本編
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少しだけ肌寒さが感じられるようになった季節、恋と牧は電車を乗り継ぎ翔陽高校前にいた。
派手に飾り付けられた門を潜ると、色々な模擬店が客引きをしているのが見て取れ、賑わいを見せるその様相に、恋は少しだけ圧倒された。
「凄いですね、何か海南とは全然違います」
「そうだな」
「あ、パンフレット貰いますか?」
「あぁ」
校舎内へ入ると、恋は机に置かれたパンフレットを一枚取った。
恋がパンフレットを広げると、二人の距離は自然と近くなり、恋はそれだけでドキドキして、極力牧に視線を合わせない様にする。
牧は静かに眺めていたが、ふと疑問を呈した。
「ところで、藤真のクラスはどこなんだ?」
「あ、聞くの忘れてました…」
そう言えば、そんな事を確認する間もなく今日を迎えていたのだと恋は気付く。
牧は三年生のクラスの場所を確認すると、辺りを見渡した。
「まぁ、藤真の事だ、その辺の誰かに聞いたら分かるだろう」
「はい」
「君、ちょっといいか」
「はい?」
牧は目に付いた翔陽生に声をかけた。
牧は、あの藤真を校内で知らない者はいないだろうと踏んで、声をかけるのは誰でも良いと思ったのだ。
「藤真健司は、どのクラスだろうか」
「あー、藤真のクラスは…」
やはり、その名を出すだけですぐに目的地は決まった。
階段を上がり教えられたクラスの前に来ると、恋はその看板を見て呟いた。
「射的…」
「縁日っぽいな」
恋と牧が並んで中へ入ると数人の客がいて、藤真は丁度接客中だった。
藤真が次の客に気付き視線を移すと、驚いた顔で二人を見る。
「あ?牧?」
「あぁ」
「本当に来てくれるとは思わなかったぜ」
「お前から誘ったんじゃないのか?」
「いやーまぁ、そうなんだけど。ほらほら、やってみるだろ?如月も」
「あ、はい」
藤真は、嬉しそうに玩具のコルクガンを二人に渡した。
簡単に説明を受けてそれぞれが定位置に立ち、景品に向けて撃つ。
しかし、意外にも難しく、恋はすでに残り一発となっていた。
「難しいですね…」
「如月は、そっちの小さい子向けの所からやってもいいぜ」
「酷くないですか!?」
「難しいんだろ?」
「ここからでいいですっ」
恋は少し怒った様子で同じ位置から撃つが、意地を張ったせいか、コルクは景品に当たることなく落ちて行った。
恋は落ち込んだ様子でコルクガンを返すと、チラリと牧の方を見た。
牧も苦戦しているのか、景品から僅かにズレた位置にコルクは飛んで行く。
藤真は、箱を持ち恋の元へやって来た。
「おー、牧も後一発か。如月は残念賞な」
藤真は、箱の中のお菓子を適当に選ぶと恋に渡した。
恋は、特にこれが良いなどなかったので渡された物に文句はないのだが、藤真が渡す時に頭を撫でた事が、完全に子供扱いをされた気がして少し不服と感じる。
「ありがとうございます」
「はは、そんなに怒るなよ」
「怒ってません」
少しむくれる恋と、それを笑って見ている藤真。
そのやりとりを遮るように、パンっと乾いた音が鳴った。
牧が撃った最後の一発は、見事景品に命中した様で何かが床に落ちた。
「ん?牧、今のナイスだな。何当たったんだ?」
「小さくて、よく見えなかったんだが…」
牧はコルクガンを他の生徒に返すと、藤真が持って来た景品を受け取った。
「ほら、牧」
「あぁ、ありがとう。…これは?」
それは、小さな袋に入れられたヘアアクセサリーらしき物だった。
けれど、牧にはそれがどうやって使う物かは分からない。
藤真は当然の様に答えた。
「ヘアアクセサリーだな。髪を留める道具」
「ほう」
「あ、ちょっと貸してみろ。如月こっち」
「え?」
藤真が手招きするので、恋は警戒心なく近寄った。
藤真は牧から受け取ったヘアアクセサリーを袋から取り出すと、恋の髪を捻りそれを固定させた。
「ほら、こんな感じで付けるやつ」
「あぁ、なるほど」
「まぁ、男には使い道ないし、このまま如月にあげるのもいいかもな」
「そうだな。貰ってくれるか?」
「良いんですか?」
「あぁ。よく似合っているし、貰ってくれると助かる」
「ありがとうございます。あ、藤真さんも」
恋が礼を言うと、二人は笑顔を返した。
恋は手鏡を鞄から取り出し、セットされた髪を見て、何故藤真がこの様な器用な真似が出来るのかと不思議に思うが、きっとモテるに違いない藤真は、経験豊か故にそんな事も出来るのだろうと自分を納得させた。
その時、牧が興味深そうに髪型を見ている事に気付き、恋は少しだけ俯く。
やり取りの上では特に深い意味もなく、行き場の失った物の授受に過ぎなかったが、恋にとってそれは特別な物へと変わっていた。
藤真は、時計を見ると恋達に笑みを向ける。
「あ、俺今から休憩だし、案内してやるよ」
「えっ?」
「花形の所行こうぜ」
「そうだな。それでもいいか、如月」
「あっ、はい」
多数決により拒否権がなくなり、恋は頷くしか出来なかった。
藤真と牧はライバル同士だと聞いていたが、意外にも仲が良いのだろうかと恋は訝し気な目で二人を見ていた。
そんな二人は、話をしながら花形がいる教室へ向かう。
藤真によれば、花形のクラスはカフェを出店している様だ。
「花形ー、牧連れてきたぞ!」
「ん?」
「久しぶりだな、花形」
無遠慮に入る藤真を筆頭に牧と恋が姿を現し、花形は面食らった顔をした。
今の状況を理解するのに、多少の時間がかかる。
「君もいるのか。どういう組み合わせだ?」
「俺が誘った」
「だろうな…。で、何を頼むんだ?」
あっけらかんと言い放つ藤真に、花形は呆れた様子で三人をテーブルへと案内した。
メニュー表を渡すと、藤真は一瞬で決めて恋達を促す。
「俺はこのセット。お前らは?」
「コーヒーで」
「私はお茶で良いです」
「花形は何にする?」
「俺は店員だ」
「じゃあ、これな。あっ、牧、昨日のテレビ観たか?」
藤真はそんな事はどうでも良いのか、花形の分も勝手に注文してから牧に話しかけた。
花形は、大きなため息を吐き接客へと戻る。
それから暫く藤真達が会話をしていると、休憩に入った花形がテーブルにやって来た。
恋の前へ座ると、花形はドリンクを一口飲み言葉を発した。
「全く。悪いな、放ったらかしで」
「あ、いえ。花形さんこそすみません、付き合わせてしまって」
「いつもの事だ。何だかんだ、藤真は牧が好きだからな」
「そうなんですね。でも、牧さんも楽しそうです」
「そうだな。俺には、君と話している牧の方が楽しそうに見えたけどな」
「えっ?」
それは、花形が席に着く前に、時々二人から話しかけられ答えていた時の話なのだろう。
戸惑う恋を他所に、花形が再びカップに口を付けていると、藤真が不意に校庭へ視線を移して言った。
「あ、そう言えば、もうすぐあれじゃねぇか?」
「ん?あぁ、あのイベントの時間か」
花形は、校庭を同じ様に見ると冷めた顔を浮かべた。
そこでは、もうすぐ何かのイベントが始まるのか、生徒達が色々とセッティングを始めている。
「俺達も出ようぜ」
「断る」
「四人一組だし、丁度いいだろ」
藤真の言葉に、花形はチラリと恋に視線を移した。
見られた恋は、目をパチクリとさせている。
「彼女を運ぶのか?」
「そりゃそうだろ。他に誰がいるんだよ」
「運ぶ?」
「面白いイベントがあるんだ。行こうぜ」
ほくそ笑む藤真に対し花形はため息を吐き、恋と牧は顔を見合わせたのだった。
皆で校庭にやって来ると、辺りには人が集まっていた。
藤真は、嬉々としてその中の一画へ行き登録を済ませた。
ステージ上では、アナウンスをしている生徒もいる。
「さー、やって来ました、毎年恒例人運びリレー!今年は、どのグループが賞金を獲得するのでしょうか!一般参加も歓迎です!」
「もうすぐ締め切りですねー。皆さんお早めに!」
アナウンスを聞きながら、待機場所にいた牧は藤真に尋ねた。
妙な盛り上がりを肌に感じるが、どう言ったものかがサッパリ伝わってこないのだ。
「どういう競技なんだ?」
「ん?一人をお姫様抱っこで運ぶんだよ、リレーのバトン代わりで。間に障害物とかあったりして面白いんだ」
「何?」
「あ、もちろん、運ばれるのは如月な。他は却下」
「当たり前だろう」
「あの…えぇ…?」
恋と牧が戸惑う中、藤真は淡々と話を進めていった。
花形は、競技を知っている為か諦めているのか、呆れながらもそれに答えていく。
「誰が一番にする?」
「俺が一番で良い。早く終わらせたい」
「何一番楽なやつ選んでるんだよ」
「別にいいだろう。付き合わされてるこっちの身にもなれ」
「分かったよ。じゃあ、俺が二番な。で、アンカーが牧」
「分かった」
牧は、よく分かっていないながらも藤真に言い渡され了承した。
恋は「お姫様抱っこ」と言う言葉に引っかかりはあるものの、藤真の嬉々とした様子に少しだけ楽観視していた。
きっと、そこまで大それた競技でもなく、抱き上げられはするが、ただ荷物の様に短い距離を運ばれるだけだろうと、恋は勝手に解釈する。
その後、競技が始まると恋は前の走者達を見て、一気に不安が広がる事となる。
競技は藤真の言った通りで至って単純だ。
けれど、その光景は羞恥心が湧き立つもので、恋は自身がその状態になるのだと実感し拒否しなかった事を後悔した。
しかし、時間は後戻りも停止もしてくれはしない。
そろそろ順番だとスタート地点に花形と共に並ぶと、恋は眉を八の字に下げて花形を見た。
「あの…凄く不安なんですけど…」
「そうだな。俺も君が気の毒だ。藤真の戯言に付き合わされて、注目されるなんてな」
「え?」
「藤真はファンが多いんだ。だから学校の子は選べない。だからと言って男は運びたくないと言っていてな。今までこの競技には出なかったんだが、最後だからかやたらと出たがっていたんだ。いわば君は生贄みたいなものだ」
「準備はいいですかー?そろそろ行きますよー」
ピストルを持った生徒が皆に声をかける。
恋は花形の言葉に心許なくなるが、スタートは待ってくれなかった。
不安そうに見つめる恋に、花形は盛大にため息を吐き眼鏡を軽く上げた。
「はぁ…。先に言っておくが、しっかり掴まっていないと危ないからな」
「えっ?」
「よーい」
パンッとピストルの音が放たれると、しゃがみ込んでいた花形が恋を抱き上げ一気に駆け出した。
一コース目は五十メートル走だ。
いつもと違う視界の高さと不安定な振動に、恋は思わず花形の服をギュッと掴む。
「あ、あのっ」
「喋ると舌を噛むぞ」
花形の一言に、恋は口をつぐみ前を向く。
自身が起こす振動ではない衝撃に、視界は不安定な揺れを起こすが前を見据えると、そこには、妙に嬉しそうな藤真が待っていた。
観客達もいつの間にか増え、声援が送られているが、恋は今それどころではなく、花形に掴まるのに必死だ。
「よし、一番だぞ、花形」
「下ろすぞ」
花形は藤真の元へやって来ると、恋に声をかけゆっくりしゃがみ込んだ。
恋はバクバクと鳴る心臓が落ち着く暇もないまま下り立ち、続いて藤真に抱き上げられた。
どこか華奢に見えても鍛えているだけはあるのか、軽々持ち上げる藤真に恋は少なからず驚く。
だがその瞬間、黄色い、いや、悲鳴に近い声が観客席から上がった。
恋は観客席に視線をやる事も出来ずに固まるが、藤真は、そんな声など気にした様子もなく駆けて行く。
二コース目は、高さに違いのある平均台を渡る様だ。
高さのある物は短く、低い物は長い。
藤真は、一般的な高さの平均台を選ぶと恋を見た。
「ちゃんと掴まってろよ。登るぞ」
恋が藤真の肩にギュッと掴まると、また高くなった視界に恋は段々と愉快な心持ちになってきていた。
藤真はバランス感覚がいいのか、恋を抱いている事をもろともせずに、スタスタと平均台を渡り切ってしまう。
変わらず、悲鳴に近い声が辺り一面から聞こえている。
そして、最後のコーナーを迎えると牧が待っていた。
「よしっ、下ろすぞ」
辿り着くと、藤真も声をかけてから恋をゆっくりと地に下ろす。
恋は心臓の音が鳴り止まない。
他の走者はまだ来ておらず、恋達のチームは暫定一位だった。
「よーし、このまま一位でゴールしろよ」
「フッ、分かっている。如月、行くぞ」
牧は微かに笑ってから、恋を軽々と抱き上げ駆け出した。
今の恋は、好意を寄せる相手に抱き上げられている事よりも、一着でゴールする事に注意が行っている。
どうせなら、一着になりたいと思い、邪魔をする感情は無視をする事にした。
三コース目は、長距離走とパン食いならぬパン掴みだった。
パンは高く釣られ、その手前にはジャンプ台がある。
牧は、少しだけスピードを緩め恋を見た。
「如月、声をかけるからちゃんと掴めよ」
「え、はいっ」
「それと、危ないから両腕をちゃんと首に回せ。口は閉じるんだぞ」
恋は、言われた通り牧の首の後ろに腕を回し首を縦に振った。
視線を移せば、予想以上に至近距離の牧に、恋は言葉すら発せない。
無視していた感情は、一方的に恋の中を覆い尽くし始めた。
そんな恋を他所に、牧はまたスピードを上げ、頼もしく笑った。
「行くぞ」
瞬間、恋は牧もろとも高く飛び立った。
「掴めっ」
景色など見る余裕もなく、言われた通り腕を伸ばし恋は視界に入ったパンを掴み取る。
ドンっとした振動が体に走ると、会場からワッと歓声が上がり、そのまま恋達は悠々と一着でゴールしたのだった。
一着の旗を貰うと、牧は静かに恋を下ろした。
「大丈夫だったか?着地の時、痛かっただろう」
「だ、大丈…夫…っふ」
「どうした?どこか傷むか?」
恋達の元へ駆け寄った藤真達も少し眉を顰める。
恋の肩は微かに揺れていた。
「っあはははは!凄っ、楽しかっ…はははっ」
恋は、高揚感からか笑いが抑えきれなくなった。
今まで経験などした事のない、これからも経験する事などないであろう体験に体はゾクゾクとした。
それは決して不快な物ではなく、紛れもない愉悦に満たされている。
笑う恋を見て、花形は心底呆れた顔を向けていた。
恋がこんな人物だとは、露にも思っていなかったのだ。
「笑っているとは大した奴だな」
「まぁ、楽しかったならいいんじゃねぇの」
「も…ほんと、すみませっ…ふふふっ」
お腹を抱えて笑う恋を見て、牧達も自然と笑みが溢れたのだった。
その後、恋達はゴールまでのタイムが早く優勝となり、藤真が代表で賞品を貰うと、連れ立って校舎前までやって来た。
藤真は、満面の笑みで賞品の中身を確認する。
「よーし、賞金は貰ったし、後はお前ら自由にしていいぞ」
「藤真…お前、これが目的だったのか?」
「あ?そうだけど?丁度いい大きさだろ、如月」
藤真がサラリと言ってしまうので、花形は二人に申し訳なくなる。
何故、二人が翔陽祭に来ているかの謎も解け、巻き込まれたのだろうと、特に恋に対して心底不憫に思った。
「悪かったな、付き合わせて」
「いや、花形が謝る事じゃないさ」
「あ、そうだ、俺達はこっちでいいから、これはお前らにやるよ」
「これは?」
「賞金」
ニコニコと笑みを浮かべた藤真に差し出され、二人は顔を見合わせると牧がそれを受け取り、中から引っ張り出した物を同時に見た。
それは、近場で有名なテーマパークのチケットだった。
「…チケット?」
「ま、定番だよな」
「お前達は、何なんだ?」
「学食の無料券。本当は、優勝は全部テーマパークのチケットだけど、準優勝のやつと変えてもらった」
「抜かりないな、藤真は」
「当たり前だろ。俺を誰だと思ってる」
花形は褒めたつもりなど毛頭なかったのだが、敢えて否定はせずに恋達に向き直った。
「それは今日のお詫びだ。二人で行くといい」
「えっ!?」
「そうだな」
「えぇっ!?」
恋は花形の提案も、それに頷いた牧も信じられなかった。
藤真は、そんな恋を見て笑っていた。
「はは、何連続でビックリしてるんだよ。やるって言ってるんだから二人で楽しんで来い」
「いや、あの…」
「もうちょっとで文化祭も終わりだし、今日も最後まで楽しんでけよ」
「あぁ」
「じゃあな」
藤真と花形は校舎内へと入ってしまった。
まだ賑わっている辺りを見渡し、牧は恋へ言葉を切り出す。
「如月、どうする?もう少し回るか?」
「あ、はい」
恋は咄嗟に頷き、二人は模擬店などを回り最後まで文化祭を楽しんだ。
終われば物悲しいもので、どこか胸が締め付けられるようだったが、とても良い思い出として恋の中に刻み込まれた時間だった。
そして、帰りの電車内で、恋はずっと尋ねたかった事を口にした。
「あの、牧さん」
「何だ?」
「あの、遊園地、本当に行くんですか?」
思った以上に恋が真剣な顔を向けていたからか、牧は苦笑した。
「いや、如月が他に行きたい奴がいるならそいつと行くといい」
「いえ、そういう人はいませんけど…」
牧はチケットを取り出すと、静かに恋へと差し出した。
その瞳はどこか優しい。
「それは、如月にやるから自由に使うと良い」
「えっ、じゃあ、一緒に行ってください…」
「俺でいいのか?」
恋は、少しだけ言い辛そうに言った。
冗談で誘う様な人ではないだろうとは思うものの、恋は先刻の花形達との冗談ぽく感じたやり取りを、そのまま受け取って良いものかとずっと迷っていた。
どうせ行くなら牧と行きたいと思いそう告げたが、牧は小さな疑問を投げかけるので、恋は更に疑問を浮かべたような表情を向けている。
「いや、水戸や、それこそ藤真を誘えばいいだろう?」
「洋平くんと藤真さん…ですか?確かに二人とも楽しそうですけど…」
「ん?」
「でも、今回は牧さんのおかげでもあるので、行くなら牧さんがいいです」
「そうか。だが、しばらくは行けそうもないな」
恋がハッキリとそう言葉にして牧にチケットを返すと、牧は少しだけ思案してからチケットを受け取った。
「冬の選抜があるんだ。それが終わるまでは休みらしい休みはないだろう」
「そうなんですね。あ、それ年明けの一月までですね、有効期限」
恋は、牧の手元のチケットの有効期限を確認した。
牧はその日付に頷く。
「一月か…。そうだな、その時には引退しているし行けるかもしれないな。行けそうな日があったら連絡していいか?」
「はい」
「もし無理そうなら早めに伝えるから他の奴と行けよ」
「はい」
恋が満面の笑みを返すと、牧は微笑み返した。
カタカタと揺れる電車は、もうすぐ別れの場所へと二人を連れて行く。
名残惜しく思うも仕方のない事で、恋はぼんやりと窓の外を眺めていた。
その横顔を見ていた牧は、不意に口を開いた。
「よく似合っているな」
「えっ?」
「髪型だ」
それは、藤真が飾り付けた恋の頭を指していた。
恋は、その視線に恥ずかしさが立ち込め俯いた。
「また使ってくれると嬉しいが、迷惑じゃなかったか?」
「つ、使いますよ!迷惑なんてそんな!藤真さんみたいに上手に出来る自信はないですけど…」
「あいつは器用だな」
牧は、ふと恋の頭に触れようと手を伸ばしたが、それは途中で止まった。
恋が視線を送ると、牧は小さく笑いポンと恋の頭に触れてすぐに離した。
「では、またな。今日は楽しかった」
「あっ、はい、私もすごく楽しかったです!ありがとうございました!」
牧は、笑顔を向けると電車を降りて行った。
発車した電車内で、恋は窓越しに自身の頭を見つめると、一瞬だった感触が蘇った気がする。
それは、恋の胸をほんのり熱くしていた。
派手に飾り付けられた門を潜ると、色々な模擬店が客引きをしているのが見て取れ、賑わいを見せるその様相に、恋は少しだけ圧倒された。
「凄いですね、何か海南とは全然違います」
「そうだな」
「あ、パンフレット貰いますか?」
「あぁ」
校舎内へ入ると、恋は机に置かれたパンフレットを一枚取った。
恋がパンフレットを広げると、二人の距離は自然と近くなり、恋はそれだけでドキドキして、極力牧に視線を合わせない様にする。
牧は静かに眺めていたが、ふと疑問を呈した。
「ところで、藤真のクラスはどこなんだ?」
「あ、聞くの忘れてました…」
そう言えば、そんな事を確認する間もなく今日を迎えていたのだと恋は気付く。
牧は三年生のクラスの場所を確認すると、辺りを見渡した。
「まぁ、藤真の事だ、その辺の誰かに聞いたら分かるだろう」
「はい」
「君、ちょっといいか」
「はい?」
牧は目に付いた翔陽生に声をかけた。
牧は、あの藤真を校内で知らない者はいないだろうと踏んで、声をかけるのは誰でも良いと思ったのだ。
「藤真健司は、どのクラスだろうか」
「あー、藤真のクラスは…」
やはり、その名を出すだけですぐに目的地は決まった。
階段を上がり教えられたクラスの前に来ると、恋はその看板を見て呟いた。
「射的…」
「縁日っぽいな」
恋と牧が並んで中へ入ると数人の客がいて、藤真は丁度接客中だった。
藤真が次の客に気付き視線を移すと、驚いた顔で二人を見る。
「あ?牧?」
「あぁ」
「本当に来てくれるとは思わなかったぜ」
「お前から誘ったんじゃないのか?」
「いやーまぁ、そうなんだけど。ほらほら、やってみるだろ?如月も」
「あ、はい」
藤真は、嬉しそうに玩具のコルクガンを二人に渡した。
簡単に説明を受けてそれぞれが定位置に立ち、景品に向けて撃つ。
しかし、意外にも難しく、恋はすでに残り一発となっていた。
「難しいですね…」
「如月は、そっちの小さい子向けの所からやってもいいぜ」
「酷くないですか!?」
「難しいんだろ?」
「ここからでいいですっ」
恋は少し怒った様子で同じ位置から撃つが、意地を張ったせいか、コルクは景品に当たることなく落ちて行った。
恋は落ち込んだ様子でコルクガンを返すと、チラリと牧の方を見た。
牧も苦戦しているのか、景品から僅かにズレた位置にコルクは飛んで行く。
藤真は、箱を持ち恋の元へやって来た。
「おー、牧も後一発か。如月は残念賞な」
藤真は、箱の中のお菓子を適当に選ぶと恋に渡した。
恋は、特にこれが良いなどなかったので渡された物に文句はないのだが、藤真が渡す時に頭を撫でた事が、完全に子供扱いをされた気がして少し不服と感じる。
「ありがとうございます」
「はは、そんなに怒るなよ」
「怒ってません」
少しむくれる恋と、それを笑って見ている藤真。
そのやりとりを遮るように、パンっと乾いた音が鳴った。
牧が撃った最後の一発は、見事景品に命中した様で何かが床に落ちた。
「ん?牧、今のナイスだな。何当たったんだ?」
「小さくて、よく見えなかったんだが…」
牧はコルクガンを他の生徒に返すと、藤真が持って来た景品を受け取った。
「ほら、牧」
「あぁ、ありがとう。…これは?」
それは、小さな袋に入れられたヘアアクセサリーらしき物だった。
けれど、牧にはそれがどうやって使う物かは分からない。
藤真は当然の様に答えた。
「ヘアアクセサリーだな。髪を留める道具」
「ほう」
「あ、ちょっと貸してみろ。如月こっち」
「え?」
藤真が手招きするので、恋は警戒心なく近寄った。
藤真は牧から受け取ったヘアアクセサリーを袋から取り出すと、恋の髪を捻りそれを固定させた。
「ほら、こんな感じで付けるやつ」
「あぁ、なるほど」
「まぁ、男には使い道ないし、このまま如月にあげるのもいいかもな」
「そうだな。貰ってくれるか?」
「良いんですか?」
「あぁ。よく似合っているし、貰ってくれると助かる」
「ありがとうございます。あ、藤真さんも」
恋が礼を言うと、二人は笑顔を返した。
恋は手鏡を鞄から取り出し、セットされた髪を見て、何故藤真がこの様な器用な真似が出来るのかと不思議に思うが、きっとモテるに違いない藤真は、経験豊か故にそんな事も出来るのだろうと自分を納得させた。
その時、牧が興味深そうに髪型を見ている事に気付き、恋は少しだけ俯く。
やり取りの上では特に深い意味もなく、行き場の失った物の授受に過ぎなかったが、恋にとってそれは特別な物へと変わっていた。
藤真は、時計を見ると恋達に笑みを向ける。
「あ、俺今から休憩だし、案内してやるよ」
「えっ?」
「花形の所行こうぜ」
「そうだな。それでもいいか、如月」
「あっ、はい」
多数決により拒否権がなくなり、恋は頷くしか出来なかった。
藤真と牧はライバル同士だと聞いていたが、意外にも仲が良いのだろうかと恋は訝し気な目で二人を見ていた。
そんな二人は、話をしながら花形がいる教室へ向かう。
藤真によれば、花形のクラスはカフェを出店している様だ。
「花形ー、牧連れてきたぞ!」
「ん?」
「久しぶりだな、花形」
無遠慮に入る藤真を筆頭に牧と恋が姿を現し、花形は面食らった顔をした。
今の状況を理解するのに、多少の時間がかかる。
「君もいるのか。どういう組み合わせだ?」
「俺が誘った」
「だろうな…。で、何を頼むんだ?」
あっけらかんと言い放つ藤真に、花形は呆れた様子で三人をテーブルへと案内した。
メニュー表を渡すと、藤真は一瞬で決めて恋達を促す。
「俺はこのセット。お前らは?」
「コーヒーで」
「私はお茶で良いです」
「花形は何にする?」
「俺は店員だ」
「じゃあ、これな。あっ、牧、昨日のテレビ観たか?」
藤真はそんな事はどうでも良いのか、花形の分も勝手に注文してから牧に話しかけた。
花形は、大きなため息を吐き接客へと戻る。
それから暫く藤真達が会話をしていると、休憩に入った花形がテーブルにやって来た。
恋の前へ座ると、花形はドリンクを一口飲み言葉を発した。
「全く。悪いな、放ったらかしで」
「あ、いえ。花形さんこそすみません、付き合わせてしまって」
「いつもの事だ。何だかんだ、藤真は牧が好きだからな」
「そうなんですね。でも、牧さんも楽しそうです」
「そうだな。俺には、君と話している牧の方が楽しそうに見えたけどな」
「えっ?」
それは、花形が席に着く前に、時々二人から話しかけられ答えていた時の話なのだろう。
戸惑う恋を他所に、花形が再びカップに口を付けていると、藤真が不意に校庭へ視線を移して言った。
「あ、そう言えば、もうすぐあれじゃねぇか?」
「ん?あぁ、あのイベントの時間か」
花形は、校庭を同じ様に見ると冷めた顔を浮かべた。
そこでは、もうすぐ何かのイベントが始まるのか、生徒達が色々とセッティングを始めている。
「俺達も出ようぜ」
「断る」
「四人一組だし、丁度いいだろ」
藤真の言葉に、花形はチラリと恋に視線を移した。
見られた恋は、目をパチクリとさせている。
「彼女を運ぶのか?」
「そりゃそうだろ。他に誰がいるんだよ」
「運ぶ?」
「面白いイベントがあるんだ。行こうぜ」
ほくそ笑む藤真に対し花形はため息を吐き、恋と牧は顔を見合わせたのだった。
皆で校庭にやって来ると、辺りには人が集まっていた。
藤真は、嬉々としてその中の一画へ行き登録を済ませた。
ステージ上では、アナウンスをしている生徒もいる。
「さー、やって来ました、毎年恒例人運びリレー!今年は、どのグループが賞金を獲得するのでしょうか!一般参加も歓迎です!」
「もうすぐ締め切りですねー。皆さんお早めに!」
アナウンスを聞きながら、待機場所にいた牧は藤真に尋ねた。
妙な盛り上がりを肌に感じるが、どう言ったものかがサッパリ伝わってこないのだ。
「どういう競技なんだ?」
「ん?一人をお姫様抱っこで運ぶんだよ、リレーのバトン代わりで。間に障害物とかあったりして面白いんだ」
「何?」
「あ、もちろん、運ばれるのは如月な。他は却下」
「当たり前だろう」
「あの…えぇ…?」
恋と牧が戸惑う中、藤真は淡々と話を進めていった。
花形は、競技を知っている為か諦めているのか、呆れながらもそれに答えていく。
「誰が一番にする?」
「俺が一番で良い。早く終わらせたい」
「何一番楽なやつ選んでるんだよ」
「別にいいだろう。付き合わされてるこっちの身にもなれ」
「分かったよ。じゃあ、俺が二番な。で、アンカーが牧」
「分かった」
牧は、よく分かっていないながらも藤真に言い渡され了承した。
恋は「お姫様抱っこ」と言う言葉に引っかかりはあるものの、藤真の嬉々とした様子に少しだけ楽観視していた。
きっと、そこまで大それた競技でもなく、抱き上げられはするが、ただ荷物の様に短い距離を運ばれるだけだろうと、恋は勝手に解釈する。
その後、競技が始まると恋は前の走者達を見て、一気に不安が広がる事となる。
競技は藤真の言った通りで至って単純だ。
けれど、その光景は羞恥心が湧き立つもので、恋は自身がその状態になるのだと実感し拒否しなかった事を後悔した。
しかし、時間は後戻りも停止もしてくれはしない。
そろそろ順番だとスタート地点に花形と共に並ぶと、恋は眉を八の字に下げて花形を見た。
「あの…凄く不安なんですけど…」
「そうだな。俺も君が気の毒だ。藤真の戯言に付き合わされて、注目されるなんてな」
「え?」
「藤真はファンが多いんだ。だから学校の子は選べない。だからと言って男は運びたくないと言っていてな。今までこの競技には出なかったんだが、最後だからかやたらと出たがっていたんだ。いわば君は生贄みたいなものだ」
「準備はいいですかー?そろそろ行きますよー」
ピストルを持った生徒が皆に声をかける。
恋は花形の言葉に心許なくなるが、スタートは待ってくれなかった。
不安そうに見つめる恋に、花形は盛大にため息を吐き眼鏡を軽く上げた。
「はぁ…。先に言っておくが、しっかり掴まっていないと危ないからな」
「えっ?」
「よーい」
パンッとピストルの音が放たれると、しゃがみ込んでいた花形が恋を抱き上げ一気に駆け出した。
一コース目は五十メートル走だ。
いつもと違う視界の高さと不安定な振動に、恋は思わず花形の服をギュッと掴む。
「あ、あのっ」
「喋ると舌を噛むぞ」
花形の一言に、恋は口をつぐみ前を向く。
自身が起こす振動ではない衝撃に、視界は不安定な揺れを起こすが前を見据えると、そこには、妙に嬉しそうな藤真が待っていた。
観客達もいつの間にか増え、声援が送られているが、恋は今それどころではなく、花形に掴まるのに必死だ。
「よし、一番だぞ、花形」
「下ろすぞ」
花形は藤真の元へやって来ると、恋に声をかけゆっくりしゃがみ込んだ。
恋はバクバクと鳴る心臓が落ち着く暇もないまま下り立ち、続いて藤真に抱き上げられた。
どこか華奢に見えても鍛えているだけはあるのか、軽々持ち上げる藤真に恋は少なからず驚く。
だがその瞬間、黄色い、いや、悲鳴に近い声が観客席から上がった。
恋は観客席に視線をやる事も出来ずに固まるが、藤真は、そんな声など気にした様子もなく駆けて行く。
二コース目は、高さに違いのある平均台を渡る様だ。
高さのある物は短く、低い物は長い。
藤真は、一般的な高さの平均台を選ぶと恋を見た。
「ちゃんと掴まってろよ。登るぞ」
恋が藤真の肩にギュッと掴まると、また高くなった視界に恋は段々と愉快な心持ちになってきていた。
藤真はバランス感覚がいいのか、恋を抱いている事をもろともせずに、スタスタと平均台を渡り切ってしまう。
変わらず、悲鳴に近い声が辺り一面から聞こえている。
そして、最後のコーナーを迎えると牧が待っていた。
「よしっ、下ろすぞ」
辿り着くと、藤真も声をかけてから恋をゆっくりと地に下ろす。
恋は心臓の音が鳴り止まない。
他の走者はまだ来ておらず、恋達のチームは暫定一位だった。
「よーし、このまま一位でゴールしろよ」
「フッ、分かっている。如月、行くぞ」
牧は微かに笑ってから、恋を軽々と抱き上げ駆け出した。
今の恋は、好意を寄せる相手に抱き上げられている事よりも、一着でゴールする事に注意が行っている。
どうせなら、一着になりたいと思い、邪魔をする感情は無視をする事にした。
三コース目は、長距離走とパン食いならぬパン掴みだった。
パンは高く釣られ、その手前にはジャンプ台がある。
牧は、少しだけスピードを緩め恋を見た。
「如月、声をかけるからちゃんと掴めよ」
「え、はいっ」
「それと、危ないから両腕をちゃんと首に回せ。口は閉じるんだぞ」
恋は、言われた通り牧の首の後ろに腕を回し首を縦に振った。
視線を移せば、予想以上に至近距離の牧に、恋は言葉すら発せない。
無視していた感情は、一方的に恋の中を覆い尽くし始めた。
そんな恋を他所に、牧はまたスピードを上げ、頼もしく笑った。
「行くぞ」
瞬間、恋は牧もろとも高く飛び立った。
「掴めっ」
景色など見る余裕もなく、言われた通り腕を伸ばし恋は視界に入ったパンを掴み取る。
ドンっとした振動が体に走ると、会場からワッと歓声が上がり、そのまま恋達は悠々と一着でゴールしたのだった。
一着の旗を貰うと、牧は静かに恋を下ろした。
「大丈夫だったか?着地の時、痛かっただろう」
「だ、大丈…夫…っふ」
「どうした?どこか傷むか?」
恋達の元へ駆け寄った藤真達も少し眉を顰める。
恋の肩は微かに揺れていた。
「っあはははは!凄っ、楽しかっ…はははっ」
恋は、高揚感からか笑いが抑えきれなくなった。
今まで経験などした事のない、これからも経験する事などないであろう体験に体はゾクゾクとした。
それは決して不快な物ではなく、紛れもない愉悦に満たされている。
笑う恋を見て、花形は心底呆れた顔を向けていた。
恋がこんな人物だとは、露にも思っていなかったのだ。
「笑っているとは大した奴だな」
「まぁ、楽しかったならいいんじゃねぇの」
「も…ほんと、すみませっ…ふふふっ」
お腹を抱えて笑う恋を見て、牧達も自然と笑みが溢れたのだった。
その後、恋達はゴールまでのタイムが早く優勝となり、藤真が代表で賞品を貰うと、連れ立って校舎前までやって来た。
藤真は、満面の笑みで賞品の中身を確認する。
「よーし、賞金は貰ったし、後はお前ら自由にしていいぞ」
「藤真…お前、これが目的だったのか?」
「あ?そうだけど?丁度いい大きさだろ、如月」
藤真がサラリと言ってしまうので、花形は二人に申し訳なくなる。
何故、二人が翔陽祭に来ているかの謎も解け、巻き込まれたのだろうと、特に恋に対して心底不憫に思った。
「悪かったな、付き合わせて」
「いや、花形が謝る事じゃないさ」
「あ、そうだ、俺達はこっちでいいから、これはお前らにやるよ」
「これは?」
「賞金」
ニコニコと笑みを浮かべた藤真に差し出され、二人は顔を見合わせると牧がそれを受け取り、中から引っ張り出した物を同時に見た。
それは、近場で有名なテーマパークのチケットだった。
「…チケット?」
「ま、定番だよな」
「お前達は、何なんだ?」
「学食の無料券。本当は、優勝は全部テーマパークのチケットだけど、準優勝のやつと変えてもらった」
「抜かりないな、藤真は」
「当たり前だろ。俺を誰だと思ってる」
花形は褒めたつもりなど毛頭なかったのだが、敢えて否定はせずに恋達に向き直った。
「それは今日のお詫びだ。二人で行くといい」
「えっ!?」
「そうだな」
「えぇっ!?」
恋は花形の提案も、それに頷いた牧も信じられなかった。
藤真は、そんな恋を見て笑っていた。
「はは、何連続でビックリしてるんだよ。やるって言ってるんだから二人で楽しんで来い」
「いや、あの…」
「もうちょっとで文化祭も終わりだし、今日も最後まで楽しんでけよ」
「あぁ」
「じゃあな」
藤真と花形は校舎内へと入ってしまった。
まだ賑わっている辺りを見渡し、牧は恋へ言葉を切り出す。
「如月、どうする?もう少し回るか?」
「あ、はい」
恋は咄嗟に頷き、二人は模擬店などを回り最後まで文化祭を楽しんだ。
終われば物悲しいもので、どこか胸が締め付けられるようだったが、とても良い思い出として恋の中に刻み込まれた時間だった。
そして、帰りの電車内で、恋はずっと尋ねたかった事を口にした。
「あの、牧さん」
「何だ?」
「あの、遊園地、本当に行くんですか?」
思った以上に恋が真剣な顔を向けていたからか、牧は苦笑した。
「いや、如月が他に行きたい奴がいるならそいつと行くといい」
「いえ、そういう人はいませんけど…」
牧はチケットを取り出すと、静かに恋へと差し出した。
その瞳はどこか優しい。
「それは、如月にやるから自由に使うと良い」
「えっ、じゃあ、一緒に行ってください…」
「俺でいいのか?」
恋は、少しだけ言い辛そうに言った。
冗談で誘う様な人ではないだろうとは思うものの、恋は先刻の花形達との冗談ぽく感じたやり取りを、そのまま受け取って良いものかとずっと迷っていた。
どうせ行くなら牧と行きたいと思いそう告げたが、牧は小さな疑問を投げかけるので、恋は更に疑問を浮かべたような表情を向けている。
「いや、水戸や、それこそ藤真を誘えばいいだろう?」
「洋平くんと藤真さん…ですか?確かに二人とも楽しそうですけど…」
「ん?」
「でも、今回は牧さんのおかげでもあるので、行くなら牧さんがいいです」
「そうか。だが、しばらくは行けそうもないな」
恋がハッキリとそう言葉にして牧にチケットを返すと、牧は少しだけ思案してからチケットを受け取った。
「冬の選抜があるんだ。それが終わるまでは休みらしい休みはないだろう」
「そうなんですね。あ、それ年明けの一月までですね、有効期限」
恋は、牧の手元のチケットの有効期限を確認した。
牧はその日付に頷く。
「一月か…。そうだな、その時には引退しているし行けるかもしれないな。行けそうな日があったら連絡していいか?」
「はい」
「もし無理そうなら早めに伝えるから他の奴と行けよ」
「はい」
恋が満面の笑みを返すと、牧は微笑み返した。
カタカタと揺れる電車は、もうすぐ別れの場所へと二人を連れて行く。
名残惜しく思うも仕方のない事で、恋はぼんやりと窓の外を眺めていた。
その横顔を見ていた牧は、不意に口を開いた。
「よく似合っているな」
「えっ?」
「髪型だ」
それは、藤真が飾り付けた恋の頭を指していた。
恋は、その視線に恥ずかしさが立ち込め俯いた。
「また使ってくれると嬉しいが、迷惑じゃなかったか?」
「つ、使いますよ!迷惑なんてそんな!藤真さんみたいに上手に出来る自信はないですけど…」
「あいつは器用だな」
牧は、ふと恋の頭に触れようと手を伸ばしたが、それは途中で止まった。
恋が視線を送ると、牧は小さく笑いポンと恋の頭に触れてすぐに離した。
「では、またな。今日は楽しかった」
「あっ、はい、私もすごく楽しかったです!ありがとうございました!」
牧は、笑顔を向けると電車を降りて行った。
発車した電車内で、恋は窓越しに自身の頭を見つめると、一瞬だった感触が蘇った気がする。
それは、恋の胸をほんのり熱くしていた。