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あれから数ヶ月、何となく私から流川くんへ積極的に話す事は少なくなった。
好きな気持ちに変わりはなく、話しかけたい衝動もあるけど、あれだけ拒絶をされると怖くなり、中々勇気が出せなかった。
ただ、流川くんは今までと何も態度が変わらなかったし、ちょっとした会話は普通にしてくれる。
なら何故、あの時はあんなに拒絶されたのだろうかと、疑問が消えないのだ。
だから、今も目の前で眠る彼に躊躇している。
起こすべきか、起こさないべきか…。
次の授業は音楽室に移動で、そろそろ行かなければならない。
教室にはもう、私と流川くんしか残っていないのだ。
私が起こさなければならない義務はないし、正直、流川くんも毎回起こされたくはないと思う。
流川くんには、大きなお世話かもしれない。
それは、流川くんとやりとりがしたいという私のエゴで、だからこそ躊躇する。
でも、やっぱり授業に遅れるし…と、自分を無理矢理納得させ、私は流川くんに声をかけた。
「流川くん、次移動だよ」
声をかけても、流川くんは一瞬動いただけで起きない。
時間は迫っている。
…そうだ、揺すった事に流川くんが気づかなければ良いんだ。
揺すってすぐ離せば、バレないはずだよね。
そう思って私は、流川くんに恐る恐る手を伸ばす。
「流か…っ!?」
私が揺すり起こそうと、流川くんに触れそうになった時、唐突にその手を掴まれた。
きつく掴まれたわけではない。
けど、それを互いに離そうと出来ず、無言のまま手は握られていた。
「あ…えっと!こ、この手に意味…は…」
私がしどろもどろになりながら言うと、流川くんは私の手を一瞬強く握った。
その強さに驚き流川くんに目を向けると、私はまた違う意味で驚いた。
流川くんは、頭だけ私の方へ向きを変えて、視線は握られた手に注いでいる。
見間違いでなければ、その口元が一瞬緩んだ気がしたのだ。
けど、その一瞬は錯覚だろうと思えるほどに、流川くんはすぐ元の無表情に戻って手を離した。
「…何か用か?」
「あ、次音楽室…」
「あぁ…」
流川くんは、教科書を取り出し席を立つ。
私が動けずその場にいると、流川くんは少し不思議そうにした。
「行かないのか?」
「え、行くけど…」
「なら、早くしろ」
流川くんは先に歩き出し、ドアの外で立ち止まってから振り返る。
…私を、待っている。
何故だかは分からないが、一緒に移動教室まで行くという事だろう。
その行動に理解が及ばず躊躇っていても、まだ流川くんはそこで待っていた。
私は、慌てて教室を出た。
「ごめん、行こうか?」
「…ん」
素っ気ない返事だが、拒まれてはいない。
ホッとしたのもつかの間、私達が廊下を歩いて階段に差し掛かると、チャイムが鳴った。
「えっ!?急ごう!」
私がそう言うも、流川くんは悠長に歩いている。
この人は本当にマイペースだと思わずにはいられないが、待ってくれた手前、1人だけ先に行くわけにも行かない気がする。
私はもどかしい気持ちで、一緒に音楽室へ向かった。
それから案の定、ドアを開けた私達は先生に注意を受ける事となった。
放課後、音楽準備室には私と流川くんがいた。
授業に遅れた罰と言う名の雑用をさせられている。
掃除の時間だとは言え、流川くんはさっさと終わらせて部活に行きたいだろうと思う。
「流川くん、後はやるよ?大体終わったし」
けど、流川くんは黙々と片付けをしていた。
「流川くん…?」
「2人でやった方が早い」
「え、や、そうだけど…。部活あるでしょ?」
流川くんは無言のまま手を動かし続けた。
「…ありがとう」
私はそれしか言えなくなって、片付けを再開する。
正直、お互いほぼ無言で片付けているから居心地は良くない。
流川くんには気にした素ぶりがないけど、私は妙に気を遣ってしまい、一層早く手を動かす事に集中した。
その甲斐あってか、片付けは程なくして終わった。
「やっと終わったね!」
「あぁ。じゃあ、行く」
「うん。部活頑張っ…」
その時、私は足元の何かにつまづいた。
つんのめって前にいる流川くんにぶつかりそうになって、思わず私は体を捻る。
いや、何となく、ぶつかったら申し訳なかったからなんだけど、捻った先には棚があったはずだと頭に過った。
だから、咄嗟にぶつかると思った時、流川くんの姿が目に入ったんだけど、私の体には痛みの衝撃はなくて、何かしっかりした物に支えられていた。
それが、流川くんだとすぐに気づいたから、私は慌てて離れる。
「ごめん!」
「別に」
微かに流川くんの体温を感じたけど、それよりも私は冷や汗が止まらなくなる。
また、冷たい目をされていたらどうしよう…。
そう思っていたら、微かに笑い声が漏れた気がして顔を上げた。
「普通捻るか、あそこで」
視線の先には、流川くんが笑っていた。
普通に笑うんだなと、妙に安心したんだけど、すぐに気持ちがざわつき出す。
この顔はズルいし勘違いしそうになって、私は頭の中で意識しないよう他の事を考える。
けど、流川くんは淡々と続けてきた。
「普通に倒れて来い」
「え?」
「別に、お前くらい支えられる」
これは、どういう意味で言っているんだろうか。
誰が倒れたのであっても、支えるくらいはするという事だよね、多分。
微かに期待しそうになった私の頭を、今猛烈に殴りたい。
この言葉に、多分意味はないから。
「じゃあ、行く」
「え、あ、うん。ごめん、ありがとう!」
流川くんは微笑んで去って行った。
何だか、今日の流川くんはよく笑う気がする。
天変地異の前触れとか、そんなだろうか。
こんなに珍しい日は、今までにない。
多分、一生分の流川くんの笑顔を見た気がするから、今日は、特別機嫌が良かったのかなと考える。
けど、本当の意味なんてやっぱり分からなくて、私は1人頭を抱えるしかなかった。
数日後、私は昼休みの屋上に来ていた。
ご飯を食べ終えると、友達はトイレに行きたいからと教室へ先に帰ろうとしたが、私は何となく、まだ屋上でゆっくりしたくて友達とはその場で別れた。
手すりにもたれ、思い馳せるは流川くんの事。
ここ数日の間、流川くんの言動の意味は何なのだろう。
数日前の放課後をきっかけに、流川くんと私はよく目が合うようになった気がする。
いや、私の気のせいなんだろうけど。
でも、今までのやりとりを思い出すと、つい期待しそうになる。
けど、それはきっと勘違いだ。
そんな事分かりきっているのに、期待する自分が嫌だ。
ふと、空を見れば心のモヤモヤとは相反し、青空が広がっていて風が心地よい。
何となく昇降口上の屋根へ登りたくなり、私は梯子から上へ登る。
と、私は固まった。
梯子の先、屋根の上には流川くんが寝転がっていたからだ。
流川くんがピクリとも動かないところを見ると、きっと寝ているのだろう。
どうしようかと迷ったけど、私はそのまま梯子を登りきる。
静かに流川くんへ近寄り顔を覗き込んだ。
スヤスヤと気持ちよさそうに寝ている流川くんの顔を、ついまじまじと見てしまう。
普段は机に突っ伏している事が多いから、仰向けで寝顔が見れるのは貴重だ。
綺麗な顔立ちだなぁと思わずにはいられず、ずっと見ていたい気になる。
それが間違いだったのだ。
私は見ていたい気持ちに逆らえず、徐々に顔が近づいていたようで、唐突に流川くんと視線が交わった。
流川くんが起きたのだ。
そう理解したと同時に、ぼんやりとした瞳のまま流川くんは起きようとしたから、私の顔にぶつかる。
痛みの中、私の唇が流川くんの頬に当たった気がして、私は思わず後ずさった。
流川くんはまだぼんやりとしていて、状況は分かっていないだろう。
「ご、ごめんなさいぃぃい」
私は思わずそう叫んで、梯子を慌ただしく降りて昇降口へ走る。
走りながら、今の出来事が頭を過る。
確かに触れた感触があって、私は頬に熱が集まるのを感じた。
昇降口へ続く角を曲がった時、頭上から影が落ちて来た気配に顔を上げると同時に、目の前に流川くんが現れた。
屋根の上から飛び降りたようで、私は声にならない声を上げる。
この人、型破り過ぎない!?
私が怯んでいると、流川くんが静かに近づいて来た。
「何で逃げる?」
「え、いや、だって…」
流川くんは無言で私の顔を見つめる。
私は、ますます顔の熱が上がった気がして視線を逸らさずにはいられない。
「ご、ごめんね!あの、わざとじゃないの!本当にごめんっ」
「何の事だ?」
流川くんはきょとんとしていた。
…私、もしかして墓穴掘った…?
いや、確かにさっき流川くんは気づいてなかったっぽい…。
何で、私は余計な事言っちゃったんだろう…と変な汗が流れてきた。
「ごめん、何でもない!気にしないで!それから、そこ通して!!失礼しますっ」
自分でも何を口走っているのかよく分からないほどに、頭の中はパニックになっている。
私が歩き出し流川くんを横切ろうとした時、不意に出された流川くんの腕が私の腰に絡みついた。
ギョッとする間に、私は何故か流川くんの腕の中にすっぽりと収まってしまう。
流川くんは無言のままギュッと腕に力を込め、私の鼓動はどんどん大きな音を立て始めていた。
その時、予鈴が響き渡り、授業の事が咄嗟に頭を過って、私は流川くんに声をかける。
「る、流川くん…?」
「最近のお前、変だ」
「えっ!?いや、別に…」
「話してる時、楽しそうじゃない」
「そ、そうかな?」
「俺は、お前と話したい」
「え?」
「俺と話すのは嫌か?」
「い、嫌なわけないよ!?」
「そうか」
流川くんは、そっと私を解放すると微笑んでいた。
その表情にますます心臓がうるさくなって、私は思わず俯いた。
「おい」
俯く私の視界に、突然流川くんが割り込んできた。
あまりの至近距離に、私は叫びそうになりながら一歩下がって、また視線を逸らす。
「何で逸らす?」
「え、いやー、その…」
「それ、嫌だ」
「え?」
「逸らすな」
そう言って、流川くんは私の両頬を手で挟んで無理矢理視線を合わせた。
触れている頬にはますますが熱が集まって、見るからに私の顔は赤いだろう。
けど、流川くんはそんな私を気にせず満足そうにしている。
「…何で、そんな顔するの?」
「何がだ?」
「何だか、嬉しそう」
「…あぁ。…分からないって顔してるな」
流川くんは呆れた様子で私を見るけど、私にはそれが意味するところが分からない。
いや、本音では期待している事がある。
けど、それが真実だとは思えないし、流川くんがそんな事を思うはずもないのだ。
私が押し黙って応えずにいると、流川くんは小さく溜め息を吐き出した。
「どあほう」
「へっ?何、急に?」
「好きだ」
「…えっ?」
「お前が好きだ」
目の前には、真っ直ぐに見つめてくる流川くんの瞳がある。
私の思考回路は停止してるのか、情報が処理しきれず、言葉を発することも出来なかった。
「理解したか?俺は、お前が好きだと言ってる」
流川くんが淡々と続けて、やっと思考回路の処理が始まる。
そして、回り始めた頭と同時に、一気に理解した私は驚きと恥ずかしさ、更には疑問しか浮かんでこなかった。
「な…んで?」
「何がだ?」
「いや、流川くん私の事好きじゃないでしょ?」
「何でそう思う?」
「だってあの時、手振り払ったし」
「…いつ?」
「だから、6月くらいの放課後、私が頭触ろうとしたら振り払ったし、迷惑そうだったでしょ?」
「あぁ、あれか。あれは…」
「…あれは?」
私は流川くんの言葉を繰り返すけど、それ以上流川くんからは言葉が続かない。
私が眉を寄せて流川くんを見つめていると、流川くんはふいっと視線を逸らしポツリと言った。
「どあほう」
「えっ、答えになってないよ!?」
「あの時は、触られるのが嫌だったんだ」
「ほら、嫌って事は私の事なんて…」
「触られると、触りたくなる」
「…へっ?」
「俺は、ずっと前からお前に触りたいと思ってた」
「な、なな、何それ!?」
「別に、変な意味じゃない」
「変な意味って何!?」
「うるさい」
「あ、はい」
流川くんの言葉に、私は素直に返事をしてから黙った。
流川くんは少しだけ居心地悪そうにしていたけど、決してこの場から離れようとはしない。
私は、必死に今の状況を理解しようと頭をフル回転させる。
そこで、ふと疑問が出てきた。
「ねぇ、さっきから『お前』って私の事呼ぶけどさ、そもそも私の名前知ってる?」
「知ってるに決まってるだろ」
「本当に?だって、いつも『おい』とか『お前』って呼ぶよね?それなのに好きとか…」
「恋」
「っ!?」
「恋だろ、名前」
流川くんが私の名前を呼んだ事に、私はヒュッと息が止まった気がした。
それくらい一大事で、予想だにしなかった事が今起きた。
名前を知っていた事にも呼んだ事にも驚きしかないし、頭で勝手に反芻される声に思わず両手で顔を覆う。
「恋」
瞬間、流川くんの気配が近くなった気がする。
それでも私は顔が上げられない。
胸が痛いくらいに心臓は高鳴っていて、流川くんの耳に聞こえるんじゃないかと思ってしまう。
最早、息をするのも苦しくなってきた気がした時、両手首をグッと掴まれ顔を覆う手が退けられると、唐突に視界が明るくなる。
視線の先には流川くんの手があって、私はそれを凝視していたけど、ヌッと流川くんの顔が目の前に現れた。
「聞いてるのか?」
「っ!?…き、聞いてる!」
「名前。合ってるだろう?」
「う、うん」
「なら、そう言え」
「ご、ごめん」
「で、返事は?」
「え?」
「返事、聞いてない」
「あ、あぁ、返事!返事ね!返事…」
返事なんてものは、とうの昔に決まっている。
でも、どうしてもこれが現実だと思えなくて、私はすぐに言葉が続かない。
「恋?」
「は、はい!」
「お前は、俺の事をどう思ってる?」
「え、あっ…」
私が口ごもっている間も、流川くんの視線は私をただ真っ直ぐに見つめてきていた。
それは目の錯覚か綺麗なガラス玉みたいで、まるで私しか映さないみたいだった。
その視線に耐えきれず、私は小さく返事をした。
「私も…好きです」
その言葉を絞り出すだけで声は微かに震えて、顔からは火が出そうだった。
今出来る精一杯の返事をしてから流川くんを盗み見ると、そこには見た事もない笑みを浮かべる流川くんがいた。
…この笑顔を、見た事がある人はいるんだろうか。
そんな事が頭を過って、私はボーッと流川くんを見つめた。
「何だ?」
「えっ!?あ、いや、何か夢なんじゃないかなって思っ…たっ!?」
言い終えるより先に、流川くんは私の頬をギュッと摘まんだ。
そこからは痛みが伝わってきて、私は流川くんの手を離そうと腕に触れる。
「い、痛いっ!」
「夢じゃないって分かったか?どあほう」
「わ、分かったけど…まだ信じられなく…っ!?」
瞬間、私はこれでもかってくらい目を見開いたと思う。
目の前には流川くんの顔があって、唇には柔らかな感触があったからだ。
それがキスだと気付いたのは、流川くんの顔が離れた時だった。
「これでも信じないのか?」
「っ、やっ、あのっ」
「信じないなら、何回でもしてやる」
流川くんの気配が再び近づいたと思う間もなく、私の唇は塞がれていた。
それは、どこか不器用な触れ方だけど、そんな事はどうでも良いくらいに私の中を一瞬で支配する。
流川くんは唇を離す気配がなくて、私はどうしたらいいのかが分からなくなった。
徐々に角度が変えられ始めて、私は自然と瞼を落とす。
視界が覆われた中での感触はより鮮明な物に変わり、次第に強く求め始めてしまう。
それは、流川くんも同じなのか、キスは段々と深い物に変わっていく。
流川くんのキスは、どこか不器用だ。
でも、とても優しい。
それは、普段の流川くんからは想像もつかない事で、ますます胸がいっぱいになる。
私は、この人といると、心臓がいくつあっても足りない気がする。
『私は、この人の特別になれる』
そう思った事が現実となった今、私はただただ満たされていた。
空も清々しいくらいに晴れ渡っていて、祝福してくれているみたいに優しく感じた。
悩んでいた日々は無駄だったのかも知れない。
いや、やっぱり無駄じゃなかったかも知れない。
その過程があったからこそ、今、この瞬間が絶大な物に感じられている気がするからだ。
ようやく離れた唇は、どこか艶めいていて、流川くんに妙な色気が漂って見える。
流川くんは微かに笑った。
それは、やっぱり今まで見た事のない笑顔で、それが私にだけ向けられているのだと噛み締めると、私も自然と笑みが浮かんだ。
私達は満たされた感情に、ただ笑い合っているのだった。
好きな気持ちに変わりはなく、話しかけたい衝動もあるけど、あれだけ拒絶をされると怖くなり、中々勇気が出せなかった。
ただ、流川くんは今までと何も態度が変わらなかったし、ちょっとした会話は普通にしてくれる。
なら何故、あの時はあんなに拒絶されたのだろうかと、疑問が消えないのだ。
だから、今も目の前で眠る彼に躊躇している。
起こすべきか、起こさないべきか…。
次の授業は音楽室に移動で、そろそろ行かなければならない。
教室にはもう、私と流川くんしか残っていないのだ。
私が起こさなければならない義務はないし、正直、流川くんも毎回起こされたくはないと思う。
流川くんには、大きなお世話かもしれない。
それは、流川くんとやりとりがしたいという私のエゴで、だからこそ躊躇する。
でも、やっぱり授業に遅れるし…と、自分を無理矢理納得させ、私は流川くんに声をかけた。
「流川くん、次移動だよ」
声をかけても、流川くんは一瞬動いただけで起きない。
時間は迫っている。
…そうだ、揺すった事に流川くんが気づかなければ良いんだ。
揺すってすぐ離せば、バレないはずだよね。
そう思って私は、流川くんに恐る恐る手を伸ばす。
「流か…っ!?」
私が揺すり起こそうと、流川くんに触れそうになった時、唐突にその手を掴まれた。
きつく掴まれたわけではない。
けど、それを互いに離そうと出来ず、無言のまま手は握られていた。
「あ…えっと!こ、この手に意味…は…」
私がしどろもどろになりながら言うと、流川くんは私の手を一瞬強く握った。
その強さに驚き流川くんに目を向けると、私はまた違う意味で驚いた。
流川くんは、頭だけ私の方へ向きを変えて、視線は握られた手に注いでいる。
見間違いでなければ、その口元が一瞬緩んだ気がしたのだ。
けど、その一瞬は錯覚だろうと思えるほどに、流川くんはすぐ元の無表情に戻って手を離した。
「…何か用か?」
「あ、次音楽室…」
「あぁ…」
流川くんは、教科書を取り出し席を立つ。
私が動けずその場にいると、流川くんは少し不思議そうにした。
「行かないのか?」
「え、行くけど…」
「なら、早くしろ」
流川くんは先に歩き出し、ドアの外で立ち止まってから振り返る。
…私を、待っている。
何故だかは分からないが、一緒に移動教室まで行くという事だろう。
その行動に理解が及ばず躊躇っていても、まだ流川くんはそこで待っていた。
私は、慌てて教室を出た。
「ごめん、行こうか?」
「…ん」
素っ気ない返事だが、拒まれてはいない。
ホッとしたのもつかの間、私達が廊下を歩いて階段に差し掛かると、チャイムが鳴った。
「えっ!?急ごう!」
私がそう言うも、流川くんは悠長に歩いている。
この人は本当にマイペースだと思わずにはいられないが、待ってくれた手前、1人だけ先に行くわけにも行かない気がする。
私はもどかしい気持ちで、一緒に音楽室へ向かった。
それから案の定、ドアを開けた私達は先生に注意を受ける事となった。
放課後、音楽準備室には私と流川くんがいた。
授業に遅れた罰と言う名の雑用をさせられている。
掃除の時間だとは言え、流川くんはさっさと終わらせて部活に行きたいだろうと思う。
「流川くん、後はやるよ?大体終わったし」
けど、流川くんは黙々と片付けをしていた。
「流川くん…?」
「2人でやった方が早い」
「え、や、そうだけど…。部活あるでしょ?」
流川くんは無言のまま手を動かし続けた。
「…ありがとう」
私はそれしか言えなくなって、片付けを再開する。
正直、お互いほぼ無言で片付けているから居心地は良くない。
流川くんには気にした素ぶりがないけど、私は妙に気を遣ってしまい、一層早く手を動かす事に集中した。
その甲斐あってか、片付けは程なくして終わった。
「やっと終わったね!」
「あぁ。じゃあ、行く」
「うん。部活頑張っ…」
その時、私は足元の何かにつまづいた。
つんのめって前にいる流川くんにぶつかりそうになって、思わず私は体を捻る。
いや、何となく、ぶつかったら申し訳なかったからなんだけど、捻った先には棚があったはずだと頭に過った。
だから、咄嗟にぶつかると思った時、流川くんの姿が目に入ったんだけど、私の体には痛みの衝撃はなくて、何かしっかりした物に支えられていた。
それが、流川くんだとすぐに気づいたから、私は慌てて離れる。
「ごめん!」
「別に」
微かに流川くんの体温を感じたけど、それよりも私は冷や汗が止まらなくなる。
また、冷たい目をされていたらどうしよう…。
そう思っていたら、微かに笑い声が漏れた気がして顔を上げた。
「普通捻るか、あそこで」
視線の先には、流川くんが笑っていた。
普通に笑うんだなと、妙に安心したんだけど、すぐに気持ちがざわつき出す。
この顔はズルいし勘違いしそうになって、私は頭の中で意識しないよう他の事を考える。
けど、流川くんは淡々と続けてきた。
「普通に倒れて来い」
「え?」
「別に、お前くらい支えられる」
これは、どういう意味で言っているんだろうか。
誰が倒れたのであっても、支えるくらいはするという事だよね、多分。
微かに期待しそうになった私の頭を、今猛烈に殴りたい。
この言葉に、多分意味はないから。
「じゃあ、行く」
「え、あ、うん。ごめん、ありがとう!」
流川くんは微笑んで去って行った。
何だか、今日の流川くんはよく笑う気がする。
天変地異の前触れとか、そんなだろうか。
こんなに珍しい日は、今までにない。
多分、一生分の流川くんの笑顔を見た気がするから、今日は、特別機嫌が良かったのかなと考える。
けど、本当の意味なんてやっぱり分からなくて、私は1人頭を抱えるしかなかった。
***
数日後、私は昼休みの屋上に来ていた。
ご飯を食べ終えると、友達はトイレに行きたいからと教室へ先に帰ろうとしたが、私は何となく、まだ屋上でゆっくりしたくて友達とはその場で別れた。
手すりにもたれ、思い馳せるは流川くんの事。
ここ数日の間、流川くんの言動の意味は何なのだろう。
数日前の放課後をきっかけに、流川くんと私はよく目が合うようになった気がする。
いや、私の気のせいなんだろうけど。
でも、今までのやりとりを思い出すと、つい期待しそうになる。
けど、それはきっと勘違いだ。
そんな事分かりきっているのに、期待する自分が嫌だ。
ふと、空を見れば心のモヤモヤとは相反し、青空が広がっていて風が心地よい。
何となく昇降口上の屋根へ登りたくなり、私は梯子から上へ登る。
と、私は固まった。
梯子の先、屋根の上には流川くんが寝転がっていたからだ。
流川くんがピクリとも動かないところを見ると、きっと寝ているのだろう。
どうしようかと迷ったけど、私はそのまま梯子を登りきる。
静かに流川くんへ近寄り顔を覗き込んだ。
スヤスヤと気持ちよさそうに寝ている流川くんの顔を、ついまじまじと見てしまう。
普段は机に突っ伏している事が多いから、仰向けで寝顔が見れるのは貴重だ。
綺麗な顔立ちだなぁと思わずにはいられず、ずっと見ていたい気になる。
それが間違いだったのだ。
私は見ていたい気持ちに逆らえず、徐々に顔が近づいていたようで、唐突に流川くんと視線が交わった。
流川くんが起きたのだ。
そう理解したと同時に、ぼんやりとした瞳のまま流川くんは起きようとしたから、私の顔にぶつかる。
痛みの中、私の唇が流川くんの頬に当たった気がして、私は思わず後ずさった。
流川くんはまだぼんやりとしていて、状況は分かっていないだろう。
「ご、ごめんなさいぃぃい」
私は思わずそう叫んで、梯子を慌ただしく降りて昇降口へ走る。
走りながら、今の出来事が頭を過る。
確かに触れた感触があって、私は頬に熱が集まるのを感じた。
昇降口へ続く角を曲がった時、頭上から影が落ちて来た気配に顔を上げると同時に、目の前に流川くんが現れた。
屋根の上から飛び降りたようで、私は声にならない声を上げる。
この人、型破り過ぎない!?
私が怯んでいると、流川くんが静かに近づいて来た。
「何で逃げる?」
「え、いや、だって…」
流川くんは無言で私の顔を見つめる。
私は、ますます顔の熱が上がった気がして視線を逸らさずにはいられない。
「ご、ごめんね!あの、わざとじゃないの!本当にごめんっ」
「何の事だ?」
流川くんはきょとんとしていた。
…私、もしかして墓穴掘った…?
いや、確かにさっき流川くんは気づいてなかったっぽい…。
何で、私は余計な事言っちゃったんだろう…と変な汗が流れてきた。
「ごめん、何でもない!気にしないで!それから、そこ通して!!失礼しますっ」
自分でも何を口走っているのかよく分からないほどに、頭の中はパニックになっている。
私が歩き出し流川くんを横切ろうとした時、不意に出された流川くんの腕が私の腰に絡みついた。
ギョッとする間に、私は何故か流川くんの腕の中にすっぽりと収まってしまう。
流川くんは無言のままギュッと腕に力を込め、私の鼓動はどんどん大きな音を立て始めていた。
その時、予鈴が響き渡り、授業の事が咄嗟に頭を過って、私は流川くんに声をかける。
「る、流川くん…?」
「最近のお前、変だ」
「えっ!?いや、別に…」
「話してる時、楽しそうじゃない」
「そ、そうかな?」
「俺は、お前と話したい」
「え?」
「俺と話すのは嫌か?」
「い、嫌なわけないよ!?」
「そうか」
流川くんは、そっと私を解放すると微笑んでいた。
その表情にますます心臓がうるさくなって、私は思わず俯いた。
「おい」
俯く私の視界に、突然流川くんが割り込んできた。
あまりの至近距離に、私は叫びそうになりながら一歩下がって、また視線を逸らす。
「何で逸らす?」
「え、いやー、その…」
「それ、嫌だ」
「え?」
「逸らすな」
そう言って、流川くんは私の両頬を手で挟んで無理矢理視線を合わせた。
触れている頬にはますますが熱が集まって、見るからに私の顔は赤いだろう。
けど、流川くんはそんな私を気にせず満足そうにしている。
「…何で、そんな顔するの?」
「何がだ?」
「何だか、嬉しそう」
「…あぁ。…分からないって顔してるな」
流川くんは呆れた様子で私を見るけど、私にはそれが意味するところが分からない。
いや、本音では期待している事がある。
けど、それが真実だとは思えないし、流川くんがそんな事を思うはずもないのだ。
私が押し黙って応えずにいると、流川くんは小さく溜め息を吐き出した。
「どあほう」
「へっ?何、急に?」
「好きだ」
「…えっ?」
「お前が好きだ」
目の前には、真っ直ぐに見つめてくる流川くんの瞳がある。
私の思考回路は停止してるのか、情報が処理しきれず、言葉を発することも出来なかった。
「理解したか?俺は、お前が好きだと言ってる」
流川くんが淡々と続けて、やっと思考回路の処理が始まる。
そして、回り始めた頭と同時に、一気に理解した私は驚きと恥ずかしさ、更には疑問しか浮かんでこなかった。
「な…んで?」
「何がだ?」
「いや、流川くん私の事好きじゃないでしょ?」
「何でそう思う?」
「だってあの時、手振り払ったし」
「…いつ?」
「だから、6月くらいの放課後、私が頭触ろうとしたら振り払ったし、迷惑そうだったでしょ?」
「あぁ、あれか。あれは…」
「…あれは?」
私は流川くんの言葉を繰り返すけど、それ以上流川くんからは言葉が続かない。
私が眉を寄せて流川くんを見つめていると、流川くんはふいっと視線を逸らしポツリと言った。
「どあほう」
「えっ、答えになってないよ!?」
「あの時は、触られるのが嫌だったんだ」
「ほら、嫌って事は私の事なんて…」
「触られると、触りたくなる」
「…へっ?」
「俺は、ずっと前からお前に触りたいと思ってた」
「な、なな、何それ!?」
「別に、変な意味じゃない」
「変な意味って何!?」
「うるさい」
「あ、はい」
流川くんの言葉に、私は素直に返事をしてから黙った。
流川くんは少しだけ居心地悪そうにしていたけど、決してこの場から離れようとはしない。
私は、必死に今の状況を理解しようと頭をフル回転させる。
そこで、ふと疑問が出てきた。
「ねぇ、さっきから『お前』って私の事呼ぶけどさ、そもそも私の名前知ってる?」
「知ってるに決まってるだろ」
「本当に?だって、いつも『おい』とか『お前』って呼ぶよね?それなのに好きとか…」
「恋」
「っ!?」
「恋だろ、名前」
流川くんが私の名前を呼んだ事に、私はヒュッと息が止まった気がした。
それくらい一大事で、予想だにしなかった事が今起きた。
名前を知っていた事にも呼んだ事にも驚きしかないし、頭で勝手に反芻される声に思わず両手で顔を覆う。
「恋」
瞬間、流川くんの気配が近くなった気がする。
それでも私は顔が上げられない。
胸が痛いくらいに心臓は高鳴っていて、流川くんの耳に聞こえるんじゃないかと思ってしまう。
最早、息をするのも苦しくなってきた気がした時、両手首をグッと掴まれ顔を覆う手が退けられると、唐突に視界が明るくなる。
視線の先には流川くんの手があって、私はそれを凝視していたけど、ヌッと流川くんの顔が目の前に現れた。
「聞いてるのか?」
「っ!?…き、聞いてる!」
「名前。合ってるだろう?」
「う、うん」
「なら、そう言え」
「ご、ごめん」
「で、返事は?」
「え?」
「返事、聞いてない」
「あ、あぁ、返事!返事ね!返事…」
返事なんてものは、とうの昔に決まっている。
でも、どうしてもこれが現実だと思えなくて、私はすぐに言葉が続かない。
「恋?」
「は、はい!」
「お前は、俺の事をどう思ってる?」
「え、あっ…」
私が口ごもっている間も、流川くんの視線は私をただ真っ直ぐに見つめてきていた。
それは目の錯覚か綺麗なガラス玉みたいで、まるで私しか映さないみたいだった。
その視線に耐えきれず、私は小さく返事をした。
「私も…好きです」
その言葉を絞り出すだけで声は微かに震えて、顔からは火が出そうだった。
今出来る精一杯の返事をしてから流川くんを盗み見ると、そこには見た事もない笑みを浮かべる流川くんがいた。
…この笑顔を、見た事がある人はいるんだろうか。
そんな事が頭を過って、私はボーッと流川くんを見つめた。
「何だ?」
「えっ!?あ、いや、何か夢なんじゃないかなって思っ…たっ!?」
言い終えるより先に、流川くんは私の頬をギュッと摘まんだ。
そこからは痛みが伝わってきて、私は流川くんの手を離そうと腕に触れる。
「い、痛いっ!」
「夢じゃないって分かったか?どあほう」
「わ、分かったけど…まだ信じられなく…っ!?」
瞬間、私はこれでもかってくらい目を見開いたと思う。
目の前には流川くんの顔があって、唇には柔らかな感触があったからだ。
それがキスだと気付いたのは、流川くんの顔が離れた時だった。
「これでも信じないのか?」
「っ、やっ、あのっ」
「信じないなら、何回でもしてやる」
流川くんの気配が再び近づいたと思う間もなく、私の唇は塞がれていた。
それは、どこか不器用な触れ方だけど、そんな事はどうでも良いくらいに私の中を一瞬で支配する。
流川くんは唇を離す気配がなくて、私はどうしたらいいのかが分からなくなった。
徐々に角度が変えられ始めて、私は自然と瞼を落とす。
視界が覆われた中での感触はより鮮明な物に変わり、次第に強く求め始めてしまう。
それは、流川くんも同じなのか、キスは段々と深い物に変わっていく。
流川くんのキスは、どこか不器用だ。
でも、とても優しい。
それは、普段の流川くんからは想像もつかない事で、ますます胸がいっぱいになる。
私は、この人といると、心臓がいくつあっても足りない気がする。
『私は、この人の特別になれる』
そう思った事が現実となった今、私はただただ満たされていた。
空も清々しいくらいに晴れ渡っていて、祝福してくれているみたいに優しく感じた。
悩んでいた日々は無駄だったのかも知れない。
いや、やっぱり無駄じゃなかったかも知れない。
その過程があったからこそ、今、この瞬間が絶大な物に感じられている気がするからだ。
ようやく離れた唇は、どこか艶めいていて、流川くんに妙な色気が漂って見える。
流川くんは微かに笑った。
それは、やっぱり今まで見た事のない笑顔で、それが私にだけ向けられているのだと噛み締めると、私も自然と笑みが浮かんだ。
私達は満たされた感情に、ただ笑い合っているのだった。
fin
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