入隊希望者とその親族関係の明記を。
あなたを守ること 沖田
入隊希望者名簿
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翌日、屯所では全員が警護から戻ってすぐ主だった隊士が集められて話し合いが始まった。
風間、天霧、不知火の三人が【鬼】を名乗ったのもさることながら、今まで新撰組が遭遇してきた状況から考えて、三人が薩摩や長州と関わっているらしいこと。
彼らが藩に所属しているかはっきりしない、目的も不鮮明なところがある。
迂闊に手を出しにくい相手なのは間違いなかった。
そして、もう一つ問題なのは、三人が千鶴と鶴姫に近づいてきたこと。
土方は鶴姫や千鶴に狙われる心当たりがないか尋ねてきたが、二人の方が教えて欲しいくらいだった。
彼らは鶴姫や千鶴を同胞と呼び、鶴姫や千鶴の姓、脇差や小太刀について言っていたものの、そのようなことはみんなには言えていなかった。
「千鶴や鶴姫まで【鬼】だぁ?」
「なんでも女鬼は貴重だとか言ってたな」
「鶴姫も心当たりはねぇんだよな?」
『はい。我が家に代々伝わっているのは赤と黒の脇差、白の太刀です。文書もありません。一族の性質を考えると政府に悪用されることを避けるために口伝かと思われます。私には何も教えられておりませんが』
広間に集まった幹部たちは頭を抱えた。
なにせ【鬼】とは伝説上の妖怪の様なもの。
むかし鬼を切ったと言われる刀が存在していたり、鬼がつく姓があるなど、その程度のものであるはずなのだ。
「千鶴と鶴姫が鬼かぁ。そいつらが言うには千鶴が東の鬼で、鶴姫が東西を仕切る鬼?」
「そうみたい……」
『その風間という男とは池田屋で確かに対峙しました。私の脇差に覚えがあるような素振りでした』
「なんにしろだ、これ以上話は広がらねえ。また来ると言っていた以上、警戒をゆるめる訳には行かねえな」
何も解決せぬまま、日はこくこくとすぎていった。
その日の夜、千鶴と鶴姫はただただ困惑していた。
「鶴姫ちゃんも鬼なんだね」
『三人の話によるとね。でも何も聞かされてない以上人違いかとも思える。でも、それを示す物証がある以上、そうも言ってられないのかもしれない。』
「次来る時、またなにか聞けるといいんだけど…」
『そう簡単に口を割るとも思えないんだよね……』
二人でうーんと唸る。
こうして考えていても埒が明かないと、その日は寝ることにした。
慶応元年閏五月末――
この日の屯所は、いつになく騒がし雰囲気だった。
廊下ですれ違う隊士たちの数がやけに多く、みな、なんだか盛り上がっている様子だ。
「はあ……はあ……!じょ、冗談じゃありませんよ!全く!」
『伊東さん?どうかされましたか』
「どうしたもこうしたもありませんよ!私がなんであんな野蛮人共と同じ部屋で、肌を晒さなきゃならないのです!」
『?よく分かりません』
「将軍上洛の時に意気投合したお医者様が屯所にこられているのですよ。隊士たちの健康診断を行うとかの名目で」
そういった伊東は今来た曲がり角の向こうを睨む。
今日か健康診断で、隊士の皆は裸になって体の検査をしているらしい。
鶴姫や千鶴の事情を知っている幹部は近寄るなと言っていた。
「あのハゲ坊主――じゃなくてお医者様ったら!みんなの前で私に着物を脱げと仰るのよ!拒んだら無理やり脱がそうとするし!それに、あの隊士達の態度!全くなんて野蛮なんでしょう!」
『松本良順先生でしょうね』
「え!?そのお医者様って松本良順先生なんですか!?」
たまたまそばを通った千鶴が食いついた。
京で最初に頼るつもりだった人だ。
「私も健康診断に行ってきます!」
「あらあら、あんな野蛮人に会いたいなんて、なんて物好きなのかしら」
『まあまあ。好き好きですよ。私もいってきます。』
隊士たちの声がザワザワと騒がしい。
部屋の中を覗いてみると、目の前にある意味、壮絶な光景に千鶴の足がピタリと止まる。
鶴姫もそれにつられて仲を覗いて驚く。
「よし、次の人」
「おう!俺の番だな!いっちょ頼んます先生!ふんっ!どうすか!?剣術一筋で鍛えに鍛えたこの身体!」
「新八っつぁんの場合、身体は頑丈だもん。診てもらうのは頭の方だよなー」
「あぁん?余計なこと言ってると締めるぞ、平助」
「んー永倉新八っと……よし、問題ない。次」
「ちょ、先生!もっとちゃんと見てくれよ!」
「いやい、申し分ない健康体だ」
「新八。後ろがつかえてるんだから、さっさと終わらせろ」
「そうじゃなくてよ!もっとほかに見ることがあんだろ!」
「診察は見てもらうものであって、見せつけるものじゃない。さっさとどけ」
『「……………」』
これでは確かに伊東が逃げ出したくなるのも無理はない。
彼がこの空間に溶け込んでいる図はちょっと想像できない。
「雪村君、穐月君、こんなところでどうかしたのか?」
「あ、山崎さん……あの……松本先生が来ていらしてると聞いたので」
その一言だけで、山崎さんはおおよそのことを理解したらしい。
「だが、診察はなかなか終わらないようだ。……俺に任せてくれるか?」
「いいんですか……ではお願いします」
「わかった、少し待っていてくれ」
少し待っていると松本が部屋の外に出てくる。
千鶴は出てきた松本良順の前に慌てて駆け寄った。
「あ、あの……!」
「ん……?」
松本は千鶴の姿をまじまじと見つめ、ずっと目を細めた。
「……薬の補充も兼ねて休憩にしようか。君、ちょっと手伝ってくれるかね」
「あ………は、はい!」
千鶴は願ってもないことと、松本に従って歩き出した。
松本は千鶴に会うために屯所に来たと言う。
近藤の話によると千鶴の父と松本が懇意にしていたことを知っていたから、近藤が千鶴のことを松本に教えたという。
松本は千鶴と入れ違うように江戸に戻っていたとのこと。
千鶴の手紙もしっかり読んでいたようだが、肝心の千鶴の消息がつかめず会うに会えない状況だった。
近藤からの情報は松本にとっても寝耳に水な話だったようだ。
千鶴が父綱道のことを尋ねると、松本の表情がにわかにくもった。
松本にも綱道の居場所は分からないという。
松本は落胆する千鶴をみて、しばらく悩んだ末、近藤にちらりと視線を向けた。
近藤が頷くと、松本は神妙な面持ちで千鶴に向き直る。
ここに居ることで例の薬に関わってしまったこと、綱道が新選組で行っていたのが【羅刹】を生み出す実験だったこと。
鬼神の如き力と驚異的な治癒能力を持つ人間【羅刹】。
これを生み出す実験をしていたと言う。
【羅刹】を生み出した薬の名は【変若水】。
西洋で【えりくさあ】、中国では【仙丹】と呼ばれるものに値する。
不老不死の霊薬のようなものであるという。
その薬を飲むと腕力がとても強くなって、傷の治りもすごく早くなる。
服用すれば狂ってしまうほどの酷い苦しみが伴う。
松本は千鶴の言葉に痛みをこらえるような表情で眉間を押さえた。
「そこまで知っていたのか……」
「はい……」
どうしてこのような研究に手を貸したのか。
人の人生を狂わせることなど決して望んでいなかったはずだ。
その薬のせいで隊士たちは苦しみ、果てには死んでしまった人もいる。
「どうして父様は、そんな研究を……」
「だからこそ、良心の呵責に耐えかねた綱道さんはここを去ったんだろう」
「しかし……あれは幕府が、新選組の戦力増強のために与えてくれた知恵だ」
しかし、松本はやはり厳しい表情で首を横に振るばかりだ。
「あの計画は失敗だ。行わない方がいい。幕府も見切りをつけているはずだ」
幕府の方針を否定するような松本の言葉に、近藤は苦い顔をしている。
「実験体になった隊士達がどうなったか、それは近藤さんもよく知ってるだろう。あの計画は人道的に決して許されるもんじゃない」
「むう……」
近藤は唸ったきり、黙り込んでしまった。
その計画がとても危険であることは近藤もわかっているのだろう。
しかし、【薬】の研究は幕府からの依頼である。
近藤には断るという選択肢が最初からなかった可能性がある。
境内の空気が重い沈黙に包まれた、その時山南が現れる。
山南は松本に鋭い視線を向けると【薬】を有効に活用していることを伝える。
自分を成功例としたが、松本からは成功が続くとは限らないと反発される。
しかし、山南は研究と改良を重ねれば成功率が上がると食らいつく。
終わりが見えない押し問答を続ける二人の間に近藤が割って入った。
話は終わり健康診断の全体結果に話は変わった。
全隊士の三分の一が怪我人や病人だと言う。
今まで何をやってたんだとお叱りをうけ、屯所改造計画が進められた。
翌日。掃除の成果を見るために、松本が再び屯所に訪れた。
一日がかりで行なわれた屯所の掃除。
松本もまあまあ綺麗になったとお褒めの言葉。
「やはり片付くと気分がいい」
「まあな……見違えたもんだ。これはこれで悪くねえ」
「よし。これからは毎日掃除するか」
「おう、頼んだぜ、平助!」
「なんで俺だけなのさ!?体力自慢の新八っつぁんが怠けてどうするんだよ」
「あ、私も手伝いますよ?もちろん」
『私もやるよ。三人でやろっか』
「お、そかそか。じゃあ明日から三人で頑張ろうなー!」
「おいおい……ちょっとまてぇい!誰もやらねぇとは言ってないだろ?」
誰がいつから掃除するなどでここまで盛り上がれるのはなんとも和やかな雰囲気である。
しかし、その間に松本と、沖田が二人で外に出ていくのを鶴姫が目撃する。
気になった鶴姫がその後をそっと着いていく。
追いかけていくと二人は縁台に腰掛けて何かを話し込んでいる。
「結論から言おう。……お前さんの病は労咳だ」
鶴姫の胸は嫌な痛みを伴った。
「なんだ───。やっぱりあの有名な死病ですか」
「ああ……驚かないのか?」
「そりゃあ、自分の体ですし、ただの風邪がこんなに長引くはずもないですしね」
鶴姫は口元を押える。
池田屋あたりから咳が増えたことは知っている。
最近なら咳の数が増えてきている。
具合が悪いのはわかっていたが、改めて医者の口から出ると、それが紛れもない真実という現実になる。
「……でも面と向かって言われると、さすがに困ったなあ……あはははは」
「笑い事ではなかろう」
「これでも困ってるんですけどね」
「今すぐ新選組を離れて療養した方がいい」
沖田は薄い笑みを浮かべたままだ。
「空気の綺麗な場所で、精のつくもんを食って、ゆっくりしてなきゃいかん」
「それはできません」
「そうせんと、身体は悪くなるばかりだぞ。今はそうやって平気なふりができても、いずれ布団から起き上がることすらできなくなる」
「だって………それって新撰組から離れろってことでしょう?じゃあ、その時までここにいますよ。血を吐きながら、それでも刀を取ります」
「なぜ、そんなにしてまでここにいたいんだね?」
「――僕は新選組の剣ですから。命が長くても短くても、僕にできることなんて、ほんの少ししかないんです。新撰組の前に立ふさがる敵を斬る、それだけなんですよ。先が短いなら、なおさらじゃないですか。それなら、ここにいることが僕のすべてなんです」
「……お前さんの覚悟は、わかった。だがな、この病は今以上悪くなるようだと周りの人に迷惑がかかる。それはわかるな?今後は私の言いつけを守ってもらわねばならんぞ。もし守れないなら、直ぐに近藤さんに言うからな」
「うわ、ずるいなぁ。それって苦い薬とか飲まなきゃならないんですか?」
「あたりまえにきまっとるだろうが」
先が短いなら───沖田の言葉が胸に重くのしかかる。
沖田は困った人に知られたと明るく言った。
『総司が……死んでしまう……』
沖田は黙って宙を眺め続ける松本の顔をにんまりと覗き込んだ。
「先生、近藤さんたちには言わないでくださいよ。約束ですからね」
沖田のいつもと同じおどけた声が庭に響く。
「まあ、どうしても言えないことってのは、……あるよなあ」
やや沈黙の末、松本はついに諦めたようなため息を吐いた。
「私もあの子に言えてないことがあるんだ……」
松本が空を仰ぐ。
「綱道さんが、攘夷派の過激浪士連中と行動を共にしてるらしい、なんてなあ……。それに、ここにいる穐月鶴姫という子の父親や兄まで、それに加わってるのもな。……とてもじゃないが、伝えられねえよ……」
『っ──』
沖田のことで呆然としていた鶴姫は予期せぬ展開に思わず声を上げそうになる。
千鶴の父親だけでなく自分の親兄弟までもが攘夷派の人間と共にいる。
松本は千鶴の父親の行方だけでなく鶴姫の親兄弟の行方まで知っているという。
「世の中ままならないものですね」
「まったくだなあ……。まあ、これからは頻繁に新選組に通ってお前さんのことを診てやる。だからくれぐれも、無理はしないようにするんだぞ」
「お気遣いありがとうございます」
しばらく驚きや悲しみから佇んでいた鶴姫。
気づけば松本は立ち去った後だった。
沖田が労咳である上に、千鶴の父親と自分の親兄弟が倒幕派の人達と関わりを持っている。
沖田は縁台に腰掛けたまま、ぼうっと中庭を眺め続けている。
「鶴姫ちゃん」
『……っ!?』
沖田の呼び声はいつもより優しく聞こえた。
「………鶴姫ちゃん出ておいで。もういいから」
底知れない沖田の瞳がこちらを向いた。
最初から沖田は鶴姫がここに居ることに気づいていた。
鶴姫はそっと物陰から姿を現した。
俯いていた顔を上げると沖田は自分の隣をとんとんと叩いている。
「はい、こっちこっち。おいで」
母親に怒られた子供を慰めるように誘う。
その言葉のまま、導かれるまま、総司の隣に鶴姫は座った。
沈黙が苦しく、言葉が出てこない。
『総司──』
「もしかして松本先生の話だけど、本気にしてないよね?根も葉のない話を本気にされると困るんだよね」
『根も葉もない話には思えない。最近咳多くなってるし』
「あの先生、悪い冗談が好きみたいだね。こんな健康な病人いるはずないのに」
『健康な人は咳なんて出ないし、吐血もしない』
「でも冗談なら冗談で、言う場所を考えてほしかったなあ。ここには、こうやって根も葉もない話を本気にするお馬鹿さんがいるんだし」
鶴姫はその言葉を聞いて立ち上がる。
「……誰にも言わないよね?」
こうして念を押す総司の心を思えば、問返すことなんでできなかった。
「もし誰かに言うつもりなら………やっぱり斬らなくちゃならないかなぁ」
朗らかにさえ聞こえるその言葉は今まで何度も聞いてきたもの。
邪魔をするなら、斬る。役に立たなくなるのなら斬る。
今の【斬る】はただ悲しく聞こえるばかりだった。
『総司はいつもそればっかり』
「……そうかもね」
『いつもそうやって釘を刺す。斬れるものなら斬りなよ』
やり場の無い思いに込み上げてくる涙を鶴姫は抑えきれなくなってしまった。
とめどなくあふれる涙をぬぐいながら言う。
『夢にまで出て毎日毎日呪うから…』
隣で涙を抑えきれなくなった鶴姫の身体を沖田は自分の方に引き寄せる。
「……それはいやだなあ」
縁台に並ぶ二人の影が室内に長く伸びる。
『病のことは黙ってる。絶対誰にも言わないと。約束する』
「……ありがとう。いい子だね」
優しく髪を撫でる沖田の手。
目を閉じる鶴姫。
その瞼からは涙が溢れ出す。
頬を伝う涙は沖田の着物を濡らしていく。
「鶴姫ちゃんは本当にいい子だね。僕は…」
そこまで言いかけて沖田が止まる。
どうしたのかと顔を上げる鶴姫。
沖田はじっと鶴姫の顔を覗き込んでいた。
近い距離にある顔に肩が震える。
「僕は、そんな鶴姫ちゃんのこと嫌いじゃないよ」
いつもの沖田のことを考えると本心なのかどうか怪しく思う。
鶴姫は止まった思考回路を必死に動かす。
今まで何度も斬ると言われ、仲間でないと言われた自分。
一人の男から嫌いじゃないと、好意とも受け取れるような言葉を浴びされる今。
『どうして今そんなことを……?』
「……なんでだろうね。僕も不思議。僕のためにこんなに泣いてくれるのが嬉しくて」
嬉しくない?と尋ねる沖田。
嬉しくないことは無い。
ただ、病を患い、残り少ないであろう人生を新選組に捧げようとしている男からの言葉は、酷く悲しげにも受け取られた。
また優しく鶴姫の頭を撫でる沖田。
いつもと違って優しく笑う沖田から視線を外せない鶴姫。
「病気のこと言わないって約束してくれたお礼しないとね」
そう言うと、沖田の顔が近づいた。
『……っ』
唇が額に優しく押し付けられる感覚。
抱きしめる腕は僅かに震えてるような気がする。
嗚呼……強がってもやはり不安なのか。
そう思った鶴姫は、その震えを抑えるように優しく抱きしめ返す。
「ありがとう」
『い、いえ……』
「じゃまた後でね」
ニコニコと微笑む沖田は何も無かったかのように、いや、少し嬉しそうだった。
誰もいなくなった中庭でしばらく放心していた鶴姫。
嫌いじゃないといわれ、好きかもしれないといわれ嬉しいはずなのに。
心にあるのは寂しさだけ。
この時屯所の方では風間が単身乗り込んできたという。
話に聞くと千鶴と綱道の関係、鶴姫と親兄弟に関するを確認しに来ただけだったという。
風間は千鶴の返答に少し驚いたようだったがすぐ何かを納得した様子だったらしい。
そして、ただの人間を鬼に作りかえるのはやめておけという忠告を残し、
さらに、綱道や進、楽もこちら側にいると言って去っていった。
この後も松本は新撰組の面倒を見るために屯所に通ってくれるようになった。
羅刹という名が知らされてから、次第に羅刹の集団は【羅刹隊】と呼ばれ始めるようになる。
そして、鶴姫と沖田の関係はこれを機に縮まっていくこととなった。
To be continued
風間、天霧、不知火の三人が【鬼】を名乗ったのもさることながら、今まで新撰組が遭遇してきた状況から考えて、三人が薩摩や長州と関わっているらしいこと。
彼らが藩に所属しているかはっきりしない、目的も不鮮明なところがある。
迂闊に手を出しにくい相手なのは間違いなかった。
そして、もう一つ問題なのは、三人が千鶴と鶴姫に近づいてきたこと。
土方は鶴姫や千鶴に狙われる心当たりがないか尋ねてきたが、二人の方が教えて欲しいくらいだった。
彼らは鶴姫や千鶴を同胞と呼び、鶴姫や千鶴の姓、脇差や小太刀について言っていたものの、そのようなことはみんなには言えていなかった。
「千鶴や鶴姫まで【鬼】だぁ?」
「なんでも女鬼は貴重だとか言ってたな」
「鶴姫も心当たりはねぇんだよな?」
『はい。我が家に代々伝わっているのは赤と黒の脇差、白の太刀です。文書もありません。一族の性質を考えると政府に悪用されることを避けるために口伝かと思われます。私には何も教えられておりませんが』
広間に集まった幹部たちは頭を抱えた。
なにせ【鬼】とは伝説上の妖怪の様なもの。
むかし鬼を切ったと言われる刀が存在していたり、鬼がつく姓があるなど、その程度のものであるはずなのだ。
「千鶴と鶴姫が鬼かぁ。そいつらが言うには千鶴が東の鬼で、鶴姫が東西を仕切る鬼?」
「そうみたい……」
『その風間という男とは池田屋で確かに対峙しました。私の脇差に覚えがあるような素振りでした』
「なんにしろだ、これ以上話は広がらねえ。また来ると言っていた以上、警戒をゆるめる訳には行かねえな」
何も解決せぬまま、日はこくこくとすぎていった。
その日の夜、千鶴と鶴姫はただただ困惑していた。
「鶴姫ちゃんも鬼なんだね」
『三人の話によるとね。でも何も聞かされてない以上人違いかとも思える。でも、それを示す物証がある以上、そうも言ってられないのかもしれない。』
「次来る時、またなにか聞けるといいんだけど…」
『そう簡単に口を割るとも思えないんだよね……』
二人でうーんと唸る。
こうして考えていても埒が明かないと、その日は寝ることにした。
慶応元年閏五月末――
この日の屯所は、いつになく騒がし雰囲気だった。
廊下ですれ違う隊士たちの数がやけに多く、みな、なんだか盛り上がっている様子だ。
「はあ……はあ……!じょ、冗談じゃありませんよ!全く!」
『伊東さん?どうかされましたか』
「どうしたもこうしたもありませんよ!私がなんであんな野蛮人共と同じ部屋で、肌を晒さなきゃならないのです!」
『?よく分かりません』
「将軍上洛の時に意気投合したお医者様が屯所にこられているのですよ。隊士たちの健康診断を行うとかの名目で」
そういった伊東は今来た曲がり角の向こうを睨む。
今日か健康診断で、隊士の皆は裸になって体の検査をしているらしい。
鶴姫や千鶴の事情を知っている幹部は近寄るなと言っていた。
「あのハゲ坊主――じゃなくてお医者様ったら!みんなの前で私に着物を脱げと仰るのよ!拒んだら無理やり脱がそうとするし!それに、あの隊士達の態度!全くなんて野蛮なんでしょう!」
『松本良順先生でしょうね』
「え!?そのお医者様って松本良順先生なんですか!?」
たまたまそばを通った千鶴が食いついた。
京で最初に頼るつもりだった人だ。
「私も健康診断に行ってきます!」
「あらあら、あんな野蛮人に会いたいなんて、なんて物好きなのかしら」
『まあまあ。好き好きですよ。私もいってきます。』
隊士たちの声がザワザワと騒がしい。
部屋の中を覗いてみると、目の前にある意味、壮絶な光景に千鶴の足がピタリと止まる。
鶴姫もそれにつられて仲を覗いて驚く。
「よし、次の人」
「おう!俺の番だな!いっちょ頼んます先生!ふんっ!どうすか!?剣術一筋で鍛えに鍛えたこの身体!」
「新八っつぁんの場合、身体は頑丈だもん。診てもらうのは頭の方だよなー」
「あぁん?余計なこと言ってると締めるぞ、平助」
「んー永倉新八っと……よし、問題ない。次」
「ちょ、先生!もっとちゃんと見てくれよ!」
「いやい、申し分ない健康体だ」
「新八。後ろがつかえてるんだから、さっさと終わらせろ」
「そうじゃなくてよ!もっとほかに見ることがあんだろ!」
「診察は見てもらうものであって、見せつけるものじゃない。さっさとどけ」
『「……………」』
これでは確かに伊東が逃げ出したくなるのも無理はない。
彼がこの空間に溶け込んでいる図はちょっと想像できない。
「雪村君、穐月君、こんなところでどうかしたのか?」
「あ、山崎さん……あの……松本先生が来ていらしてると聞いたので」
その一言だけで、山崎さんはおおよそのことを理解したらしい。
「だが、診察はなかなか終わらないようだ。……俺に任せてくれるか?」
「いいんですか……ではお願いします」
「わかった、少し待っていてくれ」
少し待っていると松本が部屋の外に出てくる。
千鶴は出てきた松本良順の前に慌てて駆け寄った。
「あ、あの……!」
「ん……?」
松本は千鶴の姿をまじまじと見つめ、ずっと目を細めた。
「……薬の補充も兼ねて休憩にしようか。君、ちょっと手伝ってくれるかね」
「あ………は、はい!」
千鶴は願ってもないことと、松本に従って歩き出した。
松本は千鶴に会うために屯所に来たと言う。
近藤の話によると千鶴の父と松本が懇意にしていたことを知っていたから、近藤が千鶴のことを松本に教えたという。
松本は千鶴と入れ違うように江戸に戻っていたとのこと。
千鶴の手紙もしっかり読んでいたようだが、肝心の千鶴の消息がつかめず会うに会えない状況だった。
近藤からの情報は松本にとっても寝耳に水な話だったようだ。
千鶴が父綱道のことを尋ねると、松本の表情がにわかにくもった。
松本にも綱道の居場所は分からないという。
松本は落胆する千鶴をみて、しばらく悩んだ末、近藤にちらりと視線を向けた。
近藤が頷くと、松本は神妙な面持ちで千鶴に向き直る。
ここに居ることで例の薬に関わってしまったこと、綱道が新選組で行っていたのが【羅刹】を生み出す実験だったこと。
鬼神の如き力と驚異的な治癒能力を持つ人間【羅刹】。
これを生み出す実験をしていたと言う。
【羅刹】を生み出した薬の名は【変若水】。
西洋で【えりくさあ】、中国では【仙丹】と呼ばれるものに値する。
不老不死の霊薬のようなものであるという。
その薬を飲むと腕力がとても強くなって、傷の治りもすごく早くなる。
服用すれば狂ってしまうほどの酷い苦しみが伴う。
松本は千鶴の言葉に痛みをこらえるような表情で眉間を押さえた。
「そこまで知っていたのか……」
「はい……」
どうしてこのような研究に手を貸したのか。
人の人生を狂わせることなど決して望んでいなかったはずだ。
その薬のせいで隊士たちは苦しみ、果てには死んでしまった人もいる。
「どうして父様は、そんな研究を……」
「だからこそ、良心の呵責に耐えかねた綱道さんはここを去ったんだろう」
「しかし……あれは幕府が、新選組の戦力増強のために与えてくれた知恵だ」
しかし、松本はやはり厳しい表情で首を横に振るばかりだ。
「あの計画は失敗だ。行わない方がいい。幕府も見切りをつけているはずだ」
幕府の方針を否定するような松本の言葉に、近藤は苦い顔をしている。
「実験体になった隊士達がどうなったか、それは近藤さんもよく知ってるだろう。あの計画は人道的に決して許されるもんじゃない」
「むう……」
近藤は唸ったきり、黙り込んでしまった。
その計画がとても危険であることは近藤もわかっているのだろう。
しかし、【薬】の研究は幕府からの依頼である。
近藤には断るという選択肢が最初からなかった可能性がある。
境内の空気が重い沈黙に包まれた、その時山南が現れる。
山南は松本に鋭い視線を向けると【薬】を有効に活用していることを伝える。
自分を成功例としたが、松本からは成功が続くとは限らないと反発される。
しかし、山南は研究と改良を重ねれば成功率が上がると食らいつく。
終わりが見えない押し問答を続ける二人の間に近藤が割って入った。
話は終わり健康診断の全体結果に話は変わった。
全隊士の三分の一が怪我人や病人だと言う。
今まで何をやってたんだとお叱りをうけ、屯所改造計画が進められた。
翌日。掃除の成果を見るために、松本が再び屯所に訪れた。
一日がかりで行なわれた屯所の掃除。
松本もまあまあ綺麗になったとお褒めの言葉。
「やはり片付くと気分がいい」
「まあな……見違えたもんだ。これはこれで悪くねえ」
「よし。これからは毎日掃除するか」
「おう、頼んだぜ、平助!」
「なんで俺だけなのさ!?体力自慢の新八っつぁんが怠けてどうするんだよ」
「あ、私も手伝いますよ?もちろん」
『私もやるよ。三人でやろっか』
「お、そかそか。じゃあ明日から三人で頑張ろうなー!」
「おいおい……ちょっとまてぇい!誰もやらねぇとは言ってないだろ?」
誰がいつから掃除するなどでここまで盛り上がれるのはなんとも和やかな雰囲気である。
しかし、その間に松本と、沖田が二人で外に出ていくのを鶴姫が目撃する。
気になった鶴姫がその後をそっと着いていく。
追いかけていくと二人は縁台に腰掛けて何かを話し込んでいる。
「結論から言おう。……お前さんの病は労咳だ」
鶴姫の胸は嫌な痛みを伴った。
「なんだ───。やっぱりあの有名な死病ですか」
「ああ……驚かないのか?」
「そりゃあ、自分の体ですし、ただの風邪がこんなに長引くはずもないですしね」
鶴姫は口元を押える。
池田屋あたりから咳が増えたことは知っている。
最近なら咳の数が増えてきている。
具合が悪いのはわかっていたが、改めて医者の口から出ると、それが紛れもない真実という現実になる。
「……でも面と向かって言われると、さすがに困ったなあ……あはははは」
「笑い事ではなかろう」
「これでも困ってるんですけどね」
「今すぐ新選組を離れて療養した方がいい」
沖田は薄い笑みを浮かべたままだ。
「空気の綺麗な場所で、精のつくもんを食って、ゆっくりしてなきゃいかん」
「それはできません」
「そうせんと、身体は悪くなるばかりだぞ。今はそうやって平気なふりができても、いずれ布団から起き上がることすらできなくなる」
「だって………それって新撰組から離れろってことでしょう?じゃあ、その時までここにいますよ。血を吐きながら、それでも刀を取ります」
「なぜ、そんなにしてまでここにいたいんだね?」
「――僕は新選組の剣ですから。命が長くても短くても、僕にできることなんて、ほんの少ししかないんです。新撰組の前に立ふさがる敵を斬る、それだけなんですよ。先が短いなら、なおさらじゃないですか。それなら、ここにいることが僕のすべてなんです」
「……お前さんの覚悟は、わかった。だがな、この病は今以上悪くなるようだと周りの人に迷惑がかかる。それはわかるな?今後は私の言いつけを守ってもらわねばならんぞ。もし守れないなら、直ぐに近藤さんに言うからな」
「うわ、ずるいなぁ。それって苦い薬とか飲まなきゃならないんですか?」
「あたりまえにきまっとるだろうが」
先が短いなら───沖田の言葉が胸に重くのしかかる。
沖田は困った人に知られたと明るく言った。
『総司が……死んでしまう……』
沖田は黙って宙を眺め続ける松本の顔をにんまりと覗き込んだ。
「先生、近藤さんたちには言わないでくださいよ。約束ですからね」
沖田のいつもと同じおどけた声が庭に響く。
「まあ、どうしても言えないことってのは、……あるよなあ」
やや沈黙の末、松本はついに諦めたようなため息を吐いた。
「私もあの子に言えてないことがあるんだ……」
松本が空を仰ぐ。
「綱道さんが、攘夷派の過激浪士連中と行動を共にしてるらしい、なんてなあ……。それに、ここにいる穐月鶴姫という子の父親や兄まで、それに加わってるのもな。……とてもじゃないが、伝えられねえよ……」
『っ──』
沖田のことで呆然としていた鶴姫は予期せぬ展開に思わず声を上げそうになる。
千鶴の父親だけでなく自分の親兄弟までもが攘夷派の人間と共にいる。
松本は千鶴の父親の行方だけでなく鶴姫の親兄弟の行方まで知っているという。
「世の中ままならないものですね」
「まったくだなあ……。まあ、これからは頻繁に新選組に通ってお前さんのことを診てやる。だからくれぐれも、無理はしないようにするんだぞ」
「お気遣いありがとうございます」
しばらく驚きや悲しみから佇んでいた鶴姫。
気づけば松本は立ち去った後だった。
沖田が労咳である上に、千鶴の父親と自分の親兄弟が倒幕派の人達と関わりを持っている。
沖田は縁台に腰掛けたまま、ぼうっと中庭を眺め続けている。
「鶴姫ちゃん」
『……っ!?』
沖田の呼び声はいつもより優しく聞こえた。
「………鶴姫ちゃん出ておいで。もういいから」
底知れない沖田の瞳がこちらを向いた。
最初から沖田は鶴姫がここに居ることに気づいていた。
鶴姫はそっと物陰から姿を現した。
俯いていた顔を上げると沖田は自分の隣をとんとんと叩いている。
「はい、こっちこっち。おいで」
母親に怒られた子供を慰めるように誘う。
その言葉のまま、導かれるまま、総司の隣に鶴姫は座った。
沈黙が苦しく、言葉が出てこない。
『総司──』
「もしかして松本先生の話だけど、本気にしてないよね?根も葉のない話を本気にされると困るんだよね」
『根も葉もない話には思えない。最近咳多くなってるし』
「あの先生、悪い冗談が好きみたいだね。こんな健康な病人いるはずないのに」
『健康な人は咳なんて出ないし、吐血もしない』
「でも冗談なら冗談で、言う場所を考えてほしかったなあ。ここには、こうやって根も葉もない話を本気にするお馬鹿さんがいるんだし」
鶴姫はその言葉を聞いて立ち上がる。
「……誰にも言わないよね?」
こうして念を押す総司の心を思えば、問返すことなんでできなかった。
「もし誰かに言うつもりなら………やっぱり斬らなくちゃならないかなぁ」
朗らかにさえ聞こえるその言葉は今まで何度も聞いてきたもの。
邪魔をするなら、斬る。役に立たなくなるのなら斬る。
今の【斬る】はただ悲しく聞こえるばかりだった。
『総司はいつもそればっかり』
「……そうかもね」
『いつもそうやって釘を刺す。斬れるものなら斬りなよ』
やり場の無い思いに込み上げてくる涙を鶴姫は抑えきれなくなってしまった。
とめどなくあふれる涙をぬぐいながら言う。
『夢にまで出て毎日毎日呪うから…』
隣で涙を抑えきれなくなった鶴姫の身体を沖田は自分の方に引き寄せる。
「……それはいやだなあ」
縁台に並ぶ二人の影が室内に長く伸びる。
『病のことは黙ってる。絶対誰にも言わないと。約束する』
「……ありがとう。いい子だね」
優しく髪を撫でる沖田の手。
目を閉じる鶴姫。
その瞼からは涙が溢れ出す。
頬を伝う涙は沖田の着物を濡らしていく。
「鶴姫ちゃんは本当にいい子だね。僕は…」
そこまで言いかけて沖田が止まる。
どうしたのかと顔を上げる鶴姫。
沖田はじっと鶴姫の顔を覗き込んでいた。
近い距離にある顔に肩が震える。
「僕は、そんな鶴姫ちゃんのこと嫌いじゃないよ」
いつもの沖田のことを考えると本心なのかどうか怪しく思う。
鶴姫は止まった思考回路を必死に動かす。
今まで何度も斬ると言われ、仲間でないと言われた自分。
一人の男から嫌いじゃないと、好意とも受け取れるような言葉を浴びされる今。
『どうして今そんなことを……?』
「……なんでだろうね。僕も不思議。僕のためにこんなに泣いてくれるのが嬉しくて」
嬉しくない?と尋ねる沖田。
嬉しくないことは無い。
ただ、病を患い、残り少ないであろう人生を新選組に捧げようとしている男からの言葉は、酷く悲しげにも受け取られた。
また優しく鶴姫の頭を撫でる沖田。
いつもと違って優しく笑う沖田から視線を外せない鶴姫。
「病気のこと言わないって約束してくれたお礼しないとね」
そう言うと、沖田の顔が近づいた。
『……っ』
唇が額に優しく押し付けられる感覚。
抱きしめる腕は僅かに震えてるような気がする。
嗚呼……強がってもやはり不安なのか。
そう思った鶴姫は、その震えを抑えるように優しく抱きしめ返す。
「ありがとう」
『い、いえ……』
「じゃまた後でね」
ニコニコと微笑む沖田は何も無かったかのように、いや、少し嬉しそうだった。
誰もいなくなった中庭でしばらく放心していた鶴姫。
嫌いじゃないといわれ、好きかもしれないといわれ嬉しいはずなのに。
心にあるのは寂しさだけ。
この時屯所の方では風間が単身乗り込んできたという。
話に聞くと千鶴と綱道の関係、鶴姫と親兄弟に関するを確認しに来ただけだったという。
風間は千鶴の返答に少し驚いたようだったがすぐ何かを納得した様子だったらしい。
そして、ただの人間を鬼に作りかえるのはやめておけという忠告を残し、
さらに、綱道や進、楽もこちら側にいると言って去っていった。
この後も松本は新撰組の面倒を見るために屯所に通ってくれるようになった。
羅刹という名が知らされてから、次第に羅刹の集団は【羅刹隊】と呼ばれ始めるようになる。
そして、鶴姫と沖田の関係はこれを機に縮まっていくこととなった。
To be continued