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あの日から、恋と牧の関係は日に日に距離が露わになっていた。
牧が部活を引退した事で、差し入れに行っても会う事はなく、校内でも三年生は自由登校となり、遭遇する機会は極端に減ったのだ。
好意を寄せる相手に会えないのは寂しくも感じるが、同時に恋は安堵もしている。
あの時を思い返していくつか想像もしてみたが、明確な原因はやはり導き出せない。
悩んでいく内に、恋自身の全ての言動が原因にも感じられ、会っても上手くやり過ごせる気はせず、まして、更に火に油を注ぐ事態だけはどうしても避けたかった。
あの牧の反感を買ったという事は、大変な事をしでかしたのだと恋には後悔しかなく、何が原因となるかが分からない今は迂闊に近づく事が出来ないでいる。
しかし、会えなければ会えないで想いだけは募るばかりだ。
今も、差し入れに来た体育館で、無意識の内にいるはずのない姿を探している。
ぼんやりとしている恋に、一緒に差し入れに訪れた那岐が話しかけて来た。
「恋ちゃんは誰かにあげるの?」
「え?」
「バレンタイン」
「あ…そうですね。友達にはあげます」
唐突な話題に恋は驚いていたが、世間はバレンタインムード一色で賑わっているのだ。
恋は、このイベントには長らく縁がなかったが、今年は友人も出来た事で互いにあげる約束をしていた。
恋の反応はごく当たり前の反応だったのだが、那岐は少し驚いた顔をしている。
「え?男の子は?」
「那岐さんは、あげるんですか?」
「質問に答えてないよー?まぁ、いいけど。私はあげるよ、一応」
恋が質問を質問で返すと、那岐は少し不満そうにしたが、すぐに答えた。
恋はその言葉を聞くと、ふとある顔が思い浮かんで、それは自然と口をついて出た。
「牧さんですか?」
「えっ!?何で?」
那岐が目を丸くするのに対し、恋は少し言葉を探す。
那岐が、以前牧を好きだと認識していたから出た言葉だったのだが、今の関係性を考え恋は少し慌てる。
余計な一言だったと後悔し、言葉が続かない恋に、那岐は苦笑すると口を開いた。
「いや、まぁ義理はあげるよ、一応ね!バスケ部には皆、あげようかなとも思ってるよ。神がお世話になってるし!」
「神さんですか?」
「そそ。幼馴染みだし、私達」
那岐のどこか照れたような、茶化すような口調に恋は首を傾げた。
那岐は、妙に明るい声を出す。
「まぁ、私の事はいいじゃん!恋ちゃんは、信長とか?」
那岐は、恋と清田がクラスメイトでもあり仲も良さげに見えたので、義理くらいはあげるのだろうと漠然と思っていた。
しかし、恋の次の言葉に驚愕する。
「え、清田くんですか?彼女いるし、いいかなって思ってたんですけど…」
「えっ!?何、信長って彼女いるの!?」
「えっ?はい、そう言ってましたよ?」
「何それ、聞いてなーい!信長ー!」
那岐は、友人達と談笑しながら休憩していた清田の元へ突進していく。
呼ばれた清田が振り返ると、那岐はそのまま激突した。
「那岐さん?なんす…グエッ!」
清田は踏まれた様な声を出すと、そのまま那岐の質問責めにあった。
清田は、恋が視界に入り抗議の目を向けるが、恋はゴメンと手を合わせるだけで、那岐からの質問は逃れようがなかった。
清田がしかたなく質問に答えていくと、次第に表情は緩んでいき、それを恋は遠くから不思議そうに眺めていた。
「ねぇ、如月さん」
「はい?」
恋が呼ばれて振り返ると、いつの間にか背後にいた神が、清田と那岐を見ながら尋ねた。
「信長、何があったか知ってる?」
「いえ…」
それは、清田の表情を見て出た疑問なのだろう。
ただ答えているにしては、妙に清田の表情が緩んでいるのだ。
神は、清田の表情に気味悪がり始めている那岐を助けるかの様に声をかけた。
「そっか。信長っ!」
「なんすか!?」
清田は、ニマニマと緩み切った顔で神の元へ駆け寄って来る。
那岐は、眉間に皺を寄せながら清田を見送り、興味がなくなったのか他の部員とすでに会話を始めていた。
「気持ち悪いよ、その顔。何かいい事あった?」
「そうなんすよ!聞いて下さ…いや、やっぱいいっす!」
「ふーん?」
ムフフと笑う清田に神は怪訝そうにするが、根掘り葉掘り聞きたいとも思わなかった。
口元の緩み切った清田はハッとすると、唐突に恋に向き直る。
「あ、如月!」
「ん?」
「あれ、出来たからな!」
「あれ?」
恋が言葉の意味を理解出来ずにいると、清田は恋の耳元へ顔を寄せボソリと呟いた。
「キス!」
「なっ!?」
理解した瞬間、恋は慌てた様子で清田を見るが、ニンマリとした笑みが返されただけだった。
「やっぱ、お前の言う通り本人に聞いたら早かった!サンキューな!」
「う、うん」
清田はそれだけ言うと部員達の元へ駆けて行く。
恋は、そんな報告を聞いた所でどうしたものかと反応に困っていた。
「如月さん?」
「は、はいっ!?」
「はは、何慌ててるの?」
「す、すみません」
神は笑って、二人が話している間に他の部員から受け取った差し入れの容器を、恋に手渡した。
「そうだ、牧さんに挨拶した?」
「えっ!?」
「今日、参加してくれてるんだ。さっき監督と倉庫の方に行ったんだけど」
「そ、そうだったんですか」
「あ、ほら、牧さん戻って来た」
神が倉庫の方を指差すと、丁度高頭と話しながら出て来た牧がいた。
焦がれていた姿に恋の体温は上昇するが、言葉をかけるのは躊躇してしまう。
そんな恋を、神は意外そうに見た。
「どうかした?」
「いえ!あの、私先に戻るって那岐さんに伝えてください!」
「えっ?」
恋は、ペコリと頭を下げると勢い良く駆け出し、姿はすぐに見えなくなった。
呆気に取られていた神は、牧に話しかけていた那岐の元へ歩き出す。
「那岐」
「何?」
「如月さん、先に戻るって行っちゃったよ」
「えっ!?何で!?」
目をパチクリさせている那岐の反応はもっともで、恋にしては珍しい言動だったと神も思う。
神は、チラリと隣にいた牧に視線を送った。
「分からないけど…。牧さん、如月さんと何かありました?」
「何故、俺に聞くんだ?」
「牧さんの名前出したら、慌てて行っちゃったので」
「…そうか」
牧は、問いの答えにはならない返事を素っ気なくしてその場を離れた。
那岐は、息を飲むと神に尋ねる。
「何か、今の牧さん怖くなかった?」
「そう?気のせいじゃない?」
「そうかなぁ?あっ、じゃあ、私も戻るね!」
「うん」
那岐は笑みを浮かべ、残りの容器を手に体育館を後にした。
神は牧を見つめるが、すでに普段と変わらない態度に見える。
少し気にはなったが、神は頭を切り替え集合の声をかけた。
ついに来たバレンタイン当日、恋は学校の最寄り駅へと急いでいた。
約束を取り付けた人物がいるのだ。
駅に着きキョロキョロと辺りを見渡すと、その姿に気付いた人物が声をかけて来た。
「如月」
「あ、藤真さん。こんにちは」
「あぁ」
笑みを向ける藤真に恋も笑みを返すと、ふとその手元が目に入った。
藤真は大きな紙袋を二つ手にしていたのだ。
「それ、何ですか?」
「ん?チョコ。食べるか?」
藤真はあっけらかんと答えるが、恋はその量に驚きを隠せなかった。
「え、もしかしてバレンタインデーの…?」
「あぁ」
「え…凄いですね」
「まぁ、毎年の事だしな。牧もわりと貰うんじゃないのか?」
藤真が出した言葉に、恋は紙袋を持つ手に自然と力が入った。
今、恋は二つの紙袋を手にしている。
一つは藤真に渡す為の物だったが、もう一つは今日一日渡せずにいた牧宛の物だった。
三年生は今日、週に一度の登校日で学校に来ていたが、恋は牧の元へ行く勇気が出ないでいた。
直前になると、どんな顔をして渡せば良いのかが分からず、時間だけは過ぎ、今に至っている。
「え、どうなんでしょう…?あ、そんなに貰ってるなら、私が渡したら迷惑ですよね」
「俺に?何で?」
「文化祭での写真貰ったのと、この間遊んだ時、チケット代出してもらったので。そのお礼です」
「別に、チケットは牧と半々だし気にしなくて良いのに。でもまぁ、くれるって言うならありがたく貰うぞ。サンキュ」
藤真は、ニッと男らしく笑うと紙袋を受け取った。
ガサガサと持ち直す紙袋を恋が見つめていると、藤真が声を発した。
「あ、今思い出した。確か前に、義理は貰うって言ってたぞ」
藤真の言葉に、キョトンとする恋を見て、藤真は呆れた顔をする。
「牧も、数貰ってるだろって話」
「あっ、はい。そうなんですね」
「あぁ。本命は貰わないんだと」
その言葉に引っ掛かりを覚えた恋は、思わず聞き返してしまう。
「どうしてですか?」
「付き合うつもりがないからじゃないか?期待持たせても可哀想だろ。その辺、変に真面目だしな、あいつ」
「そう…なんですか」
牧が以前から言っている、恋人を作らない理由がそうさせているのだろうかと思うも、恋は何故かモヤモヤとした。
今手にしている本命は、どうすれば良いのかと迷いも生じ、義理として渡せば受け取って貰えるのだろうかと考えるが、それは嫌だとも思ってしまう。
言葉を発しない恋を他所に、藤真は視線を移すとニッと笑った。
「けど、義理って言っても本命が混じってるかも知れないよな。それは考えてないのか、牧」
「え?」
視線を上げた恋の視界に牧が入った。
その状況に、恋は反応も出来ずに固まってしまうが、牧は眉間に皺を寄せている。
「何の話だ」
「この間飯行った時に、バレンタインのチョコ、本命は貰わないって言ってただろ。だから、義理の中に本命あったらどうするんだよ?」
「どうもしない」
「見て見ぬ振りか?」
「義理だとわざわざ言うという事は、内心どうであろうと義理として貰うし、返しも皆平等に義理の物だ」
キッパリと言い切る牧に、藤真は少しだけ驚きつつも、どこか牧らしいとも思った。
そうでもしないと、情が湧いてしまい線引きが難しくなるのだろう。
牧は、基本気遣いの出来る優しい男だと藤真は思っているので、それには理解を示すが、返しが律儀だと呆れた。
「わざわざ全部返してるのか?」
「藤真は返さないのか?」
「いや、流石に数多すぎて無理。そもそも、他校だったり名前すらないやつもあるのに、把握できない。だから、俺は基本返さない」
「あぁ、そういうのが一番困るな。俺はお前ほど数は貰わないから出来る事なんだろう」
「俺は返すとしても、女友達とか知ってる奴だけだな。あ、だから如月には返すぞ。何か欲しい物あったら言えよ」
不意に話題を振られ、恋は言葉に詰まった。
元々、返しなど期待しておらず、単なる礼の気持ちしかないのだから、逆に気を遣わせてしまう事に焦りを覚える。
「え?いえ、別に良いですよ」
「は?何で?お前俺の友達だろ?」
「えっ!?いつからそんな事に…」
「はぁ?違うのか?」
恋が戸惑っていると、藤真は語気を強めた。
恋は、そんな藤真に少しだけうろたえる。
「えっ、何でちょっと怒ってるんですか」
「友達じゃないって言われて、傷付かない奴いないだろ」
「友達じゃないとは言ってません!私なんかが友達でいいのかなと思っただけです。年下だし」
「友達に年齢なんて関係ないだろ。私なんかとか言うなら、鼻つまむぞ」
「いたっ!もうつまんでますっ」
藤真が恋の鼻を摘み、それに恋は抗議するが、傍からみればジャレ合っている様にしか見えない。
そう感じた牧はボソリと呟いた。
「仲が良いな」
「あ?お前らも仲良いだろ」
藤真は、ピッと恋を摘んでいた指を離すと、牧を呆れた顔で見た。
何を言い出すのかと言いたげだ。
恋は鼻を押さえながら、牧をチラリと盗み見る。
それに何と答えるのだろうと、気になって仕方がないのだ。
牧は小さく唸ると言葉を発した。
「そうか?特に二人は仲良く見えるが…」
「あぁ、隣の芝生は何とやらだな。だいたい顔つきが違…さてと、俺はそろそろ帰る。如月、これ、ありがとう。牧、また飯行こうぜ。じゃあな」
「あぁ」
「はい、さようなら」
藤真は軽く手を振ると用事があるのか、駅構内から出て行った。
恋と牧の間には暫く沈黙が流れていたが、乗るのは同じ電車である為にどちらからともなく歩き出し、改札を抜けた。
程なくしてやって来た電車に乗り込むと、牧が不意に口を開いた。
「藤真に、チョコはあげたのか」
「え?はい、あげました。この間のお礼で…」
「そうか」
「はい」
恋がそう答えると、またも沈黙が流れた。
恋には若干の居心地の悪さがあるものの、今頭の中はそれどころではなかった。
どうやって牧にチョコを渡すべきかを考えているのだ。
そもそも、いっそ告白してしまえば早いのかもしれないとも思い始めている。
けれど、恋には、やはりあと一歩の勇気が出ず、たまらず他愛もない話題を振った。
「あの、凄いタイミングですよね。急に牧さんが来たからビックリしました」
「あぁ、藤真に呼び出されたからな」
「え?」
「あぁ、いや、何でもない」
「そうですか…?あの、牧さんは今日いっぱいチョコ貰いましたか?」
「…いっぱいという程ではないが。義理はいくつか貰ったな」
「そうですか」
恋の声のトーンは明らかに下がっていた。
牧が誰かから貰うであろう事は想定していたのだが、恋はそれが妙にショックだと感じている。
牧はそんな恋を訝しむ様に見た。
「何だ?」
「い、いえっ」
恋は、牧が他の誰かから貰った事が嫌だと感じている。
けれど、それは恋のエゴであり、彼女でもない恋が口を出せる事ではないのだ。
牧はそれきり言葉を続けない恋に対し、小さくため息を吐くと荷物を抱え直し、電車が停車するのを待った。
「では、またな」
「えっ!?」
その言葉に恋が顔を上げると、すでに降車駅へと停車しており、牧の背を見送る事となった。
恋は、考えるよりも先に、その背に声をかけた。
「ま、待って下さい!」
「ん?」
牧が振り返ると恋がホームに降り、牧へと紙袋を差し出した。
ドアが閉まる音がホームに響く中、恋の声は聞き取りづらくなる。
「これ、受け取って下さい!チケット代もありがとうございました!失礼します!」
半ば無理やり渡すように牧の手に紙袋を持たせると、恋はスタッと車内に戻りドアは閉められた。
走り出した電車を見送る事なく、牧はただただ呆気に取られていた。
恋にしては珍しい行動で、何が起こったか理解するのに少し時間がかかる。
一瞬だけ触れた先にある紙袋の中身を、牧はそっと見た。
そこには可愛らしくラッピングされたお菓子が入っており、それがバレンタインデーのチョコなのだろうと推測出来た。
不意に牧の口元は緩むが、それに気付いて牧は小さくため息を吐いていた。
一方、勇気を振り絞った恋は、車内で一人心臓をバクバクさせながら悩んでいた。
渡すだけ渡して、肝心な事も言わず逃げる様な形になってしまったのだ。
無理やり持たせた時に触れた指先は、手を繋いだ時の感触を思い出させた。
たったそれだけの事が、恋にとって気持ちを昂らせ、また触れたいと思わせる。
けれど、今更そんな事は叶わないと恋は思った。
牧が部活を引退した事で、差し入れに行っても会う事はなく、校内でも三年生は自由登校となり、遭遇する機会は極端に減ったのだ。
好意を寄せる相手に会えないのは寂しくも感じるが、同時に恋は安堵もしている。
あの時を思い返していくつか想像もしてみたが、明確な原因はやはり導き出せない。
悩んでいく内に、恋自身の全ての言動が原因にも感じられ、会っても上手くやり過ごせる気はせず、まして、更に火に油を注ぐ事態だけはどうしても避けたかった。
あの牧の反感を買ったという事は、大変な事をしでかしたのだと恋には後悔しかなく、何が原因となるかが分からない今は迂闊に近づく事が出来ないでいる。
しかし、会えなければ会えないで想いだけは募るばかりだ。
今も、差し入れに来た体育館で、無意識の内にいるはずのない姿を探している。
ぼんやりとしている恋に、一緒に差し入れに訪れた那岐が話しかけて来た。
「恋ちゃんは誰かにあげるの?」
「え?」
「バレンタイン」
「あ…そうですね。友達にはあげます」
唐突な話題に恋は驚いていたが、世間はバレンタインムード一色で賑わっているのだ。
恋は、このイベントには長らく縁がなかったが、今年は友人も出来た事で互いにあげる約束をしていた。
恋の反応はごく当たり前の反応だったのだが、那岐は少し驚いた顔をしている。
「え?男の子は?」
「那岐さんは、あげるんですか?」
「質問に答えてないよー?まぁ、いいけど。私はあげるよ、一応」
恋が質問を質問で返すと、那岐は少し不満そうにしたが、すぐに答えた。
恋はその言葉を聞くと、ふとある顔が思い浮かんで、それは自然と口をついて出た。
「牧さんですか?」
「えっ!?何で?」
那岐が目を丸くするのに対し、恋は少し言葉を探す。
那岐が、以前牧を好きだと認識していたから出た言葉だったのだが、今の関係性を考え恋は少し慌てる。
余計な一言だったと後悔し、言葉が続かない恋に、那岐は苦笑すると口を開いた。
「いや、まぁ義理はあげるよ、一応ね!バスケ部には皆、あげようかなとも思ってるよ。神がお世話になってるし!」
「神さんですか?」
「そそ。幼馴染みだし、私達」
那岐のどこか照れたような、茶化すような口調に恋は首を傾げた。
那岐は、妙に明るい声を出す。
「まぁ、私の事はいいじゃん!恋ちゃんは、信長とか?」
那岐は、恋と清田がクラスメイトでもあり仲も良さげに見えたので、義理くらいはあげるのだろうと漠然と思っていた。
しかし、恋の次の言葉に驚愕する。
「え、清田くんですか?彼女いるし、いいかなって思ってたんですけど…」
「えっ!?何、信長って彼女いるの!?」
「えっ?はい、そう言ってましたよ?」
「何それ、聞いてなーい!信長ー!」
那岐は、友人達と談笑しながら休憩していた清田の元へ突進していく。
呼ばれた清田が振り返ると、那岐はそのまま激突した。
「那岐さん?なんす…グエッ!」
清田は踏まれた様な声を出すと、そのまま那岐の質問責めにあった。
清田は、恋が視界に入り抗議の目を向けるが、恋はゴメンと手を合わせるだけで、那岐からの質問は逃れようがなかった。
清田がしかたなく質問に答えていくと、次第に表情は緩んでいき、それを恋は遠くから不思議そうに眺めていた。
「ねぇ、如月さん」
「はい?」
恋が呼ばれて振り返ると、いつの間にか背後にいた神が、清田と那岐を見ながら尋ねた。
「信長、何があったか知ってる?」
「いえ…」
それは、清田の表情を見て出た疑問なのだろう。
ただ答えているにしては、妙に清田の表情が緩んでいるのだ。
神は、清田の表情に気味悪がり始めている那岐を助けるかの様に声をかけた。
「そっか。信長っ!」
「なんすか!?」
清田は、ニマニマと緩み切った顔で神の元へ駆け寄って来る。
那岐は、眉間に皺を寄せながら清田を見送り、興味がなくなったのか他の部員とすでに会話を始めていた。
「気持ち悪いよ、その顔。何かいい事あった?」
「そうなんすよ!聞いて下さ…いや、やっぱいいっす!」
「ふーん?」
ムフフと笑う清田に神は怪訝そうにするが、根掘り葉掘り聞きたいとも思わなかった。
口元の緩み切った清田はハッとすると、唐突に恋に向き直る。
「あ、如月!」
「ん?」
「あれ、出来たからな!」
「あれ?」
恋が言葉の意味を理解出来ずにいると、清田は恋の耳元へ顔を寄せボソリと呟いた。
「キス!」
「なっ!?」
理解した瞬間、恋は慌てた様子で清田を見るが、ニンマリとした笑みが返されただけだった。
「やっぱ、お前の言う通り本人に聞いたら早かった!サンキューな!」
「う、うん」
清田はそれだけ言うと部員達の元へ駆けて行く。
恋は、そんな報告を聞いた所でどうしたものかと反応に困っていた。
「如月さん?」
「は、はいっ!?」
「はは、何慌ててるの?」
「す、すみません」
神は笑って、二人が話している間に他の部員から受け取った差し入れの容器を、恋に手渡した。
「そうだ、牧さんに挨拶した?」
「えっ!?」
「今日、参加してくれてるんだ。さっき監督と倉庫の方に行ったんだけど」
「そ、そうだったんですか」
「あ、ほら、牧さん戻って来た」
神が倉庫の方を指差すと、丁度高頭と話しながら出て来た牧がいた。
焦がれていた姿に恋の体温は上昇するが、言葉をかけるのは躊躇してしまう。
そんな恋を、神は意外そうに見た。
「どうかした?」
「いえ!あの、私先に戻るって那岐さんに伝えてください!」
「えっ?」
恋は、ペコリと頭を下げると勢い良く駆け出し、姿はすぐに見えなくなった。
呆気に取られていた神は、牧に話しかけていた那岐の元へ歩き出す。
「那岐」
「何?」
「如月さん、先に戻るって行っちゃったよ」
「えっ!?何で!?」
目をパチクリさせている那岐の反応はもっともで、恋にしては珍しい言動だったと神も思う。
神は、チラリと隣にいた牧に視線を送った。
「分からないけど…。牧さん、如月さんと何かありました?」
「何故、俺に聞くんだ?」
「牧さんの名前出したら、慌てて行っちゃったので」
「…そうか」
牧は、問いの答えにはならない返事を素っ気なくしてその場を離れた。
那岐は、息を飲むと神に尋ねる。
「何か、今の牧さん怖くなかった?」
「そう?気のせいじゃない?」
「そうかなぁ?あっ、じゃあ、私も戻るね!」
「うん」
那岐は笑みを浮かべ、残りの容器を手に体育館を後にした。
神は牧を見つめるが、すでに普段と変わらない態度に見える。
少し気にはなったが、神は頭を切り替え集合の声をかけた。
***
ついに来たバレンタイン当日、恋は学校の最寄り駅へと急いでいた。
約束を取り付けた人物がいるのだ。
駅に着きキョロキョロと辺りを見渡すと、その姿に気付いた人物が声をかけて来た。
「如月」
「あ、藤真さん。こんにちは」
「あぁ」
笑みを向ける藤真に恋も笑みを返すと、ふとその手元が目に入った。
藤真は大きな紙袋を二つ手にしていたのだ。
「それ、何ですか?」
「ん?チョコ。食べるか?」
藤真はあっけらかんと答えるが、恋はその量に驚きを隠せなかった。
「え、もしかしてバレンタインデーの…?」
「あぁ」
「え…凄いですね」
「まぁ、毎年の事だしな。牧もわりと貰うんじゃないのか?」
藤真が出した言葉に、恋は紙袋を持つ手に自然と力が入った。
今、恋は二つの紙袋を手にしている。
一つは藤真に渡す為の物だったが、もう一つは今日一日渡せずにいた牧宛の物だった。
三年生は今日、週に一度の登校日で学校に来ていたが、恋は牧の元へ行く勇気が出ないでいた。
直前になると、どんな顔をして渡せば良いのかが分からず、時間だけは過ぎ、今に至っている。
「え、どうなんでしょう…?あ、そんなに貰ってるなら、私が渡したら迷惑ですよね」
「俺に?何で?」
「文化祭での写真貰ったのと、この間遊んだ時、チケット代出してもらったので。そのお礼です」
「別に、チケットは牧と半々だし気にしなくて良いのに。でもまぁ、くれるって言うならありがたく貰うぞ。サンキュ」
藤真は、ニッと男らしく笑うと紙袋を受け取った。
ガサガサと持ち直す紙袋を恋が見つめていると、藤真が声を発した。
「あ、今思い出した。確か前に、義理は貰うって言ってたぞ」
藤真の言葉に、キョトンとする恋を見て、藤真は呆れた顔をする。
「牧も、数貰ってるだろって話」
「あっ、はい。そうなんですね」
「あぁ。本命は貰わないんだと」
その言葉に引っ掛かりを覚えた恋は、思わず聞き返してしまう。
「どうしてですか?」
「付き合うつもりがないからじゃないか?期待持たせても可哀想だろ。その辺、変に真面目だしな、あいつ」
「そう…なんですか」
牧が以前から言っている、恋人を作らない理由がそうさせているのだろうかと思うも、恋は何故かモヤモヤとした。
今手にしている本命は、どうすれば良いのかと迷いも生じ、義理として渡せば受け取って貰えるのだろうかと考えるが、それは嫌だとも思ってしまう。
言葉を発しない恋を他所に、藤真は視線を移すとニッと笑った。
「けど、義理って言っても本命が混じってるかも知れないよな。それは考えてないのか、牧」
「え?」
視線を上げた恋の視界に牧が入った。
その状況に、恋は反応も出来ずに固まってしまうが、牧は眉間に皺を寄せている。
「何の話だ」
「この間飯行った時に、バレンタインのチョコ、本命は貰わないって言ってただろ。だから、義理の中に本命あったらどうするんだよ?」
「どうもしない」
「見て見ぬ振りか?」
「義理だとわざわざ言うという事は、内心どうであろうと義理として貰うし、返しも皆平等に義理の物だ」
キッパリと言い切る牧に、藤真は少しだけ驚きつつも、どこか牧らしいとも思った。
そうでもしないと、情が湧いてしまい線引きが難しくなるのだろう。
牧は、基本気遣いの出来る優しい男だと藤真は思っているので、それには理解を示すが、返しが律儀だと呆れた。
「わざわざ全部返してるのか?」
「藤真は返さないのか?」
「いや、流石に数多すぎて無理。そもそも、他校だったり名前すらないやつもあるのに、把握できない。だから、俺は基本返さない」
「あぁ、そういうのが一番困るな。俺はお前ほど数は貰わないから出来る事なんだろう」
「俺は返すとしても、女友達とか知ってる奴だけだな。あ、だから如月には返すぞ。何か欲しい物あったら言えよ」
不意に話題を振られ、恋は言葉に詰まった。
元々、返しなど期待しておらず、単なる礼の気持ちしかないのだから、逆に気を遣わせてしまう事に焦りを覚える。
「え?いえ、別に良いですよ」
「は?何で?お前俺の友達だろ?」
「えっ!?いつからそんな事に…」
「はぁ?違うのか?」
恋が戸惑っていると、藤真は語気を強めた。
恋は、そんな藤真に少しだけうろたえる。
「えっ、何でちょっと怒ってるんですか」
「友達じゃないって言われて、傷付かない奴いないだろ」
「友達じゃないとは言ってません!私なんかが友達でいいのかなと思っただけです。年下だし」
「友達に年齢なんて関係ないだろ。私なんかとか言うなら、鼻つまむぞ」
「いたっ!もうつまんでますっ」
藤真が恋の鼻を摘み、それに恋は抗議するが、傍からみればジャレ合っている様にしか見えない。
そう感じた牧はボソリと呟いた。
「仲が良いな」
「あ?お前らも仲良いだろ」
藤真は、ピッと恋を摘んでいた指を離すと、牧を呆れた顔で見た。
何を言い出すのかと言いたげだ。
恋は鼻を押さえながら、牧をチラリと盗み見る。
それに何と答えるのだろうと、気になって仕方がないのだ。
牧は小さく唸ると言葉を発した。
「そうか?特に二人は仲良く見えるが…」
「あぁ、隣の芝生は何とやらだな。だいたい顔つきが違…さてと、俺はそろそろ帰る。如月、これ、ありがとう。牧、また飯行こうぜ。じゃあな」
「あぁ」
「はい、さようなら」
藤真は軽く手を振ると用事があるのか、駅構内から出て行った。
恋と牧の間には暫く沈黙が流れていたが、乗るのは同じ電車である為にどちらからともなく歩き出し、改札を抜けた。
程なくしてやって来た電車に乗り込むと、牧が不意に口を開いた。
「藤真に、チョコはあげたのか」
「え?はい、あげました。この間のお礼で…」
「そうか」
「はい」
恋がそう答えると、またも沈黙が流れた。
恋には若干の居心地の悪さがあるものの、今頭の中はそれどころではなかった。
どうやって牧にチョコを渡すべきかを考えているのだ。
そもそも、いっそ告白してしまえば早いのかもしれないとも思い始めている。
けれど、恋には、やはりあと一歩の勇気が出ず、たまらず他愛もない話題を振った。
「あの、凄いタイミングですよね。急に牧さんが来たからビックリしました」
「あぁ、藤真に呼び出されたからな」
「え?」
「あぁ、いや、何でもない」
「そうですか…?あの、牧さんは今日いっぱいチョコ貰いましたか?」
「…いっぱいという程ではないが。義理はいくつか貰ったな」
「そうですか」
恋の声のトーンは明らかに下がっていた。
牧が誰かから貰うであろう事は想定していたのだが、恋はそれが妙にショックだと感じている。
牧はそんな恋を訝しむ様に見た。
「何だ?」
「い、いえっ」
恋は、牧が他の誰かから貰った事が嫌だと感じている。
けれど、それは恋のエゴであり、彼女でもない恋が口を出せる事ではないのだ。
牧はそれきり言葉を続けない恋に対し、小さくため息を吐くと荷物を抱え直し、電車が停車するのを待った。
「では、またな」
「えっ!?」
その言葉に恋が顔を上げると、すでに降車駅へと停車しており、牧の背を見送る事となった。
恋は、考えるよりも先に、その背に声をかけた。
「ま、待って下さい!」
「ん?」
牧が振り返ると恋がホームに降り、牧へと紙袋を差し出した。
ドアが閉まる音がホームに響く中、恋の声は聞き取りづらくなる。
「これ、受け取って下さい!チケット代もありがとうございました!失礼します!」
半ば無理やり渡すように牧の手に紙袋を持たせると、恋はスタッと車内に戻りドアは閉められた。
走り出した電車を見送る事なく、牧はただただ呆気に取られていた。
恋にしては珍しい行動で、何が起こったか理解するのに少し時間がかかる。
一瞬だけ触れた先にある紙袋の中身を、牧はそっと見た。
そこには可愛らしくラッピングされたお菓子が入っており、それがバレンタインデーのチョコなのだろうと推測出来た。
不意に牧の口元は緩むが、それに気付いて牧は小さくため息を吐いていた。
一方、勇気を振り絞った恋は、車内で一人心臓をバクバクさせながら悩んでいた。
渡すだけ渡して、肝心な事も言わず逃げる様な形になってしまったのだ。
無理やり持たせた時に触れた指先は、手を繋いだ時の感触を思い出させた。
たったそれだけの事が、恋にとって気持ちを昂らせ、また触れたいと思わせる。
けれど、今更そんな事は叶わないと恋は思った。