番外編
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夕焼け雲が浮かぶ中、那岐が前を歩いている。
俺はその数歩後ろを歩きながら、那岐にポツリと話しかけた。
「那岐って強いね」
「当たり前じゃん!宗ちゃんは私が守ってあげるからね!」
「…うん」
ニコリと笑顔で返してきた那岐に、俺はなぜか口籠ってしまった。
それは、俺が小学生で上級生に虐められた帰り道でのやりとり。
言いがかりをつけられて言い負かそうとしてしまったから、逆上して俺に殴りかかってきた上級生を、那岐は颯爽と現れてやっつけた。
とても…カッコ良かった、悔しいくらいに。
同時に、女の子に守られるなんて心底情けなかった。
でも、その後、暴力で解決した事に那岐は大人達から物凄く怒られていた。
俺は庇おうとしたけど取り合ってもらえなくて、結果、那岐は不貞腐れて、家出をした。
家出と言っても、俺の家に泊まりに来ただけで、翌日には那岐の両親に連れられて帰って行ったけど。
その日はひたすらに仏頂面で怒っているみたいだったけど、翌日にはいつもの笑顔に戻っていた。
それから何年か過ぎたある日の放課後、俺はその光景に目を奪われた。
「那岐?」
忘れ物をしてしまって、来た道を引き返していた最中の中庭で初めて見た光景。
那岐が蹲って泣いていた。
あの、男女と言われようと、大怪我しようと、凄く怒られようと泣かない那岐が。
それは、少なからず俺に衝撃を与えた。
初めて見た涙に、俺はあからさまに狼狽えて動けなくなった。
どれくらいその場から動けなくなったのか分からないけど、ふと我に返って那岐に近付く。
「…那岐?」
俺が手を差し出すと、それは乾いた音を立てて弾かれた。
俺が驚いていると、那岐は立ち上がり走り出す。
「宗ちゃんには関係ないっ!」
言い捨てた那岐は、俺の方を一度も見ずに走り去って行って、その言葉が俺に突き刺さった。
確かに関係ないかも知れないし原因も分からないんだけど、そこまで言われるとは思わなかったんだ。
ただ、慰めようと励まそうと手を伸ばしただけなのに、その手はいとも簡単に拒まれた。
そんな事をされたら怖くなる。
好きなのは、俺だけなんだ、ずっと。
那岐にとって俺はただの友達で、それ以上でもそれ以下でもない。
それは、翌日以降の那岐の態度で分かった。
昨日の事がなかったみたいに普通の態度で、俺は少し戸惑った。
「昨日はごめんね」なんて笑顔で軽く返されたけど、それ以上は聞くなと言われてるみたいに感じた。
事実、聞いてもはぐらかされた。
それから、どれくらい経ったのか、泣いていた原因を知ったのはある日、那岐が笑い話みたいに言ったから。
好きな人がいた事は知っていたけど、告白したなんて思ってもみなかった。
「私、もう恋愛はいいや」
何気なく出た言葉は冗談だと思っていたし、どんなやりとりがあったのかなんて俺が知れる筈もないんだけど、その後、那岐から好きな人が出来たなんて聞いた事がない。
那岐の仲の良い友達にもさり気なく聞いたけど、一度も聞いた事がないと言っていたからそうなんだろう。
その時くらいから、那岐は空手にのめり込む様になった。
元々強かったけど、遊ぶ事が好きだった那岐はそこまで真面目に空手をしていなくて、よくサボったりもしていた。
その那岐が真面目に取り組むと気付いたら有段者になっていて、大会とかの優勝を掻っ攫っていた。
そんなある日、那岐と一緒に俺の志望校である海南バスケ部の試合を観に行った。
中学生の部活なんて生優しいものと違って、迫力も技術も流石と言うべきか、どの選手もレベルが高かった。
そんな中でも特に目を引いたのは牧さんだ。
中学の頃から試合で時々対戦していた牧さんは、やっぱりその頃から別格だったし、一緒のチームでやりたいと思っていた。
俺の志望校はこの時点で揺るぎないものになっていたし、那岐も近いからか海南を志望校の一つとしていて、入学自体は不思議じゃなかった。
初めて那岐の異変に気付いたのは、入学して俺がバスケ部に入ってからの事。
那岐は帰宅部になっていて、空手部もあるのに入らなかった。
それである日、俺に用事があって体育館に来た那岐は、たまたま近くにいた牧さんと会話をしていた。
俺が牧さんに呼ばれて側に行って気付いたのは、那岐の顔が赤い事、妙に緊張している事、何より笑顔が違った事…だから俺は那岐をまじまじと見てしまった。
那岐は、はにかんだ笑顔を向けるだけで、俺は嫌な予感がした。
それから何があったのか、那岐は料理部なるものを作り、差し入れと称して運動部にお菓子なんかをあげていた。
それで、俺に声をかけてくるんだけど、毎回牧さんを見ていて、何となく、好きになったのかなって思ってた。
でも、那岐は恋愛をもうしないと言っていたから、しないんだろうななんて思ったりもしている。
那岐はわりと決めた事には律儀というか守るから、俺は少しだけ油断してたんだと思う。
「神、私、牧さんの事好きになっちゃった…」
そんな事を言われたのは、いつの間にか那岐が俺を苗字で呼ぶようになっていたある日、牧さんが那岐の顔にタオルで触れた後。
園芸部の手伝いをしていて、何をしたのか顔に土がついているから牧さんがそれを指摘したら、那岐がゴシゴシ擦って土の汚れが伸びた。
牧さんはそれを見て笑うと、自分のタオルでそれを擦り落としたんだ。
牧さんには何気ない行動なんだろうけど、那岐には結構な衝撃だったらしくて、泣きそうな顔で俺にそんな事を言ったんだ。
多分、決めた事を守れないのも嫌だったのかも知れない。
でも、好きになったと気付いたらダメなんだ。
それは、俺もよく分かっているから責める気にもならないし、相手が牧さんだと勝ち目はないと思った。
俺ですら憧れてしまう牧さんなら、仕方がない。
「そっか。じゃあ、伝えないとね」
「それは、ダメ!」
「どうして?」
「いいの!見てるだけでいい‼︎」
那岐は、いつになく弱気な発言をした。
どうしてそんな事を言うのか分からない。
「那岐?」
「私は…また振られるのは、嫌。まだ、怖い…」
ポツリと漏れた弱音。
その言葉も姿も、か弱い女の子そのもので俺は言葉を失って、それ以上何も言えなかった。
時々、那岐と牧さんの距離が近付くような事はしたけど、それだけ。
那岐も特に何も言わないし、それで良いと思ってた。
如月さんが現れるまでは…。
初め、牧さんは面倒見が良いから如月さんを気にかけているんだと思った。
何で如月さんだけなのかって疑問はあったけど、聞いた出会いが出会いだから、仕方ないのかなとも思う。
それだけなら良かったんだけど、如月さんの牧さんに対する反応は、段々まずい物だと第六感が警告した。
牧さんは誰かと噂になるとかなくて、彼女とか作る気はないんだろうなと思っていたし、時々無意識でビックリするような行動するけど、牧さんの食指が動かない限り大丈夫。
でも、反応に目を引くものがあれば話は変わるんだ。
如月さんの反応は女の子らしいというか、那岐にはない物で、素直さは同じなんだけど、意志の弱さとか、妙に庇護欲みたいな物が働くのは如月さんの見た目や天性の物だと思う。
守ってあげたくなるタイプとでも言うんだろうか。
けど、実はそうでもないと気付いたのは、たった今。
花火大会の今日、俺が如月さんに詰め寄ったこの瞬間。
多分、この子は意志が弱いわけでも、言いたい事が言えない子でもない。
何があっての事かは分からないけど、わざと言葉を呑み込んでいて、それが弱々しく見えただけだ。
だって、今俺に向けている目がいつもと違う。
それは、那岐の目にもよく似ていて、信念とか自分という物がちゃんと育っている人の目。
それに気付いたら益々俺は焦った。
だって、如月さんと牧さんのやりとりって、見てると何だか自然で、微笑ましくてお似合いだなと過ぎる時があるんだ。
何だか二人が惹かれ合うのは必然みたいに思えて、俺はそれが嫌で、如月さんに釘を刺して引いてくれる事を願ったのに、この目は多分引いてくれやしない。
如月さんは、牧さんを好きだと自覚がある。
ただ、那岐が牧さんを好きな事にも気付いているから、告白しないのかも知れない。
如月さんが那岐を慕っている事も、那岐が如月さんを妹みたいに思っている事も分かっている。
如月さんは、多分男女問わず好かれるタイプだと思う。
それは、見た目も含めて、雰囲気が優しいし弱々しく見える事もあるけど、ちゃんと自分を持っている子だから。
こういう子が好きな人は多いと思うし、その分嫌いな人は嫌いだろうけど、牧さんは多分前者だ。
ただ庇護欲を掻き立てられるだけよりも、ちゃんと自分という物を持っている人の方が魅力的だし、牧さんには似合う。
「神!」
俺が如月さんに詰め寄っていたからか、牧さんが俺を引き離した。
今ここに牧さんがいる事で、俺は瞬時に理解した。
折角二人きりにしたのに、那岐がやっと勇気を出して決心したこの日、この場所に、今いる意味が…。
「…牧さん、断ったんですか?」
「あぁ」
「どうしてですか!」
「俺は今、彼女をつくる気はない」
「なっ!」
俺は瞬間、カッと頭に血が上るけど、耳には花火の音も周囲の歓声もちゃんと聞こえるくらいには冷静だった。
…いや、内心冷静なんかじゃないのかも知れない。
作る気がないなら、何であんな風に誰にでも優しくするのか。
それが牧さんだと分かってはいるけど、だから牧さんのファンは本気の子が多いなんて言われるんだ。
作る気がなくて、告白されても断るのならば、初めから相手が好意を持たないようにしてくれたらいいのに。
勝手に好きになったと思うのかも知れないけど、そうさせるだけの何かがあるんだから。
次々と湧いて来る感情が、言葉が、俺の中で渦巻いていくのが分かった。
「それに、神は那岐が好きなんだろう?」
「っ、俺は関係ないですよね」
「あぁ、直接は関係ない。彼女をつくらないのは俺の意思だからだ。けれど、那岐を好いている奴が傍にいるのに、それを奪う選択肢など俺にはない」
どうして…そう口にしたいのに、周りの音が煩くて頭が上手く回らない。
牧さんにそんな事を言われるなんて思いもしてなかった。
牧さんが仲間を大事にしている事は知っているし、だからって遠慮して身を引くなんて事はない筈だ。
それは、相手に失礼だと考えるし、立ち向かう、牧さんはそんな人だろう。
つまり、那岐には牧さんの食指が一ミリも動かなかったと言う事。
俺は…何で身を引いたんだろう。
「っ、何ですか、それ」
「那岐はさっき帰った。急げば、まだ追いつくだろう。どうするかは、お前が決めろ」
言われて、俺は走った。
人混みは邪魔で自己嫌悪で気持ちは不快だし、那岐が今どこにいるかなんて分からないけど、それでも那岐を探し回った。
そして、会場から離れた道の先で見つけた時、那岐は不良っぽい男に絡まれているように見えた。
でも、俺が急いで駆けつける直前、男は宙を舞った。
「え…」
俺はスピードを緩めてその光景を見る。
いくらヒョロそうでも他の男達も次々と宙を舞うから、漫画か何かを見てるのかと思うほどだ。
那岐のやっていた流派が実戦向きな所だったし、那岐は趣味で、空手の邪魔にならない程度には、色々な格闘技にも手を出していたからその強さは分かるんだけど、それでも流石に呆気に取られる。
伸された男達を見て起きられても誰かに見られても面倒だと思って、俺は那岐の腕を掴んでその場から離れた。
それから、近くの公園までやって来ると言葉が出ずに黙ってしまった。
「神?」
「あ、うん…」
「あはは、恥ずかしい所見られちゃった。男女って思われるかな」
「そんな事ないけど…」
「神は昔からそうだね。神だけだよ、男女って言わなかったの」
「うん」
そんな事思う筈もない。
那岐は、カッコいいし可愛い女の子だ。
それは、俺の中でずっと変わらない。
「あのね、私、牧さんに振られたの」
「うん…聞いた」
「でもね、今回は告白して良かったよ」
「え?」
「前はね、断られた理由が、私の方が強いからとか男女って言われるような奴に魅力はないとか、散々な言われようだったんだけど、牧さんはそんな事いわないで、ありがとうって言ってくれたよ。でもね、私の事は恋愛対象としては見れないって」
「そう」
「うん」
那岐は、何で笑顔でそんな事を言うんだろう。
前みたいに泣いてしまうのかと思っていたけど、今回はそんな事もなくて、俺は反応に困る。
「何?」
「ううん」
「泣かないんだ、とか思った?」
「え?」
「私ね、泣くの嫌いなの。泣くなら一人の時が良いし、誰にも見られたくないんだ」
苦笑している那岐が痛々しい。
泣けば良いのに、我慢しているのが分かった。
「特に、神の前で泣いたら、私が弱いって事になるでしょ?」
「ん?」
「そしたら、神の事守れなくなるじゃん」
那岐の言葉で、俺に蘇ったのはかつてのやりとり。
それがずっと那岐の足枷になっていて、泣く事もできないんだと初めて知った。
俺のせいだ。
俺は、那岐の腕をグッと引っ張って抱き締めた。
「ごめん」
「何で謝るの?」
「俺が弱いからだよね」
「昔はね。でも、今は違うと思うよ?身長もそんな大きくなっちゃってさ。私が守るまでもないんだろうなって思う」
「うん、俺、もう弱くないよ。流石に那岐みたいにやっつけるって訳にはいかないけど、守って貰わなきゃならないって事はないから」
「うん」
那岐はそこで言葉を止めた。
小さく肩が震えていて、今俺の中にいるのは小さくてか弱い女の子そのものだ。
「ねぇ…宗ちゃん」
「何?」
「私ね、牧さん好きだったんだ」
「うん」
「でもね、牧さん彼女はいらないんだって」
「うん」
「牧さんが彼女にしても良いって思う子って、どんな子なのかな」
どんな子…。
頭に浮かんだ人物に、俺は言葉を続けられなくなる。
グスッと時折聞こえる鼻を啜る音に、俺は言葉を探し続けた。
気の利いた言葉が一つも思い浮かばない。
「私ね、恋愛って悪いもんじゃないなって思えたよ」
「えっ?」
「牧さんを好きになって良かった。あそこまでハッキリ言われると逆にスッキリするって言うか…。牧さんの大事な人には、絶対なれないなって思ったよ」
「そっか」
「うん。いつか現れると良いな、牧さんの前に。羨ましいけど、牧さんは相手を凄く大切にしそうだから、幸せになって欲しい」
俺は、純粋に那岐が凄いなと思った。
振られた直後に、そんな風に言えるなんて俺には絶対無理だから。
「それが、恋ちゃんみたいな子だったら良いんだけどな」
「えっ?」
「ん?」
俺が腕を緩めて那岐を見ると、凄くキョトンとした泣き顔があった。
もしかして、那岐は如月さんの気持ちに気付いているんだろうか。
「変な事言った?」
「いや…那岐って如月さんの事…」
「ん?可愛いよね、恋ちゃん。あぁいう妹欲しい」
「うん、そっか」
多分、那岐はまだ気付いてなくて、直感で言っているだけで他意はない。
猪突猛進な那岐が気付く訳ないとも思う。
武道になると鋭いんだけど、それ以外は驚くほどに鈍感なんだ、那岐は。
そこに全振りしたみたいなアンバランスさは、ある意味才能。
それが、那岐の良い所だとも思う。
俺の気持ちにも気付かれずに来れたから。
でも、これからは俺も抑える必要はないかも知れない。
牧さんと言う最大の敵もいないし、那岐の恋愛の扉が少しだけ開いたから。
「ねぇ、神」
「ん?」
「お腹空いた」
「…何か食べに行く?」
「うん!」
何故だか、呼び方がまた戻ってしまったけど、那岐は笑顔で俺を見上げる。
こんな状況でお腹が空いたと言うのが那岐らしい。
前みたいに、一人で泣いて関係ないと拒絶されなくて良かった。
関係ないと言われたのも、泣いた姿を見られない為かも知れないし、今は俺を頼ってくれているのが分かるから、もういいや。
俺は、那岐が好きだし、それはこれからも変わりそうにない。
この想いは他に敵意を向ける為じゃなくて、これからは那岐に直接向けようと思う。
また昔のように、ずっと名前で読んで欲しいから。
俺はその数歩後ろを歩きながら、那岐にポツリと話しかけた。
「那岐って強いね」
「当たり前じゃん!宗ちゃんは私が守ってあげるからね!」
「…うん」
ニコリと笑顔で返してきた那岐に、俺はなぜか口籠ってしまった。
それは、俺が小学生で上級生に虐められた帰り道でのやりとり。
言いがかりをつけられて言い負かそうとしてしまったから、逆上して俺に殴りかかってきた上級生を、那岐は颯爽と現れてやっつけた。
とても…カッコ良かった、悔しいくらいに。
同時に、女の子に守られるなんて心底情けなかった。
でも、その後、暴力で解決した事に那岐は大人達から物凄く怒られていた。
俺は庇おうとしたけど取り合ってもらえなくて、結果、那岐は不貞腐れて、家出をした。
家出と言っても、俺の家に泊まりに来ただけで、翌日には那岐の両親に連れられて帰って行ったけど。
その日はひたすらに仏頂面で怒っているみたいだったけど、翌日にはいつもの笑顔に戻っていた。
***
それから何年か過ぎたある日の放課後、俺はその光景に目を奪われた。
「那岐?」
忘れ物をしてしまって、来た道を引き返していた最中の中庭で初めて見た光景。
那岐が蹲って泣いていた。
あの、男女と言われようと、大怪我しようと、凄く怒られようと泣かない那岐が。
それは、少なからず俺に衝撃を与えた。
初めて見た涙に、俺はあからさまに狼狽えて動けなくなった。
どれくらいその場から動けなくなったのか分からないけど、ふと我に返って那岐に近付く。
「…那岐?」
俺が手を差し出すと、それは乾いた音を立てて弾かれた。
俺が驚いていると、那岐は立ち上がり走り出す。
「宗ちゃんには関係ないっ!」
言い捨てた那岐は、俺の方を一度も見ずに走り去って行って、その言葉が俺に突き刺さった。
確かに関係ないかも知れないし原因も分からないんだけど、そこまで言われるとは思わなかったんだ。
ただ、慰めようと励まそうと手を伸ばしただけなのに、その手はいとも簡単に拒まれた。
そんな事をされたら怖くなる。
好きなのは、俺だけなんだ、ずっと。
那岐にとって俺はただの友達で、それ以上でもそれ以下でもない。
それは、翌日以降の那岐の態度で分かった。
昨日の事がなかったみたいに普通の態度で、俺は少し戸惑った。
「昨日はごめんね」なんて笑顔で軽く返されたけど、それ以上は聞くなと言われてるみたいに感じた。
事実、聞いてもはぐらかされた。
それから、どれくらい経ったのか、泣いていた原因を知ったのはある日、那岐が笑い話みたいに言ったから。
好きな人がいた事は知っていたけど、告白したなんて思ってもみなかった。
「私、もう恋愛はいいや」
何気なく出た言葉は冗談だと思っていたし、どんなやりとりがあったのかなんて俺が知れる筈もないんだけど、その後、那岐から好きな人が出来たなんて聞いた事がない。
那岐の仲の良い友達にもさり気なく聞いたけど、一度も聞いた事がないと言っていたからそうなんだろう。
その時くらいから、那岐は空手にのめり込む様になった。
元々強かったけど、遊ぶ事が好きだった那岐はそこまで真面目に空手をしていなくて、よくサボったりもしていた。
その那岐が真面目に取り組むと気付いたら有段者になっていて、大会とかの優勝を掻っ攫っていた。
そんなある日、那岐と一緒に俺の志望校である海南バスケ部の試合を観に行った。
中学生の部活なんて生優しいものと違って、迫力も技術も流石と言うべきか、どの選手もレベルが高かった。
そんな中でも特に目を引いたのは牧さんだ。
中学の頃から試合で時々対戦していた牧さんは、やっぱりその頃から別格だったし、一緒のチームでやりたいと思っていた。
俺の志望校はこの時点で揺るぎないものになっていたし、那岐も近いからか海南を志望校の一つとしていて、入学自体は不思議じゃなかった。
初めて那岐の異変に気付いたのは、入学して俺がバスケ部に入ってからの事。
那岐は帰宅部になっていて、空手部もあるのに入らなかった。
それである日、俺に用事があって体育館に来た那岐は、たまたま近くにいた牧さんと会話をしていた。
俺が牧さんに呼ばれて側に行って気付いたのは、那岐の顔が赤い事、妙に緊張している事、何より笑顔が違った事…だから俺は那岐をまじまじと見てしまった。
那岐は、はにかんだ笑顔を向けるだけで、俺は嫌な予感がした。
それから何があったのか、那岐は料理部なるものを作り、差し入れと称して運動部にお菓子なんかをあげていた。
それで、俺に声をかけてくるんだけど、毎回牧さんを見ていて、何となく、好きになったのかなって思ってた。
でも、那岐は恋愛をもうしないと言っていたから、しないんだろうななんて思ったりもしている。
那岐はわりと決めた事には律儀というか守るから、俺は少しだけ油断してたんだと思う。
「神、私、牧さんの事好きになっちゃった…」
そんな事を言われたのは、いつの間にか那岐が俺を苗字で呼ぶようになっていたある日、牧さんが那岐の顔にタオルで触れた後。
園芸部の手伝いをしていて、何をしたのか顔に土がついているから牧さんがそれを指摘したら、那岐がゴシゴシ擦って土の汚れが伸びた。
牧さんはそれを見て笑うと、自分のタオルでそれを擦り落としたんだ。
牧さんには何気ない行動なんだろうけど、那岐には結構な衝撃だったらしくて、泣きそうな顔で俺にそんな事を言ったんだ。
多分、決めた事を守れないのも嫌だったのかも知れない。
でも、好きになったと気付いたらダメなんだ。
それは、俺もよく分かっているから責める気にもならないし、相手が牧さんだと勝ち目はないと思った。
俺ですら憧れてしまう牧さんなら、仕方がない。
「そっか。じゃあ、伝えないとね」
「それは、ダメ!」
「どうして?」
「いいの!見てるだけでいい‼︎」
那岐は、いつになく弱気な発言をした。
どうしてそんな事を言うのか分からない。
「那岐?」
「私は…また振られるのは、嫌。まだ、怖い…」
ポツリと漏れた弱音。
その言葉も姿も、か弱い女の子そのもので俺は言葉を失って、それ以上何も言えなかった。
時々、那岐と牧さんの距離が近付くような事はしたけど、それだけ。
那岐も特に何も言わないし、それで良いと思ってた。
如月さんが現れるまでは…。
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初め、牧さんは面倒見が良いから如月さんを気にかけているんだと思った。
何で如月さんだけなのかって疑問はあったけど、聞いた出会いが出会いだから、仕方ないのかなとも思う。
それだけなら良かったんだけど、如月さんの牧さんに対する反応は、段々まずい物だと第六感が警告した。
牧さんは誰かと噂になるとかなくて、彼女とか作る気はないんだろうなと思っていたし、時々無意識でビックリするような行動するけど、牧さんの食指が動かない限り大丈夫。
でも、反応に目を引くものがあれば話は変わるんだ。
如月さんの反応は女の子らしいというか、那岐にはない物で、素直さは同じなんだけど、意志の弱さとか、妙に庇護欲みたいな物が働くのは如月さんの見た目や天性の物だと思う。
守ってあげたくなるタイプとでも言うんだろうか。
けど、実はそうでもないと気付いたのは、たった今。
花火大会の今日、俺が如月さんに詰め寄ったこの瞬間。
多分、この子は意志が弱いわけでも、言いたい事が言えない子でもない。
何があっての事かは分からないけど、わざと言葉を呑み込んでいて、それが弱々しく見えただけだ。
だって、今俺に向けている目がいつもと違う。
それは、那岐の目にもよく似ていて、信念とか自分という物がちゃんと育っている人の目。
それに気付いたら益々俺は焦った。
だって、如月さんと牧さんのやりとりって、見てると何だか自然で、微笑ましくてお似合いだなと過ぎる時があるんだ。
何だか二人が惹かれ合うのは必然みたいに思えて、俺はそれが嫌で、如月さんに釘を刺して引いてくれる事を願ったのに、この目は多分引いてくれやしない。
如月さんは、牧さんを好きだと自覚がある。
ただ、那岐が牧さんを好きな事にも気付いているから、告白しないのかも知れない。
如月さんが那岐を慕っている事も、那岐が如月さんを妹みたいに思っている事も分かっている。
如月さんは、多分男女問わず好かれるタイプだと思う。
それは、見た目も含めて、雰囲気が優しいし弱々しく見える事もあるけど、ちゃんと自分を持っている子だから。
こういう子が好きな人は多いと思うし、その分嫌いな人は嫌いだろうけど、牧さんは多分前者だ。
ただ庇護欲を掻き立てられるだけよりも、ちゃんと自分という物を持っている人の方が魅力的だし、牧さんには似合う。
「神!」
俺が如月さんに詰め寄っていたからか、牧さんが俺を引き離した。
今ここに牧さんがいる事で、俺は瞬時に理解した。
折角二人きりにしたのに、那岐がやっと勇気を出して決心したこの日、この場所に、今いる意味が…。
「…牧さん、断ったんですか?」
「あぁ」
「どうしてですか!」
「俺は今、彼女をつくる気はない」
「なっ!」
俺は瞬間、カッと頭に血が上るけど、耳には花火の音も周囲の歓声もちゃんと聞こえるくらいには冷静だった。
…いや、内心冷静なんかじゃないのかも知れない。
作る気がないなら、何であんな風に誰にでも優しくするのか。
それが牧さんだと分かってはいるけど、だから牧さんのファンは本気の子が多いなんて言われるんだ。
作る気がなくて、告白されても断るのならば、初めから相手が好意を持たないようにしてくれたらいいのに。
勝手に好きになったと思うのかも知れないけど、そうさせるだけの何かがあるんだから。
次々と湧いて来る感情が、言葉が、俺の中で渦巻いていくのが分かった。
「それに、神は那岐が好きなんだろう?」
「っ、俺は関係ないですよね」
「あぁ、直接は関係ない。彼女をつくらないのは俺の意思だからだ。けれど、那岐を好いている奴が傍にいるのに、それを奪う選択肢など俺にはない」
どうして…そう口にしたいのに、周りの音が煩くて頭が上手く回らない。
牧さんにそんな事を言われるなんて思いもしてなかった。
牧さんが仲間を大事にしている事は知っているし、だからって遠慮して身を引くなんて事はない筈だ。
それは、相手に失礼だと考えるし、立ち向かう、牧さんはそんな人だろう。
つまり、那岐には牧さんの食指が一ミリも動かなかったと言う事。
俺は…何で身を引いたんだろう。
「っ、何ですか、それ」
「那岐はさっき帰った。急げば、まだ追いつくだろう。どうするかは、お前が決めろ」
言われて、俺は走った。
人混みは邪魔で自己嫌悪で気持ちは不快だし、那岐が今どこにいるかなんて分からないけど、それでも那岐を探し回った。
そして、会場から離れた道の先で見つけた時、那岐は不良っぽい男に絡まれているように見えた。
でも、俺が急いで駆けつける直前、男は宙を舞った。
「え…」
俺はスピードを緩めてその光景を見る。
いくらヒョロそうでも他の男達も次々と宙を舞うから、漫画か何かを見てるのかと思うほどだ。
那岐のやっていた流派が実戦向きな所だったし、那岐は趣味で、空手の邪魔にならない程度には、色々な格闘技にも手を出していたからその強さは分かるんだけど、それでも流石に呆気に取られる。
伸された男達を見て起きられても誰かに見られても面倒だと思って、俺は那岐の腕を掴んでその場から離れた。
それから、近くの公園までやって来ると言葉が出ずに黙ってしまった。
「神?」
「あ、うん…」
「あはは、恥ずかしい所見られちゃった。男女って思われるかな」
「そんな事ないけど…」
「神は昔からそうだね。神だけだよ、男女って言わなかったの」
「うん」
そんな事思う筈もない。
那岐は、カッコいいし可愛い女の子だ。
それは、俺の中でずっと変わらない。
「あのね、私、牧さんに振られたの」
「うん…聞いた」
「でもね、今回は告白して良かったよ」
「え?」
「前はね、断られた理由が、私の方が強いからとか男女って言われるような奴に魅力はないとか、散々な言われようだったんだけど、牧さんはそんな事いわないで、ありがとうって言ってくれたよ。でもね、私の事は恋愛対象としては見れないって」
「そう」
「うん」
那岐は、何で笑顔でそんな事を言うんだろう。
前みたいに泣いてしまうのかと思っていたけど、今回はそんな事もなくて、俺は反応に困る。
「何?」
「ううん」
「泣かないんだ、とか思った?」
「え?」
「私ね、泣くの嫌いなの。泣くなら一人の時が良いし、誰にも見られたくないんだ」
苦笑している那岐が痛々しい。
泣けば良いのに、我慢しているのが分かった。
「特に、神の前で泣いたら、私が弱いって事になるでしょ?」
「ん?」
「そしたら、神の事守れなくなるじゃん」
那岐の言葉で、俺に蘇ったのはかつてのやりとり。
それがずっと那岐の足枷になっていて、泣く事もできないんだと初めて知った。
俺のせいだ。
俺は、那岐の腕をグッと引っ張って抱き締めた。
「ごめん」
「何で謝るの?」
「俺が弱いからだよね」
「昔はね。でも、今は違うと思うよ?身長もそんな大きくなっちゃってさ。私が守るまでもないんだろうなって思う」
「うん、俺、もう弱くないよ。流石に那岐みたいにやっつけるって訳にはいかないけど、守って貰わなきゃならないって事はないから」
「うん」
那岐はそこで言葉を止めた。
小さく肩が震えていて、今俺の中にいるのは小さくてか弱い女の子そのものだ。
「ねぇ…宗ちゃん」
「何?」
「私ね、牧さん好きだったんだ」
「うん」
「でもね、牧さん彼女はいらないんだって」
「うん」
「牧さんが彼女にしても良いって思う子って、どんな子なのかな」
どんな子…。
頭に浮かんだ人物に、俺は言葉を続けられなくなる。
グスッと時折聞こえる鼻を啜る音に、俺は言葉を探し続けた。
気の利いた言葉が一つも思い浮かばない。
「私ね、恋愛って悪いもんじゃないなって思えたよ」
「えっ?」
「牧さんを好きになって良かった。あそこまでハッキリ言われると逆にスッキリするって言うか…。牧さんの大事な人には、絶対なれないなって思ったよ」
「そっか」
「うん。いつか現れると良いな、牧さんの前に。羨ましいけど、牧さんは相手を凄く大切にしそうだから、幸せになって欲しい」
俺は、純粋に那岐が凄いなと思った。
振られた直後に、そんな風に言えるなんて俺には絶対無理だから。
「それが、恋ちゃんみたいな子だったら良いんだけどな」
「えっ?」
「ん?」
俺が腕を緩めて那岐を見ると、凄くキョトンとした泣き顔があった。
もしかして、那岐は如月さんの気持ちに気付いているんだろうか。
「変な事言った?」
「いや…那岐って如月さんの事…」
「ん?可愛いよね、恋ちゃん。あぁいう妹欲しい」
「うん、そっか」
多分、那岐はまだ気付いてなくて、直感で言っているだけで他意はない。
猪突猛進な那岐が気付く訳ないとも思う。
武道になると鋭いんだけど、それ以外は驚くほどに鈍感なんだ、那岐は。
そこに全振りしたみたいなアンバランスさは、ある意味才能。
それが、那岐の良い所だとも思う。
俺の気持ちにも気付かれずに来れたから。
でも、これからは俺も抑える必要はないかも知れない。
牧さんと言う最大の敵もいないし、那岐の恋愛の扉が少しだけ開いたから。
「ねぇ、神」
「ん?」
「お腹空いた」
「…何か食べに行く?」
「うん!」
何故だか、呼び方がまた戻ってしまったけど、那岐は笑顔で俺を見上げる。
こんな状況でお腹が空いたと言うのが那岐らしい。
前みたいに、一人で泣いて関係ないと拒絶されなくて良かった。
関係ないと言われたのも、泣いた姿を見られない為かも知れないし、今は俺を頼ってくれているのが分かるから、もういいや。
俺は、那岐が好きだし、それはこれからも変わりそうにない。
この想いは他に敵意を向ける為じゃなくて、これからは那岐に直接向けようと思う。
また昔のように、ずっと名前で読んで欲しいから。
fin