春を待つ
「一度、アフトクラトルに帰る」
傷がふさがってきたヒュースは、退院の目処が立つとそう告げた。
「えっ、何で!?」
せっかくこちらに戻ってきたのだ、ヒュースにとって敵ばかりになったアフトクラトルに戻る理由がわからない。
「当主様の無事を確認できていない。あの方が神に選ばれるのを阻止しなければ」
ヒュースが真剣な瞳で迅を見つめる。止めてくれるなと、そう言っていた。
「でも……今回の遠征終わったばっかりだし、すぐには行けないよ?」
「どれだけ時間がかかってもいい。オレにとっては最優先事項だ」
刺された腹を抑えながらヒュースが立ち上がる。
「痛っ……」
「ああもう、無茶するなって」
「だが、当主様が……」
そんなやり取りをしていると、病室のドアがノックされた。
「ヒュース、いるか?」
三雲の声だ。ヒュース入れと言うと、花束を持った彼が病室に入ってきた。
「傷、どうだ?」
「まだ痛むが、だいぶ回復した。だが身体がなまっている」
「そっか、よかった。実は今日はヒュースに渡したい物があるんだ」
「?」
そう言って三雲が取り出したのは、黒い手のひらサイズの機械。
「それは……!」
ヒュースが目を見開いてそれを手に取る。
「メガネくん、これ何?」
「アフトクラトルでヒュースに渡してくれって頼まれたんです。屋敷の中を探索していたら出会った人に」
ヒュースがトリオンを注入すると、プロジェクターのように画面が宙に映し出される。
そこには、ヒュースと同じトリガー角(ホーン)が頭にある、穏やかな雰囲気の青年がいた。
「当主様……!」
この映像の人物が、ヒュースの主君。エリン家の、当主。
『ヒュース、この映像はお前に向けて残しています。オサムがお前が生きていると教えてくれたから、これが無事に届くことを願っています』
「最初は少し戦ったんだけど、ヒュースの名前を出したらエリン家の当主だって名乗ってくれて。万が一ヒュースと話ができなかった時のためにって映像を撮り始めたんだ」
『まず、お前が生きていてよかった。ハイレイン殿から死んだと聞かされていて、本当に悲しかったんですよ。よく生き延びましたね』
「当主様……」
『オサムからいろいろと聞きましたよ。玄界でずいぶんといろんな経験をしたと。真面目なお前の息抜きに少しでもなったならよかった』
子の生存を喜ぶ親の姿に、ヒュースも表情を和らげる。
だが、次の言葉にヒュースは驚くことになる。
『何よりっ……お前に、恋人ができるなんて……!』
当主がほろりと涙を流す。
「なっ!」
ヒュースの顔が真っ赤になる。三雲をキッと睨みつけて、腹の傷に響きそうな声で問い詰める。
「修! 迅のことを話したのか!?」
「う、うん。ヒュースに恋人がいるって言ったらすごい食いつかれて、つい……」
『私は本当に心配だったんですよ。もう成人して一年も経つのにお前に浮いた話がなくて。それが、まさか玄界で、しかも聞いたところ、玄界で一番強いエリートを掴まえるなんて!』
「……テンション高くない?」
「……当主様は、恋愛の話が好きなのだ。オレにも早くいい人を見つけろと毎日言っていた」
『恋人たちを引き裂くなんて私にはできません。お前は玄界に残りなさい。エリン家は玄界との友好関係を望んでいる。その親善大使に命じます』
「は!?」
「えっ」
『私のことは心配しなくていい。どんな手を使ってでも神になるのを回避してみせますよ。帰省したお前から惚気話を聞くまで死ねません』
当主が涙を脱ぐう。その表情は、ひどく幸せそうだった。
『ヒュース、どうか幸せに。お前を愛してくれる人を手放してはいけませんよ。……こんなものですか。オサム、時間を取らせてしまいすみません』
そうして、映像が終わる。
迅とヒュースは、しばらく動けなかった。
「……」
「えーと、つまり?」
ヒュースは、こっちにいられるってこと?
期待を込めた声で呟く。当主からの命令なら、ヒュースがアフトクラトルに帰る理由は無くなった。
「…………」
「ヒュース?」
「……まだ、事態が飲み込めていない」
ヒュースが頭に手をつく。
「当主様の恋愛好きが暴走すると、こうなるんだな……」
はあ、とため息が漏れる。かなりマイペースな当主らしい。
「命令なら仕方ない。……いつか一度帰るが、しばらくはこちらにいよう」
「ヒュース!」
がばりとヒュースに抱きつく。ヒュースと一緒にいられるなんて! これ以上の幸福があるだろうか。
「離せ、暑苦しい!」
「照れんなって~」
「照れてない!」
迅から離れようとする顔に、唇を押し付ける。
「アフトクラトルに行くときはおれも一緒に行くよ、当主様にあいさつさせて、ヒュース!」
「っ、やはり帰る! ずっと貴様と一緒にいると気が狂う!」
顔を赤くしたヒュースを抱き締めて、その体温を確かめる。
いとしくて、あまくて、こわいくらいにたいせつな、迅の恋人。
「だめ。もう、離してあげられないから。これから覚悟して、ヒュース」
耳元で、真剣な声色で囁く。二度と、ヒュースを失いたくない。
「っ……!」
ヒュースの頭から湯気が出る。少し刺激が強かっただろうか。
「……迅は、卑怯だ」
「おまえが欲しいから、手段なんて選んでられないんだよ」
体温が高くなった手を握って、額を合わせる。
ふいと耐え切れずに視線を逸らしたヒュースの唇に、もう一度口づけた。
三雲は、いつまで経っても僕がいること忘れてませんか、と言い出せずに立ち尽くしていた。