レテの口づけ

レテの口づけ

 粗野な男に、ガン! と音が鳴るくらい強い勢いで地面に叩きつけられる。
「ぐっ……!」
 男たちに髪を掴まれながら地に身体を押しつけられて、腕が痛い。
「へえ、男がふたりか」
 目の前の男は、酒を煽りながらマスターとバーソロミューをにやにやと見ている。
 バーソロミューは頭の中で、どうすればこの窮地を脱出できるかを考えていた。
 微小特異点が発生し、バーソロミューはマスターに同行してほしいと頼まれ、十世紀のドイツにレイシフトした。そこでとある山賊が人々を襲っては『記憶』を奪っているという噂を聞いて、根城にしている洞窟へと辿り着いた。
 今回レイシフトしているのはバーソロミューとマスターだけ。相手の戦力を確かめてから体勢を立て直し、もう一度レイシフトするなりすればよかったのだ。だが、山賊が男女を洞窟に連れ去っていたのを見て、マスターが助けたいと言い出しだ。
 山賊の人数は予想以上で、なんとか男女を逃がしたのはよかったが、バーソロミューとマスターは捕まってしまった。
 ただの山賊にしては強すぎる。恐らく聖杯のバックアップがあるのだろう。
 マスターもバーソロミューと同じく、地面に伏せさせられていた。
「男と女は逃がしたか、まあいいだろう」
「……お前が、『記憶』を奪うっていう山賊か?」
 マスターが冷静な言葉を紡ぐ。
「ご名答。ただちょっと違うな」
 山賊の首魁らしき男がマスターの顎に手を添えて上を向かせる。
「俺は色んな奴の『恋の記憶』を奪ってるんだ。この願いが叶う不思議な酒杯でな?」
 そう言って男は後ろ手に持っていた杯を見せた。一目で分かる。聖杯だ。
「恋の、記憶……?」
「そう。夫婦やら恋人を連れ去って、片方の恋に関する記憶だけを消すんだ。目の前で恋人に忘れられた奴の顔は、他の何にも代えがたい最高の酒の肴なんだよ!」
「ッ、悪趣味だな……」
「取り出した記憶はこうやって飾って中身を見ることができるしな。みいんな幸せそうな顔してるのに奪われちまって、可哀相に」
 見ると、洞窟の無数のくぼみにガラス玉が飾られていた。あれが人々から奪った記憶なのだろう。
「さて、俺は心優しい山賊だからな。お前らのどっちかが記憶を差し出すってんなら──命は助けてやるぜ?」
「っ、なら俺が」
「私の記憶を奪うといい」
 マスターの言葉を遮って首魁の男を見る。
「マスターには意中の相手がいない。だが私には優しい優しい恋人がいてね。身分差がある恋は嫌いかな?」
 今はマスターを守りながらこの窮地を抜け出すのが最優先だ。記憶は奪われても取り戻せばいい。
 なにより──マスターとは互いに相手を秘密にして恋の話をする仲なのだ。
 彼の初心で甘やかな恋心を奪われるのは、どうしても嫌だった。
「いいね、そういうのはたまらなく好きだぜ」
「っ、駄目だ、バーソロミュー、だって」
「いいんだマスター。後でどうとでもなる」
 そして、魔力を使ってマスターに念話で頼みを伝える。
 彼はハッと驚いた顔をして、そして無理やり自身を納得させたように、こくりと頷いた。
 首魁はバーソロミューに近づく。男たちがバーソロミューの上体を起き上がらせる。そして卑しい男は顔を近づけて、魔力がこもった手を身体の中に差し入れた。
 ぐしゃり、と心臓を潰されたような痛み。
「が、っ……!」
「バーソロミュー!」
 マスターの声が聞こえた。けれど返事をすることはできなかった。
「っあ、っ……!」
 失われていく。パーシヴァルとの記憶が。ドバイで共に過ごしたこと、その中で恋心が芽生えたこと、彼から真っ赤な顔で告白されて、恋人になったこと。初めて共に過ごした夜。
 胸を占めていた幸せな記憶が、奪われる。そして、何を奪われたのかも痛みの中で忘れていく。
 ぽっかりと心臓に穴が空いたような感覚を覚える。けれど、それが何なのか思い出せない。
 ズキン! と一際強い痛みを感じて、バーソロミューは意識を失った。

 レイシフトから戻ったらお茶をしよう。そう愛しい恋人に誘われて、パーシヴァルは部屋で心穏やかに待っていた。以前自分がセッティングをしたら「君の用意する食事量は私には多すぎる。よければ私に用意させてほしい」と真剣な顔で言われたので、茶菓子や茶を用意することができない。
 だが、いくら待っても彼は戻ってこなかった。レイシフト先で何かあったのだろうか。そう思って管制室に行くと、入り口で異変に気付いた。スタッフたちがざわついている。
「……?」
 嫌な予感がして、足を一歩踏み入れる。そこにいたのは、バーソロミューを肩に担いでいるマスター。その顔は土で汚れている。担がれているバーソロミューは、意識を失っているようだった。
「っ、バっ……バーソロミュー!」
 バート、と呼びそうになって、一瞬言葉に詰まる。駆け寄ると、マスターが泣きそうな目でこちらを見上げた。
「パー、シヴァル」
「マスター、一体何が、怪我は!?」
「俺は大丈夫……でも、バーソロミューが」
「どいて! 重症患者を運びます!」
 ナイチンゲールが担架を持ってきて、ネモ・ナースと共に彼を医務室に運んでいく。その瞳は深く閉じられていて、開く気配がない。
 マスターはよろよろと立ち上がって、パーシヴァルの胸に手を当てた。
「ごめ、ん、バーソロミューが……」
「マスター、彼もサーヴァントだ。戦闘で傷つくことは覚悟の上で、マスターが気に病むことでは……」
「違うんだ、バーソロミューの……」
 バーソロミューの、記憶が奪われた。
 マスターは悔しそうにそう呟いた。
「記憶……?」
「恋の、記憶だけ……レイシフト先の山賊に奪われて。パーシヴァルのこと、忘れちゃった……」
 一瞬、世界から音が消えた。
 バーソロミューが、バートが、己のことを忘れた? 脳が言葉を理解することを拒否する。心臓がぎゅうと痛い。
 記憶がないということは、パーシヴァルの想いも、愛し合ったことも、全て彼の中から消失してしまったということで。
「バーソロミューに、好きな人がいるって、知ってたけど……記憶奪られる直前に、俺に相手がパーシヴァルだって教えてくれて……」
 ごめん、俺のこと庇ったから、こんなことに。
 マスターは涙を堪えるような顔で唇を噛み締める。
「……マスター、どうか気を落とさないで。彼はマスターが記憶を奪われるのを防げたことを誇りに思っているでしょう」
 動揺を押し殺して、マスターの肩に手を置く。彼に気を使わせてはいけない。とにかく今は、マスターを休ませなければ。
「外傷がないのであれば、バイタルチェックを。医務室に行きましょう」
 ふらふらとしているマスターを支えて、管制室を後にする。
 ずっと背筋に残っている、彼に忘れられてしまったという恐怖を飲み込んで。

 目を覚ましたバーソロミューは、一通りの検査を終え、特に異常がないと判断された。だが──
「初めまして、メカクレが似合いそうな……騎士とお見受けするよ」
 彼はパーシヴァルを見ると、そう言ってにっこり笑った。
 バーソロミューはパーシヴァルのことを──2030年のドバイで共に過ごしたことを、恋人になったことをすべて忘れていた。彼の中でパーシヴァルはドバイ行きに選ばれたメンバーの中に含まれていないことになっていた。
 たった、それだけで。彼の中からパーシヴァルの痕跡は消えてしまった。当たり前だ。生きた時代が違うのだから、カルデアで共に過ごした日々がなければ、互いを知ることはなかった。
「……私のことを、忘れてしまったというのは、本当なんだね」
 なるべく平坦に、事実を確認するように言葉を紡ぐ。
「おや、どこかで会ったことがあったかな。すまない」
「……いや」
 パーシヴァルは冷静を装って、ベッドで上半身を起こしているバーソロミューに手を差し伸べる。
「私は円卓の騎士、パーシヴァル。──初めまして、バーソロミュー・ロバーツ」
「! パーシヴァル! かの有名な円卓の騎士か。よろしく。ところで少しだけその綺麗な銀の前髪を伸ばす気は──」
「バーソロミュー!」
 マスターが耐え切れない、という風に叫ぶ。
「本当に……本当に覚えてないの? 全部忘れちゃったの?」
「? 忘れる? 何をだい?」
「っ……!」
「マスター、落ち着いて。大丈夫だから」
「でもっ……!」
「マスターの部屋で話そう。バーソロミュー、貴公はマスターを庇って一時的に記憶が混濁しているんだ。ゆっくり休んで」
 マスターを部屋の外に導いて、マイルームへと連れていく。
 彼は部屋に着くと、力なくベッドに座った。
「……バーソロミューとは、恋バナする仲だったんだ」
「恋バナ」
 聖杯の知識では、恋に関する話のこと全般を指すらしい。パーシヴァルは初めて、マスターに意中の相手がいることを知った。
「お互い、相手の名前は伏せて……どういうところが好き、とか、今日はこんな話ができた、とか、そういうことを、喋って」
 マスターの顔がくしゃりと歪む。見ると、拳を強く握って震えていた。
「すごく、幸せそうだったんだ……優しくて愛情深くて、私にはもったいないって、バーソロミューはいつも言ってた」
「……彼が、そんなことを」
「バーソロミュー、俺の記憶を奪われるくらいならって、庇ったんだ。後でどうとでもなるから、って。あんな、人の記憶を奪って、楽しむような人たちが、今もバーソロミューの記憶を覗いてるなんて……」
 マスターがばっと顔を見上げる。その瞳には、確かな決意が存在していた。
「記憶を奪われる前に、バーソロミューがパーシヴァルに伝えてほしいって言ってたんだ」
「私、に?」
「うん。『高潔で愚かな銀色の、愛しい騎士に伝えてくれ。──私の記憶を奪い返してくれ』って」
「!」
「多分、自分じゃ取り返しに行けないって、理解してたんだと想う……奪われたって記憶ごとなくなるかもしれないから」
 ああ、バーソロミューは信じていたのだ。例え記憶を失っても、必ずパーシヴァルがそれを取り戻すと。
 奪い奪われることを良しとした男が、『奪い返してほしい』と願った。略奪を好まない、ただの騎士であるパーシヴァルに。
 ならば、それに応えねば、騎士として、いや、ひとりの男として失格だ。
「……マスター、御身が回復したら、彼の記憶を取り戻しに行ってもいいだろうか」
 彼の足元に跪いて、許しを請う。先程レイシフトから帰ってきたばかりのマスターに無理を言っている自覚はある。けれども、少しでも早くバーソロミューの宝を返してやりたい。
 何より──愛しい恋人に忘れられているというのは、とても辛く、苦しい。
「むしろこっちがお願い。パーシヴァル、バーソロミューの記憶を、恋を、取り戻して」
「……承知」
「ダ・ヴィンチちゃんにもっとサーヴァント連れていけないか聞いてみる」
「いや、それは──なるべく少人数でお願いしたい」
 パーシヴァルの提案に、マスターはでも人数差が、と反対意見を述べる。
「バーソロミューはあまり関係を大っぴらにはしたがらなかった。人数を増やせば、その分私たちの事情を説明しなくてはならないだろう。それはなるべく避けたい」
「……わかった。じゃあ、ひとり、恋に詳しい人をひとりだけ連れて行っていい? 直接戦闘はしないけど、彼のサポートは頼りになるから」
「ああ、それなら大丈夫だ。……マスター」
 しっかりと、両の目で己が主人を見据える。
「必ず取り戻すよ。私の愛しい人の──あの何物にも代えがたい、美しくてやわらかな笑顔を」

「円卓の騎士と最後の海賊の恋物語──なるほど、なかなか悪くない」
 山賊の根城である洞窟を眺めながら、アンデルセンはニヤニヤとそう語った。
「ひと夏から始まる恋、というのはベタだかな! ベタすぎて砂糖を吐きそうだ。それでマスター、どうする?」
「目的はふたつ。聖杯の回収と、バーソロミューの記憶を取り戻すこと。相手は魔力の半分を戦闘力の強化に、もう半分を記憶を取り出すことに使ってるから、聖杯さえ回収すればどうにかなると思う」
「なるほど、その聖杯の場所は?」
「ボスっぽいやつが手に持ってた。だから、そいつを倒さないといけない」
「人数は?」
「三十人くらいかな。全員聖杯の力で強くなってる。力技で押してくる感じだった。飛び抜けて技術が高いやつはいない」
「まあ山賊などそんなものだろうな! 具体的なプランは?」
「アンデルセンはパーシヴァルの強化に集中して。令呪は瞬間強化と宝具と……残りひとつは簡易召喚に使いたい」
「了解した」
「洞窟に入ったらすぐに簡易召喚して百貌さんの妄想幻像で敵の数を減らす。パーシヴァルがボスと一対一で戦える状態を作るから、そしたら後は頼んだ」
「承知しました。何があろうとも、この槍を振るってみせましょう」
「よし……じゃあ、行くよ!」
 足音を立てずに洞窟の入口に近づいて、マスターが静かに令呪を掲げる。
「来てくれ──百貌のハサン!」
 人影が洞窟に現れる。ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、いつつ。
 それはやがて入り口を覆うほどの大人数となり、洞窟の中にいた山賊たちは武器を構えた。
「な、何だァてめえら……!」
 影は男の問いかけに応えることなく。武器を手にして、その首をさらっていく。
「がっ……!?」
「くそ、敵襲だ! ぶっ殺せ!」
 マスターが一度目で負けたのは戦力を把握しきれずに追い込まれてしまったからだ。敵を把握さえできれば、歴戦のマスターはそれに最適なサーヴァントを呼び出し、状況を有利に導くことができる。
「ぎゃあああああっ!」
「ぐああっ!」
「た、助け──ひぎゃあぁっ!」
 人影に斬られ、殴られ、蹂躙されていく山賊たち。
 パーシヴァルはその間を縫って、最奥に鎮座している男の前に立った。
「貴公が首魁か。仲間の記憶を返してもらいたい」
「あァ? ……へえ、なんだ、恋人の記憶を取り戻しに来たのか、『パーシー』?」
「!」
 それは、バーソロミューだけが知っている愛称だ。どうして、この男が。
「お前の恋人の記憶、見せてもらったぜ? 随分お熱いじゃねえか。なあ聞かせてくれよ。『バート』に忘れられてどんな気分だった? 絶望したか? 泣きたくなったか?」
 すぅ、と頭が冷えていく。人間は怒りが限界点を超えると逆に冷静になるのだと、パーシヴァルは初めて知った。
「俺は恋人に忘れられた奴の顔を見るのが大好きなんだよ。ほら、『バート』の記憶は俺のものになっちまったぜ? 悔しいだろう!?」
 男は右手に持っていたガラス玉をべろりと卑しい舌で舐める。
「──私を、その名で呼んでいいのは、彼だけだ。そして彼をその名で呼ぶのは、私だけでありたいと思っている」
 冷え切った声で、槍を構える。
「海賊の宝──貴公には分不相応だ」
 地面を蹴る。男の心臓を狙って槍を穿つと、男は人間とは思えない跳躍力で後退した。
「はっ、なかなか強そうな相手じゃねえか!」
 男がファルシオンを抜いて構える。愛する人を嘲笑ったこの男だけは、許すことができなかった。
「奪われた恋の為に戦う騎士──なるほど、悪くない。次の新刊のネタにさせてもらおう!」
 いつの間にかパーシヴァルの後ろに立っていたアンデルセンが本をめくる。
 パーシヴァルは再び地面を蹴って、走り出した。

「ゲルダの涙よ、心を溶かせ──見えたぞ、右の脇腹だ、突き刺してやれ!」
 アンデルセンが『人間観察』を使い、男の急所を見つけ出す。
「感謝します! はぁっ!」
 男の一撃を槍で防いで、押し返す。
 体勢を崩した男に向かってロンギヌスを突き刺す。その鋭い一撃が、男の脇腹を抉った。
「ぐっ……!?」
 男がよろめく。肉が削れ、血が溢れる。彼はパーシヴァルに傷一つつけられず、対して男は身体のあちこちに傷を作っていた。
 一対一の戦いなら、歴戦の騎士と、聖杯のバックアップを受けているだけの賊くずれでは勝負はわかりきっていた。
 普段のパーシヴァルなら降伏するように言っていただろう。けれど、この男はバーソロミューの恋心を鑑賞品にして、嘲笑った。温厚と呼ばれるパーシヴァルでも、この男を免ずることはできない。
 槍を構え直し、男を見据える。パーシヴァルが一歩踏み出した、その瞬間。
「──ハ、」
 男は、ニヤリ笑って。
 手に持っていたガラス玉を、ぽろりと落とした。
「ッ──!?」
 予想外の行動に、一瞬息が止まる。
 あれが砕けたら、奪われた記憶はどうなってしまうのか。男の笑みを見れば、ただでは済まないことがわかる。
 必死に手を伸ばす。けれど、パーシヴァルの手は届かない。
「っ……!」
 零れてしまう。バーソロミューの記憶が、恋が。
「っ、ぐ……!」
 それでも諦め切れずに、ガラス玉を掴もうとした。時間がスローになったような感覚がする。ゆっくり、ゆっくりと、ガラス玉が堕ちていく。
 ガラス玉が地面に触れるまで、十センチ。
「瞬間強化!」
 マスターの叫び声が、洞窟に響いた。パーシヴァルの足に魔力が宿り、身体能力が一気に上昇する。
「うおおおおおおおおおおおおおっ!」
 獣のような雄叫びを上げ、左手を伸ばす。
 地面まであと三センチ、というところで、パーシヴァルの手がガラス玉を捉えた。
「っ……!」
 ズザザ、とパーシヴァルの身体が勢いよく地面を滑る。だが、その手に持ったバーソロミューの記憶は、決して傷をつけないように、優しく握り締めていた。
「よか、った」
 触れていると、バーソロミューの記憶が頭の中に流れ込んでくる。
 ドバイで過ごした日々、カルデアで愛を確かめあったこと。ああ、よかった。彼の恋は、確かにここにあったのだ。
 安堵の息を漏らしたのも束の間、殺気を感じて振り返ると、男が地面に倒れ伏したパーシヴァルの首に、ファルシオンを突き立てようとしていた。
「死ねえっ!」
 この体勢では、槍を突き立てることができない。転がって回避をするには、壁際すぎた。
「恋の話をしよう。清廉なる騎士、略奪をよしとした海賊。本来出会うことのないふたりは、星見の艇で巡り合う──『貴方のための物語(メルヒェン・マイネスレーベンス)』!」
 アンデルセンの詠唱と共に、パーシヴァルの身体が魔力でできた膜で覆われる。それはパーシヴァルの首の皮膚を固くし、刃が肉を切り裂くのを押しとどめた。
 それが男の攻撃を防いだのはほんの一瞬。けれど、その一瞬さえあれば、騎士は体勢を立て直せる。
 突き立てられた刃を手で掴み、刀身を握り潰す。
「ひ……!?」
 バラバラになった武器を見て、男は化け物を見るような目で後ずさった。
 もう、男は戦えない。
「パーシヴァル、ガラス玉を預かるぞ。持っていたままでは止めを刺せないだろう」
「……ああ、頼みます」
 立ち上がって、近づいてきたアンデルセンにガラス玉を預ける。
「海賊の宝に触れたのなら──」
 そして、ゆっくりと槍を構えた。
「ひ、待ってくれ、謝る、謝るから」
「覚悟は、おありですね?」
「い、嫌だ、許して、頼む、何でもするから──!」
 男の絶叫が、洞窟に響いた。

 バーソロミューは、ひとり医務室のベッドで本を読んでいた。
 ネモ・ナースに頼んで、図書館から適当な小説を借りてきてもらったのだ。
 本の内容自体は面白いが、それをずっと続けていると飽きが生まれてくる。
「……はあ」
 ふと、初対面の銀髪の騎士が言っていた不思議な言葉を思い出す。
『……私のことを、忘れてしまったというのは、本当なんだね』
 どこかさみしさを孕んだ声だった。パーシヴァルの伝説は寝物語に聞いたことはあったが、その程度。
 カルデアに召喚されてからも、話したことはない。それなのに忘れる、ということは、彼と何かしら交流があったのだろうか。
「……ふむ」
 ベッドから出る許可が出たら、改めてパーシヴァルに詳細を聞いてみよう。そう思った時だった。
 医務室のドアが開いて、ひとりの男が入ってくる。
「バーソロミュー!」
 そこには、つい今しがた頭の中に思い浮かべていた、彼がいた。
「パーシ、ヴァル?」
「具合は、どうだろうか? 傷が痛んだりなどは──」
「あ、ああ。今は大事を取って休んでいるだけだよ。どうかしたのかい?」
 そう言うと、パーシヴァルは手に持っていた何かを、そっとバーソロミューに握らせた。
「これを。貴方が取り返してほしいと願った、宝物だ。どうか胸の中に収めてほしい」
 それは、きらきらと光るガラス玉だった。何か特別なものには見えない。けれど、それはひどくあたたかくて、触れているだけで涙がでるほど、愛おしい気持ちになった。
 それを、導かれるように胸に当てる。するとガラス玉はそこに収まるのが道理であるように、胸の中に沈んでいく。
 瞬間、頭の中に失われていた記憶が蘇る。ドバイで共に過ごしたこと、その中で恋心が芽生えたこと、彼から真っ赤な顔で告白されて、恋人になったこと。初めて共に過ごした夜。
『バーソロミュー、バート。……私の愛しい人。私の想いが、少しでも貴公に届いていればいいのだけれど』
『ふふ、もう溢れるほどにもらっているよ。……パーシー』
 そうだ。愛し合ったのだ。何度も、何度も。触れて、抱き締めて、重なって。
 こんなにも愛おしいのに、大切に思っていたのに。それを忘れていたなんて!
 視界が滲んで、はらりと頬に雫が伝う。
「ぱー、しー」
 紡いだ言葉は、ひどく口馴染みがよかった。
「……思い、出したのかい?」
「ああ、全部……全部、思い出した。パーシー。優しい人……私にはもったいない、大切な、恋人」
 ぽたぽたとシーツに染みが生まれる。涙を流すバーソロミューに、パーシヴァルは微笑んで優しく触れた。
「すまない、こんな、大事なことを忘れて、私は……忘れては、いけなかったのに、君を、傷つけた……」
「大丈夫だよ、バート。どうか泣かないで。その名でもう一度私を呼んでくれたから、私はもう充分だ」
 ちゅ、ちゅ、と額に何度もキスを落とされる。その体温が愛おしくて、余計に涙が零れてしまう。
「っ、パーシー、パーシー……」
 ぎゅうと縋りつくと、パーシヴァルはバーソロミューをあやすように頭を撫でた。
「バート。私の海。どうか泣かないで。……貴公の涙は美しいけれど、今は笑顔が見たいんだ」
 そう言って、唇に口づけをひとつ。バーソロミューがどうにかして微笑むと、パーシヴァルは心の底からの笑顔を浮かべた。

 それから数日。カルデアではアンデルセンの新刊の話題で持ちきりだった。
 海賊と騎士の、ひと夏から始まる甘い恋の物語。誰がどう見ようとも、誰をモデルにしたか一発でわかってしまう。
「これはどういうことかな……? アンデルセン」
 食堂であんみつを食べていたアンデルセンを、笑顔を崩さずに詰問する。
 ふたりをモデルにするのは(恥ずかしいが)まだわかる。だが、誰にも話したことのないふたりの告白や、実際に言われた甘い言葉が描かれているのが問題だった。
「パーシヴァルが貴殿にぺらぺらと私たちのことを言ったとは思えない。どこで情報を?」
「ハ、なに簡単なことだ」
 アンデルセンはあんみつをごくりと飲み込んで、ニヒルに笑った。
「お前の記憶が封じられたガラス玉があっただろう。あれに触れたらお前の記憶が流れ込んできてな。ちょうどいいからネタにさせてもらった」
 つまり、アンデルセンにはパーシヴァルとバーソロミューの逢瀬の全てが知られてしまったというわけだ。
「っ、プライバシーというものがないのか!」
「馬鹿め。作家にそんなものを求めるな」
 彼はそれにしても、とため息をつく。
「真夏の夕日がさすビーチで告白してファーストキスというのは、ベタすぎて砂糖を吐くかと思ったぞ。そのままではあまりにもベタだったから、少し脚色したがな」
「~~~~~~~~っ!」
 ぶわ、と顔が赤くなる。まさかそんなところまで見られてしまったなんて。恥ずかしくて本の全てを読んだわけではないが、きっとその描写もあるのだろう。
「まあなんだ、俺に恋をしているとバレたのが運の尽きだ。諦めろ」
「今すぐ本を回収してくれないかな! 何でもするから!」
「断る!」
「アンデルセン」
 ぎゃあぎゃあと言い争いをしていると、凛とした声がアンデルセンを呼んだ。
 振り返るとそこには、新刊を持ったアルトリア・ランサーがいた。
「ふむ、槍の騎士王か。どうした?」
「貴方の本を読みました。……とても素敵な、恋物語でしたね」
「おお読んだか。これはこの男がモデルでな。感想を伝えてやるといい」
「は、え!?」
 読まれた、ということは、パーシヴァルとバーソロミューの関係を騎士王が気づかないはずがない。
 パーシヴァルが敬愛する王に、出会いから逢瀬のあれやそれを知られてしまった。死にたい。今すぐ死にたい。
「バーソロミュー殿」
「っ、な、なに、かな」
「パーシヴァル卿のことを頼みます。どうか大切にしてあげてほしい」
 そう言って、騎士王はふわりと微笑んだ。
 全てを理解した、親のように。
「っ、あ」
 更に顔が赤くなるのを感じる。どう返事をしたらいいのかわからない。
「では私はこれで」
 こつこつと高貴な足音を立てて、彼女は去っていく。
「よかったな、王公認だ。ちなみに今日から図書館でも貸し出し可能だそうだ」
「っ、はあ!?」
 それはつまり、半永久的にカルデアにふたりの恋物語がデータとして残ることになる。
 バーソロミューは恥ずかしさのあまり涙目になって、物語好きな司書をどう説得するかを考えながら図書館までの道をダッシュした。
 
 
 
1/1ページ
スキ