入隊希望者とその親族関係の明記を。
あなたを守ること 沖田
入隊希望者名簿
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「……鶴姫、鶴姫!」
誰かが私の名を呼んでいる。
見渡す限りの草原に愛らしい野花が咲き乱れていた。
山間の集落にある私たちの家。
そこで私たちはささやかながら幸せな暮らしを続けていた。
「鶴姫」
『お母さん!見てみて、頑張って集めたの』
「あら、とても綺麗ね。でもあまり摘みすぎてはダメよ」
『どうして?こんなに綺麗なのに』
「綺麗だからよ。万物にはそれが一番輝けるときがあるもの。綺麗だからと無闇矢鱈に取ってしまったら無くなってしまう」
『ふーん』
まだ幼かった私に母の言葉の意味は分からなかった。
その意味が分かる日がいつか来るのかと、その時がきたら母がまた教えてくれると思っていた。
だけどある日、集落に火を放たれ空が真っ赤に染った。
「鶴姫、どこにいるんだ!?鶴姫ーー」
大切な誰かが私の名を呼んでいた。
無念の表情のまま事切れた骸が、辺りにいくつも転がっている。
肺をいぶすような黒煙があちこちから立ち上っていた。
私は気づいた時には誰かに抱えられていた。
「あと少しで山を越えられる。もう少しだけ、堪えてくれ」
『離して!お母さんが!』
「もう駄目だ!」
『おかあさーん!』
「鶴姫!もう少しだ!頑張れ!」
その人ともう一人は息を切らせながら山道を駆け抜ける。
「……くそっ。酷いことをする。倒幕への協力を断ったら村に火をつけるか」
幼い私は今まで続いてきた幸せな暮らしは二度と戻らないのだと直感していた。
生まれ育った里から遠ざかるほど、恐怖と悲哀に胸を締め付けられ、泣きじゃくった。
「憎い……」
頭の上から呪詛のような声が降ってくる。
「僕たちは人間同士の争うに関わらず、ただ静かに暮らしたかっただけだ。そんなささやかな願いすら、あいつらは踏みにじるのか」
自分の泣き声と頭上からの声が交じりながら響いてくる。
「憎い……、憎い、憎い!」
嗚呼、血を分けた一族の皆の強い憎しみや怨嗟が私の心まで黒く染めていく。
『に、くい……』
私の唇からも我知らずそんな言葉が溢れ出た。
母を返せ──
みんなを返せ──
私たちの幸せな生活を返せ──
人間なんて──
死んでしまえばいい──
「……ちゃん、鶴姫ちゃん」
再び目を開けた時、沖田が心配そうに鶴姫の顔を覗き込んでいた。
『あ……』
「……大丈夫?随分うなされてたみたいだけど。もしかして怖い夢でも見た?」
『うううん、少し寝苦しかっただけ。心配いらないよ』
何故か沖田の瞳を見返せなくて鶴姫は顔を逸らしたまま答える。
「……下手な嘘は辞めたら?人間って、得手不得手があるんだから」
『嘘じゃないって』
咄嗟に怒鳴り返してしまって鶴姫は慌てて口を噤む。
沖田は驚いた様子でしばらくの間目を見開いていた。
やがて申し訳なさそうに目を伏せる。
「……ごめん。君のことが心配だったから」
『ごめんなさい。総司は私のことを気遣ってくれただけなのに』
どうして怒鳴ってしまったのか、自分で自分の気持ちが分からなかった。
胸の奥にどろどろした思いが渦巻いて、ふとした瞬間溢れ出しそうになる。
羅刹となったことで、身体だけではなく、心も変化しつつあるのだろうか。
「……君の話、聞かせてくれる?」
穏やかな声で促され、鶴姫はぎこちなく口を開く。
『わ、……、私……』
少しだけ、息をするのが楽になった気がした。
『思い出したの、少しだけ……子供の頃のことを。私たちは人里から離れた集落で静かに暮らしていました。母や父、兄やみんなと。でも、ある日武器を持った人間たちが里へとやってきた。』
そこまで話して鶴姫は小さく唇を噛む。
長い間ずっと、記憶の奥底に沈めたまま触れずに来た思い出。
『彼らは私たちの村に火を放ち、母や村の皆を殺した。私たちは人間同士の争うに関わらずただ静かに暮らしたかっただけ。それなのに……』
胸の中で憤りや怒りが嵐のように荒れ狂う。
『彼らは身勝手な理由で私たちを……大人も、子供も、皆──、皆!ただ静かに暮らしていただけの里を燃やしたの!』
世の中には悪い人間ばかりじゃなく、いい人達だって沢山いる。
頭ではわかっていても人間は鬼のささやかな幸せを奪った。
『それが許せない。一族を…みんなを返して……私たちが一体何をしたの……?ただ静かに暮らすことで得られる幸せを願って何がいけないの……?!』
「鶴姫ちゃん……」
『そのせいで母は死んだ!綺麗だった、優しかった母……を。人間が殺したのよ!』
沖田が心配そうな表情で鶴姫へと手を伸ばしてくる。
しかし、鶴姫はその手を取れなかった。
『分からないの。自分の気持ちが。自分の中にこんなにも憎悪が息づいていたなんて…』
黒い炎は逃げ場所をなくしただ胸の中で燃えくすぶる。
鶴姫達の村を滅ぼしたあの人間たちを、その家族を同じ目に遭わせてやりたい。
そんな思いさえ浮かんできて愕然とする。
「……今はあんまり、思い詰めない方がいいよ。喉乾いたでしょ?水筒も空になっちゃったから、僕、近くの川で水を汲んでくる。君はここで待ってて。何かあったら直ぐに僕を呼ぶんだよ」
『わかった。気をつけて』
沖田はそのまま茂みをかき分けて水を汲みにいってしまう。
鶴姫は額を濡らす嫌な汗を拭いながら小さく息をついた。
その時、草を踏む音がすこし離れた所から聞こえてくる。
『総司?なにか忘れ物でも……』
呼びかけようとした刹那、背筋を悪寒が駆け抜けた。
違う、総司じゃない。この気配は。
「ひどいなあ、おまえは。血を分けた兄をよりによって沖田と間違えるなんて」
『楽……なんでここに』
「俺も一応、新政府軍に協力してる立場ではあるからな。二人の動きくらい簡単につかめる。宇都宮城で新政府軍と戦ったことも、その後北を目指してたことも。お前たちが新選組のヤツらと別行動を取って北に向かう理由なんざ、一つしかない」
楽はそう言いながら鶴姫の方へと進み出てきた。
鶴姫は一歩下がり楽との間合いをとる。
「少しは思い出したか?俺たちの子供の頃のことを。人間どもみたいに互いに争ったりせず慎ましく生きてた俺たちが、なぜか、何もかも失わなきゃならなかった。人間どもよりずっと強い身体を持ってる僕たちが。理不尽だと思わないかい?強いやつが報われるんじゃない。正しいやつが成功するんじゃない。最後に笑うのはどんな時でも手段を選ばずに小ずるく立ち回ったやつだけ」
『…………』
少し前の鶴姫ならきっと楽の言葉の意味は分からなかった。
しかし今は。
『私たちの里は人間に滅ぼされた。お母さんも──死んだ』
夢でみた光景、そして以前に千姫に明かされた事実を思い返しながら問いかける。
「幕府を倒すため、間者役をしろって西国の藩の奴らに脅されたんだ。俺たちの父様は静かに暮らしたいから協力できないと、その脅しを突っぱねた。そうしたら……ああやって里に火をかけられたんだよ」
『…………』
鶴姫はその記憶を胸の奥底に封じ込め、人間の娘として過ごしてきた。
だが、思い出してしまった今は楽の悲しみや怒りを否定することが出来ない。
「ぬるま湯に浸って生きてきたおまえも、ようやく分かってくれたんだな」
楽の瞳が、どこか遠くを眺めるような眼差しになる。
「これでやっと……、俺たちは同じになれる。俺が長い時間をかけて味わってきた苦しみを、おまえはこの短い間に経験した。俺たちは、誰よりも互いの気持ちを分かり合えるはずだ。そうだろう?」
楽は切なげな眼差しで鶴姫の方を見つめている。
『……目的はなに?』
「決まってるだろう。俺は故郷で穐月一族を再興する。人間たちに奪われた暮らしを取り戻すんだ。俺は、俺の家族や里のみんなを虐げたヤツらを許さない。俺たちの苦境を知っても手を差し伸べようとすらしなかった西の鬼たちも。そして、この国にはびこる薄汚い人間どもも…」
楽の瞳には暗い憎しみが宿っていた。
その憎悪や怨嗟が、悲しみから生じたものだということを知っているから……。
鶴姫に今は楽を恐れる気持ちはなかった。
ただ悲しいだけだ。
「綱道さんが改良してくれた変若水を使えば、日の下で動ける羅刹の軍を作ることが出来る」
楽の言葉に、鶴姫は立ちすくんだ。
『お父さんは……?楽と一緒にいるの?』
「ああ。綱道さんが俺の考えに賛同してくれてな。父様も一緒だ。穐月一族再興のため、協力は惜しまないって言ってくれてるよ」
『………』
「新しい変若水を飲むとさ、人と交わって血が薄まった鬼でも、鬼本来の力を取り戻すことができるんだ。その変若水で俺たちの仲間をどんどん増やしていけば、人間共どころか西国の鬼たちだって敵じゃない。俺たちは、この日本の新たな盟主になることができるんだ!」
やがて楽は鶴姫へと手を伸ばしてくる。
「……鶴姫、俺と一緒に行こう」
『え……?』
楽の突然の申し出に鶴姫は動揺する。
けれど、楽の眼差しは真剣だった。
「……もう分かったんだろ?お前が望むなら沖田も一緒でいい。邪魔な奴らを全て根絶やしにして、この国に俺たちの本当の居場所を作ろう」
『…………』
以前、千姫が予想していた通り、綱道は新選組を離れたあとも変若水の研究を続けていた。
そして進はその研究に協力していた。
もしかしたら、沖田を元の人間に戻すことが出来るのではないだろうか。
そして、いつまでも沖田と一緒に過ごせる二人の居場所を作る……。
そんな未来を作り出すことが出来れば、どれほど幸せだろう。
しかし、その時。
「僕は行かないよ。……絶対に行かない」
離れた場所から聞こえてきた声が鶴姫を現へと引き戻す。
「鶴姫ちゃん、君って本当にお人好しなんだね。【上手い話には裏がある】って言うでしょ?こんなやつの言うこと、信じちゃダメだよ」
沖田はそう言って、鶴姫を庇うように楽の前へと立ち塞がる。
しかし、こういった返事は予想していたのか、楽は動じる様子を見せない。
「今すぐ答えが欲しいわけじゃない。可愛い妹が悩む時間くらいやるさ。……俺たちは故郷で待ってる。辿り着くまでに、答えを決めておくんだ」
「待てっ──!」
沖田は瞬時に抜刀し、楽の背中へと振り下ろそうとするが、その斬撃は楽の合羽のみを切り裂くにとどまる。
「それじゃあな、鶴姫。いい返事を期待してる」
楽はそのまま、暗闇の中へと姿を消してしまった。
「まったく、逃げ足だけは早いなあ」
苦々しげに言った後、沖田は刀を鞘へと納める。
「……鶴姫ちゃん、何をぼーっとしてるの?もしかしてらあいつの口車に乗ろうなんて考えてるんじゃないよね?」
『それは……』
「あのね、今のうちに言っておくけど」
沖田がそう言って、鶴姫の前へと進み出た時だった。
沖田は不意に顔を顰め、両腕で己の身体を押さえつける。
『総司!?』
次の瞬間、沖田の髪は白く染まり、瞳が赤へと変化した。
またもや羅刹の狂気が沖田の心を蝕み始めたのだ。
だがその時、鶴姫は不意に強い眩暈に襲われる。
目の前の景色が頼りなくゆらぎ、心臓が今一度激しく鼓動した。
血が欲しい。沖田の血が欲しい。
抗いたい欲望が胸の奥から溢れ出して来る。
それは言葉では表せないような、激しい渇望だった。
喉よりも、心がかわいている。
一刻も早く、この乾きを癒してほしい。
『あ……、ああ……!』
額が熱い。
思わず手をやって指先に触れた固い感触に驚く。
心臓や額に変化が訪れるのと同時に、また切ったはずの鶴姫の髪は長く長く伸び始める。
視界の端で揺れるその髪は白に変わっていた。
『ま、また……』
鶴姫は改めて額に手を伸ばし、そこから二本の小さな角、二本の少し大きな角、そしてさらに四本の大きな角が生えていることを確かめる。
『う、うそ……大きな角は……六本のはずなのに……どうして』
変若水の影響なのだろうか。
本来は六本の角が生えるはずの鶴姫の額には八本の角が生える。
少しづつ身の心も変若水の毒に冒され始めている。
喉が激しく渇き身の内をのたうつ激しい疼きに全身を掻きむしりたいほどの衝動を覚えた。
『嫌……、嫌……羅刹に…血に狂いたくない…』
そんな鶴姫の肩に優しい手が載せられる。
沖田の顔を確かめるのが怖くて、鶴姫は顔をあげられないでいた。
『……見ないで』
沖田は無言のまま。
『……お願い、見ないで……!!』
もう一度告げたその時、沖田は小さな声で問いかけてくる。
「鶴姫ちゃん。……血が、欲しいの?」
『違う、私──!』
首を左右に振り、懸命に衝動に抗っていると──。
両腕をつかまれ、無理矢理顔を上げさせられる。
そして、そこには鶴姫とよく似た姿をした【鬼】がいた。
その額に角は無い。
しかし、同じように髪が白く変じ、同じように血に飢えた瞳をしている。
一人じゃなかった。その思いが不意に胸を突き上げてくる。
「僕の……、羅刹の血は……君を今以上に羅刹に近づけてしまうかもしれない」
沖田の口からこぼれる呼気は、苦しみで乱れていた。
「それだけは、少し怖いけど……でも、君が望むなら僕は、拒まない……」
そう告げられるも鶴姫は必死に耐え、脇差を引き抜いた。
「鶴姫ちゃん?何、を……」
『……飲んで』
自ら傷つけた唇を沖田へと差し出した。
『血が……欲しいんでしょ?だから…私の血を飲んで』
「でも……君は?君だって、血が欲しいんじゃないの?」
『……欲しくない訳ではないけれど』
焼け付くような渇きが喉にまとわりつき、今すぐにでも血を飲み下したかった。
『でも……、私は要らない……!』
本当に欲しいのは、衝動に振り回され、狂って落ちる喜びでは無い。
鶴姫が何より求めているのは、ただ平穏に流れていく日々。
そして変若水の毒が、労咳が沖田を解放してくれる未来。
『私は、鬼だけど……変若水も飲まされたけど……!』
全身が、渇きを癒してくれる甘い血を欲して疼いているけれど。
『それでも、血はいらない。私は──私として総司の傍にいたい……』
「……そっか、わかった。いい子だね、君は」
小さく囁いた後、沖田はそっと鶴姫の顔に手を添える。
そして唇に滲む赤を丁寧に舐めとっていく。
「僕は、僕であるために鶴姫の血を飲む……狂ってしまわないように」
どこか陶酔を帯びた声がわ優しく耳をくすぐってくる。
鶴姫の身体の中では未だに吸血衝動が暴れ狂っていたが、それでも沖田を見つめ返し、しっかりと頷いた。
『私は、私であるために、……総司の血を飲まない』
絶対に耐え抜いてみせる。
「君は、強い子だね」
沖田は血を啜りながら、微かに目を伏せて息を吐き出す。
「……でもきっと、もうじきだから」
なだめるような優しい声音が、鶴姫の狂気を抑えてくれている気がした。
この後、鶴姫と沖田は寄り添って変若水の毒がもたらす狂気に耐えた。
沖田はずっと鶴姫の手を握っていたから、鶴姫は最後まで自分を忘れずに済んだ。
To be continued