入隊希望者とその親族関係の明記を。
あなたを守ること 沖田
入隊希望者名簿
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あの池田屋事件以来───
新選組は池田屋から逃げた不逞浪士を捕まえるために京の巡察を厳しくしていた。
京には不逞浪士が新選組に仕返ししに来るという噂が広まっていたり、巡察中に他藩と問題が起きていたり、ピリピリした日々が続いていた。
それが何とか落ち着いてきた頃。
鶴姫と千鶴は外出を許可される日がだんだんと増え始めていた。
監視も緩くなってきて、特に鶴姫は池田屋での戦闘がきっかけで、他の隊士たちから一目をおかれるようになっている。
池田屋のとき、千鶴は留守番をしていたが山崎と共に四国屋にいる土方に、敵の所在が池田屋にあることを伝えるため四国屋に向かっていた。
途中、敵と鉢合わせたが山崎が残り千鶴だけはひた走った。
連絡を受けた斎藤と原田が池田屋に向かい、千鶴は土方に同行。
土方は、大通りに出て役人たちに池田屋への立ち入りを禁じた。
あわよくば自分達の手柄にでもと考えている役人どもに、千鶴は怒りをおさえていた。
もちろん土方は池田屋事件での鶴姫や千鶴の働きを認めてくれている。
鶴姫は池田屋の日から一日寝ていたが、今では元気になっている。
瞳に走った激痛がなんなのかは未だにわかっていないし、あの浪士が鶴姫の持つ脇差に反応していたのも気になる。
だが、なんの手がかりもない今は巡察で父親と兄の情報を集めている。
そんなある日、鶴姫がほうきを片手に掃除に勤んでいると、ゆったりした足音が近づいてきた。
「すみません、こちらが新選組の屯所ですか?」
『そうだが――』
背後から声をかけられ振り向くと、千鶴が町であったという男と似た容姿の男が立っていた。
『もしかして、雪村が以前世話になった男性か?』
「ええ、多分」
『そうか。あの時はありがとうございました』
「いいえ、大したことではありませんでしたから。それより、元気そうでなによりです、鶴姫ちゃん」
『……』
そう言えば、千鶴はこの男が二人のことを知っているようだったと聞いていたことを思い出す。
しかし、鶴姫の方にはとんと覚えがない。
鶴姫ちゃんと呼ばれはしたものの、ここが新選組の屯所である以上誰が来るのかも分からない。
鶴姫は鶴姫では無いというように応える。
『そういえば、雪村が名前を聞き忘れたと言っていた。教えてもらえるだろうか』
一瞬男は少し寂しそうな顔を見せて、すぐ笑顔に戻った。
「僕は伊庭八郎です」
『伊庭八郎?』
「覚えてませんか?」
『いや、済まない。さっき鶴姫ちゃんと呼んでいたが、俺は穐月龍之介だ。よろしく』
「……そうですか。よく似ていたので女性だと思ってたんですが」
『その、伊庭さんだったか。今日はどうしてここに?』
「ええ……実は…」
伊庭と名乗った男は屯所の方をチラチラと気にしているようだった。
恐らくは新選組になにか用事があってきたのだろう。
初めてあったあの日、伊庭は武田と争いを起こしていた。
あの時、武田は新選組の隊士だと名乗っていたらしいし、あの件で抗議にでも来たのかもしれない。
そう考えていると、ちょうど二人の話し声が聞こえたのか土方が姿を現した。
『土方さん、この方が……』
鶴姫が説明するよりも早く、伊庭が土方の元に駆け寄った。
知り合いなのだろうか。
「あ……やっぱり、トシさん!八郎です、お久しぶりです!」
「お、おめえは……八郎か?なんだってこんな所にいるんだ!」
土方は伊庭を一目見て大きく目を瞬いた。
「ふふっ……驚きました?幕命で京視察に来ているんです。それより新選組って本当にトシさんたちのことだったのですね!この目で見るまでは信じられなかったけど……おめでとうございます、本当に侍になれたんですね」
「おい、冷やかすなよ。まだ扱いは浪人と同じなんだからよ」
「でも、侍になりたいって夢が叶ったじゃないですか」
「……冷やかすなって言ってんだろ!」
「いいえ。江戸じゃ、泣く子も黙る新選組と言ったら、とても有名なんですよ。それに池田屋の話も聞いています。皆さん、とてもご活躍だったみたいですね」
「……ふん。ぼちぼちってところだ」
土方が珍しく、照れたように顔を逸らした。
話を聞く限り、どうらや彼は、土方を訪ねてここに来たらしい。
どうも昔からの知り合いのような口ぶりだが、それよりも伊庭が先日千鶴を助けてくれた人物だと土方に伝えなければ。
二人の会話が一段落したところで思いきって土方に話しかける。
『土方さん。先日お茶屋で雪村を武田さんから助けてくださったのはこの方です』
鶴姫の言葉に土方が眉を寄せる。
「ほう……そうだったのか。雪村が迷惑をかけたっていうか、余計なもんを見せちまったようだな」
「たまたま、通りがかっただけです。それに……仕事中でしたからどこにも報告はしていません。」
「そいつは……すまねえな。まあ、立ち話もなんだ。中に入ってくれ」
土方は複雑そうな顔でそういうと、伊庭を案内して中に入っていった。
広間にいる二人にお茶を出すと、鶴姫もその場にいるように言われ、二人の会話を聞くことにした。
「京に来たのは幕命って言ってたな。何の仕事できたんだ?」
「今は奥詰役を務めています」
どうやら伊庭は幕府直参の旗本で将軍の身辺をまもる奥詰という役についているとのこと。
土方と関係があるのは、伊庭が江戸では四本指に入る道場の一つである心形刀流伊庭道場の跡取り息子で交流があったからだそう。
嬉しそうに話す伊庭に土方はたしなめるようにいう。
「勝手に喜んでろ。……だが、覚えとけよ。京はそんなに楽しいところじゃねえからな」
「はい、肝に銘じておきます。でも……そんなに危険なのに女の子でも隊士が務まるんですか?」
伊庭が鶴姫と土方を交互に見ながら言う。
ちらっと土方のほうを見るとやはり気難しい顔になっていた。
そのやり取りを見て伊庭も何かを悟ったようだった。
「……もしかして、秘密だったんですか?」
鶴姫は何も答えず無言を貫いた。
「雪村さんが女の子なのは初めて見た時から気付いてました。彼女のせいではありません」
「わかってる……見るやつがみりゃ、わかることだ」
土方は伊庭をじっと見つめ、やがて、やれやれといった感じで話し始めた。
「……あいつと今ここにいるこいつの二人はちょいと訳ありで預かってて、表向きは男ってことになっている。新選組でも一部のやつしか知らないことだ。だから、ここでも下手なことを口にしないでくれ。」
「わかりました。やっぱり穐月さんは女の子だったんですね」
『申し訳ありません。素性のわからない者にお教えするわけにはいきませんでしたので』
改めてあいさつすると伊庭は覚えがあるような顔をする。
「……その預かっている訳、僕が聞いてもいいですか?」
「こいつらの父親と兄が行方不明でな。捜査に協力してもらっている」
「行方不明ってことは、もしかして……雪村綱道さんと穐月進さんがですか?」
その言葉に、思わず鶴姫は前のめりになる。
『どうしてあなたが雪村の父親と私の父の名を?』
鶴姫の疑問は土方も同じだったみたいで、土方も怪訝な瞳を伊庭に向けた。
「ちょっと待て。なんであいつの親父が綱道さんだってわかったんだ?」
「それは……すごい昔のことですが、雪村診療所に行ったことがあるんです。進さんとは父の縁で少しだけ交流があって。鶴姫ちゃん、本当に僕のこと覚えていませんか?」
恐る恐る、といった伊庭の言葉に、ようやく鶴姫の中で今までの言葉がつながる。
伊庭が道場に来ていたり父親からのつながりで関係を持っていたなら、千鶴の診察所にきていたら確かに二人の父の名前を知っていてもおかしくはない。
『やはり覚えていません。申し訳ありません』
鶴姫の言葉に伊庭は少し悲しそうな顔を見せた。
「……まあ、小さなころのことですから、覚えていなくて当然ですよ」
『でも、今回からはしっかりと覚えます』
「ありがとう。では、改めてよろしくお願いしますね」
伊庭の笑顔につられ、鶴姫も自然に笑みが漏れてしまう。
「彼女が忘れないうちにまたすぐきます」
「はあ?何言ってやがる!お前は来なくていい」
「そう言わないでくださいよ。同じ江戸出身のよしみじゃないですか」
嬉しそうに詰め寄る伊庭を土方は扱いかねているように見える。
普段はあんなに厳しい土方にしてはとても不思議な感じだ。
しかし、その土方はまんざらでもなさそう。
そんな時、声を聞きつけたのか幹部のみんなが姿を現す。
「おいおい、八郎じゃねえか!」
「聞いたことがある声だと思ったら、お前だっだのか」
「新八さん、原田さん……それに皆さんもお久しぶりです」
「そうか、お前も京に来たのか!武者修行か?それとも京見物か?」
「なわけねーし。お偉いさんの護衛とか視察なんだろ?」
「まあ……はい。そういうところです」
みな口々に伊庭に話しかける。
伊庭もみんなも楽しそうに会話を交わしている。
江戸からの知り合いというのは本当のよう。
みんなの顔なじみということで、これから訪ねてきたら中に通すこととなった。
そして夕刻になって、伊庭が屯所を後にすることになる。
そんな時、ちょうど昼の巡察から隊士たちが帰ってきた。
その中の一人が、鶴姫たちに気づいたらしく足早に近づいてきた。
「お前はあの時の……何しにここに来た!」
近づいてきたのは武田だった。
伊庭は初対面だという態度を貫いた。
「……私を愚弄するつもりか?貴様、名を名乗れ!」
「僕は幕府直参旗本、大番士奥詰役、伊庭八郎と申します」
「幕府直参、奥詰……伊庭……あの伊庭道場の……?」
「はい。京に所用があって参りましたので、旧知である試衛館に皆さんへ、あいさつに寄ったところです」
「……挨拶などと噓をつくな!先日のことを告げに来たのだろう!」
「……あくまで挨拶に来ただけです。それとも……【先日のこと】とやらを思い出したほうがいいでしょうか?」
「……くっ」
伊庭の言葉に武田は半信半疑のようだった。
「それは……あなたがそう言うなら、それでいいでしょう。私は失礼する!」
武田は感情を殺そうと無理やりな敬語を紡ぎだしてから、荒々しく踵を返して立ち去って行った。
「それじゃあ、鶴姫ちゃん。また、会いに来ますね」
『私にですか?』
そういうと詳しい意味は説明せず、伊庭は名残惜しそうに帰途についたのだった。
その背中が遠くなるまで鶴姫は見送った。
伊庭は不思議な人物であった。
とても偉い人にもかかわらず、偉ぶったところもなく新選組のみんなともすごく仲の良い感じだった。
「ねぇ、ちょっと」
伊庭を見送る鶴姫に、沖田が話しかけてくる。
『はい?』
「……」
『言っていただかないと分かりません』
「うううん。なんでもない」
そう言うと、沖田は屯所の中へと入っていった。
その背中をただ見つめて、鶴姫も遅れて屯所へ入っていった。
to be continued
新選組は池田屋から逃げた不逞浪士を捕まえるために京の巡察を厳しくしていた。
京には不逞浪士が新選組に仕返ししに来るという噂が広まっていたり、巡察中に他藩と問題が起きていたり、ピリピリした日々が続いていた。
それが何とか落ち着いてきた頃。
鶴姫と千鶴は外出を許可される日がだんだんと増え始めていた。
監視も緩くなってきて、特に鶴姫は池田屋での戦闘がきっかけで、他の隊士たちから一目をおかれるようになっている。
池田屋のとき、千鶴は留守番をしていたが山崎と共に四国屋にいる土方に、敵の所在が池田屋にあることを伝えるため四国屋に向かっていた。
途中、敵と鉢合わせたが山崎が残り千鶴だけはひた走った。
連絡を受けた斎藤と原田が池田屋に向かい、千鶴は土方に同行。
土方は、大通りに出て役人たちに池田屋への立ち入りを禁じた。
あわよくば自分達の手柄にでもと考えている役人どもに、千鶴は怒りをおさえていた。
もちろん土方は池田屋事件での鶴姫や千鶴の働きを認めてくれている。
鶴姫は池田屋の日から一日寝ていたが、今では元気になっている。
瞳に走った激痛がなんなのかは未だにわかっていないし、あの浪士が鶴姫の持つ脇差に反応していたのも気になる。
だが、なんの手がかりもない今は巡察で父親と兄の情報を集めている。
そんなある日、鶴姫がほうきを片手に掃除に勤んでいると、ゆったりした足音が近づいてきた。
「すみません、こちらが新選組の屯所ですか?」
『そうだが――』
背後から声をかけられ振り向くと、千鶴が町であったという男と似た容姿の男が立っていた。
『もしかして、雪村が以前世話になった男性か?』
「ええ、多分」
『そうか。あの時はありがとうございました』
「いいえ、大したことではありませんでしたから。それより、元気そうでなによりです、鶴姫ちゃん」
『……』
そう言えば、千鶴はこの男が二人のことを知っているようだったと聞いていたことを思い出す。
しかし、鶴姫の方にはとんと覚えがない。
鶴姫ちゃんと呼ばれはしたものの、ここが新選組の屯所である以上誰が来るのかも分からない。
鶴姫は鶴姫では無いというように応える。
『そういえば、雪村が名前を聞き忘れたと言っていた。教えてもらえるだろうか』
一瞬男は少し寂しそうな顔を見せて、すぐ笑顔に戻った。
「僕は伊庭八郎です」
『伊庭八郎?』
「覚えてませんか?」
『いや、済まない。さっき鶴姫ちゃんと呼んでいたが、俺は穐月龍之介だ。よろしく』
「……そうですか。よく似ていたので女性だと思ってたんですが」
『その、伊庭さんだったか。今日はどうしてここに?』
「ええ……実は…」
伊庭と名乗った男は屯所の方をチラチラと気にしているようだった。
恐らくは新選組になにか用事があってきたのだろう。
初めてあったあの日、伊庭は武田と争いを起こしていた。
あの時、武田は新選組の隊士だと名乗っていたらしいし、あの件で抗議にでも来たのかもしれない。
そう考えていると、ちょうど二人の話し声が聞こえたのか土方が姿を現した。
『土方さん、この方が……』
鶴姫が説明するよりも早く、伊庭が土方の元に駆け寄った。
知り合いなのだろうか。
「あ……やっぱり、トシさん!八郎です、お久しぶりです!」
「お、おめえは……八郎か?なんだってこんな所にいるんだ!」
土方は伊庭を一目見て大きく目を瞬いた。
「ふふっ……驚きました?幕命で京視察に来ているんです。それより新選組って本当にトシさんたちのことだったのですね!この目で見るまでは信じられなかったけど……おめでとうございます、本当に侍になれたんですね」
「おい、冷やかすなよ。まだ扱いは浪人と同じなんだからよ」
「でも、侍になりたいって夢が叶ったじゃないですか」
「……冷やかすなって言ってんだろ!」
「いいえ。江戸じゃ、泣く子も黙る新選組と言ったら、とても有名なんですよ。それに池田屋の話も聞いています。皆さん、とてもご活躍だったみたいですね」
「……ふん。ぼちぼちってところだ」
土方が珍しく、照れたように顔を逸らした。
話を聞く限り、どうらや彼は、土方を訪ねてここに来たらしい。
どうも昔からの知り合いのような口ぶりだが、それよりも伊庭が先日千鶴を助けてくれた人物だと土方に伝えなければ。
二人の会話が一段落したところで思いきって土方に話しかける。
『土方さん。先日お茶屋で雪村を武田さんから助けてくださったのはこの方です』
鶴姫の言葉に土方が眉を寄せる。
「ほう……そうだったのか。雪村が迷惑をかけたっていうか、余計なもんを見せちまったようだな」
「たまたま、通りがかっただけです。それに……仕事中でしたからどこにも報告はしていません。」
「そいつは……すまねえな。まあ、立ち話もなんだ。中に入ってくれ」
土方は複雑そうな顔でそういうと、伊庭を案内して中に入っていった。
広間にいる二人にお茶を出すと、鶴姫もその場にいるように言われ、二人の会話を聞くことにした。
「京に来たのは幕命って言ってたな。何の仕事できたんだ?」
「今は奥詰役を務めています」
どうやら伊庭は幕府直参の旗本で将軍の身辺をまもる奥詰という役についているとのこと。
土方と関係があるのは、伊庭が江戸では四本指に入る道場の一つである心形刀流伊庭道場の跡取り息子で交流があったからだそう。
嬉しそうに話す伊庭に土方はたしなめるようにいう。
「勝手に喜んでろ。……だが、覚えとけよ。京はそんなに楽しいところじゃねえからな」
「はい、肝に銘じておきます。でも……そんなに危険なのに女の子でも隊士が務まるんですか?」
伊庭が鶴姫と土方を交互に見ながら言う。
ちらっと土方のほうを見るとやはり気難しい顔になっていた。
そのやり取りを見て伊庭も何かを悟ったようだった。
「……もしかして、秘密だったんですか?」
鶴姫は何も答えず無言を貫いた。
「雪村さんが女の子なのは初めて見た時から気付いてました。彼女のせいではありません」
「わかってる……見るやつがみりゃ、わかることだ」
土方は伊庭をじっと見つめ、やがて、やれやれといった感じで話し始めた。
「……あいつと今ここにいるこいつの二人はちょいと訳ありで預かってて、表向きは男ってことになっている。新選組でも一部のやつしか知らないことだ。だから、ここでも下手なことを口にしないでくれ。」
「わかりました。やっぱり穐月さんは女の子だったんですね」
『申し訳ありません。素性のわからない者にお教えするわけにはいきませんでしたので』
改めてあいさつすると伊庭は覚えがあるような顔をする。
「……その預かっている訳、僕が聞いてもいいですか?」
「こいつらの父親と兄が行方不明でな。捜査に協力してもらっている」
「行方不明ってことは、もしかして……雪村綱道さんと穐月進さんがですか?」
その言葉に、思わず鶴姫は前のめりになる。
『どうしてあなたが雪村の父親と私の父の名を?』
鶴姫の疑問は土方も同じだったみたいで、土方も怪訝な瞳を伊庭に向けた。
「ちょっと待て。なんであいつの親父が綱道さんだってわかったんだ?」
「それは……すごい昔のことですが、雪村診療所に行ったことがあるんです。進さんとは父の縁で少しだけ交流があって。鶴姫ちゃん、本当に僕のこと覚えていませんか?」
恐る恐る、といった伊庭の言葉に、ようやく鶴姫の中で今までの言葉がつながる。
伊庭が道場に来ていたり父親からのつながりで関係を持っていたなら、千鶴の診察所にきていたら確かに二人の父の名前を知っていてもおかしくはない。
『やはり覚えていません。申し訳ありません』
鶴姫の言葉に伊庭は少し悲しそうな顔を見せた。
「……まあ、小さなころのことですから、覚えていなくて当然ですよ」
『でも、今回からはしっかりと覚えます』
「ありがとう。では、改めてよろしくお願いしますね」
伊庭の笑顔につられ、鶴姫も自然に笑みが漏れてしまう。
「彼女が忘れないうちにまたすぐきます」
「はあ?何言ってやがる!お前は来なくていい」
「そう言わないでくださいよ。同じ江戸出身のよしみじゃないですか」
嬉しそうに詰め寄る伊庭を土方は扱いかねているように見える。
普段はあんなに厳しい土方にしてはとても不思議な感じだ。
しかし、その土方はまんざらでもなさそう。
そんな時、声を聞きつけたのか幹部のみんなが姿を現す。
「おいおい、八郎じゃねえか!」
「聞いたことがある声だと思ったら、お前だっだのか」
「新八さん、原田さん……それに皆さんもお久しぶりです」
「そうか、お前も京に来たのか!武者修行か?それとも京見物か?」
「なわけねーし。お偉いさんの護衛とか視察なんだろ?」
「まあ……はい。そういうところです」
みな口々に伊庭に話しかける。
伊庭もみんなも楽しそうに会話を交わしている。
江戸からの知り合いというのは本当のよう。
みんなの顔なじみということで、これから訪ねてきたら中に通すこととなった。
そして夕刻になって、伊庭が屯所を後にすることになる。
そんな時、ちょうど昼の巡察から隊士たちが帰ってきた。
その中の一人が、鶴姫たちに気づいたらしく足早に近づいてきた。
「お前はあの時の……何しにここに来た!」
近づいてきたのは武田だった。
伊庭は初対面だという態度を貫いた。
「……私を愚弄するつもりか?貴様、名を名乗れ!」
「僕は幕府直参旗本、大番士奥詰役、伊庭八郎と申します」
「幕府直参、奥詰……伊庭……あの伊庭道場の……?」
「はい。京に所用があって参りましたので、旧知である試衛館に皆さんへ、あいさつに寄ったところです」
「……挨拶などと噓をつくな!先日のことを告げに来たのだろう!」
「……あくまで挨拶に来ただけです。それとも……【先日のこと】とやらを思い出したほうがいいでしょうか?」
「……くっ」
伊庭の言葉に武田は半信半疑のようだった。
「それは……あなたがそう言うなら、それでいいでしょう。私は失礼する!」
武田は感情を殺そうと無理やりな敬語を紡ぎだしてから、荒々しく踵を返して立ち去って行った。
「それじゃあ、鶴姫ちゃん。また、会いに来ますね」
『私にですか?』
そういうと詳しい意味は説明せず、伊庭は名残惜しそうに帰途についたのだった。
その背中が遠くなるまで鶴姫は見送った。
伊庭は不思議な人物であった。
とても偉い人にもかかわらず、偉ぶったところもなく新選組のみんなともすごく仲の良い感じだった。
「ねぇ、ちょっと」
伊庭を見送る鶴姫に、沖田が話しかけてくる。
『はい?』
「……」
『言っていただかないと分かりません』
「うううん。なんでもない」
そう言うと、沖田は屯所の中へと入っていった。
その背中をただ見つめて、鶴姫も遅れて屯所へ入っていった。
to be continued