入隊希望者とその親族関係の明記を。
あなたを守ること 沖田
入隊希望者名簿
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
慶応三年十二月中旬
将軍職が廃止された後、徳川慶喜公が下坂。
幕府軍も慶喜公に付き従い、大坂には戦力が集結し始めた。
けれど、状況は読めないままだった。
この国で何が起きているのか、自分たちの目では察しきれなかった。
とにかく、朝廷で横暴な振る舞いを続けている薩摩を何とか抑えなければならない。
薩摩の手から朝廷を取り戻し慶喜公を新政府に迎えさせよう。
そるがお国のためなのだと信じて新選組は一触即発の京に身を置いていた。
十二月十六日。
新選組は他藩の戦力と共に伏見奉行所の守護を任されていた。
夜の警護は羅刹隊を中心に行われている。
主には山南、藤堂、そして沖田。
「んな不安そうな顔すんなよ、龍之介」
『いや、俺は別に』
「何言ってんだよ。鏡で見てみるか?顔面蒼白だぜ」
『そんなに……』
なるべく表情には出さないつもりだったが、意識しないようにすることは意識してるのと同じこと。
藤堂には気づかれていたらしい。
「大丈夫だって。所詮あっちは大した人数も揃ってねえんだからさ」
「藤堂くんの言う通り、幕府軍には圧倒的な兵力があります。薩長軍も、すぐに思い知ることでしょう。」
山南の口調からは揺るぎない自信が感じられる。
したし、気のせいか少し顔色が悪いように見えた。
「向こうの部隊が洋式化されてるのはちょっと気にかかりますけどね」
「それもまた、恐るるに足りませんよ。異国の武器がなんだと言うのです?……なにより幕府には私たち羅刹がいるのですから」
山南は鶴姫たちに背を向けてそのまま建物の中へ歩き去っていく。
「……僕らが飲んだ変若水って、元々は異国の薬だった気がするけどね」
『まあ……』
戻って行った山南の様子を見ていると、どうしようもなく不安になってしまう。
もしかしたら彼はもう血に狂い始めているのではないかと。
「オレ、山南さんの様子みてくる。目を離すの心配だし」
『わかった』
鶴姫が頷くと藤堂は山南を追いかけていった。
ふと不安になって、鶴姫は沖田の方を振り返る。
『沖田組長は大丈夫ですか?どこか痛いとか具合が悪いとか』
「──血が欲しいとか?」
『……』
「そういうのは全然感じたことないよ。……今のところは、だけど」
『そう、ですか……』
沖田の言葉に鶴姫はほっと胸を撫でおろす。
「山南さんはどうか知らないけど、平助も、そういうのは無いらしいから」
『………』
「どうして龍之介が暗い顔するの?もしかして、まだ気に病んでる?」
『………』
「確かにいろいろあったけど、薬を飲むって決めたのは僕なんだよ?自分で選んだ道なんだから別に龍之介のせいじゃない。……もちろん君のためでもない」
『分かっています。でも体調の方は悪くないんですよね?あの薬について蟠りはありますけど、それでも沖田組長が元気になって下さったのは嬉しいです』
「…………」
『沖田組長?』
「……いや、なんでもない。実際、調子はすごくいいよ。こんなに身体が軽いのは久しぶりかな」
『そうですね。顔色もすごくいいですし』
ずっと沖田を苦しめていたあの咳も今は止まっている。
それが鶴姫には嬉しかった。
「労咳が治ったのは僕も嬉しいよ。でも……ずっと聞こうと思ってたんだけど、どうして龍之介は夜の警護に参加してるのかな?今回の敵は薩摩なんだよ?」
『分かってます。俺を狙う鬼も参戦してくるでしょうし危険な戦いになることも承知の上。ただ、じっとしていることが出来ないだけです』
「別に【何もするな】なんて言ってないよ。君みたいなお子様は早く寝ろって言ってるの。昼間働けばいいじゃない。土方さんや一くんと一緒に」
『羅刹隊でもない俺が混じるのは邪魔以外の何者でもありませんが、動ける人は少しでも参加するのがいいと思った迄です。それに俺は沖田組長の小姓です』
「…………この戦いはきっと長く厳しいものになる。山南さんが言ってたほど、簡単には終わらないよ」
沖田は言うだけ言うと鶴姫の傍から離れていってしまった。
十二月十八日
新選組が奉行所の守りについてから二日後。
仮眠から目覚めた時、奉行所ないがやけに騒がしいことに気づく。
「一番組と二番組、表に集合!」
永倉の叫ぶ声がする。
「さっさとしやがれ!おら、伏見街道に急ぐぞ!」
永倉は多くの隊士を連れバタバタと奉行所を出ていった。
行き来する人の波をぬって鶴姫は騒ぎの中心をのぞき込む。
そこには負傷した近藤の姿があった。
二条城からの帰りに襲撃を受け右肩を撃たれたとのこと。
周囲を刺客に取り囲まれたがそれを突破し奉行所まで帰還してきたということだ。
「……さっきから、うるさいな。一体なんの騒ぎ?」
『総司、寝ていなくて大丈夫?といってもこの騒ぎでは眠れるものも眠れないか』
「うん。……ていうかその言葉、そっくりそのまま鶴姫ちゃんに返したいんだけど」
『私は先程仮眠したから大丈夫』
「それで、何が起きたんです?」
「近藤さんが撃たれた」
「──なっ!?」
端的な返答に沖田は目を見開いた。
「それで!?傷の具合はどうなんです!?深いんですか?」
「……浅くはねえよ」
「浅くは無いって……!近藤さんが怪我をしたっていうのに、どうしてそんな平気な顔をしてるんです!」
つかみかからんばかりの勢いで沖田が土方に詰め寄った。
こんなに動揺している沖田を見るのは初めてのことだった。
『総司、落ち着いて。急いては事を仕損じるという言葉がある。頭に血が上っていては正常な判断もできなくなるよ』
鶴姫は土方と沖田の間に滑り込み沖田を抑える。
「総司、落ち着きなさい。トシさんを責めても仕方ないだろう」
「……落ち着いてますよ、僕は。そんなことより、詳しい話を聞かせてください。撃ったのは、誰なんです?もう殺すか捕まえるかしたんですよね?」
「それについては俺の方から説明します。実は……」
島田は落ち着いた声で近藤が襲撃された時の出来事をもう一度語った。
「三人しか護衛を付けなかったんですか?今は危険な時期だってわかってるくせに、どうしてそんな状態で行かせたんです!?」
「近藤さんが二条城に向かったのは、新選組局長として軍議に参加するためだ。幕軍のお偉方が集まる場所に、護衛をぞろぞろ引き連れて行けるかよ」
「新選組を悪くいう人は幕軍の上層部にもおられますから」
「後ろ指さされたら格好つかないからですか?場合によっては殺されててもおかしくなかったんでしょう。近藤さんの命よりも、見栄を張ることの方が大事なんですか」
「誰もんなこと言ってねえだろうが」
「じゃあ、どうして──!」
「総司。トシさんを責めるのはお門違いだよ。護衛をなるべく少なくしたいというのは、勇さんが希望したことなんだから。武勇の誉れだかい新選組局長が護衛を沢山引連れていたら何を言われるか分からない、と言ってね」
「責めるならば我々を責めてください。護衛を任されていながら局長をお守りできなかったのですから」
「銃から人を守るのは簡単じゃない。……島田さんは悪くありませんよ。近藤さんを危険に晒したのは、少人数での外出を許した土方さんです。近藤さんの希望だっていうのも、どこまでが本当なのか分かりませんし、誰かが入れ知恵したんじゃないですか?見栄っ張りな土方さんとかね!」
「総司!」
「近藤さんは……奉行所の警備を手薄にしてまで己の保身を図るような真似はしたくなかったんだと」
自分の安全よりも慶喜公の御威光が大事。だから自分の護衛は必要ない。
確かに近藤ならそれくらい言いそうな気がした。
「……ただ、近藤さんをあのまま行かせたのは俺の手落ちだ。そのことに関しちゃ言い訳をするつもりはねえ」
「……もし近藤さんが死んだら、土方さんのせいですからね。そんなことになったら、僕絶対許しませんよ。どこまでも追いかけて……土方さんを斬ってあげますから」
沖田は黒い炎が宿ったような瞳でしばらくの間土方を睨みつけたあと自分たちの部屋へと戻ってしまった。
そして日が暮れたあと、原田と永倉が帰ってきた。
「あ、永倉さん、原田さんお帰りなさい」
『犯人のこととかわかりましたか?』
「いや、残念ながらなんの手がかりも得られなかったぜ」
「……ただ、襲われた時に殺された隊士を連れ帰ることは出来たから行った甲斐はあったがな」
「それより、近藤さんの容態はどうなんだ?少しは持ち直してきたのか」
『それが……高熱を出してらして話が出来ない状況なんです』
「……そりゃ、まずいな。ここよりももう少し医術の道具が揃った場所に移した方がいいんじゃねえか」
「はあ……近藤さんも運が悪いよね」
『総司…』
「あれ、どうしたの?お化けにでもあったような顔しちゃって……まあ、化け物なのは確かだけど」
『どうかしたの?』
「別に、どうもしないけど?いつもと違うように見える?」
『そういう訳じゃない』
「あ、僕平助に用があるんだった。ちょっと行ってくるから鶴姫ちゃんはここで待っててくれる?」
『……分かった』
「それじゃ新八さんも左之さんもまた後でね……近藤さんの事よろしく」
沖田はそう言い残し建物裏へと向かった。
その後、山崎と今後のことについて話し合ったあと、鶴姫は再び広間へ戻ってくる。
空を見上げるとちぎれた雲にお月様が隠されていた。
そして、沖田が藤堂のところに行くと言ってからどれくらいたっただろう。
「おい、鶴姫!鶴姫いるか?」
『平助……どうかした?』
「総司の奴、見かけなかったか?どこにも見当たらねえみてえなんだけど」
『え?総司なら平助のところに行くって……』
「オレを?嘘だろ、それ。オレ、いつもの場所にずっと居たけど、総司なんて来なかったぜ」
『そんな!じゃどこに……。平助、総司が居ないことを土方さんに伝えてくれる?何だか嫌な予感がする』
「……だよな。近藤さんがあんなことになった後だし。ったく大丈夫なのか?あいつ。とんでもねえこと、しでかさなきゃいいけど」
藤堂はそう呟きながら土方の元へと急ぐ。
鶴姫は許しを得ずに一人で外出したら後でどうなるか分からない、そう思いながら昼間の我を忘れた沖田のことを思い出す。
さっき会った時の妙に落ち着いた物腰も気になる。
今の沖田をほうっておくことはできないと、鶴姫は我を忘れて駆け出した。
『はっ、はぁ、はっ、はぁ、』
息が切れるのも構わず夜の大通りを走って、走って──。
とある大通りの真ん中で沖田の姿を見つける。
その剣筋は今までに見た事がないほど精緻で、ひたすら壮絶だった。
人の急所を瞬時に刺し貫き、返す刀で別の人を斬り付ける。
血にまみれた等身を懐紙で拭うことすらせず、ただ、斬って斬って斬って──。
「この剣筋、まさか……!新選組の沖田か?」
「ご名答。でも殺される寸前に気づくって言うのは、ちょっと遅すぎじゃないかな?」
「新選組の沖田が来た!ここら退くぞ!」
「……馬鹿だなあ。逃がすとでも思ってるの?」
沖田の動きになんの迷いもなかった。
「や、やめ──」
精強だと聞く薩摩藩士でさえ、沖田の剣の前にはひとたまりもない。
目の前の敵を殺すためだけに、沖田はただただ剣を振るう。
『総司!』
沖田はただのひとりも逃さなかった。
ただの人間を圧倒する強さで、敵陣を壊滅に追い込んだのだ。
通りには、無惨に斬り殺された骸が血の匂いを漂わせながら横たわっている。
やがて沖田はどこか生気に欠ける足取りで歩き出した。
まるで次に殺す相手を探しに行こうとでもしているみたいに──。
『総司!』
鶴姫は思わず沖田の前に立ちはだかった。
「何しに来たの?」
冷えた眼差しで鶴姫を見下ろしながら、沖田は問う。
沖田の全身から立ちのぼるような凄絶な殺気に気圧されそうになる。
『……総司を止めに来た』
「僕を?君が?僕は自分の務めを果たしてるだけだよ。君にどうこう言われる筋合いはないんだけど」
『総司がしていることは本当に新選組の務めなの?』
「決まってるじゃない。新選組の……近藤さんの敵を殺すのが僕の役目なんだから」
『これが役目だと本当に思ってるのなら、どうして誰にも言わずに出てきたの?』
「……」
『分かってるんでしょ。これは正しくないことだって。正しくないと分かっているから誰にも何も告げずに出てきた』
「僕がしているのはただの私闘だって言いたいの?」
『それ以外に何があるの』
「そうだとしても……それの何が悪いのかな?僕の仕事は殺し合いをすることなんだ……たとえ目的が不純でも、敵を殺すことさえ出来れば問題ないと思うけど?」
『総司は自分から薬を飲んだと言った。羅刹になったのは自分で選んだ道だと』
「言ったかもしれないけど、それがどうかした?」
『もし一度、正しいと信じた道なら何があっても貫き通して真っ直ぐに歩き続けてほしい』
「君が何を言ってるのか、よく分からないんだけど。僕は剣にしかなれない。……人を殺すことしか出来ないんだ。正しいとか悪いなんて基準は僕には元から無いんだよ。近藤さんのためになるんなら、どんな相手でも斬ってみせる。……今までずっと、そうやって生きてきたんだから」
頑なな言葉とは裏腹に沖田の瞳が揺らいでいるのがみてとれた。
沖田が今までどんな人生を送ってきたのか、どんな思いをしながら生きてきたら、こんな言葉を紡ぐようになるのか。
『総司が自分のことを人殺しの道具としか思えないのなら、それはそれでいいと思う。でも、自分の心に嘘をつくべきじゃない』
「自分の心に?」
『大切な人が怪我をしてとても苦しい思いをしているのは分かるつもり。傍にいても近藤さんに対して何か出来る訳じゃない。もし役目を全うして奉行所を守りきっても近藤さんが助かるかどうから分からない。その気持ちはよく分かるけど、決して自分を見失わないでほしいの。総司の役目は本当に感情に任せて剣を振るうこと?自分には人を斬ることしか出来ないと本気で思ってる?』
沖田はしばらくの間、さもうっとうしげに鶴姫を見下ろしていた。
だけど、やがて。
「……ねえ、鶴姫ちゃん。あんまり生意気なこと言ってると、今度こそ君を殺しちゃうかもしれないよ?」
『殺したいなら殺せばいいじゃない。それで本当に総司にとって邪魔な人間が一人でもいなくなるなら』
「……さっさと退いてくれる?君みたいに訳知り顔で人の心に踏み込んで来るやつって虫唾が走るんだよね」
『絶対にどかない!』
沖田を行かせては行けない。
たとえ斬り殺されてしまったとしても、鶴姫はできる限りのことをしなくてはと、そう思ったのだ。
沖田が本気で言っていることは分かった。
だからこそこちらも本気で望まなくてはならない。
『さっきも言ったけど、どうしても行くのなら私を殺して』
そう言って沖田が握る刀を自分の喉元に持っていく鶴姫。
堅く刀を握る手からは血が滴り落ちる。
沖田はなにか珍しいものを見るような眼差しで暫く鶴姫を見下ろしていた。
右手にある刀で鶴姫を斬り殺すことなど沖田にとっては造作もないはずなのに。
やがて、その睫毛が落とす影が微かに震えて
「……どうしてそこまでできるのかな。僕なんかを命懸けでとめたって誰一人褒めてなんてくれないのに。ただのバカだって思われるだけなのに。それなのに、どうして……」
『誰も褒めてくれないかどうかはやってみるまで分からない。私は総司のことを放っておけないだけ』
鶴姫の返答に沖田は小さく笑った。
「変な子だよね、君って」
『そんな変な子を小姓にしたがったのは総司じゃない。つまりは総司も変な人ってこと』
鶴姫も少し笑って刀を離す。
「手出して。」
『すぐ治るよ』
「いいから」
沖田はそう言うと鶴姫の手に布を巻き付ける。
今はまだ血を見ても吸血衝動は起きていないらしい。
「無茶するね」
『無茶してでも止めるのが小姓の務め』
二人の間に静かな時間が流れた時、沖田を探して走り回っていた原田、斎藤と合流する。
「……ようやく見つけたぜ。こんな場所まで来てやがったのか」
『原田さん、斎藤さん……』
「……総司。派手に動きすぎだ。もし他藩の者に見咎められたら、どうするつもりだったのだ?」
「見つかるようなヘマはしないよ。見くびらないでほしいなあ」
「……あんたの気持ちはわからぬでもないが。局長の容態は峠を越えた。命に別状は無いだろう」
「──!」
『斎藤さん、それは本当ですか?』
「信じられぬのであれば、奉行所に戻ったあと、己のめで確かめるといい」
『はい。……良かったね、総司』
「……本当なの、一くん?本当に、近藤さんは……」
「俺がこういった場での冗談を好むかどうかは、あんたがいちばんよく知っているはずだが……これ以上、局長にご心配をかけるような真似はするな」
「そっか……。近藤さん、助かるんだ。良かった……」
沖田はそれ以上の言葉なんて出ない様子だった。
沖田の広い肩から一気に力が抜ける。
「総司も総司だが……鶴姫、お前も少しは自重しろよ?」
『あっ!すみません……私も何も言わず出てきてしまって』
鶴姫がお詫びの言葉を口にした時、遠くから呼子の音が響いてきた。
大急ぎでその場を離れ、伏見奉行所を目指した。
帰り着いた鶴姫たちを出迎えたのはいつもより不機嫌な顔をした土方だった。
「……ったく、この大馬鹿野郎どもが」
『申し訳ありませんでした……』
言葉こそぶっきらぼうだが、土方はとてもほっとしていたように見えた。
きっと鶴姫達のことを、沖田のことをすごく心配していたのだ。
「今回だけは大目に見てやる。だが、二度と勝手な行動を取るんじゃねえぞ」
「奇遇ですね、土方さん。僕も似たようなこと考えてたんです。近藤さんが助かったから、僕も今回は大目に見てあげようと思います」
「ああ、そりゃありがとよ」
「……ですけど、僕はまだ土方さんを許したわけじゃないですから」
沖田は一方的に言い切るとそのまま玄関に向かってしまった。
『……あの、私の処分は』
許しもなく外に出てしまった鶴姫はやはりお咎めが何かあるのではとハラハラしていた。
「総司が飛び出していかなきゃ、おまえも出ていかなかっただろ?」
『それはもちろんです』
「となりゃ、総司が原因じゃねえか。あいつを無罪放免にしたのに、お前にだけ罰を与えるなんてことは出来ねえだろ」
『………』
「……分かったら少し休め。昼から寝てねえだろ、おまえ。それと、その怪我、ちゃんと診てもらえ」
『ありがとうございます、土方さん』
改めて深々と頭を下げる。
奉行所の中へと足を踏み入れたとき、背後で「……結局すべての責任は俺にあるって事か」とぽつりと漏れた土方の呟きを聞いたような気がした。
そして翌日十二月十九日。
鶴姫が目を覚ましたのは夕刻を過ぎてからだった。
自分で思っていた以上に疲れが溜まっていたらしい。
大急ぎで支度をして今日も夜の警護に参加する。
『総司』
「ん、なに?」
『……近藤さんはどちらにいらっしゃるか知ってる?さっき部屋を覗いたら姿が見えなくて……』
「大坂の松本先生のところに行ったんだって」
『松本先生のところに?』
「うん。その間、隊の指揮権は土方さんが預かることになるみたい。とりあえず松本先生が診てくれるんなら心配はいらないかな。色々と口うるさいこと言われるけど、腕は確かだし」
『口うるさいなんて失礼だって。先生は総司のことをとても心配してくださっているんだから』
「それは、よく分かってるけど。口うるさいのは本当じゃない」
口ぶりからして沖田の様子は随分落ち着いているよう。
昨日の今日であるし、警戒をとくのはまだ早い。
今日こそ平和に終わるように願った時だった。
眠りの中にある夜の町に銃声が響き渡る。
『総司!』
鶴姫は慌てて沖田を引き留めようとするが、鶴姫たちを挑発するかのように銃声が立て続けに木霊した。
沖田は鶴姫にごめんとだけ言って飛び出してしまった。
それに続き鶴姫も後を追う。
「どうして追いかけてくるのさ?危険だから奉行所で待ってなよ」
『総司のことが心配だから』
「僕は君に心配されなきゃならないほど弱くはないんだけど?確かにちょっと前までは病気で寝込んでたけど、今は違うし」
『そういう強いとか弱いとか関係ない。なにか起きるんじゃないかと心配なの』
「……本当、変な女の子だよね、君って。さっさと行くよ。銃声が聞こえた方に近藤さんの仇がいるかもしれないんだから」
『はい!』
二人は息を切らせながら底冷えする夜の京を駆け抜けた。
どうやら京の人達は、戦を警戒して家に閉じこもっているらしい。
通りには人の気配がまるでなかった。
「!あの人影は、まさかーー」
なにかに気づいた様子で、沖田は裏通りへと姿を消す。
慌てて鶴姫も後を追う。
「……久しぶりって言っていいのかな。近藤さんを撃ったのは君?」
静かな殺意を瞳に込めながら、沖田は暗がりを睨みつけている。
その視線の先にいたのは穐月楽だった。
『兄さん……』
「どういう心境の変化なんだ?」
『?』
「この前あった時は敵を見るような目でこの俺を睨んでたのになあ。この期に及んで【兄さん】、か。おまえのそういう所に、無性にイライラさせられる。」
鶴姫はぐっと唇を噛み締める。
沖田を罠にはめ変若水を飲ませたのは彼だ。
けれど、身を分け合った兄であるという事実が鶴姫の心を乱していく。
そんな鶴姫とは対照的に、沖田は冷然としていた。
「さっきの質問に答えてくれるかな?それとも、喋りたくなるようにさせてだけようか?──この剣で」
「やれやれ、証拠もないくせに俺を疑うのか?これだから人間ってやつは……そういえば、ちょうどあの日だったかな、御陵衛士の残党に会った」
『御陵衛士?』
「アイツら、騙し討ちにされた伊藤の恨みをどうしても晴らしたいらしい。だが、奉行所に討ち入っても仇討ちを成功させる公算は低いって言ってたから街道に張り込んでみたら、とは助言してやった記憶があるな」
「…………」
『じゃ、あなたが彼らを…!?』
「誤解しないでくれよ?別に悪気はなかったんだから。新選組局長ともあろう人間がまさかなあんなに隙だらけだとは、さすがに思わなかったけどな!」
「このっ……!」
沖田が飛び出そうとした刹那──
楽は不意にぱちんと指を鳴らした。
物陰に隠れていた人々が、一斉に二人を取り囲む。
『数が多い……』
思わず驚いた隙に楽は飛び退いて二人から距離をとった。
「……随分分かりやすい罠だなあ」
「負け犬の遠吠えというやつか?まあいいだろう、好きなだけ吠えてればいい。どうせおまえたちの命は風前の灯火なのだから」
沖田と楽は冷笑を浮かべながら睨み合っていた。
鶴姫も自分の身を守るため、腰の脇差に手をかける。
「……だが、相手は新選組の沖田総司だ。銃で狙ってもなかなか当たらないだろう」
「悪いけど、その遠回りな喋り方、いちいち癇に障るんだよね。言いたいことがあるなら、単刀直入に言ってくれる?」
「別に、お前と話してるわけじゃない。弱いやつから狙った方が楽だと倒幕派の皆に提案してるだけだ」
『……』
すべての銃口は鶴姫に向けられている。
「大した性格の悪さだね。どうすれば、そんな卑劣な手が浮かぶわけ?」
「なんとでも」
その言葉を合図に兵達の鉄砲が火を噴いた。
これだけの人数に囲まれていたら全て避けきれない。
そう思った時には何かが鶴姫の視界を塞いだ。
『総司!』
「ぐっ……!」
『どうしてこんなことするの!』
沖田の身体にできた傷からは血が溢れ出している。
沖田は懸命に痛みを堪えながら鶴姫を振り返った。
「……どこも、痛くない?」
『痛くないどころか傷一つ……。総司が庇ってくれたから……』
「……そっか。なら、いいんだ。」
安心したように微笑んだ後、ぐらりと沖田の身体が揺れた。
『総司、……総司!!』
鶴姫は必死に沖田の名を呼んだ。
これだけの大怪我をしているのに鶴姫が無事ならいいと言った。
今までなら殺すだの斬るだので鶴姫の心配などしなかったのに。
『何がいいのよ……何もよくないじゃない…』
涙が込み上げてきて視界が曇った。
『総司が怪我をおったら私だって悲しいの!近藤さんが傷を負った時、総司が悲しむように……あなたが傷ついたら……』
鶴姫がそう叫ぶも沖田は返事をしない。
苦しげな吐息を漏らすばかり。
『総司……』
銃による傷ならばさして深くないはず。
しかし、内蔵が傷ついていたら命に関わる。
そんな二人を眺めている楽は楽しげな笑みを浮かべている。
「間抜けだよなあ。まあ、沖田なら庇うと思ってたけどな」
『……最初から総司が狙いだったのね』
「あはははははっ、どうだろうな。どっちにせよ、誰かさんを守ったせいで沖田は重傷。こんな役たたずを庇って怪我をするなんてとんだ馬鹿もいたもんだ」
『……総司を馬鹿にするな!』
鶴姫の怒声に何人かが一歩後ずさる。
その瞳は紅くなり、角らしきものが髪の間から見えていたから。
確かに自分がいなければ沖田は無事だったかもしれない。
銃で撃たれることもなく包囲網を突破できたのかもしれない。
沖田が怪我をしたのは間違いなく自分のせいだと鶴姫は責めた。
叫び唇を噛む鶴姫を見て楽は不意に笑みを消した。
「……もっと苦しめばいい」
楽の合図で藩兵たちが下がっていく。
「お前も沖田もそう簡単には殺しはしない。……殺してやらんからな。可愛い妹と次に会える日が今から楽しみで仕方がない」
『楽!』
立ち去りかけていた楽がゆっくりと振り返って微笑んだ。
「ああ…………その顔、その声──絶望と怒りを知れば知るほどお前の顔は俺に似ていく……血の繋がりっていうのも、馬鹿にできないよな」
楽は藩兵を引き連れて夜の市中へ消えていく。
遠くからは人々のざわめきが迫ってきた。
それは銃声の調査を行いに来た、新選組の面々だった。
その後、隊士たちの手によって沖田は奉行所へ担ぎ込まれた。
「沖田君は銃撃を受けたのですか?」
『はい……私のせいで』
「たとえ最新型の連発銃を使っていようと、羅刹はその程度では死なないはずですが、銃による傷はいかに深くとも、小さな傷に過ぎません。……銃弾さえ摘出できれば見る間に回復するはずですが」
『ですけど……。それならどうして沖田さんは目を覚まして下さらないのでしょうか』
「……分かりません。敵方が持っていた銃になにか秘密があるのか、もしくは……」
そのあとも私たちは懸命に看病を続けたが、傷は塞がってくれず、沖田の容態は悪くなるばかりだった。
そんなあるとき、鶴姫は土方に呼び出された。
「……よう。悪いな呼び出しちまって」
『いえ……』
「実はな、山南さんとも相談して総司の身柄を大坂城に移すことになったんだ」
『大坂城に?』
「ああ。大坂城にゃ松本先生もいるし、ここよりは道具も揃ってるだろうからな」
『そうなんですね』
本当なら沖田の傍についていたい。
しかし、鶴姫は山崎や千鶴と共に怪我人の治療をしなくてはならない。
松本に任せておけば心配はいらないだろう、そんなことを思っていた時だった。
「穐月、お前も総司と一緒に大坂へ行け」
『えっ……』
あまりに意外な命令に鶴姫は目を見開く。
『私も沖田さんと…総司とご一緒していいんですか?』
「なんだ不服なのか?」
『そういう訳ではありません。どうしてなのか、ただ気になっただけです』
「京はもうすぐ戦場になる。ここにいると、お前も巻き込まれるかもしれねえからな。……何より総司の奴を放っとくと何をやらかすか分からねえだろ」
『土方さん……』
ありがたい心遣いに鶴姫は思わず涙が出そうになった。
『……ありがとうございます。ほんとうに…ありがとうございます』
鶴姫は深深と頭を下げ土方にお礼を言った。
十二月二十日、鶴姫は沖田と共に大坂城へと移った。
二人の護衛役として山崎も一緒に来ることになった。
松本に診てもらったが沖田の傷の具合はなかなか良くならず、眠れない日々が続く。
それから、年が明けてすぐの正月三日。
とうとう幕府軍と薩長軍の間で戦いが始まったという知らせが大坂城にもたらされた。
そして、大坂城にいた鶴姫は、新選組の誰よりも先にその戦の結末を知ってしまった。
『……総司。身体の具合はどう?……って、何してるの!』
「何って決まってるじゃない。これから、ここで戦いが始まるんでしょ?なら、僕も行かないと……」
『絶対だめ!まだ起きあがれる状態じゃないんだから寝てて。それに、今から行っても、できることは無いと思う……』
「どういう意味?僕なんかじゃ役に立たないって言いたいの?」
『そうじゃない。そうじゃないの……新選組が守っていた伏見奉行所は落ちた…井上さんが……その時に亡くなったそうなの』
「源さんが……?」
『………ええ。そして、今回の戦の総大将の慶喜公は、既に東帰されたとのこと。私達も、これから船で江戸に戻ることになるそうだから』
「…………」
明かされた事実のあまりの重さに、沖田は絶句している様子だった。
彼は布団の上に力無く座り込む。
「……そっか。源さん、亡くなったんだ。近藤さん、すごく悲しんでたでしょ?」
『……ええ、とても』
沖田はうなだれたまま独り言のように呟く。
「……僕は新選組の剣だったはずなのに」
【新選組の剣】──。
沖田は事ある毎にこの言葉を口にする。
それは口癖と言うよりは一種の呪縛のような響きを帯びているように感じられた。
「もう一度刀をとって戦うために、変若水まで飲んだのに……結局肝心な時に役に立たないまま、江戸に戻らなきゃならないなんて──」
『でも、総司は私を守ってくれた。新選組隊士では無いこの私を、身を呈して庇ってくれた。本当に感謝してる。あの時、総司が庇ってくれなければ私は死んでいたかもしれない。だから、肝心な時に役に立たないなんて言わないで……』
たまらずそうつむぎ座り込む沖田を優しく抱擁する。
「鶴姫ちゃん…」
『それにまだ、土方さんも隊士さん方も諦めてない。江戸に戻って再起を図ると言っていたし、その頃になれば近藤さんの傷も良くなっているはず』
沖田はしばらくの間俯いたまま黙り込んでいたが、やがて
「……そうだよね。あれだけ性格も諦めも悪い土方さんがこのままやられっぱなしのはずがないし。何より、近藤さんから新選組を預かってるんだから、それぐらいはしてもらわないと」
沖田の表情にようやく余裕が戻ってきたその時。
「鶴姫ちゃん。僕の刀を取ってくれるかな?」
鶴姫は沖田の瞳から投げやりな色が消えたのを確認して刀掛けに掛けてあった沖田の刀を取り、手渡す。
沖田は己の分身たるその刀を大切そうに握りしめながら尋ねてくる。
「ねえ、鶴姫ちゃん……。僕はまだ新選組の剣でいられるかな?」
先程も紡がれたその言葉は鶴姫に鈍い痛みをもたらした。
沖田の目に映っているのは近藤と近藤が作り上げた新選組、ただそれだけ。
それに比べればきっと沖田自身の存在すら取るに足らないものだと思っているに違いない。
そのことはわかっているけれど。
『もちろん。だから、今は少し休んでほしいの。戦うべきその時に、刀を摂ることができるように』
「……わかった。鶴姫ちゃんがそう言うんなら、江戸に戻るまでは大人しく養生するよ。江戸に戻った時、心置き無く刀を振るって、振るって──近藤さんの邪魔になるやつを、敵を……一人でも多く斬り殺せるように」
沖田が斬ろうとしているのは本当に近藤の敵、ただそれだけだろうか。
いざと言う時に動かない己の身体。
あるいは人としての生をも、この刀で斬り刻んでしまうつもりではないだろうか。
それが沖田の望みであることはわかっているけれど、どうしようもなく胸が痛くて、鶴姫は涙をこらえることが出来なかった。
俯く鶴姫に、沖田は何も言わずただ寄り添った。
そして二人は江戸へ向かう。
To be continued
将軍職が廃止された後、徳川慶喜公が下坂。
幕府軍も慶喜公に付き従い、大坂には戦力が集結し始めた。
けれど、状況は読めないままだった。
この国で何が起きているのか、自分たちの目では察しきれなかった。
とにかく、朝廷で横暴な振る舞いを続けている薩摩を何とか抑えなければならない。
薩摩の手から朝廷を取り戻し慶喜公を新政府に迎えさせよう。
そるがお国のためなのだと信じて新選組は一触即発の京に身を置いていた。
十二月十六日。
新選組は他藩の戦力と共に伏見奉行所の守護を任されていた。
夜の警護は羅刹隊を中心に行われている。
主には山南、藤堂、そして沖田。
「んな不安そうな顔すんなよ、龍之介」
『いや、俺は別に』
「何言ってんだよ。鏡で見てみるか?顔面蒼白だぜ」
『そんなに……』
なるべく表情には出さないつもりだったが、意識しないようにすることは意識してるのと同じこと。
藤堂には気づかれていたらしい。
「大丈夫だって。所詮あっちは大した人数も揃ってねえんだからさ」
「藤堂くんの言う通り、幕府軍には圧倒的な兵力があります。薩長軍も、すぐに思い知ることでしょう。」
山南の口調からは揺るぎない自信が感じられる。
したし、気のせいか少し顔色が悪いように見えた。
「向こうの部隊が洋式化されてるのはちょっと気にかかりますけどね」
「それもまた、恐るるに足りませんよ。異国の武器がなんだと言うのです?……なにより幕府には私たち羅刹がいるのですから」
山南は鶴姫たちに背を向けてそのまま建物の中へ歩き去っていく。
「……僕らが飲んだ変若水って、元々は異国の薬だった気がするけどね」
『まあ……』
戻って行った山南の様子を見ていると、どうしようもなく不安になってしまう。
もしかしたら彼はもう血に狂い始めているのではないかと。
「オレ、山南さんの様子みてくる。目を離すの心配だし」
『わかった』
鶴姫が頷くと藤堂は山南を追いかけていった。
ふと不安になって、鶴姫は沖田の方を振り返る。
『沖田組長は大丈夫ですか?どこか痛いとか具合が悪いとか』
「──血が欲しいとか?」
『……』
「そういうのは全然感じたことないよ。……今のところは、だけど」
『そう、ですか……』
沖田の言葉に鶴姫はほっと胸を撫でおろす。
「山南さんはどうか知らないけど、平助も、そういうのは無いらしいから」
『………』
「どうして龍之介が暗い顔するの?もしかして、まだ気に病んでる?」
『………』
「確かにいろいろあったけど、薬を飲むって決めたのは僕なんだよ?自分で選んだ道なんだから別に龍之介のせいじゃない。……もちろん君のためでもない」
『分かっています。でも体調の方は悪くないんですよね?あの薬について蟠りはありますけど、それでも沖田組長が元気になって下さったのは嬉しいです』
「…………」
『沖田組長?』
「……いや、なんでもない。実際、調子はすごくいいよ。こんなに身体が軽いのは久しぶりかな」
『そうですね。顔色もすごくいいですし』
ずっと沖田を苦しめていたあの咳も今は止まっている。
それが鶴姫には嬉しかった。
「労咳が治ったのは僕も嬉しいよ。でも……ずっと聞こうと思ってたんだけど、どうして龍之介は夜の警護に参加してるのかな?今回の敵は薩摩なんだよ?」
『分かってます。俺を狙う鬼も参戦してくるでしょうし危険な戦いになることも承知の上。ただ、じっとしていることが出来ないだけです』
「別に【何もするな】なんて言ってないよ。君みたいなお子様は早く寝ろって言ってるの。昼間働けばいいじゃない。土方さんや一くんと一緒に」
『羅刹隊でもない俺が混じるのは邪魔以外の何者でもありませんが、動ける人は少しでも参加するのがいいと思った迄です。それに俺は沖田組長の小姓です』
「…………この戦いはきっと長く厳しいものになる。山南さんが言ってたほど、簡単には終わらないよ」
沖田は言うだけ言うと鶴姫の傍から離れていってしまった。
十二月十八日
新選組が奉行所の守りについてから二日後。
仮眠から目覚めた時、奉行所ないがやけに騒がしいことに気づく。
「一番組と二番組、表に集合!」
永倉の叫ぶ声がする。
「さっさとしやがれ!おら、伏見街道に急ぐぞ!」
永倉は多くの隊士を連れバタバタと奉行所を出ていった。
行き来する人の波をぬって鶴姫は騒ぎの中心をのぞき込む。
そこには負傷した近藤の姿があった。
二条城からの帰りに襲撃を受け右肩を撃たれたとのこと。
周囲を刺客に取り囲まれたがそれを突破し奉行所まで帰還してきたということだ。
「……さっきから、うるさいな。一体なんの騒ぎ?」
『総司、寝ていなくて大丈夫?といってもこの騒ぎでは眠れるものも眠れないか』
「うん。……ていうかその言葉、そっくりそのまま鶴姫ちゃんに返したいんだけど」
『私は先程仮眠したから大丈夫』
「それで、何が起きたんです?」
「近藤さんが撃たれた」
「──なっ!?」
端的な返答に沖田は目を見開いた。
「それで!?傷の具合はどうなんです!?深いんですか?」
「……浅くはねえよ」
「浅くは無いって……!近藤さんが怪我をしたっていうのに、どうしてそんな平気な顔をしてるんです!」
つかみかからんばかりの勢いで沖田が土方に詰め寄った。
こんなに動揺している沖田を見るのは初めてのことだった。
『総司、落ち着いて。急いては事を仕損じるという言葉がある。頭に血が上っていては正常な判断もできなくなるよ』
鶴姫は土方と沖田の間に滑り込み沖田を抑える。
「総司、落ち着きなさい。トシさんを責めても仕方ないだろう」
「……落ち着いてますよ、僕は。そんなことより、詳しい話を聞かせてください。撃ったのは、誰なんです?もう殺すか捕まえるかしたんですよね?」
「それについては俺の方から説明します。実は……」
島田は落ち着いた声で近藤が襲撃された時の出来事をもう一度語った。
「三人しか護衛を付けなかったんですか?今は危険な時期だってわかってるくせに、どうしてそんな状態で行かせたんです!?」
「近藤さんが二条城に向かったのは、新選組局長として軍議に参加するためだ。幕軍のお偉方が集まる場所に、護衛をぞろぞろ引き連れて行けるかよ」
「新選組を悪くいう人は幕軍の上層部にもおられますから」
「後ろ指さされたら格好つかないからですか?場合によっては殺されててもおかしくなかったんでしょう。近藤さんの命よりも、見栄を張ることの方が大事なんですか」
「誰もんなこと言ってねえだろうが」
「じゃあ、どうして──!」
「総司。トシさんを責めるのはお門違いだよ。護衛をなるべく少なくしたいというのは、勇さんが希望したことなんだから。武勇の誉れだかい新選組局長が護衛を沢山引連れていたら何を言われるか分からない、と言ってね」
「責めるならば我々を責めてください。護衛を任されていながら局長をお守りできなかったのですから」
「銃から人を守るのは簡単じゃない。……島田さんは悪くありませんよ。近藤さんを危険に晒したのは、少人数での外出を許した土方さんです。近藤さんの希望だっていうのも、どこまでが本当なのか分かりませんし、誰かが入れ知恵したんじゃないですか?見栄っ張りな土方さんとかね!」
「総司!」
「近藤さんは……奉行所の警備を手薄にしてまで己の保身を図るような真似はしたくなかったんだと」
自分の安全よりも慶喜公の御威光が大事。だから自分の護衛は必要ない。
確かに近藤ならそれくらい言いそうな気がした。
「……ただ、近藤さんをあのまま行かせたのは俺の手落ちだ。そのことに関しちゃ言い訳をするつもりはねえ」
「……もし近藤さんが死んだら、土方さんのせいですからね。そんなことになったら、僕絶対許しませんよ。どこまでも追いかけて……土方さんを斬ってあげますから」
沖田は黒い炎が宿ったような瞳でしばらくの間土方を睨みつけたあと自分たちの部屋へと戻ってしまった。
そして日が暮れたあと、原田と永倉が帰ってきた。
「あ、永倉さん、原田さんお帰りなさい」
『犯人のこととかわかりましたか?』
「いや、残念ながらなんの手がかりも得られなかったぜ」
「……ただ、襲われた時に殺された隊士を連れ帰ることは出来たから行った甲斐はあったがな」
「それより、近藤さんの容態はどうなんだ?少しは持ち直してきたのか」
『それが……高熱を出してらして話が出来ない状況なんです』
「……そりゃ、まずいな。ここよりももう少し医術の道具が揃った場所に移した方がいいんじゃねえか」
「はあ……近藤さんも運が悪いよね」
『総司…』
「あれ、どうしたの?お化けにでもあったような顔しちゃって……まあ、化け物なのは確かだけど」
『どうかしたの?』
「別に、どうもしないけど?いつもと違うように見える?」
『そういう訳じゃない』
「あ、僕平助に用があるんだった。ちょっと行ってくるから鶴姫ちゃんはここで待っててくれる?」
『……分かった』
「それじゃ新八さんも左之さんもまた後でね……近藤さんの事よろしく」
沖田はそう言い残し建物裏へと向かった。
その後、山崎と今後のことについて話し合ったあと、鶴姫は再び広間へ戻ってくる。
空を見上げるとちぎれた雲にお月様が隠されていた。
そして、沖田が藤堂のところに行くと言ってからどれくらいたっただろう。
「おい、鶴姫!鶴姫いるか?」
『平助……どうかした?』
「総司の奴、見かけなかったか?どこにも見当たらねえみてえなんだけど」
『え?総司なら平助のところに行くって……』
「オレを?嘘だろ、それ。オレ、いつもの場所にずっと居たけど、総司なんて来なかったぜ」
『そんな!じゃどこに……。平助、総司が居ないことを土方さんに伝えてくれる?何だか嫌な予感がする』
「……だよな。近藤さんがあんなことになった後だし。ったく大丈夫なのか?あいつ。とんでもねえこと、しでかさなきゃいいけど」
藤堂はそう呟きながら土方の元へと急ぐ。
鶴姫は許しを得ずに一人で外出したら後でどうなるか分からない、そう思いながら昼間の我を忘れた沖田のことを思い出す。
さっき会った時の妙に落ち着いた物腰も気になる。
今の沖田をほうっておくことはできないと、鶴姫は我を忘れて駆け出した。
『はっ、はぁ、はっ、はぁ、』
息が切れるのも構わず夜の大通りを走って、走って──。
とある大通りの真ん中で沖田の姿を見つける。
その剣筋は今までに見た事がないほど精緻で、ひたすら壮絶だった。
人の急所を瞬時に刺し貫き、返す刀で別の人を斬り付ける。
血にまみれた等身を懐紙で拭うことすらせず、ただ、斬って斬って斬って──。
「この剣筋、まさか……!新選組の沖田か?」
「ご名答。でも殺される寸前に気づくって言うのは、ちょっと遅すぎじゃないかな?」
「新選組の沖田が来た!ここら退くぞ!」
「……馬鹿だなあ。逃がすとでも思ってるの?」
沖田の動きになんの迷いもなかった。
「や、やめ──」
精強だと聞く薩摩藩士でさえ、沖田の剣の前にはひとたまりもない。
目の前の敵を殺すためだけに、沖田はただただ剣を振るう。
『総司!』
沖田はただのひとりも逃さなかった。
ただの人間を圧倒する強さで、敵陣を壊滅に追い込んだのだ。
通りには、無惨に斬り殺された骸が血の匂いを漂わせながら横たわっている。
やがて沖田はどこか生気に欠ける足取りで歩き出した。
まるで次に殺す相手を探しに行こうとでもしているみたいに──。
『総司!』
鶴姫は思わず沖田の前に立ちはだかった。
「何しに来たの?」
冷えた眼差しで鶴姫を見下ろしながら、沖田は問う。
沖田の全身から立ちのぼるような凄絶な殺気に気圧されそうになる。
『……総司を止めに来た』
「僕を?君が?僕は自分の務めを果たしてるだけだよ。君にどうこう言われる筋合いはないんだけど」
『総司がしていることは本当に新選組の務めなの?』
「決まってるじゃない。新選組の……近藤さんの敵を殺すのが僕の役目なんだから」
『これが役目だと本当に思ってるのなら、どうして誰にも言わずに出てきたの?』
「……」
『分かってるんでしょ。これは正しくないことだって。正しくないと分かっているから誰にも何も告げずに出てきた』
「僕がしているのはただの私闘だって言いたいの?」
『それ以外に何があるの』
「そうだとしても……それの何が悪いのかな?僕の仕事は殺し合いをすることなんだ……たとえ目的が不純でも、敵を殺すことさえ出来れば問題ないと思うけど?」
『総司は自分から薬を飲んだと言った。羅刹になったのは自分で選んだ道だと』
「言ったかもしれないけど、それがどうかした?」
『もし一度、正しいと信じた道なら何があっても貫き通して真っ直ぐに歩き続けてほしい』
「君が何を言ってるのか、よく分からないんだけど。僕は剣にしかなれない。……人を殺すことしか出来ないんだ。正しいとか悪いなんて基準は僕には元から無いんだよ。近藤さんのためになるんなら、どんな相手でも斬ってみせる。……今までずっと、そうやって生きてきたんだから」
頑なな言葉とは裏腹に沖田の瞳が揺らいでいるのがみてとれた。
沖田が今までどんな人生を送ってきたのか、どんな思いをしながら生きてきたら、こんな言葉を紡ぐようになるのか。
『総司が自分のことを人殺しの道具としか思えないのなら、それはそれでいいと思う。でも、自分の心に嘘をつくべきじゃない』
「自分の心に?」
『大切な人が怪我をしてとても苦しい思いをしているのは分かるつもり。傍にいても近藤さんに対して何か出来る訳じゃない。もし役目を全うして奉行所を守りきっても近藤さんが助かるかどうから分からない。その気持ちはよく分かるけど、決して自分を見失わないでほしいの。総司の役目は本当に感情に任せて剣を振るうこと?自分には人を斬ることしか出来ないと本気で思ってる?』
沖田はしばらくの間、さもうっとうしげに鶴姫を見下ろしていた。
だけど、やがて。
「……ねえ、鶴姫ちゃん。あんまり生意気なこと言ってると、今度こそ君を殺しちゃうかもしれないよ?」
『殺したいなら殺せばいいじゃない。それで本当に総司にとって邪魔な人間が一人でもいなくなるなら』
「……さっさと退いてくれる?君みたいに訳知り顔で人の心に踏み込んで来るやつって虫唾が走るんだよね」
『絶対にどかない!』
沖田を行かせては行けない。
たとえ斬り殺されてしまったとしても、鶴姫はできる限りのことをしなくてはと、そう思ったのだ。
沖田が本気で言っていることは分かった。
だからこそこちらも本気で望まなくてはならない。
『さっきも言ったけど、どうしても行くのなら私を殺して』
そう言って沖田が握る刀を自分の喉元に持っていく鶴姫。
堅く刀を握る手からは血が滴り落ちる。
沖田はなにか珍しいものを見るような眼差しで暫く鶴姫を見下ろしていた。
右手にある刀で鶴姫を斬り殺すことなど沖田にとっては造作もないはずなのに。
やがて、その睫毛が落とす影が微かに震えて
「……どうしてそこまでできるのかな。僕なんかを命懸けでとめたって誰一人褒めてなんてくれないのに。ただのバカだって思われるだけなのに。それなのに、どうして……」
『誰も褒めてくれないかどうかはやってみるまで分からない。私は総司のことを放っておけないだけ』
鶴姫の返答に沖田は小さく笑った。
「変な子だよね、君って」
『そんな変な子を小姓にしたがったのは総司じゃない。つまりは総司も変な人ってこと』
鶴姫も少し笑って刀を離す。
「手出して。」
『すぐ治るよ』
「いいから」
沖田はそう言うと鶴姫の手に布を巻き付ける。
今はまだ血を見ても吸血衝動は起きていないらしい。
「無茶するね」
『無茶してでも止めるのが小姓の務め』
二人の間に静かな時間が流れた時、沖田を探して走り回っていた原田、斎藤と合流する。
「……ようやく見つけたぜ。こんな場所まで来てやがったのか」
『原田さん、斎藤さん……』
「……総司。派手に動きすぎだ。もし他藩の者に見咎められたら、どうするつもりだったのだ?」
「見つかるようなヘマはしないよ。見くびらないでほしいなあ」
「……あんたの気持ちはわからぬでもないが。局長の容態は峠を越えた。命に別状は無いだろう」
「──!」
『斎藤さん、それは本当ですか?』
「信じられぬのであれば、奉行所に戻ったあと、己のめで確かめるといい」
『はい。……良かったね、総司』
「……本当なの、一くん?本当に、近藤さんは……」
「俺がこういった場での冗談を好むかどうかは、あんたがいちばんよく知っているはずだが……これ以上、局長にご心配をかけるような真似はするな」
「そっか……。近藤さん、助かるんだ。良かった……」
沖田はそれ以上の言葉なんて出ない様子だった。
沖田の広い肩から一気に力が抜ける。
「総司も総司だが……鶴姫、お前も少しは自重しろよ?」
『あっ!すみません……私も何も言わず出てきてしまって』
鶴姫がお詫びの言葉を口にした時、遠くから呼子の音が響いてきた。
大急ぎでその場を離れ、伏見奉行所を目指した。
帰り着いた鶴姫たちを出迎えたのはいつもより不機嫌な顔をした土方だった。
「……ったく、この大馬鹿野郎どもが」
『申し訳ありませんでした……』
言葉こそぶっきらぼうだが、土方はとてもほっとしていたように見えた。
きっと鶴姫達のことを、沖田のことをすごく心配していたのだ。
「今回だけは大目に見てやる。だが、二度と勝手な行動を取るんじゃねえぞ」
「奇遇ですね、土方さん。僕も似たようなこと考えてたんです。近藤さんが助かったから、僕も今回は大目に見てあげようと思います」
「ああ、そりゃありがとよ」
「……ですけど、僕はまだ土方さんを許したわけじゃないですから」
沖田は一方的に言い切るとそのまま玄関に向かってしまった。
『……あの、私の処分は』
許しもなく外に出てしまった鶴姫はやはりお咎めが何かあるのではとハラハラしていた。
「総司が飛び出していかなきゃ、おまえも出ていかなかっただろ?」
『それはもちろんです』
「となりゃ、総司が原因じゃねえか。あいつを無罪放免にしたのに、お前にだけ罰を与えるなんてことは出来ねえだろ」
『………』
「……分かったら少し休め。昼から寝てねえだろ、おまえ。それと、その怪我、ちゃんと診てもらえ」
『ありがとうございます、土方さん』
改めて深々と頭を下げる。
奉行所の中へと足を踏み入れたとき、背後で「……結局すべての責任は俺にあるって事か」とぽつりと漏れた土方の呟きを聞いたような気がした。
そして翌日十二月十九日。
鶴姫が目を覚ましたのは夕刻を過ぎてからだった。
自分で思っていた以上に疲れが溜まっていたらしい。
大急ぎで支度をして今日も夜の警護に参加する。
『総司』
「ん、なに?」
『……近藤さんはどちらにいらっしゃるか知ってる?さっき部屋を覗いたら姿が見えなくて……』
「大坂の松本先生のところに行ったんだって」
『松本先生のところに?』
「うん。その間、隊の指揮権は土方さんが預かることになるみたい。とりあえず松本先生が診てくれるんなら心配はいらないかな。色々と口うるさいこと言われるけど、腕は確かだし」
『口うるさいなんて失礼だって。先生は総司のことをとても心配してくださっているんだから』
「それは、よく分かってるけど。口うるさいのは本当じゃない」
口ぶりからして沖田の様子は随分落ち着いているよう。
昨日の今日であるし、警戒をとくのはまだ早い。
今日こそ平和に終わるように願った時だった。
眠りの中にある夜の町に銃声が響き渡る。
『総司!』
鶴姫は慌てて沖田を引き留めようとするが、鶴姫たちを挑発するかのように銃声が立て続けに木霊した。
沖田は鶴姫にごめんとだけ言って飛び出してしまった。
それに続き鶴姫も後を追う。
「どうして追いかけてくるのさ?危険だから奉行所で待ってなよ」
『総司のことが心配だから』
「僕は君に心配されなきゃならないほど弱くはないんだけど?確かにちょっと前までは病気で寝込んでたけど、今は違うし」
『そういう強いとか弱いとか関係ない。なにか起きるんじゃないかと心配なの』
「……本当、変な女の子だよね、君って。さっさと行くよ。銃声が聞こえた方に近藤さんの仇がいるかもしれないんだから」
『はい!』
二人は息を切らせながら底冷えする夜の京を駆け抜けた。
どうやら京の人達は、戦を警戒して家に閉じこもっているらしい。
通りには人の気配がまるでなかった。
「!あの人影は、まさかーー」
なにかに気づいた様子で、沖田は裏通りへと姿を消す。
慌てて鶴姫も後を追う。
「……久しぶりって言っていいのかな。近藤さんを撃ったのは君?」
静かな殺意を瞳に込めながら、沖田は暗がりを睨みつけている。
その視線の先にいたのは穐月楽だった。
『兄さん……』
「どういう心境の変化なんだ?」
『?』
「この前あった時は敵を見るような目でこの俺を睨んでたのになあ。この期に及んで【兄さん】、か。おまえのそういう所に、無性にイライラさせられる。」
鶴姫はぐっと唇を噛み締める。
沖田を罠にはめ変若水を飲ませたのは彼だ。
けれど、身を分け合った兄であるという事実が鶴姫の心を乱していく。
そんな鶴姫とは対照的に、沖田は冷然としていた。
「さっきの質問に答えてくれるかな?それとも、喋りたくなるようにさせてだけようか?──この剣で」
「やれやれ、証拠もないくせに俺を疑うのか?これだから人間ってやつは……そういえば、ちょうどあの日だったかな、御陵衛士の残党に会った」
『御陵衛士?』
「アイツら、騙し討ちにされた伊藤の恨みをどうしても晴らしたいらしい。だが、奉行所に討ち入っても仇討ちを成功させる公算は低いって言ってたから街道に張り込んでみたら、とは助言してやった記憶があるな」
「…………」
『じゃ、あなたが彼らを…!?』
「誤解しないでくれよ?別に悪気はなかったんだから。新選組局長ともあろう人間がまさかなあんなに隙だらけだとは、さすがに思わなかったけどな!」
「このっ……!」
沖田が飛び出そうとした刹那──
楽は不意にぱちんと指を鳴らした。
物陰に隠れていた人々が、一斉に二人を取り囲む。
『数が多い……』
思わず驚いた隙に楽は飛び退いて二人から距離をとった。
「……随分分かりやすい罠だなあ」
「負け犬の遠吠えというやつか?まあいいだろう、好きなだけ吠えてればいい。どうせおまえたちの命は風前の灯火なのだから」
沖田と楽は冷笑を浮かべながら睨み合っていた。
鶴姫も自分の身を守るため、腰の脇差に手をかける。
「……だが、相手は新選組の沖田総司だ。銃で狙ってもなかなか当たらないだろう」
「悪いけど、その遠回りな喋り方、いちいち癇に障るんだよね。言いたいことがあるなら、単刀直入に言ってくれる?」
「別に、お前と話してるわけじゃない。弱いやつから狙った方が楽だと倒幕派の皆に提案してるだけだ」
『……』
すべての銃口は鶴姫に向けられている。
「大した性格の悪さだね。どうすれば、そんな卑劣な手が浮かぶわけ?」
「なんとでも」
その言葉を合図に兵達の鉄砲が火を噴いた。
これだけの人数に囲まれていたら全て避けきれない。
そう思った時には何かが鶴姫の視界を塞いだ。
『総司!』
「ぐっ……!」
『どうしてこんなことするの!』
沖田の身体にできた傷からは血が溢れ出している。
沖田は懸命に痛みを堪えながら鶴姫を振り返った。
「……どこも、痛くない?」
『痛くないどころか傷一つ……。総司が庇ってくれたから……』
「……そっか。なら、いいんだ。」
安心したように微笑んだ後、ぐらりと沖田の身体が揺れた。
『総司、……総司!!』
鶴姫は必死に沖田の名を呼んだ。
これだけの大怪我をしているのに鶴姫が無事ならいいと言った。
今までなら殺すだの斬るだので鶴姫の心配などしなかったのに。
『何がいいのよ……何もよくないじゃない…』
涙が込み上げてきて視界が曇った。
『総司が怪我をおったら私だって悲しいの!近藤さんが傷を負った時、総司が悲しむように……あなたが傷ついたら……』
鶴姫がそう叫ぶも沖田は返事をしない。
苦しげな吐息を漏らすばかり。
『総司……』
銃による傷ならばさして深くないはず。
しかし、内蔵が傷ついていたら命に関わる。
そんな二人を眺めている楽は楽しげな笑みを浮かべている。
「間抜けだよなあ。まあ、沖田なら庇うと思ってたけどな」
『……最初から総司が狙いだったのね』
「あはははははっ、どうだろうな。どっちにせよ、誰かさんを守ったせいで沖田は重傷。こんな役たたずを庇って怪我をするなんてとんだ馬鹿もいたもんだ」
『……総司を馬鹿にするな!』
鶴姫の怒声に何人かが一歩後ずさる。
その瞳は紅くなり、角らしきものが髪の間から見えていたから。
確かに自分がいなければ沖田は無事だったかもしれない。
銃で撃たれることもなく包囲網を突破できたのかもしれない。
沖田が怪我をしたのは間違いなく自分のせいだと鶴姫は責めた。
叫び唇を噛む鶴姫を見て楽は不意に笑みを消した。
「……もっと苦しめばいい」
楽の合図で藩兵たちが下がっていく。
「お前も沖田もそう簡単には殺しはしない。……殺してやらんからな。可愛い妹と次に会える日が今から楽しみで仕方がない」
『楽!』
立ち去りかけていた楽がゆっくりと振り返って微笑んだ。
「ああ…………その顔、その声──絶望と怒りを知れば知るほどお前の顔は俺に似ていく……血の繋がりっていうのも、馬鹿にできないよな」
楽は藩兵を引き連れて夜の市中へ消えていく。
遠くからは人々のざわめきが迫ってきた。
それは銃声の調査を行いに来た、新選組の面々だった。
その後、隊士たちの手によって沖田は奉行所へ担ぎ込まれた。
「沖田君は銃撃を受けたのですか?」
『はい……私のせいで』
「たとえ最新型の連発銃を使っていようと、羅刹はその程度では死なないはずですが、銃による傷はいかに深くとも、小さな傷に過ぎません。……銃弾さえ摘出できれば見る間に回復するはずですが」
『ですけど……。それならどうして沖田さんは目を覚まして下さらないのでしょうか』
「……分かりません。敵方が持っていた銃になにか秘密があるのか、もしくは……」
そのあとも私たちは懸命に看病を続けたが、傷は塞がってくれず、沖田の容態は悪くなるばかりだった。
そんなあるとき、鶴姫は土方に呼び出された。
「……よう。悪いな呼び出しちまって」
『いえ……』
「実はな、山南さんとも相談して総司の身柄を大坂城に移すことになったんだ」
『大坂城に?』
「ああ。大坂城にゃ松本先生もいるし、ここよりは道具も揃ってるだろうからな」
『そうなんですね』
本当なら沖田の傍についていたい。
しかし、鶴姫は山崎や千鶴と共に怪我人の治療をしなくてはならない。
松本に任せておけば心配はいらないだろう、そんなことを思っていた時だった。
「穐月、お前も総司と一緒に大坂へ行け」
『えっ……』
あまりに意外な命令に鶴姫は目を見開く。
『私も沖田さんと…総司とご一緒していいんですか?』
「なんだ不服なのか?」
『そういう訳ではありません。どうしてなのか、ただ気になっただけです』
「京はもうすぐ戦場になる。ここにいると、お前も巻き込まれるかもしれねえからな。……何より総司の奴を放っとくと何をやらかすか分からねえだろ」
『土方さん……』
ありがたい心遣いに鶴姫は思わず涙が出そうになった。
『……ありがとうございます。ほんとうに…ありがとうございます』
鶴姫は深深と頭を下げ土方にお礼を言った。
十二月二十日、鶴姫は沖田と共に大坂城へと移った。
二人の護衛役として山崎も一緒に来ることになった。
松本に診てもらったが沖田の傷の具合はなかなか良くならず、眠れない日々が続く。
それから、年が明けてすぐの正月三日。
とうとう幕府軍と薩長軍の間で戦いが始まったという知らせが大坂城にもたらされた。
そして、大坂城にいた鶴姫は、新選組の誰よりも先にその戦の結末を知ってしまった。
『……総司。身体の具合はどう?……って、何してるの!』
「何って決まってるじゃない。これから、ここで戦いが始まるんでしょ?なら、僕も行かないと……」
『絶対だめ!まだ起きあがれる状態じゃないんだから寝てて。それに、今から行っても、できることは無いと思う……』
「どういう意味?僕なんかじゃ役に立たないって言いたいの?」
『そうじゃない。そうじゃないの……新選組が守っていた伏見奉行所は落ちた…井上さんが……その時に亡くなったそうなの』
「源さんが……?」
『………ええ。そして、今回の戦の総大将の慶喜公は、既に東帰されたとのこと。私達も、これから船で江戸に戻ることになるそうだから』
「…………」
明かされた事実のあまりの重さに、沖田は絶句している様子だった。
彼は布団の上に力無く座り込む。
「……そっか。源さん、亡くなったんだ。近藤さん、すごく悲しんでたでしょ?」
『……ええ、とても』
沖田はうなだれたまま独り言のように呟く。
「……僕は新選組の剣だったはずなのに」
【新選組の剣】──。
沖田は事ある毎にこの言葉を口にする。
それは口癖と言うよりは一種の呪縛のような響きを帯びているように感じられた。
「もう一度刀をとって戦うために、変若水まで飲んだのに……結局肝心な時に役に立たないまま、江戸に戻らなきゃならないなんて──」
『でも、総司は私を守ってくれた。新選組隊士では無いこの私を、身を呈して庇ってくれた。本当に感謝してる。あの時、総司が庇ってくれなければ私は死んでいたかもしれない。だから、肝心な時に役に立たないなんて言わないで……』
たまらずそうつむぎ座り込む沖田を優しく抱擁する。
「鶴姫ちゃん…」
『それにまだ、土方さんも隊士さん方も諦めてない。江戸に戻って再起を図ると言っていたし、その頃になれば近藤さんの傷も良くなっているはず』
沖田はしばらくの間俯いたまま黙り込んでいたが、やがて
「……そうだよね。あれだけ性格も諦めも悪い土方さんがこのままやられっぱなしのはずがないし。何より、近藤さんから新選組を預かってるんだから、それぐらいはしてもらわないと」
沖田の表情にようやく余裕が戻ってきたその時。
「鶴姫ちゃん。僕の刀を取ってくれるかな?」
鶴姫は沖田の瞳から投げやりな色が消えたのを確認して刀掛けに掛けてあった沖田の刀を取り、手渡す。
沖田は己の分身たるその刀を大切そうに握りしめながら尋ねてくる。
「ねえ、鶴姫ちゃん……。僕はまだ新選組の剣でいられるかな?」
先程も紡がれたその言葉は鶴姫に鈍い痛みをもたらした。
沖田の目に映っているのは近藤と近藤が作り上げた新選組、ただそれだけ。
それに比べればきっと沖田自身の存在すら取るに足らないものだと思っているに違いない。
そのことはわかっているけれど。
『もちろん。だから、今は少し休んでほしいの。戦うべきその時に、刀を摂ることができるように』
「……わかった。鶴姫ちゃんがそう言うんなら、江戸に戻るまでは大人しく養生するよ。江戸に戻った時、心置き無く刀を振るって、振るって──近藤さんの邪魔になるやつを、敵を……一人でも多く斬り殺せるように」
沖田が斬ろうとしているのは本当に近藤の敵、ただそれだけだろうか。
いざと言う時に動かない己の身体。
あるいは人としての生をも、この刀で斬り刻んでしまうつもりではないだろうか。
それが沖田の望みであることはわかっているけれど、どうしようもなく胸が痛くて、鶴姫は涙をこらえることが出来なかった。
俯く鶴姫に、沖田は何も言わずただ寄り添った。
そして二人は江戸へ向かう。
To be continued