壱ノ譚__唐傘
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高下駄を履いた大男は、奇妙な存在感を持って三人を見下ろしていた。
突然の登場に当惑するアサを他所に、カメは彼を熱っぽい目で見上げている。スイはアサの陰から顔だけを出し、様子を伺っていた。
「あっ、あのう、もしよろしければ、お分けしますよ!」
「そりゃあ、有難い」
勢い良く申し出たカメに男が微笑むと、彼女の顔が見る間に紅くなる。彼はカメが差し出したおにぎりを受け取り、まだ隠れているスイに目を遣った。
「おや……」
男はスイを見て目を細めると、ずい、と大きく距離を詰めた。間に挟まれたアサがスイを庇うように後退る。
その長身と、化粧の上からも分かる美しさが言いようの無い圧を生み出している。それはスイには無い風格だったが、特徴的な化粧や服装、背負っている荷物、何より妙な雰囲気はどことなく彼女に似ている。同業だろうか、とアサは思った。
「何故隠れるのです」
「坤の主さんがおいでとは、思いも寄りんせなんだゆえ……」
男と彼女の薬箱から、重なるようにガタリ、と音がする。スイは目の前の男というよりはこの音に怯えているらしく、後ろを振り返っては肩紐をぎゅうと握り締めている。アサはスイの言葉の意味が分からず困惑するばかりだったが、カメは変わらず男に夢中のようで、頬を染めて彼を見上げている。男は何か言おうと口を開いたが、それはアサの質問に掻き消されてしまった。
「あなた、一体……」
「おーい、そこの二人。おアサとおカメか?」
その質問もまた、遮られる。青髭を生やした男が大股で近寄ってきた。鴇色と青竹色の衣を重ね、腰に刀を差している。これまでに通ってきたどの門の番よりも上等な服装だ。
「おお、二人とも前評判通りの別嬪さんだなあ」
「お世話になります」
「よろしくお願いします!」
目の前までやって来た彼に、アサとカメは改まって挨拶する。スイも釣られるように小さく頭を下げた。
「遠い所ご苦労だったな。広敷番の坂下だ。……そこの娘は、どうしたんだ?」
坂下はアサの背後にいたスイに目を留め、その妙な風貌に面食らったような表情を見せた。先程まで居た、同じような風貌の黒衣の薬売りは、既に何処かへ去っている。
「おトキと云う奥女中に呼ばれて参りんした。文には、七つ口の番に云えば良いと」
スイは懐を探り、一通の文を取り出した。中には女性らしく柔らかい字が整然と並んでいる。坂下はそれに目を通す。確かに或る奥女中の字で、大奥の番に文を見せ、送り主を呼び出すように伝えてくれ、という旨が書いてあるようだった。
「わしは確かに七つ口を警護しているが、おトキは……いや、今は此方が先だろう」
彼は暫く考え込むような姿勢を見せ、それから文を畳んでスイに返した。
「これは……ああ、名は何と言うのだ」
「スイでありんす」
「おスイ。おトキの件は後で対応する故、少し待っていてくれ。ささ、おアサとおカメ。荷物を預かろう」
スイは大事そうに文をしまうと、坂下と話す二人を少し離れて眺め始めた。人混みの上から見える豪華絢爛な建物は彼女の幼心を大いに刺激したが、待っていろと言われては遠くまで離れる訳にもいかない。ぼうっとカメの大きな荷物を見ていると、薬箱がまたガタガタと揺れ出した。
「萃の剣」
声を掛けられ、スイは勢い良く振り返る。先程の薬売りがそこに立っていた。
「な、何か御用が……?」
「ええ。言伝を」
彼は殆ど見下ろすようにしてスイを見据えた。彼の琥珀がスイを映すのは、彼女が剣に選ばれた、その挨拶以来のことだった。未熟さと不安が化粧で誤魔化された、未だ成長を秘めた若い薬売りの姿。
「この大奥で、此れから二つのモノノ怪が形を得る」
娘はハッと目を見開く。思わず胸元に手をやり、文に触れた。
「あっしはその一方を斬り祓う為に参じました。そして、もう一方は……」
一度薬売りは言葉を区切ったが、続く言葉は察せられた。八卦が充てられる程のモノノ怪が出る場所。渦巻く情念も並大抵ではないだろう。その中で生まれた____
「萃の剣、貴方が斬るようにと、老陰様は仰せであられる」
「わっちが……」
モノノ怪を、斬る。見開かれた彼女の藍鼠の中に、狼狽と困惑が見て取れた。
スイが今まで祓ってきたのは、大抵人一人を殺せるかどうかというような弱いものばかり。それも、一人で斬ったのは両手の指で事足りるような数だった。経験も実力も、この大奥のモノノ怪を相手取るには明らかに足りていない。小さな指が、勿忘色の着物をぎりぎりと握り込んだ。
「……承知致しんした」
然し、老陰の命とは、即ち太極の命である。少女はそれ以上何も言わずに目を伏せ、頭を下げた。薬箱の中、退魔の剣がまた一度揺れたようだった。
突然の登場に当惑するアサを他所に、カメは彼を熱っぽい目で見上げている。スイはアサの陰から顔だけを出し、様子を伺っていた。
「あっ、あのう、もしよろしければ、お分けしますよ!」
「そりゃあ、有難い」
勢い良く申し出たカメに男が微笑むと、彼女の顔が見る間に紅くなる。彼はカメが差し出したおにぎりを受け取り、まだ隠れているスイに目を遣った。
「おや……」
男はスイを見て目を細めると、ずい、と大きく距離を詰めた。間に挟まれたアサがスイを庇うように後退る。
その長身と、化粧の上からも分かる美しさが言いようの無い圧を生み出している。それはスイには無い風格だったが、特徴的な化粧や服装、背負っている荷物、何より妙な雰囲気はどことなく彼女に似ている。同業だろうか、とアサは思った。
「何故隠れるのです」
「坤の主さんがおいでとは、思いも寄りんせなんだゆえ……」
男と彼女の薬箱から、重なるようにガタリ、と音がする。スイは目の前の男というよりはこの音に怯えているらしく、後ろを振り返っては肩紐をぎゅうと握り締めている。アサはスイの言葉の意味が分からず困惑するばかりだったが、カメは変わらず男に夢中のようで、頬を染めて彼を見上げている。男は何か言おうと口を開いたが、それはアサの質問に掻き消されてしまった。
「あなた、一体……」
「おーい、そこの二人。おアサとおカメか?」
その質問もまた、遮られる。青髭を生やした男が大股で近寄ってきた。鴇色と青竹色の衣を重ね、腰に刀を差している。これまでに通ってきたどの門の番よりも上等な服装だ。
「おお、二人とも前評判通りの別嬪さんだなあ」
「お世話になります」
「よろしくお願いします!」
目の前までやって来た彼に、アサとカメは改まって挨拶する。スイも釣られるように小さく頭を下げた。
「遠い所ご苦労だったな。広敷番の坂下だ。……そこの娘は、どうしたんだ?」
坂下はアサの背後にいたスイに目を留め、その妙な風貌に面食らったような表情を見せた。先程まで居た、同じような風貌の黒衣の薬売りは、既に何処かへ去っている。
「おトキと云う奥女中に呼ばれて参りんした。文には、七つ口の番に云えば良いと」
スイは懐を探り、一通の文を取り出した。中には女性らしく柔らかい字が整然と並んでいる。坂下はそれに目を通す。確かに或る奥女中の字で、大奥の番に文を見せ、送り主を呼び出すように伝えてくれ、という旨が書いてあるようだった。
「わしは確かに七つ口を警護しているが、おトキは……いや、今は此方が先だろう」
彼は暫く考え込むような姿勢を見せ、それから文を畳んでスイに返した。
「これは……ああ、名は何と言うのだ」
「スイでありんす」
「おスイ。おトキの件は後で対応する故、少し待っていてくれ。ささ、おアサとおカメ。荷物を預かろう」
スイは大事そうに文をしまうと、坂下と話す二人を少し離れて眺め始めた。人混みの上から見える豪華絢爛な建物は彼女の幼心を大いに刺激したが、待っていろと言われては遠くまで離れる訳にもいかない。ぼうっとカメの大きな荷物を見ていると、薬箱がまたガタガタと揺れ出した。
「萃の剣」
声を掛けられ、スイは勢い良く振り返る。先程の薬売りがそこに立っていた。
「な、何か御用が……?」
「ええ。言伝を」
彼は殆ど見下ろすようにしてスイを見据えた。彼の琥珀がスイを映すのは、彼女が剣に選ばれた、その挨拶以来のことだった。未熟さと不安が化粧で誤魔化された、未だ成長を秘めた若い薬売りの姿。
「この大奥で、此れから二つのモノノ怪が形を得る」
娘はハッと目を見開く。思わず胸元に手をやり、文に触れた。
「あっしはその一方を斬り祓う為に参じました。そして、もう一方は……」
一度薬売りは言葉を区切ったが、続く言葉は察せられた。八卦が充てられる程のモノノ怪が出る場所。渦巻く情念も並大抵ではないだろう。その中で生まれた____
「萃の剣、貴方が斬るようにと、老陰様は仰せであられる」
「わっちが……」
モノノ怪を、斬る。見開かれた彼女の藍鼠の中に、狼狽と困惑が見て取れた。
スイが今まで祓ってきたのは、大抵人一人を殺せるかどうかというような弱いものばかり。それも、一人で斬ったのは両手の指で事足りるような数だった。経験も実力も、この大奥のモノノ怪を相手取るには明らかに足りていない。小さな指が、勿忘色の着物をぎりぎりと握り込んだ。
「……承知致しんした」
然し、老陰の命とは、即ち太極の命である。少女はそれ以上何も言わずに目を伏せ、頭を下げた。薬箱の中、退魔の剣がまた一度揺れたようだった。
