夢路をたどらぬように

 山姥切長義はひとり、夜の本丸の廊下を歩いていた。冬の廊下は寒く、吐く息が白になる。もう時間は深夜。まだまだ新任の審神者の事務作業を手伝っていたら、かなり夜が更けてしまった。寝る前に一杯白湯を飲もうと、厨に向かって歩いていた。
 全ての刀は寝静まり、静寂だけが辺りを包んでいる、はずだった。厨の方に明かりが見える。
「……?」
 誰か起きているのか、夜食を食べに来たのか。そう思って見てみると、そこには薄汚れた白い布を被った男。誰かと見間違うはずもない、長義の写しだった。
「……こんな夜更けに何をしているのかな、偽物くん」
「っ!」
 振り返った国広は湯呑を持っていた。彼は長義を見て気まずそうに目をそらす。
「遅くまで起きているのは感心しないね、寝不足で戦場に立たれても迷惑だ」
「……お前だって同じだろう」
「俺は主の事務作業を手伝っていたんだ。お前みたいに意味もなく起きていたわけじゃない」
 皮肉を込めてそう言うと、国広はむっと顔をしかめた。
「俺は眠れなかっただけだ。責められる謂れはない」
「……眠れない?」
 よく見ると、国広の目の下に薄いクマのようなものがある。
「付喪神が不眠だなんて笑えるな。顔を見るに今日だけじゃなさそうだが」
「……お前に、関係ない」
「関係はある。お前と俺は同じ部隊だ。俺は部隊長である以上、隊員の状況を最善のものにする必要がある」
 長義は第一部隊の部隊長であり、この本丸の近侍だ。まだ運営に慣れていない主に代わって、戦場を同じくするものたちの体調に気を配らなければならない。
「お前が眠れないって言うなら、部隊から外すことも検討する」
「っ、それは駄目だ、俺は戦える!」
「ならその不眠症もどきをどうにかしなよ。万全の状態じゃないのに戦場に出られても迷惑だ」
 彼を冷静な目で見ながら淡々と言葉を紡ぐ。国広は正論に何も言い返せず、ぐっと言葉を飲み込んだ。
「……寝ると、記憶が流れ込んでくる、せいで」
「記憶?」
「付喪神に成った時に与えられた記憶だ。……俺を形作る逸話、俺の存在を論じる声、そういうものが頭に浮かんでくる」
「……へえ」
 長義はその現象に覚えがあった。審神者が政府から渡された資料の中に、刀剣男士が夢のようなものを見ることがあると記述があったのだ。曰く、まだ審神者として器が熟していない者の元で顕現した刀剣男士は、意識の狭間で付喪神としての概念が揺らぐことがあるという。その揺らいだ自己を確立させるために、無意識的に己の逸話を反芻し、それが夢という形で現れるらしい。
 国広にとっては嫌なものだろう。なんせ、写しと褒め称えられる夢だ。長義からしたらそれを嫌なものとして扱っているのが酷く癇に障るのだけれど。
「頭の中が混乱して、一度起きてしまうと寝付けなくなる。その繰り返しだ。主にそれを相談したら、寝付けない時は温めた牛乳を飲んでみたらどうかと言われて……」
 それで、湯呑で牛乳を飲んでいたというわけらしい。図体は大人の癖に、子どものような男だ。手がかかることこの上ない。
「……そうか、お前が眠れないのは俺にとっても不利益だ」
「これは俺の問題だ。俺がどうにかする」
「そうはいかない。部隊長としての役目があると言っただろう」
 そう言って長義は国広から湯呑を取り上げ、流し台に置く。そして国広の手を引いて、厨を後にした。
「本科、何を」
「お前を寝かしつける」
 向かった先は長義の部屋だった。事務作業をする前に布団を敷いておいた。とん、と国広を押して布団に向かわせる。
「ほら、寝なよ」
「は?」
 布団の上に着地した国広は、ぽかんと口を開けた。
「俺も疲れているんだ、早く横になってくれ」
 有無を言わさず国広を布団に寝かせる。状況を飲み込めていない国広は、わけもわからず布団の中に押し込まれた。
 同じ布団に入って掛け布団を肩まで掛けてやって、肘をついて国広を見る。
「お前が寝るまで見守ってやる。早く目を閉じなよ」
「……? ……??」
「それとも子守唄がないと眠れないとでも言うのかな。贅沢だね」
 国広の頭から疑問符が沸く。自分の状況が理解できていないようだった。
「ほ、本科」
「いいから黙って目を閉じて、俺の体温に意識を集中させて。他のことは考えなくていい」
 いつまで経っても寝ようとしない国広にしびれを切らして、ぐいと彼の身体を引き寄せる。赤子をあやすようにとん、とんと背中を叩いて、彼を眠りに誘った。
「俺が隣にいるんだ、それで充分だろう」
 山姥切長義なくして山姥切国広はなかった。ならば、この長義という存在そのものが国広の存在証明にもなりうる。それを目の前にして存在が揺らぐなど、決して許さない。
「……────」
 その言葉を、どう受け取ったのだろう。国広はゆっくりと目を閉じて、長義に身を寄せた。触れたところから温もりが伝わってきて、互いの存在がはっきりと感じられる。
「…………すう」
 数分したら、穏やかな寝息が聞こえてきた。子どものような寝顔を見るに夢にはうなされていないらしい。
「……睡眠ひとつ自分じゃできないなんて、未熟だね」
 口ではそう言いながら、彼が自分に身体を預けてきた事実が長義の胸にほの温かいものをもたらす。
「……お休み、写し」
 いつものように偽物、ではなく、写し、と。彼をそう呼んで、長義は国広の額に口づけを落とした。どうしてそんなことをしたのかはわからない。ただ、彼の眠りを穏やかにしたくて、自然とそうしていた。


「ん……」
 意識が眠りから覚醒へと変わる。悪夢にうなされなかったのは久しぶりだと思っているとぼやけた視界が明瞭になっていた。
 すると、そこには美しい銀の髪の男が眠っていた。
「……!? ほ、んか……!?」
 なぜ、どうして。慌てて眠る前の記憶を手繰ると、寝付けないと彼に言ったら寝かし付けられたのを思い出した。彼の体温は言動に反して温かくて、安心できて。気がつけば国広は穏やかな眠りにつくことができたのだ。
 長義はすうすうと寝息を立てていて、起きる気配がない。普段は決して触れることのできない美しい顔立ちに、そろそろと触れてみる。
 一切の傷がない、きめ細やかな肌、光に透けるほど美しい銀の髪。この世の美しさを全て内包したような、そんな顔だった。
「……お前は、他の刀が眠れないと言っても、同じことをするのか?」
 ぽつりと、子どもが駄々をこねるような声が漏れる。美しい男は何も答えない。
 嗚呼、願わくば、この本丸の誰もが悪夢にうなされることがないように。どうしてかわからないが、長義が他の刀や主を寝かしつけて欲しくないと、思ってしまった。
「長義さーん! 朝ごはんだよーっ! 寝坊なんて珍しいねー?」
 スパァンと障子が開かれる。そこには乱藤四郎がにこにこと笑んでいて、ひとつの布団に入っているふたりを見ると、きょとんとした顔をした。
「な、」
「……わあ、へえー。そっか、そうなんだぁ。邪魔してごめんねっ」
 ふたりが寝具を共にしていて、しかも国広は長義の頬に手を触れていた。端から見れば恋仲の睦み合いに見えるだろう。
 乱は全てを察したように笑みを作り直して、みんなにはごまかしておくからーと障子を閉めてしまった。
「ま、待て乱! これは訳がっ……!」
「ん……」
「本科起きろ、本科!」
 国広は必死に長義の身体をゆさゆさと揺らす。けれど彼は気持ち良さそうに眠っていて起きる気配がない。
「本科っ! 起きてくれっ!」
 国広は顔を真っ赤にしながら、部屋の外にも聞こえるくらいの大声で彼の名前を叫んでしまった。

 数刻後、誤解を解かれた乱は「時間の問題だと思うけどなあ」と呟くことになるのだが、それはふたりには届かなかった。
 
 

 
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