入隊希望者とその親族関係の明記を。
あなたを守ること 沖田
入隊希望者名簿
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慶応三年十一月
ざぁっと落ち葉を吹き飛ばして一陣の風が吹く。
大通りを抜ける冷たい木枯らしに鶴姫は身を震わせる。
『もうすっかり真冬ですね、原田さん』
「ああ。この時期の冷え込みは本当、厳しいなんてもんじゃねえよな。だが、今は昼だからまだマシだぜ?寒い夜の巡察がどれだけ辛いかっつうとな……」
原田は煙のような息を出しながら笑う。
鶴姫もかじかんだ手の平に息を吹きかける。
「なんだ、寒いのか?手でも繋いでやろうか」
『い、いや、大丈夫です!これくらいの寒さなら大丈夫ですし、男色と間違われますよ』
「それはちょっと困るな」
『俺は今男装中なので、そういう発言は気をつけた方が良いかと……』
「悪い悪い」
そう話していると向こうから永倉が歩いてくる。
「よう、二人共!今日もいい天気だな!」
「……こいつだけは寒さとは無縁だよな」
「ああん!?よりによって、その格好のてめえに言われる筋合いはねえぞ!」
二人のやり取りは言葉こそぶっきらぼうだけれど、その端々に温かみが感じられて仲の良さが伺える。
「なんだよ、そんなにやにやして?」
「そりゃ、お前がいつも通りの間抜けな面を晒してるからに決まってんだろ」
『違います!原田組長、いい加減なこと言わないでください。前にもこうして巡察中に他の隊士に会ったのを思い出しただけです』
時の流れは早いもので、藤堂と斎藤が御陵衛士に加わり、新選組を脱退してからもう半年以上が経つ。
不動堂村に屯所を移す時は幹部は直参に取り立てられたし、その時に離隊すると言い出す者が出てきて揉めに揉めた。
上手く離隊できた者もいれば、何らかの名目で羅刹隊に回された隊士もいた。
土方らは隊士徴募のために江戸に向かい、先日帰ってきた。
近藤は直参に取り立てられたことをとても喜んでいたが……
『お二人はどう思ってるんですか?』
「ん?まあ……正直柄じゃねえよな」
「別に、幕府の家来になるために今まで戦ってきたわけでもねえしな」
『先々月には親王様が新しく天子様になられたと聞きますし、先月には大政奉還も行われました』
目まぐるしく社会が変わっていく。
大権が朝廷に返されてなお、徳川家が大名家の中でも頂点にいることにはかわりなく。
それでも町の様子は何も変わらない。
呼び込みをする旅籠に、美味しそうな香りが漂ってくる茶屋。
あちこちに散在するお寺からは線香の匂いが漂ってくる。
お上の事情など関係なく、街の人はいつも通りの生活を送っているのだ。
元治甲子の変で被害を受けたところも少しづつ回復している。
だがしかし、今この瞬間も時代は流れている。
『永倉組長、政治に詳しいんですね』
「ひとつ聞いていいか?……今までなんだと思ってたんだ、俺の事」
『あっ!えっと……じ、巡察を続けましょう!近頃日が暮れるのが早いですから!』
「誤魔化したな……」
じーっと、見てくる永倉の視線を振りきり、鶴姫はどんどん進んだ。
この数日後の十一月十五日、坂本龍馬と中岡慎太郎が殺害される。
犯人は新選組だとの噂もある。
なにせ原田の鞘が落ちていたらしく、問い合わせが来ている。
いくらこっちで騒いでも、世間は評判の良くない新選組を信じはしないだろう。
紀州藩も三浦休太郎が新選組に依頼して暗殺したなんて巷説もあるらしい。
新選組への恨み辛みから新選組を犯人にしたい連中もいるだろう。
新選組がやった可能性としては夜の巡察に出ている山南ならやりかねないとの見方もある。
そんな話をしていると、土方と近藤が部屋に入ってきたのだが、その後ろには藤堂や伊藤とともに御陵衛士として隊を離れた斎藤の姿があった。
土方によると本日付で新選組に復帰するとのこと。
元々本気で離隊したのではなく、間者として潜り込むために離隊という体をとったのだそう。
斎藤によると、伊藤たち御陵衛士は新選組に対して明らかな敵対行動を取ろうとしているとのこと。
伊藤は幕府を貶めるために羅刹隊の存在を公にしようとしている。
そのために薩摩と手を組んだとの話も出ているくらいだ。
そうなれば新選組は罪に問われ幕府の権威も失墜することになる。
場合によっては、薩長側がそれを戦の大義名分とすることだって有り得る。
そして、もう一つ聞き逃せないのが新選組局長暗殺計画である。
御陵衛士は既に新選組潰しに動き始めている。
なんでも先程の坂本龍馬暗殺を新選組に三浦が依頼したとの噂を回したのが御陵衛士だという。
土方の判断としては羅刹隊の存在を外にばらされては困る且つ近藤の命を狙っているともであっては死んでもらうと。
伊藤を近藤の別邸に呼び出し接待には土方も同席する。
その後伊藤を殺害しその遺体を使って残りの御陵衛士を呼び出し斬る。
実行部隊は永倉と原田となった。
沖田は相変わらず留守番を言いつけられ不服そうだ。
「……御陵衛士はこれで終わる。平助を呼び戻すつもりなら、これが最後の機会になるだろう」
「『!』」
御陵衛士を誘い出すということは藤堂も少なからず出てくる可能性がある。
「あの、土方さん」
「何だ?」
「御陵衛士の……平助くんはどうするつもりなんですか……?」
「そりゃあもちろん、助けるに決まって……」
永倉がそう言いかけた時、土方は迷わず「歯向かうなら、斬れ」と言い放った。
「嘘ですよね?だって平助くんは、ずっと一緒に過ごしてきた仲間で……」
そう問いかける千鶴を振り切るように土方は立ち上がりそのまま広間を出ていってしまう。
「本当に、平助くんを斬ってしまうつもりなんですか!?一度隊を出た人なんてもう仲間ではないから、死んでもいいって……そう仰るんですか!?」
「そんな筈がないだろう!!」
千鶴の叫びに、近藤が叫んだ。
「トシだって、本心では助けたいと思っているんだ。同じ志を持って江戸から上ってきた仲間を殺す命令を下して……平気でいられるはずがないだろう」
近藤の拳は、血が滲むほどきつくにぎりしめられていた。
近藤も土方も藤堂を死なせたくないのだ。
「すみませんでした。取り乱してしまって」
「……いや、君の立場なら、ああいうのが当たり前だ。平助は皆に慕われているのだな」
近藤は大きくため息を吐いたあと、藤堂と相まみえることになる二人を振り返った。
「永倉くん、原田くん。局長ではなく、近藤勇として頼む。平助を見逃してやってくれ。できるなら、隊に戻るよう説得してほしい」
「ああ、わかってるさ」
「……あいつの命が、俺たちの腕にかかってるわけだな。責任重大だ」
「これで皆、自分の役割は確認したな?もし質問があるなら、今のうちに言っておいてくれ」
「──待ってください」
千鶴が声を上げると近藤は驚いた様子で振り返る。
千鶴は自分や鶴姫に指示が出ていないことを述べた。
なにか手伝いたい、その気持ちが強い千鶴の申し出に近藤は困った顔をする。
今回の御陵衛士殺害計画は池田屋や元治甲子の変の時とは違う。
本来隊士でもない二人が役目に関わるべきでは無いことを近藤は述べる。
千鶴はそれでも手伝いたいと述べたが、鶴姫は留守番をする選択をした。
夜、皆の背中を見送ったあと、鶴姫は白い息を吐き出しながら夜空を見上げる。
真円にほど近い月がものも言わずに佇んでいた。
藤堂にどんな言葉をかければいいのか分からず、屯所に残ることを決めた。
それに、実行部隊は藤堂と仲のいい二人だ。きっと大丈夫なはずだと鶴姫は呟いた。
そう空を見上げていると、山崎から広間に人を集める手伝いをしてくれと声をかけてきた。
大変な知らせが入ったとのことだった。
伊藤殺害には成功し御陵衛士を油小路へと誘き寄せ包囲したところまでは良かったらしい。
しかし、その際に永倉たちと御陵衛士、双方を包囲する形で横槍が入ったという。
詳しいことはわかっていないが、薩摩の連中であるとのこと。
『永倉さんや原田さん、平助は無事なんですか?』
「敵の数はこちらを大きく上回っていたが、恐らくあの方々ならば、しばらくは持ちこたえてくれるはずだ」
「早急に援軍を送らなければならないね。動ける者は私と島田くんと」
そこまで言いかけた時、何かを壊すような音がどこからが聞こえてくる。
「大変です!──鬼が襲撃してきました!」
『なぜこんな時に……』
ふとそう考えたが、むしろこんな時だからこそなのではと考えが巡る。
屯所が手薄になっている今なら私を連れ去ることができると。
「状況を説明してくれ、島田くん。襲ってきたのは例の三人組かい?」
「いえ。刀を持った細面の男、一人です。確かあれは……」
『風間千景……』
私含め動けるものは一斉に外へと飛び出した。
そこにはまとわりつくような血の匂いと、物を言わなくなったおびただしい数の骸が広がっている。
「この骸は、羅刹隊……これを、風間が一人でやったと?」
「羅刹隊ということは、討って出たのは山南さんか。彼は今、どこに?」
「……あちらです!」
視線の先には山南と共に踊りかかった羅刹の一人が、風間の一閃で叩き斬られ地に落ちる。
「おのれ……!」
「貴様は他の雑魚より多少はマシだが……所詮は、まがい物の剣に過ぎぬ」
羅刹隊でただ一人、山南だけが辛うじて食い下がっている。
しかし、それでも相手にすらなっていない。
風間は迫る羅刹を一蹴しながら悠然と歩みを進めている。
「……穐月君、君は下がっていろ。あいつは我々が抑える」
『しかし!』
「敵は風間だけではない。いつ仲間が駆けてけてこないとも限らないからね。それに……羅刹が分別をなくして、襲いかかってくる公算も高い。」
『………』
山崎と井上はやがて頷き合い、刀を構えながら駆け出していく。
「穐月くん、中に隠れていてください。風間は我々が追い払います!」
『島田さん!』
島田もそのまま山南や井上たちに加勢した。
風間がなぜ突然襲撃してきたのか、はっきりした目的は分からないが、少なくとも狙いが鶴姫にある可能性は捨てきれない。
『そうだ、総司……』
今も病で伏せている沖田が心配になった鶴姫は目立たないよう少しづつその場をあとに、沖田の部屋へと向かう。
血に酔った羅刹たちに襲われてしまったら。
そう思うといても立ってもいられなかった。
『総司!』
確認もせず勢いよく襖を開け放った。
そこには既に戦いの体勢を整えている沖田がいた。
刀を腰に差し、今すぐにでも討って出ると言わんばかりに。
「……遅かったね。誰も呼びに来てくれないから自分から行こうと思ってたところなんだ」
『何を…!動いて大丈夫な状態では無いはず!』
「そんなことないよ。近藤さんの仇を取れないのは悔しいけど、他に活躍の場があるってことだしーー」
そういうものの沖田は激しく咳き込んだ。
鮮血を広げ苦しむ沖田に鶴姫は自身の考えが甘かったことを後悔する。
『総司、無理はやめて。今井上さんたちが戦っているから。』
「源さんや山崎くんが、池田屋で僕をあんな目に合わせた鬼を追い返せるとでも思ってる?」
『それは……』
「もし、源さんがあの鬼に殺されたら──、近藤さんがどれだけ悲しむと思ってるのさ!?」
『でも…』
「平気だよ、これぐらいなら。別に腕が衰えた訳じゃないんだから……!」
なかなか折れない沖田と鶴姫が攻防を繰り広げていると、どこからともなく声がした。
「……せっかく心配してくれてるのに、無下にするような真似は良くないよ」
『あの時薫さんと一緒にいた……』
そこには薫という女性と共にいた護衛のような姿をした男がいた。
しかし、今日の身なりはどこか高貴な姿を思わしめる。
「いきなりのご無礼をお許しください。これが、私本来の姿。訳あって、身分を偽っていたことはお詫びします」
『なぜ身分を偽ったのですか?なにか目的がなければわざわざそのようなことしませんよね。』
「身分を偽っていたのも、今日この場に現れたのも、全ては唯一の目的のため。そう──。妹を救うためにやってきたのです」
『妹……?』
「あなたの事ですよ、穐月鶴姫」
『私が妹………あなた楽?兄さんなの?!』
頭が混乱する。
目の前にいる男がずっと探していた兄だと。
最後に見た時から容姿が変わってしまっていた。
その男は妹である鶴姫を救いに来たという。
「穐月一族は雪村一族が倒幕の誘いを断って滅ぼされた折、共に滅ぼされた──お前は進という男に兄と共に連れ出された。しかしその数年あとに兄と父が順番に失踪」
『何故それを……』
「何故?それは俺が兄本人だからだ。おまえは赤と黒の脇差、白の太刀を持っているだろう。そして、兄はこの鶴の面を持って居なくなった、違うか?」
『………』
鶴の面。
それは穐月家に代々伝わる面。
一族の直系に女が生まれた時にその面をつけて男が出生祝いを踊る。
穐月の一族であることを証明するもの。
その面を見た鶴姫は驚きで目を見開く。
『本当に兄さんなの?!どうして居なくなったの!?』
「それはまだ言えない。でも、鶴姫を救いにきたのは間違いのない事実」
『話して!今すぐここで話して!』
そう取り乱す鶴姫の肩に沖田が手を置く。
沖田は落ち着いた様子で話始める。
「で、あの時一緒にいたもう一人は一体誰なの?」
「彼は雪村千鶴の兄・薫です。彼とその妹に父綱道さんとの血の繋がりはない。一族が倒幕の誘いを断り滅ぼされた後、妹の方は綱道さん、薫は南雲家に引き取られて離れ離れになってしまった。綱道さんは雪村千鶴がもう少し大きくなってから伝えるつもりだったのでしょう」
「でも、あの子が千鶴ちゃんと兄妹なんて証拠、どこにあるのかな?」
「顔だけでは信じられないか?では、この刀を証としよう」
穐月楽が見せた紙には大通連という千鶴が持っている刀と同じものが映っていた。
南雲薫が持っているのは太刀で、千鶴の小通連の対となる刀。
「じゃ君も鬼なんだね?」
「……冷静だな、沖田総司は」
「まあ、僕にとっては他人事だからね。鬼である君に、ひとつ聞いていいかな。君たちの目的は風間と同じで、この子達を利用すること?」
『え!?』
「……そんなつもりはないさ。だが、俺からも質問させてくれ。先程の問に肯定したら、沖田はどうする?病に冒されたその身体を引き摺ってでも、俺を止めるか?」
「……勝手に連れていけば。君らの事情なんて知ったことじゃないし」
「そうか……」
分かっていた。最初から。
沖田の目に初めから自分が映ってないことくらい。
そうじゃないと思いたかっただけなのもと。
「……そこ、どいてくれる?」
「退くわけにはいかない。今のおまえは、戦えないからな」
「……何を言ってるのさ。僕は、まだ戦えるよ!」
「どうしても戦いたいというのか?ならば──これを」
そうして楽が言葉の代わりに突きつけた瓶には見覚えがあった。
人を血の狂気に変えてしまう代物ー変若水。
雪村綱道が犯した、罪の証──。
『それは……なぜそれを!』
「綱道さんからもらったんだよ」
『千鶴の父から……?』
今ここでこれを出すということは、楽は。
「この薬は……」
「俺は、確かに鬼だ。身を置いている藩同士の事情で、風間たちに協力するように言われている」
やがて楽は少し視線を落として、切々と言葉を漏らす。
「だが……大切な妹を、ただ子を産むための道具としてしか見ないような奴らに、渡す気にはなれない」
「……だから、変若水を僕に与えて妹を守らせようって訳?なかなか自分勝手な理屈だね」
「……無責任な言い方で申し訳ないな。でも、選ぶのはおまえだ。今のように起き上がれないまま、【戦いたい】とただ叫ぶだけか──、これで羅刹となるか。新選組の一番組組長ともあろう方が、布団の上で血を吐きながら死ぬことを望むか?」
「…………」
黙り込む沖田に鶴姫は『駄目』と制止をかける。
沖田は鶴姫や千鶴以上に、苦しむ羅刹の姿を目にしている。
夜にしか出歩けず、血に狂う、人外の生き物。
『総司まであんな風になってしまったら……近藤さんがどれだけ嘆くと思う!?』
「近藤さん……」
『近藤さんのお役に立ちたいと願っても、羅刹になって役に立とうとすることを近藤さんが望むとは思えない!総司は近藤さんのことをとても尊敬してるじゃない。お願いだから、近藤さんを悲しませるようなことはしないで……』
鶴姫の必死の叫びに沖田は唇を噛む。
「……お前が胸を患ってから新選組の局長さんは何度思ったかな?【もし、この場に総司がいてくれれば】……って。今日だって、そんな状態でなければ、間違いなくおまえに命が下ったはずなのに」
「…………」
『やめてください!あなたが私の兄で、私のことを大切に思っているのなら──どうして総司にそんなものを渡すんですか!?』
鶴姫がそう叫んだ時、人の形をした何かが戸を蹴破って飛び込んできた。
「羅刹隊か……!」
飛び込んできた四人の瞳に血の色を見て、沖田は咄嗟に腰の刀へと手を伸ばす。
けれど、稲妻のような反応の速さについてこられたのは心だけで、抜き放とうとした刀は空しく音を立てて床へと転がり落ちる。
「これが……今の僕か……。新選組一番組組長、沖田総司か……」
そんな己の無力さが悲しかったのか、悔しかったのか、腹立たしかったのか。
沖田は次の瞬間楽の手から瓶をもぎとっていた。
『駄目総司!それを飲んでしまっては!』
羅刹を睨む沖田の瞳には、自分の未来の姿が映っているのだろうか。
沖田は一度だけ、鶴姫の方を向いた。
どこまでもいつも通りの……、少しだけ意地悪な微笑を浮かべて。
「まったく、君はこんな時まで」
『やめて!飲まないで──』
お願いと言うと同時に沖田の喉が鳴った。
楽が妖しく微笑むのが見える。
血に飢えた羅刹が、次々と飛び込んでくる中、鶴姫は沖田に覆い被さる。
しかし、次の瞬間には血の降る音が耳に轟いた。
人を捨てた白髪の羅刹が、鶴姫を脇へと避難させると血の雨をふらせていた。
「く、うっ──あぁあああっ!」
これが人としての生を捨て、ただ戦うための鬼。
羅刹と化した、沖田の姿。
沖田は雪を孕む嵐たいに白髪をなびかせ、次々と羅刹をたおしていく。
乱入してきた羅刹が全て血の海に沈むまで、ほんの一呼吸もかからなかった。
呪いの証のような沖田の白い髪先から、ぽたりぽたりと鮮血が滴り落ちている。
「……これで満足かい、穐月楽?」
「ああ。……立派だったよ、沖田総司。本当に感謝の言葉もない」
ぱちぱちと拍手を送る楽。
そしてその優しげな表情が、一瞬にして酷薄な笑みへと変じた。
「……まんまと俺の思惑に乗ってくれて、ね」
「何っ……!?」
限界が来たのか、糸が切れたように崩れ落ちる沖田を鶴姫は抱きとめる。
『総司!しっかりして!』
必死に問いかけると沖田の髪は色が戻ってきた。
それがたとえ、羅刹の本性を隠す擬態だとしても、少しだけ安堵してしまった鶴姫。
「鶴姫、さっき聞いていたな。なぜ、俺が鶴姫が大事に思う沖田に変若水を与えるのかって」
『総司が私の親しい人間だから……』
「そうさ。鶴姫の親しい人間だからだ……あはははは!」
『兄……さ…ん』
ありったけの怒りを込めて、鶴姫は目の前にいる楽を睨みつける。
『何がおかしいの!』
楽は心地良さげにますます笑みを深くした。
「おかしいんじゃない、うれしいんだ。俺と違って周りにいる全員から愛されて育った妹にそこまで苦しんでもらえて嬉しいんだよ!俺は、子を産み、治癒能力を持つとされる女鬼のお前ばかりが大事に育てられて憤っていたさ。でもさ、俺がどれだけ虐げられても仕方ないんだよ。子を産めやしない・治癒能力もない
男なんて、所詮は【価値がない】んだから」
楽は幾度となくぶつけられた言葉を、歌うように繰り返した。
そこに込められた虚無に──。
「ま、そんなこと言ってくれた奴らは、とっくに全員地獄に落としたけど……」
そして、そこに込められた怨讐に、鶴姫は思わず沖田を抱きとめる腕に力を入れた。
『っ……』
「俺と妹は同じ血を継いでいるのにたかが性別の違いや能力の違いで俺ばかり冷遇されることになったのは……誰のせいだと思う?」
自分と同じ顔なのに、不気味に笑う笑顔に心底ゾッとする。
兄が冷遇されていたこと、父はこのことを知っていたのか。
色々なことが頭を巡る。
「俺はお前が幸せな顔をしてるのが、ムカついてしょうがなかった」
言葉と同時に楽の手が鶴姫の首に伸びてきた。
『くっ……』
恐ろしいほどの力が、鶴姫の喉にかかる。
「その幸せな顔が崩れた時──沖田が出来損ないの鬼になった瞬間の表情を、俺の顔で再現してあげたいくらいだけどな、さすがの俺にも難しいな、あれ。わざわざ親しい人間を狙ってやった甲斐があって、想像してたよりずっと可愛い顔だったから!」
楽は鶴姫が苦しむのを見るために、その為だけに沖田を狙ったという。
『あな………たは……』
「苦しいか?俺が怖いか?でも、こんなものは序の口なんだ」
鶴姫の首から手を離し、咳き込む鶴姫に言い放ってから、楽は背を向ける。
闇に消える時、最後に残した表情は楽が昔鶴姫に意地悪をした時のようだった。
そして、哄笑だった。
「穐月鶴姫。兄さんはお前の不幸せをいつまでも願っているよ。……なんてな。あははははははは!」
『…………っ……』
涙が止まらなかった。
自分が知らないところで、自分のことをこんなにも憎んでいる人がいたことに。
そして何より、自分と兄の確執に人を巻き込んでしまったこと。
『けほっ………総司……っ…!』
意識を失ったままの沖田を支える手に力を込める。
『ごめんなさい………っ………私のせいで。総司は私の事なんてなんとも思ってなかったのに……私が総司と関わりを持ってしまったせいで、巻き込んでしまった……ごめんなさい………』
目を覚まさぬ沖田の頬にポタポタと鶴姫の涙がこぼれ落ちる。
鶴姫は沖田の頬を服の袖で拭う。
何度も何度も謝りながら。
『死なないで……』
そう言って抱きしめるも、その時の沖田は目を覚まさなかった。
伊藤暗殺、そしてその後の御陵衛士への襲撃は後に油小路の変と呼ばれるようになる。
この事件で新選組と御陵衛士双方にとって予想外だったのは、鬼が同行する薩摩藩の介入。
両者ともに薩摩の罠にハマって乱戦となり、藤堂が瀕死の重傷を負わされてしまった。
藤堂は生き延びるためあの薬を飲まざるを得なくなった。
──そしてもう一つ。
その事件の間に起きた風間千景による屯所の襲撃。
羅刹隊の投入で混乱した戦場において沖田もとうとう羅刹として戦う道を選んでしまった。
山南だけでなく、藤堂、沖田まで。
雪村綱道が持ち込んだというあの【薬】が少しづつ新選組を蝕んでいくみたいで鶴姫の心を不安の風が抜けていった。
To be continued
ざぁっと落ち葉を吹き飛ばして一陣の風が吹く。
大通りを抜ける冷たい木枯らしに鶴姫は身を震わせる。
『もうすっかり真冬ですね、原田さん』
「ああ。この時期の冷え込みは本当、厳しいなんてもんじゃねえよな。だが、今は昼だからまだマシだぜ?寒い夜の巡察がどれだけ辛いかっつうとな……」
原田は煙のような息を出しながら笑う。
鶴姫もかじかんだ手の平に息を吹きかける。
「なんだ、寒いのか?手でも繋いでやろうか」
『い、いや、大丈夫です!これくらいの寒さなら大丈夫ですし、男色と間違われますよ』
「それはちょっと困るな」
『俺は今男装中なので、そういう発言は気をつけた方が良いかと……』
「悪い悪い」
そう話していると向こうから永倉が歩いてくる。
「よう、二人共!今日もいい天気だな!」
「……こいつだけは寒さとは無縁だよな」
「ああん!?よりによって、その格好のてめえに言われる筋合いはねえぞ!」
二人のやり取りは言葉こそぶっきらぼうだけれど、その端々に温かみが感じられて仲の良さが伺える。
「なんだよ、そんなにやにやして?」
「そりゃ、お前がいつも通りの間抜けな面を晒してるからに決まってんだろ」
『違います!原田組長、いい加減なこと言わないでください。前にもこうして巡察中に他の隊士に会ったのを思い出しただけです』
時の流れは早いもので、藤堂と斎藤が御陵衛士に加わり、新選組を脱退してからもう半年以上が経つ。
不動堂村に屯所を移す時は幹部は直参に取り立てられたし、その時に離隊すると言い出す者が出てきて揉めに揉めた。
上手く離隊できた者もいれば、何らかの名目で羅刹隊に回された隊士もいた。
土方らは隊士徴募のために江戸に向かい、先日帰ってきた。
近藤は直参に取り立てられたことをとても喜んでいたが……
『お二人はどう思ってるんですか?』
「ん?まあ……正直柄じゃねえよな」
「別に、幕府の家来になるために今まで戦ってきたわけでもねえしな」
『先々月には親王様が新しく天子様になられたと聞きますし、先月には大政奉還も行われました』
目まぐるしく社会が変わっていく。
大権が朝廷に返されてなお、徳川家が大名家の中でも頂点にいることにはかわりなく。
それでも町の様子は何も変わらない。
呼び込みをする旅籠に、美味しそうな香りが漂ってくる茶屋。
あちこちに散在するお寺からは線香の匂いが漂ってくる。
お上の事情など関係なく、街の人はいつも通りの生活を送っているのだ。
元治甲子の変で被害を受けたところも少しづつ回復している。
だがしかし、今この瞬間も時代は流れている。
『永倉組長、政治に詳しいんですね』
「ひとつ聞いていいか?……今までなんだと思ってたんだ、俺の事」
『あっ!えっと……じ、巡察を続けましょう!近頃日が暮れるのが早いですから!』
「誤魔化したな……」
じーっと、見てくる永倉の視線を振りきり、鶴姫はどんどん進んだ。
この数日後の十一月十五日、坂本龍馬と中岡慎太郎が殺害される。
犯人は新選組だとの噂もある。
なにせ原田の鞘が落ちていたらしく、問い合わせが来ている。
いくらこっちで騒いでも、世間は評判の良くない新選組を信じはしないだろう。
紀州藩も三浦休太郎が新選組に依頼して暗殺したなんて巷説もあるらしい。
新選組への恨み辛みから新選組を犯人にしたい連中もいるだろう。
新選組がやった可能性としては夜の巡察に出ている山南ならやりかねないとの見方もある。
そんな話をしていると、土方と近藤が部屋に入ってきたのだが、その後ろには藤堂や伊藤とともに御陵衛士として隊を離れた斎藤の姿があった。
土方によると本日付で新選組に復帰するとのこと。
元々本気で離隊したのではなく、間者として潜り込むために離隊という体をとったのだそう。
斎藤によると、伊藤たち御陵衛士は新選組に対して明らかな敵対行動を取ろうとしているとのこと。
伊藤は幕府を貶めるために羅刹隊の存在を公にしようとしている。
そのために薩摩と手を組んだとの話も出ているくらいだ。
そうなれば新選組は罪に問われ幕府の権威も失墜することになる。
場合によっては、薩長側がそれを戦の大義名分とすることだって有り得る。
そして、もう一つ聞き逃せないのが新選組局長暗殺計画である。
御陵衛士は既に新選組潰しに動き始めている。
なんでも先程の坂本龍馬暗殺を新選組に三浦が依頼したとの噂を回したのが御陵衛士だという。
土方の判断としては羅刹隊の存在を外にばらされては困る且つ近藤の命を狙っているともであっては死んでもらうと。
伊藤を近藤の別邸に呼び出し接待には土方も同席する。
その後伊藤を殺害しその遺体を使って残りの御陵衛士を呼び出し斬る。
実行部隊は永倉と原田となった。
沖田は相変わらず留守番を言いつけられ不服そうだ。
「……御陵衛士はこれで終わる。平助を呼び戻すつもりなら、これが最後の機会になるだろう」
「『!』」
御陵衛士を誘い出すということは藤堂も少なからず出てくる可能性がある。
「あの、土方さん」
「何だ?」
「御陵衛士の……平助くんはどうするつもりなんですか……?」
「そりゃあもちろん、助けるに決まって……」
永倉がそう言いかけた時、土方は迷わず「歯向かうなら、斬れ」と言い放った。
「嘘ですよね?だって平助くんは、ずっと一緒に過ごしてきた仲間で……」
そう問いかける千鶴を振り切るように土方は立ち上がりそのまま広間を出ていってしまう。
「本当に、平助くんを斬ってしまうつもりなんですか!?一度隊を出た人なんてもう仲間ではないから、死んでもいいって……そう仰るんですか!?」
「そんな筈がないだろう!!」
千鶴の叫びに、近藤が叫んだ。
「トシだって、本心では助けたいと思っているんだ。同じ志を持って江戸から上ってきた仲間を殺す命令を下して……平気でいられるはずがないだろう」
近藤の拳は、血が滲むほどきつくにぎりしめられていた。
近藤も土方も藤堂を死なせたくないのだ。
「すみませんでした。取り乱してしまって」
「……いや、君の立場なら、ああいうのが当たり前だ。平助は皆に慕われているのだな」
近藤は大きくため息を吐いたあと、藤堂と相まみえることになる二人を振り返った。
「永倉くん、原田くん。局長ではなく、近藤勇として頼む。平助を見逃してやってくれ。できるなら、隊に戻るよう説得してほしい」
「ああ、わかってるさ」
「……あいつの命が、俺たちの腕にかかってるわけだな。責任重大だ」
「これで皆、自分の役割は確認したな?もし質問があるなら、今のうちに言っておいてくれ」
「──待ってください」
千鶴が声を上げると近藤は驚いた様子で振り返る。
千鶴は自分や鶴姫に指示が出ていないことを述べた。
なにか手伝いたい、その気持ちが強い千鶴の申し出に近藤は困った顔をする。
今回の御陵衛士殺害計画は池田屋や元治甲子の変の時とは違う。
本来隊士でもない二人が役目に関わるべきでは無いことを近藤は述べる。
千鶴はそれでも手伝いたいと述べたが、鶴姫は留守番をする選択をした。
夜、皆の背中を見送ったあと、鶴姫は白い息を吐き出しながら夜空を見上げる。
真円にほど近い月がものも言わずに佇んでいた。
藤堂にどんな言葉をかければいいのか分からず、屯所に残ることを決めた。
それに、実行部隊は藤堂と仲のいい二人だ。きっと大丈夫なはずだと鶴姫は呟いた。
そう空を見上げていると、山崎から広間に人を集める手伝いをしてくれと声をかけてきた。
大変な知らせが入ったとのことだった。
伊藤殺害には成功し御陵衛士を油小路へと誘き寄せ包囲したところまでは良かったらしい。
しかし、その際に永倉たちと御陵衛士、双方を包囲する形で横槍が入ったという。
詳しいことはわかっていないが、薩摩の連中であるとのこと。
『永倉さんや原田さん、平助は無事なんですか?』
「敵の数はこちらを大きく上回っていたが、恐らくあの方々ならば、しばらくは持ちこたえてくれるはずだ」
「早急に援軍を送らなければならないね。動ける者は私と島田くんと」
そこまで言いかけた時、何かを壊すような音がどこからが聞こえてくる。
「大変です!──鬼が襲撃してきました!」
『なぜこんな時に……』
ふとそう考えたが、むしろこんな時だからこそなのではと考えが巡る。
屯所が手薄になっている今なら私を連れ去ることができると。
「状況を説明してくれ、島田くん。襲ってきたのは例の三人組かい?」
「いえ。刀を持った細面の男、一人です。確かあれは……」
『風間千景……』
私含め動けるものは一斉に外へと飛び出した。
そこにはまとわりつくような血の匂いと、物を言わなくなったおびただしい数の骸が広がっている。
「この骸は、羅刹隊……これを、風間が一人でやったと?」
「羅刹隊ということは、討って出たのは山南さんか。彼は今、どこに?」
「……あちらです!」
視線の先には山南と共に踊りかかった羅刹の一人が、風間の一閃で叩き斬られ地に落ちる。
「おのれ……!」
「貴様は他の雑魚より多少はマシだが……所詮は、まがい物の剣に過ぎぬ」
羅刹隊でただ一人、山南だけが辛うじて食い下がっている。
しかし、それでも相手にすらなっていない。
風間は迫る羅刹を一蹴しながら悠然と歩みを進めている。
「……穐月君、君は下がっていろ。あいつは我々が抑える」
『しかし!』
「敵は風間だけではない。いつ仲間が駆けてけてこないとも限らないからね。それに……羅刹が分別をなくして、襲いかかってくる公算も高い。」
『………』
山崎と井上はやがて頷き合い、刀を構えながら駆け出していく。
「穐月くん、中に隠れていてください。風間は我々が追い払います!」
『島田さん!』
島田もそのまま山南や井上たちに加勢した。
風間がなぜ突然襲撃してきたのか、はっきりした目的は分からないが、少なくとも狙いが鶴姫にある可能性は捨てきれない。
『そうだ、総司……』
今も病で伏せている沖田が心配になった鶴姫は目立たないよう少しづつその場をあとに、沖田の部屋へと向かう。
血に酔った羅刹たちに襲われてしまったら。
そう思うといても立ってもいられなかった。
『総司!』
確認もせず勢いよく襖を開け放った。
そこには既に戦いの体勢を整えている沖田がいた。
刀を腰に差し、今すぐにでも討って出ると言わんばかりに。
「……遅かったね。誰も呼びに来てくれないから自分から行こうと思ってたところなんだ」
『何を…!動いて大丈夫な状態では無いはず!』
「そんなことないよ。近藤さんの仇を取れないのは悔しいけど、他に活躍の場があるってことだしーー」
そういうものの沖田は激しく咳き込んだ。
鮮血を広げ苦しむ沖田に鶴姫は自身の考えが甘かったことを後悔する。
『総司、無理はやめて。今井上さんたちが戦っているから。』
「源さんや山崎くんが、池田屋で僕をあんな目に合わせた鬼を追い返せるとでも思ってる?」
『それは……』
「もし、源さんがあの鬼に殺されたら──、近藤さんがどれだけ悲しむと思ってるのさ!?」
『でも…』
「平気だよ、これぐらいなら。別に腕が衰えた訳じゃないんだから……!」
なかなか折れない沖田と鶴姫が攻防を繰り広げていると、どこからともなく声がした。
「……せっかく心配してくれてるのに、無下にするような真似は良くないよ」
『あの時薫さんと一緒にいた……』
そこには薫という女性と共にいた護衛のような姿をした男がいた。
しかし、今日の身なりはどこか高貴な姿を思わしめる。
「いきなりのご無礼をお許しください。これが、私本来の姿。訳あって、身分を偽っていたことはお詫びします」
『なぜ身分を偽ったのですか?なにか目的がなければわざわざそのようなことしませんよね。』
「身分を偽っていたのも、今日この場に現れたのも、全ては唯一の目的のため。そう──。妹を救うためにやってきたのです」
『妹……?』
「あなたの事ですよ、穐月鶴姫」
『私が妹………あなた楽?兄さんなの?!』
頭が混乱する。
目の前にいる男がずっと探していた兄だと。
最後に見た時から容姿が変わってしまっていた。
その男は妹である鶴姫を救いに来たという。
「穐月一族は雪村一族が倒幕の誘いを断って滅ぼされた折、共に滅ぼされた──お前は進という男に兄と共に連れ出された。しかしその数年あとに兄と父が順番に失踪」
『何故それを……』
「何故?それは俺が兄本人だからだ。おまえは赤と黒の脇差、白の太刀を持っているだろう。そして、兄はこの鶴の面を持って居なくなった、違うか?」
『………』
鶴の面。
それは穐月家に代々伝わる面。
一族の直系に女が生まれた時にその面をつけて男が出生祝いを踊る。
穐月の一族であることを証明するもの。
その面を見た鶴姫は驚きで目を見開く。
『本当に兄さんなの?!どうして居なくなったの!?』
「それはまだ言えない。でも、鶴姫を救いにきたのは間違いのない事実」
『話して!今すぐここで話して!』
そう取り乱す鶴姫の肩に沖田が手を置く。
沖田は落ち着いた様子で話始める。
「で、あの時一緒にいたもう一人は一体誰なの?」
「彼は雪村千鶴の兄・薫です。彼とその妹に父綱道さんとの血の繋がりはない。一族が倒幕の誘いを断り滅ぼされた後、妹の方は綱道さん、薫は南雲家に引き取られて離れ離れになってしまった。綱道さんは雪村千鶴がもう少し大きくなってから伝えるつもりだったのでしょう」
「でも、あの子が千鶴ちゃんと兄妹なんて証拠、どこにあるのかな?」
「顔だけでは信じられないか?では、この刀を証としよう」
穐月楽が見せた紙には大通連という千鶴が持っている刀と同じものが映っていた。
南雲薫が持っているのは太刀で、千鶴の小通連の対となる刀。
「じゃ君も鬼なんだね?」
「……冷静だな、沖田総司は」
「まあ、僕にとっては他人事だからね。鬼である君に、ひとつ聞いていいかな。君たちの目的は風間と同じで、この子達を利用すること?」
『え!?』
「……そんなつもりはないさ。だが、俺からも質問させてくれ。先程の問に肯定したら、沖田はどうする?病に冒されたその身体を引き摺ってでも、俺を止めるか?」
「……勝手に連れていけば。君らの事情なんて知ったことじゃないし」
「そうか……」
分かっていた。最初から。
沖田の目に初めから自分が映ってないことくらい。
そうじゃないと思いたかっただけなのもと。
「……そこ、どいてくれる?」
「退くわけにはいかない。今のおまえは、戦えないからな」
「……何を言ってるのさ。僕は、まだ戦えるよ!」
「どうしても戦いたいというのか?ならば──これを」
そうして楽が言葉の代わりに突きつけた瓶には見覚えがあった。
人を血の狂気に変えてしまう代物ー変若水。
雪村綱道が犯した、罪の証──。
『それは……なぜそれを!』
「綱道さんからもらったんだよ」
『千鶴の父から……?』
今ここでこれを出すということは、楽は。
「この薬は……」
「俺は、確かに鬼だ。身を置いている藩同士の事情で、風間たちに協力するように言われている」
やがて楽は少し視線を落として、切々と言葉を漏らす。
「だが……大切な妹を、ただ子を産むための道具としてしか見ないような奴らに、渡す気にはなれない」
「……だから、変若水を僕に与えて妹を守らせようって訳?なかなか自分勝手な理屈だね」
「……無責任な言い方で申し訳ないな。でも、選ぶのはおまえだ。今のように起き上がれないまま、【戦いたい】とただ叫ぶだけか──、これで羅刹となるか。新選組の一番組組長ともあろう方が、布団の上で血を吐きながら死ぬことを望むか?」
「…………」
黙り込む沖田に鶴姫は『駄目』と制止をかける。
沖田は鶴姫や千鶴以上に、苦しむ羅刹の姿を目にしている。
夜にしか出歩けず、血に狂う、人外の生き物。
『総司まであんな風になってしまったら……近藤さんがどれだけ嘆くと思う!?』
「近藤さん……」
『近藤さんのお役に立ちたいと願っても、羅刹になって役に立とうとすることを近藤さんが望むとは思えない!総司は近藤さんのことをとても尊敬してるじゃない。お願いだから、近藤さんを悲しませるようなことはしないで……』
鶴姫の必死の叫びに沖田は唇を噛む。
「……お前が胸を患ってから新選組の局長さんは何度思ったかな?【もし、この場に総司がいてくれれば】……って。今日だって、そんな状態でなければ、間違いなくおまえに命が下ったはずなのに」
「…………」
『やめてください!あなたが私の兄で、私のことを大切に思っているのなら──どうして総司にそんなものを渡すんですか!?』
鶴姫がそう叫んだ時、人の形をした何かが戸を蹴破って飛び込んできた。
「羅刹隊か……!」
飛び込んできた四人の瞳に血の色を見て、沖田は咄嗟に腰の刀へと手を伸ばす。
けれど、稲妻のような反応の速さについてこられたのは心だけで、抜き放とうとした刀は空しく音を立てて床へと転がり落ちる。
「これが……今の僕か……。新選組一番組組長、沖田総司か……」
そんな己の無力さが悲しかったのか、悔しかったのか、腹立たしかったのか。
沖田は次の瞬間楽の手から瓶をもぎとっていた。
『駄目総司!それを飲んでしまっては!』
羅刹を睨む沖田の瞳には、自分の未来の姿が映っているのだろうか。
沖田は一度だけ、鶴姫の方を向いた。
どこまでもいつも通りの……、少しだけ意地悪な微笑を浮かべて。
「まったく、君はこんな時まで」
『やめて!飲まないで──』
お願いと言うと同時に沖田の喉が鳴った。
楽が妖しく微笑むのが見える。
血に飢えた羅刹が、次々と飛び込んでくる中、鶴姫は沖田に覆い被さる。
しかし、次の瞬間には血の降る音が耳に轟いた。
人を捨てた白髪の羅刹が、鶴姫を脇へと避難させると血の雨をふらせていた。
「く、うっ──あぁあああっ!」
これが人としての生を捨て、ただ戦うための鬼。
羅刹と化した、沖田の姿。
沖田は雪を孕む嵐たいに白髪をなびかせ、次々と羅刹をたおしていく。
乱入してきた羅刹が全て血の海に沈むまで、ほんの一呼吸もかからなかった。
呪いの証のような沖田の白い髪先から、ぽたりぽたりと鮮血が滴り落ちている。
「……これで満足かい、穐月楽?」
「ああ。……立派だったよ、沖田総司。本当に感謝の言葉もない」
ぱちぱちと拍手を送る楽。
そしてその優しげな表情が、一瞬にして酷薄な笑みへと変じた。
「……まんまと俺の思惑に乗ってくれて、ね」
「何っ……!?」
限界が来たのか、糸が切れたように崩れ落ちる沖田を鶴姫は抱きとめる。
『総司!しっかりして!』
必死に問いかけると沖田の髪は色が戻ってきた。
それがたとえ、羅刹の本性を隠す擬態だとしても、少しだけ安堵してしまった鶴姫。
「鶴姫、さっき聞いていたな。なぜ、俺が鶴姫が大事に思う沖田に変若水を与えるのかって」
『総司が私の親しい人間だから……』
「そうさ。鶴姫の親しい人間だからだ……あはははは!」
『兄……さ…ん』
ありったけの怒りを込めて、鶴姫は目の前にいる楽を睨みつける。
『何がおかしいの!』
楽は心地良さげにますます笑みを深くした。
「おかしいんじゃない、うれしいんだ。俺と違って周りにいる全員から愛されて育った妹にそこまで苦しんでもらえて嬉しいんだよ!俺は、子を産み、治癒能力を持つとされる女鬼のお前ばかりが大事に育てられて憤っていたさ。でもさ、俺がどれだけ虐げられても仕方ないんだよ。子を産めやしない・治癒能力もない
男なんて、所詮は【価値がない】んだから」
楽は幾度となくぶつけられた言葉を、歌うように繰り返した。
そこに込められた虚無に──。
「ま、そんなこと言ってくれた奴らは、とっくに全員地獄に落としたけど……」
そして、そこに込められた怨讐に、鶴姫は思わず沖田を抱きとめる腕に力を入れた。
『っ……』
「俺と妹は同じ血を継いでいるのにたかが性別の違いや能力の違いで俺ばかり冷遇されることになったのは……誰のせいだと思う?」
自分と同じ顔なのに、不気味に笑う笑顔に心底ゾッとする。
兄が冷遇されていたこと、父はこのことを知っていたのか。
色々なことが頭を巡る。
「俺はお前が幸せな顔をしてるのが、ムカついてしょうがなかった」
言葉と同時に楽の手が鶴姫の首に伸びてきた。
『くっ……』
恐ろしいほどの力が、鶴姫の喉にかかる。
「その幸せな顔が崩れた時──沖田が出来損ないの鬼になった瞬間の表情を、俺の顔で再現してあげたいくらいだけどな、さすがの俺にも難しいな、あれ。わざわざ親しい人間を狙ってやった甲斐があって、想像してたよりずっと可愛い顔だったから!」
楽は鶴姫が苦しむのを見るために、その為だけに沖田を狙ったという。
『あな………たは……』
「苦しいか?俺が怖いか?でも、こんなものは序の口なんだ」
鶴姫の首から手を離し、咳き込む鶴姫に言い放ってから、楽は背を向ける。
闇に消える時、最後に残した表情は楽が昔鶴姫に意地悪をした時のようだった。
そして、哄笑だった。
「穐月鶴姫。兄さんはお前の不幸せをいつまでも願っているよ。……なんてな。あははははははは!」
『…………っ……』
涙が止まらなかった。
自分が知らないところで、自分のことをこんなにも憎んでいる人がいたことに。
そして何より、自分と兄の確執に人を巻き込んでしまったこと。
『けほっ………総司……っ…!』
意識を失ったままの沖田を支える手に力を込める。
『ごめんなさい………っ………私のせいで。総司は私の事なんてなんとも思ってなかったのに……私が総司と関わりを持ってしまったせいで、巻き込んでしまった……ごめんなさい………』
目を覚まさぬ沖田の頬にポタポタと鶴姫の涙がこぼれ落ちる。
鶴姫は沖田の頬を服の袖で拭う。
何度も何度も謝りながら。
『死なないで……』
そう言って抱きしめるも、その時の沖田は目を覚まさなかった。
伊藤暗殺、そしてその後の御陵衛士への襲撃は後に油小路の変と呼ばれるようになる。
この事件で新選組と御陵衛士双方にとって予想外だったのは、鬼が同行する薩摩藩の介入。
両者ともに薩摩の罠にハマって乱戦となり、藤堂が瀕死の重傷を負わされてしまった。
藤堂は生き延びるためあの薬を飲まざるを得なくなった。
──そしてもう一つ。
その事件の間に起きた風間千景による屯所の襲撃。
羅刹隊の投入で混乱した戦場において沖田もとうとう羅刹として戦う道を選んでしまった。
山南だけでなく、藤堂、沖田まで。
雪村綱道が持ち込んだというあの【薬】が少しづつ新選組を蝕んでいくみたいで鶴姫の心を不安の風が抜けていった。
To be continued