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暦の上では春真っ只中である三月頭、まだ肌寒さが感じられるこの日は、海南大附属高校の卒業式が行われていた。
凛とした三年生を送り出す式は、緊張とどこか心弾む雰囲気を体育館内に漂わせている。
恋の座る位置から牧の姿は見えない。
恋は、卒業という別れに一人寂寞の思いを胸に秘めながら、これで牧とは会う事もなくなるのだろうかと、歳の差がまざまざと感じられた瞬間でもあった。
たった一年で、恋の中の牧への想いは十分なほど膨れ上がり、それは行き場なく燻っている。
気付けば、恋が物思いに耽っている間に式は終わり、卒業生が退場となっていた。
恋が、遅ればせながら拍手をし通路に目を向けていると牧の姿を見つけ、同時に牧の視線が恋を捕らえたが、二人の視線は一瞬だけ交わり、すぐにそれは離れた。
三年生が皆退場すると、片付けの為に残された二年生を他所に、一年生は教室へ向かう。
廊下を歩いていると、隣を歩いていた清田が口を開いた。
「あー、牧さん達とはこれで最後かぁ…」
その声はどこか暗く、別れを惜しんでいるのが手に取る様に分かった。
「寂しくなるね」
「まぁなー。仕方ねぇんだけど、もう少し一緒にプレーしたかったぜ。あ、そうだ、予定なかったら後で体育館来いよ」
「どうして?」
「三年対一、二年で最後の試合するから!」
「えっ、行きたい!」
「おう、応援頼むぜ!昼飯食ったら体育館な!」
「うん」
ニカっと笑う清田に、恋もつられて笑みを返す。
最後にもう一度牧のプレーが観れるのかと思うと、恋の心は踊った。
昼食を早々に済ませると、恋は那岐と共に調理室に向かった。
昼食の誘いに来た那岐と行動を共にしていると、唐突に卒業祝いのプレゼントとしてお菓子をあげようと言い出したのだ。
急な提案に恋は驚くも、那岐はやる気満々で手早く用意をしていく。
恋は苦笑しながらも、それを手伝い始めた。
調理時間も短い事から作る物は焼き菓子にし、二人で手早く作り上げる。
卒業生分だけとし数も抑えた為、時間はギリギリになりつつもラッピングまで終えると、二人は急いで体育館へ向かった。
丁度試合が始まったのか、ドリブルの音とバッシュの擦れる音が鳴り響いている。
恋は、目の前の光景を少しだけ懐かしい気持ちになりつつも見守っていた。
それは、恋が初めて牧に目を奪われた瞬間が蘇るようだった。
恋には、牧の瞳が妙に印象深く記憶から消せないでいる。
けれど、今はそれだけではない。
第一印象は、恩人。
第二印象は、獣みたいな目をする人。
それが、次第に他愛もない会話をする事も、ふとした仕草も、声も、笑顔も、困った顔も、優しさも、全てが好きだと思えて記憶の中に刻まれている。
けれど、怒った冷たい顔だけはどうしても好きにはなれない。
恋が発端であるあの顔は、恋の中に暗い影を落とし続けていた。
「あー、やっぱカッコいいねぇ」
那岐の声にハッとした恋は、視線を那岐に移す。
「何で一生懸命に打ち込んでる人って、こんなにカッコいいんだろうね。目が離せなくなるから、ズルイよね」
「えっ?」
恋が目を見張ると、那岐はただ笑みを向けた。
それから試合は進み、三年生が勝利して終わると、卒業のプレゼントが神と清田の手からそれぞれに渡された。
それは小さな花束と寄せ書きだった。
その寄せ書きには恋と那岐もこっそり書き込んでいた。
ついでにと、恋達が作ったばかりのお菓子を手渡していき、寂しくも和やかな時間が辺りを包んでいる。
それから、神と那岐も駅まで三年生を送る為に自転車を押して皆で一緒に歩いていた。
「皆、ボタンとか残ってるもんなんすねー」
「ん?」
「第二ボタンって、定番じゃないっすか?」
清田が三年生の制服を見つめながら言うので、牧は不思議そうに視線を送る。
清田はどこか不満そうで、何か憧れのような物でもあるのだろう。
神は苦笑しながら言葉を繋いだ。
「ブレザーはそうでもないんじゃない?」
「確かに!ブレザーならネクタイとかは嬉しいよねー」
「那岐もネクタイが欲しいタイプ?」
「かなぁ。あ、それかジャージとかね!」
那岐が考え答えた言葉に、神は驚きを隠せなかった。
その場にいた男子陣も同じ気持ちである。
「えぇ?いる?」
「飾るもよし着るもよし!良くない!?ねぇ!?」
「えっ!?あ、えっと…」
那岐が話題を振り、恋は言葉に詰まった。
定番のイベントも、ブレザーならばネクタイになるのかと他人事の様に聞いていると、ジャージと言う単語が出てきて恋も男子陣と同じ気持ちを抱いたのだ。
那岐は誰からも同意を得られず、苦笑を浮かべていた。
「まぁ、何にしても身につけてた物だと嬉しいよね。そういうのを欲しがるって事は好きだからだし、好きな人の物なら何でも嬉しいけどさ」
恋は、ぼんやりとその話を聞いている。
牧はそんな恋を見つめていたが、それに恋は気付かない。
恋は、ぼんやり歩いていて危なかっしく牧は声をかけた。
「如月」
「へっ?あ、はい」
「ぼんやり歩くと危ないぞ」
「あ、はい、すみません」
恋はそれでもどこかぼんやりしていて、牧は少し不審に思う。
前方では神達が会話を弾ませながら歩き、恋と牧の歩く速度と合わずに距離が出来ていた。
「どうかしたのか?」
「…牧さん」
「ん?」
「あの、お願いがあります」
「何だ?」
「ネクタイ下さい!」
恋が深々とお辞儀をしてそんな事を口走るものだから、牧は反応出来ずに少し固まった。
恋は、那岐が言ってからずっと考えていたのだ。
好きな人の物ならば何でも嬉しいのは当然で、それでも欲を言うならばそれが欲しいと恋は思った。
これで、会う機会はきっとなくなると恋は思う。
そう思えば思い出が欲しくなるのも当然で、恋は考えがまとまるよりも先に言葉が付いて出ていた。
恋が視線を上げ牧を見つめると、牧は言葉を失った。
その真っ直ぐな視線は恋焦がれていた物で、久しぶりにちゃんと交わった気がする。
「なら…外してみるといい」
「えっ?」
言って、牧はハッとした表情を浮かべた。
そして、取り消そうと言葉を紡ごうとしたが、それよりも先に恋の手は牧の首元へ伸びた。
「失礼しますっ」
恋は、緊張した面持ちでネクタイに指をかけるとスルリと外してしまう。
牧は、呆気に取られ身動き一つ取れなかった。
恋は無言でそれを外して手にすると、一息ついて嬉しそうに顔を綻ばせた。
頬を染めつつも手元を見つめ嬉しそうな表情に、牧は何とも言えない気持ちに満たされる。
複雑そうな表情を浮かべる牧に気付いたのか、恋はキョトンとして見つめた。
「牧さん?」
呼ばれて、牧は考えるよりも先に恋の手元のネクタイを奪い返すと、それを恋の首元へと手早く結んだ。
今度は恋が唖然とする。
牧はそんな恋の姿を見て微かに眉間に皺を寄せると、結んだばかりのネクタイを外し恋の手元に戻した。
恋は一連の流れが理解出来ずに牧を見つめるが、牧は自嘲した様な笑みを浮かべた。
「すまない。これは…駄目だな」
そう言うと、牧はスタスタと歩き出す。
恋は、手元に戻ってきたネクタイをギュッと握りそれについて行くしかない。
それぞれの思いを胸に、二人は頬を染め互いの顔を見る事が出来ないでいる。
その後、無言のまま歩き続けると、立ち止まり待っていた部員達がいた。
「あ、牧さん達やっと来た!」
「遅いっすよー。どうかしたんすか?」
「いや、何でもない」
「そっすか?じゃあ…これで、最後っすね。今までありがとうございました!」
「ありがとうございました。また、部活に顔出して下さいね」
「あぁ、お前達も元気で過ごせよ」
「うっす!」
笑みを向ける部員達と牧達が別れると、神は共に見送っていた那岐を見た。
那岐は、何故か嬉しそうな顔をしていて不審に思う。
「ねぇ、神」
「ん?」
「牧さん、ネクタイなかったね」
そう、気付いた者は他にもいたのかいなかったのか、誰も口にはしなかったが、別れた際の牧はネクタイがなくなっていた。
恋と遅れて来た事もあり、行方はごく簡単に導き出せるが、神は少しだけ複雑な思いを抱く。
「…うん」
「恋ちゃん、勇気出せたのかな」
その言葉に、神は目を見張った。
その言葉が意味する事は一つしかないだろう。
「…那岐って、いつから如月さんの気持ちに気付いてたの?」
「ん?最近だよ。何か二人があんまり話さなくなったなと思ってから」
「そう」
「二人はお似合いだと思うんだけどなー」
「そうだね」
那岐が嬉しそうにそんな事を言うからか、神も自然と笑みが浮かんだ。
無闇に反感が湧き起こる事もない。
それは、二人の中で恋達への思いが昇華された事に繋がるのだろう。
二人は暫く姿の見えなくなった改札を見つめていたが、やがて、自転車に乗り駅を後にした。
三年生も卒業し、暖かくなってきたからか桜がいくつも花開き始めたホワイトデー、恋が掃除を終え放課後の廊下を歩いていると、清田に呼び止められた。
「如月」
「ん?」
「校門の所、牧さんいたぜ」
「えっ!?」
「行ってみろよ、会うの久々だろ」
「う、うん」
恋は、ぎこちなく別れたあの日から牧とは会っていない。
どうやって別れたかも、どのような言葉を交わしたかも記憶は曖昧だ。
その名を聞いただけで動揺するほどに、緊張した面持ちで恋は校門へ駆け出した。
会える喜びか走ったからか、妙に息切れを起こして速度を緩めると、校門前には小さな人集りが出来ていた。
その中心にいた人物が、恋の姿に気付き声をかける。
「あ、如月」
「えっ!?藤真さん?」
「牧も一緒」
藤真が笑みを向けると、その横には牧の姿もちゃんとある。
恋はその姿を見ただけでホッとしつつも、二人に近付く。
藤真は人集りを器用に解散させると、恋に視線を移した。
「あの、お二人で何を…」
「俺は、これ渡しに来た」
藤真は、手にしていた小さな紙袋を恋に差し出した。
恋は自然とそれを受け取る。
「お菓子とおまけ」
「おまけ…?あ、可愛い」
恋が紙袋の中を覗くと、小さな瓶に入ったお菓子と可愛らしいポーチが入っていた。
恋は、以前言われていたリクエストなどしていなかったが、藤真のスマートな返しに驚きつつ申し訳ない気持ちも起きる。
けれども、素直に嬉しいと思え口元は緩み、藤真はそんな恋を見て、満足気に笑みを浮かべている。
「だろ」
「ありがとうございます」
「おう。じゃ、俺はこれ渡しに来ただけだから帰るな。牧、また飯行こうぜ」
「あぁ」
藤真の用事は本当にこれだけだった様で、あっさりと去って行った。
二人でそれを見送ると、恋は牧に疑問を投げかける。
何故、牧と藤真が共に行動していたのかが気になったのだ。
「ご飯、行ったんですか?」
「あぁ、ここに来る前にちょっとな」
「そうですか」
それ以上、恋の言葉が続かずにいると、牧は少しだけ迷ってから言葉を発した。
「如月、この後時間はあるか?」
「はい?大丈夫ですけど…」
恋の返事に、牧は微かに安堵した表情を浮かべた。
そこで、恋は荷物を持たずに校門まで来てしまった事に気付き、牧と共に教室へ向かった。
「ついこの間まで当たり前の様に通っていたのに、何だか懐かしく感じるな」
恋が教室へ入ると、牧は少しだけ居心地悪そうに辺りを見ていた。
恋のクラスに入る事はなかった為か、廊下は懐かしく感じるも、妙に新鮮な気持ちがしている。
恋は荷物を手にすると苦笑を浮かべた。
「牧さん、今私服ですしね。あ、バスケ部に顔は出さなくていいんですか?」
「あぁ、今日はいいんだ」
「そうですか」
「ただ、少しだけ校内を歩いてもいいか?」
「え?あ、はい、大丈夫ですよ!」
牧の提案に、恋は即答で答えると二人で校内をゆっくりと歩いた。
他愛もない会話が時折出る。
恋がそれに答えると、牧もそれに続く様に言葉を発する。
その時間は、いつになく穏やかだ。
そして、二人は調理室前までやって来ると立ち止まった。
そこは、初めて校内で会話をした場所でもあり、辺りにある桜の木は、入学式での出会いも自然と思い起こさせる。
穏やかな風が吹く中、牧は恋に振り返った。
「如月」
「はい」
「一つ聞きたいんだが」
「何ですか?」
「バレンタインデーに貰ったお菓子は、義理か?」
「えっ?」
「何も言わずに渡しただろう。だから義理かとも思ったんだが、俺の願望が邪魔をしてな…だから返しが選べなかったんだ。それで、聞いてから返そうと思ってな」
「あの…」
恋が明らかに戸惑った声音を出すと、牧は口元を緩め恋を真っ直ぐに見た。
「あぁ、まどろっこしいな。すまない。如月、俺はお前が好きだ。だから、あれが本命であればいいと思っている」
「え…?」
「如月の気持ちが知りたいんだ」
唐突に降り注いだ牧の本心に、恋の頭は追いつかなくなる。
牧は、彼女を作らないのではなかったのだろうか。
だから、恋はその想いの行方を見失ったのではなかったか。
牧の言動に一喜一憂し、想いだけが止める間も無く膨れ上がった日々。
それが、こんな形で実るとは思ってもいなかった。
次第に心音は勝手に早くなり、恋は想いの丈を絞り出す。
「あの…」
「ん?」
「私も…牧さんが好きです」
「…なら、あれは本命と思ってもいいだろうか?」
「あ、当たり前ですっ」
「そうか」
刹那、牧は嬉しそうな色を滲ませて顔をくしゃっと綻ばせた。
どこか幼さが見えた笑顔に、恋の心臓は高鳴る。
恋がその笑顔は反則だろうと俯くと、牧は一歩恋に近付いた。
「如月、触れてもいいか?」
「えっ?」
「前に、嫌だと言っただろう?」
それは、清田との会話で恋が牧を別の意味で強く意識した日。
恋は、覚束ない言葉を紡ぎ出す。
「あ、あれは、牧さんが、嫌だからじゃなくて…」
「じゃあ、触れてもいいんだな」
牧はそう言うと、返事も待たずに恋をギュッと抱き寄せた。
拘束され伝わる体温に、恋は身動き一つ出来ないが、その心は穏やかだ。
牧は、心の底から絞り出す様に声を出す。
「やっと触れられた」
「え?」
「他の奴が、お前に触れるのが我慢ならなかった。だが、俺は嫌と言われた手前、触れる事すら叶わない。だから、周りの男に嫉妬していたんだ、ずっと」
「っ、私は、ずっと牧さんが好きでしたよ」
「そうか。ありがとう、恋」
不意に牧が下の名を呼び、恋の頬は一気に紅潮した。
耳慣れない呼び声に羞恥心が掻き立てられると、まだ牧の胸の中にいる事で、今の表情を見られてはいないだろうと、恋は一人胸を撫で下ろす。
だが、それも束の間の事で、反応のない恋を不審に思い牧の腕の力が緩むと、体が離れる気配がした。
瞬間、恋は自分から牧の背に手を回し、ギュッと抱き着いた。
「恋?」
再び呼ばれた恋は、さらにギュッと牧の服を掴んだ。
牧は不思議そうに見下ろしていたが、恋の耳が微かに見え小さく笑った。
「恋」
牧は恋の耳を触る。
くすぐったさに恋が身を竦めると、牧はグイッと恋の顎を持ち上へ向かせた。
途端、開けた恋の視界に牧が入り込んだ。
「フッ、耳まで真っ赤だぞ」
「だって、急に呼ぶからですっ」
「これからは、そう呼ぶつもりだが?」
「っ!」
「あぁ、そういうのは狡いな」
「え?」
牧は、微かにかがむと恋の唇に口付けた。
目を見開く恋に、牧は唇を離して鼻先が触れ合う距離を保つ。
間近で視線が交わる。
「恋」
「っ!」
「…マズいな、止められなくなりそうだ」
牧は、そのまま恋の唇を塞ぐと、徐々に口付けを深くした。
恋は、必死でぼうっとしそうになる感覚を掴みながらそれに応えている。
息が乱れ何度となく交わった舌を離すと、牧は恋の顔を凝視した。
「はぁ…困ったな。離したくなくなってしまった」
恋は、トロンとした瞳で牧を見上げていた。
牧は、先日のネクタイを結んだ時の事が蘇り、何とも言えない気持ちになる。
あの時、恋を掴まえ独り占め出来た気がして、手放し難くなりそうだった。
だからこそ、すぐに外してネクタイを渡したのだが、今更ながらに意外と理性が効かない人間なのだと知った。
その時、一陣の風が吹くと桜の花弁が恋の頭に乗り、それは、入学式での出会いを思い起こさせ、牧は苦笑して花弁を手に取る。
恋の掌にその花弁を乗せると、同じく入学式での事を思い出した恋が牧を見つめた。
「その、目で訴えるのはやめてくれないか?」
「えっ?」
「この後、返しを一緒に買いに行こうと思っていたが、そんな事どうでもよくなってしまった」
「あの…んぅっ!」
またも、簡単に恋の唇は塞がれてしまった。
抵抗のない事がそれを受け入れている証に感じられ、牧はその後も、何度も口付けを恋に落とし続ける。
それは、長かった二人の距離を縮める為の行為のように熱が帯びていく。
空には鮮やかな夕日が今なお沈んでいる最中で、二人はまるで絵に描いたように愛を確認しあっている。
二人の想いは、もう無理に止まる事はなかった。
凛とした三年生を送り出す式は、緊張とどこか心弾む雰囲気を体育館内に漂わせている。
恋の座る位置から牧の姿は見えない。
恋は、卒業という別れに一人寂寞の思いを胸に秘めながら、これで牧とは会う事もなくなるのだろうかと、歳の差がまざまざと感じられた瞬間でもあった。
たった一年で、恋の中の牧への想いは十分なほど膨れ上がり、それは行き場なく燻っている。
気付けば、恋が物思いに耽っている間に式は終わり、卒業生が退場となっていた。
恋が、遅ればせながら拍手をし通路に目を向けていると牧の姿を見つけ、同時に牧の視線が恋を捕らえたが、二人の視線は一瞬だけ交わり、すぐにそれは離れた。
三年生が皆退場すると、片付けの為に残された二年生を他所に、一年生は教室へ向かう。
廊下を歩いていると、隣を歩いていた清田が口を開いた。
「あー、牧さん達とはこれで最後かぁ…」
その声はどこか暗く、別れを惜しんでいるのが手に取る様に分かった。
「寂しくなるね」
「まぁなー。仕方ねぇんだけど、もう少し一緒にプレーしたかったぜ。あ、そうだ、予定なかったら後で体育館来いよ」
「どうして?」
「三年対一、二年で最後の試合するから!」
「えっ、行きたい!」
「おう、応援頼むぜ!昼飯食ったら体育館な!」
「うん」
ニカっと笑う清田に、恋もつられて笑みを返す。
最後にもう一度牧のプレーが観れるのかと思うと、恋の心は踊った。
昼食を早々に済ませると、恋は那岐と共に調理室に向かった。
昼食の誘いに来た那岐と行動を共にしていると、唐突に卒業祝いのプレゼントとしてお菓子をあげようと言い出したのだ。
急な提案に恋は驚くも、那岐はやる気満々で手早く用意をしていく。
恋は苦笑しながらも、それを手伝い始めた。
調理時間も短い事から作る物は焼き菓子にし、二人で手早く作り上げる。
卒業生分だけとし数も抑えた為、時間はギリギリになりつつもラッピングまで終えると、二人は急いで体育館へ向かった。
丁度試合が始まったのか、ドリブルの音とバッシュの擦れる音が鳴り響いている。
恋は、目の前の光景を少しだけ懐かしい気持ちになりつつも見守っていた。
それは、恋が初めて牧に目を奪われた瞬間が蘇るようだった。
恋には、牧の瞳が妙に印象深く記憶から消せないでいる。
けれど、今はそれだけではない。
第一印象は、恩人。
第二印象は、獣みたいな目をする人。
それが、次第に他愛もない会話をする事も、ふとした仕草も、声も、笑顔も、困った顔も、優しさも、全てが好きだと思えて記憶の中に刻まれている。
けれど、怒った冷たい顔だけはどうしても好きにはなれない。
恋が発端であるあの顔は、恋の中に暗い影を落とし続けていた。
「あー、やっぱカッコいいねぇ」
那岐の声にハッとした恋は、視線を那岐に移す。
「何で一生懸命に打ち込んでる人って、こんなにカッコいいんだろうね。目が離せなくなるから、ズルイよね」
「えっ?」
恋が目を見張ると、那岐はただ笑みを向けた。
それから試合は進み、三年生が勝利して終わると、卒業のプレゼントが神と清田の手からそれぞれに渡された。
それは小さな花束と寄せ書きだった。
その寄せ書きには恋と那岐もこっそり書き込んでいた。
ついでにと、恋達が作ったばかりのお菓子を手渡していき、寂しくも和やかな時間が辺りを包んでいる。
それから、神と那岐も駅まで三年生を送る為に自転車を押して皆で一緒に歩いていた。
「皆、ボタンとか残ってるもんなんすねー」
「ん?」
「第二ボタンって、定番じゃないっすか?」
清田が三年生の制服を見つめながら言うので、牧は不思議そうに視線を送る。
清田はどこか不満そうで、何か憧れのような物でもあるのだろう。
神は苦笑しながら言葉を繋いだ。
「ブレザーはそうでもないんじゃない?」
「確かに!ブレザーならネクタイとかは嬉しいよねー」
「那岐もネクタイが欲しいタイプ?」
「かなぁ。あ、それかジャージとかね!」
那岐が考え答えた言葉に、神は驚きを隠せなかった。
その場にいた男子陣も同じ気持ちである。
「えぇ?いる?」
「飾るもよし着るもよし!良くない!?ねぇ!?」
「えっ!?あ、えっと…」
那岐が話題を振り、恋は言葉に詰まった。
定番のイベントも、ブレザーならばネクタイになるのかと他人事の様に聞いていると、ジャージと言う単語が出てきて恋も男子陣と同じ気持ちを抱いたのだ。
那岐は誰からも同意を得られず、苦笑を浮かべていた。
「まぁ、何にしても身につけてた物だと嬉しいよね。そういうのを欲しがるって事は好きだからだし、好きな人の物なら何でも嬉しいけどさ」
恋は、ぼんやりとその話を聞いている。
牧はそんな恋を見つめていたが、それに恋は気付かない。
恋は、ぼんやり歩いていて危なかっしく牧は声をかけた。
「如月」
「へっ?あ、はい」
「ぼんやり歩くと危ないぞ」
「あ、はい、すみません」
恋はそれでもどこかぼんやりしていて、牧は少し不審に思う。
前方では神達が会話を弾ませながら歩き、恋と牧の歩く速度と合わずに距離が出来ていた。
「どうかしたのか?」
「…牧さん」
「ん?」
「あの、お願いがあります」
「何だ?」
「ネクタイ下さい!」
恋が深々とお辞儀をしてそんな事を口走るものだから、牧は反応出来ずに少し固まった。
恋は、那岐が言ってからずっと考えていたのだ。
好きな人の物ならば何でも嬉しいのは当然で、それでも欲を言うならばそれが欲しいと恋は思った。
これで、会う機会はきっとなくなると恋は思う。
そう思えば思い出が欲しくなるのも当然で、恋は考えがまとまるよりも先に言葉が付いて出ていた。
恋が視線を上げ牧を見つめると、牧は言葉を失った。
その真っ直ぐな視線は恋焦がれていた物で、久しぶりにちゃんと交わった気がする。
「なら…外してみるといい」
「えっ?」
言って、牧はハッとした表情を浮かべた。
そして、取り消そうと言葉を紡ごうとしたが、それよりも先に恋の手は牧の首元へ伸びた。
「失礼しますっ」
恋は、緊張した面持ちでネクタイに指をかけるとスルリと外してしまう。
牧は、呆気に取られ身動き一つ取れなかった。
恋は無言でそれを外して手にすると、一息ついて嬉しそうに顔を綻ばせた。
頬を染めつつも手元を見つめ嬉しそうな表情に、牧は何とも言えない気持ちに満たされる。
複雑そうな表情を浮かべる牧に気付いたのか、恋はキョトンとして見つめた。
「牧さん?」
呼ばれて、牧は考えるよりも先に恋の手元のネクタイを奪い返すと、それを恋の首元へと手早く結んだ。
今度は恋が唖然とする。
牧はそんな恋の姿を見て微かに眉間に皺を寄せると、結んだばかりのネクタイを外し恋の手元に戻した。
恋は一連の流れが理解出来ずに牧を見つめるが、牧は自嘲した様な笑みを浮かべた。
「すまない。これは…駄目だな」
そう言うと、牧はスタスタと歩き出す。
恋は、手元に戻ってきたネクタイをギュッと握りそれについて行くしかない。
それぞれの思いを胸に、二人は頬を染め互いの顔を見る事が出来ないでいる。
その後、無言のまま歩き続けると、立ち止まり待っていた部員達がいた。
「あ、牧さん達やっと来た!」
「遅いっすよー。どうかしたんすか?」
「いや、何でもない」
「そっすか?じゃあ…これで、最後っすね。今までありがとうございました!」
「ありがとうございました。また、部活に顔出して下さいね」
「あぁ、お前達も元気で過ごせよ」
「うっす!」
笑みを向ける部員達と牧達が別れると、神は共に見送っていた那岐を見た。
那岐は、何故か嬉しそうな顔をしていて不審に思う。
「ねぇ、神」
「ん?」
「牧さん、ネクタイなかったね」
そう、気付いた者は他にもいたのかいなかったのか、誰も口にはしなかったが、別れた際の牧はネクタイがなくなっていた。
恋と遅れて来た事もあり、行方はごく簡単に導き出せるが、神は少しだけ複雑な思いを抱く。
「…うん」
「恋ちゃん、勇気出せたのかな」
その言葉に、神は目を見張った。
その言葉が意味する事は一つしかないだろう。
「…那岐って、いつから如月さんの気持ちに気付いてたの?」
「ん?最近だよ。何か二人があんまり話さなくなったなと思ってから」
「そう」
「二人はお似合いだと思うんだけどなー」
「そうだね」
那岐が嬉しそうにそんな事を言うからか、神も自然と笑みが浮かんだ。
無闇に反感が湧き起こる事もない。
それは、二人の中で恋達への思いが昇華された事に繋がるのだろう。
二人は暫く姿の見えなくなった改札を見つめていたが、やがて、自転車に乗り駅を後にした。
***
三年生も卒業し、暖かくなってきたからか桜がいくつも花開き始めたホワイトデー、恋が掃除を終え放課後の廊下を歩いていると、清田に呼び止められた。
「如月」
「ん?」
「校門の所、牧さんいたぜ」
「えっ!?」
「行ってみろよ、会うの久々だろ」
「う、うん」
恋は、ぎこちなく別れたあの日から牧とは会っていない。
どうやって別れたかも、どのような言葉を交わしたかも記憶は曖昧だ。
その名を聞いただけで動揺するほどに、緊張した面持ちで恋は校門へ駆け出した。
会える喜びか走ったからか、妙に息切れを起こして速度を緩めると、校門前には小さな人集りが出来ていた。
その中心にいた人物が、恋の姿に気付き声をかける。
「あ、如月」
「えっ!?藤真さん?」
「牧も一緒」
藤真が笑みを向けると、その横には牧の姿もちゃんとある。
恋はその姿を見ただけでホッとしつつも、二人に近付く。
藤真は人集りを器用に解散させると、恋に視線を移した。
「あの、お二人で何を…」
「俺は、これ渡しに来た」
藤真は、手にしていた小さな紙袋を恋に差し出した。
恋は自然とそれを受け取る。
「お菓子とおまけ」
「おまけ…?あ、可愛い」
恋が紙袋の中を覗くと、小さな瓶に入ったお菓子と可愛らしいポーチが入っていた。
恋は、以前言われていたリクエストなどしていなかったが、藤真のスマートな返しに驚きつつ申し訳ない気持ちも起きる。
けれども、素直に嬉しいと思え口元は緩み、藤真はそんな恋を見て、満足気に笑みを浮かべている。
「だろ」
「ありがとうございます」
「おう。じゃ、俺はこれ渡しに来ただけだから帰るな。牧、また飯行こうぜ」
「あぁ」
藤真の用事は本当にこれだけだった様で、あっさりと去って行った。
二人でそれを見送ると、恋は牧に疑問を投げかける。
何故、牧と藤真が共に行動していたのかが気になったのだ。
「ご飯、行ったんですか?」
「あぁ、ここに来る前にちょっとな」
「そうですか」
それ以上、恋の言葉が続かずにいると、牧は少しだけ迷ってから言葉を発した。
「如月、この後時間はあるか?」
「はい?大丈夫ですけど…」
恋の返事に、牧は微かに安堵した表情を浮かべた。
そこで、恋は荷物を持たずに校門まで来てしまった事に気付き、牧と共に教室へ向かった。
「ついこの間まで当たり前の様に通っていたのに、何だか懐かしく感じるな」
恋が教室へ入ると、牧は少しだけ居心地悪そうに辺りを見ていた。
恋のクラスに入る事はなかった為か、廊下は懐かしく感じるも、妙に新鮮な気持ちがしている。
恋は荷物を手にすると苦笑を浮かべた。
「牧さん、今私服ですしね。あ、バスケ部に顔は出さなくていいんですか?」
「あぁ、今日はいいんだ」
「そうですか」
「ただ、少しだけ校内を歩いてもいいか?」
「え?あ、はい、大丈夫ですよ!」
牧の提案に、恋は即答で答えると二人で校内をゆっくりと歩いた。
他愛もない会話が時折出る。
恋がそれに答えると、牧もそれに続く様に言葉を発する。
その時間は、いつになく穏やかだ。
そして、二人は調理室前までやって来ると立ち止まった。
そこは、初めて校内で会話をした場所でもあり、辺りにある桜の木は、入学式での出会いも自然と思い起こさせる。
穏やかな風が吹く中、牧は恋に振り返った。
「如月」
「はい」
「一つ聞きたいんだが」
「何ですか?」
「バレンタインデーに貰ったお菓子は、義理か?」
「えっ?」
「何も言わずに渡しただろう。だから義理かとも思ったんだが、俺の願望が邪魔をしてな…だから返しが選べなかったんだ。それで、聞いてから返そうと思ってな」
「あの…」
恋が明らかに戸惑った声音を出すと、牧は口元を緩め恋を真っ直ぐに見た。
「あぁ、まどろっこしいな。すまない。如月、俺はお前が好きだ。だから、あれが本命であればいいと思っている」
「え…?」
「如月の気持ちが知りたいんだ」
唐突に降り注いだ牧の本心に、恋の頭は追いつかなくなる。
牧は、彼女を作らないのではなかったのだろうか。
だから、恋はその想いの行方を見失ったのではなかったか。
牧の言動に一喜一憂し、想いだけが止める間も無く膨れ上がった日々。
それが、こんな形で実るとは思ってもいなかった。
次第に心音は勝手に早くなり、恋は想いの丈を絞り出す。
「あの…」
「ん?」
「私も…牧さんが好きです」
「…なら、あれは本命と思ってもいいだろうか?」
「あ、当たり前ですっ」
「そうか」
刹那、牧は嬉しそうな色を滲ませて顔をくしゃっと綻ばせた。
どこか幼さが見えた笑顔に、恋の心臓は高鳴る。
恋がその笑顔は反則だろうと俯くと、牧は一歩恋に近付いた。
「如月、触れてもいいか?」
「えっ?」
「前に、嫌だと言っただろう?」
それは、清田との会話で恋が牧を別の意味で強く意識した日。
恋は、覚束ない言葉を紡ぎ出す。
「あ、あれは、牧さんが、嫌だからじゃなくて…」
「じゃあ、触れてもいいんだな」
牧はそう言うと、返事も待たずに恋をギュッと抱き寄せた。
拘束され伝わる体温に、恋は身動き一つ出来ないが、その心は穏やかだ。
牧は、心の底から絞り出す様に声を出す。
「やっと触れられた」
「え?」
「他の奴が、お前に触れるのが我慢ならなかった。だが、俺は嫌と言われた手前、触れる事すら叶わない。だから、周りの男に嫉妬していたんだ、ずっと」
「っ、私は、ずっと牧さんが好きでしたよ」
「そうか。ありがとう、恋」
不意に牧が下の名を呼び、恋の頬は一気に紅潮した。
耳慣れない呼び声に羞恥心が掻き立てられると、まだ牧の胸の中にいる事で、今の表情を見られてはいないだろうと、恋は一人胸を撫で下ろす。
だが、それも束の間の事で、反応のない恋を不審に思い牧の腕の力が緩むと、体が離れる気配がした。
瞬間、恋は自分から牧の背に手を回し、ギュッと抱き着いた。
「恋?」
再び呼ばれた恋は、さらにギュッと牧の服を掴んだ。
牧は不思議そうに見下ろしていたが、恋の耳が微かに見え小さく笑った。
「恋」
牧は恋の耳を触る。
くすぐったさに恋が身を竦めると、牧はグイッと恋の顎を持ち上へ向かせた。
途端、開けた恋の視界に牧が入り込んだ。
「フッ、耳まで真っ赤だぞ」
「だって、急に呼ぶからですっ」
「これからは、そう呼ぶつもりだが?」
「っ!」
「あぁ、そういうのは狡いな」
「え?」
牧は、微かにかがむと恋の唇に口付けた。
目を見開く恋に、牧は唇を離して鼻先が触れ合う距離を保つ。
間近で視線が交わる。
「恋」
「っ!」
「…マズいな、止められなくなりそうだ」
牧は、そのまま恋の唇を塞ぐと、徐々に口付けを深くした。
恋は、必死でぼうっとしそうになる感覚を掴みながらそれに応えている。
息が乱れ何度となく交わった舌を離すと、牧は恋の顔を凝視した。
「はぁ…困ったな。離したくなくなってしまった」
恋は、トロンとした瞳で牧を見上げていた。
牧は、先日のネクタイを結んだ時の事が蘇り、何とも言えない気持ちになる。
あの時、恋を掴まえ独り占め出来た気がして、手放し難くなりそうだった。
だからこそ、すぐに外してネクタイを渡したのだが、今更ながらに意外と理性が効かない人間なのだと知った。
その時、一陣の風が吹くと桜の花弁が恋の頭に乗り、それは、入学式での出会いを思い起こさせ、牧は苦笑して花弁を手に取る。
恋の掌にその花弁を乗せると、同じく入学式での事を思い出した恋が牧を見つめた。
「その、目で訴えるのはやめてくれないか?」
「えっ?」
「この後、返しを一緒に買いに行こうと思っていたが、そんな事どうでもよくなってしまった」
「あの…んぅっ!」
またも、簡単に恋の唇は塞がれてしまった。
抵抗のない事がそれを受け入れている証に感じられ、牧はその後も、何度も口付けを恋に落とし続ける。
それは、長かった二人の距離を縮める為の行為のように熱が帯びていく。
空には鮮やかな夕日が今なお沈んでいる最中で、二人はまるで絵に描いたように愛を確認しあっている。
二人の想いは、もう無理に止まる事はなかった。
Fin