入隊希望者とその親族関係の明記を。
あなたを守ること 沖田
入隊希望者名簿
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翌日の晩、鶴姫は松本に当てて手紙を書いた。
二人が江戸に戻って来たことを知った松本はすぐに隠れ家へとやってきた。
しかし、やってきたのは松本だけではなかった。
「鶴姫ちゃん!良かった、無事で……!」
『お千、君菊さんも……。松本先生と一緒だなんて』
「こう見えても私、結構顔が広いのよ。前に言ったでしょう?幕府や諸藩の高い位にいる人たちは鬼の存在を知ってるって」
『そうだっけ』
「姫様はずっとあなたのことをご心配なさっていたのですよ。ですが、新選組の方々が京を出てからあなたの消息が途絶えてしまって……」
「見つけ出すのは苦労したわよ。手紙の一通くらいくれても良かったのに」
『申し訳ありません』
「やだ、冗談よ。本気にしないで。大変な状況だったっていうのは、松本先生から聞かせてもらったから」
「いきなり鬼の一族だと名乗られた時はさすがに面食らったがね」
「で、一体何をしに来たの?まさかまた、この子を鬼の里とやらに連れていこうとしてるのかな?」
沖田が尋ねると、千姫は不意に真剣な表情になる。
「……実はね、綱道さんと進さんについて分かったことがいくつかあるから、伝えに来たの」
『父の!?』
「皆さん方もご存知のおとり、綱道さんは徳川幕府の命で変若水の研究を行っていました。元々彼は徳川家とは縁がある東国の鬼、雪村家の分家筋の生まれなのですが、その縁を頼られて変若水の強い毒を薄める研究をしていたようです。」
『毒を薄める?』
「そんなこと、出来るの?山南さんが新選組で何年も研究してたのに、結局無理だったんだけど」
「……いえ、無理とは言いきれないわ。沖田さん、あなたならよく知ってると思うけど、新選組に持ち込まれたばかりの頃の変若水は今以上に危険なものだったんでしょう?何とか使える程度になったってことは、薬の効き目や毒を薄めること自体はできなくは無いはずよ」
『でもその方法を知っているかもそれない千鶴の父親は行方不明になっていて』
すると千姫は自信に満ちた笑みを浮かべる。
「それがね、綱道さんと進さんの居場所がわかったのよ」
『そうなの!?』
「こう見えても、顔が広いって言ったでしょ?」
『千鶴はこのこと知っているの?綱道さんや父はどこに?』
「綱道さんは少し前までは陸奥──、かつて雪村の里があった場所。そして進さんは今は飛騨──、穐月家の里があった場所です」
『私や千鶴の生まれ故郷に……?』
「ええ、間違いないわ。但し、それぞれがそれぞれの故郷にいるらしいの。大体の場所なら私も知ってるから後で地図を描いてあげる」
『ありがとう』
「綱道さんは今でも変若水の研究を続けてるみたいよ。羅刹になった人を元に戻す方法を見つけれてくれてるといいんだけど」
『………』
新選組と連絡をたったあとも綱道が変若水の研究を続けていたとしたら、もしかしたら山南たちが得られなかった研究成果を出す事が出来ているかもしれない。
もし羅刹となった人を元の人間に戻すことができるなら。
『でも、何故綱道さんのところに父が』
「多分。研究に必要な羅刹を作るための人間を捕獲してくるのが進さんの役目」
『……』
「研究を進めるには被験体がいる。進さんは並の強さじゃないらしいから羅刹が狂った時の対処も任されてるようなの」
『父が変若水の研究に加担…』
鶴姫は思わず沖田の方を振り返った。
「……行きたいの?」
沖田がそう尋ねてくる。
『私は……父に会いたい』
そして、もし羅刹となった人を人間に戻す術が見つかるのであれば、沖田を元の人間に戻してほしい。
だが、そうすれば起きたのそばを離れることになる。
「……今すぐ決めるのは難しいかしら。他に気になることもあるでしょうしね」
意味深に言った後、千姫は松本へと視線を移した。
「どう伝えたもんかなあ……」
松本は眉間を指で押えながら苦い表情を浮かべた。
胸騒ぎを覚えながら鶴姫は松本の言葉を待った。
すると松本は沖田を真っ直ぐ見つめながら重々しく告げた。
「……近藤さんが新政府軍に投降した」
「なっ……!」
沖田の顔から、一瞬のうちに血の気が引く。
やがて彼は唇を震わせながら。
「……何言ってるんですか?こんな時に冗談なんて先生も人が悪いなあ」
「そう思いたい気持ちはわかるが……、事実だからな」
松本の言葉に沖田は目を剥いた。
「そんなこと、あるはずないでしょう!どうして近藤さんが──!あの人は……土方さんは、一体何をしてたんですか!?」
松本に掴みかかりかねない勢いで沖田は叫んだ。
『総司、落ち着いて!』
鶴姫は沖田の背中にしがみついて抑えにかかる。
「落ち着けるわけないでしょ、この状況で!どうしてそんなことになったんです?甲府からは生きて戻ってきたんでしょう?」
「……事の経緯は、私にもよくわからん。だが、近藤さんが投降したのは間違いない。これは、幕府のお偉いさんから聞いた話だからな」
『……』
あの近藤が敵に降ってしまった。
一体どうしてそんなことになったのか。
『今、新選組はどうなっているんですか?近藤さんが投降してしまったということはまさか……』
「まだ、降伏はしておらんよ。今は土方くんが隊を率いて北に向かってるらしい」
『土方さんが……』
一体どういう状況だったのだろうか。
土方は近藤のことをとても尊敬していたはずだ。
近藤を敵に引き渡すくらいなら自分が犠牲になる。
そう言っても不思議では無いのが、鶴姫の知っている土方だった。
「……つまり、近藤さんを見捨てて自分だけ逃げたってことですか?あの人を大名にするためなら何でもするとか散々言ってたくせに……!近藤さんはずっと、土方さんのこと信じてたのに……あの人はその気持ちを裏切ったんだ!」
投げつけるような勢いで沖田が叫ぶ。
「少し、落ち着いたら?その時どういい状況だったか、あなたには分からないでしょ」
「僕たちのことを何も知らないよそ者が、したり顔で口を挟まないでくれるかな?」
『総司!そんな言い方!』
鶴姫は千姫にまで敵意を剥き出しにする沖田をたしなめる。
しかし沖田はそんなことには関わっていられないと言わんばかりに、松本に向き直る。
「近藤さんは今、どこにいるんです?」
「それを知って、どうするんだね?」
「どうするって……決まってるじゃないですか。近藤さんは、こんなことで死んでいい人じゃない」
「……無理だ。もう、君一人でどうにかできる事態じゃなくなっちまってる」
「どうしてですか!?僕は羅刹になってるんですよ!たとえ敵がどれだけいても、この刀で片っ端から斬り殺してみせます!」
「新選組隊士が近藤さんを助けに来るだろうってのは、新政府側も想定してるはずだ。その中に羅刹が紛れてるかもしれないだろうってこともな。以前、銀の銃弾で撃たれたことを忘れたのかね?」
「…………」
松本の言葉に沖田は項垂れた。
その顔は青ざめていて、広い肩がブルブルと震えている。
『それだと近藤さんは……』
「私も幕府のお偉いさん方に助命嘆願をするつもりだが……幕府は新政府軍を刺激したくないって意向が強いらしくてな……何せ話がこじれれば江戸はたちまち火の海だ」
『そんな……!』
近藤は今までずっと幕府や将軍公のために尽くしてきた。
それが最後の最後で見捨てられるというのか。
沖田は思い詰めた様子で立ちつくしていたがやがてそのまま背を向けて部屋を出ていこうとする。
松本はその肩を掴んで強引に引き止めた。
「待ちなさい、どこへ行くつもりだね?」
「何度も同じことを言わせないでください。近藤さんを助けるんです。あの人は──あの人だけは何があっても守らなきゃ」
「そんな真似、医者として許す訳にはいかん。以前は黙っていたが、君の身体は……」
松本は慎重な口振りで言葉を選びながら言いかける。
「労咳が治ってないって言うんでしょう?それがどうしたんですか。僕の命なんてどうなってもいいんです。近藤さんを助けることができるなら──」
沖田が気色ばんで叫んだ時、咳き込んでしまう。
すぐにとこの支度をして沖田を寝かせ、松本に診てもらう。
その間鶴姫と千姫たちは廊下で佇んでいた。
沖田はあのまま気を失って倒れてしまった。
変若水を口にしてから労咳の発作は起きなくなっていたのに。
甲府への旅、そして楽との戦いは沖田の身体に想像以上の負担をかけていたのだ。
「……間が悪い時に来ちゃったわね。ごめんなさい」
『いえ、気にしないで』
「……鶴姫ちゃん、あなた、これからどうするの?直ぐに飛騨へ向かうつもりなら手助けしてあげられるけど」
『…………申し出はありがたいけど』
「……今は沖田さんのそばにいたい?」
『うん。約束したから』
「そうよね。さっきの様子を見たら、放っておくなんて出来ないわよね」
『ごめんね。せっかく父の行方を調べてくれたのに』
「謝る必要なんてないわよ。ただ……くれぐれも気をつけてね。松本先生の言葉通り、新政府軍は近藤さんを厳重に監視してるみたいだから」
「さて、それじゃ我々はそろそろ失礼させてもらうよ」
『はい。今日は色々とありがとうございました。』
「例には及ばんさ。だが、沖田くんを近藤さんの元に行かせてはならんぞ。彼は【自分の命をどうでもいい】と言っていたが、近藤さんだって沖田くんの命と引き換えに生き延びたいなんて思っちゃいないはずだ」
「……それでは失礼いたします。また何かあればお知らせしますので」
『はい、ありがとうございます』
鶴姫は深々と一礼し、松本や千姫たちを送り出した。
ここから数日、鶴姫は付きっきりで沖田の看病を続けた。
近藤が置かれている状況を思うと、気ばかりが焦って仕方がない。
だが、沖田も労咳の発作が治まるまでは養生すると鶴姫と約束した。
『総司、まだ起きてる?開けるよ』
そう声をかけて襖を開けるとそこには起き上がっている沖田がいた。
『何してるの!?また咳が出たら…』
「大袈裟だなあ。あそこにある刀を取ろうと思っただけだよ」
『刀って……まさか、その身体で近藤さんのところに行くつもり?』
「君って早とちりだよね。僕だって無駄死なんて御免だよ。近藤さんの仇を取るのは体調がもう少しマシになってからに決まってるでしょ」
『…………』
沖田の言葉に鶴姫は胸を撫で下ろす。
「あそこにある刀を取ってくれる?」
『分かった。これでいい?』
鶴姫は刀掛けに掛けてある一振の刀を両手で持ち上げ沖田へと差し出す。
真新しいその刀は両手で持ってもずっしりと重い。
「…………ありがとう」
沖田は感慨深そうに、その刀を抜いて目を細めた。
『その刀、いつも使っているものとは違う』
しかし、沖田はその問いには答えなかった。
「……昨夜ね、近藤さんの、夢を見たんだ」
『近藤さんの?』
「…………うん」
どこか寂しげに笑いながら沖田は夢の内容を話してくれた。
あれは……三年前のことだったかな。
幕府から二度目の長州の視察を命じられた日、近藤さんが僕の部屋に来たんだ。
「総司、お前も聞いてると思うが……俺は幕命で今度、長州の視察に行くことになったんだ」
「その話は聞いてますけど、別に近藤さんが行く必要なんてないんじゃないですか?そういうのが得意な人はほかに沢山いるでしょう?」
「そういうわけにはいかんさ。これは、幕府直々の命令だからな」
「じゃあ、僕も一緒に行きます。長州なんかに行ったら、いつ暗殺されるか分からないじゃないですか」
そしたら近藤さんはいつになく厳しい顔になって──。
「ダメだ。同行は許さん」
「……どうしてです?近藤さんを守るのは僕の役目でしょう」
だけど近藤さんは僕の問いかけには答えてくれなかったんだ。
ただ傍らに置いてあった刀を差し出してきて。
「これは……?」
「山城守藤原国清だ。おまえずっと菊紋の刀を欲しがっていただろう?」
確かに雑談の最中、近藤さんにそういう話をしたことはあったけど。
「どうしていきなりこれを?」
すると近藤さんは真剣な目でじっと僕を見つめてきたんだ。
「天然理心流五代目宗主に相応しい刀だと思ってな」
「──!」
近藤さんの言葉で全身の血が逆流するかと思った。
だって僕が天然理心流を継ぐってことはーー。
「……受け取れません、お返しします」
「おい、総司……」
「僕が五代目を継ぐとしたら、もっと……ずっと先のことです。近藤さんが周斎先生の跡を継いだ時みたいに──近藤さんがお爺さんになって、どうしても木刀を振るえなくなった、その時だけですよ」
近藤さんは、聞き分けのない子供を見下ろすような目で僕を見てたけど、やがて……。
「総司、そう言ってくれるのはありがたいが……。今はいつ何時、万一のことがあるかわからん時代なんだ。俺は、百姓の生まれだが……。武士となった今、いつでも将軍公の為、この命を捨てる覚悟をしている。だが、もし天然理心流の名が俺の代で耐えてしまうことになったら、死んでも死にきれんよ」
「…………」
僕がずっと顔を伏せたままでいると……。
近藤さんは僕の方に手を置いた。
「……頼んだぞ、総司」
そう言って僕にその刀を握らせたんだ。
「……酷い人だよね、近藤さんって。近藤さんの跡を継ぐことなんて出来るはずないじゃない。僕はまだ……教えてもらってないことが沢山あるのに」
『総司……』
「この刀を、近藤さんの形見になんてさせない。させてたまるもんか」
沖田はしばらくの間、悲しみと悔悟に沈んだ表情で刀を抱きしめていた。
「……これ、ありがとう。刀掛けに戻しておいて」
鶴姫はその刀を受け取り、再び刀掛けへと戻した。
障子戸の向こうから虫の声が漏れ聞こえてくる。
しばらくその声に耳を傾けたあと、沖田は不意に言った。
「……ねぇ、鶴姫ちゃん。君は僕が近藤さんのところに行くの、反対?」
『…………』
【総司を近藤さんの元へ行かせてはいけない】と──。
松本からきつく言われている。
でも……
『私には止めることはできない。総司の気持ちはよく分かるから……』
すると沖田はほっとした様子で口元を緩める。
「……君ならそう言ってくれると思った。ねえ、鶴姫ちゃん。こっちにおいで」
『?』
「……おいで」
重ねて促され、鶴姫は言われるまま沖田の布団へと近づいた。
すると手首を捕まれ、そのまま引き寄せられる。
こうして沖田に抱き寄せられるのは初めてではないけれど、何度触れられても慣れない。
彼の温もりに包まれると、それだけで、鼓動が高鳴りをましてしまう。
けれどその一方で沖田の傍らこそが自分の居場所なのだと確かな安堵も胸に兆す。
「僕のこと心配なんだよね?」
『…………もちろん』
鶴姫は沖田に身を預けたまま、唇をぎゅっと噛んだ。
肺の病に蝕まれている沖田を死地に送り出すなど本当ならしがみついてでも止めるべきなのだ。
それでも沖田にとって近藤がどれほど大切なのか、分からないわけじゃないから。
「……僕、最初に会った時から君に酷いことばかりしてきたと思うんだけど、それでも離れていかないのは、どうして?」
『……私にも分からない』
「本当に分からない?それとも僕に変若水を飲ませたのが君の兄さんだったから、負い目でも感じてるの?」
『……負い目じゃないよ』
「じゃあ、どうして?こないだ血を飲ませてくれたときだって、唇を斬られたのに嫌がる素振りもなかった」
『……』
「僕のわがままだって聞いてくれる」
鶴姫の心はもう、その問の答えを見つけ出してしまっている。
けれども、沖田が今、第一に考えるべきことは近藤を助け出すこと。
だとしたら彼の心を掻き乱すようなことなんて、言うべきでは無い。
『……ただ、放っておけないだけ』
「…………そっか」
鶴姫の答えは沖田が求めるものでは無かったのか。
沖田は少し失望した様子で息を吐き出す。
『総司は?どうして私をこうして抱き締めてくれたり傍においてくれるの?』
すると沖田はいつもの意地悪な表情になってーー。
「君が答えてくれないから、僕も答えてあげない」
仕返しだと言わんばかりにそう答えた。
それから数日後の夜、意外な人物が隠れ家を訪れた。
「……よう、しばらくぶりだな」
『土方さん……!ご無事だったんですね!』
「総司のやつはどうしてる?具合が良くねえって聞いたが」
『今眠ってます。お呼びしましょうか?』
「……いや、いい。あいつは俺の顔なんざ、見たくもねえだろうしな。今日来たのは他でもねえんだ。今の江戸の状況はお前もよく知ってると思うが、おまえ、この先どうするつもりだ?新政府の奴らは俺たちを恨んでる。これ以上関わり続けると、どんな目に遭わされるか分からねえぜ」
『私は沖田さんのお傍にいます。今の沖田さんを放っておくことなんてできませんから』
「………そうか。ありがとよ、礼を言っとくぜ。……俺たちはもう、あいつと一緒にゃいてやれねえからな」
『…………』
「それじゃ、俺はもう行く。総司のやつによろしくな」
『お待ちください。外までお送りします』
鶴姫は身を翻して玄関に向かう土方の背を急いで追いかけた。
『あの……、一つお聞きしてもいいでしょうか?』
「ん?なんだ」
『……近藤さんが敵に捕まってしまったのは、本当ですか?』
「……ああ。」
『やっぱり、本当なんですね。どうしてそんなことになったのでしょうか』
「流山に隠れてた時、敵に囲まれてな。俺たちを逃がすため、自分から新政府軍に投降したんだ。偽名を使うから、敵に気づかれることはねえだろうって言ってたが……」
この口振だと、土方も近藤が無事でいられる公算は低いと思ってるに違いない。
新政府軍に近藤の顔を知る者がいてそこから身元が割れたとの話もある。
隠し通すことはもはやできなくなってしまった。
「総司のことだからどうせ、俺が近藤さんを見捨てて自分だけ逃げたとでも思ってやがるんだろ?」
『それは──沖田さんに私がきちんと説明します』
「いや、やめとけ。アイツには何も言わねえほうがいい」
『どうしてですか?』
「状況がどうであれ近藤さんを見捨てたってのは嘘じゃねえからな。八つ当たり先が無くなっちまったら、あいつ、本当に生きる気力をなくしちまうだろ」
『しかし……』
鶴姫が納得できずにいると、土方は目を細めて夜空に瞬く星々を見上げる。
「……この場であいつにぶった斬られて何もかも終わりにしちまえるんなら、楽なんだがな」
その言葉に鶴姫はハッとする。
近藤が投降したことで生きる気力をなくしてしまっているのはむしろ土方の方なのかもしれない。
やがて土方は込み上げてきたものをぐっと堪える表情になった。
「俺たちはこれから、北へ向かう。……死ぬんじゃねえぞ、穐月」
短い別れの言葉の後、土方はその場を歩き去った。
少しづつ遠ざかる背中を見送ったあと、鶴姫は再び建物の中へと戻る。
玄関に戻った時、廊下の向こうに人影があることに気づく。
「……今、外で人と話ししてたでしょ?誰が来てたの?」
『……』
「当ててあげようか。土方さん?」
『っ……』
「やっぱりそうだったんだ。あの人、何しに来たの?近藤さんを見捨てた言い訳でもしに来たのかな?」
『違うの。土方さんは──』
「どうしてあんな人の肩を持つのさ?事情があったにせよ、近藤さんを助けずに自分だけ逃げたのは変わらないじゃない!近藤さんは今も、土方さんが助けに来てくれるって信じてるはずなのに──うっ………!げほっ、ごほっ…!がはっ、ごほっ!」
沖田はその場にうずくまり、肺が壊れてしまいそうなほど激しく咳き込んだ。
『総司……お願いだから自分を見失わないで。気をしっかり持って』
かける言葉が他に見つからなくて、鶴姫は沖田の身体を強く抱き締めた。
To be continued
二人が江戸に戻って来たことを知った松本はすぐに隠れ家へとやってきた。
しかし、やってきたのは松本だけではなかった。
「鶴姫ちゃん!良かった、無事で……!」
『お千、君菊さんも……。松本先生と一緒だなんて』
「こう見えても私、結構顔が広いのよ。前に言ったでしょう?幕府や諸藩の高い位にいる人たちは鬼の存在を知ってるって」
『そうだっけ』
「姫様はずっとあなたのことをご心配なさっていたのですよ。ですが、新選組の方々が京を出てからあなたの消息が途絶えてしまって……」
「見つけ出すのは苦労したわよ。手紙の一通くらいくれても良かったのに」
『申し訳ありません』
「やだ、冗談よ。本気にしないで。大変な状況だったっていうのは、松本先生から聞かせてもらったから」
「いきなり鬼の一族だと名乗られた時はさすがに面食らったがね」
「で、一体何をしに来たの?まさかまた、この子を鬼の里とやらに連れていこうとしてるのかな?」
沖田が尋ねると、千姫は不意に真剣な表情になる。
「……実はね、綱道さんと進さんについて分かったことがいくつかあるから、伝えに来たの」
『父の!?』
「皆さん方もご存知のおとり、綱道さんは徳川幕府の命で変若水の研究を行っていました。元々彼は徳川家とは縁がある東国の鬼、雪村家の分家筋の生まれなのですが、その縁を頼られて変若水の強い毒を薄める研究をしていたようです。」
『毒を薄める?』
「そんなこと、出来るの?山南さんが新選組で何年も研究してたのに、結局無理だったんだけど」
「……いえ、無理とは言いきれないわ。沖田さん、あなたならよく知ってると思うけど、新選組に持ち込まれたばかりの頃の変若水は今以上に危険なものだったんでしょう?何とか使える程度になったってことは、薬の効き目や毒を薄めること自体はできなくは無いはずよ」
『でもその方法を知っているかもそれない千鶴の父親は行方不明になっていて』
すると千姫は自信に満ちた笑みを浮かべる。
「それがね、綱道さんと進さんの居場所がわかったのよ」
『そうなの!?』
「こう見えても、顔が広いって言ったでしょ?」
『千鶴はこのこと知っているの?綱道さんや父はどこに?』
「綱道さんは少し前までは陸奥──、かつて雪村の里があった場所。そして進さんは今は飛騨──、穐月家の里があった場所です」
『私や千鶴の生まれ故郷に……?』
「ええ、間違いないわ。但し、それぞれがそれぞれの故郷にいるらしいの。大体の場所なら私も知ってるから後で地図を描いてあげる」
『ありがとう』
「綱道さんは今でも変若水の研究を続けてるみたいよ。羅刹になった人を元に戻す方法を見つけれてくれてるといいんだけど」
『………』
新選組と連絡をたったあとも綱道が変若水の研究を続けていたとしたら、もしかしたら山南たちが得られなかった研究成果を出す事が出来ているかもしれない。
もし羅刹となった人を元の人間に戻すことができるなら。
『でも、何故綱道さんのところに父が』
「多分。研究に必要な羅刹を作るための人間を捕獲してくるのが進さんの役目」
『……』
「研究を進めるには被験体がいる。進さんは並の強さじゃないらしいから羅刹が狂った時の対処も任されてるようなの」
『父が変若水の研究に加担…』
鶴姫は思わず沖田の方を振り返った。
「……行きたいの?」
沖田がそう尋ねてくる。
『私は……父に会いたい』
そして、もし羅刹となった人を人間に戻す術が見つかるのであれば、沖田を元の人間に戻してほしい。
だが、そうすれば起きたのそばを離れることになる。
「……今すぐ決めるのは難しいかしら。他に気になることもあるでしょうしね」
意味深に言った後、千姫は松本へと視線を移した。
「どう伝えたもんかなあ……」
松本は眉間を指で押えながら苦い表情を浮かべた。
胸騒ぎを覚えながら鶴姫は松本の言葉を待った。
すると松本は沖田を真っ直ぐ見つめながら重々しく告げた。
「……近藤さんが新政府軍に投降した」
「なっ……!」
沖田の顔から、一瞬のうちに血の気が引く。
やがて彼は唇を震わせながら。
「……何言ってるんですか?こんな時に冗談なんて先生も人が悪いなあ」
「そう思いたい気持ちはわかるが……、事実だからな」
松本の言葉に沖田は目を剥いた。
「そんなこと、あるはずないでしょう!どうして近藤さんが──!あの人は……土方さんは、一体何をしてたんですか!?」
松本に掴みかかりかねない勢いで沖田は叫んだ。
『総司、落ち着いて!』
鶴姫は沖田の背中にしがみついて抑えにかかる。
「落ち着けるわけないでしょ、この状況で!どうしてそんなことになったんです?甲府からは生きて戻ってきたんでしょう?」
「……事の経緯は、私にもよくわからん。だが、近藤さんが投降したのは間違いない。これは、幕府のお偉いさんから聞いた話だからな」
『……』
あの近藤が敵に降ってしまった。
一体どうしてそんなことになったのか。
『今、新選組はどうなっているんですか?近藤さんが投降してしまったということはまさか……』
「まだ、降伏はしておらんよ。今は土方くんが隊を率いて北に向かってるらしい」
『土方さんが……』
一体どういう状況だったのだろうか。
土方は近藤のことをとても尊敬していたはずだ。
近藤を敵に引き渡すくらいなら自分が犠牲になる。
そう言っても不思議では無いのが、鶴姫の知っている土方だった。
「……つまり、近藤さんを見捨てて自分だけ逃げたってことですか?あの人を大名にするためなら何でもするとか散々言ってたくせに……!近藤さんはずっと、土方さんのこと信じてたのに……あの人はその気持ちを裏切ったんだ!」
投げつけるような勢いで沖田が叫ぶ。
「少し、落ち着いたら?その時どういい状況だったか、あなたには分からないでしょ」
「僕たちのことを何も知らないよそ者が、したり顔で口を挟まないでくれるかな?」
『総司!そんな言い方!』
鶴姫は千姫にまで敵意を剥き出しにする沖田をたしなめる。
しかし沖田はそんなことには関わっていられないと言わんばかりに、松本に向き直る。
「近藤さんは今、どこにいるんです?」
「それを知って、どうするんだね?」
「どうするって……決まってるじゃないですか。近藤さんは、こんなことで死んでいい人じゃない」
「……無理だ。もう、君一人でどうにかできる事態じゃなくなっちまってる」
「どうしてですか!?僕は羅刹になってるんですよ!たとえ敵がどれだけいても、この刀で片っ端から斬り殺してみせます!」
「新選組隊士が近藤さんを助けに来るだろうってのは、新政府側も想定してるはずだ。その中に羅刹が紛れてるかもしれないだろうってこともな。以前、銀の銃弾で撃たれたことを忘れたのかね?」
「…………」
松本の言葉に沖田は項垂れた。
その顔は青ざめていて、広い肩がブルブルと震えている。
『それだと近藤さんは……』
「私も幕府のお偉いさん方に助命嘆願をするつもりだが……幕府は新政府軍を刺激したくないって意向が強いらしくてな……何せ話がこじれれば江戸はたちまち火の海だ」
『そんな……!』
近藤は今までずっと幕府や将軍公のために尽くしてきた。
それが最後の最後で見捨てられるというのか。
沖田は思い詰めた様子で立ちつくしていたがやがてそのまま背を向けて部屋を出ていこうとする。
松本はその肩を掴んで強引に引き止めた。
「待ちなさい、どこへ行くつもりだね?」
「何度も同じことを言わせないでください。近藤さんを助けるんです。あの人は──あの人だけは何があっても守らなきゃ」
「そんな真似、医者として許す訳にはいかん。以前は黙っていたが、君の身体は……」
松本は慎重な口振りで言葉を選びながら言いかける。
「労咳が治ってないって言うんでしょう?それがどうしたんですか。僕の命なんてどうなってもいいんです。近藤さんを助けることができるなら──」
沖田が気色ばんで叫んだ時、咳き込んでしまう。
すぐにとこの支度をして沖田を寝かせ、松本に診てもらう。
その間鶴姫と千姫たちは廊下で佇んでいた。
沖田はあのまま気を失って倒れてしまった。
変若水を口にしてから労咳の発作は起きなくなっていたのに。
甲府への旅、そして楽との戦いは沖田の身体に想像以上の負担をかけていたのだ。
「……間が悪い時に来ちゃったわね。ごめんなさい」
『いえ、気にしないで』
「……鶴姫ちゃん、あなた、これからどうするの?直ぐに飛騨へ向かうつもりなら手助けしてあげられるけど」
『…………申し出はありがたいけど』
「……今は沖田さんのそばにいたい?」
『うん。約束したから』
「そうよね。さっきの様子を見たら、放っておくなんて出来ないわよね」
『ごめんね。せっかく父の行方を調べてくれたのに』
「謝る必要なんてないわよ。ただ……くれぐれも気をつけてね。松本先生の言葉通り、新政府軍は近藤さんを厳重に監視してるみたいだから」
「さて、それじゃ我々はそろそろ失礼させてもらうよ」
『はい。今日は色々とありがとうございました。』
「例には及ばんさ。だが、沖田くんを近藤さんの元に行かせてはならんぞ。彼は【自分の命をどうでもいい】と言っていたが、近藤さんだって沖田くんの命と引き換えに生き延びたいなんて思っちゃいないはずだ」
「……それでは失礼いたします。また何かあればお知らせしますので」
『はい、ありがとうございます』
鶴姫は深々と一礼し、松本や千姫たちを送り出した。
ここから数日、鶴姫は付きっきりで沖田の看病を続けた。
近藤が置かれている状況を思うと、気ばかりが焦って仕方がない。
だが、沖田も労咳の発作が治まるまでは養生すると鶴姫と約束した。
『総司、まだ起きてる?開けるよ』
そう声をかけて襖を開けるとそこには起き上がっている沖田がいた。
『何してるの!?また咳が出たら…』
「大袈裟だなあ。あそこにある刀を取ろうと思っただけだよ」
『刀って……まさか、その身体で近藤さんのところに行くつもり?』
「君って早とちりだよね。僕だって無駄死なんて御免だよ。近藤さんの仇を取るのは体調がもう少しマシになってからに決まってるでしょ」
『…………』
沖田の言葉に鶴姫は胸を撫で下ろす。
「あそこにある刀を取ってくれる?」
『分かった。これでいい?』
鶴姫は刀掛けに掛けてある一振の刀を両手で持ち上げ沖田へと差し出す。
真新しいその刀は両手で持ってもずっしりと重い。
「…………ありがとう」
沖田は感慨深そうに、その刀を抜いて目を細めた。
『その刀、いつも使っているものとは違う』
しかし、沖田はその問いには答えなかった。
「……昨夜ね、近藤さんの、夢を見たんだ」
『近藤さんの?』
「…………うん」
どこか寂しげに笑いながら沖田は夢の内容を話してくれた。
あれは……三年前のことだったかな。
幕府から二度目の長州の視察を命じられた日、近藤さんが僕の部屋に来たんだ。
「総司、お前も聞いてると思うが……俺は幕命で今度、長州の視察に行くことになったんだ」
「その話は聞いてますけど、別に近藤さんが行く必要なんてないんじゃないですか?そういうのが得意な人はほかに沢山いるでしょう?」
「そういうわけにはいかんさ。これは、幕府直々の命令だからな」
「じゃあ、僕も一緒に行きます。長州なんかに行ったら、いつ暗殺されるか分からないじゃないですか」
そしたら近藤さんはいつになく厳しい顔になって──。
「ダメだ。同行は許さん」
「……どうしてです?近藤さんを守るのは僕の役目でしょう」
だけど近藤さんは僕の問いかけには答えてくれなかったんだ。
ただ傍らに置いてあった刀を差し出してきて。
「これは……?」
「山城守藤原国清だ。おまえずっと菊紋の刀を欲しがっていただろう?」
確かに雑談の最中、近藤さんにそういう話をしたことはあったけど。
「どうしていきなりこれを?」
すると近藤さんは真剣な目でじっと僕を見つめてきたんだ。
「天然理心流五代目宗主に相応しい刀だと思ってな」
「──!」
近藤さんの言葉で全身の血が逆流するかと思った。
だって僕が天然理心流を継ぐってことはーー。
「……受け取れません、お返しします」
「おい、総司……」
「僕が五代目を継ぐとしたら、もっと……ずっと先のことです。近藤さんが周斎先生の跡を継いだ時みたいに──近藤さんがお爺さんになって、どうしても木刀を振るえなくなった、その時だけですよ」
近藤さんは、聞き分けのない子供を見下ろすような目で僕を見てたけど、やがて……。
「総司、そう言ってくれるのはありがたいが……。今はいつ何時、万一のことがあるかわからん時代なんだ。俺は、百姓の生まれだが……。武士となった今、いつでも将軍公の為、この命を捨てる覚悟をしている。だが、もし天然理心流の名が俺の代で耐えてしまうことになったら、死んでも死にきれんよ」
「…………」
僕がずっと顔を伏せたままでいると……。
近藤さんは僕の方に手を置いた。
「……頼んだぞ、総司」
そう言って僕にその刀を握らせたんだ。
「……酷い人だよね、近藤さんって。近藤さんの跡を継ぐことなんて出来るはずないじゃない。僕はまだ……教えてもらってないことが沢山あるのに」
『総司……』
「この刀を、近藤さんの形見になんてさせない。させてたまるもんか」
沖田はしばらくの間、悲しみと悔悟に沈んだ表情で刀を抱きしめていた。
「……これ、ありがとう。刀掛けに戻しておいて」
鶴姫はその刀を受け取り、再び刀掛けへと戻した。
障子戸の向こうから虫の声が漏れ聞こえてくる。
しばらくその声に耳を傾けたあと、沖田は不意に言った。
「……ねぇ、鶴姫ちゃん。君は僕が近藤さんのところに行くの、反対?」
『…………』
【総司を近藤さんの元へ行かせてはいけない】と──。
松本からきつく言われている。
でも……
『私には止めることはできない。総司の気持ちはよく分かるから……』
すると沖田はほっとした様子で口元を緩める。
「……君ならそう言ってくれると思った。ねえ、鶴姫ちゃん。こっちにおいで」
『?』
「……おいで」
重ねて促され、鶴姫は言われるまま沖田の布団へと近づいた。
すると手首を捕まれ、そのまま引き寄せられる。
こうして沖田に抱き寄せられるのは初めてではないけれど、何度触れられても慣れない。
彼の温もりに包まれると、それだけで、鼓動が高鳴りをましてしまう。
けれどその一方で沖田の傍らこそが自分の居場所なのだと確かな安堵も胸に兆す。
「僕のこと心配なんだよね?」
『…………もちろん』
鶴姫は沖田に身を預けたまま、唇をぎゅっと噛んだ。
肺の病に蝕まれている沖田を死地に送り出すなど本当ならしがみついてでも止めるべきなのだ。
それでも沖田にとって近藤がどれほど大切なのか、分からないわけじゃないから。
「……僕、最初に会った時から君に酷いことばかりしてきたと思うんだけど、それでも離れていかないのは、どうして?」
『……私にも分からない』
「本当に分からない?それとも僕に変若水を飲ませたのが君の兄さんだったから、負い目でも感じてるの?」
『……負い目じゃないよ』
「じゃあ、どうして?こないだ血を飲ませてくれたときだって、唇を斬られたのに嫌がる素振りもなかった」
『……』
「僕のわがままだって聞いてくれる」
鶴姫の心はもう、その問の答えを見つけ出してしまっている。
けれども、沖田が今、第一に考えるべきことは近藤を助け出すこと。
だとしたら彼の心を掻き乱すようなことなんて、言うべきでは無い。
『……ただ、放っておけないだけ』
「…………そっか」
鶴姫の答えは沖田が求めるものでは無かったのか。
沖田は少し失望した様子で息を吐き出す。
『総司は?どうして私をこうして抱き締めてくれたり傍においてくれるの?』
すると沖田はいつもの意地悪な表情になってーー。
「君が答えてくれないから、僕も答えてあげない」
仕返しだと言わんばかりにそう答えた。
それから数日後の夜、意外な人物が隠れ家を訪れた。
「……よう、しばらくぶりだな」
『土方さん……!ご無事だったんですね!』
「総司のやつはどうしてる?具合が良くねえって聞いたが」
『今眠ってます。お呼びしましょうか?』
「……いや、いい。あいつは俺の顔なんざ、見たくもねえだろうしな。今日来たのは他でもねえんだ。今の江戸の状況はお前もよく知ってると思うが、おまえ、この先どうするつもりだ?新政府の奴らは俺たちを恨んでる。これ以上関わり続けると、どんな目に遭わされるか分からねえぜ」
『私は沖田さんのお傍にいます。今の沖田さんを放っておくことなんてできませんから』
「………そうか。ありがとよ、礼を言っとくぜ。……俺たちはもう、あいつと一緒にゃいてやれねえからな」
『…………』
「それじゃ、俺はもう行く。総司のやつによろしくな」
『お待ちください。外までお送りします』
鶴姫は身を翻して玄関に向かう土方の背を急いで追いかけた。
『あの……、一つお聞きしてもいいでしょうか?』
「ん?なんだ」
『……近藤さんが敵に捕まってしまったのは、本当ですか?』
「……ああ。」
『やっぱり、本当なんですね。どうしてそんなことになったのでしょうか』
「流山に隠れてた時、敵に囲まれてな。俺たちを逃がすため、自分から新政府軍に投降したんだ。偽名を使うから、敵に気づかれることはねえだろうって言ってたが……」
この口振だと、土方も近藤が無事でいられる公算は低いと思ってるに違いない。
新政府軍に近藤の顔を知る者がいてそこから身元が割れたとの話もある。
隠し通すことはもはやできなくなってしまった。
「総司のことだからどうせ、俺が近藤さんを見捨てて自分だけ逃げたとでも思ってやがるんだろ?」
『それは──沖田さんに私がきちんと説明します』
「いや、やめとけ。アイツには何も言わねえほうがいい」
『どうしてですか?』
「状況がどうであれ近藤さんを見捨てたってのは嘘じゃねえからな。八つ当たり先が無くなっちまったら、あいつ、本当に生きる気力をなくしちまうだろ」
『しかし……』
鶴姫が納得できずにいると、土方は目を細めて夜空に瞬く星々を見上げる。
「……この場であいつにぶった斬られて何もかも終わりにしちまえるんなら、楽なんだがな」
その言葉に鶴姫はハッとする。
近藤が投降したことで生きる気力をなくしてしまっているのはむしろ土方の方なのかもしれない。
やがて土方は込み上げてきたものをぐっと堪える表情になった。
「俺たちはこれから、北へ向かう。……死ぬんじゃねえぞ、穐月」
短い別れの言葉の後、土方はその場を歩き去った。
少しづつ遠ざかる背中を見送ったあと、鶴姫は再び建物の中へと戻る。
玄関に戻った時、廊下の向こうに人影があることに気づく。
「……今、外で人と話ししてたでしょ?誰が来てたの?」
『……』
「当ててあげようか。土方さん?」
『っ……』
「やっぱりそうだったんだ。あの人、何しに来たの?近藤さんを見捨てた言い訳でもしに来たのかな?」
『違うの。土方さんは──』
「どうしてあんな人の肩を持つのさ?事情があったにせよ、近藤さんを助けずに自分だけ逃げたのは変わらないじゃない!近藤さんは今も、土方さんが助けに来てくれるって信じてるはずなのに──うっ………!げほっ、ごほっ…!がはっ、ごほっ!」
沖田はその場にうずくまり、肺が壊れてしまいそうなほど激しく咳き込んだ。
『総司……お願いだから自分を見失わないで。気をしっかり持って』
かける言葉が他に見つからなくて、鶴姫は沖田の身体を強く抱き締めた。
To be continued