落ちる影は獣のよう
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肌寒さが顔を出す事の多くなる季節、牧は放課後の廊下を一人歩いていた。
最早日課となっている部活が今日は休みの為、自主練習をするか休息日にしようかと考えあぐねているところだ。
と、前方のドアから見知った姿が、ダンボールを抱えてのそのそと出てきたので思わず声をかけた。
「何をしているんだ?」
そこにいたのは同じクラスである恋だった。
恋は、ドア付近に重たげなダンボールを置くと振り返った。
「ん?あぁ、牧くんか。生徒会室の資料片付けようと思って」
二ヘラと笑う恋越しに見える室内には、ダンボールが所狭しと床に並んでいた。
つい先日までは、奥に追いやられ高く積まれていたダンボールを全て下ろしたようで、牧は微かに眉を寄せてしまう。
「こんなにあったか?」
「あー、これは今までのやつ全部出したからかな。大半は処分する予定だし、残りは少なくなるはず」
牧の視線を追う恋は、あははと軽く笑うとまた室内に戻って行く。
牧はそれをドアから覗き恋の手元を見ていた。
恋は一つのダンボールを机に乗せると、淡々と中身を取り出し分類し始めた。
一体いつからの書類が残っているのか、牧にはそれらが中々の量にも見えた。
「恋一人でするのか?」
牧が疑問を投げかけると、恋は書類から視線を上げて、少しだけ困ったように笑っていた。
「今のうちにやっとこうかなって、私が勝手に思っただけだから。他の子ら呼ぶのも悪いでしょ?」
三年生である恋の生徒会活動は今週で終わる。
来週から新たなメンバーで執り行なわれる生徒会を前に、現生徒会メンバーである恋は片付けをしたかった。
今まで書類を引き継ぐ際に、保存期間の過ぎた書類は処分しなければならなかったのだが、それを後回しにしてきた年度が度々あったのだ。
その結果がこの有り様である。
見兼ねた牧は口を開く。
「手伝おうか?」
「あれ、今日部活は?」
「今日は休みだ」
「自主練とかしないの?」
「後でするさ。で、これはどうするんだ?」
牧はフッと笑い室内に入ると、近場のダンボールを恋と同じように机に乗せた。
恋は目を丸くすると慌てて牧の手を止める。
「え、悪いし、いいよ!」
「俺が手伝いたいと思っただけだから、気にするな」
「…じゃあ、ありがとう」
牧にそうまで言われると返す言葉もなくなり、恋は眉尻を下げそう続けたのだった。
それから、黙々と作業を続けること数十分、ふいに一息ついた牧は上着を脱ぎ、それを椅子にかけて窓辺へ移動した。
「ふぅ、今日は暑いな」
窓の外には心地よい風が吹いていた。
だがそれは、書類が飛ばないように微かにしか開けていなかった室内には余り入って来ず、じわりと室内の温度は上昇していた。
「だねー。気温高いよね、今日」
「そうだな」
牧は袖のボタンを外し、スルスルと袖を捲し上げ一息つくと元の場に戻る。
ついでにネクタイの先を胸ポケットにしまっていると、恋からの視線に気づいた。
「どうした?」
「今の格好だと、牧くんサラリーマンみたいでいつもより上司っぽい」
クスクス笑う恋に、牧は眉を顰め無言でネクタイと袖を元に戻す。
恋にとっては何気ない一言だったようだが、牧にはあまり面白くもない言葉だったのだ。
恋は牧の様子から失言だったと気づき、やんわりとそれを止めた。
「あー、褒めてるんだから元に戻さなくても」
「いや、嬉しくないぞ、その言葉は」
「そう?カッコいいよ。よくマンガとかであるさ、仕事の出来る頼れる上司ってやつっぽい」
柔らかな笑みを携える恋に、牧は微かに目を見開いてから視線を逸らした。
素直な賛辞に少し気恥ずかしくもあり、また元のように袖を捲るしかなかった。
恋は、それを見届けると再び書類に視線を移す。
「でも実際、牧くんって出来る人だよね。勉強もスポーツも」
「普通だぞ?」
「牧くんには普通かもね。周りから見たら文武両道ってカッコイイよ」
躊躇なく紡がれる言葉に、牧は少し居心地が悪くなった。
「恋もそう思うのか?」
「思うよー。私は勢いばっかで全然だし。生徒会のこともさ、牧くんみたいな人なら、すんなり物事進められたんだろうなって思うから憧れる」
言いながら恋はこの一年を振り返っていた。
恋は生徒会長を一年務め上げ、今までの生徒会とは違い、革新的に活動をした。
しかし、今までと違う事をするには難題も多く叶わぬ事も多々あった。
そして、あまりに突拍子も無い事は生徒からも非難を受ける。
結果を見れば良かった事も、最中には賛同者も少なく、現生徒会は色々と苦労をしたのも事実。
そして、そんな提案をするのはいつも決まって恋で、突っ走る生徒会長だったのは周知の事だろう。
「恋は、身近な生徒会長という感じで評判も良かったし、気にすることはないだろう?」
「本当?私、勢いで突っ走るタイプだから、迷惑かけまくったはずだよ」
「でも、行事なんかは去年より楽しかったぞ。俺の周りもそういう意見は多かったしな」
「そうなら嬉しいな」
恋はとても嬉しそうに笑みを浮かべた。
その言葉を聞けると、一年の苦労も報われると言うものだ。
牧もつられて笑みを浮かべるが、ふと、ある人物が頭に浮かび疑問に思っていた事を口にした。
「突っ走る恋の手綱を引いたのは、副会長か?」
「あー、確かにそれはあるかも。副会長のおかげで何とかなったの多かった気がするし」
「よく二人で話しているのを見かけたよ」
「大半が小言だよ?副会長すごく意地悪だから」
恋は苦笑いを浮かべ立ち上がると、書類の束を棚へ順に仕舞っていく。
牧はその後ろ姿を眺めながら、僅かに自嘲の滲んだ笑みを浮かべた。
「そうか。今回の生徒会は、皆仲が良さそうで羨ましかったな」
「そう?じゃあ、牧くんもまた生徒会入れば良かったのに」
「そうだな。そうしていたら、恋ともっと長く時間が過ごせたかもしれないな」
「…ん?」
その言葉に引っかかりを覚えた恋は振り返り牧を見た。
牧は視線に気づくと優しく口角を上げて立ち上がり、ダンボールをタンタンと軽く叩いた。
「これはどこに仕舞うんだ?」
「あ、この上にお願い」
「よし」
恋が今いる棚の上を指示すると、牧は軽々とダンボールを持ち上げ恋の前で立ち止まる。
恋のすぐ目の前で持ち上げる仕草は妙に男を感じ、わずか数センチの距離に恋は固まってしまった。
覆い被さられるように恋へ影が落ちると、牧は視線だけを恋に向けた。
「どうした?」
「ううん!」
恋のどこか慌てる様に牧は不思議そうにしたが、現状に気付くと、ふいに笑みが溢れた。
「あぁ、すまん。危なかったな」
「大丈夫!すぐにどかなかった私が悪いし」
「そうか」
恋の慌てぶりを楽しんでいるかのようにも見える牧に、恋の背にはタラリと冷や汗が流れた。
「あのー、牧くん?そろそろ離れてくれない?」
「何故だ?」
「何故って…」
牧はすでに荷物を乗せ終わっているのだから、その場を離れるのが常だろうと恋は思う。
一歩下がろうとしても、恋の背には棚しかなく距離を取る事もままならない。
ただ、腕で囲いを作られているわけでもないのだから逃げ道がないわけではなかった。
しかし、何故かそこから一歩でも動く事を躊躇する程には、牧が恋をじっと見下ろしていた。
「なぁ、一つ聞きたいことがあるんだが」
「うん?」
「お前は副会長と付き合っているのか?」
唐突な質問に、恋は目を見開き慌てて手を振って否定した。
「…へ?いやいやいや、ないない!」
「本当か?噂が立っていたが」
「噂!?何それ、ないから!副会長とか無理!怖い!」
「そうか」
恋にとって副会長とは頭の上がらない人物だった。
同じ中学校出身という事もあり、元々それなりに会話をする仲ではあったのだが、生徒会という小さな塊の中で垣間見た姿は次第に恐怖の対象へと変化していった。
恋が突拍子もない事を言い、呆れた彼にはチクリとした言葉を散々言われたのだ。
それでも、結果的には良い方向へと導いてくれた事に恐れつつも頼もしくは思っていた。
しかし、それが恋愛感情に変わるかと聞かれればノーであるとしか言いようがなかった。
牧が微かに安堵したような笑みを浮かべ離れたので、恋は眉を寄せた。
「てか、なんで牧くんがそんなこと気にするの?」
「ん?」
「私が誰と付き合ってても問題ないよね?」
「いや、俺の中では大問題だ」
「え?」
恋が微かに溢した疑問を聞いていないかのような素振りで、牧は机の上を簡単に片付け振り返った。
「さて、そろそろ終わるか?」
「あ、うん。ありがとう、助かったよ」
恋は流れた話には触れず、処分する為のダンボールやゴミ袋を廊下へと出した。
と、頭上に影が落ちて視線を移すと、今しがた話題に上った人物が目の前にいた。
「会長、何してんの?」
「げっ」
「げって何、げって」
ニコリと笑う男子生徒は副会長そのもので、恋はタラリと冷や汗を流すと視線を逸らした。
「いや〜?か、片付けしてただけだよ!」
「へぇ。ちゃんと分類した?」
「したから!」
恋は、また勝手な事をしたと言われてしまうのではと、気が気ではなかった。
何気ない質問が繰り出され、恋はそれに答えるしかないのだが、変に神経を研ぎ澄ましている為に疲れが滲み出て来そうだった。
「恋」
「ん?」
どう切り抜けるかを考えていた恋は、ふいに名を呼ばれその方向を見る。
そこには牧が文具片手に申し訳なさそうに立っていた。
「悪い。これはどうするんだ?」
「あ、うん!ごめん、それは棚の引き出し」
恋は助かったと言わんばかりに、副会長へ手短に別れの挨拶をしてその場を離れた。
副会長も特段気にした様子もなくアッサリと去って行った。
恋は室内へ戻り、牧の傍にある引き出しを開け微かに胸を撫で下ろした。
が、引き出しを開けたもののいつまで経っても中へ仕舞われる様子のない文具に、恋はそれを持つ牧を不思議そうに見やる。
「牧くん?どうしたの?」
「いや…あー…っとだな…」
牧は口籠もりながら手にした文具を引き出しの中へ下ろす。
恋は疑問を抱きながらも引き出しを閉め、ふと、視界の端に時計が入ったので口を開く。
「ん?あ、もしかして自主練の時間?ごめんね、長々と」
「いや」
「でも、助かったよ。副会長にまた小言言われるとこだったし!」
「仲が良くて羨ましいな」
フッと牧が笑うと、恋は怪訝そうに眉を寄せた。
恋にしてみればそんなつもりはなく、むしろ蛇に睨まれた蛙のようで、微笑ましくもなんともなかったのだ。
「えー?まぁ、二人でいること多かったから言える仲ってのはあるかもだけど…」
「二人きりか?」
「うん。他の子らに話す前に、二人で話詰めること多かったから。よくここに集まってたよ」
「そうか」
ここでのやりとりは大半が恐縮していたのだが、有意義な時間だったと恋は思っていた。
だから、その事に疑問など持たなかったのだが、牧が少し眉を寄せていたので気になり出す。
「何?」
「二人きりは危なくないか?」
「何で?」
「あいつも男だろう」
「あー、ないない!だって女の子扱いされてないし」
「わからないだろ?」
「副会長からしたら面倒ごとのタネって印象しかなかったと思うよ」
「そうでもないだろう」
「えー?」
微塵にもその可能性を感じていない恋に、牧は少し頭が痛くなった。
二人のやりとり、いや副会長の態度は恋に少なからず好意を寄せているようにしか見えなかった。
それが、どういった類いのものであっても牧にとって面白くはなく、ため息混じりに声が漏れた。
「やっぱり、引き受ければ良かったかな」
現生徒会のメンバーを決める際、前年度の生徒会に入っていた牧の名も候補者リストに上がっていたのだが、バスケに専念したいのもあり早々に断っていたのだ。
それを今更ながらに牧は後悔したくなっていた。
「今更?でも、部長と兼任は大変だし、気遣っちゃうよ」
クスクスと笑う恋に牧は自然と口元を緩めた。
その気遣いが嬉しいと思えたのだ。
「気兼ねなんてしなくていいさ。恋と二人でいられるなら歓迎するぞ」
「え?」
「恋は、副会長といてドキドキしなかったのか?」
恋の疑問はまたも流された。
ふいに牧を見返せば、どこか困ったような表情とぶつかる。
恋は何故だかその表情を見るのが嫌で妙に明るい声を出す。
「ないない。何言われるかビクビクはしてたけど!牧くんといる方がドキドキできるよ」
「それは、本気で言っているのか?」
牧は眉間に皺を寄せ問う。
恋は朗らかに笑うと躊躇なく答えた。
「うん。牧くんが影で人気ある理由が分かるくらいにはドキッとしたよ?」
「何だ、それは」
「牧くんってさ、結構女子人気高いんだよね。優しくて頼りになるしバスケの時カッコイイからって。まぁ、ないわーって子もいるんだけど」
「恋もそう思うのか?」
「そうだね」
「そうか」
スッと牧の声が落ちた気がして恋は慌てて言葉を発した。
今の言い方では意図しない伝わり方をした気がしたのだ。
「え?あ、違うよ、私はカッコいいと思ってるよ!」
「そうか」
「うん、バスケしてる時カッコイイよね」
「その時だけか?」
「他?他はねー…」
「いや、いいさ」
すぐに答えが出ない恋を見て牧は苦笑いした。
それを見て恋はまたも居心地が悪くなり、奥底にしまった言葉をそっと紡いだ。
「でも、さっきのは本当ドキっとしたよ」
「さっき?」
「襲いかかられそうな距離だった時」
恋は少し照れながら笑みを浮かべていた。
恋を棚に追い詰める形となった時の事だと気づくと、牧は少し焦ったように言った。
「そんなつもりは…」
「分かってるって。そんなつもり端からないだろうし、不可抗力でしょ?でも、あの距離はちょっとドキっとするよね。なんか上手く言えないんだけど雄って感じ」
「雄…」
「いや、まぁ男の子だから雄なんだけど、何て言うのかなぁ…獣みたい?噛みつかれそう」
ふふっと笑う恋に、牧はどうしてだか加虐心に似た感情が奥底で宿った。
「噛みついていいなら噛むが?」
「ふふ、じゃあ噛みつきますか?」
牧はそんな事をしないという信頼感からか、恋は茶化してそんな言葉を口にする。
牧もそんなつもりは毛頭なかった。
いや、頭ではそう考えていたのだ。
けれども、体はそれを無視し、牧は恋の首元に顔を引き寄せた。
「っえ!?」
恋の驚きの声と共に牧は我に返り、寸でのところで止まる。
至近距離にある恋の首元を暫し見つめると上体を起こした。
「ふっ、冗談だ」
「あの、離れ…」
「そうだな」
恋の肩に置いた手を退けると牧は一歩下がった。
恋は困惑の表情で牧を見つめている。
「恋は無防備だな」
「え!?」
「だから、噂なんかが立つんだろう」
ニヤリと笑う牧に恋は言い返したいものの、どうにも現状からは反論できず言葉が見つからない。
「なぁ、恋」
牧は名を呼ぶと、再び恋に一歩近づいた。
「な、何?」
「好きだ」
「…っ!?」
「俺と付き合ってくれないか?」
自然と続く言葉に、恋は戸惑いしか生まれず声をうわずらせた。
「えっ、ちょ、あの…」
「無理…か?」
ズイッと顔を近づけた牧に恋の頬は上気し始めた。
牧はどこか自信なさげに眉を下げている。
恋は、今まで牧の事を特別意識した事などなかった。
どちらかと言えば好意的には見ていたので、告白されて嫌な気は一切しない。
ただ、あまりに突然で恋は反応に困ってしまった。
紅潮した頬に視線を泳がせる様からは、隠しようのない照れが垣間見えた。
「無理っていうか…ちょ、ちょっと考えさせて!」
「あぁ」
即答で返って来た言葉に恋は少し慌ててしまう。
苦し紛れに出た言葉だったのだが、牧からは笑みが返ってきたのだ。
「いいの?」
「考えるなら少しは可能性があると言うことだろう?」
「でも、断るかもしれないよ?」
「…まぁ、その時はその時だ。気にせず考えろ。いつまででも待つさ」
途端、恋は牧の顔を直視出来なくなった。
優しく笑む牧が妙に色鮮やかに見えて、恋の頬は赤みが中々消えない。
それを見て困ったように笑った牧は、そんな恋を置いて部屋を後にした。
取り残された恋は、その後ろ姿すら見る事が出来なかった。
頭には今の出来事が反芻される。
先ほど噛みつかれると思った瞬間が嫌でも頭をよぎった。
我ながら単純だと恋自身思わずにはいられない。
これから、牧を見る目が確実に変わる予感がした恋の胸の高鳴りは当分止みそうもない。
けれど、今芽生えそうな気持ちは不思議と不快ではなく、恋の口元には微かに笑みが浮かんだのだった。
→アトガキ
最早日課となっている部活が今日は休みの為、自主練習をするか休息日にしようかと考えあぐねているところだ。
と、前方のドアから見知った姿が、ダンボールを抱えてのそのそと出てきたので思わず声をかけた。
「何をしているんだ?」
そこにいたのは同じクラスである恋だった。
恋は、ドア付近に重たげなダンボールを置くと振り返った。
「ん?あぁ、牧くんか。生徒会室の資料片付けようと思って」
二ヘラと笑う恋越しに見える室内には、ダンボールが所狭しと床に並んでいた。
つい先日までは、奥に追いやられ高く積まれていたダンボールを全て下ろしたようで、牧は微かに眉を寄せてしまう。
「こんなにあったか?」
「あー、これは今までのやつ全部出したからかな。大半は処分する予定だし、残りは少なくなるはず」
牧の視線を追う恋は、あははと軽く笑うとまた室内に戻って行く。
牧はそれをドアから覗き恋の手元を見ていた。
恋は一つのダンボールを机に乗せると、淡々と中身を取り出し分類し始めた。
一体いつからの書類が残っているのか、牧にはそれらが中々の量にも見えた。
「恋一人でするのか?」
牧が疑問を投げかけると、恋は書類から視線を上げて、少しだけ困ったように笑っていた。
「今のうちにやっとこうかなって、私が勝手に思っただけだから。他の子ら呼ぶのも悪いでしょ?」
三年生である恋の生徒会活動は今週で終わる。
来週から新たなメンバーで執り行なわれる生徒会を前に、現生徒会メンバーである恋は片付けをしたかった。
今まで書類を引き継ぐ際に、保存期間の過ぎた書類は処分しなければならなかったのだが、それを後回しにしてきた年度が度々あったのだ。
その結果がこの有り様である。
見兼ねた牧は口を開く。
「手伝おうか?」
「あれ、今日部活は?」
「今日は休みだ」
「自主練とかしないの?」
「後でするさ。で、これはどうするんだ?」
牧はフッと笑い室内に入ると、近場のダンボールを恋と同じように机に乗せた。
恋は目を丸くすると慌てて牧の手を止める。
「え、悪いし、いいよ!」
「俺が手伝いたいと思っただけだから、気にするな」
「…じゃあ、ありがとう」
牧にそうまで言われると返す言葉もなくなり、恋は眉尻を下げそう続けたのだった。
それから、黙々と作業を続けること数十分、ふいに一息ついた牧は上着を脱ぎ、それを椅子にかけて窓辺へ移動した。
「ふぅ、今日は暑いな」
窓の外には心地よい風が吹いていた。
だがそれは、書類が飛ばないように微かにしか開けていなかった室内には余り入って来ず、じわりと室内の温度は上昇していた。
「だねー。気温高いよね、今日」
「そうだな」
牧は袖のボタンを外し、スルスルと袖を捲し上げ一息つくと元の場に戻る。
ついでにネクタイの先を胸ポケットにしまっていると、恋からの視線に気づいた。
「どうした?」
「今の格好だと、牧くんサラリーマンみたいでいつもより上司っぽい」
クスクス笑う恋に、牧は眉を顰め無言でネクタイと袖を元に戻す。
恋にとっては何気ない一言だったようだが、牧にはあまり面白くもない言葉だったのだ。
恋は牧の様子から失言だったと気づき、やんわりとそれを止めた。
「あー、褒めてるんだから元に戻さなくても」
「いや、嬉しくないぞ、その言葉は」
「そう?カッコいいよ。よくマンガとかであるさ、仕事の出来る頼れる上司ってやつっぽい」
柔らかな笑みを携える恋に、牧は微かに目を見開いてから視線を逸らした。
素直な賛辞に少し気恥ずかしくもあり、また元のように袖を捲るしかなかった。
恋は、それを見届けると再び書類に視線を移す。
「でも実際、牧くんって出来る人だよね。勉強もスポーツも」
「普通だぞ?」
「牧くんには普通かもね。周りから見たら文武両道ってカッコイイよ」
躊躇なく紡がれる言葉に、牧は少し居心地が悪くなった。
「恋もそう思うのか?」
「思うよー。私は勢いばっかで全然だし。生徒会のこともさ、牧くんみたいな人なら、すんなり物事進められたんだろうなって思うから憧れる」
言いながら恋はこの一年を振り返っていた。
恋は生徒会長を一年務め上げ、今までの生徒会とは違い、革新的に活動をした。
しかし、今までと違う事をするには難題も多く叶わぬ事も多々あった。
そして、あまりに突拍子も無い事は生徒からも非難を受ける。
結果を見れば良かった事も、最中には賛同者も少なく、現生徒会は色々と苦労をしたのも事実。
そして、そんな提案をするのはいつも決まって恋で、突っ走る生徒会長だったのは周知の事だろう。
「恋は、身近な生徒会長という感じで評判も良かったし、気にすることはないだろう?」
「本当?私、勢いで突っ走るタイプだから、迷惑かけまくったはずだよ」
「でも、行事なんかは去年より楽しかったぞ。俺の周りもそういう意見は多かったしな」
「そうなら嬉しいな」
恋はとても嬉しそうに笑みを浮かべた。
その言葉を聞けると、一年の苦労も報われると言うものだ。
牧もつられて笑みを浮かべるが、ふと、ある人物が頭に浮かび疑問に思っていた事を口にした。
「突っ走る恋の手綱を引いたのは、副会長か?」
「あー、確かにそれはあるかも。副会長のおかげで何とかなったの多かった気がするし」
「よく二人で話しているのを見かけたよ」
「大半が小言だよ?副会長すごく意地悪だから」
恋は苦笑いを浮かべ立ち上がると、書類の束を棚へ順に仕舞っていく。
牧はその後ろ姿を眺めながら、僅かに自嘲の滲んだ笑みを浮かべた。
「そうか。今回の生徒会は、皆仲が良さそうで羨ましかったな」
「そう?じゃあ、牧くんもまた生徒会入れば良かったのに」
「そうだな。そうしていたら、恋ともっと長く時間が過ごせたかもしれないな」
「…ん?」
その言葉に引っかかりを覚えた恋は振り返り牧を見た。
牧は視線に気づくと優しく口角を上げて立ち上がり、ダンボールをタンタンと軽く叩いた。
「これはどこに仕舞うんだ?」
「あ、この上にお願い」
「よし」
恋が今いる棚の上を指示すると、牧は軽々とダンボールを持ち上げ恋の前で立ち止まる。
恋のすぐ目の前で持ち上げる仕草は妙に男を感じ、わずか数センチの距離に恋は固まってしまった。
覆い被さられるように恋へ影が落ちると、牧は視線だけを恋に向けた。
「どうした?」
「ううん!」
恋のどこか慌てる様に牧は不思議そうにしたが、現状に気付くと、ふいに笑みが溢れた。
「あぁ、すまん。危なかったな」
「大丈夫!すぐにどかなかった私が悪いし」
「そうか」
恋の慌てぶりを楽しんでいるかのようにも見える牧に、恋の背にはタラリと冷や汗が流れた。
「あのー、牧くん?そろそろ離れてくれない?」
「何故だ?」
「何故って…」
牧はすでに荷物を乗せ終わっているのだから、その場を離れるのが常だろうと恋は思う。
一歩下がろうとしても、恋の背には棚しかなく距離を取る事もままならない。
ただ、腕で囲いを作られているわけでもないのだから逃げ道がないわけではなかった。
しかし、何故かそこから一歩でも動く事を躊躇する程には、牧が恋をじっと見下ろしていた。
「なぁ、一つ聞きたいことがあるんだが」
「うん?」
「お前は副会長と付き合っているのか?」
唐突な質問に、恋は目を見開き慌てて手を振って否定した。
「…へ?いやいやいや、ないない!」
「本当か?噂が立っていたが」
「噂!?何それ、ないから!副会長とか無理!怖い!」
「そうか」
恋にとって副会長とは頭の上がらない人物だった。
同じ中学校出身という事もあり、元々それなりに会話をする仲ではあったのだが、生徒会という小さな塊の中で垣間見た姿は次第に恐怖の対象へと変化していった。
恋が突拍子もない事を言い、呆れた彼にはチクリとした言葉を散々言われたのだ。
それでも、結果的には良い方向へと導いてくれた事に恐れつつも頼もしくは思っていた。
しかし、それが恋愛感情に変わるかと聞かれればノーであるとしか言いようがなかった。
牧が微かに安堵したような笑みを浮かべ離れたので、恋は眉を寄せた。
「てか、なんで牧くんがそんなこと気にするの?」
「ん?」
「私が誰と付き合ってても問題ないよね?」
「いや、俺の中では大問題だ」
「え?」
恋が微かに溢した疑問を聞いていないかのような素振りで、牧は机の上を簡単に片付け振り返った。
「さて、そろそろ終わるか?」
「あ、うん。ありがとう、助かったよ」
恋は流れた話には触れず、処分する為のダンボールやゴミ袋を廊下へと出した。
と、頭上に影が落ちて視線を移すと、今しがた話題に上った人物が目の前にいた。
「会長、何してんの?」
「げっ」
「げって何、げって」
ニコリと笑う男子生徒は副会長そのもので、恋はタラリと冷や汗を流すと視線を逸らした。
「いや〜?か、片付けしてただけだよ!」
「へぇ。ちゃんと分類した?」
「したから!」
恋は、また勝手な事をしたと言われてしまうのではと、気が気ではなかった。
何気ない質問が繰り出され、恋はそれに答えるしかないのだが、変に神経を研ぎ澄ましている為に疲れが滲み出て来そうだった。
「恋」
「ん?」
どう切り抜けるかを考えていた恋は、ふいに名を呼ばれその方向を見る。
そこには牧が文具片手に申し訳なさそうに立っていた。
「悪い。これはどうするんだ?」
「あ、うん!ごめん、それは棚の引き出し」
恋は助かったと言わんばかりに、副会長へ手短に別れの挨拶をしてその場を離れた。
副会長も特段気にした様子もなくアッサリと去って行った。
恋は室内へ戻り、牧の傍にある引き出しを開け微かに胸を撫で下ろした。
が、引き出しを開けたもののいつまで経っても中へ仕舞われる様子のない文具に、恋はそれを持つ牧を不思議そうに見やる。
「牧くん?どうしたの?」
「いや…あー…っとだな…」
牧は口籠もりながら手にした文具を引き出しの中へ下ろす。
恋は疑問を抱きながらも引き出しを閉め、ふと、視界の端に時計が入ったので口を開く。
「ん?あ、もしかして自主練の時間?ごめんね、長々と」
「いや」
「でも、助かったよ。副会長にまた小言言われるとこだったし!」
「仲が良くて羨ましいな」
フッと牧が笑うと、恋は怪訝そうに眉を寄せた。
恋にしてみればそんなつもりはなく、むしろ蛇に睨まれた蛙のようで、微笑ましくもなんともなかったのだ。
「えー?まぁ、二人でいること多かったから言える仲ってのはあるかもだけど…」
「二人きりか?」
「うん。他の子らに話す前に、二人で話詰めること多かったから。よくここに集まってたよ」
「そうか」
ここでのやりとりは大半が恐縮していたのだが、有意義な時間だったと恋は思っていた。
だから、その事に疑問など持たなかったのだが、牧が少し眉を寄せていたので気になり出す。
「何?」
「二人きりは危なくないか?」
「何で?」
「あいつも男だろう」
「あー、ないない!だって女の子扱いされてないし」
「わからないだろ?」
「副会長からしたら面倒ごとのタネって印象しかなかったと思うよ」
「そうでもないだろう」
「えー?」
微塵にもその可能性を感じていない恋に、牧は少し頭が痛くなった。
二人のやりとり、いや副会長の態度は恋に少なからず好意を寄せているようにしか見えなかった。
それが、どういった類いのものであっても牧にとって面白くはなく、ため息混じりに声が漏れた。
「やっぱり、引き受ければ良かったかな」
現生徒会のメンバーを決める際、前年度の生徒会に入っていた牧の名も候補者リストに上がっていたのだが、バスケに専念したいのもあり早々に断っていたのだ。
それを今更ながらに牧は後悔したくなっていた。
「今更?でも、部長と兼任は大変だし、気遣っちゃうよ」
クスクスと笑う恋に牧は自然と口元を緩めた。
その気遣いが嬉しいと思えたのだ。
「気兼ねなんてしなくていいさ。恋と二人でいられるなら歓迎するぞ」
「え?」
「恋は、副会長といてドキドキしなかったのか?」
恋の疑問はまたも流された。
ふいに牧を見返せば、どこか困ったような表情とぶつかる。
恋は何故だかその表情を見るのが嫌で妙に明るい声を出す。
「ないない。何言われるかビクビクはしてたけど!牧くんといる方がドキドキできるよ」
「それは、本気で言っているのか?」
牧は眉間に皺を寄せ問う。
恋は朗らかに笑うと躊躇なく答えた。
「うん。牧くんが影で人気ある理由が分かるくらいにはドキッとしたよ?」
「何だ、それは」
「牧くんってさ、結構女子人気高いんだよね。優しくて頼りになるしバスケの時カッコイイからって。まぁ、ないわーって子もいるんだけど」
「恋もそう思うのか?」
「そうだね」
「そうか」
スッと牧の声が落ちた気がして恋は慌てて言葉を発した。
今の言い方では意図しない伝わり方をした気がしたのだ。
「え?あ、違うよ、私はカッコいいと思ってるよ!」
「そうか」
「うん、バスケしてる時カッコイイよね」
「その時だけか?」
「他?他はねー…」
「いや、いいさ」
すぐに答えが出ない恋を見て牧は苦笑いした。
それを見て恋はまたも居心地が悪くなり、奥底にしまった言葉をそっと紡いだ。
「でも、さっきのは本当ドキっとしたよ」
「さっき?」
「襲いかかられそうな距離だった時」
恋は少し照れながら笑みを浮かべていた。
恋を棚に追い詰める形となった時の事だと気づくと、牧は少し焦ったように言った。
「そんなつもりは…」
「分かってるって。そんなつもり端からないだろうし、不可抗力でしょ?でも、あの距離はちょっとドキっとするよね。なんか上手く言えないんだけど雄って感じ」
「雄…」
「いや、まぁ男の子だから雄なんだけど、何て言うのかなぁ…獣みたい?噛みつかれそう」
ふふっと笑う恋に、牧はどうしてだか加虐心に似た感情が奥底で宿った。
「噛みついていいなら噛むが?」
「ふふ、じゃあ噛みつきますか?」
牧はそんな事をしないという信頼感からか、恋は茶化してそんな言葉を口にする。
牧もそんなつもりは毛頭なかった。
いや、頭ではそう考えていたのだ。
けれども、体はそれを無視し、牧は恋の首元に顔を引き寄せた。
「っえ!?」
恋の驚きの声と共に牧は我に返り、寸でのところで止まる。
至近距離にある恋の首元を暫し見つめると上体を起こした。
「ふっ、冗談だ」
「あの、離れ…」
「そうだな」
恋の肩に置いた手を退けると牧は一歩下がった。
恋は困惑の表情で牧を見つめている。
「恋は無防備だな」
「え!?」
「だから、噂なんかが立つんだろう」
ニヤリと笑う牧に恋は言い返したいものの、どうにも現状からは反論できず言葉が見つからない。
「なぁ、恋」
牧は名を呼ぶと、再び恋に一歩近づいた。
「な、何?」
「好きだ」
「…っ!?」
「俺と付き合ってくれないか?」
自然と続く言葉に、恋は戸惑いしか生まれず声をうわずらせた。
「えっ、ちょ、あの…」
「無理…か?」
ズイッと顔を近づけた牧に恋の頬は上気し始めた。
牧はどこか自信なさげに眉を下げている。
恋は、今まで牧の事を特別意識した事などなかった。
どちらかと言えば好意的には見ていたので、告白されて嫌な気は一切しない。
ただ、あまりに突然で恋は反応に困ってしまった。
紅潮した頬に視線を泳がせる様からは、隠しようのない照れが垣間見えた。
「無理っていうか…ちょ、ちょっと考えさせて!」
「あぁ」
即答で返って来た言葉に恋は少し慌ててしまう。
苦し紛れに出た言葉だったのだが、牧からは笑みが返ってきたのだ。
「いいの?」
「考えるなら少しは可能性があると言うことだろう?」
「でも、断るかもしれないよ?」
「…まぁ、その時はその時だ。気にせず考えろ。いつまででも待つさ」
途端、恋は牧の顔を直視出来なくなった。
優しく笑む牧が妙に色鮮やかに見えて、恋の頬は赤みが中々消えない。
それを見て困ったように笑った牧は、そんな恋を置いて部屋を後にした。
取り残された恋は、その後ろ姿すら見る事が出来なかった。
頭には今の出来事が反芻される。
先ほど噛みつかれると思った瞬間が嫌でも頭をよぎった。
我ながら単純だと恋自身思わずにはいられない。
これから、牧を見る目が確実に変わる予感がした恋の胸の高鳴りは当分止みそうもない。
けれど、今芽生えそうな気持ちは不思議と不快ではなく、恋の口元には微かに笑みが浮かんだのだった。
→アトガキ
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