代わりにあげるのは
名前設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
徐々に暖かさが訪れ始めた3月某日。
ここ、陵南高校では卒業式が行われていた。
式も終わり、そこかしこで卒業生達が後輩やクラスメイトと話を弾ませている。
そして、バスケ部の面々も同様に集まっていた。
皆一様に魚住、池上の両名に祝辞を送っている。
「卒業おめでとうございます!」
バスケ部マネージャーを務める恋も開口一番そう言った。
その言葉に2人は柔らかく笑みを浮かべた。
「あぁ、ありがとう」
「ほんま寂しなりますわ〜」
相田が大袈裟な程に身振りを加えてそう言うと、魚住はまんざらでもないのか薄ら笑って答えた。
「そうか。心配せずともちょくちょく来るつもりだ」
フフンと満足げに言い放つ魚住だったが、その言葉に部員達はギョッとした顔で慌てて言葉を並べる。
「えっ!?いや、魚住さん修行あるでしょ!?」
「そ、そうですよ!忙しい中わざわざ時間割かなくても…」
「何言っとるか!今年のインターハイを必ず優勝する為には俺自らが…」
「いや、もうお前は引退したんだから…」
「そうですよ、仙道がいますし!」
「その仙道はどこだ?」
魚住は少し機嫌の悪そうな声音で言った。
そう、今この場に仙道はいない。
主将が不在と言うのもどうかとは思うのだが、それには理由があり、それを知る恋は口を開いた。
「あー、多分3年の女子に捕まってます」
「…あぁ…ボタン…」
「普通卒業する時に渡すんじゃねぇの?」
「3年の先輩達は卒業するから記念に貰いたいんじゃない?」
恋は仙道と共にHRを終えて一緒に教室を出たのだが、その瞬間から仙道は上級生達に捕まった。
仙道は、バスケ部エースでその人当たりの良さも加わり女子人気が高い。
しかし、彼女はいない為に、そのボタンの行方を狙う上級生は多く、すぐさま争奪戦になったのだ。
仙道が2年生だろうが関係などなく、1人が声をかけると堰を切ったかのように記念だからと方々から押し迫られていた。
囲まれた仙道は「後で合流する」と言い残すとその対応に追われ、恋は仕方なく先に魚住達の元へ来たのだ。
と、ふいに恋の肩にポンと手が置かれ振り返ると、そこには息を切らした仙道がいた。
「いやー、えらい目にあった」
「仙道…それ…」
越野が仙道の制服を指差し唖然としていた。
仙道は苦笑いを浮かべ制服に視線を落とす。
「ボタン全部取られた」
「袖のまで…」
「流石仙道さんですわ!」
相田が感嘆の声を上げる程に、仙道の学生服には見事にボタンが1つも付いていなかった。
仙道は疲れた表情で小さく溜息を吐く。
「はー、怖かった」
「怖かったんだ?」
「流石にあれだけの集団で囲まれたら怖いなぁ」
「女子同士で喧嘩になってるんじゃないか?」
「うわっ、壮絶そうだな。てかよ、カッターのボタンは大丈夫だったんだな」
「あぁ…欲しいって言われたけど流石に断った」
無傷のカッターシャツを掴み仙道は苦笑いを浮かべている。
その攻防を想像しただけで疲れてしまいそうで、一同は仙道へ同情の眼差しを向けた。
更に越野は労わるように仙道の背をポンポンと叩いていた。
「でも、それどうするの?まだ明日も学校あるよ?」
「あー、どうしようか…」
卒業する3年生は明日から休みに入るが、下級生は明日からも暫く学校へ通わなければならないのだ。
ボタンが購買ですぐに買えるのかも不明で、全て買うにはそこそこの金額もいるのだろう。
ふと、思案していた池上が口を開いた。
「ボタンやろうか?」
「え、いいんですか?」
「あぁ、全部は揃わないだろうけどな」
淡々と言った池上に、越野は目ざとく反応し制服を凝視した。
「あ、池上さんも何個かないじゃないですか!」
「うわっ、本当だ!」
「何だよ、池上さんってモテんのかよ!?」
盛り上がり始める面々に、池上は少したじろぎながら答えた。
「いや、仲良い奴が記念にと…」
「でも、それって女子ですよね!?」
「まぁ…」
「うわっ!それ、絶対、実は好きなんですーってやつじゃねぇの!?」
「ほんまでっか!?池上さんも隅に置けまへんなぁ!要チェックや!」
「いや、友達同士で来たから…」
「じゃあ、その中の1人が…」
「まじかよー!?」
色めき立つ面々を他所に、仙道は隣に立つ恋をチラリと見た。
「なぁ、恋」
「ん?」
「これ、付けてくれないか?」
仙道はボタンの付いていない部分を指差しそう言った。
ボタンを譲ってくれると言った池上の好意に甘えるつもりのようだ。
恋は唐突な申し出に戸惑いつつも笑みを返した。
「あぁ、うん、いいよー。でも時間ちょっとかかるよ?」
「んー、じゃあ釣りでも行こうかな。一緒に行く?」
今日は気温も高めで過ごしやすく、海釣りをしやすい環境なのか仙道はそんな事を言った。
だが、ここは学校である。
釣り用具など持ってはいないだろうと恋は呆れ気味に返した。
「いや、釣り用具ないでしょ」
「あるよ」
「え?」
「部室にも置いてあるんだ」
「はぁ!?何置いてるの!?」
「いつでも行けるだろ?」
和かに笑う仙道に恋は唖然とする。
仙道が海釣りへ行っているのは、恋自身よく見聞きしていた。
だが、まさか学校に常備しているとは思いもよらなかった。
だが、それを咎めた所で仙道が受け入れるとも思えず、恋は溜息を溢しながら言った。
「はー…わかった、わかった。堤防行こうか」
2人の目の前ではまだワイワイと話が弾んでいた。
それから暫くして、恋は友人から借りたソーイングセットを手に仙道と合流した。
嬉々として釣り用具を手にした仙道と恋は近場の堤防へと向かう。
堤防に並んで座るとそれぞれ準備を始めた。
結局、足りない分は魚住が譲ってくれた為、揃ったボタンを渡された恋は1つずつ丁寧に付けていく。
その横で仙道は糸を海に垂らし欠伸を噛み締めながらその先を眺めていた。
「てかさ、今年でこれだと来年はもっと大変だねー」
「ん?あぁ、卒業式?」
「うん。後輩とかもこぞって来るだろうし。次はカッターのボタンも本当になくなるんじゃない?」
クスクスと笑みを溢す恋に仙道は苦笑いを浮かべた。
「あー、俺帰る時捕まらない?」
「あはは、確かに。でもTシャツ来てれば問題ないでしょ」
「卒業式にTシャツかぁ…」
「それか予備持って来るかだねー。でもそれも気付かれたら取られそう」
卒業式という晴れの日にTシャツ姿で帰るというのは趣がなく感じるのか、2人は思わず笑ってしまった。
それから暫し沈黙が流れるも、波の音が穏やかに辺りを包み込んでいる為か、不思議と長閑な空気が漂う。
仙道は再び欠伸を噛み締め釣竿を揺らすと、恋に視線を移した。
「恋は欲しくないのか?」
「ん?ボタン?んー、そうだねぇ…まぁ、仙道のなら欲しいかもね」
「え?」
「だって価値ありそうじゃない?」
「酷いなぁ」
含み笑いをする恋に仙道は力なく笑った。
人気の仙道のボタンという付加価値を指しているのだろうと予想できたのだ。
恋はチョキンと最後の糸を切り道具を片付けると、仙道に視線を移し笑いかける。
「でもあれだね、多分残ってないだろうし無理にはいらないかな」
「なら予約しとく?」
「予約制なの?じゃあ、それこそすぐ埋まっちゃうじゃん」
「じゃあ、なくなってたら俺をあげようか?」
その言葉はすぐに沈黙が消し去った。
恋は、言葉の意味を理解しようと頭で反芻すると思わず聞き返した。
「え?」
「どう?」
「いや、あの…どうって言われても…って、えぇ?」
「っはは、なんてな。冗だ…」
「本当にいいの?」
戸惑う恋を見て、仙道が茶化した言葉に変えようとした時、恋は口を開いた。
その意味を理解すれば、仙道も思わず聞き返してしまう。
「え?」
「…え?」
その場に沈黙が訪れると、恋は瞬時に頬を染め上げて視線を逸らし、ボタンの付け終わった制服を仙道の前に差し出した。
「あ、あぁ、冗談か!あはは、ごめんごめん、今の忘れて!ボタン付け終わったから返すね!」
あははと空笑いする恋だったが、次の瞬間には制服ごと仙道の腕の中に包まれた。
「無理だ」
「あの、ちょ、仙道?」
「なぁ、それって期待していいって事?」
「は!?な、何が?」
「俺の事好きって思ってもいい?」
ふいに緩められた腕の中で恋は仙道を見上げた。
そこには恋を真っ直ぐに見下ろす視線があり、恋の胸は鼓動を早めた。
「え!?えーと…あの…あ、でも私に好かれても嬉しくないでしょ?」
「どうして?」
「え?どうしてって…」
「凄く嬉しいよ」
「…えぇ!?…それって仙道も私の事好きって思っていい…?」
恋が戸惑いながら言葉を紡ぐと、仙道は顔を俯かせ笑っていた。
恋は眉を寄せて仙道を見やる。
「何で笑ってんのよ。あ、また冗談!?」
「そんなわけないだろ」
顔を上げた仙道の頬は微かに赤く、恋は貴重な物を見たと思った。
そして、恋の後頭部に手が触れたかと思えば仙道の胸にピタリと顔を寄せる形となった。
どちらのかも分からない程、耳に直接打ち付けているかのような心音を恋はギュッと目を瞑り聞いた。
気恥ずかしい思いの中、恋はグッと仙道の胸を押しのけ顔を見上げた。
「あのね、仙道!」
「ん?」
「私、仙道の事…」
「好き」
「…えぇ!?いや、うん、…えぇ?」
恋が意を決して発しようとした言葉は仙道により遮られた。
その言葉には戸惑いしか生まれず、恋は視線を泳がせる。
仙道は言葉足らずだったと思い優しく微笑んだ。
「あぁ、恋の言葉の続きじゃないからな。俺が恋を好きって事」
「え?あ、あの…」
「先に言いたかったから。俺、恋が好きだよ」
「あ、ありがとう…」
「俺こそありがとう」
思わず礼を言ってしまった恋に仙道もそう返す。
穏やかで面映い空気が辺りを満たす中、仙道は再びギュッと恋を腕の中へ包み込んだ。
「何?」
「いやー、恥ずかしいなぁと思って」
「うん」
「でも嬉しいからいいや。あ、でも来年はどうしようか」
「来年?」
問いかけられ恋は仙道を見上げる。
何の事を指しているのかが分からず恋はキョトンとしてしまうが、仙道が送る視線はどこまでも優しい。
「ボタンの代わりの話。今日、俺の事あげちゃったし」
「別にいいよ。てか、そのあげたとかって言い方やめてよ。仙道は物じゃないでしょー」
「じゃあ、恋にとっては何?」
「何って…男の子…?」
「ただの男?」
「…好きな男の人です」
恋が恥じらいながらもそう呟くと、仙道は恋の頭に顔を埋めた。
「うわー」
「うわーって何よ」
「恋の口からそう言ってもらえると凄く嬉しい。と言うか、嬉しすぎて困る」
「ちょ、何言って…」
「俺にとって恋は凄く好きな女の子だから」
ふいに仙道は恋の耳元で囁くようにそう言った。
恋は瞬間、顔に火が灯る。
真横には柔かに笑みを浮かべる仙道の顔があり、恋は見返せずに俯いてしまった。
「確かに困る…ね」
「だろ?」
2人はどちらからともなく笑い合った。
そこには穏やかな春によく似た光景が広がっているのだった。
→アトガキ
ここ、陵南高校では卒業式が行われていた。
式も終わり、そこかしこで卒業生達が後輩やクラスメイトと話を弾ませている。
そして、バスケ部の面々も同様に集まっていた。
皆一様に魚住、池上の両名に祝辞を送っている。
「卒業おめでとうございます!」
バスケ部マネージャーを務める恋も開口一番そう言った。
その言葉に2人は柔らかく笑みを浮かべた。
「あぁ、ありがとう」
「ほんま寂しなりますわ〜」
相田が大袈裟な程に身振りを加えてそう言うと、魚住はまんざらでもないのか薄ら笑って答えた。
「そうか。心配せずともちょくちょく来るつもりだ」
フフンと満足げに言い放つ魚住だったが、その言葉に部員達はギョッとした顔で慌てて言葉を並べる。
「えっ!?いや、魚住さん修行あるでしょ!?」
「そ、そうですよ!忙しい中わざわざ時間割かなくても…」
「何言っとるか!今年のインターハイを必ず優勝する為には俺自らが…」
「いや、もうお前は引退したんだから…」
「そうですよ、仙道がいますし!」
「その仙道はどこだ?」
魚住は少し機嫌の悪そうな声音で言った。
そう、今この場に仙道はいない。
主将が不在と言うのもどうかとは思うのだが、それには理由があり、それを知る恋は口を開いた。
「あー、多分3年の女子に捕まってます」
「…あぁ…ボタン…」
「普通卒業する時に渡すんじゃねぇの?」
「3年の先輩達は卒業するから記念に貰いたいんじゃない?」
恋は仙道と共にHRを終えて一緒に教室を出たのだが、その瞬間から仙道は上級生達に捕まった。
仙道は、バスケ部エースでその人当たりの良さも加わり女子人気が高い。
しかし、彼女はいない為に、そのボタンの行方を狙う上級生は多く、すぐさま争奪戦になったのだ。
仙道が2年生だろうが関係などなく、1人が声をかけると堰を切ったかのように記念だからと方々から押し迫られていた。
囲まれた仙道は「後で合流する」と言い残すとその対応に追われ、恋は仕方なく先に魚住達の元へ来たのだ。
と、ふいに恋の肩にポンと手が置かれ振り返ると、そこには息を切らした仙道がいた。
「いやー、えらい目にあった」
「仙道…それ…」
越野が仙道の制服を指差し唖然としていた。
仙道は苦笑いを浮かべ制服に視線を落とす。
「ボタン全部取られた」
「袖のまで…」
「流石仙道さんですわ!」
相田が感嘆の声を上げる程に、仙道の学生服には見事にボタンが1つも付いていなかった。
仙道は疲れた表情で小さく溜息を吐く。
「はー、怖かった」
「怖かったんだ?」
「流石にあれだけの集団で囲まれたら怖いなぁ」
「女子同士で喧嘩になってるんじゃないか?」
「うわっ、壮絶そうだな。てかよ、カッターのボタンは大丈夫だったんだな」
「あぁ…欲しいって言われたけど流石に断った」
無傷のカッターシャツを掴み仙道は苦笑いを浮かべている。
その攻防を想像しただけで疲れてしまいそうで、一同は仙道へ同情の眼差しを向けた。
更に越野は労わるように仙道の背をポンポンと叩いていた。
「でも、それどうするの?まだ明日も学校あるよ?」
「あー、どうしようか…」
卒業する3年生は明日から休みに入るが、下級生は明日からも暫く学校へ通わなければならないのだ。
ボタンが購買ですぐに買えるのかも不明で、全て買うにはそこそこの金額もいるのだろう。
ふと、思案していた池上が口を開いた。
「ボタンやろうか?」
「え、いいんですか?」
「あぁ、全部は揃わないだろうけどな」
淡々と言った池上に、越野は目ざとく反応し制服を凝視した。
「あ、池上さんも何個かないじゃないですか!」
「うわっ、本当だ!」
「何だよ、池上さんってモテんのかよ!?」
盛り上がり始める面々に、池上は少したじろぎながら答えた。
「いや、仲良い奴が記念にと…」
「でも、それって女子ですよね!?」
「まぁ…」
「うわっ!それ、絶対、実は好きなんですーってやつじゃねぇの!?」
「ほんまでっか!?池上さんも隅に置けまへんなぁ!要チェックや!」
「いや、友達同士で来たから…」
「じゃあ、その中の1人が…」
「まじかよー!?」
色めき立つ面々を他所に、仙道は隣に立つ恋をチラリと見た。
「なぁ、恋」
「ん?」
「これ、付けてくれないか?」
仙道はボタンの付いていない部分を指差しそう言った。
ボタンを譲ってくれると言った池上の好意に甘えるつもりのようだ。
恋は唐突な申し出に戸惑いつつも笑みを返した。
「あぁ、うん、いいよー。でも時間ちょっとかかるよ?」
「んー、じゃあ釣りでも行こうかな。一緒に行く?」
今日は気温も高めで過ごしやすく、海釣りをしやすい環境なのか仙道はそんな事を言った。
だが、ここは学校である。
釣り用具など持ってはいないだろうと恋は呆れ気味に返した。
「いや、釣り用具ないでしょ」
「あるよ」
「え?」
「部室にも置いてあるんだ」
「はぁ!?何置いてるの!?」
「いつでも行けるだろ?」
和かに笑う仙道に恋は唖然とする。
仙道が海釣りへ行っているのは、恋自身よく見聞きしていた。
だが、まさか学校に常備しているとは思いもよらなかった。
だが、それを咎めた所で仙道が受け入れるとも思えず、恋は溜息を溢しながら言った。
「はー…わかった、わかった。堤防行こうか」
2人の目の前ではまだワイワイと話が弾んでいた。
それから暫くして、恋は友人から借りたソーイングセットを手に仙道と合流した。
嬉々として釣り用具を手にした仙道と恋は近場の堤防へと向かう。
堤防に並んで座るとそれぞれ準備を始めた。
結局、足りない分は魚住が譲ってくれた為、揃ったボタンを渡された恋は1つずつ丁寧に付けていく。
その横で仙道は糸を海に垂らし欠伸を噛み締めながらその先を眺めていた。
「てかさ、今年でこれだと来年はもっと大変だねー」
「ん?あぁ、卒業式?」
「うん。後輩とかもこぞって来るだろうし。次はカッターのボタンも本当になくなるんじゃない?」
クスクスと笑みを溢す恋に仙道は苦笑いを浮かべた。
「あー、俺帰る時捕まらない?」
「あはは、確かに。でもTシャツ来てれば問題ないでしょ」
「卒業式にTシャツかぁ…」
「それか予備持って来るかだねー。でもそれも気付かれたら取られそう」
卒業式という晴れの日にTシャツ姿で帰るというのは趣がなく感じるのか、2人は思わず笑ってしまった。
それから暫し沈黙が流れるも、波の音が穏やかに辺りを包み込んでいる為か、不思議と長閑な空気が漂う。
仙道は再び欠伸を噛み締め釣竿を揺らすと、恋に視線を移した。
「恋は欲しくないのか?」
「ん?ボタン?んー、そうだねぇ…まぁ、仙道のなら欲しいかもね」
「え?」
「だって価値ありそうじゃない?」
「酷いなぁ」
含み笑いをする恋に仙道は力なく笑った。
人気の仙道のボタンという付加価値を指しているのだろうと予想できたのだ。
恋はチョキンと最後の糸を切り道具を片付けると、仙道に視線を移し笑いかける。
「でもあれだね、多分残ってないだろうし無理にはいらないかな」
「なら予約しとく?」
「予約制なの?じゃあ、それこそすぐ埋まっちゃうじゃん」
「じゃあ、なくなってたら俺をあげようか?」
その言葉はすぐに沈黙が消し去った。
恋は、言葉の意味を理解しようと頭で反芻すると思わず聞き返した。
「え?」
「どう?」
「いや、あの…どうって言われても…って、えぇ?」
「っはは、なんてな。冗だ…」
「本当にいいの?」
戸惑う恋を見て、仙道が茶化した言葉に変えようとした時、恋は口を開いた。
その意味を理解すれば、仙道も思わず聞き返してしまう。
「え?」
「…え?」
その場に沈黙が訪れると、恋は瞬時に頬を染め上げて視線を逸らし、ボタンの付け終わった制服を仙道の前に差し出した。
「あ、あぁ、冗談か!あはは、ごめんごめん、今の忘れて!ボタン付け終わったから返すね!」
あははと空笑いする恋だったが、次の瞬間には制服ごと仙道の腕の中に包まれた。
「無理だ」
「あの、ちょ、仙道?」
「なぁ、それって期待していいって事?」
「は!?な、何が?」
「俺の事好きって思ってもいい?」
ふいに緩められた腕の中で恋は仙道を見上げた。
そこには恋を真っ直ぐに見下ろす視線があり、恋の胸は鼓動を早めた。
「え!?えーと…あの…あ、でも私に好かれても嬉しくないでしょ?」
「どうして?」
「え?どうしてって…」
「凄く嬉しいよ」
「…えぇ!?…それって仙道も私の事好きって思っていい…?」
恋が戸惑いながら言葉を紡ぐと、仙道は顔を俯かせ笑っていた。
恋は眉を寄せて仙道を見やる。
「何で笑ってんのよ。あ、また冗談!?」
「そんなわけないだろ」
顔を上げた仙道の頬は微かに赤く、恋は貴重な物を見たと思った。
そして、恋の後頭部に手が触れたかと思えば仙道の胸にピタリと顔を寄せる形となった。
どちらのかも分からない程、耳に直接打ち付けているかのような心音を恋はギュッと目を瞑り聞いた。
気恥ずかしい思いの中、恋はグッと仙道の胸を押しのけ顔を見上げた。
「あのね、仙道!」
「ん?」
「私、仙道の事…」
「好き」
「…えぇ!?いや、うん、…えぇ?」
恋が意を決して発しようとした言葉は仙道により遮られた。
その言葉には戸惑いしか生まれず、恋は視線を泳がせる。
仙道は言葉足らずだったと思い優しく微笑んだ。
「あぁ、恋の言葉の続きじゃないからな。俺が恋を好きって事」
「え?あ、あの…」
「先に言いたかったから。俺、恋が好きだよ」
「あ、ありがとう…」
「俺こそありがとう」
思わず礼を言ってしまった恋に仙道もそう返す。
穏やかで面映い空気が辺りを満たす中、仙道は再びギュッと恋を腕の中へ包み込んだ。
「何?」
「いやー、恥ずかしいなぁと思って」
「うん」
「でも嬉しいからいいや。あ、でも来年はどうしようか」
「来年?」
問いかけられ恋は仙道を見上げる。
何の事を指しているのかが分からず恋はキョトンとしてしまうが、仙道が送る視線はどこまでも優しい。
「ボタンの代わりの話。今日、俺の事あげちゃったし」
「別にいいよ。てか、そのあげたとかって言い方やめてよ。仙道は物じゃないでしょー」
「じゃあ、恋にとっては何?」
「何って…男の子…?」
「ただの男?」
「…好きな男の人です」
恋が恥じらいながらもそう呟くと、仙道は恋の頭に顔を埋めた。
「うわー」
「うわーって何よ」
「恋の口からそう言ってもらえると凄く嬉しい。と言うか、嬉しすぎて困る」
「ちょ、何言って…」
「俺にとって恋は凄く好きな女の子だから」
ふいに仙道は恋の耳元で囁くようにそう言った。
恋は瞬間、顔に火が灯る。
真横には柔かに笑みを浮かべる仙道の顔があり、恋は見返せずに俯いてしまった。
「確かに困る…ね」
「だろ?」
2人はどちらからともなく笑い合った。
そこには穏やかな春によく似た光景が広がっているのだった。
→アトガキ
1/3ページ