入隊希望者とその親族関係の明記を。
あなたを守ること 沖田
入隊希望者名簿
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広々とした空間に、今日は朗々たる近藤の声が響き渡っていた。
十四代将軍徳川家茂が上洛されるに及び、家茂が二条城に入るまで新選組が総力をもって警護の任に当たるべしとの要請を受けたとのこと。
事態を理解した隊士たちが歓声を上げる。
これから忙しくなることを考えて隊士の編成を考え直す。
沖田は近頃咳が多いとの理由から外されることとなった。
ついては小姓である鶴姫も、沖田が抜け出したりしないように監視として屯所に残ることになった。
これに加え藤堂も調子が悪いとして屯所に残ることとが決定した。
千鶴は前回の伝令で役に立ったということで、同行する。
『静かだな……』
千鶴のいない部屋に一人。
窓を開けて外を眺める。風が心地よい。
今なら隊士もほとんど出払っている。
『少しくらい部屋から出てもいいよね』
そっと襖を開けて辺りを見回す。
誰もいない。
静かに小さな庭に出て空を見上げる。
今日も酷く綺麗な夜だ。
空には満月が輝いている。
当たりを白く照らしている。
『何も起きませんように』
今日は胸騒ぎがする。
自分の中で何かが変わりそうな胸騒ぎ。
「鶴姫ちゃん?」
誰もいないと思って出てきた庭に、一人、後客がきた。
『沖田さん……』
ゆっくりと振り返ると、沖田が立っていた。
少し驚いたような表情をしている。
そしていつもように意地悪な顔をする。
「今日は、いつもと違うね」
『?』
その言葉と時を同じくして、瞳にじわっと何かが広まっている感覚がする。
言われて今気づいたのである。
痛みはなく少しずつ広がって来る感じ。
「鶴みたいだよ」
『鶴…ですか?』
少しずつ近づいてくる沖田に、後ずさってしまう。
それを見た沖田は歩みを止めた。
「総司って呼んでくれなくなったね」
いつもの意地悪そうな言葉だが、今回は少し違っていた。
どこか悲しそうに、寂しそうに、強請るように。
しばらく相手をしてもらえなかった子供のように。
『呼んでほしいのですか?』
そう返してみた。
「……そうだね」
呼んでほしいかな。
消えそうな声で紡がれた言葉。
いつもの意地悪でもなく、本心から出た言葉に聞こえた。
「でも、呼んでくれなくなったのには僕に原因があるからか。贅沢は言えないね…」
縁側に腰かけて静かに呟かれた、三ヶ月前に鶴姫に届かなかった言葉。
鶴姫は空を見上げたまま。
「傷ついたよね」
『いえ。あれは当たり前のことです。傷つきはしません』
相変わらず沖田の方を見ずに答える鶴姫。
その背中を沖田はただただ見つめる。
「……ごめんねを言いたかったんだ」
それだけ言うと立ち去ろうとする沖田。
その沖田に、今度は鶴姫が話しかけた。
『一人ぼっちになったことありますか?』
振り返った沖田の目には、悲しそうな表情の鶴姫が映りこんだ。
月明かりに照らされて、酷く綺麗に見えた。
「一人ぼっちか……。ある意味ではいつもそうかな」
そう返すと、鶴姫は満足そうな表情になった。
そのとき、沖田は瞬間的に鶴姫もある意味では一人ぼっちであることに気づく。
父や兄が見つからない今、母もおらず頼れるところもない。
『私も…ある意味では一人ぼっちです。家族はいないし。皆さんが家族みたいに思えていたのですが、それは甘やかしていただいてるからなんですよね……結局は…一人なんです』
ここに居るうちは一人じゃないと思ったと言いたいのだ。
ここを出れば一人。父や兄が死んでいたら。
沖田は鶴姫にとってのあの時言われた言葉の重みに気づく。
一人になった鶴姫には、ここが居場所になっていたのに。
『最初は嫌だったけど、ここで生活させてもらって、一人じゃないのかもと思ったんです。』
「……」
『だからまた一人になったんだと…そう思いました。いや、おっしゃる通り仲間では無い以上家族でもない。仲間であっても家族じゃない。最初から何事も分かりきっていたことなんです』
そう呟いた。
『だから仲間じゃないと言われても大丈夫ですよ』
振り向いて笑う鶴姫。
その笑顔に沖田は歩みを進めた。
「本当にごめんね」
うつむき加減に言う沖田の手に鶴姫の手が添えられる。
『冷えてますよ』
「違うよ。鶴姫ちゃんの手が冷たいんだよ」
鶴姫の手を取り沖田は冷たいその手を撫でる。
「手が冷たい人は優しいんだ。鶴姫ちゃんは優しい子だから」
『沖田さん…』
「ひどいこと言ってごめん」
『いえ。いいんです』
「一くんの小姓にでもなる?」
『何故そこで斎藤さんが?』
「しっかりしてるからね」
『……なってほしいのですか?』
今までなら意地悪を言われていた側だが、この日は珍しく鶴姫が意地悪をしかけた。
「……嫌かな。」
『断定じゃないんですね』
「最後に決めるのは鶴姫ちゃんだから」
『ずるい人』
鶴姫はそういう沖田の手を優しく包み込む。
その手を包み返す沖田。
「僕のところに戻ってきてくれる……?」
『分かりました』
そう、仲直りできた時だった。
「……ごほっ、ごほ……!」
沖田の口元から漏れた鮮やかな血の赤が鶴姫の心を塗りつぶす。
それと同時に鶴姫の心臓は強く脈打つ。
『…っう!血……ち…』
「鶴姫ちゃん?」
『血の……匂い…』
沖田の口から漏れ出た血に誘われるように手を伸ばす。
だが、伸ばした手は沖田によってつかまれる。
「ダメだよ鶴姫ちゃん…!」
『血……』
うつろな目で血を欲するような鶴姫。
沖田は何度も呼び掛ける。
そうしているうちに鶴姫は正気に戻っていった。
『総司…』
「鶴姫ちゃん、今日はもう休もう」
『はい…』
これが何なのか。なぜ血に反応するのか。
それはまだ誰にも何もわからない。
その頃、二条城ではバラバラだがどこか特徴的な風体を持った、三人の男の鋭い視線が千鶴の身に突き刺さった。
千鶴は視線に気圧されながらも、必死に自分の記憶と聞いた情報と、目の前の男たちの顔を繋ぎ合わせた。
風間千景。
天霧九寿。
不知火匡。
池田屋や禁門の変で新撰組の前に立ち塞がった薩摩や長州と関わりがあるらしい三人の男たち。
「な、なんで……ここにいるんですか……!?」
「あ?なんで、ってのが方法を言ってんなら、答えは簡単だ。……オレら【鬼】の一族には、人が作る障害なんざ意味をなさねぇんだよ」
「そう。私たちはある目的のためにここに来た。君を探していたのです。雪村千鶴。そしてここにはいないようですが穐月鶴姫」
「……い、言ってる意味がよく分かりません。【鬼】とか、私や鶴姫ちゃんを探してとか、……からかってるんですかっ!」
「……【鬼】を知らぬ?本気でそんなことを言っているのか?我が同胞ともあろう者が」
千鶴が張り上げた精一杯の声を一周して、風間が闇を引連れ一歩踏み出す。
続く天霧の低い声は子供を諌めるような、静かな音色で──
「君たちは───直ぐに怪我が治りませんか?」
「!?」
「並の人間とは思えないぐらい───、怪我の治りが早くありませんか?」
「そ、そんなことは……」
「あァ?なんなら、血ぃぶちまけて証明したほうが早ぇか?」
「……っ」
「……よせ不知火。否定しようが肯定しようが、どの道俺たちの行動は変わらん」
風間が不知火を手で制する。
その視線は千鶴が腰にたずさえた小太刀へ向いていた。
「……多くは語らん。鬼を示す姓と、東の鬼の小太刀……それのみで、証拠としては充分に過ぎる。そして、池田屋にいたあの女……東西を仕切る鬼の棟梁を示す姓とそれを象徴する赤と黒の脇差……言っておくが、お前らを連れていくのに、同意など必要としていない。女鬼は貴重だ。共にこい──」
千鶴を引きずり込むように、闇から風間の手が伸びてくる。
その瞬間、闇を白刃が切り裂いた。
「おいおい、こんな色気のない場所、逢い引きにしちゃ趣味が悪いぜ……?」
「……またおまえたちか。田舎の犬は目端だけは利くと見える」
「……それはこちらの台詞だ」
一閃で風間を大きく退けて、槍と刀を抜き放った二人が千鶴の前に立つ。
その刃は千鶴を縛る重圧さえたってくれたようで、千鶴はにわかにくず折れそうになる。
そんな千鶴の肩を無骨な手が後ろへ引いた。
「……下がっていろ」
千鶴を押しのけるように土方が前に出ると、彼もまた刀に手をかけた。
「ふん……将軍の首でも取りに来たかと思えば、こんなガキ一人に一体何の用だ」
「将軍も貴様らも、今はどうでもいい。これは、我ら【鬼】の問題だ」
「【鬼】だと?」
土方の手が細められる。
相手の発言の真偽を計っているのか、眼光の色は、酷く、鋭く。
「へっ……こいつのツラ拝むのは、元治甲子の変以来だな……」
原田が槍の穂先を動かせば、不知火が腰の中に手を伸ばす。
「再会という意味では、こちらも同じくだ。……だが、なんの感慨も湧かんな」
斎藤が柄を握る手に力を込めれば、天霧がじゃりっと爪先に力を入れる。
すると音もなく山崎が千鶴の背後にたち土方からの命令を伝える。
「……副長の命だ。君は、このまま俺が屯所まで連れていく」
「……避難しろってこと、ですか?」
土方からの命がありながら、千鶴はこの場に残る選択をした。
それを告げた瞬間、山崎が僅かに眉をひそめたのが見えた。
あの男たちからは先程の発言の真意を聞いていない。
彼らの目的を、彼らの言葉の意味を知らなければいけない、そんな気がしているのだ。
強引にでも千鶴をこの場から引き離そうとする山崎の手が伸びてきた、刹那。
銃を構えた不知火から殺気が走る。
本当に発砲したと錯覚かえ覚えるほどに。
「ヘイヘイ、待てって。お姫さんが残るっつってんだろ?振られたのに邪魔してんじゃ……ねェよ!」
「ちっ!」
言葉の最後に合わせて不知火が地を蹴り、原田がその進路を阻むように立ち塞がる。
「……やれやれ。時に拙速は巧遅に勝りますが、不知火の手の速さも考えものですね。」
「そういうあんたも、止めなかったようだがな」
やや離れた場所の齋藤と天霧も既に互いの間合いを詰めていた。
「くそ、何やってんだ……!」
状況は一体一が三つ。
千鶴が脱出する機会が失われたことに舌打ちして、土方が正面の風間を睨みつけた。
千鶴は小太刀の柄に手をかけ、土方と対峙する風間を見すえた。
「馬鹿が……!おまえの手に負える相手か!……山崎、そいつをちゃんと抑えてろ!」
土方が風間と千鶴の視線を遮るように千鶴を背に庇う。
風間はそれが不快だったのか、瞳を細めて土方に視線を突き刺した。
「武士気取りの田舎者が。……よくよく我々を邪魔するのが好きと見える」
「こちらの台詞だ、と言ったはずだ。……そういえば、お前には元治甲子の変の時、隊士を斬り殺してくれた借りがあったな……」
空気が変わった。
「ふん……ならば俺を斬って、死者の墓前にでも報告してみるか?」
「馬鹿言ってんじゃねえ。そういう話は、本人とやってくれ。……今からやつのいるところに送ってやるからよ」
鍔鳴りの音と、互いの刀が闇に踊るのは同時だった。
ふたつの刀が噛み合って、絶叫を上げたように感じられた。
風間は涼しい顔で、前髪をそよがせている。
土方は一瞬千鶴に視線を向け、ぎりっと、刃を押し込みながら声を絞り出した。
「てめえらは、なんだってこんなガキや穐月に用がある……!」
「【鬼】の一族だ、と言っているではないか。我々だけでなくあの娘ももう一人も。あれらはお前たちにはすぎたもの。だから我らが連れ帰る……それだけだ」
「どういう……意味だ!?」
あと一寸で切り裂かれていたにもかかわらず、風間の顔に恐怖の色など欠けらも無い。
むしろ簡単したような声すら漏らして、風間は刀を下ろした。
「……何のつもりだ?」
彼らはそれぞれに構えをとくと、戦いを切り上げて間合いを離す。
「……これ以上の戦いは無意味ですな。長引いて興が乗っても困るでしょう」
天霧が念を押すような口調で言うと、不知火は居心地が悪そうに顔をかいた。
「……俺様のことを言ってんのか?オイオイ、引き際はこころえてるつもりだぜ?」
その二人に視線を向けてから、風間は静かに頷いた。
「確かに……確認はかなった以上、長居をする必要もあるまい。今日は挨拶をしに来ただけだからな」
「……むざむざ逃がすと思うか?」
「くだらん虚勢はやめておけ。貴様らはまだしも、騒ぎを聞き付けて集まった雑魚どもは、何人死ぬか知れたものでは無いぞ」
風間たちは闇に解け消えるその最中、目を細め、こんな言葉を残した。
「いずれまた、近いうちに迎えに行く。……待っているがいい」
To be continued
十四代将軍徳川家茂が上洛されるに及び、家茂が二条城に入るまで新選組が総力をもって警護の任に当たるべしとの要請を受けたとのこと。
事態を理解した隊士たちが歓声を上げる。
これから忙しくなることを考えて隊士の編成を考え直す。
沖田は近頃咳が多いとの理由から外されることとなった。
ついては小姓である鶴姫も、沖田が抜け出したりしないように監視として屯所に残ることになった。
これに加え藤堂も調子が悪いとして屯所に残ることとが決定した。
千鶴は前回の伝令で役に立ったということで、同行する。
『静かだな……』
千鶴のいない部屋に一人。
窓を開けて外を眺める。風が心地よい。
今なら隊士もほとんど出払っている。
『少しくらい部屋から出てもいいよね』
そっと襖を開けて辺りを見回す。
誰もいない。
静かに小さな庭に出て空を見上げる。
今日も酷く綺麗な夜だ。
空には満月が輝いている。
当たりを白く照らしている。
『何も起きませんように』
今日は胸騒ぎがする。
自分の中で何かが変わりそうな胸騒ぎ。
「鶴姫ちゃん?」
誰もいないと思って出てきた庭に、一人、後客がきた。
『沖田さん……』
ゆっくりと振り返ると、沖田が立っていた。
少し驚いたような表情をしている。
そしていつもように意地悪な顔をする。
「今日は、いつもと違うね」
『?』
その言葉と時を同じくして、瞳にじわっと何かが広まっている感覚がする。
言われて今気づいたのである。
痛みはなく少しずつ広がって来る感じ。
「鶴みたいだよ」
『鶴…ですか?』
少しずつ近づいてくる沖田に、後ずさってしまう。
それを見た沖田は歩みを止めた。
「総司って呼んでくれなくなったね」
いつもの意地悪そうな言葉だが、今回は少し違っていた。
どこか悲しそうに、寂しそうに、強請るように。
しばらく相手をしてもらえなかった子供のように。
『呼んでほしいのですか?』
そう返してみた。
「……そうだね」
呼んでほしいかな。
消えそうな声で紡がれた言葉。
いつもの意地悪でもなく、本心から出た言葉に聞こえた。
「でも、呼んでくれなくなったのには僕に原因があるからか。贅沢は言えないね…」
縁側に腰かけて静かに呟かれた、三ヶ月前に鶴姫に届かなかった言葉。
鶴姫は空を見上げたまま。
「傷ついたよね」
『いえ。あれは当たり前のことです。傷つきはしません』
相変わらず沖田の方を見ずに答える鶴姫。
その背中を沖田はただただ見つめる。
「……ごめんねを言いたかったんだ」
それだけ言うと立ち去ろうとする沖田。
その沖田に、今度は鶴姫が話しかけた。
『一人ぼっちになったことありますか?』
振り返った沖田の目には、悲しそうな表情の鶴姫が映りこんだ。
月明かりに照らされて、酷く綺麗に見えた。
「一人ぼっちか……。ある意味ではいつもそうかな」
そう返すと、鶴姫は満足そうな表情になった。
そのとき、沖田は瞬間的に鶴姫もある意味では一人ぼっちであることに気づく。
父や兄が見つからない今、母もおらず頼れるところもない。
『私も…ある意味では一人ぼっちです。家族はいないし。皆さんが家族みたいに思えていたのですが、それは甘やかしていただいてるからなんですよね……結局は…一人なんです』
ここに居るうちは一人じゃないと思ったと言いたいのだ。
ここを出れば一人。父や兄が死んでいたら。
沖田は鶴姫にとってのあの時言われた言葉の重みに気づく。
一人になった鶴姫には、ここが居場所になっていたのに。
『最初は嫌だったけど、ここで生活させてもらって、一人じゃないのかもと思ったんです。』
「……」
『だからまた一人になったんだと…そう思いました。いや、おっしゃる通り仲間では無い以上家族でもない。仲間であっても家族じゃない。最初から何事も分かりきっていたことなんです』
そう呟いた。
『だから仲間じゃないと言われても大丈夫ですよ』
振り向いて笑う鶴姫。
その笑顔に沖田は歩みを進めた。
「本当にごめんね」
うつむき加減に言う沖田の手に鶴姫の手が添えられる。
『冷えてますよ』
「違うよ。鶴姫ちゃんの手が冷たいんだよ」
鶴姫の手を取り沖田は冷たいその手を撫でる。
「手が冷たい人は優しいんだ。鶴姫ちゃんは優しい子だから」
『沖田さん…』
「ひどいこと言ってごめん」
『いえ。いいんです』
「一くんの小姓にでもなる?」
『何故そこで斎藤さんが?』
「しっかりしてるからね」
『……なってほしいのですか?』
今までなら意地悪を言われていた側だが、この日は珍しく鶴姫が意地悪をしかけた。
「……嫌かな。」
『断定じゃないんですね』
「最後に決めるのは鶴姫ちゃんだから」
『ずるい人』
鶴姫はそういう沖田の手を優しく包み込む。
その手を包み返す沖田。
「僕のところに戻ってきてくれる……?」
『分かりました』
そう、仲直りできた時だった。
「……ごほっ、ごほ……!」
沖田の口元から漏れた鮮やかな血の赤が鶴姫の心を塗りつぶす。
それと同時に鶴姫の心臓は強く脈打つ。
『…っう!血……ち…』
「鶴姫ちゃん?」
『血の……匂い…』
沖田の口から漏れ出た血に誘われるように手を伸ばす。
だが、伸ばした手は沖田によってつかまれる。
「ダメだよ鶴姫ちゃん…!」
『血……』
うつろな目で血を欲するような鶴姫。
沖田は何度も呼び掛ける。
そうしているうちに鶴姫は正気に戻っていった。
『総司…』
「鶴姫ちゃん、今日はもう休もう」
『はい…』
これが何なのか。なぜ血に反応するのか。
それはまだ誰にも何もわからない。
その頃、二条城ではバラバラだがどこか特徴的な風体を持った、三人の男の鋭い視線が千鶴の身に突き刺さった。
千鶴は視線に気圧されながらも、必死に自分の記憶と聞いた情報と、目の前の男たちの顔を繋ぎ合わせた。
風間千景。
天霧九寿。
不知火匡。
池田屋や禁門の変で新撰組の前に立ち塞がった薩摩や長州と関わりがあるらしい三人の男たち。
「な、なんで……ここにいるんですか……!?」
「あ?なんで、ってのが方法を言ってんなら、答えは簡単だ。……オレら【鬼】の一族には、人が作る障害なんざ意味をなさねぇんだよ」
「そう。私たちはある目的のためにここに来た。君を探していたのです。雪村千鶴。そしてここにはいないようですが穐月鶴姫」
「……い、言ってる意味がよく分かりません。【鬼】とか、私や鶴姫ちゃんを探してとか、……からかってるんですかっ!」
「……【鬼】を知らぬ?本気でそんなことを言っているのか?我が同胞ともあろう者が」
千鶴が張り上げた精一杯の声を一周して、風間が闇を引連れ一歩踏み出す。
続く天霧の低い声は子供を諌めるような、静かな音色で──
「君たちは───直ぐに怪我が治りませんか?」
「!?」
「並の人間とは思えないぐらい───、怪我の治りが早くありませんか?」
「そ、そんなことは……」
「あァ?なんなら、血ぃぶちまけて証明したほうが早ぇか?」
「……っ」
「……よせ不知火。否定しようが肯定しようが、どの道俺たちの行動は変わらん」
風間が不知火を手で制する。
その視線は千鶴が腰にたずさえた小太刀へ向いていた。
「……多くは語らん。鬼を示す姓と、東の鬼の小太刀……それのみで、証拠としては充分に過ぎる。そして、池田屋にいたあの女……東西を仕切る鬼の棟梁を示す姓とそれを象徴する赤と黒の脇差……言っておくが、お前らを連れていくのに、同意など必要としていない。女鬼は貴重だ。共にこい──」
千鶴を引きずり込むように、闇から風間の手が伸びてくる。
その瞬間、闇を白刃が切り裂いた。
「おいおい、こんな色気のない場所、逢い引きにしちゃ趣味が悪いぜ……?」
「……またおまえたちか。田舎の犬は目端だけは利くと見える」
「……それはこちらの台詞だ」
一閃で風間を大きく退けて、槍と刀を抜き放った二人が千鶴の前に立つ。
その刃は千鶴を縛る重圧さえたってくれたようで、千鶴はにわかにくず折れそうになる。
そんな千鶴の肩を無骨な手が後ろへ引いた。
「……下がっていろ」
千鶴を押しのけるように土方が前に出ると、彼もまた刀に手をかけた。
「ふん……将軍の首でも取りに来たかと思えば、こんなガキ一人に一体何の用だ」
「将軍も貴様らも、今はどうでもいい。これは、我ら【鬼】の問題だ」
「【鬼】だと?」
土方の手が細められる。
相手の発言の真偽を計っているのか、眼光の色は、酷く、鋭く。
「へっ……こいつのツラ拝むのは、元治甲子の変以来だな……」
原田が槍の穂先を動かせば、不知火が腰の中に手を伸ばす。
「再会という意味では、こちらも同じくだ。……だが、なんの感慨も湧かんな」
斎藤が柄を握る手に力を込めれば、天霧がじゃりっと爪先に力を入れる。
すると音もなく山崎が千鶴の背後にたち土方からの命令を伝える。
「……副長の命だ。君は、このまま俺が屯所まで連れていく」
「……避難しろってこと、ですか?」
土方からの命がありながら、千鶴はこの場に残る選択をした。
それを告げた瞬間、山崎が僅かに眉をひそめたのが見えた。
あの男たちからは先程の発言の真意を聞いていない。
彼らの目的を、彼らの言葉の意味を知らなければいけない、そんな気がしているのだ。
強引にでも千鶴をこの場から引き離そうとする山崎の手が伸びてきた、刹那。
銃を構えた不知火から殺気が走る。
本当に発砲したと錯覚かえ覚えるほどに。
「ヘイヘイ、待てって。お姫さんが残るっつってんだろ?振られたのに邪魔してんじゃ……ねェよ!」
「ちっ!」
言葉の最後に合わせて不知火が地を蹴り、原田がその進路を阻むように立ち塞がる。
「……やれやれ。時に拙速は巧遅に勝りますが、不知火の手の速さも考えものですね。」
「そういうあんたも、止めなかったようだがな」
やや離れた場所の齋藤と天霧も既に互いの間合いを詰めていた。
「くそ、何やってんだ……!」
状況は一体一が三つ。
千鶴が脱出する機会が失われたことに舌打ちして、土方が正面の風間を睨みつけた。
千鶴は小太刀の柄に手をかけ、土方と対峙する風間を見すえた。
「馬鹿が……!おまえの手に負える相手か!……山崎、そいつをちゃんと抑えてろ!」
土方が風間と千鶴の視線を遮るように千鶴を背に庇う。
風間はそれが不快だったのか、瞳を細めて土方に視線を突き刺した。
「武士気取りの田舎者が。……よくよく我々を邪魔するのが好きと見える」
「こちらの台詞だ、と言ったはずだ。……そういえば、お前には元治甲子の変の時、隊士を斬り殺してくれた借りがあったな……」
空気が変わった。
「ふん……ならば俺を斬って、死者の墓前にでも報告してみるか?」
「馬鹿言ってんじゃねえ。そういう話は、本人とやってくれ。……今からやつのいるところに送ってやるからよ」
鍔鳴りの音と、互いの刀が闇に踊るのは同時だった。
ふたつの刀が噛み合って、絶叫を上げたように感じられた。
風間は涼しい顔で、前髪をそよがせている。
土方は一瞬千鶴に視線を向け、ぎりっと、刃を押し込みながら声を絞り出した。
「てめえらは、なんだってこんなガキや穐月に用がある……!」
「【鬼】の一族だ、と言っているではないか。我々だけでなくあの娘ももう一人も。あれらはお前たちにはすぎたもの。だから我らが連れ帰る……それだけだ」
「どういう……意味だ!?」
あと一寸で切り裂かれていたにもかかわらず、風間の顔に恐怖の色など欠けらも無い。
むしろ簡単したような声すら漏らして、風間は刀を下ろした。
「……何のつもりだ?」
彼らはそれぞれに構えをとくと、戦いを切り上げて間合いを離す。
「……これ以上の戦いは無意味ですな。長引いて興が乗っても困るでしょう」
天霧が念を押すような口調で言うと、不知火は居心地が悪そうに顔をかいた。
「……俺様のことを言ってんのか?オイオイ、引き際はこころえてるつもりだぜ?」
その二人に視線を向けてから、風間は静かに頷いた。
「確かに……確認はかなった以上、長居をする必要もあるまい。今日は挨拶をしに来ただけだからな」
「……むざむざ逃がすと思うか?」
「くだらん虚勢はやめておけ。貴様らはまだしも、騒ぎを聞き付けて集まった雑魚どもは、何人死ぬか知れたものでは無いぞ」
風間たちは闇に解け消えるその最中、目を細め、こんな言葉を残した。
「いずれまた、近いうちに迎えに行く。……待っているがいい」
To be continued