好きで、彼のその笑顔を見ることが楽しみでした。
しかしその想いを伝えることはありませんでした。そのまま中学を、高校を卒業し、大学に入学しました。別の大学に進学するため、そこで微かな親交、図書室という名の触媒が無くなってしまうことに悲しさを覚えました。
卒業式の日、彼は私にお手紙でもくださいと、家の住所を教えてくれました。でも私は勇気がでなくてしばらくそれを放置していました。夏休みに入った頃、暑中見舞いとしてハガキを出しました。返事は1週間ほどで来ました。丁寧な書体に夏の花の写真、本の感想。あまりにも嬉しくて涙が出てしまったことに、自分のことながら覚えています。それからというもの、このネットの発達した世の中で、手紙を送りあったのでした。お互い忙しく筆まめとはいかなかったけれど、それが図書室を介して会話をしていた私たちには合っていたのだと思います。
そんな手紙も、ぱたりと返事が来なくなりました。大学二年生の夏頃からでした。私の返事が悪かったのかと、何度も悩みました。それでもわからなくて、成人式のあとの同窓会に彼が出席するかどうか、しないにしても彼と仲の良かったテニス部の誰かに安否を聞いてみようと思い立ちました。さすが私立校ともいうべきなのか、ホテルでの立食パーティーという形でしたので、来るかどうかもわからないのに張り切っておめかしをしました。友人やクラスメートだった男子には褒められましたが、私がいちばん会いたかった彼とは会えずじまいでした。テニス部の人に聞いてみると、彼はどうやら留学中で日本には居ないということでした。酷く落ち込みそうなのを堪えて、ありがとうと笑顔で応えました。海外にいるとはいえ留学です。そのうち帰ってきて、また私に手紙を送ってくれるだろう。受け身な私は、そう楽観して涙を抑えました。
しかしそれは大間違いでした。私が就職しても、まわりが結婚しだしても、手紙は届きませんでした。そのうちに私は一人暮らしをはじめ、住所が変わってしまいました。きっと彼も住所が変わっているでしょう。そうならないうちに一度、こちらからもう一度手紙を出せばよかった。後悔だけが残りました。メールアドレスも電話番号も知りません。なんだか人伝てに居場所を聞くのも嫌なので、仕事に追われる中、彼のことを考えないようにしてきました。きっと彼も私のことを忘れているはず、きっとそうに違いない。
気がつけば35歳になっていました。友人ははほとんど結婚してしまいました。もう小学生の子供を持つ人もいます。私だって男性とお付き合いくらいしたことがあります。でも、結婚のけの字が出る前に別れてしまう、正確に言えば相手から私が離れていってしまうのです。どうしても、彼と比べてしまう。どうしても、彼の面影を探してしまう。情けないことに、付き合ったこともない人のことを、今でも想いを続けているようなのです。
そんなある日のこと、同窓会のお知らせが実家に届きました。成人の日から、実に15年振りです。もしかしたら会えるかもしれない、そんな甘いことは考えずにただ友人に会いに行こう、そう思って出席に丸をしました。
会場に足を踏み入れると、なんだか中学生時代に戻ったような気がしました。茶色いスカートをはいて、臙脂色のネクタイをしめ、図書委員だったあの頃に。だってそういう顔ぶれなんです。歳をとっても、顔はそう変わりません。目の前にいる、この男性もーー。
「……観月、くん」
「探していたんです、君のこと。来て正解でした」
「どうして、私、来ないものと思って」
気がつけば泣いていました。いい大人なのにみっともないと思っても、止められないものは止められません。きっとそれは十数年と会えなかったが故の涙なのです。彼は慌ててハンカチを渡してくれました。
「ごめんなさい、泣くつもりはなくて、ただ、会えたのが、嬉しくて」
「もう僕のことは忘れてしまったのではないかと思っていました」
「そんなことない、私ずっと」
そこまで言いかけて、はっと口をつぐみました。涙もすっと引っ込んでしまうほどに慌てました。
「ずっと?」
「その、あの」
「もしかして、手紙のことを」
私はうなだれるように首を縦に振りました。
「あの時は、すみません。留学していて返事も出せず、帰ってきてからも、なんと書いたらよいかと中々……」
「忙しかったんだよね、別に、気にしてないから、ほんと、元気そうでよかった」
「ではなぜ、泣くんですか」
本当は会いたくて堪らなかったのだと、再びこぼれ始めた涙で知りました。彼が私を嫌っている風ではなかったことに酷く安堵を覚えました。
「安心しちゃって、嫌われたわけではなかったのね、私」
「そんなこと! 僕はずっと貴女のことを……」
「え?」
私は彼の顔をまじまじと見つめました。きまりが悪い顔をして、彼は口を開きました。
「……二十歳の同窓会のとき、僕は海外にいました。あとから君から僕の居場所を聞かれたと、赤澤から教えてもらいました」
「うん」
「とても綺麗になったと、聞きました。僕はてっきり、好い人でもいるのかと思って、それなら僕は、邪魔だろうと……。僕は、貴女が好きだったのです」
驚いて口をぽかんと開けてしまいました。観月君が、私のことを、好き?
そんな私を見て、観月君は慌てたように付け加えました。
「今更そんなことを言われても迷惑でしたね、忘れてください」
忘れられるわけがない。だって、私も同じ気持ちなんだから。
「……観月君に会えるかと思って! 私、あの日、観月君に会いたくて、会って手紙の返事をくれなくなった理由を聞こうと思って、会うなら一番自分が綺麗な格好で会いたいと思って、それで、観月君のことを諦めようって思って」
「諦める、とは」
「本人からもう手紙は出さないと言われたら、諦めきれるから。好きって気持ちも、一方的なものだったんだって自覚できるから」
「それはつまり、君も……」
「私も観月君が好きだったの。ううん、好きなの、今でも。だからまだ結婚もしてないの、笑っちゃうでしょ」
言っちゃった。全部言っちゃった。こんな女、私が誰を好きだろうがなんだろうが、願い下げでしょう。今度こそ観月君からお別れの言葉を貰える。私はそう思いました。
「僕も、未婚です。君が忘れられないから。ずっと後悔していました、手紙を出さなかったこと。でももうタイミングを失って、君も僕のことなんか忘れて生きているものだと、僕だけが小さな思い出に縋り付いているものだとばかり考えていました。でもそれは、違ったのですね」
観月君が私の手を取りました。
「もう一度、手紙を送ってもいいですか。手紙だけではなく、会ってもらえますか。文字だけでは伝えきれないことを、直接伝えてもいいですか。僕と、もっとたくさんの思い出を、一緒に作ってはもらえませんか」
それはまるで、プロポーズのようでした。
いつの間にか私達は注目の的になっていました。誰もが息を止めているようでした。私はひとつ、答えるのが精一杯でした。
「よろしくお願いします」
空いている手を彼の手に重ね合わせました。その手で書かれた彼の手紙が、走馬灯のように頭を駆け抜けました。ぽつぽつと聞こえてきた拍手が、やがて私達を包み込んでしまいました。
王子様なんて空想の世界だと思っていたけれど、そんなことはありませんでした。15歳の私へ。35歳の彼は、15歳のときから変わらず魅力的な人です。35歳の私より。
15歳の私には好きな人がいました。名前を観月はじめくんといいました。きっかけは図書室でした。私は図書委員をしており、彼はよく本を借りに来ていました。クラスメートでしたので、本の貸出作業の際に取り留めのない話、例えば宿題の話とか次の授業の話とか、をぽつぽつとするくらいには親交がありました。お互い好きな本をおすすめし合ったり、新刊の入本をいち早く伝えたり、実家から届いた果物を頂いたり、それなりに仲の良い異性ではあったのだと思います。少なくとも私は、彼のことが好きで、彼のその笑顔を見ることが楽しみでした。
しかしその想いを伝えることはありませんでした。そのまま中学を、高校を卒業し、大学に入学しました。別の大学に進学するため、そこで微かな親交、図書室という名の触媒が無くなってしまうことに悲しさを覚えました。
卒業式の日、彼は私にお手紙でもくださいと、家の住所を教えてくれました。でも私は勇気がでなくてしばらくそれを放置していました。夏休みに入った頃、暑中見舞いとしてハガキを出しました。返事は1週間ほどで来ました。丁寧な書体に夏の花の写真、本の感想。あまりにも嬉しくて涙が出てしまったことに、自分のことながら覚えています。それからというもの、このネットの発達した世の中で、手紙を送りあったのでした。お互い忙しく筆まめとはいかなかったけれど、それが図書室を介して会話をしていた私たちには合っていたのだと思います。
そんな手紙も、ぱたりと返事が来なくなりました。大学二年生の夏頃からでした。私の返事が悪かったのかと、何度も悩みました。それでもわからなくて、成人式のあとの同窓会に彼が出席するかどうか、しないにしても彼と仲の良かったテニス部の誰かに安否を聞いてみようと思い立ちました。さすが私立校ともいうべきなのか、ホテルでの立食パーティーという形でしたので、来るかどうかもわからないのに張り切っておめかしをしました。友人やクラスメートだった男子には褒められましたが、私がいちばん会いたかった彼とは会えずじまいでした。テニス部の人に聞いてみると、彼はどうやら留学中で日本には居ないということでした。酷く落ち込みそうなのを堪えて、ありがとうと笑顔で応えました。海外にいるとはいえ留学です。そのうち帰ってきて、また私に手紙を送ってくれるだろう。受け身な私は、そう楽観して涙を抑えました。
しかしそれは大間違いでした。私が就職しても、まわりが結婚しだしても、手紙は届きませんでした。そのうちに私は一人暮らしをはじめ、住所が変わってしまいました。きっと彼も住所が変わっているでしょう。そうならないうちに一度、こちらからもう一度手紙を出せばよかった。後悔だけが残りました。メールアドレスも電話番号も知りません。なんだか人伝てに居場所を聞くのも嫌なので、仕事に追われる中、彼のことを考えないようにしてきました。きっと彼も私のことを忘れているはず、きっとそうに違いない。
気がつけば35歳になっていました。友人ははほとんど結婚してしまいました。もう小学生の子供を持つ人もいます。私だって男性とお付き合いくらいしたことがあります。でも、結婚のけの字が出る前に別れてしまう、正確に言えば相手から私が離れていってしまうのです。どうしても、彼と比べてしまう。どうしても、彼の面影を探してしまう。情けないことに、付き合ったこともない人のことを、今でも想いを続けているようなのです。
そんなある日のこと、同窓会のお知らせが実家に届きました。成人の日から、実に15年振りです。もしかしたら会えるかもしれない、そんな甘いことは考えずにただ友人に会いに行こう、そう思って出席に丸をしました。
会場に足を踏み入れると、なんだか中学生時代に戻ったような気がしました。茶色いスカートをはいて、臙脂色のネクタイをしめ、図書委員だったあの頃に。だってそういう顔ぶれなんです。歳をとっても、顔はそう変わりません。目の前にいる、この男性もーー。
「……観月、くん」
「探していたんです、君のこと。来て正解でした」
「どうして、私、来ないものと思って」
気がつけば泣いていました。いい大人なのにみっともないと思っても、止められないものは止められません。きっとそれは十数年と会えなかったが故の涙なのです。彼は慌ててハンカチを渡してくれました。
「ごめんなさい、泣くつもりはなくて、ただ、会えたのが、嬉しくて」
「もう僕のことは忘れてしまったのではないかと思っていました」
「そんなことない、私ずっと」
そこまで言いかけて、はっと口をつぐみました。涙もすっと引っ込んでしまうほどに慌てました。
「ずっと?」
「その、あの」
「もしかして、手紙のことを」
私はうなだれるように首を縦に振りました。
「あの時は、すみません。留学していて返事も出せず、帰ってきてからも、なんと書いたらよいかと中々……」
「忙しかったんだよね、別に、気にしてないから、ほんと、元気そうでよかった」
「ではなぜ、泣くんですか」
本当は会いたくて堪らなかったのだと、再びこぼれ始めた涙で知りました。彼が私を嫌っている風ではなかったことに酷く安堵を覚えました。
「安心しちゃって、嫌われたわけではなかったのね、私」
「そんなこと! 僕はずっと貴女のことを……」
「え?」
私は彼の顔をまじまじと見つめました。きまりが悪い顔をして、彼は口を開きました。
「……二十歳の同窓会のとき、僕は海外にいました。あとから君から僕の居場所を聞かれたと、赤澤から教えてもらいました」
「うん」
「とても綺麗になったと、聞きました。僕はてっきり、好い人でもいるのかと思って、それなら僕は、邪魔だろうと……。僕は、貴女が好きだったのです」
驚いて口をぽかんと開けてしまいました。観月君が、私のことを、好き?
そんな私を見て、観月君は慌てたように付け加えました。
「今更そんなことを言われても迷惑でしたね、忘れてください」
忘れられるわけがない。だって、私も同じ気持ちなんだから。
「……観月君に会えるかと思って! 私、あの日、観月君に会いたくて、会って手紙の返事をくれなくなった理由を聞こうと思って、会うなら一番自分が綺麗な格好で会いたいと思って、それで、観月君のことを諦めようって思って」
「諦める、とは」
「本人からもう手紙は出さないと言われたら、諦めきれるから。好きって気持ちも、一方的なものだったんだって自覚できるから」
「それはつまり、君も……」
「私も観月君が好きだったの。ううん、好きなの、今でも。だからまだ結婚もしてないの、笑っちゃうでしょ」
言っちゃった。全部言っちゃった。こんな女、私が誰を好きだろうがなんだろうが、願い下げでしょう。今度こそ観月君からお別れの言葉を貰える。私はそう思いました。
「僕も、未婚です。君が忘れられないから。ずっと後悔していました、手紙を出さなかったこと。でももうタイミングを失って、君も僕のことなんか忘れて生きているものだと、僕だけが小さな思い出に縋り付いているものだとばかり考えていました。でもそれは、違ったのですね」
観月君が私の手を取りました。
「もう一度、手紙を送ってもいいですか。手紙だけではなく、会ってもらえますか。文字だけでは伝えきれないことを、直接伝えてもいいですか。僕と、もっとたくさんの思い出を、一緒に作ってはもらえませんか」
それはまるで、プロポーズのようでした。
いつの間にか私達は注目の的になっていました。誰もが息を止めているようでした。私はひとつ、答えるのが精一杯でした。
「よろしくお願いします」
空いている手を彼の手に重ね合わせました。その手で書かれた彼の手紙が、走馬灯のように頭を駆け抜けました。ぽつぽつと聞こえてきた拍手が、やがて私達を包み込んでしまいました。
王子様なんて空想の世界だと思っていたけれど、そんなことはありませんでした。15歳の私へ。35歳の彼は、15歳のときから変わらず魅力的な人です。35歳の私より。
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