歩み寄る心
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秋晴れの空が広がる頭上を見上げれば、空はどこまでも高く感じ、ゆうはその清々しさに、ふと、ある人物の顔が浮かんだ。
今、その人物は何をしているのだろうかと思ってはみるものの、だからといってどうこうと言うものでもない。
ゆうが大学に入学し、半年程が過ぎ去った。
講義、課題、サークル活動、バイトと、高校生までの生活環境と変わった為に、ルーチンとしてのペースを掴めてきたのがつい最近の話。
ふいに思い浮かんだ相手は、ゆうの彼氏である三井寿だ。
大学は、互いに目指すものがあり別々の道へ進み、入学して数ヶ月は僅かな合間を縫いながら会う事もしていた。
だが、互いに世界が少しずつ広がるにつれ、徐々に会う機会が減っていった。
それは物理的に時間が取れない事も大きく、2人でデートと言えるものをしたのは2ヶ月程前になるだろうか。
別に好きでなくなったわけではなく、部活に忙しい三井を気遣った部分と、真新しい世界がゆうにはとても魅力的だった事が要因だろう。
今も、学食へ向かう途中話す新たな友人達との会話は楽しいのだ。
「ねぇねぇ、ゆうって彼氏いる?」
ふいな話題にゆうがハッとすると、不思議そうな友人達の顔がそこにはあった。
今し方過ぎった顔が鮮明に浮かび、ゆうは少し照れた顔をして答えた。
「え、いるよ?どうして?」
「何か、そういう話聞かないからいないのかと思ってた」
「確かに聞いたことないねー」
「いつから?」
「高3から付き合ってるから、もうすぐ1年かな」
2人が付き合い出したのは高校3年生の冬。
それは、席替えで隣同士や前後の席になってばかりだった事で、よく会話をする仲になった三井からの唐突な告白だった。
ゆうは初めこそ戸惑ったが、惹かれ始めていたのを実感していた為に了承した。
互いに目指す道は別々だったが、それから卒業までの時間は色濃いものとなった。
ゆうが口元を緩めながら思い出に浸っていると友人は感嘆の声を漏らす。
「へー、結構長いんだね」
「どんな人?」
「どんなって…バスケしてる」
「へー、じゃあ大学もそれで行ったの?」
「うん。だから別々の大学」
三井は志望する大学の推薦を獲得する事は出来なかった。
素行の悪かった時期の代償とも言えるが、何とか他の大学へ進む事は出来、今はバスケに日々の時間を費やしているのだ。
「え、じゃあ時間とか中々合わなくない?」
「そうだねー、会える時はまとまって会えるんだけど。向こうもバスケで忙しいから最近会ってないなぁ」
「え、どれくらい会ってないの?」
「んー、2ヶ月くらい?」
「嘘、私なら無理!」
「心配にならないの?」
「うーん、でも連絡はたまにしてるし…」
電話で話をしたのも約1週間は前の事だ。。
だが、最近はこれがゆう達なりのペースと思えるようにもなってきていた。
「その彼氏ってカッコいい?」
「え、あー、どうだろう…男前だとは思うけど」
「顔良くてスポーツやってるなら、モテないの?」
三井の顔は、どちらかといえば男らしい顔立ちをしているだろうとゆうは思う。
それは高校3年生の時、三井が髪をバッサリ切ってから特に思った事だ。
以前の素行と態度により女子には怖がられる事が多かったが、時間が経てば女子と会話しているのを見かけるようにもなった。
だが、やはり同じバスケ部ならば流川人気の方が断然高く、どちらかといえば三井は男子に人気があったと記憶している。
「え、んー…男の子にはモテるとは思うけど…女の子はどうなんだろう?」
「心配じゃないの?」
「心配…んー…何かあんまり想像つかないかなぁ」
高校生の頃は皆、素行の悪かった三井を知っていた事と流川の存在で、三井が誰かにキャーキャーと言われているのを見た事がなかったゆうには、三井の女性関係が想像出来なかった。
ゆうの反応を見るとそれ以上の追求はなく、友人達の話題は次々に移っていくのだった。
バイトも終わり、ゆうが夏頃から始めた1人暮らしの部屋に帰ると、丁度電話が鳴った。
ゆうは、慌てて荷物をその場に置き去り電話を取る。
「もしもし?」
『よー。久しぶり。元気か?』
その声の主は三井で、久しぶりに聞いた声がどこかゆうをホッとさせ自然に笑みが溢れた。
「何それ。元気だよー。そっちは?」
『元気だぜ。毎日ヘトヘトだけどな』
三井の声は、確かに疲れが滲んでいるように聞こえた。
けれど、明るい声音は毎日が充実しているのだろうと想像出来た。
「そっか。あ、ねぇ、今度いつ会える?」
『…あー、わかんねぇ』
近頃このやり取りが多くなっていた。
ハードな練習とスケジュールに身動きが取りづらく、体育会系特有の縦社会もあり、三井のプライベートが制限される事も少なくない。
例え出来た時間でも、レギュラーになれていない三井は自主練習に当ててしまう事も多く、また、ゆう自身も都合がつかない事が多くなっていた。
寂しく感じるが仕方ないと思える部分もあり、それは互いに触れられなかった。
「…そっか。じゃあ、デート出来る日あったら早めに教えて?」
『…おー』
三井の声がどこか遠く虚ろな気がして、ゆうは不思議そうに呼びかけた。
「寿?」
『何か、お前の声聞いたら気ぃ抜けて、眠くなってきた』
微かに笑ったような優しい声音に、ゆうの口元は緩んだ。
「えー、何よ、それ。もう、じゃあ、早めに寝なよ?私からもまた連絡するから」
『おー』
程なくして切れた電話を置くと、ゆうは小さくため息を溢した。
近頃、電話での会話も短くなったと感じずにはいられなかったのだ。
それから暫くして、2人は数ヶ月ぶりのデートをする事になり、ゆうは足早に待ち合わせ場所に辿り着いた。
そこに三井の姿を見つけると、ゆうは笑顔で声をかけた。
「やっほ」
「おう」
久しぶりに見る三井に、ゆうはドキリとした。
数ヶ月会わなかっただけで、どこか今までと違う気さえするその佇まいに照れが生じ、それを隠すようにゆうは三井へと尋ねた。
「どこ行く?」
「ゆうはどこ行きてぇんだよ?」
「任せる」
「あー、そうだなぁ…」
三井は、わりとゆうにデート先を任せる事が多かった為、唐突に振られ思案しだした。
高校生の頃は学校近辺が行動範囲になっていたが、今は行動範囲も広がり行ける場所も増えた為に、行きたい場所、やりたい事が沢山ありすぎて決めるのに苦労するのだ。
「あのっ!」
そこへ突如、三井の思考を止める声が横入りした。
「あ?」
「あのっ、三井寿さんじゃないですか?」
「あ?あぁ、そうだけど…」
三井の隣には見知らぬ女子2人が立っており、そのうちの1人がそんな事を言った。
三井の返事にその女子は顔をパッと明るくし、興奮気味に三井へ話しかけ始めた。
「やっぱり!この間の試合見たんです!凄くカッコよくて…」
それに受け答えする三井を、ゆうはただぼんやり見つめるしか出来ず、時間にしてわずか数分が妙に長く感じた。
どうやら三井のファンになった子らしく、三井と握手をすると笑顔で去って行った。
その際、軽く会釈されたゆうは会釈を返し、その背を見つめながら口を開いた。
「ねぇ、試合っていつあったの?」
「あ?試合って言っても練習試合だぜ。ちょっと出ただけだしな」
それは先日、他大学との試合で始めてコートに出た日の事で、三井はまだ出れるとも思っていなかった。
唐突に監督から指名されて、ただひたむきに挑んだ試合だった。
当然、試合に出れるとは思っていなかったので、三井はゆうをその試合の観戦に呼ぶ事をしなかった。
レギュラーになって試合に出られるようになってからの姿が見て欲しく、ただ応援しているだけの姿を見られたくないという小さなプライドみたいなものだ。
だが、そんな胸中を知らないゆうは少し不快そうな声音を出した。
「教えて欲しかったんだけど」
「忙しくて連絡出来なかったんだよ」
「それでも、それくらい教えて欲しい」
それくらい、と言われた事に三井は何故かカチンときてしまい、声を低くした。
「…じゃあ、教えたら応援に来んのかよ?」
「行けたら行くよ」
「あー、はいはい、行けたらな」
それはどこか諦めにも似た皮肉に取れ、ゆうは明らかにムッとして三井に向き直る。
「だって、バイトとかレポートと被るから仕方ないでしょ?」
何度も、互いの都合が付かず延期になり続けたデートを考えれば、ゆうがすんなりその日に来るとも三井には思えなかった。
互いに世界が広がり忙しくなった事で、疎遠になりそうになっていると嫌でも感じているのだ。
「ほら、お前だってその程度なんじゃねぇか。大体、最近話す時も、そっちの大学話ばっかされても俺はわかんねぇんだよ」
「なっ!?何でそんな言われ方しないといけないわけ!?それにそればっかりじゃないし、寿だって部活の話ばっかじゃん!」
遂に語気を荒げたゆうに、三井は微かに苛立ちを見せて遮った。
「あーあーもういいって。お互い忙しい。それでいいだろ」
そう言って三井は先に歩き出す。
ゆうは唇を噛むと一言漏らした。
「…良くないよ…」
その声は雑踏に掻き消され、三井に届く事はなかった。
その日のデートはとても楽しいといえるものではなくなった。
あれから1ヶ月程して、またデートをする事になった2人はゆうの家にいた。
余計な火種を招きたくないゆうが提案した事で、三井も少し大人になったのかすんなり折れてデートは決行できた。
初めて入るゆうの家に三井は始めこそぎこちなかったが、すぐに慣れたのかテレビを観たりダラダラと漫画を読み始めた。
時々会話をするも、ゆうは手持ち無沙汰でテレビに視線を移した。
それは、街中のカップルにインタビューをする番組だった。
「ねぇ、今のカップル凄いね」
「あー?」
「幼馴染で、幼稚園からの仲なんだって。凄く長いよね」
「へー」
「幼馴染って事は思い出もいっぱいありそうだよね」
テレビの中では彼女が照れたように話す中、彼氏はそれをどこか微笑ましそうに見つめているように見えた。
それは、どうしようもなくゆうには羨ましく思えてしまった。
「幼馴染からのカップルって、ちょっと憧れるよね」
「あー…何て?」
「だから、今のテレビに出てたカップル。幼稚園からの幼馴染で付き合ってるんだって。凄くない?」
「悪りぃ、何て?テレビの声で聞こえなかった」
三井は体を起こし、テレビのリモコンを操作するとゆうに向き直った。
けれど、ゆうは不機嫌そうな表情を露わにした。
「…もういい」
「は?言えばいいだろ?」
「だって、聞いてないじゃん」
「だから、今聞くって言ってんだろ?今のはテレビの音がでかかったんだよ」
テレビの音量は三井が初めに大きくしていた。
途中で番組に飽きたのか三井は漫画へ移ったが、ゆうはそのまま次の番組を観ていたのだ。
「寿が音量大きくしたんじゃない。そもそも会話する気ないよね?」
「あるだろうが。だから、こうして聞き返してんじゃねぇか」
「私2、3回同じ話題振ったよ?それ1回も聞いてないってことだよね?会話する気ないじゃん」
「あるっつってんだろ。何て言ったんだよ?」
「本当、もういいから。漫画が読みたいなら読んでたらいいじゃん、ずっと」
「はぁ?」
「そっちが今の私より優先したい事なんでしょ?お好きにどうぞ」
「だーかーらー、ちげぇって言ってんだろ!?」
「もう、良いです。会話したくない」
ピシャリと拒むゆうに、三井は頭をガシガシと掻き立ち上がった。
「っ、はー。俺帰るわ」
「あっそ」
互いに別れの挨拶を交わす事なく乱暴に開けられたドアは、相反して小さく音を立てて自動的に閉まった。
ゆうは、滲む涙にゴシゴシと腕を擦り付けていた。
翌日、ぼんやりとゆうがキャンパス内を歩いていると、ある人物とぶつかった。
ゆうが、その衝撃に2、3歩下がると相手は慌てた声を出した。
「ご、ごめん。大丈夫か?」
ゆうが見上げると、それは木暮だった。
木暮とは高校2年生の時同じクラスで、同じ委員をしていた為に話す機会も多く、三井と付き合い始めてからはいざこざを収めてもらったりもした。
進学先は同じ大学だったが学部は違い、会う機会も少なくこの日ぶつかったのも偶然で、少し懐かしい感じがする程だ。
ゆうが木暮の言葉に反応できず、ぼんやりと見つめていると不思議そうな視線が落とされた。
「どうしたんだ?」
「え?」
「何か、すごく暗いけど」
「んー」
「三井?」
その名に、ゆうはピクリと反応してしまう。
それから、頭に昨日のやり取りが思い起こされ気分は沈み続けた。
木暮は三井とも仲が良い方だったので、ゆうと三井はすぐに繋がってしまうのかもしれない。
ゆうは苦笑して答えた。
「…うん。何かヤバいかもしれない…」
「また?」
「今回は、結構深刻かも」
ゆうは昨日の事を後悔していた。
ただ、気持ちが追いつかず、無性に腹立たしくなり爆発してしまった。
だだ、それでも三井を好きな気持ちに変わりがないのを自身でも不思議に思える。
悶々と燻る心の中から抜け出せないゆうを見て、木暮はうーんと首を微かに捻った。
「なぁ、ちゃんと話してるか?」
「ちゃんとって?」
「気持ちを伝えているのかって事」
その言葉にゆうは思い返すが、近頃そんな場面はあまり浮かんでこない。
と同時に、高校生の時は毎日のように笑って言いたい事を言っていた記憶が浮かんでくる。
「最近は、あんまり」
「伝えたらどうだ?じゃないとわからないと思うぞ。俺が言うなって言われるかもしれないけど、三井って察するとか苦手だから、ストレートに言った方が良いよ」
確かに、三井は女心がわかる方だとはゆうも思わない。
けれど、素直になろうと思う気持ちと、察して欲しい気持ちが葛藤する。
結果、それは迷いしか生まず、ゆうは頭を抱えた。
ただ1人、木暮は微笑ましそうに悩めるゆうを見つめていた。
その日の授業が終わり、街で暇を潰してから時間を見計らい、ゆうは三井の大学前にいた。
辺りはすっかり暗くなり、大学内へ1人で入っていくのは少し躊躇してしまい、門付近でウロウロとして数十分。
中々出てこない三井に、ゆうが行動しかねていると、慣れ親しんだ声が後方から聞こえた気がして視線を移した。
それは、見間違う事なき三井の姿で、友人と思しき人達に挨拶をし終えた所へゆうは小走りで駆け寄った。
「寿」
その声に気づいた三井は目を見開いたが、すぐさま眉間に皺を寄せた。
「あ?何で、ここにいんだよ?」
「待ってた」
「待ってたって…」
呆れた声を出す三井は、はにかむゆうの鼻の頭が赤い事に気づいた。
この日は例年より一段と底冷えのする日で、夜になるとコートだけでは寒さを感じずにはいられない。
三井は乱雑に自身のマフラーを取り、ゆうの首に巻きつけた。
「わっ!?」
唐突な事に驚き声が出るゆうに、三井は少しだけ気恥ずかしそうに、けれども怒っているのかそっぽを向いた。
「たくっ、危ねぇだろうが」
「ありがと」
微かに残る三井の温もりを感じ、ゆうは頬を染めてマフラーに首を埋めた。
三井は、何とも言えない表情を浮かべると尋ねた。
「で?何だよ、急に」
三井は、昨日の事を気にしているのかぶっきら棒な物言いをするが、ゆうは一息呼吸置くと三井を見据えた。
「あのね、私、寿の事好きだよ」
「は?」
「中々時間取れないし会えないけど、それでもちゃんと好きだからね?だから嫉妬もするし、言葉が聞けないと不安になるの」
「あ?あー、そりゃどうも」
突然の告白に、三井は嬉しさと恥ずかしさが入り混じり複雑そうに言った。
大学前の道で、こんなやり取りをしているのはバカップルと思われるのかも知れないが、辺りに今は誰もいない。
そして、ゆうにとって今はここがどこかなど気にならない程に、発した言葉は満足感があり、笑顔が自然と浮かんだ。
「うん」
あまりに嬉しそうなゆうを見て面食らった三井は、スッとゆうの頬をひと撫でした。
くすぐったそうなゆうを三井は静かに見下ろす。
「なぁ」
「ん?」
「今度の日曜…時間ねぇの?」
「え?朝はバイトだから、昼からなら…」
「じゃあ、デートしようぜ」
「え、部活は?」
「その日はオフだ」
ニカっと笑い三井は手を差し出した。
それは、手を繋ぐ事を意味している。
今まで何度も繋いだ手。
けれど、何となく習慣で繋いでいたこれまでとは違い、どこか初々しい気分にさせる温もりだった。
約束の日曜日、ゆうは街中で三井とのデートを堪能した。
「あー、楽しかった!」
その声は、心の底から出たようにしみじみとしていて嬉しさが滲み出ている。
他愛もない、映画館とウインドウショッピングというデートコース。
しかし、久しぶりに互いを意識しながら過ごす時間は、それまでの渇きを満たすには充分だった。
丁度、信号待ちで立ち止まると、三井はフッと笑いゆうを見下ろした。
「そうだな。お前、まだ時間あるよな?」
「うん?」
「行きたい所あんだよ」
三井は含んだ笑みを浮かべるだけで、変わった信号にゆうの手を引き歩き出した。
それから電車に揺られ、着いた駅を見てゆうは行く先の予想が付いたと同時に疑問が浮かぶ。
三井は、無言でゆうの手を引いて歩き続けると、目的地の前で立ち止まった。
それはよく見ていた景色でもある。
三井はまた歩み出した。
「ちょ、入っていいの?」
「気にすんなよ、母校だろ」
「だからって、卒業してるんだから…」
今目の前にあるのは、今年卒業した湘北高校だった。
卒業後、高校へ訪れた事はなく、久し振りに見る校舎は懐かしい。
だからと言って、勝手に入る事は駄目だろうと思われたが、三井は気にした様子もなく、そのままゆうを引き連れて門を潜ってしまう。
ゆうは引かれた手を振り払えず、それに続くしかできなかった。
ズンズン進む三井とは対照的に、ゆうが怖々辺りを見回しながら歩いていると、突然声が聞こえた。
「ぬぁあっ!!」
「え?」
「あ?」
声の主にゆう達が声を同時に上げて振り返ると、ワラワラと生徒が近付いて来た。
そこには、見覚えのある顔ぶれが揃っている。
慣れ親しんだバスケ部員達だ。
「ミッチーじゃないか!」
桜木は、相変わらずの赤い坊主頭で三井の両肩を強く叩いた。
その痛みに顔を顰める三井に、宮城は少し驚いた様子で疑問を投げかける。
「何してるんすか、こんな所で」
宮城の隣で同じく驚いた顔をしている彩子は、晴子と顔を見合わせた。
「うす」
一様に驚く中、流川だけは無表情のまま軽く会釈だけする。
三井はその反応に懐かしさが蘇り、少し照れの混じった苦笑を浮かべた。
「あ?おー、久しぶり」
「俺様に会えず寂しくなったか、ミッチー!」
「ンなわけあるか!」
「でも、どうしたんですか、急に?」
晴子が不思議そうに疑問を投げかけると、答える前に宮城がチラリと、ゆうと三井の手元を見て言った。
「デートでしょ」
「え?あ、えっと…」
ゆうはその視線に気づき、慌てて繋いだままだった手を離そうとするが、三井はそれを許さずギュッと握り見せつけた。
「そうだぜ、悪いかよ。お前らも彼女くらい作れ」
ニヤニヤと余裕たっぷりに言い放つ三井は、怒り出した桜木と宮城に息の合った動きで技を決められた。
「ぬぁぁあ!」
「ふんぬぅぅう!」
「ばっ、イテェ!」
どうやら2人の片想い継続中のようだ。
わちゃわちゃと戯れるその場をゆうが優しく見つめていると、彩子と晴子が話しかけて来た。
「お久しぶりです。お元気でしたか?」
「え、うん」
「今も仲が良さそうで羨ましいです」
「あ、ありがとう」
三井は大学が決まってから卒業までの間、暇さえあれば放課後に体育館へ訪れ、部活に突然参加する事がよくあった。
そうなると、付き合い出して間もなかったゆうは自ずと体育館へ行く機会が増え、その時にゆうは彩子達と軽く会話をする仲にはなっていったのだ。
「でも先輩、あの人の相手大変じゃないんですか?」
「え!?」
「よく喧嘩してましたよね?」
「まぁ…」
思い出すのは、何かと些細な事で口喧嘩になる事が多かった当時と、それを止める木暮の姿だった。
元々三井は口が良い方ではなく、女子に対し不器用な性格もしている。
付き合い出した頃はそれがどこまで本気なのかが分からず、売り言葉に買い言葉で互いに止まらなくなっていた。
初めこそ喧嘩をすれば皆遠巻きにしていたが、そのうち慣れ始めたのか気にされる事も少なくなっていった。
その記憶に羞恥心が湧き立つゆうだったが、晴子は朗らかに笑いながら言った。
「でも、すぐに仲直りして仲良く笑い合ってて、楽しそうでしたよ」
「確かに。あれは少し羨ましくなるくらいだったわ」
「愛ですね!」
「あっい!?晴子ちゃん、相変わらず恥ずかしい事言うね」
「そうですか?」
ゆうは素っ頓狂な声が出るが、晴子はきょとんとしていて、悪意も何もない言葉なのだろうと分かる。
そして思い出したのは、喧嘩をしても何故か当時はすぐに仲直りが出来ていたという事だ。
今ほど険悪にもならず、どちらからともなく歩み寄っていた。
それが今では随分難しくなってしまったと思い、ゆうは少し複雑そうな顔をしていた。
「でも、良かったです、続いてて」
「え?」
前方に視線を送っていた晴子を見れば、ふいに視線が交わった。
晴子は少し頬を染め嬉しそうに言った。
「ふふ、2人は私の憧れなんですよ」
「そうなの?」
「はい。いつも笑い合っているのが素敵だなって思ってたんです。いつか私も…」
晴子は流川に視線を送りつつも、少し照れているのか頬に手を当てていた。
晴子もまた、流川に片想いを続けているのだと気付いたゆうが口を開きかけると、前方から声がした。
「おーい、ゆう」
「ん?何?」
「ちょっとだけやって行っていいか?」
「あ、いいよー」
三井が体育館を指差すので、ゆうはバスケがしたいのだと分かり考える間もなく了承した。
きっと、もうすぐ冬の選抜なのだろう。
試合が始まれば皆の意気込みが違い、鬼気迫るものがあった。
そんな中、ゆうは久しぶりに見る三井のバスケ姿に胸が高鳴っているのだった。
それから30分ほどすると、三井は輪から離れゆうの元へとやって来た。
「悪い」
申し訳なさそうにする三井だったが、どこか嬉しそうにしていて、ゆうにもそれが伝染する。
「ううん、久しぶりにバスケしてるとこ見れて嬉しかった」
「そうかよ」
三井は少し頬を染めると、ゆうの手を引き歩き出した。
ヒューヒューと言う声が後ろから聞こえたが、それを無視して進む三井に、ゆうは振り返り軽く会釈してから三井に視線を移した。
「どこ行くの?」
「教室」
ニッと悪戯っぽく笑って、三井は校舎を指差した。
階段を昇り懐かしい教室を覗くと、何故か鍵が開いていた。
補習か何かが行われていたのだろうか、室内はまだ微かに暖かかった。
「なんか懐かしいな」
「うん。1年経ってないのに変な感じ」
整然と並んだ机や黒板は何も変わらないが、今ここは後輩達の教室であって、そこに部外者である2人が入るのは、まるで他人の家に入った時のような、妙なよそよそしさがあった。
だが、自然と足は昔座っていた席に向き、当時前後だった席に吸い寄せられるように座った。
ゆうが窓際から外を眺めると、校庭では運動部が活動をしている。
何もかもが懐かしく、ゆうがぼんやりとその様子を見ていると、ふいに三井が口を開いた。
「そういやぁよ」
「ん?」
「お前、よく外見てたよな」
「そうだっけ?」
その時、ゆうの髪に三井の手が伸び、軽く引っ張った。
「んで、俺がこうやってちょっかいかけんだよな」
「あ、確かに!何で毎回、髪引っ張るんだろーって思ってたんだけど!」
「何か、丁度良かったんだよな」
「何それ?」
ゆうが怪訝そうにしていると、三井は微笑みボソリと呟いた。
「髪引っ張って、こっち向いた時の顔が好きだったんだよな」
「え?」
「俺だけ見てる、特別な感じがした」
それは、初めて聞く三井の想いだった。
付き合う前は確かに三井がちょっかいを出す事が多く、ゆうには理解し難い所もあったのだが、ゆう自身それが嫌ではなかった。
振り向いた時に三井と視線が合うと、初めは意地悪く笑っていても、ふいに優しく笑いかけられる事があった。
ゆうはその笑みに自然と惹かれたのだ。
ゆうが返す言葉を探していると、三井は立ち上がりゆうの手を取る。
「よし、行くか」
「え?どこに?」
「帰り道デート」
ニッと少年のように笑う三井に、ゆうは益々反応に困ってしまう。
どうにも、今日の三井はいつもと違う気がしてならなかった。
そして、優しく繋がれた手をゆうは静かに握り返した。
それから、2人でポツリポツリと昔話をしながら歩いていると、放課後よく歩いていた道に出た。
「この道、通るの久しぶり!」
卒業以来、2人がこの道を通る事はなくなった。
その風景はさして変わりもなく当時のままだ。
「だな。お、まだあのコロッケあんだな」
三井が目ざとく見つけたのは、帰り道でよく買い食いしていた肉屋のコロッケだった。
味の豊富さもあってかこの辺りでは有名で、小腹が空いた学生がよく買っており、当時、ゆう達もよく買っていたのだ。
「本当だ!よく色々買って食べたよね」
「あぁ。何味にするかで喧嘩とかな。でも楽しかったよな」
「本当だね」
記憶はだんだんと鮮明になる。
そんな他愛もない日常が、今にして思えば貴重な時間だったのだと気付かされる。
街並みは変わらず、変わったのは2人の服装と素直さだけだろうか。
「なぁ、あの公園覚えてるか?」
歩き続けていると、三井が顎でクイッとある方を指した。
そこには見覚えのある公園があり、ゆうはニコリと笑った。
「当たり前でしょ?付き合って初めてのデートだよね」
「告白した帰り道だったか」
「うん、すごくドキドキしたの覚えてるよ」
「あの頃よりは、スムーズに繋げるようになっただろ?」
「何それ!」
三井が繋いだ手を軽く上げると、ゆうには笑みが溢れた。
当時は確かにお互いぎこちなく、緊張していたのを覚えている。
公園内に入ると、当時のままに人気がなくベンチにすんなり座れた。
「このベンチに座ったんだよね。それから暗くなるまで話して…」
「ゆう」
ふいに名を呼ばれ振り向けば口付けが降って来た。
ただ触れただけで、静かに離れた距離はごく僅かで自然と見つめ合う。
「ゆう、好きだ」
告白された帰り道のこの公園での出来事が鮮明に蘇る。
当時、口付けはなく抱きしめられただけだが、今と同じように真っ直ぐ言葉が届けられた。
「多分、これからも時間作るの難しいと思うけど、俺は別れる気ねぇから」
「うん」
「それと前みたいにちゃんと言いたい事は言え。俺もちゃんと聞くから」
「うん」
きっとこれが今日、三井が言いたかった本音なのだろう。
三井なりに色々考えたのだろうとも予測でき、ゆうは涙が滲んだ。
その真っ直ぐな気持ちが何よりも嬉しく、ゆう自身もちゃんと伝えようと思うも感極まって涙が溢れてしまう。
それを見た三井はそっと涙を拭うとポケットから小さな箱を取り出した。
「それと、これ」
「ん?」
開けられた箱には、今日ウインドウショッピング中に見たペアリングが入っていた。
手持ちがないからまた今度と言う話になっていたのだが、何故かそれが今目の前にある。
状況を掴めずにいるゆうをよそに、三井は指輪をゆうの指に静かに嵌めた。
そして、もう片方を三井が手に取ったのを目の端に止めると、慌ててゆうはそれを遮り、三井の指に嵌めた。
三井は可笑しそうに笑う。
ゆうはその流れが不自然だったのかと不安になるが、三井がゆうの手をそっととった。
「これ見る度、俺の事思い出せ。俺も、見る度に思い出すから」
三井の漏れ出た破顔に、ゆうはコクコクと頷く事しか出来なかった。
その笑みは、今まで見たどの笑顔よりも眩しく嬉しそうに見え、ゆうの胸に焼き付けるには充分で心を揺さぶらせた。
「まぁ…これからもよろしくな!」
「うん!」
ゆうは今度こそ大きく頷き答えた。
そして2人の唇は自然と重なり合う。
ポッカリ空いていた胸の穴が埋められたかのように、心はただ暖かみに溢れるのだった。
→アトガキ
今、その人物は何をしているのだろうかと思ってはみるものの、だからといってどうこうと言うものでもない。
ゆうが大学に入学し、半年程が過ぎ去った。
講義、課題、サークル活動、バイトと、高校生までの生活環境と変わった為に、ルーチンとしてのペースを掴めてきたのがつい最近の話。
ふいに思い浮かんだ相手は、ゆうの彼氏である三井寿だ。
大学は、互いに目指すものがあり別々の道へ進み、入学して数ヶ月は僅かな合間を縫いながら会う事もしていた。
だが、互いに世界が少しずつ広がるにつれ、徐々に会う機会が減っていった。
それは物理的に時間が取れない事も大きく、2人でデートと言えるものをしたのは2ヶ月程前になるだろうか。
別に好きでなくなったわけではなく、部活に忙しい三井を気遣った部分と、真新しい世界がゆうにはとても魅力的だった事が要因だろう。
今も、学食へ向かう途中話す新たな友人達との会話は楽しいのだ。
「ねぇねぇ、ゆうって彼氏いる?」
ふいな話題にゆうがハッとすると、不思議そうな友人達の顔がそこにはあった。
今し方過ぎった顔が鮮明に浮かび、ゆうは少し照れた顔をして答えた。
「え、いるよ?どうして?」
「何か、そういう話聞かないからいないのかと思ってた」
「確かに聞いたことないねー」
「いつから?」
「高3から付き合ってるから、もうすぐ1年かな」
2人が付き合い出したのは高校3年生の冬。
それは、席替えで隣同士や前後の席になってばかりだった事で、よく会話をする仲になった三井からの唐突な告白だった。
ゆうは初めこそ戸惑ったが、惹かれ始めていたのを実感していた為に了承した。
互いに目指す道は別々だったが、それから卒業までの時間は色濃いものとなった。
ゆうが口元を緩めながら思い出に浸っていると友人は感嘆の声を漏らす。
「へー、結構長いんだね」
「どんな人?」
「どんなって…バスケしてる」
「へー、じゃあ大学もそれで行ったの?」
「うん。だから別々の大学」
三井は志望する大学の推薦を獲得する事は出来なかった。
素行の悪かった時期の代償とも言えるが、何とか他の大学へ進む事は出来、今はバスケに日々の時間を費やしているのだ。
「え、じゃあ時間とか中々合わなくない?」
「そうだねー、会える時はまとまって会えるんだけど。向こうもバスケで忙しいから最近会ってないなぁ」
「え、どれくらい会ってないの?」
「んー、2ヶ月くらい?」
「嘘、私なら無理!」
「心配にならないの?」
「うーん、でも連絡はたまにしてるし…」
電話で話をしたのも約1週間は前の事だ。。
だが、最近はこれがゆう達なりのペースと思えるようにもなってきていた。
「その彼氏ってカッコいい?」
「え、あー、どうだろう…男前だとは思うけど」
「顔良くてスポーツやってるなら、モテないの?」
三井の顔は、どちらかといえば男らしい顔立ちをしているだろうとゆうは思う。
それは高校3年生の時、三井が髪をバッサリ切ってから特に思った事だ。
以前の素行と態度により女子には怖がられる事が多かったが、時間が経てば女子と会話しているのを見かけるようにもなった。
だが、やはり同じバスケ部ならば流川人気の方が断然高く、どちらかといえば三井は男子に人気があったと記憶している。
「え、んー…男の子にはモテるとは思うけど…女の子はどうなんだろう?」
「心配じゃないの?」
「心配…んー…何かあんまり想像つかないかなぁ」
高校生の頃は皆、素行の悪かった三井を知っていた事と流川の存在で、三井が誰かにキャーキャーと言われているのを見た事がなかったゆうには、三井の女性関係が想像出来なかった。
ゆうの反応を見るとそれ以上の追求はなく、友人達の話題は次々に移っていくのだった。
バイトも終わり、ゆうが夏頃から始めた1人暮らしの部屋に帰ると、丁度電話が鳴った。
ゆうは、慌てて荷物をその場に置き去り電話を取る。
「もしもし?」
『よー。久しぶり。元気か?』
その声の主は三井で、久しぶりに聞いた声がどこかゆうをホッとさせ自然に笑みが溢れた。
「何それ。元気だよー。そっちは?」
『元気だぜ。毎日ヘトヘトだけどな』
三井の声は、確かに疲れが滲んでいるように聞こえた。
けれど、明るい声音は毎日が充実しているのだろうと想像出来た。
「そっか。あ、ねぇ、今度いつ会える?」
『…あー、わかんねぇ』
近頃このやり取りが多くなっていた。
ハードな練習とスケジュールに身動きが取りづらく、体育会系特有の縦社会もあり、三井のプライベートが制限される事も少なくない。
例え出来た時間でも、レギュラーになれていない三井は自主練習に当ててしまう事も多く、また、ゆう自身も都合がつかない事が多くなっていた。
寂しく感じるが仕方ないと思える部分もあり、それは互いに触れられなかった。
「…そっか。じゃあ、デート出来る日あったら早めに教えて?」
『…おー』
三井の声がどこか遠く虚ろな気がして、ゆうは不思議そうに呼びかけた。
「寿?」
『何か、お前の声聞いたら気ぃ抜けて、眠くなってきた』
微かに笑ったような優しい声音に、ゆうの口元は緩んだ。
「えー、何よ、それ。もう、じゃあ、早めに寝なよ?私からもまた連絡するから」
『おー』
程なくして切れた電話を置くと、ゆうは小さくため息を溢した。
近頃、電話での会話も短くなったと感じずにはいられなかったのだ。
***
それから暫くして、2人は数ヶ月ぶりのデートをする事になり、ゆうは足早に待ち合わせ場所に辿り着いた。
そこに三井の姿を見つけると、ゆうは笑顔で声をかけた。
「やっほ」
「おう」
久しぶりに見る三井に、ゆうはドキリとした。
数ヶ月会わなかっただけで、どこか今までと違う気さえするその佇まいに照れが生じ、それを隠すようにゆうは三井へと尋ねた。
「どこ行く?」
「ゆうはどこ行きてぇんだよ?」
「任せる」
「あー、そうだなぁ…」
三井は、わりとゆうにデート先を任せる事が多かった為、唐突に振られ思案しだした。
高校生の頃は学校近辺が行動範囲になっていたが、今は行動範囲も広がり行ける場所も増えた為に、行きたい場所、やりたい事が沢山ありすぎて決めるのに苦労するのだ。
「あのっ!」
そこへ突如、三井の思考を止める声が横入りした。
「あ?」
「あのっ、三井寿さんじゃないですか?」
「あ?あぁ、そうだけど…」
三井の隣には見知らぬ女子2人が立っており、そのうちの1人がそんな事を言った。
三井の返事にその女子は顔をパッと明るくし、興奮気味に三井へ話しかけ始めた。
「やっぱり!この間の試合見たんです!凄くカッコよくて…」
それに受け答えする三井を、ゆうはただぼんやり見つめるしか出来ず、時間にしてわずか数分が妙に長く感じた。
どうやら三井のファンになった子らしく、三井と握手をすると笑顔で去って行った。
その際、軽く会釈されたゆうは会釈を返し、その背を見つめながら口を開いた。
「ねぇ、試合っていつあったの?」
「あ?試合って言っても練習試合だぜ。ちょっと出ただけだしな」
それは先日、他大学との試合で始めてコートに出た日の事で、三井はまだ出れるとも思っていなかった。
唐突に監督から指名されて、ただひたむきに挑んだ試合だった。
当然、試合に出れるとは思っていなかったので、三井はゆうをその試合の観戦に呼ぶ事をしなかった。
レギュラーになって試合に出られるようになってからの姿が見て欲しく、ただ応援しているだけの姿を見られたくないという小さなプライドみたいなものだ。
だが、そんな胸中を知らないゆうは少し不快そうな声音を出した。
「教えて欲しかったんだけど」
「忙しくて連絡出来なかったんだよ」
「それでも、それくらい教えて欲しい」
それくらい、と言われた事に三井は何故かカチンときてしまい、声を低くした。
「…じゃあ、教えたら応援に来んのかよ?」
「行けたら行くよ」
「あー、はいはい、行けたらな」
それはどこか諦めにも似た皮肉に取れ、ゆうは明らかにムッとして三井に向き直る。
「だって、バイトとかレポートと被るから仕方ないでしょ?」
何度も、互いの都合が付かず延期になり続けたデートを考えれば、ゆうがすんなりその日に来るとも三井には思えなかった。
互いに世界が広がり忙しくなった事で、疎遠になりそうになっていると嫌でも感じているのだ。
「ほら、お前だってその程度なんじゃねぇか。大体、最近話す時も、そっちの大学話ばっかされても俺はわかんねぇんだよ」
「なっ!?何でそんな言われ方しないといけないわけ!?それにそればっかりじゃないし、寿だって部活の話ばっかじゃん!」
遂に語気を荒げたゆうに、三井は微かに苛立ちを見せて遮った。
「あーあーもういいって。お互い忙しい。それでいいだろ」
そう言って三井は先に歩き出す。
ゆうは唇を噛むと一言漏らした。
「…良くないよ…」
その声は雑踏に掻き消され、三井に届く事はなかった。
その日のデートはとても楽しいといえるものではなくなった。
***
あれから1ヶ月程して、またデートをする事になった2人はゆうの家にいた。
余計な火種を招きたくないゆうが提案した事で、三井も少し大人になったのかすんなり折れてデートは決行できた。
初めて入るゆうの家に三井は始めこそぎこちなかったが、すぐに慣れたのかテレビを観たりダラダラと漫画を読み始めた。
時々会話をするも、ゆうは手持ち無沙汰でテレビに視線を移した。
それは、街中のカップルにインタビューをする番組だった。
「ねぇ、今のカップル凄いね」
「あー?」
「幼馴染で、幼稚園からの仲なんだって。凄く長いよね」
「へー」
「幼馴染って事は思い出もいっぱいありそうだよね」
テレビの中では彼女が照れたように話す中、彼氏はそれをどこか微笑ましそうに見つめているように見えた。
それは、どうしようもなくゆうには羨ましく思えてしまった。
「幼馴染からのカップルって、ちょっと憧れるよね」
「あー…何て?」
「だから、今のテレビに出てたカップル。幼稚園からの幼馴染で付き合ってるんだって。凄くない?」
「悪りぃ、何て?テレビの声で聞こえなかった」
三井は体を起こし、テレビのリモコンを操作するとゆうに向き直った。
けれど、ゆうは不機嫌そうな表情を露わにした。
「…もういい」
「は?言えばいいだろ?」
「だって、聞いてないじゃん」
「だから、今聞くって言ってんだろ?今のはテレビの音がでかかったんだよ」
テレビの音量は三井が初めに大きくしていた。
途中で番組に飽きたのか三井は漫画へ移ったが、ゆうはそのまま次の番組を観ていたのだ。
「寿が音量大きくしたんじゃない。そもそも会話する気ないよね?」
「あるだろうが。だから、こうして聞き返してんじゃねぇか」
「私2、3回同じ話題振ったよ?それ1回も聞いてないってことだよね?会話する気ないじゃん」
「あるっつってんだろ。何て言ったんだよ?」
「本当、もういいから。漫画が読みたいなら読んでたらいいじゃん、ずっと」
「はぁ?」
「そっちが今の私より優先したい事なんでしょ?お好きにどうぞ」
「だーかーらー、ちげぇって言ってんだろ!?」
「もう、良いです。会話したくない」
ピシャリと拒むゆうに、三井は頭をガシガシと掻き立ち上がった。
「っ、はー。俺帰るわ」
「あっそ」
互いに別れの挨拶を交わす事なく乱暴に開けられたドアは、相反して小さく音を立てて自動的に閉まった。
ゆうは、滲む涙にゴシゴシと腕を擦り付けていた。
***
翌日、ぼんやりとゆうがキャンパス内を歩いていると、ある人物とぶつかった。
ゆうが、その衝撃に2、3歩下がると相手は慌てた声を出した。
「ご、ごめん。大丈夫か?」
ゆうが見上げると、それは木暮だった。
木暮とは高校2年生の時同じクラスで、同じ委員をしていた為に話す機会も多く、三井と付き合い始めてからはいざこざを収めてもらったりもした。
進学先は同じ大学だったが学部は違い、会う機会も少なくこの日ぶつかったのも偶然で、少し懐かしい感じがする程だ。
ゆうが木暮の言葉に反応できず、ぼんやりと見つめていると不思議そうな視線が落とされた。
「どうしたんだ?」
「え?」
「何か、すごく暗いけど」
「んー」
「三井?」
その名に、ゆうはピクリと反応してしまう。
それから、頭に昨日のやり取りが思い起こされ気分は沈み続けた。
木暮は三井とも仲が良い方だったので、ゆうと三井はすぐに繋がってしまうのかもしれない。
ゆうは苦笑して答えた。
「…うん。何かヤバいかもしれない…」
「また?」
「今回は、結構深刻かも」
ゆうは昨日の事を後悔していた。
ただ、気持ちが追いつかず、無性に腹立たしくなり爆発してしまった。
だだ、それでも三井を好きな気持ちに変わりがないのを自身でも不思議に思える。
悶々と燻る心の中から抜け出せないゆうを見て、木暮はうーんと首を微かに捻った。
「なぁ、ちゃんと話してるか?」
「ちゃんとって?」
「気持ちを伝えているのかって事」
その言葉にゆうは思い返すが、近頃そんな場面はあまり浮かんでこない。
と同時に、高校生の時は毎日のように笑って言いたい事を言っていた記憶が浮かんでくる。
「最近は、あんまり」
「伝えたらどうだ?じゃないとわからないと思うぞ。俺が言うなって言われるかもしれないけど、三井って察するとか苦手だから、ストレートに言った方が良いよ」
確かに、三井は女心がわかる方だとはゆうも思わない。
けれど、素直になろうと思う気持ちと、察して欲しい気持ちが葛藤する。
結果、それは迷いしか生まず、ゆうは頭を抱えた。
ただ1人、木暮は微笑ましそうに悩めるゆうを見つめていた。
その日の授業が終わり、街で暇を潰してから時間を見計らい、ゆうは三井の大学前にいた。
辺りはすっかり暗くなり、大学内へ1人で入っていくのは少し躊躇してしまい、門付近でウロウロとして数十分。
中々出てこない三井に、ゆうが行動しかねていると、慣れ親しんだ声が後方から聞こえた気がして視線を移した。
それは、見間違う事なき三井の姿で、友人と思しき人達に挨拶をし終えた所へゆうは小走りで駆け寄った。
「寿」
その声に気づいた三井は目を見開いたが、すぐさま眉間に皺を寄せた。
「あ?何で、ここにいんだよ?」
「待ってた」
「待ってたって…」
呆れた声を出す三井は、はにかむゆうの鼻の頭が赤い事に気づいた。
この日は例年より一段と底冷えのする日で、夜になるとコートだけでは寒さを感じずにはいられない。
三井は乱雑に自身のマフラーを取り、ゆうの首に巻きつけた。
「わっ!?」
唐突な事に驚き声が出るゆうに、三井は少しだけ気恥ずかしそうに、けれども怒っているのかそっぽを向いた。
「たくっ、危ねぇだろうが」
「ありがと」
微かに残る三井の温もりを感じ、ゆうは頬を染めてマフラーに首を埋めた。
三井は、何とも言えない表情を浮かべると尋ねた。
「で?何だよ、急に」
三井は、昨日の事を気にしているのかぶっきら棒な物言いをするが、ゆうは一息呼吸置くと三井を見据えた。
「あのね、私、寿の事好きだよ」
「は?」
「中々時間取れないし会えないけど、それでもちゃんと好きだからね?だから嫉妬もするし、言葉が聞けないと不安になるの」
「あ?あー、そりゃどうも」
突然の告白に、三井は嬉しさと恥ずかしさが入り混じり複雑そうに言った。
大学前の道で、こんなやり取りをしているのはバカップルと思われるのかも知れないが、辺りに今は誰もいない。
そして、ゆうにとって今はここがどこかなど気にならない程に、発した言葉は満足感があり、笑顔が自然と浮かんだ。
「うん」
あまりに嬉しそうなゆうを見て面食らった三井は、スッとゆうの頬をひと撫でした。
くすぐったそうなゆうを三井は静かに見下ろす。
「なぁ」
「ん?」
「今度の日曜…時間ねぇの?」
「え?朝はバイトだから、昼からなら…」
「じゃあ、デートしようぜ」
「え、部活は?」
「その日はオフだ」
ニカっと笑い三井は手を差し出した。
それは、手を繋ぐ事を意味している。
今まで何度も繋いだ手。
けれど、何となく習慣で繋いでいたこれまでとは違い、どこか初々しい気分にさせる温もりだった。
***
約束の日曜日、ゆうは街中で三井とのデートを堪能した。
「あー、楽しかった!」
その声は、心の底から出たようにしみじみとしていて嬉しさが滲み出ている。
他愛もない、映画館とウインドウショッピングというデートコース。
しかし、久しぶりに互いを意識しながら過ごす時間は、それまでの渇きを満たすには充分だった。
丁度、信号待ちで立ち止まると、三井はフッと笑いゆうを見下ろした。
「そうだな。お前、まだ時間あるよな?」
「うん?」
「行きたい所あんだよ」
三井は含んだ笑みを浮かべるだけで、変わった信号にゆうの手を引き歩き出した。
それから電車に揺られ、着いた駅を見てゆうは行く先の予想が付いたと同時に疑問が浮かぶ。
三井は、無言でゆうの手を引いて歩き続けると、目的地の前で立ち止まった。
それはよく見ていた景色でもある。
三井はまた歩み出した。
「ちょ、入っていいの?」
「気にすんなよ、母校だろ」
「だからって、卒業してるんだから…」
今目の前にあるのは、今年卒業した湘北高校だった。
卒業後、高校へ訪れた事はなく、久し振りに見る校舎は懐かしい。
だからと言って、勝手に入る事は駄目だろうと思われたが、三井は気にした様子もなく、そのままゆうを引き連れて門を潜ってしまう。
ゆうは引かれた手を振り払えず、それに続くしかできなかった。
ズンズン進む三井とは対照的に、ゆうが怖々辺りを見回しながら歩いていると、突然声が聞こえた。
「ぬぁあっ!!」
「え?」
「あ?」
声の主にゆう達が声を同時に上げて振り返ると、ワラワラと生徒が近付いて来た。
そこには、見覚えのある顔ぶれが揃っている。
慣れ親しんだバスケ部員達だ。
「ミッチーじゃないか!」
桜木は、相変わらずの赤い坊主頭で三井の両肩を強く叩いた。
その痛みに顔を顰める三井に、宮城は少し驚いた様子で疑問を投げかける。
「何してるんすか、こんな所で」
宮城の隣で同じく驚いた顔をしている彩子は、晴子と顔を見合わせた。
「うす」
一様に驚く中、流川だけは無表情のまま軽く会釈だけする。
三井はその反応に懐かしさが蘇り、少し照れの混じった苦笑を浮かべた。
「あ?おー、久しぶり」
「俺様に会えず寂しくなったか、ミッチー!」
「ンなわけあるか!」
「でも、どうしたんですか、急に?」
晴子が不思議そうに疑問を投げかけると、答える前に宮城がチラリと、ゆうと三井の手元を見て言った。
「デートでしょ」
「え?あ、えっと…」
ゆうはその視線に気づき、慌てて繋いだままだった手を離そうとするが、三井はそれを許さずギュッと握り見せつけた。
「そうだぜ、悪いかよ。お前らも彼女くらい作れ」
ニヤニヤと余裕たっぷりに言い放つ三井は、怒り出した桜木と宮城に息の合った動きで技を決められた。
「ぬぁぁあ!」
「ふんぬぅぅう!」
「ばっ、イテェ!」
どうやら2人の片想い継続中のようだ。
わちゃわちゃと戯れるその場をゆうが優しく見つめていると、彩子と晴子が話しかけて来た。
「お久しぶりです。お元気でしたか?」
「え、うん」
「今も仲が良さそうで羨ましいです」
「あ、ありがとう」
三井は大学が決まってから卒業までの間、暇さえあれば放課後に体育館へ訪れ、部活に突然参加する事がよくあった。
そうなると、付き合い出して間もなかったゆうは自ずと体育館へ行く機会が増え、その時にゆうは彩子達と軽く会話をする仲にはなっていったのだ。
「でも先輩、あの人の相手大変じゃないんですか?」
「え!?」
「よく喧嘩してましたよね?」
「まぁ…」
思い出すのは、何かと些細な事で口喧嘩になる事が多かった当時と、それを止める木暮の姿だった。
元々三井は口が良い方ではなく、女子に対し不器用な性格もしている。
付き合い出した頃はそれがどこまで本気なのかが分からず、売り言葉に買い言葉で互いに止まらなくなっていた。
初めこそ喧嘩をすれば皆遠巻きにしていたが、そのうち慣れ始めたのか気にされる事も少なくなっていった。
その記憶に羞恥心が湧き立つゆうだったが、晴子は朗らかに笑いながら言った。
「でも、すぐに仲直りして仲良く笑い合ってて、楽しそうでしたよ」
「確かに。あれは少し羨ましくなるくらいだったわ」
「愛ですね!」
「あっい!?晴子ちゃん、相変わらず恥ずかしい事言うね」
「そうですか?」
ゆうは素っ頓狂な声が出るが、晴子はきょとんとしていて、悪意も何もない言葉なのだろうと分かる。
そして思い出したのは、喧嘩をしても何故か当時はすぐに仲直りが出来ていたという事だ。
今ほど険悪にもならず、どちらからともなく歩み寄っていた。
それが今では随分難しくなってしまったと思い、ゆうは少し複雑そうな顔をしていた。
「でも、良かったです、続いてて」
「え?」
前方に視線を送っていた晴子を見れば、ふいに視線が交わった。
晴子は少し頬を染め嬉しそうに言った。
「ふふ、2人は私の憧れなんですよ」
「そうなの?」
「はい。いつも笑い合っているのが素敵だなって思ってたんです。いつか私も…」
晴子は流川に視線を送りつつも、少し照れているのか頬に手を当てていた。
晴子もまた、流川に片想いを続けているのだと気付いたゆうが口を開きかけると、前方から声がした。
「おーい、ゆう」
「ん?何?」
「ちょっとだけやって行っていいか?」
「あ、いいよー」
三井が体育館を指差すので、ゆうはバスケがしたいのだと分かり考える間もなく了承した。
きっと、もうすぐ冬の選抜なのだろう。
試合が始まれば皆の意気込みが違い、鬼気迫るものがあった。
そんな中、ゆうは久しぶりに見る三井のバスケ姿に胸が高鳴っているのだった。
それから30分ほどすると、三井は輪から離れゆうの元へとやって来た。
「悪い」
申し訳なさそうにする三井だったが、どこか嬉しそうにしていて、ゆうにもそれが伝染する。
「ううん、久しぶりにバスケしてるとこ見れて嬉しかった」
「そうかよ」
三井は少し頬を染めると、ゆうの手を引き歩き出した。
ヒューヒューと言う声が後ろから聞こえたが、それを無視して進む三井に、ゆうは振り返り軽く会釈してから三井に視線を移した。
「どこ行くの?」
「教室」
ニッと悪戯っぽく笑って、三井は校舎を指差した。
階段を昇り懐かしい教室を覗くと、何故か鍵が開いていた。
補習か何かが行われていたのだろうか、室内はまだ微かに暖かかった。
「なんか懐かしいな」
「うん。1年経ってないのに変な感じ」
整然と並んだ机や黒板は何も変わらないが、今ここは後輩達の教室であって、そこに部外者である2人が入るのは、まるで他人の家に入った時のような、妙なよそよそしさがあった。
だが、自然と足は昔座っていた席に向き、当時前後だった席に吸い寄せられるように座った。
ゆうが窓際から外を眺めると、校庭では運動部が活動をしている。
何もかもが懐かしく、ゆうがぼんやりとその様子を見ていると、ふいに三井が口を開いた。
「そういやぁよ」
「ん?」
「お前、よく外見てたよな」
「そうだっけ?」
その時、ゆうの髪に三井の手が伸び、軽く引っ張った。
「んで、俺がこうやってちょっかいかけんだよな」
「あ、確かに!何で毎回、髪引っ張るんだろーって思ってたんだけど!」
「何か、丁度良かったんだよな」
「何それ?」
ゆうが怪訝そうにしていると、三井は微笑みボソリと呟いた。
「髪引っ張って、こっち向いた時の顔が好きだったんだよな」
「え?」
「俺だけ見てる、特別な感じがした」
それは、初めて聞く三井の想いだった。
付き合う前は確かに三井がちょっかいを出す事が多く、ゆうには理解し難い所もあったのだが、ゆう自身それが嫌ではなかった。
振り向いた時に三井と視線が合うと、初めは意地悪く笑っていても、ふいに優しく笑いかけられる事があった。
ゆうはその笑みに自然と惹かれたのだ。
ゆうが返す言葉を探していると、三井は立ち上がりゆうの手を取る。
「よし、行くか」
「え?どこに?」
「帰り道デート」
ニッと少年のように笑う三井に、ゆうは益々反応に困ってしまう。
どうにも、今日の三井はいつもと違う気がしてならなかった。
そして、優しく繋がれた手をゆうは静かに握り返した。
それから、2人でポツリポツリと昔話をしながら歩いていると、放課後よく歩いていた道に出た。
「この道、通るの久しぶり!」
卒業以来、2人がこの道を通る事はなくなった。
その風景はさして変わりもなく当時のままだ。
「だな。お、まだあのコロッケあんだな」
三井が目ざとく見つけたのは、帰り道でよく買い食いしていた肉屋のコロッケだった。
味の豊富さもあってかこの辺りでは有名で、小腹が空いた学生がよく買っており、当時、ゆう達もよく買っていたのだ。
「本当だ!よく色々買って食べたよね」
「あぁ。何味にするかで喧嘩とかな。でも楽しかったよな」
「本当だね」
記憶はだんだんと鮮明になる。
そんな他愛もない日常が、今にして思えば貴重な時間だったのだと気付かされる。
街並みは変わらず、変わったのは2人の服装と素直さだけだろうか。
「なぁ、あの公園覚えてるか?」
歩き続けていると、三井が顎でクイッとある方を指した。
そこには見覚えのある公園があり、ゆうはニコリと笑った。
「当たり前でしょ?付き合って初めてのデートだよね」
「告白した帰り道だったか」
「うん、すごくドキドキしたの覚えてるよ」
「あの頃よりは、スムーズに繋げるようになっただろ?」
「何それ!」
三井が繋いだ手を軽く上げると、ゆうには笑みが溢れた。
当時は確かにお互いぎこちなく、緊張していたのを覚えている。
公園内に入ると、当時のままに人気がなくベンチにすんなり座れた。
「このベンチに座ったんだよね。それから暗くなるまで話して…」
「ゆう」
ふいに名を呼ばれ振り向けば口付けが降って来た。
ただ触れただけで、静かに離れた距離はごく僅かで自然と見つめ合う。
「ゆう、好きだ」
告白された帰り道のこの公園での出来事が鮮明に蘇る。
当時、口付けはなく抱きしめられただけだが、今と同じように真っ直ぐ言葉が届けられた。
「多分、これからも時間作るの難しいと思うけど、俺は別れる気ねぇから」
「うん」
「それと前みたいにちゃんと言いたい事は言え。俺もちゃんと聞くから」
「うん」
きっとこれが今日、三井が言いたかった本音なのだろう。
三井なりに色々考えたのだろうとも予測でき、ゆうは涙が滲んだ。
その真っ直ぐな気持ちが何よりも嬉しく、ゆう自身もちゃんと伝えようと思うも感極まって涙が溢れてしまう。
それを見た三井はそっと涙を拭うとポケットから小さな箱を取り出した。
「それと、これ」
「ん?」
開けられた箱には、今日ウインドウショッピング中に見たペアリングが入っていた。
手持ちがないからまた今度と言う話になっていたのだが、何故かそれが今目の前にある。
状況を掴めずにいるゆうをよそに、三井は指輪をゆうの指に静かに嵌めた。
そして、もう片方を三井が手に取ったのを目の端に止めると、慌ててゆうはそれを遮り、三井の指に嵌めた。
三井は可笑しそうに笑う。
ゆうはその流れが不自然だったのかと不安になるが、三井がゆうの手をそっととった。
「これ見る度、俺の事思い出せ。俺も、見る度に思い出すから」
三井の漏れ出た破顔に、ゆうはコクコクと頷く事しか出来なかった。
その笑みは、今まで見たどの笑顔よりも眩しく嬉しそうに見え、ゆうの胸に焼き付けるには充分で心を揺さぶらせた。
「まぁ…これからもよろしくな!」
「うん!」
ゆうは今度こそ大きく頷き答えた。
そして2人の唇は自然と重なり合う。
ポッカリ空いていた胸の穴が埋められたかのように、心はただ暖かみに溢れるのだった。
→アトガキ
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