彼女の薔薇
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井戸わきに屈みこんだ背へ声をかける。
「ここにいたのかい」
彼女が振り返る。白い指の先で、傷病兵の血膿がついた包帯が、海藻のようにタライの水に泳いでいる。
洗濯板から手を離し、彼女はエプロンで手を拭った。
「レオポルトさん?」
驚いたように言った彼女に、レオポルトもまた驚いた。
「私の名前を知っているのかい?」
「有名なハプスブルク家の貴銃士ですから」
レオポルトは、口ひげをしごきながら苦笑した。
「その有名な貴銃士が、先日はみっともないところを見せてしまったね」
几帳面に櫛の入った髪を掻いてから、彼女をまっすぐに見る。
「先日はありがとう。助かったよ」
彼女が明るい笑みを返した。
「怪我はどうですか」
「もうほとんどいいよ。こんな年になって恥ずかしいことだが……大敗と痛みに気が動転していたようでね。思ったよりはずっと軽症だった。マスターくんに頼むまでもなく、こうして動けるようになったよ」
「よかったです」
「きみの腕がよかったおかげだよ」
腕まくりをし、彼女に手当してもらったところを示す。ガーゼも包帯もとれたそこはまだ生々しい色をしているが、裂け目は完全にふさがっていた。
レオポルトはおもむろにしゃがみこみ、腕まくりをした手をタライへ突っこんだ。包帯を洗濯板へこすりつけはじめる。
「えっ!」
慌てたのは彼女だ。
「そんなことをしたら、傷に障ります!」
「もう平気だと言っただろう? 先日のお礼に手伝わせてもらえないかな」
「でも、レオポルトさんはハプスブルグの皇帝の銃です。洗濯を任せるだなんて、とても……」
「ここの暮らしで、洗濯もアイロンもすっかり慣れてしまったよ。それに今は、みんながレジスタンスの同志だからね」
レオポルトが譲らないのを知ると、彼女は少しあきれたように片頬で笑い、井戸から水を汲んだ。タライに水が注がれる。底に沈んだ汚れが流され、新鮮で透明な色で満ちた。
ふたつの役目を入れ替わりながら、そんな作業を長い間つづけた。
ときおり、レオポルトは彼女を盗み見た。静かな、美しい女性だ。横顔の線がやさしく、常に浮かべられたはにかむような面持ちに、人を安堵させる愛嬌がある。
その彼女に、ふと違和感を覚えた。水をそそぐ彼女の右手に、不似合いに厚い革バンドが巻かれている。
「怪我をしているのかい?」
驚いて尋ねると、彼女はハッと袖に手を隠した。
「無理をさせて悪かったね。あとは私がやるから、休んでおいで」
「いえ、怪我じゃないんです」
袖を押さえたまま、彼女はわずかにうつむいた。
「傷痕があって、隠しているんです」
「それは……無神経に失礼したね」
「いいえ」
首を振って、彼女は言った。
「気にしないでください」
彼女の笑顔とともに、また静かな時間が流れだした。
洗濯がすっかり終わるころ、ずっと尋ねたかったことを、レオポルトは切りだした。
「きみをどう呼んだらいいか、教えてくれるかい?」
「えっ」
「恩人を呼ぶのに『きみ』では、あまりにも味気ないと思ってね」
頬を掻くレオポルトに、彼女はそっと、恥ずかしげに告げた。
「では、衛生兵と呼んでください」
「ありがとう、衛生兵くん」
さっそく呼ぶと、衛生兵は少しだけ頬を赤くして、「はい」と小さく返事をした。
「ここにいたのかい」
彼女が振り返る。白い指の先で、傷病兵の血膿がついた包帯が、海藻のようにタライの水に泳いでいる。
洗濯板から手を離し、彼女はエプロンで手を拭った。
「レオポルトさん?」
驚いたように言った彼女に、レオポルトもまた驚いた。
「私の名前を知っているのかい?」
「有名なハプスブルク家の貴銃士ですから」
レオポルトは、口ひげをしごきながら苦笑した。
「その有名な貴銃士が、先日はみっともないところを見せてしまったね」
几帳面に櫛の入った髪を掻いてから、彼女をまっすぐに見る。
「先日はありがとう。助かったよ」
彼女が明るい笑みを返した。
「怪我はどうですか」
「もうほとんどいいよ。こんな年になって恥ずかしいことだが……大敗と痛みに気が動転していたようでね。思ったよりはずっと軽症だった。マスターくんに頼むまでもなく、こうして動けるようになったよ」
「よかったです」
「きみの腕がよかったおかげだよ」
腕まくりをし、彼女に手当してもらったところを示す。ガーゼも包帯もとれたそこはまだ生々しい色をしているが、裂け目は完全にふさがっていた。
レオポルトはおもむろにしゃがみこみ、腕まくりをした手をタライへ突っこんだ。包帯を洗濯板へこすりつけはじめる。
「えっ!」
慌てたのは彼女だ。
「そんなことをしたら、傷に障ります!」
「もう平気だと言っただろう? 先日のお礼に手伝わせてもらえないかな」
「でも、レオポルトさんはハプスブルグの皇帝の銃です。洗濯を任せるだなんて、とても……」
「ここの暮らしで、洗濯もアイロンもすっかり慣れてしまったよ。それに今は、みんながレジスタンスの同志だからね」
レオポルトが譲らないのを知ると、彼女は少しあきれたように片頬で笑い、井戸から水を汲んだ。タライに水が注がれる。底に沈んだ汚れが流され、新鮮で透明な色で満ちた。
ふたつの役目を入れ替わりながら、そんな作業を長い間つづけた。
ときおり、レオポルトは彼女を盗み見た。静かな、美しい女性だ。横顔の線がやさしく、常に浮かべられたはにかむような面持ちに、人を安堵させる愛嬌がある。
その彼女に、ふと違和感を覚えた。水をそそぐ彼女の右手に、不似合いに厚い革バンドが巻かれている。
「怪我をしているのかい?」
驚いて尋ねると、彼女はハッと袖に手を隠した。
「無理をさせて悪かったね。あとは私がやるから、休んでおいで」
「いえ、怪我じゃないんです」
袖を押さえたまま、彼女はわずかにうつむいた。
「傷痕があって、隠しているんです」
「それは……無神経に失礼したね」
「いいえ」
首を振って、彼女は言った。
「気にしないでください」
彼女の笑顔とともに、また静かな時間が流れだした。
洗濯がすっかり終わるころ、ずっと尋ねたかったことを、レオポルトは切りだした。
「きみをどう呼んだらいいか、教えてくれるかい?」
「えっ」
「恩人を呼ぶのに『きみ』では、あまりにも味気ないと思ってね」
頬を掻くレオポルトに、彼女はそっと、恥ずかしげに告げた。
「では、衛生兵と呼んでください」
「ありがとう、衛生兵くん」
さっそく呼ぶと、衛生兵は少しだけ頬を赤くして、「はい」と小さく返事をした。