入隊希望者とその親族関係の明記を。
あなたを守ること 沖田
入隊希望者名簿
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ある日のこと。
あれこれと悩みながら足早に部屋を目指している鶴姫の耳に聞きなれた声が入ってくる。
「あれ、鶴姫ちゃん?こんなところでどうしたの」
『総司……』
声の主は階段に腰かけてこちらを見ている。
「どうかしたの、鶴姫ちゃん?僕がここにいると意外?そんな顔されると侵害かなあ。僕がお化けかなにかみたいだし」
朗らかに微笑んで言う沖田は、濡れ髪を肩に垂らし普段の彼とは違う雰囲気を作っている。
見るからに風呂上がりらしい格好だが。
『どうしてそんな格好で外に出てるの?』
「今日は珍しく暖かいし、日向ぼっこも悪くないよ?」
『体調不良でずっと寝込んでいたばかりなのに?』
「うん。お陰様で熱はちゃんと下がったみたい」
『そういうことじゃない……』
「寝てる間に汗かいちゃったし、さっき一風呂浴びてきたんだ。そしたら涼みたくなって、ここに腰を落ち着けてたところ」
『いくら天気がいいとはいえ、今はまだ二月。こんなところにそんな状態でいたら、またすぐに風邪をひいちゃう』
「……ねえ、鶴姫ちゃん。前から思ってたけど、君って意外と口うるさくて、しかも変に心配性で土方さんみたいだね」
『第二の土方さんでもなんでもいい。手拭い貸して、まだ髪濡れてるから』
沖田の肩に乗った手拭いを奪い去ると、鶴姫は沖田の髪を丁寧に拭き始める。
優しく優しく。引っ張らないように挟み込む。
そして持っていた櫛で綺麗に溶かしていく。
『あ!駄目だって、総司』
まだ拭ききれていない髪をそのまま結う沖田を止める。
『まだ乾ききっていないのに』
「ねえ、鶴姫ちゃん、君って強引って言われない?」
『言われない。相手が総司だからこんなに言うの』
「鶴姫ちゃんってこんな子だっけ?もっと大人しかった気がするんだけど」
沖田も自分の体調の自覚はあるはずなのに、自分の身体に対する気遣いがあまりにも無さすぎる。
「もういいよ、鶴姫ちゃん。ほとんど乾いたみたいだし」
『あ!』
鶴姫の手から逃れると、沖田は素早く髪を結い直した。
そこにはいつもどおりの沖田の姿があった。
『………』
なんとも言えない心境でじっと見つめると、ちょっと困ったみたいに沖田は目をそらす。
「いきなり黙りこまれたら、反応に困るんだけど……。まだ文句が言い足りない?それとも僕に用でもある?」
『そうじゃないけど………』
最近沖田の気持ちがよく分からない。
鶴姫はそう思っていた。
今は突き放すような感じが若干ながらも感じられる。
ただ、額に口付けをされたり抱きしめられるといったこともある。
『総司は器用ね。あっという間に髪を結ってて』
「別に器用でもないと思うよ。ただ慣れてるだけじゃないかな。この髪型に結い上げるのだって、何度練習したか分からないしーー」
沖田は不意に言葉を切ると、鶴姫のことを見つめてきた。
『どうかした?』
「鶴姫ちゃん、ちょっといい?ひとつ質問したいんだけど」
『どうぞ』
「うん。別に深い意味は無いから、気楽に答えてくれて大丈夫。あのさ……僕の髪型、どう思う?」
『……え?』
唐突な質問をぶつけられ、鶴姫は戸惑った。
沖田的には真面目な質問のつもりらしい。
『似合うと思うけど。総司らしいというか』
「……そっか、よかった。ありがとう、鶴姫ちゃん」
『思ったことを口にしただけ。お礼を言われるほどのことじゃ……』
「でも嬉しかったからお礼を言いたくなったんだよ。お礼ついでに僕の秘密も、教えてあげちゃおうかな」
『総司の秘密?』
「僕の髪型って、近藤さんの真似してるんだ」
そう告げる沖田は気恥しそうだったが、何だか誇らしげにも見えた。
『どこかで見たような気がすると思ったけど、言われてみると確かに……結い方がそっくり』
「他の人には言わないでよ?絶対からかわれるだろうし」
『ふふ。言わない言わない。二人だけの秘密ね』
今日の沖田は本当に無邪気な顔をしている。
『いきなり図々しいことしてごめんね』
「………」
『私部屋に戻る』
鶴姫は沖田の顔を見ないように背を向けた。
階段を登りきった鶴姫が廊下を歩いているとーー。
「鶴姫ちゃん」
いつの間にか、沖田の声が鶴姫を追ってきていた。
沖田は辺りを見回し、周囲に誰もいないことを確認してから口を開いた。
「君、僕の身体のことーー。誰にも言ってないみたいだね」
『そう約束しましたから』
「君が意外にも律儀な子だから、ちょっとびっくりしたよ。僕に義理立てする必要なんてどこにもないのに」
そう呟く沖田の瞳がどこか悲しげに見えて鶴姫は口を開く。
『私が黙っている理由は総司への義理立てとかじゃないよ』
沖田の目を真っ直ぐ見て鶴姫は答える。
『もし誰かに言ったら……斬られるんでしょ?斬られても呪ってやると言ったけど、まだまだ生きたいから誰にも言わない。これからも、ずっと……ずっと。』
「……」
沖田は目を細めつつ、少しの間だけ沈黙した。
「そういう約束だったね。余計なこと言って、みんなを混乱させたら殺すからって。じゃあ、鶴姫ちゃん。君が死にたくないなら、秘密は秘密のままに」
『わかってるよ。でも総司だってーー』
鶴姫は頷き返しながらも、言葉を選んで口にする。
『願うものがあるなら、自分の身体を今よりもっと大切にして……』
「……鶴姫ちゃん。さっきから気になってたんだけど、どうして君が僕を心配するの?」
『私は総司の小姓ですし、総司にはお姉様が、みんながいる。だから生きていてほしい』
「姉さんは僕を尽忠報国の士として見送ったんだよ」
『本音としては、やはりこの激動の時代の中でも生きていてほしいと願うものかと。』
「よく分からない子だなあ、君って本当にーー」
言葉の途中で不意に、沖田の表情が歪んだ。
「けほ……けほ……!」
『総司っ!?』
いきなり咳き込む沖田の傍に、鶴姫は慌てて駆け寄った。
けれど、沖田は無言のまま伸ばした鶴姫の手を払う。
『……』
「勝手に触らない方がいいよ。僕は別に大丈夫なんだから」
『総司……』
何故あなたはいつも勝手なことを言うの。
そう思っていた。
小姓になって数年。少しは彼のこと分かっている。
猫みたいに甘えてくる時は甘え、そうじゃない時は突っぱねる。
『総司……』
沖田はそのまま鶴姫に背を向けて廊下を歩いていってしまった。
肺に巣食う病は治らないまま、沖田の身体を蝕み続けている。
眼前に垣間見えた現実がどうしようもなく苦しい。
両手を強くにぎりしめながら、鶴姫は一人立ち尽くす。
『っ……』
その時両眼にチクリと痛みが走る。
またこの痛み。
ここ何ヶ月かなかった痛み。
そして、この日は額にもなにか違和感を感じた。
『この痛みも、鬼たちと何か関係があるのかな』
京の都には、もう桜が咲き誇っていて、街全体が華やいだ雰囲気に包まれていた。
穏やかな春の陽気に思わず足取りも弾んでしまう。
そんな鶴姫を見て、沖田は苦笑いした。
「このところ暖かくなってきたし、今日はいい天気だし、浮かれる気持ちもわからなくはないけど……一緒に歩いている僕たちのことも、少しは考えてほしいなあ」
沖田の言葉にハッとして改めて辺りを見回す。
はしゃぐ鶴姫の様子を町の人達は怪訝な顔で眺めていた。
『すみません。気をつけます……』
このところ、特に大きな事件が起きていなかったせいか、気が抜けていたのかもしれない。
このところ治安も安定してはいるが、今は巡察中。
浮かれている場合では無いのだ。
小さく息を吐くと鶴姫は周囲に視線を向けた。
肩で風を切って歩いている浪士たちは新選組の姿を目にした途端、そそくさと横道に消えてしまう。
少しは悪さをしてる奴らだろうが、大したものではなさそうだ。
『あっ、沖田組長』
「何?」
『いや』
物陰に自分の兄らしき姿を見た気がした。
暗かったしはっきりと顔を見た訳でもない。
『そう言えば伊東さん達はもう京に戻ってきてるんですか?』
「そうみたいだね。別に、帰ってこなくても良かったんだけど」
『そこまで言わなくても……新しい隊士を募集しに行ってたんですよね?』
「まあ、そういうことになってるけど。実際どこまで行ってきたんだろうね」
『詳しくは聞いていませんが、予定よりずっと色々な場所を回ってきたとか。隊士集めのためにそれだけ頑張ったならすごく新選組思いな人なのでしょうけど……新論を使っての会合だなんだとやってるらしいですし』
「近藤さん、優しいからなあ……。あんな人、早く斬っちゃえばいいのに」
『まあ、何してるか分からないうちはなんとも処分を下しにくいです、参謀を斬るってのも』
言葉を言いかけた時だった。
以前会った南雲薫らしき人物がいた。
しかし、あっという間に人混みの中に消えていく。
本当によく千鶴と似ている。
その姿を放っておくことは出来なかった。
沖田が静止するのも無視して南雲薫の姿をおった。
『あんた、南雲薫だな』
「ええ、あなたは?」
『俺は穐月龍之介だ。以前俺と一緒にいた背の低い男を覚えているか?』
「はい、覚えてますよ」
彼女は驚いた表情でこちらを見つめている。
『ちょっと聞きたいことがあるんだ。前に新選組の者が三条大橋の近くであんたとよく似たその子を見たらしいんだが、もしかしてあんたか?』
「さあ………。三条大橋は普通に通るところですよ。そこに行って何か問題がおありになるのですか?」
女は目を細めてふふっと笑った。
『なら、夜行ったことは?もしもそれが秋の晩であんたが新選組の邪魔をしたなら───』
「もしそうなら、問題大ありだね。君には死んでもらわなきゃならないかなあ」
鶴姫のあとを追いかけてきた沖田が追いつく。
「これは、新選組の沖田さんじゃありませんか。いつぞやは、どうもありがとうございました」
南雲薫は軽く頭を下げたが、沖田はそれを無視した。
「で、答えはどっちなのかな?心当たりはあるの?ないの?」
表情は笑顔だったが、動きはすきがない。いつでも抜刀できるような体勢だ。
「死んでもらうなんて。そんな怖いこと仰らないでくださいな。三条大橋なんて昼間は誰でも通るところじゃないですか。それに夜なんて………あの制札騒ぎで、怖くて近づけやしません」
まさにその制札事件について聞きたかった鶴姫たちの心情を知ってか知らずか、南雲は平然と落ち着き払っている。
鶴姫には逆にこの落ち着きが怪しく感じられた。
「なのにただ雪村さんに顔が似てると言うだけで私を疑うなんてひどいです。そんなこと知りません……」
『本当に違うならいいんだがな』
南雲が悲しそうに顔を伏せる。
咄嗟に首を振るが、心の奥では拭いきれない疑いがぐるぐると回っている。
「……甘いなあ。そんな簡単に疑いを解くなんて」
『確証がない。似てるってだけで物証がある訳でもないだろ。これ以上追求しても仕方がない』
「もう行っても構いませんか?用事がありますから、失礼します」
『あ、おい!』
南雲はまるで逃げるようにその場から立ち去った。
もう一度追いかけるべきか悩んでいると、沖田が咳き込む。
『沖田組長!?大丈夫ですか!?』
沖田は前屈みになって激しく咳き込んでいた。
何度も何度も何度も。
『総司!』
「……来るなっ!」
駆け寄ろうとする鶴姫を沖田は手を挙げて制した。
「こほっ、こほっ………大丈夫だから。龍之介はそこでじっとしていて。こほっ、こほっ、こほっ……」
何度も「こほっ、こほっ……こほっ……」と咳き込む。
少しずつ落ち着く咳に鶴姫が近づいて尋ねる。
『大丈夫じゃないでしょ』
「……なにが?」
改めてこっちを向いたその顔はなにか楽しげな笑みをたたえた、いつもの沖田だった。
少しだけ顔色が悪いことを別にすればだ。
『何がって……とにかくどこかで休もう』
「君のせいでここまで走らされたからね。それで疲れただけだよ」
『追いかけてきてから少しばかり時間が経ってる。今になって咳が出るのはおかしい』
そう反論すると
「もう大丈夫さ、落ち着いたから。それよりも……」
沖田の表情が厳しいものに一変する。
「彼女……薫さんのことだけど。制札事件のこと、確かめたかった気持ちは分かる。大事な事だからね。でも、それなら尚のこと、一人で動くべきじゃない。敵が現れたら君一人で対処出来る?」
『多少の数なら対処出来る自信はあるけど、それは確かに断言はできない…』
「無用の心配だったって言いきれないよね?彼女が君を誘き寄せるつもりだったとしたら?この場所は格好の襲撃場所だよ」
『……』
「一緒にいる以上、行動には注意してもらわないと。千鶴ちゃんのこと考えてるなら尚更。あの子には鶴姫ちゃんも必要なんだからね」
『気をつけます……』
「……やれやれ。お説教なんて柄じゃないんだけどね」
沖田の表情が呆れたものになった。
「妙な遠慮はやめなよ?いくら鶴姫ちゃんでも頼るべき時は頼ればいいんだからさ」
そう鶴姫の耳元で囁く沖田。
少し肩方をビクつかせた鶴姫にくすくすと笑う。
この日の夜、鶴姫は昼間の巡察での出来事を千鶴に話していた。
「明日から私ももっと頑張るね」
『二人とも頑張らなくちゃね。まだ情報としては薄いから』
「私もとっさの状況判断ができるように、まずはきちんと眠ろうかな」
『そうだね』
そう決意して二人が目を閉じた瞬間だった。
『!?』
鶴姫が飛び起きた。
部屋と廊下との境から激しい音がしたからだ。
襖がこちら側に倒れている。そして……。
部屋に入ってすぐのところに一人の隊士が立っていた。
「あの……なにか?」
「………………」
部屋が暗いせいで、表情が伺いしれない。
無言のままでじっとたっている隊士に千鶴が近づく。
「なにか御用ですか?」
『千鶴!下手に近づいちゃダメ!』
「血……血を寄越せ……」
「っ!!」
『千鶴!』
その言葉が放たれた瞬間、悟った。
彼は【羅刹隊】の隊士だ。なぜここにいるのか。
「ひひひひ!血を寄越せえっ!」
完全に血に狂っている。
狂気に冒された表情。
らんらんと光り輝く瞳。
そして真っ白な髪。
『完全に自分を失ってる!千鶴動いて!』
「あ、ああ………」
助けを呼ぼうとした千鶴は手で口を塞ぐ。
今ここで大声を出せば羅刹を知らない平隊士にまで、その存在を知らせることになってしまう。
「……きゃああっ!!」
「ひゃあああ!」
刀が月光を照り返しながら、二人目掛けて振り下ろされた。
隊士の振るった刃の切っ先が動けない千鶴を庇った鶴姫の首筋あたりを切り裂く。
『いっ………!』
「鶴姫ちゃん!」
裂けたところからは血がどくどくとにじみ出る。
鶴姫は手で押さえるが、止まらない。
みるみる指の間からあふれでて、腕を伝って畳を染めていく。
血の滴りを目の当たりにして、羅刹の赤い瞳が更に狂気の色を孕む。
「おおお、血だァ……その血をもっと俺によこせえぇ…」
狂った隊士はゆっくりと近づいてくる。
羅刹隊士は我を忘れながら、刀身に付着した血を舐めまわした。
鶴姫はその場に立ち竦む千鶴を背に後ろに後ずさった。
そして二人はたちまち壁際に追い詰められる。
『はぁ……はぁ…』
「鶴姫ちゃん、鶴姫ちゃん!」
『だい……じょうぶ……誰か…誰か呼んで……きて』
そう言って崩れ落ちる鶴姫。
千鶴は大声を上げて救いを求める。
「誰か───、助けてくださいっ!!」
「ひゃははははははははは!血ぃ!血だぁっ!!」
千鶴の叫びなど気にした様子もなく、羅刹隊士は隊士は手畳にはいつくばり、流れでた血を口にする。
その姿はもはや武士らしさ人間らしさを失っている。
そのおかげで鶴姫達への注意がそがれている。
「……美味い。美味い……」
隊士が畳から顔を上げる。
鶴姫の腕が溢れ出る血で染っている。
それに気づいて隊士はにたりとおぞましい笑みを浮かべる。
「ひひひひひ……それだっ!そいつの血をもっと寄越せえ!!」
『………っ』
「伏せろ!いいって言うまで、絶対に頭をあげるんじゃねえ!」
「──!」
すぐ近くから聞こえてきた声に命じられるまま、千鶴は鶴姫と共に身を伏せた。
「なっ……!」
真っ先に駆けつけてきたのは土方だった。
部屋に飛び込む前に、既にこの場の状況を予想していたように、刀を抜いている。
「!!!」
鬼の副長に気づいた隊士は、そのまま跳躍して襲いかかろうとするが、土方の刀が振り下ろされる方が速かった。
「ぎゃああああああぁっ!!」
隊士の絶叫が部屋にこだまする。
だが、土方の一太刀を浴びたというのに、隊士は刀を握ったまま立ち竦む。
苦しそうな声を上げるが、羅刹隊士の傷口は瞬く間にふさがっていく。
「今のうちだ。雪村、こっちへ来い!」
「鶴姫ちゃんが!」
「穐月がやられてんのか!」
「はい!」
「何とか連れてこられるか!」
自分よりか幾分重い鶴姫を肩に、鶴姫も自力で歩ける限り歩きながら土方の元へ行くと同時に、廊下を走るいくつもの足音が聞こえ、ほかの幹部たちも現れる。
「鶴姫ちゃん、千鶴ちゃん、無事か!?」
「!こいつ、まさか──」
「こいつ……この間、変若水を飲まされた隊士だな」
「こりゃあ、ひでぇ。話が通じる状態じゃねえな」
「そうさな……。ここまで狂わされちゃあ、生かしておけないな」
皆、瞬時に状況を理解して、次々と刀を抜く。
「新八っつぁん、左之さん!抜かるんじゃないぞ!」
「平助、この野郎!誰に物言ってやがるんだ?」
「羅刹だろうが何だろうが、並の隊士に遅れを取るわけねえだろ」
新選組の幹部たちが、隊士を取り囲む。
一分の隙もない。
幹部全員が一度に切り込むと、羅刹の隊士はたちまちに絶命した。
こうして事態が収拾され……とは、いかなかった。
やはり騒ぎを聞き付けた人がほかにもいた。
「……まったく、こんな夜中に、なんの騒ぎですの?」
「!伊東さん……!」
伊東は眠そうな目を擦りながら部屋の中へ足を踏み入れて硬直する。
「な、何なのですか、これは!?」
「……ちっ」
「そこの隊士には見覚えがありますわ。確か隊規違反で切腹させたはずでは……!それに、この血……!あなた方の仕業ですの!?」
「い、伊東さん、違うんだ。これはさ……!」
「何が違うのですか!誰か説明なさい!一体何があったんです!?」
伊東の声も表情もひきつっている。
沈黙する幹部たち。伊東の甲高い叫び声だけが響いた。
「皆、申し訳ありません。私の監督不行届です」
「さ、さ──山南さん……!?なぜ、亡くなったはずのあなたがここに……!?」
千鶴は山南が姿を現したことに驚いた。
いつもの山南なら隠れていた方が良いと判断したように思う。
案の定、伊東はますます大きな声を出した。
さすがの伊東も山南の登場に驚愕の表情を浮かべて、口をパクパクさせている。
ずっと死んだと聞かされていたのだから、無理もない。
「……これ以上隠し通すことも出来ねえ、か。雪村、おまえらは席を外してろ。今夜は俺の部屋を使って構わねえ」
「………」
「聞こえねえのか?席を外せって言ったんだ。穐月を山崎くんに診せろ」
「はい…」
羅刹隊を任されている山南としては、こんな形で暴走してしまった隊士が出たことに責任を感じているのか、沈痛な面持ちだった。
「山南さんのせいじゃねぇよ」
「薬の副作用、ってやつなんだろ?しかたねぇって」
「ちょ、ちょっと、どういうこと!?薬?一体何の話、山南さん!?」
「…………この件に関しては、お答えできません」
山南は伊東に、ちらりと目をやったが、答えない。
というより、答えられるはずもない。
羅刹という人間では無いものを密やかに作っていたなんて………。
素早く冷静さを取り戻した伊東は、ずっと瞳を細めて山南をにらみつける。
「私は、山南さんは亡くなったと聞かされておりましたのにねぇ。皆して、この伊東をたばかっていた、と?この伊東は、仮にも新選組の参謀ですよ?その私に黙って謀を……。納得のいく説明をしてもらえるんでしょうね!」
「ああっ、いちいちうるせえんだよ、てめえは。ちっとは黙っていやがれ!」
「なっ!?なんて口の利き方を……。土方君、あなたは………!!」
「まあまあ、伊東さん」
と近藤が割って入った。
「トシも、悪気があるわけじゃないんだ。状況が状況だ、勘弁して貰えないかな。穐月くんは、怪我は?」
『あ、首筋を斬られましたが、もうほとんど塞がってるみたいです。』
「「「なっ!」」」
その発言に幹部は驚いていた。
たった数分の間に斬られた傷は塞がっていた。
「あぁ、なんて野蛮な人達っ。この伊東は、こんな方々と一緒になんて居られませんわ!山南さん、あなたの口からちゃんと事情を説明してもらいますからねっ」
「………くっ」
「聞いてるんですか、山南さん?」
「………うぐぅ……っぐぁぁああ!」
「山南さん?」
突然山南の様子がおかしいことに気がつく。
苦痛に顔をゆがめ、呼び掛けの言葉も耳に入ってないようだ。
「どうした、山南さん?」
「山南さん、あの……」
「下がれ!穐月!」
山南の髪の色がみるみる白く変わっていく。
『さん……なんさん』
「きゃあああっ!?」
気づいた時には、鶴姫は山南に首を掴まれていた。
『っ……くううっ……ぁ』
息ができなかった。
骨が砕けそうな凄まじい力。
『さ、ん……なんさん………い…きがっ…』
「血………血です」
山南は鶴姫の首に触れ傷口に付着している血をすくいとった。
「血をください。君の血を、私に……」
『山南さん……は、離してください……』
大量に血を出して貧血を起こしている鶴姫は立っているのがやっと。
「やめろ、山南さんっ!」
「くそっ、山南さんまで、血の匂いに当てられやがったか!」
「山南さん!そいつを離せよ!」
実力で制止すべきかどうか、皆の迷いを断ち切ったのは土方だった。
「取り押さえろ!多少手荒になっても構わねえ」
「ちっ、しかたねぇ」
「悪く思わないでくれよ、山南さん」
「鶴姫を殺らせる訳には行かないんだよ」
皆次々に刀を構え直す。
「君たち、まさか山南さんを……!?勝手なことは、この伊東が許しませんわ!」
「伊東さん、ここは危険だ。後はトシ立ちに任せて、俺たちは部屋から出ていよう」
「あっ、近藤さん!?なにを……わっ、わっ、離しなさいよっ!」
近藤は暴れる伊東の身体を抱き抱えるようにして、無理やり部屋から連れ出した。
「ありがてぇ。あとはこっちの始末をつけるだけか」
「それがなかなか……」
「山南さんの腕は半端じゃないし、まして今は……」
「くくっ……そうです、血が欲しい。私の身体が血を欲しているのです」
山南が手に取った鶴姫の血を口に含む。
「もう許せねぇ!いくぜ、新八っつぁん!左之さん!」
「おう、一度にかかるぜ!」
「……いや、待て!」
「なんだってんだ、土方さん!?」
「山南さんの様子がおかしい」
「……んぐうああああ……ああああ!!」
「お、おい……山南さん……どうしたんだ?」
「……ん……んんん……わ、私は一体?」
血を口にした山南の瞳に理性が戻った。
髪の色も元に戻っていく。
『……山南、さん?』
「穐月……君。わ、私は一体、なにを……?」
「良かった!正気に戻ってくれたんですね!?」
「こりやあ、どういうことだ?」
「俺に聞かれてもわからねぇよ!」
「……俺にもわからん」
幹部の人達はもちろん、山南自身も驚いていた。
「そうか、私も彼らのように気が触れていたのですね」
「でも、今はいつもの山南さんです。どうして戻ったのかは、わかりませんけど……」
「どうしてなのか……?自分でも……わかりません」
「……考えるのはあとにして、とにかく後始末だ。そこの死体を片付けて部屋の掃除だ」
「あぁ、この畳はもうダメだな」
「こっちの襖も変えなきゃだぜ」
指示を受けて、その場の全員が動き出す。
その様子を見届けてから、土方が鶴姫の方に向き直った。
「それと、おまえは……」
『私も手伝います』
「傷が塞がってるのは驚きだが、けが人は引っ込んでろ。身体を休めるのが先だ。と言っても、この部屋は使えねぇか。今夜んとこは俺の部屋を雪村と使え」
『いいんですか?』
「しょうがねえだろ。さっさと行け!」
部屋から追い出されるように二人は血だらけになった部屋を後にした。
『……ん………?』
子鳥のさえずりで、鶴姫は目を覚ました。
隣を見ると千鶴の姿は既になかった。
首に触れると包帯が巻いてある。
千鶴が手当してくれたものだ。
恐る恐る首を動かしてみる。
かなり血は出ていたが、幸い異常はなかったらしい。
しっかり動くし、痛みはなかった。
傷の具合を確認するために包帯を解いていく。
『やっぱり治ってる』
傷口は塞がり、そこにはうっすらと一本線を引いたような痕があるだけだった。
後々まで残るようなものではなく、明日には消えてしまうだろう。
傷がほとんど治っていることはいえ、平隊士とすれ違わないとも限らない。
鶴姫は包帯を巻き直した。
起きたついでに中庭に出てみることにした。
『総司』
「鶴姫ちゃん……。参ったな、こんなに近くにこられるまで気が付かなかったなんて。これじゃいずれ、君に斬られちゃうかもしれないね。」
『そんな冗談やめて。体調が悪いならやっぱり……』
「……軽い咳が出るけどね。こんなのはどうって事ないよ。それより君のこと」
『私?』
「聞いたよ。襲われたって」
『うん。首を斬られたけど問題ないよ』
そう言うと沖田は鶴姫の首を見る。
あっちを向かせられこっちを向かせられ傷を確認される。
「……ちょっと跡はあるけど」
『多分明日には治ると思う』
「凄いな。かなりの出血だったって聞いたんだけど」
『私もびっくりしてる。』
「でも、綺麗に治りそうでよかったね」
沖田はそう言うと鶴姫の頭をポンポンと撫でる。
「僕に話があってきたんでしょ?何の用?」
『え?』
「伊東さんたちが隊を離れるんだって。聞いてない?」
『そう……なの』
風の音が辺りにこだまする。
あれだけのことがあった後、のんびり寝ていられるほど無神経ではないといい、伊東は新選組から離れることを希望したらしい。
前々から新選組とは水が合わない様子があったが、絶好の機会と上機嫌だったらしい。
「一くんや平助も行っちゃうって」
『そんな……』
「次に会う時は殺し合いかな」
顔にほほ笑みを浮かべたまま、沖田はあっさり言った。
『本気なの?』
「もちろん、彼らが敵にならないのなら、斬る必要は無いけどね。でも、もし新選組の……近藤さんの敵になるのなら……容赦しない。僕らは人斬り集団の新選組だから。仲良しとか、気が合う仲間だったとか、そういうのはどうでもいい事だよ。僕は新選組の剣だから………」
『………新選組の剣』
「そう。剣は何も考えない。相手を斬っていいか駄目かとか、判断したりもしないーーひとたび命令が下れば、どんな相手だろうと斬り殺すだけだよ」
何も言葉が出なかった。
沖田なら本当になんの迷いもなく敵対した相手を切り捨ててしまうと思う。
伊東たちは新選組とは別に新しく隊を立てるという。
近藤と土方、伊東が話し合って決めたことらしい。
御陵衛士といい、今上天皇の御陵衛士を拝命する所存だという。
前々から考えていたことらしく、こないだのことからいい機会だと踏み切った。
今後は御陵衛士と新選組隊士との交流は禁止するつもりらしい。
(どうにもならなかったんだ)
これからすぐ鶴姫の怪我は完治した。
山崎たちが顔を合わせる度に心配してくれるために、包帯だけは今も巻き続けている。
そして伊東たちは御陵衛士として新選組から離隊。
彼らが屯所を出ていってから、屯所は急にがらんとして見えた。
また、時を同じくして幹部隊士の武田も脱退。
仕方の無いことなのかもしれないが、かつて仲間だった人達がそれぞれ違う道を進んでいく。
攘夷思想は同じなのに、将軍を上位とするか天子を上位とするか。
ただそれだけの違いでこんなにも道は違ってしまう。
そして、うだるような暑さが連日続いたある日のこと。
「穐月先輩、お茶はこんな感じでいいんでしょうか?」
『もう少しぬるいほうがいい。今日すごい暑いだろ?』
「おお、なるほど……さすがです!」
『あー、でも一つは熱くていい。』
「え、いいんですか?」
『ああ。ぬるいのは嫌だっていうやつがいるんだ』
この青年は夏ちょっと前に入隊した相馬主計。
すごく真面目で礼儀正しい新人隊士だ。
近藤が長州視察に行ってる時に知り合ったらしく、その縁で入隊した。
今は近藤の小姓見習いをしていて小姓歴の長い鶴姫たちの後輩になっていた。
新選組には思い入れがあるらしく武士の何かを見つけるとか、そんな気構えらしい。
「んじゃ水で薄めりゃいいんじゃないか?」
『それじゃ味が薄まるだろ……』
「そ、そうか……。なあ、相馬、どうすりゃいいんだ?」
「うーむ……井戸水で冷やしてみるのはどうだ?」
「お、そいつはいいな。やってみようぜ!」
この元気がいいのは野村利三郎。
相馬とほぼ同期入隊で年齢も近いことから、やはり近藤の小姓見習いになっていた。
とにかく新選組に憧れて入隊してきたらしい。
そんな二人が鶴姫の初めての後輩隊士になったわけだが……
これが結構大変だった。
『お茶は冷たくなくてもいいんだ。少しぬるめくらいで。最初に温めのお茶を用意してそれでお茶を入れてみな。そうすると薄くならないだろ?』
「おおおーーー!すげえ、なるほどなあ。先輩小姓は伊達じゃないぜ!」
「本当に勉強になります」
終始こんな感じで先が思いやられている。
女であり一時は道場を切り盛りしていたから客人当たり前でやっていたことだ。
『それじゃあ、お茶は俺が煎れて持っていくから二人は……』
「俺たちは何ですか?何でもやりますよ!」
「ええ、何でも言ってください!」
ずいずいと前に出てくるいい子たち過ぎて若干引いてしまう。
なかなか類を見ない礼儀正しさと明るさにやられそうになる。
するとそこに永倉がやってくる。
「よ──し!あまえらは、今から俺と剣術稽古だ!」
「………」
「………」
あからさまに顔しかめる二人。
「どうした?やりたくないのか?」
「………は、はい!お願いします!」
「いや、俺はちょっと……仕事が……」
「おいおい、新人が遠慮なんかすんなよ」
「野村……あきらめろ。これも立派な隊士になるための試練だ」
「試練っていうか、あれはしごきだろ……」
「そんじゃ、ちょっくら二人を借りていくぜ!」
『俺はいいですが…』
そういうと相馬はあきらめた感じで……野村は涙目になりながら鶴姫に助けを求めながら永倉に引きずられるように連れていかれてしまった。
鶴姫は心の中で二人に声援を送る。
To be continued