18TRIP
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椛ちゃんの髪の毛は柔らかくて、指の間をするりと通り抜けていく。部屋の照明を反射してつやつや輝く、癖のない黒髪。温かい風に乗って、石鹸の香りが漂ってくる。もう十分乾いただろう。ドライヤーのスイッチを切って丁寧に梳かし、仕上げにヘアオイルを馴染ませる。ふわふわの仕上がりに我ながら満足して、彼女の両肩を軽く叩いた。
「はい、終わったよ」
……返事がない。
鏡越しの椛ちゃんは、珍しく難しそうな顔でスマホに集中している。私の声も聞こえていないみたい。それがちょっぴり不服で、画面と彼女の間に割り込むように手をひらひらと振った。
「椛ちゃん?」
「えっ!?あっ、ありがとう!」
椛ちゃんは自分の髪を触って、ふわふわだあ、と小さく溢した。その微笑ましい仕草に、つい頭を撫でてしまう。歳上だけれど、何だか妹みたいだ。ふと、鏡台に置かれたスマホが目に飛び込んできた。dazzleが開かれている。流れているのは、どこかの観光案内動画のようだった。見たことのある、海岸の景色。
「これ、KOBE?」
「うん。同じ港町だし、企画の参考にできないかと思って」
「もう、また仕事のこと考えて……」
「ごめん、ごめん。片付けたらそっち行くね」
ドライヤーの片付けを椛ちゃんに任せて、二人部屋の真ん中に置いてあるローテーブルに移動する。夜はこうして腰を下ろして、二人で秘密の女子会を開くのが日課だった。テーブルの上の花瓶には綺麗な花が挿してある。椛ちゃんが蜂乃屋さんに貰っている、毎日変わる椛ちゃんの花。良い匂いだ。
椛ちゃんはいつも色々な人と一緒にいて、色々な人を助けて、こんな風に沢山のものを貰ってくる。椛ちゃんは可愛くて、陽だまりの匂いがする。話しているだけで幸せな気分になれる、素敵な人だ。私はそれを、相部屋ってだけで朝も夜も独り占めして、彼女に贈られた花の匂いまでお裾分けして貰っている。それって、すごく、良くないことなんじゃないか。
悶々と考えながら花を眺めていると、横からどん!と衝撃を受けた。油断していた私は呆気なくバランスを崩してしまう。
「わっ!」
私たちは二人で床に倒れ込んだ。どうやら、いつの間にか横に座っていた椛ちゃんに飛びつかれたみたいだ。パジャマ越しにラグとクッションの柔らかい触感が伝わってくる。目の前に椛ちゃんの笑顔が広がって、何だかおかしくなって私も笑ってしまった。
「また難しいこと考えてたの?」
「ごめん、何でもない。ただ……不安になっちゃって」
「不安?」
「私は、椛ちゃんみたいに凄い人じゃないから。だから、その……私、迷惑じゃないかなって」
それは口に出すと、途端に些細な悩みに思えた。顔に熱が集まってきて、思わず彼女から目を逸らしてしまう。しばらくの沈黙の後、彼女は寝転んだままゆっくりと私を抱きしめた。温かい。まだ、ヘアオイルの甘い匂いが残っていた。
「大丈夫。海ちゃんは十分凄い人だよ。HAMAツアーズにも必要だし、何より、私の大事な友達だもん」
「そ、そうかな」
「そうだよ。区長探しの時も、沢山助けてくれたでしょ?」
そう言われて、区長を探していた時のことを思い出す。ただの事務員として雇われたはずが、椛ちゃんと一緒にHAMA中を回って、色々なトラブルに巻き込まれたこと。色んな人に会って、今まで知らなかった景色を見たこと。ずっと寂れていたHAMAが、ツアー客でいっぱいになったこと。ずっと隣には椛ちゃんが居て、確かに私たちは助け合っていたような気がする。
「そっか……そうだね、ありがとう」
今更ながら体勢に気恥ずかしさを覚えて、もぞもぞと身を捩る。思ったより力が強い。彼女に抱きしめられたまま半身を起こした。椛ちゃんの片頬がラグに押し付けられて赤くなっている。心配になってそっと触れると、椛ちゃんはくすぐったいよ、と笑ってくれた。
「もう大丈夫?」
「うん、安心しちゃった。……疲れてたのかも」
椛ちゃんに釣られて私も笑う。さっきまであんなことを考えていたのに、私はなんて調子が良いんだろう。ふと気付くと、椛ちゃんが私のことを優しく見つめていた。数秒、お互いを見つめ合う無言の時間が流れる。椛ちゃんがおもむろに口を開いた。
「ねえ海ちゃん。今週末、HAMA観光に行かない?」
「観光?」
「ずっと行きたいなって思ってたんだ。どう?」
あまりに唐突な提案に、ぱちぱちと目を瞬かせる。週末の予定は無いし、彼女と観光ができるなんて願ってもないことだが、本当に私で良いのだろうか。社交辞令だったらどうしよう。返答に迷っている間に、椛ちゃんの眉尻がどんどん下がっていく。
「やっぱり、急すぎるかな」
「ううん、行きたい。私と一緒でいいの?」
「もちろん!」
その悲しそうな顔に焦って否定をすると、椛ちゃんの顔に弾けるような笑顔が浮かんだ。戻ってきたその表情にほっと胸を撫で下ろす。そうと決まれば、と彼女は手帳を取り出して、HAMAの全体図を描き始めた。ボールペンが迷いなく各区の観光地を書き出していく。全て頭の中に入っているんだろう。楽しそうな横顔から、溢れんばかりのHAMA愛が伝わってくる。
「海ちゃんはどこに行きたい?」
「んー、主任さんのおすすめの場所がいいな」
揶揄うようにそう言うと、椛ちゃんはきょとんとして、それから目を輝かせておすすめのスポットを語り始めた。手帳に情報がどんどん書き足されて、そのうちに食べたいもの、見たいもの、やりたいことが決まっていく。白紙だった見開きページはあっという間に簡単な観光パンフレットに変身して、私たちは眠たくなるまでずっとずっと、観光計画を話し合っていた。
「はい、終わったよ」
……返事がない。
鏡越しの椛ちゃんは、珍しく難しそうな顔でスマホに集中している。私の声も聞こえていないみたい。それがちょっぴり不服で、画面と彼女の間に割り込むように手をひらひらと振った。
「椛ちゃん?」
「えっ!?あっ、ありがとう!」
椛ちゃんは自分の髪を触って、ふわふわだあ、と小さく溢した。その微笑ましい仕草に、つい頭を撫でてしまう。歳上だけれど、何だか妹みたいだ。ふと、鏡台に置かれたスマホが目に飛び込んできた。dazzleが開かれている。流れているのは、どこかの観光案内動画のようだった。見たことのある、海岸の景色。
「これ、KOBE?」
「うん。同じ港町だし、企画の参考にできないかと思って」
「もう、また仕事のこと考えて……」
「ごめん、ごめん。片付けたらそっち行くね」
ドライヤーの片付けを椛ちゃんに任せて、二人部屋の真ん中に置いてあるローテーブルに移動する。夜はこうして腰を下ろして、二人で秘密の女子会を開くのが日課だった。テーブルの上の花瓶には綺麗な花が挿してある。椛ちゃんが蜂乃屋さんに貰っている、毎日変わる椛ちゃんの花。良い匂いだ。
椛ちゃんはいつも色々な人と一緒にいて、色々な人を助けて、こんな風に沢山のものを貰ってくる。椛ちゃんは可愛くて、陽だまりの匂いがする。話しているだけで幸せな気分になれる、素敵な人だ。私はそれを、相部屋ってだけで朝も夜も独り占めして、彼女に贈られた花の匂いまでお裾分けして貰っている。それって、すごく、良くないことなんじゃないか。
悶々と考えながら花を眺めていると、横からどん!と衝撃を受けた。油断していた私は呆気なくバランスを崩してしまう。
「わっ!」
私たちは二人で床に倒れ込んだ。どうやら、いつの間にか横に座っていた椛ちゃんに飛びつかれたみたいだ。パジャマ越しにラグとクッションの柔らかい触感が伝わってくる。目の前に椛ちゃんの笑顔が広がって、何だかおかしくなって私も笑ってしまった。
「また難しいこと考えてたの?」
「ごめん、何でもない。ただ……不安になっちゃって」
「不安?」
「私は、椛ちゃんみたいに凄い人じゃないから。だから、その……私、迷惑じゃないかなって」
それは口に出すと、途端に些細な悩みに思えた。顔に熱が集まってきて、思わず彼女から目を逸らしてしまう。しばらくの沈黙の後、彼女は寝転んだままゆっくりと私を抱きしめた。温かい。まだ、ヘアオイルの甘い匂いが残っていた。
「大丈夫。海ちゃんは十分凄い人だよ。HAMAツアーズにも必要だし、何より、私の大事な友達だもん」
「そ、そうかな」
「そうだよ。区長探しの時も、沢山助けてくれたでしょ?」
そう言われて、区長を探していた時のことを思い出す。ただの事務員として雇われたはずが、椛ちゃんと一緒にHAMA中を回って、色々なトラブルに巻き込まれたこと。色んな人に会って、今まで知らなかった景色を見たこと。ずっと寂れていたHAMAが、ツアー客でいっぱいになったこと。ずっと隣には椛ちゃんが居て、確かに私たちは助け合っていたような気がする。
「そっか……そうだね、ありがとう」
今更ながら体勢に気恥ずかしさを覚えて、もぞもぞと身を捩る。思ったより力が強い。彼女に抱きしめられたまま半身を起こした。椛ちゃんの片頬がラグに押し付けられて赤くなっている。心配になってそっと触れると、椛ちゃんはくすぐったいよ、と笑ってくれた。
「もう大丈夫?」
「うん、安心しちゃった。……疲れてたのかも」
椛ちゃんに釣られて私も笑う。さっきまであんなことを考えていたのに、私はなんて調子が良いんだろう。ふと気付くと、椛ちゃんが私のことを優しく見つめていた。数秒、お互いを見つめ合う無言の時間が流れる。椛ちゃんがおもむろに口を開いた。
「ねえ海ちゃん。今週末、HAMA観光に行かない?」
「観光?」
「ずっと行きたいなって思ってたんだ。どう?」
あまりに唐突な提案に、ぱちぱちと目を瞬かせる。週末の予定は無いし、彼女と観光ができるなんて願ってもないことだが、本当に私で良いのだろうか。社交辞令だったらどうしよう。返答に迷っている間に、椛ちゃんの眉尻がどんどん下がっていく。
「やっぱり、急すぎるかな」
「ううん、行きたい。私と一緒でいいの?」
「もちろん!」
その悲しそうな顔に焦って否定をすると、椛ちゃんの顔に弾けるような笑顔が浮かんだ。戻ってきたその表情にほっと胸を撫で下ろす。そうと決まれば、と彼女は手帳を取り出して、HAMAの全体図を描き始めた。ボールペンが迷いなく各区の観光地を書き出していく。全て頭の中に入っているんだろう。楽しそうな横顔から、溢れんばかりのHAMA愛が伝わってくる。
「海ちゃんはどこに行きたい?」
「んー、主任さんのおすすめの場所がいいな」
揶揄うようにそう言うと、椛ちゃんはきょとんとして、それから目を輝かせておすすめのスポットを語り始めた。手帳に情報がどんどん書き足されて、そのうちに食べたいもの、見たいもの、やりたいことが決まっていく。白紙だった見開きページはあっという間に簡単な観光パンフレットに変身して、私たちは眠たくなるまでずっとずっと、観光計画を話し合っていた。
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