入隊希望者とその親族関係の明記を。
あなたを守ること 沖田
入隊希望者名簿
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
慶応三年六月。
伊東たちが新選組から離れて三ヶ月が経っていた。
そんなある日の夜のこと。寝ようとしていたところに土方からお呼びがかかる。
『なんでしょうか?』
「お前らに客だ。支度ができたら、広間まで来てくれ」
『私たちに?』
「お客ですか?」
不思議に思いながら二人は急いで身支度を終え広間に向かう。
広間に入ってまず驚いたのが───。
新選組幹部が勢ぞろいしていること。
「やあ、すまないね。休んでいるところを起こしてしまって」
「いえ、それはいいんですけれど」
「鶴姫ちゃん、髪すごい寝癖だよ。結い直してくる暇すらなかったの?」
『えっ!?本当?すみません』
「総司、くだらねえ冗談はやめろ」
『………』
「安心しろ、別に寝癖なんてついてねえよ」
『総司……』
少し怒りを含ませ沖田をちらっと見る鶴姫。
沖田はちぇっという感じでそっぽを向く。
「……よく来てくれましたね。そちらに座ってください」
『「はい……」』
珍しく山南まで揃っているところを見ると、変若水のことを知っている人の来訪か。
そして彼らと相対していたのが
「千鶴ちゃん、お久しぶりね。ごめんなさい、こんな夜遅くにお邪魔しちゃって」
「お千ちゃん!?」
「ああ、彼女は私のつれよ。まあ、護衛役みたいなものだと思ってね」
新選組の幹部たちは千鶴とお千のやり取りを見守る。
「お前らにどうしても話してえことがあるんだとよ」
『話?』
「お千ちゃん。今日は、一体なんの用事でここに?」
「用というのは、他でもないわ。──私ね、あなた達を迎えに来たの」
広間に戸惑いが広がる。
眉を顰める人、口をぽかんと開けている人、なんだそりゃと、舌打ちしている人もいる。
中でもいちばん困惑しているのは千鶴と鶴姫だった。
『どういう意味?』
「お千ちゃんの言うこと、よくわかんないよ」
「そうね。説明すると長くなるんだけど……何から話せばいいかしら」
「もはや、一刻の猶予もありません。すぐにここを出る準備をしてください。」
千の隣にいた女が言った。
『待って。なぜ私たちがあなたがたと一緒に行かねばならないの?』
「そうだぜ、訳が分からねぇ!いきなり訪ねてきて会わせろって言い出すし」
「あんたら、こいつらの親戚が何かか?こいつらの方には心当たりはねえようだが」
「頼むから、俺らにも理解できるように説明してくんねぇか?」
「私からもお願い、お千ちゃん」
千鶴は、正面からお千を見つめる。
「……まあ、そうよね。いきなりこんなことを言ってもわけがわからないわよね。わかったわ、順を追って説明するわね。ちょっと時間がかかりそうだけど」
「我々は、席を外していた方がいいかね?」
「いえ、同席していてください。あなたたちにも関わりがあることですから」
そう言ったあと、お千は皆をぐるっと見回して話し始めた。
「あなたたち、風間を知っていますよね?何度か刃を交えていると聞きました」
「………なんでその事を知ってる?」
「この京で起きていることは、だいたい耳に入ってくるのです」
「なるほど。おまえも奴らと似たような、胡散臭い一味だってことか」
「あんなのと一緒にされるのも不本意だけど。でも、遠からず……かしら」
「……まあいい、風間の話だったな」
「あいつは、池田屋、元治甲子の変、二条城と……。何度も俺たちの邪魔をしてきた薩長の仲間だろ」
「仲間って言うより、彼らは彼らでなにか目的があるみたいだったけどね」
「どっちにしても、奴らは新選組の敵だ」
「彼らの狙いが彼女たちだということも?」
お千の目が鶴姫たちを見すえる。
「それも、承知している。彼らは自らを【鬼】と名乗っていたな。信じている訳では無いが……」
「いえ、鬼と言われた方が妥当でしょう。三人が三人とも、人間離れした使い手ですから。それなのに、人の世界では全く名が通っていない──そんなことは、本来ありえないことです」
「あはは、山南さんが、そういうこと言うのって、珍しいですよね」
広間に微妙な空気が流れる。
沖田のことだから特に悪気はなかったのだろう。
「お千ちゃん。それで、あの……」
「彼らが人でないことは、あなたたちもよくおわかりの様子ですね。ならば、話は早いです。実を申せば、この私も人ではありません。私も鬼なのです」
「お、鬼!?お千ちゃんが……?」
「本来の名前は千姫と申します」
そう言って、千姫は優雅に一礼した。
まるで、やんごとなき身分の姫君のように。
「私は千姫様に代々仕えている忍びの家のものでございます」
「なるほどな。初対面だっつぅのにやけに愛想がいいと思ってたが、てめえの狙いは最初っから、俺を通じて新選組の情報を仕入れることか」
「さあ、何のことにござりましょう?」
土方に睨まれても彼女は少しも動ぜず、にっこり笑って小首を傾げてみせる。
「なんだよ土方さん、知り合いなのか?」
「よく見ろ、新八。君菊さんだ。島原であった時と風体は違うが、顔は同じだろ?」
「な……何だって!?」
永倉はあんまり驚いてして後ろにひっくりかえりそうになる。
君菊の顔をまじまじ見て見た。
視線に気づいて、ニッコリ微笑む君菊。
千姫の話は続く。
「この国には、古来から【鬼】という生き物が住んでいました。幕府や諸藩の高い位の立場の者は知っていたことです」
風間たちという鬼の存在を認めた以上、それは驚くべきことではなかった。
新選組の人たちも薄々はわかっていたことだ。
「ほとんどの鬼たちは、人々と関わらず、ただ静かに暮らすことを望んでいました。ですが……鬼の強力な力に目をつけた時の権力者は自分たちに力を貸すように求めました」
『鬼たちはそれを受け入れたの?』
「いえ、多くのものは拒みました。人間達の争いや彼らの野心に、なぜ自分たちが加担しなければならないのかと。ですが、そうして断った場合、圧倒的な兵力が押し寄せて村落が滅ぼされることさえあったのです。」
「ひどい……」
『鬼の力を持ってしてもなんともならなかったところを考えると、鬼の世界では見たことの無い武器などが使われていた可能性を考えるけど……』
「はい。そのため、鬼の一族は次第に各地に散り散りになり、隠れて暮らすようになりました。人との交わりが進んだ今では、純血に近い鬼の一族はそう多くはありません」
「それが、あの風間たちだということかな?」
千姫は小さく頷く。
「今西国で最も大きく血筋のよい鬼の家と言えば、薩摩の後ろ盾を得ている風間家です。頭領は風間千景」
「風間千景……」
「そして、東側で最も大きな家はーー雪村家……あなたの家よ、千鶴ちゃん」
「えっ!?」
千鶴は不意に自分の家名を出されて、息を呑む。
「雪村家の鬼たちが隠れ住んでいた里は、人間たちの手によって滅ぼされたと聞いています。ですが、彼女は雪村一族その生き残りではないか。私はそう考えています。千鶴ちゃん。あなたには特別強い鬼の力を感じるの」
「そんな……だって、私は…」
「わかる限りではあるけど、お菊にも、あなたの家の事調べさせたわ」
「信じられぬのも無理はありませんが、まず間違いないかと」
あまりに突然明かされた真実に、千鶴は二の句をつげなくなる。
「そして鶴姫ちゃん」
『はい』
今まで知りもしなかった情報に、自分の名が呼ばれ思わず身構える。
「あなたは全国の鬼を統べる一族の生き残りです」
確信に満ちた言葉に、広間は静まり返った。
「東西でそれぞれ最も大きい家がありましたが、それを凌駕する強さを持つのが穐月家です。東西の境で代々生活しており、東西の鬼の均衡を保っていました。一時期は両家と争っていたこともあったそうですが、先程の時の権力者に逆らったために姿を隠したと言われ、それ以来消息は掴めていませんでした。」
みんな静かに聞き入る。
千姫は話を続ける。
「穐月家の子孫である証は赤と黒の脇差、そして女鬼だけが代々受け継ぐ白の太刀」
『!』
穐月家の子孫である証は三振りの刀。
中でも白の太刀は、一族に女が生まれ、かつその女が15を過ぎて健康体であれば鬼の祠から出されるものらしい。
「また、穐月家の女鬼は年頃になると鬼と鶴の容姿をとるとされています」
「鬼と鶴の両方の姿?」
「はい。毛先の黒い白髪で、瞳は紅く、頭や額には大中小の紅いツノが六本が出るとされています」
『されている?』
「はい。八百年以上前から女鬼の史料が残っていないのです。権力者に女鬼の力が知れるのを防ぐために歴代の史料を全て燃やし、口伝するようになったたとの話もあります」
「伝聞記事では当該史料に劣る……か」
「そのようなところです。所詮伝聞にすぎませんので真偽の程までは……。身体に変化はありませんか?」
『目に痛んだり、心臓が大きく脈打つことがあります』
「それは本来の姿を取り戻している途中であることをあらわしているのかもしれません」
それは新選組幹部たちも、それぞれに思い当たることがあった。
何度か鶴姫が目の痛みを訴える場面に遭遇している。
風間たちが鶴姫たちを狙った理由にも思い当たることがあった。
そして鶴姫たち自身も分かっていた。
普通の人は違う、二人だけの秘密。
……傷の治りの早さ。
あえて触れることを避けてきた事実を目の前に突きつけられる。
「千鶴ちゃんや鶴姫ちゃんが純血の鬼の子孫であれば、風間が求めるのも道理です。」
「なるほど……嫁にする気か」
「風間は必ずどちらかを奪いに来るでしょう。今のところ本気でしかけてきてはいないようですが、それがいつまで続くかは分かりません。そうなった時、あなたたちが守りきれるとは思わない。たとえ新選組だろうと、鬼の力の前では無力です」
「なあ、千姫さんよ。無力ってのは、言い過ぎじゃねぇか?」
今まで静かに話を聞いていた永倉が割って入る。
「新八の言う通りだ。そいつはちっとばかし、俺たちを見くびりすぎだぜ?」
「今まで互角に戦うことが出来たのは、彼らが本気ではなかったからです。」
「では、本気になってもらおうじゃありませんか。本物の鬼の力、見せていただきたいものですね」
「山南さん、それは……」
風間たちの力は今までだって相当なものだった。
新選組の幹部が軽くあしらわれることもあった。
そんな相手と本気で戦うとしたら、どちらかが倒れるまでやらなければならないだろう。
「……新八や原田の言う通りだ。確かに連中は人並み以上の力は持ってやがったが……絶対勝てねえほどの力の差はなかった。たとえ、奴らが多少手加減してたとしてもな」
「そうですね。こっちには、泣く子も黙る鬼副長がいますし」
「総司、てめえは黙ってろ。おまえは一言二言多いんだよ」
「お気持ちはよく分かりますが……。実際にはそう簡単でないことはわかっていらっしゃるのでしょう?あなたたちの役目は京の治安を守ることであって、彼女を守ることでは無いのですし、ですから私たちに任せてください。私たちなら彼女たちを守りきれます」
「おいおい、決めつけんなよ。俺たちじゃ、あいつらに勝てねえってのか?」
「言葉は悪いが、そっちの戦力は女が二人だろ?あんたらの細腕で風間や天霧、不知火と渡り合えるとは、思えねえんだがな」
「なにより……よそ者が僕たち新選組の内情に、口を出さないでほしいよね」
千姫の申し出を皆が口々に拒んだ。
その言葉は一様に怒気をはらんでいたし、千も君菊も困惑している様子。
「土方さんはどうお考えですか?」
千姫の隣で控えていた君菊が口を開いた。
「風間たちの力を承知している土方さんなら、姫のお話お分かりいただけるんじゃありません?千鶴と鶴姫をこちらに渡してくださいな」
「それとこれとは話が別だ」
君菊の微笑みが凍りつく。
「鬼ごときに恐れを為して、一旦守ると決めた相手を放り出すってのは、俺たちのやり方じゃねえんだ。それに、あんた方が鬼だってのは百歩譲って認めてやってもいいがだからって別に、あんた方を信用した訳じゃねえからな」
「……随分な物言いですわね。千姫様は鈴鹿御前様の血を引く──」
「お菊、おやめなさい。今はそのようなことを言っているときではありません」
千姫はあくまでも穏やかに、しかし反論を許さない態度で制止する。
「私も土方くんに同意します。……もし彼女達が人とは違う生き物の血を引いているのだとすれば、今後色々とご協力願いたいこともありますしね。」
山南の言葉を聞いて、君菊はきっと睨みつけた。何も言わなかったのは千の手前だろう。
「そうですか……困りましたね。どうしても、承知してはいただけませんか?」
腕組みして考えていた近藤が口を開く。
「……ちょっと!待ってくれるかね。肝心なことを確かめてないじゃないか」
「肝心なこと?」
「雪村くん、穐月くん、君たち自身はどう思うんだ?」
「わ、私は……まだなんとも……」
『私も』
「ふむ、そうか。我々の前では、何かと話しにくいかもしれないな。千姫さんと三人で話してくるといい」
「近藤さんっ、そいつは……!」
反対したのは土方だけではなかった。
近藤以外の全員が口々に異論を唱える。
「せめて誰か一人、立ち会うべきでしょう。あちらも君菊さんに来てもらえばいい」
「まあ、いいじゃないか」
近藤は幹部たちの顔を見回す。
「我々は今まで彼女たちの意思を無視し続けてたんだ。彼女たちがここを出たいというのであれば、止めることなどできんだろう」
『近藤さん……』
「ったく。相変わらず甘いんだな、あんたは」
「ま、近藤さんがいいんじゃ、仕方ないですよね」
「それにこの子たちは無茶なことはしないよ。ちゃんと道理をわきまえた子だ。なあ、雪村君、穐月君?」
「はい。皆さんを裏切るような真似はしません」
『右に同じく』
「仕方ないなあ、近藤さんが言うんじゃ。僕は全力で反対ですけどね。特に鶴姫ちゃんは僕の小姓だし」
沖田の言葉が、皆の気持ちをほぼ代弁していた。
後半はほとんど私情だが。
局長の決定の重さもあるだろうが、それ以上に近藤の人柄だろう。
「三人きりになった途端、そのまま彼女たちを連れ去る……なんてことは無いでしょうね?」
山南が千姫に念を押す。
「心配は無用です。鬼は、一度交した約束は守りますから」
「……大丈夫です。お千ちゃんは悪い人じゃありませんから」
『角屋潜入の時にお世話になったけど、私も敵意は感じません』
「ありがとう、千鶴ちゃん、鶴姫ちゃん」
鶴姫たちは自分の部屋で千と三人になった。
千は頑なに新選組が二人を守りきれるのは無理だと言い切る。
真剣に二人のみを安じている目ではあった。
「今後、京の政局はますます混乱するはずよ。そんな時に、風間がやってきたらどうなると思う?あなたたちは新選組から離れるべきだわ。そうすれば、彼らも心置きなく戦える。」
「ありがとう、お千ちゃん。でも……」
「もしかして……ここから離れたくない理由でもあるの?」
「………うん」
『まだやらねばならない事があるの。それはお千の側に着いたとして果たされることではない』
「あらら……。もしかして二人とも誰か心に想う人でもいるとか?」
「えっ!?」
ズバリというところをつかれてしどろもどろになる千鶴。
特段女同士の会話。隠すことも無い気がする。
『確証は……ないけど』
「私はいる…」
鶴姫と千鶴は千姫の目をじっと見つめた。
千姫は少しだけ驚いた様子だったが。
自分の気持ちを伝えるように見つめると、千はほっとしたように口元を緩める。
「………そっか」
分かったというように、千がニコッと笑う。
「誰なのかまでは聞かないけど、あなたたちが一人の女の子として見つけたものがここにはいる。それなら、離れろなんて言えないなあ」
鶴姫と千鶴が広間に戻ると、近藤以下、新選組の幹部と君菊が待っていた。
出ていく前と特に変わった様子はない。
「どうだった?結論は出たかな」
二人が答えるよりも先に、千が一歩前に出た。
「これまで通り、彼女達のことよろしくお願いします」
「お千ちゃん……」
『申し訳ありません』
千が幹部の人達に深々と頭を下げる。
「姫様……よろしいのですか、本当に?」
「ええ、もう決めたことだから。今は彼女達の意志を優先しましょう」
「わかった。そういうことなら今後も新選組が責任をもって彼女達の身を預からせてもらおう」
近藤のこの言葉で、堰を切ったように、皆が鶴姫たちの元に寄ってくる。
「まあ、大船乗ったつもりで任せとけって!」
「新八の船は泥舟だけどな。しかし、まあ……良かったな」
「ここに残るなんて、君も物好きだね。肝が据わってるのか、単に鈍感なだけなのか……」
「言っておくが、客人扱いする気は無いからな。お前らの待遇は今までと同じだ」
「……はい。改めて」
『よろしくお願いします』
最後に千が鶴姫と千鶴の手を取る。
「くれぐれも気をつけてね。私はいつでもあなたたちの味方だから」
「ありがとう……お千ちゃん」
『ありがとう』
そして千と君菊は屯所を去っていった。
「はあ………」
『びっくりしたね。私たちが西の鬼と全国の鬼を統べる鬼だなんて。あれこれ考えちゃうね』
「うん。純血の鬼の家の頭領になるべき者だということ、風間さんたちの狙いは私たちだということ……」
ここに残ることを決めたはずなのに本当にいてもいいのだろうか?
いた方がいいのだろうか?
色んな思いが頭の中をぐるぐると駆け巡る。
もちろんそれが二人の希望だったし、他にとるべき道はなかった。
すると、外から刀が擦れ合う音がする。
「夜分に失礼します!」
廊下から人の声がした。
「………は、はい!?」
『何かあったのですか?』
二人の返事を待ちかねたように、島田が部屋に入ってくる。
その表情はいつになく緊張したものだった。
「鬼たちが屯所に襲撃を仕掛けてきました」
「ええっ!?」
『夜襲……ですか』
千鶴は慌てて部屋を飛び出そうとしたが、島田に制止される。
「奴らの狙いはお二人です。ここでじっとしていてください」
「で、でも……!」
『千鶴。島田さんの言う通り。ここで出ていけば敵の思う壺。騒ぎの元凶は間違いなく私たち、そして何故か分からないけど特に風間は千鶴を狙う可能性がある気がする。』
「そんな……」
『何か嫌な予感がするの…』
「鶴姫ちゃん!」
「穐月くん!困ります!絶対に君たちをここから出すなと、副長が仰せです」
『お願いします、行かせてください』
「……俺が任せられたのはあなたたちの護衛です。ここから出ると言うなら、ついていきます」
『それでは千鶴まで出てきてしまうことになります。私は一人で大丈夫です。千鶴をお願いします』
そう言うと鶴姫は太刀を手に一人で境内に出た。
「貴様は……」
『風間……千景!』
風間本人の声だと理解した瞬間、伸びてきた腕に鶴姫の身体は引き寄せられる。
それと同時に今まで感じたことの無い激痛が目に走る。
心臓が大きく鼓動し呼吸もしづらい。
『あああぁっ!』
あまりの痛みに地に膝を着く。
ガシャンと手にいていた太刀が地に落ちる。
それを風間は腕で捕まえる。
「……そろそろ姿を見せる時か」
『離っ……してください!』
「今日、八瀬一族がここを訪れたそうだが、かの者たちから、様々なことを聞かされただろう?誇り高き純血の鬼であるおまえたちは、このような紛い物共の巣にはそぐわぬ。……俺と共にこい」
と風間は鶴姫の耳元で囁く。
嘲るような、面白がるような口ぶり。
風間が発した【紛い物】という言葉が何を指しているのかは明らかだ。
「いくら人間に協力したところで、最後は裏切られるだけだぞ?まがい物の鬼たちの哀れな姿は、お前も目にしたはずだな?名を成す為、あのようなものを生み出す連中に手を貸すことが正しきことだと、本気で思っているのか?」
『わ、私には………やることがあります。それに、新選組の事情をおまえたちは何も知らないのに!』
やっと言葉に出せた時。
目からの激痛で何も見えないなか絞り出せた言葉。
まだやらなければならないことがある。
「事情を知ったからと言って、目をつぶれというのか?」
『それは……』
その時ーー
「屯所に討ち入ってくるとは大した度胸だな。お千とかいう女といい、てめえといい……ここは、鬼とやらの集会所じゃねえんだぜ……これ以上、好き勝手はさせねえ。覚悟はいいか」
「てめえ、嫁取りのためにわざわざ俺たちの元に押しかけてきてやがるんだってな?こんだけ肘鉄食わされりゃ、そろそろ思い知ってもいい頃だと思うが……鬼っつうのは、よっぽど諦めが悪いみてえだな」
『土方さんっ、原田さんっ……』
二人の後にも山崎を始めとして何人かの隊士が続いている。
しかし、その中には見当たらない人がいる。
もしかしたら、倒されたのだろうか。嫌な予感がする。
「貴様らには、この者の値打ちなどわかるまい。鬼は、鬼の元にあるのが定め。相応しい者の手にあってこそ、真価を発揮するというものだ」
「はぢ、真正面から口説いて振られんのが、怖えからって、無理矢理連れ去ろうっつうのか?格好悪りぃぜ、てめえのやり方はよ」
新選組は風間を取り囲む。
風間は千鶴に接触をはかると思いきや、狙いはどうやら鶴姫にあるよう。
「言っておくが、そいつは人質にはならねえ。そいつを盾に取ったところで、俺たちはなんの躊躇いもなく──てめえを斬る」
「元よりそんなつもりは無い。貴様らごときに人質など必要ないからな」
風間を中心に間合いが徐々に詰まる。
緊張感が高まってきていた。
鶴姫は未だ目に痛みを伴ったまま、風間の腕から逃れようともがく。
「……無駄だ。同じ鬼同士なら男鬼の方が女より力は強い。それよりも見ろ、少しずつ本来の姿を取り始めたぞ」
揉み合った衝撃で髪紐は解けていく。
元々黒い髪は髪はほとんどが白く、毛先だけ黒くなっている。
小さな紅いツノも二本確認がとれる。
「美しい……八百年世に知られることのなかった日ノ本で一番美しい鬼の姿…」
鶴姫の額には焼印が付けられるように少しずつ印が現れ始める。
月明かりに照らされたその姿は今にも飛び立っていきそうな鶴に見えた。
それを見た風間は鶴姫を抱えたまま皆の輪を易々と突破してしまう。
「新選組局長、近藤勇である!いざ尋常に、勝負!!」
そこに近藤が駆けつけてくる。
「行きがけの駄賃に、新選組局長の首を貰っていくか」
「待っていろ!今助ける!」
『こん……ど…うさん……来てはいけません…』
「ぬおおおぉっ……ふんぬっ!!」
近藤が風間に挑みかかる。
凄まじい気合いと共に大上段から刀を振り下ろす。
ぶんっと風を斬る音。
風間はそれを受け流す。
続く一太刀。
がしんっと鋼と鋼がぶつかり合い、火花が散る。
さらにもう一撃。
風間は今度は自分が手にしていた刀で受け止める。
「人間にしては、まあまあだ。新選組局長の名は、伊達ではないということか」
さすがの風間も鶴姫を抱えたままでは思うように闘えないらしい。
近藤の一刀一刀を見切って受け止めるのが精一杯の様子だ。
「彼女を返してもらおう。でやっーー!」
「くっ…!」
近藤の勢いに圧され、風間が二三歩退いた。
その時ーー。
『!』
鶴姫の身体が大きく投げ出される形となり、宙を舞った。
そして、地面に倒れた矢先
「大丈夫か、穐月君。さあ、立つんだ!」
『や、山崎さん』
山崎の手を借りてようやく立ち上がる鶴姫。
この間にも近藤と風間の戦いは続いている。
鶴姫という枷がなくなり、ようやく全力を出せるようになったのかーー。
風間の動きは先程までとは全く違っていた。
「どうした?そろそろ生きが上がってきたようだな」
「ぬう……まだまだっ!」
山崎は眉をしかめながらその様子を見守っていたが、やがてーー。
「穐月君、君は建物の中に隠れていろ。絶対に出てくるな。……いいな」
『わかりました……』
鶴姫は痛みの残る目を抑えながら屯所の中へと駆け込んだ。
隠れていろとは言われたが一体どこへ行けばいいのか。
白くなった髪はどこに隠れていても目立つ。
とにかくどこかへと思っていると、とある部屋の戸が開いていた。
そこに飛び込もうとした時だった。
なにかに足を取られ、前のめりに倒れてしまう。
しかし、倒れたにもかかわらず、身体に痛みはやってこない。
なんなら、なにか柔らかいものが下に。
「随分と大胆な登場だね」
『総司!』
「まさか、いきなり押し倒されるなんて思わなかったなあ」
『違うの!悪気はなくて。たまたま……』
そう弁解する鶴姫の目に月明かりに照らされた沖田の姿が目に入る。
「たまたまねえ……まあいいけど。でもさ、僕の上ってそんなに居心地がいいのかな?」
『……ごめん』
「冗談だよ。今の体勢、不本意だったの?」
『そういう訳じゃ……』
そう俯くと、沖田の手が鶴姫の顔をあげさせる。
「髪、白くなって角も生えてきたね。これが鬼の姿か……」
『?』
小さく囁くように口から出た言葉は鶴姫の耳には届かなかった。
鶴姫の姿は少しづつ本来の姿になっている様子。
そんな中、境内の方から再び剣戟の音が聞こえてくる。
「外は大騒ぎだね。……鬼が来てるんだって?」
『ええ』
「本当は、僕も出たいんだけどね。もし出たら、近藤さんに叱られちゃうから。鶴姫ちゃんも隠れてろって言われたんでしょ」
沖田はどこか寂しげな眼差しで、境内を見やった。
本当は出ていきたいというのがひしひしと伝わる。
「でも、近藤さんが出たんだよね?」
『そう。でも相手は風間……』
鶴姫の言いたいことがわかったのか、沖田は近藤なら大丈夫だと伝える。
その瞳には、近藤への純粋な憧憬が宿っていた。
「さ、お呼びが来るまではここで隠れてようか」
『うん』
そう言う沖田はまた鶴姫の方をじっと見つめる。
『どうかした?』
「まだ目は痛む?」
『少し。』
「そっか。……鶴姫ちゃんは、本来の姿になりたい?」
『見てみたい気もするけれど、そうなることで人間の自我を保っていられるのかどうか。それにもよるかな。鬼だから最初は無差別に人を攻撃するかもしれないし』
「そんなことまで考えてるんだ」
沖田はそう言うと天井を見上げる。
「穐月君、無事か?」
山崎が息せき切って飛び込んできた。
『山崎さん。大丈夫です。どうなりましたか』
「何とか、撤退させることが出来た。おそらく今夜はもう、戻っては来ないだろう」
『良かった……』
「……ほらね、だから言ったでしょ」
そう微笑む沖田の表情には、寂しげな色が宿っていた。
もしかしたら沖田は近藤と一緒に戦いたかったのかもしれない。
「穐月君、部屋へ戻りたまえ。そろそろ休んだ方がいいだろう」
『わかりました。それじゃ総司……』
「はいはい、おやすみなさい」
沖田に見送られ、千鶴が待つ部屋へと戻った。
この頃にはすっかり髪も額も元通りに戻っていた。
少しづつ自分が人間でなくなっていく感覚が身体中を駆け巡る。
毛先だけ黒い白い髪、額に生える角、額に現れるなにかの印、目に走る激痛。
この感覚に不安を覚えながら鶴姫は眠りについた。
To be continued
伊東たちが新選組から離れて三ヶ月が経っていた。
そんなある日の夜のこと。寝ようとしていたところに土方からお呼びがかかる。
『なんでしょうか?』
「お前らに客だ。支度ができたら、広間まで来てくれ」
『私たちに?』
「お客ですか?」
不思議に思いながら二人は急いで身支度を終え広間に向かう。
広間に入ってまず驚いたのが───。
新選組幹部が勢ぞろいしていること。
「やあ、すまないね。休んでいるところを起こしてしまって」
「いえ、それはいいんですけれど」
「鶴姫ちゃん、髪すごい寝癖だよ。結い直してくる暇すらなかったの?」
『えっ!?本当?すみません』
「総司、くだらねえ冗談はやめろ」
『………』
「安心しろ、別に寝癖なんてついてねえよ」
『総司……』
少し怒りを含ませ沖田をちらっと見る鶴姫。
沖田はちぇっという感じでそっぽを向く。
「……よく来てくれましたね。そちらに座ってください」
『「はい……」』
珍しく山南まで揃っているところを見ると、変若水のことを知っている人の来訪か。
そして彼らと相対していたのが
「千鶴ちゃん、お久しぶりね。ごめんなさい、こんな夜遅くにお邪魔しちゃって」
「お千ちゃん!?」
「ああ、彼女は私のつれよ。まあ、護衛役みたいなものだと思ってね」
新選組の幹部たちは千鶴とお千のやり取りを見守る。
「お前らにどうしても話してえことがあるんだとよ」
『話?』
「お千ちゃん。今日は、一体なんの用事でここに?」
「用というのは、他でもないわ。──私ね、あなた達を迎えに来たの」
広間に戸惑いが広がる。
眉を顰める人、口をぽかんと開けている人、なんだそりゃと、舌打ちしている人もいる。
中でもいちばん困惑しているのは千鶴と鶴姫だった。
『どういう意味?』
「お千ちゃんの言うこと、よくわかんないよ」
「そうね。説明すると長くなるんだけど……何から話せばいいかしら」
「もはや、一刻の猶予もありません。すぐにここを出る準備をしてください。」
千の隣にいた女が言った。
『待って。なぜ私たちがあなたがたと一緒に行かねばならないの?』
「そうだぜ、訳が分からねぇ!いきなり訪ねてきて会わせろって言い出すし」
「あんたら、こいつらの親戚が何かか?こいつらの方には心当たりはねえようだが」
「頼むから、俺らにも理解できるように説明してくんねぇか?」
「私からもお願い、お千ちゃん」
千鶴は、正面からお千を見つめる。
「……まあ、そうよね。いきなりこんなことを言ってもわけがわからないわよね。わかったわ、順を追って説明するわね。ちょっと時間がかかりそうだけど」
「我々は、席を外していた方がいいかね?」
「いえ、同席していてください。あなたたちにも関わりがあることですから」
そう言ったあと、お千は皆をぐるっと見回して話し始めた。
「あなたたち、風間を知っていますよね?何度か刃を交えていると聞きました」
「………なんでその事を知ってる?」
「この京で起きていることは、だいたい耳に入ってくるのです」
「なるほど。おまえも奴らと似たような、胡散臭い一味だってことか」
「あんなのと一緒にされるのも不本意だけど。でも、遠からず……かしら」
「……まあいい、風間の話だったな」
「あいつは、池田屋、元治甲子の変、二条城と……。何度も俺たちの邪魔をしてきた薩長の仲間だろ」
「仲間って言うより、彼らは彼らでなにか目的があるみたいだったけどね」
「どっちにしても、奴らは新選組の敵だ」
「彼らの狙いが彼女たちだということも?」
お千の目が鶴姫たちを見すえる。
「それも、承知している。彼らは自らを【鬼】と名乗っていたな。信じている訳では無いが……」
「いえ、鬼と言われた方が妥当でしょう。三人が三人とも、人間離れした使い手ですから。それなのに、人の世界では全く名が通っていない──そんなことは、本来ありえないことです」
「あはは、山南さんが、そういうこと言うのって、珍しいですよね」
広間に微妙な空気が流れる。
沖田のことだから特に悪気はなかったのだろう。
「お千ちゃん。それで、あの……」
「彼らが人でないことは、あなたたちもよくおわかりの様子ですね。ならば、話は早いです。実を申せば、この私も人ではありません。私も鬼なのです」
「お、鬼!?お千ちゃんが……?」
「本来の名前は千姫と申します」
そう言って、千姫は優雅に一礼した。
まるで、やんごとなき身分の姫君のように。
「私は千姫様に代々仕えている忍びの家のものでございます」
「なるほどな。初対面だっつぅのにやけに愛想がいいと思ってたが、てめえの狙いは最初っから、俺を通じて新選組の情報を仕入れることか」
「さあ、何のことにござりましょう?」
土方に睨まれても彼女は少しも動ぜず、にっこり笑って小首を傾げてみせる。
「なんだよ土方さん、知り合いなのか?」
「よく見ろ、新八。君菊さんだ。島原であった時と風体は違うが、顔は同じだろ?」
「な……何だって!?」
永倉はあんまり驚いてして後ろにひっくりかえりそうになる。
君菊の顔をまじまじ見て見た。
視線に気づいて、ニッコリ微笑む君菊。
千姫の話は続く。
「この国には、古来から【鬼】という生き物が住んでいました。幕府や諸藩の高い位の立場の者は知っていたことです」
風間たちという鬼の存在を認めた以上、それは驚くべきことではなかった。
新選組の人たちも薄々はわかっていたことだ。
「ほとんどの鬼たちは、人々と関わらず、ただ静かに暮らすことを望んでいました。ですが……鬼の強力な力に目をつけた時の権力者は自分たちに力を貸すように求めました」
『鬼たちはそれを受け入れたの?』
「いえ、多くのものは拒みました。人間達の争いや彼らの野心に、なぜ自分たちが加担しなければならないのかと。ですが、そうして断った場合、圧倒的な兵力が押し寄せて村落が滅ぼされることさえあったのです。」
「ひどい……」
『鬼の力を持ってしてもなんともならなかったところを考えると、鬼の世界では見たことの無い武器などが使われていた可能性を考えるけど……』
「はい。そのため、鬼の一族は次第に各地に散り散りになり、隠れて暮らすようになりました。人との交わりが進んだ今では、純血に近い鬼の一族はそう多くはありません」
「それが、あの風間たちだということかな?」
千姫は小さく頷く。
「今西国で最も大きく血筋のよい鬼の家と言えば、薩摩の後ろ盾を得ている風間家です。頭領は風間千景」
「風間千景……」
「そして、東側で最も大きな家はーー雪村家……あなたの家よ、千鶴ちゃん」
「えっ!?」
千鶴は不意に自分の家名を出されて、息を呑む。
「雪村家の鬼たちが隠れ住んでいた里は、人間たちの手によって滅ぼされたと聞いています。ですが、彼女は雪村一族その生き残りではないか。私はそう考えています。千鶴ちゃん。あなたには特別強い鬼の力を感じるの」
「そんな……だって、私は…」
「わかる限りではあるけど、お菊にも、あなたの家の事調べさせたわ」
「信じられぬのも無理はありませんが、まず間違いないかと」
あまりに突然明かされた真実に、千鶴は二の句をつげなくなる。
「そして鶴姫ちゃん」
『はい』
今まで知りもしなかった情報に、自分の名が呼ばれ思わず身構える。
「あなたは全国の鬼を統べる一族の生き残りです」
確信に満ちた言葉に、広間は静まり返った。
「東西でそれぞれ最も大きい家がありましたが、それを凌駕する強さを持つのが穐月家です。東西の境で代々生活しており、東西の鬼の均衡を保っていました。一時期は両家と争っていたこともあったそうですが、先程の時の権力者に逆らったために姿を隠したと言われ、それ以来消息は掴めていませんでした。」
みんな静かに聞き入る。
千姫は話を続ける。
「穐月家の子孫である証は赤と黒の脇差、そして女鬼だけが代々受け継ぐ白の太刀」
『!』
穐月家の子孫である証は三振りの刀。
中でも白の太刀は、一族に女が生まれ、かつその女が15を過ぎて健康体であれば鬼の祠から出されるものらしい。
「また、穐月家の女鬼は年頃になると鬼と鶴の容姿をとるとされています」
「鬼と鶴の両方の姿?」
「はい。毛先の黒い白髪で、瞳は紅く、頭や額には大中小の紅いツノが六本が出るとされています」
『されている?』
「はい。八百年以上前から女鬼の史料が残っていないのです。権力者に女鬼の力が知れるのを防ぐために歴代の史料を全て燃やし、口伝するようになったたとの話もあります」
「伝聞記事では当該史料に劣る……か」
「そのようなところです。所詮伝聞にすぎませんので真偽の程までは……。身体に変化はありませんか?」
『目に痛んだり、心臓が大きく脈打つことがあります』
「それは本来の姿を取り戻している途中であることをあらわしているのかもしれません」
それは新選組幹部たちも、それぞれに思い当たることがあった。
何度か鶴姫が目の痛みを訴える場面に遭遇している。
風間たちが鶴姫たちを狙った理由にも思い当たることがあった。
そして鶴姫たち自身も分かっていた。
普通の人は違う、二人だけの秘密。
……傷の治りの早さ。
あえて触れることを避けてきた事実を目の前に突きつけられる。
「千鶴ちゃんや鶴姫ちゃんが純血の鬼の子孫であれば、風間が求めるのも道理です。」
「なるほど……嫁にする気か」
「風間は必ずどちらかを奪いに来るでしょう。今のところ本気でしかけてきてはいないようですが、それがいつまで続くかは分かりません。そうなった時、あなたたちが守りきれるとは思わない。たとえ新選組だろうと、鬼の力の前では無力です」
「なあ、千姫さんよ。無力ってのは、言い過ぎじゃねぇか?」
今まで静かに話を聞いていた永倉が割って入る。
「新八の言う通りだ。そいつはちっとばかし、俺たちを見くびりすぎだぜ?」
「今まで互角に戦うことが出来たのは、彼らが本気ではなかったからです。」
「では、本気になってもらおうじゃありませんか。本物の鬼の力、見せていただきたいものですね」
「山南さん、それは……」
風間たちの力は今までだって相当なものだった。
新選組の幹部が軽くあしらわれることもあった。
そんな相手と本気で戦うとしたら、どちらかが倒れるまでやらなければならないだろう。
「……新八や原田の言う通りだ。確かに連中は人並み以上の力は持ってやがったが……絶対勝てねえほどの力の差はなかった。たとえ、奴らが多少手加減してたとしてもな」
「そうですね。こっちには、泣く子も黙る鬼副長がいますし」
「総司、てめえは黙ってろ。おまえは一言二言多いんだよ」
「お気持ちはよく分かりますが……。実際にはそう簡単でないことはわかっていらっしゃるのでしょう?あなたたちの役目は京の治安を守ることであって、彼女を守ることでは無いのですし、ですから私たちに任せてください。私たちなら彼女たちを守りきれます」
「おいおい、決めつけんなよ。俺たちじゃ、あいつらに勝てねえってのか?」
「言葉は悪いが、そっちの戦力は女が二人だろ?あんたらの細腕で風間や天霧、不知火と渡り合えるとは、思えねえんだがな」
「なにより……よそ者が僕たち新選組の内情に、口を出さないでほしいよね」
千姫の申し出を皆が口々に拒んだ。
その言葉は一様に怒気をはらんでいたし、千も君菊も困惑している様子。
「土方さんはどうお考えですか?」
千姫の隣で控えていた君菊が口を開いた。
「風間たちの力を承知している土方さんなら、姫のお話お分かりいただけるんじゃありません?千鶴と鶴姫をこちらに渡してくださいな」
「それとこれとは話が別だ」
君菊の微笑みが凍りつく。
「鬼ごときに恐れを為して、一旦守ると決めた相手を放り出すってのは、俺たちのやり方じゃねえんだ。それに、あんた方が鬼だってのは百歩譲って認めてやってもいいがだからって別に、あんた方を信用した訳じゃねえからな」
「……随分な物言いですわね。千姫様は鈴鹿御前様の血を引く──」
「お菊、おやめなさい。今はそのようなことを言っているときではありません」
千姫はあくまでも穏やかに、しかし反論を許さない態度で制止する。
「私も土方くんに同意します。……もし彼女達が人とは違う生き物の血を引いているのだとすれば、今後色々とご協力願いたいこともありますしね。」
山南の言葉を聞いて、君菊はきっと睨みつけた。何も言わなかったのは千の手前だろう。
「そうですか……困りましたね。どうしても、承知してはいただけませんか?」
腕組みして考えていた近藤が口を開く。
「……ちょっと!待ってくれるかね。肝心なことを確かめてないじゃないか」
「肝心なこと?」
「雪村くん、穐月くん、君たち自身はどう思うんだ?」
「わ、私は……まだなんとも……」
『私も』
「ふむ、そうか。我々の前では、何かと話しにくいかもしれないな。千姫さんと三人で話してくるといい」
「近藤さんっ、そいつは……!」
反対したのは土方だけではなかった。
近藤以外の全員が口々に異論を唱える。
「せめて誰か一人、立ち会うべきでしょう。あちらも君菊さんに来てもらえばいい」
「まあ、いいじゃないか」
近藤は幹部たちの顔を見回す。
「我々は今まで彼女たちの意思を無視し続けてたんだ。彼女たちがここを出たいというのであれば、止めることなどできんだろう」
『近藤さん……』
「ったく。相変わらず甘いんだな、あんたは」
「ま、近藤さんがいいんじゃ、仕方ないですよね」
「それにこの子たちは無茶なことはしないよ。ちゃんと道理をわきまえた子だ。なあ、雪村君、穐月君?」
「はい。皆さんを裏切るような真似はしません」
『右に同じく』
「仕方ないなあ、近藤さんが言うんじゃ。僕は全力で反対ですけどね。特に鶴姫ちゃんは僕の小姓だし」
沖田の言葉が、皆の気持ちをほぼ代弁していた。
後半はほとんど私情だが。
局長の決定の重さもあるだろうが、それ以上に近藤の人柄だろう。
「三人きりになった途端、そのまま彼女たちを連れ去る……なんてことは無いでしょうね?」
山南が千姫に念を押す。
「心配は無用です。鬼は、一度交した約束は守りますから」
「……大丈夫です。お千ちゃんは悪い人じゃありませんから」
『角屋潜入の時にお世話になったけど、私も敵意は感じません』
「ありがとう、千鶴ちゃん、鶴姫ちゃん」
鶴姫たちは自分の部屋で千と三人になった。
千は頑なに新選組が二人を守りきれるのは無理だと言い切る。
真剣に二人のみを安じている目ではあった。
「今後、京の政局はますます混乱するはずよ。そんな時に、風間がやってきたらどうなると思う?あなたたちは新選組から離れるべきだわ。そうすれば、彼らも心置きなく戦える。」
「ありがとう、お千ちゃん。でも……」
「もしかして……ここから離れたくない理由でもあるの?」
「………うん」
『まだやらねばならない事があるの。それはお千の側に着いたとして果たされることではない』
「あらら……。もしかして二人とも誰か心に想う人でもいるとか?」
「えっ!?」
ズバリというところをつかれてしどろもどろになる千鶴。
特段女同士の会話。隠すことも無い気がする。
『確証は……ないけど』
「私はいる…」
鶴姫と千鶴は千姫の目をじっと見つめた。
千姫は少しだけ驚いた様子だったが。
自分の気持ちを伝えるように見つめると、千はほっとしたように口元を緩める。
「………そっか」
分かったというように、千がニコッと笑う。
「誰なのかまでは聞かないけど、あなたたちが一人の女の子として見つけたものがここにはいる。それなら、離れろなんて言えないなあ」
鶴姫と千鶴が広間に戻ると、近藤以下、新選組の幹部と君菊が待っていた。
出ていく前と特に変わった様子はない。
「どうだった?結論は出たかな」
二人が答えるよりも先に、千が一歩前に出た。
「これまで通り、彼女達のことよろしくお願いします」
「お千ちゃん……」
『申し訳ありません』
千が幹部の人達に深々と頭を下げる。
「姫様……よろしいのですか、本当に?」
「ええ、もう決めたことだから。今は彼女達の意志を優先しましょう」
「わかった。そういうことなら今後も新選組が責任をもって彼女達の身を預からせてもらおう」
近藤のこの言葉で、堰を切ったように、皆が鶴姫たちの元に寄ってくる。
「まあ、大船乗ったつもりで任せとけって!」
「新八の船は泥舟だけどな。しかし、まあ……良かったな」
「ここに残るなんて、君も物好きだね。肝が据わってるのか、単に鈍感なだけなのか……」
「言っておくが、客人扱いする気は無いからな。お前らの待遇は今までと同じだ」
「……はい。改めて」
『よろしくお願いします』
最後に千が鶴姫と千鶴の手を取る。
「くれぐれも気をつけてね。私はいつでもあなたたちの味方だから」
「ありがとう……お千ちゃん」
『ありがとう』
そして千と君菊は屯所を去っていった。
「はあ………」
『びっくりしたね。私たちが西の鬼と全国の鬼を統べる鬼だなんて。あれこれ考えちゃうね』
「うん。純血の鬼の家の頭領になるべき者だということ、風間さんたちの狙いは私たちだということ……」
ここに残ることを決めたはずなのに本当にいてもいいのだろうか?
いた方がいいのだろうか?
色んな思いが頭の中をぐるぐると駆け巡る。
もちろんそれが二人の希望だったし、他にとるべき道はなかった。
すると、外から刀が擦れ合う音がする。
「夜分に失礼します!」
廊下から人の声がした。
「………は、はい!?」
『何かあったのですか?』
二人の返事を待ちかねたように、島田が部屋に入ってくる。
その表情はいつになく緊張したものだった。
「鬼たちが屯所に襲撃を仕掛けてきました」
「ええっ!?」
『夜襲……ですか』
千鶴は慌てて部屋を飛び出そうとしたが、島田に制止される。
「奴らの狙いはお二人です。ここでじっとしていてください」
「で、でも……!」
『千鶴。島田さんの言う通り。ここで出ていけば敵の思う壺。騒ぎの元凶は間違いなく私たち、そして何故か分からないけど特に風間は千鶴を狙う可能性がある気がする。』
「そんな……」
『何か嫌な予感がするの…』
「鶴姫ちゃん!」
「穐月くん!困ります!絶対に君たちをここから出すなと、副長が仰せです」
『お願いします、行かせてください』
「……俺が任せられたのはあなたたちの護衛です。ここから出ると言うなら、ついていきます」
『それでは千鶴まで出てきてしまうことになります。私は一人で大丈夫です。千鶴をお願いします』
そう言うと鶴姫は太刀を手に一人で境内に出た。
「貴様は……」
『風間……千景!』
風間本人の声だと理解した瞬間、伸びてきた腕に鶴姫の身体は引き寄せられる。
それと同時に今まで感じたことの無い激痛が目に走る。
心臓が大きく鼓動し呼吸もしづらい。
『あああぁっ!』
あまりの痛みに地に膝を着く。
ガシャンと手にいていた太刀が地に落ちる。
それを風間は腕で捕まえる。
「……そろそろ姿を見せる時か」
『離っ……してください!』
「今日、八瀬一族がここを訪れたそうだが、かの者たちから、様々なことを聞かされただろう?誇り高き純血の鬼であるおまえたちは、このような紛い物共の巣にはそぐわぬ。……俺と共にこい」
と風間は鶴姫の耳元で囁く。
嘲るような、面白がるような口ぶり。
風間が発した【紛い物】という言葉が何を指しているのかは明らかだ。
「いくら人間に協力したところで、最後は裏切られるだけだぞ?まがい物の鬼たちの哀れな姿は、お前も目にしたはずだな?名を成す為、あのようなものを生み出す連中に手を貸すことが正しきことだと、本気で思っているのか?」
『わ、私には………やることがあります。それに、新選組の事情をおまえたちは何も知らないのに!』
やっと言葉に出せた時。
目からの激痛で何も見えないなか絞り出せた言葉。
まだやらなければならないことがある。
「事情を知ったからと言って、目をつぶれというのか?」
『それは……』
その時ーー
「屯所に討ち入ってくるとは大した度胸だな。お千とかいう女といい、てめえといい……ここは、鬼とやらの集会所じゃねえんだぜ……これ以上、好き勝手はさせねえ。覚悟はいいか」
「てめえ、嫁取りのためにわざわざ俺たちの元に押しかけてきてやがるんだってな?こんだけ肘鉄食わされりゃ、そろそろ思い知ってもいい頃だと思うが……鬼っつうのは、よっぽど諦めが悪いみてえだな」
『土方さんっ、原田さんっ……』
二人の後にも山崎を始めとして何人かの隊士が続いている。
しかし、その中には見当たらない人がいる。
もしかしたら、倒されたのだろうか。嫌な予感がする。
「貴様らには、この者の値打ちなどわかるまい。鬼は、鬼の元にあるのが定め。相応しい者の手にあってこそ、真価を発揮するというものだ」
「はぢ、真正面から口説いて振られんのが、怖えからって、無理矢理連れ去ろうっつうのか?格好悪りぃぜ、てめえのやり方はよ」
新選組は風間を取り囲む。
風間は千鶴に接触をはかると思いきや、狙いはどうやら鶴姫にあるよう。
「言っておくが、そいつは人質にはならねえ。そいつを盾に取ったところで、俺たちはなんの躊躇いもなく──てめえを斬る」
「元よりそんなつもりは無い。貴様らごときに人質など必要ないからな」
風間を中心に間合いが徐々に詰まる。
緊張感が高まってきていた。
鶴姫は未だ目に痛みを伴ったまま、風間の腕から逃れようともがく。
「……無駄だ。同じ鬼同士なら男鬼の方が女より力は強い。それよりも見ろ、少しずつ本来の姿を取り始めたぞ」
揉み合った衝撃で髪紐は解けていく。
元々黒い髪は髪はほとんどが白く、毛先だけ黒くなっている。
小さな紅いツノも二本確認がとれる。
「美しい……八百年世に知られることのなかった日ノ本で一番美しい鬼の姿…」
鶴姫の額には焼印が付けられるように少しずつ印が現れ始める。
月明かりに照らされたその姿は今にも飛び立っていきそうな鶴に見えた。
それを見た風間は鶴姫を抱えたまま皆の輪を易々と突破してしまう。
「新選組局長、近藤勇である!いざ尋常に、勝負!!」
そこに近藤が駆けつけてくる。
「行きがけの駄賃に、新選組局長の首を貰っていくか」
「待っていろ!今助ける!」
『こん……ど…うさん……来てはいけません…』
「ぬおおおぉっ……ふんぬっ!!」
近藤が風間に挑みかかる。
凄まじい気合いと共に大上段から刀を振り下ろす。
ぶんっと風を斬る音。
風間はそれを受け流す。
続く一太刀。
がしんっと鋼と鋼がぶつかり合い、火花が散る。
さらにもう一撃。
風間は今度は自分が手にしていた刀で受け止める。
「人間にしては、まあまあだ。新選組局長の名は、伊達ではないということか」
さすがの風間も鶴姫を抱えたままでは思うように闘えないらしい。
近藤の一刀一刀を見切って受け止めるのが精一杯の様子だ。
「彼女を返してもらおう。でやっーー!」
「くっ…!」
近藤の勢いに圧され、風間が二三歩退いた。
その時ーー。
『!』
鶴姫の身体が大きく投げ出される形となり、宙を舞った。
そして、地面に倒れた矢先
「大丈夫か、穐月君。さあ、立つんだ!」
『や、山崎さん』
山崎の手を借りてようやく立ち上がる鶴姫。
この間にも近藤と風間の戦いは続いている。
鶴姫という枷がなくなり、ようやく全力を出せるようになったのかーー。
風間の動きは先程までとは全く違っていた。
「どうした?そろそろ生きが上がってきたようだな」
「ぬう……まだまだっ!」
山崎は眉をしかめながらその様子を見守っていたが、やがてーー。
「穐月君、君は建物の中に隠れていろ。絶対に出てくるな。……いいな」
『わかりました……』
鶴姫は痛みの残る目を抑えながら屯所の中へと駆け込んだ。
隠れていろとは言われたが一体どこへ行けばいいのか。
白くなった髪はどこに隠れていても目立つ。
とにかくどこかへと思っていると、とある部屋の戸が開いていた。
そこに飛び込もうとした時だった。
なにかに足を取られ、前のめりに倒れてしまう。
しかし、倒れたにもかかわらず、身体に痛みはやってこない。
なんなら、なにか柔らかいものが下に。
「随分と大胆な登場だね」
『総司!』
「まさか、いきなり押し倒されるなんて思わなかったなあ」
『違うの!悪気はなくて。たまたま……』
そう弁解する鶴姫の目に月明かりに照らされた沖田の姿が目に入る。
「たまたまねえ……まあいいけど。でもさ、僕の上ってそんなに居心地がいいのかな?」
『……ごめん』
「冗談だよ。今の体勢、不本意だったの?」
『そういう訳じゃ……』
そう俯くと、沖田の手が鶴姫の顔をあげさせる。
「髪、白くなって角も生えてきたね。これが鬼の姿か……」
『?』
小さく囁くように口から出た言葉は鶴姫の耳には届かなかった。
鶴姫の姿は少しづつ本来の姿になっている様子。
そんな中、境内の方から再び剣戟の音が聞こえてくる。
「外は大騒ぎだね。……鬼が来てるんだって?」
『ええ』
「本当は、僕も出たいんだけどね。もし出たら、近藤さんに叱られちゃうから。鶴姫ちゃんも隠れてろって言われたんでしょ」
沖田はどこか寂しげな眼差しで、境内を見やった。
本当は出ていきたいというのがひしひしと伝わる。
「でも、近藤さんが出たんだよね?」
『そう。でも相手は風間……』
鶴姫の言いたいことがわかったのか、沖田は近藤なら大丈夫だと伝える。
その瞳には、近藤への純粋な憧憬が宿っていた。
「さ、お呼びが来るまではここで隠れてようか」
『うん』
そう言う沖田はまた鶴姫の方をじっと見つめる。
『どうかした?』
「まだ目は痛む?」
『少し。』
「そっか。……鶴姫ちゃんは、本来の姿になりたい?」
『見てみたい気もするけれど、そうなることで人間の自我を保っていられるのかどうか。それにもよるかな。鬼だから最初は無差別に人を攻撃するかもしれないし』
「そんなことまで考えてるんだ」
沖田はそう言うと天井を見上げる。
「穐月君、無事か?」
山崎が息せき切って飛び込んできた。
『山崎さん。大丈夫です。どうなりましたか』
「何とか、撤退させることが出来た。おそらく今夜はもう、戻っては来ないだろう」
『良かった……』
「……ほらね、だから言ったでしょ」
そう微笑む沖田の表情には、寂しげな色が宿っていた。
もしかしたら沖田は近藤と一緒に戦いたかったのかもしれない。
「穐月君、部屋へ戻りたまえ。そろそろ休んだ方がいいだろう」
『わかりました。それじゃ総司……』
「はいはい、おやすみなさい」
沖田に見送られ、千鶴が待つ部屋へと戻った。
この頃にはすっかり髪も額も元通りに戻っていた。
少しづつ自分が人間でなくなっていく感覚が身体中を駆け巡る。
毛先だけ黒い白い髪、額に生える角、額に現れるなにかの印、目に走る激痛。
この感覚に不安を覚えながら鶴姫は眠りについた。
To be continued