第十三章
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窓から見える風景が左から右にと流れて行く。
恋はそれをただぼんやりと眺めていた。
「恋?」
ふと呼ばれた声に、我に返った恋が声の主である彩子を見返した。
「何ですか?」
「何ボケーッとしてんのよ?全国大会なのよ?わかってんの!?」
彩子は恋の気の抜けた表情を見て少し口調を強めて言った。
そう、今湘北バスケ部は全国大会の会場である広島に向かう為新幹線に乗っている。
わいわいと車内は騒がしいが、恋のそんな声が耳に入っていない様な態度に彩子は不審に思ったのだ。
恋は、ただ何を考えるでもなくぼんやりとしていただけに慌てて取り繕った。
「ちょっと緊張してるだけですよ!あ、そう言えば知ってます?豊玉のキャプテンの異名」
「異名?」
突拍子もない恋の言葉に彩子が興味を持ったので、恋は笑顔でその答えを言おうとする。
しかし、すぐに恋は神妙な表情へと変わった。
「えっと………あれ何だっけ…?」
「はぁ?」
「えっとですね…キラー…キラー…キラースマイル…じゃなくて…マダムキラー……でもなくて…えぇっと…」
「たくっ、もういいわよ」
彩子は恋の歯切れの悪さに少し腹立たしそうに言った。
恋は今尚考えているがどうにも思い出せない様だ。
彩子が呆れていると近くで言い争う声が聞こえた。
見るとそこには他校の生徒らしい人物達がいた。
その人物達は小暮達と何か揉めている。
そして、去り際に桜木がいらぬ事をし一触即発な雰囲気になった。
「もう何やってんのよっ」
彩子はハラハラとした面持ちで何も出来ずその様子を見ていた。
恋はまだ考えている様で、そのいざこざは見ていない。
が、急に場違いな大きな声を出した。
「思い出した!エースキラーですよ、彩子さん!」
恋は笑みを浮かべ彩子を見たが、その様子に眉をしかめた。
視線に気付き見れば、恋は知らないが先刻揉め事を起こしていた人物達が恋を睨むように見ていた。
だが、その人物達は何も言わずスッと隣の号車へと移って行った。
「何か凄く睨まれましたよ?ヤンキーですかね?」
恋は物怖じした様子もなくそんな事を口走っていた。
「ちょっ、何なんですかあれ!」
恋は腹立たしげに隣にいる彩子に訴えかける。
豊玉高校との試合が始まるや否や、豊玉高校はラフプレーを連発していたのだ。
その乱暴な行為に恋は勿論、彩子も怒りを覚えた。
そして事故は起こった。
豊玉高校の南の肘が流川の目元を殴打した。
一旦戦線離脱した流川だったが、医務室から戻ると後半はそのまま試合に出た。
試合は、その後の流川の活躍と南の不調に救われ湘北が勝利したのだった。
「心臓に悪い…」
恋はポツリと言葉を漏らした。
隣には流川が何食わぬ顔をして歩いている。
「ふん」
「あのさ、流川くん。ああいうの良くないよ?」
「何がだ」
「怪我して試合にまた出るって…。片目でだよ?ありえない」
「勝ったから問題ない」
「そう言うことじゃなくてっ。…はぁ、もういいや。でも、やっぱり流川くんは凄いんだね」
文句を言っていた恋は流川を責める事を唐突に諦めた。
何を言っても過ぎてしまった事なのだ。
試合に掛ける想いは、ああも人を直情的に動かす。
恋自身その経験はあるのだ。
しかし、余りにも無謀な行為にマネージャーとしての恋は気が気ではなかった。
だからと言って止められるはずもないのが実情だった。
恋の声などあの時の流川に聞こえはしなかった。
恋は流川を見つめしみじみとした声を出している。
流川は抑揚のない声で返した。
「嫌味にしか聞こえない」
「素直な気持ちだよ?あーあ、もう流川くんに勝つ事なんてないんだろうな」
「俺がお前に負けた事はない」
「まぁ、確かにないんだけどさ…。でも本当にもう勝つなんて無理だね。流川くんは強いな」
恋は前を見据えながら少し声のトーンを落として言った。
その表情は少し陰り寂しそうにも見える。
気になり流川が言葉をかけようとした時、豊玉の南と岸本が前から歩いて来るのを見つけた。
途端、つかつかと恋は南達に歩み寄る。
「ちょっと、さっきのあれは何なんですか!?スポーツマンシップに則らないにも程がありますっ」
恋は目の前で立ち止まった南に向かい吠えた。
隣にいた岸本が眉間に皺を寄せ恋を見下ろす。
「何や、マネージャーが口出すなや」
「はぁ?マネージャーだから口出すんでしょ!?」
「何や、ちっこいくせに威勢えぇなぁ?」
岸本がニヤニヤと恋の腕を掴んだ瞬間、流川がその手を捻り上げた。
「あー、お前の女なんか?」
岸本は笑みを深め流川を見返す。
その流川は何も言わず恋を自身の方に引き寄せた。
睨み合う2人を見かねて南が口を開いた。
「おい、岸本。行くぞ」
「流川、覚えとれよ?嬢ちゃんもや」
岸本は在り来たりな捨て台詞を吐き去って行く。
苛立たし気にしている恋を見て、流川は先刻の表情の意図を聞く事は出来ずにいるのだった。
恋は湯上がりの火照った体温を冷ます様に、パタパタと手で自身の顔の周りを扇ぎながら宿の中を歩いていた。
恋はふと目に入った宿内にある土産物屋に立ち寄る。
「あ、可愛いかも」
恋が手にしたのは小さなクマの置き物だった。
様々な色に塗られたクマは、色によってそれぞれ風水的な要素を含んでいるらしかった。
脇にある説明書きされた紙を見て、恋は表情を暗くした。
「恋愛運…か」
恋が手にしたピンクに塗られたクマは恋愛運が上昇すると書かれていた。
恋の頭にふと三井の事が過る。
諦めたと口では言っても、早々に諦められるものではなかった。
ただの憧れでも疑似恋愛でもなく、恋は真剣に三井に恋心を抱いていたのだ。
しかし、それも振られてしまえば臆病にもなるし、恋愛に関しての恋の心は余りに脆い。
何より三井との今までは印象が強すぎた事もある。
恋が忘れたいと思っても、三井の嫌な所を探しても、やっぱり簡単には諦めきれない。
三井の笑顔が頭を反芻する。
その力強い腕を思い出す。
何度も撫でられた頭の感触は今でも鮮明に覚えている―。
恋は急に泣き出したい衝動にかられ踵を返した。
と、同時にすぐ近くにいた人物にぶつかってしまう。
恋はハッとして顔を上げ陳謝する。
「ご、ごめんなさ…」
恋の言葉は最後まで続く事はなかった。
目を見張る恋の前にいたのは、今しがたまで脳裏に浮かんでいた三井本人だったのだ。
恋が固まって身動き出来ないでいると、三井が複雑そうな表情で言葉を発した。
「いや、俺こそ悪ぃ」
恋はハッと我に返り、すぐに俯き軽く会釈してその場を駆け出した。
恋は駆けながら考えを巡らす。
先刻まで考えていた三井が目の前にいた事で動揺が隠せない。
冷たい態度になっていなかっただろうか。
また泣きそうな顔を見られたのではないだろうか。
三井には心配をかけたくなかった。
心配をかければまた、三井は恋を構う事になるだろう。
恋はもう三井に構われたくなかったのだ。
構われれば構われる程、恋は辛かった。
そして、恋が冷たい態度を取った時の三井の表情が何より見たくなかった。
三井のその時の表情は、恋の胸を締め付けるには十分すぎた。
懸命に毅然とした態度を取ろうとしても、それだけで、その表情を見ただけで恋の努力は意図も容易く崩れてしまう。
悲しさと申し訳なさが一気に込み上げいっそ泣き出したくなる。
しかし、そんな事は出来なかった。
だから逃げるしかないのだ。
一緒にいても気まずく居心地が悪いだけで、お互いに気を遣う事は目に見えている。
恋は三井にはもう優しくされたくはなかった。
そう強く思っているのに…。
「待てよ」
恋は、突然腕を掴まれ無理矢理足を止めさせられた。
だが、振り向く事は出来なかった。
その声の主が分かっているからだ。
「離して下さい」
恋が声を絞り出すと、声の主は腕を握る手に力を込め無理矢理に恋を振り向かせた。
恋は唐突に力が加えられ驚き相手を見てしまう。
そして後悔した。
そこにいたのはやはり三井だった。
「何か用ですか」
恋は努めて毅然に、だが不快そうに声を出した。
そうでもしなければ気持ちが保てない。
いっそ三井には嫌われてしまいたいとすら思っていた。
そうすれば、三井は自身から離れて行くだろうと考えていたのだ。
だが、そう容易く思い通りにならないのが現実だった。
「何で泣きそうな顔してんだよ」
「してません」
「してるだろ。…だから…すんなよ、その顔っ」
三井が少し声を荒げて言った。
その表情は酷く傷付いた様な、それでいて腹立たしげで、辛そうで、そんな複雑な表情だった。
恋は「あぁ、やっぱり」と思ってしまう。
この顔をされるのは恋自身1番辛い。
そして、溢れ出た言葉はもう止まらない。
「先輩だって…」
「あ?」
「先輩だってそんな顔しないで!!」
突然の恋の大きな声に三井は肩をビクッと揺らした。
恋はそんな事には構わず、乱暴に腕を振りほどき言葉を続ける。
「私にそんな顔するなって…そんなの無理な事くらい分かるでしょ!?私にそんな顔するなって言うなら私に近寄らないでよっ。私と目が合う度に気まずそうに辛そうにするなら私を見ないでよっ。この前だって私は言ったよ!?フッたのに優しくしないでって!なのに、何で私に構うのっ。私が傷付いた顔見るのが楽しいですか!?私の真剣な想いを否定したくせにっ。応えられなかったくせにっ!それなのに今さら私に優しくしないで!私を…私を……早く嫌いになって…」
恋の勢いは急速に失速した。
恋はボタボタと大粒の涙を流しながら叫んでいた。
周りには幸い誰もいないが、屋外で叫ぶ声は一体に響いたかもしれない。
恋は叫びながらどんどん分からなくなっていった。
もう気持ちがコントロール出来ない。
そんな恋を見かねて、三井は恋に近寄り腕を掴む。
グッと抱き寄せられると思った瞬間、恋は三井の頬に平手を食らわせていた。
「あっ…」
恋は乾いた音にハッとして三井を見るが、三井は唐突に叩かれたにも関わらず少しも動じてなかった。
暗い中、ハッキリとした表情を読み解く事は出来ないが、三井の瞳は恋を真っ直ぐに見据えていた。
恋が少し怖いとも思える程に、その瞳は真剣なものに思えた。
視線を外す事もはばかれる。
それ程までにジッと見つめられ身動きが取れなくなった。
(誰か助けて。ここから…先輩の前から連れ出してっ)
そう恋が願う声が聞こえたかの様に、恋は突然ふわりと誰かの腕の中にくるまれた。
「何してる」
低く唸る様な声を出すのは流川だった。
恋はすっぽりと流川の腕の中に収まっていて、三井の表情が見えなくなる。
「先輩は、こいつが本当に好きじゃないのか?」
「お前に…関係ないだろ」
三井は突如現れた流川の言葉に苛立たしげに返した。
その時、三井は何か言葉を飲み込んだ様に流川には見えた。
恋は茫然としていてそれには気付いていない。
流川は恋の背に回す腕の力を緩め視線を落とす。
「おい」
「え?」
「どうする」
「何が…?」
「このままここにいるか、俺と行くか、選べ」
流川はどこか恋を試すような口調で言っている。
恋はすぐに理解出来なかった言葉を徐々に理解し口を開く。
「流…川くんと…行…く」
恋は喉がカラカラに乾いて掠れた声で言った。
もうここにはいたくなかった。
三井の前にいるのがこんなに辛くなる程までに恋は追い詰められていたのかも知れない。
そんな恋の発言に三井の目は大きく見開かれた。
流川はそんな恋の背を押し、その場を離れる為歩を踏み出す。
「如月っ」
三井が絞り出す様に言った声は余りに悲痛に聞こえた。
瞬間振り返りたいと恋は思ってしまった。
でも、それはどうしても出来ない。
流川が背を抱く様に歩いているから振り向けないと言うのもあるが、今振り向けば恋の頑なな想いは崩れ去ってしまうと解ったからだ。
諦める事など2度と出来なくなると思った。
これが最後のチャンスだと思い、小さな、けれどとてつもなく大きな決意の元の最後の反抗だった。
そのまま静かに去っていく恋達に三井はグッと拳を握る。
「俺は……が…」
三井の小さな小さな声は誰にも届く事はなかった。
→第十四章
恋はそれをただぼんやりと眺めていた。
「恋?」
ふと呼ばれた声に、我に返った恋が声の主である彩子を見返した。
「何ですか?」
「何ボケーッとしてんのよ?全国大会なのよ?わかってんの!?」
彩子は恋の気の抜けた表情を見て少し口調を強めて言った。
そう、今湘北バスケ部は全国大会の会場である広島に向かう為新幹線に乗っている。
わいわいと車内は騒がしいが、恋のそんな声が耳に入っていない様な態度に彩子は不審に思ったのだ。
恋は、ただ何を考えるでもなくぼんやりとしていただけに慌てて取り繕った。
「ちょっと緊張してるだけですよ!あ、そう言えば知ってます?豊玉のキャプテンの異名」
「異名?」
突拍子もない恋の言葉に彩子が興味を持ったので、恋は笑顔でその答えを言おうとする。
しかし、すぐに恋は神妙な表情へと変わった。
「えっと………あれ何だっけ…?」
「はぁ?」
「えっとですね…キラー…キラー…キラースマイル…じゃなくて…マダムキラー……でもなくて…えぇっと…」
「たくっ、もういいわよ」
彩子は恋の歯切れの悪さに少し腹立たしそうに言った。
恋は今尚考えているがどうにも思い出せない様だ。
彩子が呆れていると近くで言い争う声が聞こえた。
見るとそこには他校の生徒らしい人物達がいた。
その人物達は小暮達と何か揉めている。
そして、去り際に桜木がいらぬ事をし一触即発な雰囲気になった。
「もう何やってんのよっ」
彩子はハラハラとした面持ちで何も出来ずその様子を見ていた。
恋はまだ考えている様で、そのいざこざは見ていない。
が、急に場違いな大きな声を出した。
「思い出した!エースキラーですよ、彩子さん!」
恋は笑みを浮かべ彩子を見たが、その様子に眉をしかめた。
視線に気付き見れば、恋は知らないが先刻揉め事を起こしていた人物達が恋を睨むように見ていた。
だが、その人物達は何も言わずスッと隣の号車へと移って行った。
「何か凄く睨まれましたよ?ヤンキーですかね?」
恋は物怖じした様子もなくそんな事を口走っていた。
「ちょっ、何なんですかあれ!」
恋は腹立たしげに隣にいる彩子に訴えかける。
豊玉高校との試合が始まるや否や、豊玉高校はラフプレーを連発していたのだ。
その乱暴な行為に恋は勿論、彩子も怒りを覚えた。
そして事故は起こった。
豊玉高校の南の肘が流川の目元を殴打した。
一旦戦線離脱した流川だったが、医務室から戻ると後半はそのまま試合に出た。
試合は、その後の流川の活躍と南の不調に救われ湘北が勝利したのだった。
「心臓に悪い…」
恋はポツリと言葉を漏らした。
隣には流川が何食わぬ顔をして歩いている。
「ふん」
「あのさ、流川くん。ああいうの良くないよ?」
「何がだ」
「怪我して試合にまた出るって…。片目でだよ?ありえない」
「勝ったから問題ない」
「そう言うことじゃなくてっ。…はぁ、もういいや。でも、やっぱり流川くんは凄いんだね」
文句を言っていた恋は流川を責める事を唐突に諦めた。
何を言っても過ぎてしまった事なのだ。
試合に掛ける想いは、ああも人を直情的に動かす。
恋自身その経験はあるのだ。
しかし、余りにも無謀な行為にマネージャーとしての恋は気が気ではなかった。
だからと言って止められるはずもないのが実情だった。
恋の声などあの時の流川に聞こえはしなかった。
恋は流川を見つめしみじみとした声を出している。
流川は抑揚のない声で返した。
「嫌味にしか聞こえない」
「素直な気持ちだよ?あーあ、もう流川くんに勝つ事なんてないんだろうな」
「俺がお前に負けた事はない」
「まぁ、確かにないんだけどさ…。でも本当にもう勝つなんて無理だね。流川くんは強いな」
恋は前を見据えながら少し声のトーンを落として言った。
その表情は少し陰り寂しそうにも見える。
気になり流川が言葉をかけようとした時、豊玉の南と岸本が前から歩いて来るのを見つけた。
途端、つかつかと恋は南達に歩み寄る。
「ちょっと、さっきのあれは何なんですか!?スポーツマンシップに則らないにも程がありますっ」
恋は目の前で立ち止まった南に向かい吠えた。
隣にいた岸本が眉間に皺を寄せ恋を見下ろす。
「何や、マネージャーが口出すなや」
「はぁ?マネージャーだから口出すんでしょ!?」
「何や、ちっこいくせに威勢えぇなぁ?」
岸本がニヤニヤと恋の腕を掴んだ瞬間、流川がその手を捻り上げた。
「あー、お前の女なんか?」
岸本は笑みを深め流川を見返す。
その流川は何も言わず恋を自身の方に引き寄せた。
睨み合う2人を見かねて南が口を開いた。
「おい、岸本。行くぞ」
「流川、覚えとれよ?嬢ちゃんもや」
岸本は在り来たりな捨て台詞を吐き去って行く。
苛立たし気にしている恋を見て、流川は先刻の表情の意図を聞く事は出来ずにいるのだった。
恋は湯上がりの火照った体温を冷ます様に、パタパタと手で自身の顔の周りを扇ぎながら宿の中を歩いていた。
恋はふと目に入った宿内にある土産物屋に立ち寄る。
「あ、可愛いかも」
恋が手にしたのは小さなクマの置き物だった。
様々な色に塗られたクマは、色によってそれぞれ風水的な要素を含んでいるらしかった。
脇にある説明書きされた紙を見て、恋は表情を暗くした。
「恋愛運…か」
恋が手にしたピンクに塗られたクマは恋愛運が上昇すると書かれていた。
恋の頭にふと三井の事が過る。
諦めたと口では言っても、早々に諦められるものではなかった。
ただの憧れでも疑似恋愛でもなく、恋は真剣に三井に恋心を抱いていたのだ。
しかし、それも振られてしまえば臆病にもなるし、恋愛に関しての恋の心は余りに脆い。
何より三井との今までは印象が強すぎた事もある。
恋が忘れたいと思っても、三井の嫌な所を探しても、やっぱり簡単には諦めきれない。
三井の笑顔が頭を反芻する。
その力強い腕を思い出す。
何度も撫でられた頭の感触は今でも鮮明に覚えている―。
恋は急に泣き出したい衝動にかられ踵を返した。
と、同時にすぐ近くにいた人物にぶつかってしまう。
恋はハッとして顔を上げ陳謝する。
「ご、ごめんなさ…」
恋の言葉は最後まで続く事はなかった。
目を見張る恋の前にいたのは、今しがたまで脳裏に浮かんでいた三井本人だったのだ。
恋が固まって身動き出来ないでいると、三井が複雑そうな表情で言葉を発した。
「いや、俺こそ悪ぃ」
恋はハッと我に返り、すぐに俯き軽く会釈してその場を駆け出した。
恋は駆けながら考えを巡らす。
先刻まで考えていた三井が目の前にいた事で動揺が隠せない。
冷たい態度になっていなかっただろうか。
また泣きそうな顔を見られたのではないだろうか。
三井には心配をかけたくなかった。
心配をかければまた、三井は恋を構う事になるだろう。
恋はもう三井に構われたくなかったのだ。
構われれば構われる程、恋は辛かった。
そして、恋が冷たい態度を取った時の三井の表情が何より見たくなかった。
三井のその時の表情は、恋の胸を締め付けるには十分すぎた。
懸命に毅然とした態度を取ろうとしても、それだけで、その表情を見ただけで恋の努力は意図も容易く崩れてしまう。
悲しさと申し訳なさが一気に込み上げいっそ泣き出したくなる。
しかし、そんな事は出来なかった。
だから逃げるしかないのだ。
一緒にいても気まずく居心地が悪いだけで、お互いに気を遣う事は目に見えている。
恋は三井にはもう優しくされたくはなかった。
そう強く思っているのに…。
「待てよ」
恋は、突然腕を掴まれ無理矢理足を止めさせられた。
だが、振り向く事は出来なかった。
その声の主が分かっているからだ。
「離して下さい」
恋が声を絞り出すと、声の主は腕を握る手に力を込め無理矢理に恋を振り向かせた。
恋は唐突に力が加えられ驚き相手を見てしまう。
そして後悔した。
そこにいたのはやはり三井だった。
「何か用ですか」
恋は努めて毅然に、だが不快そうに声を出した。
そうでもしなければ気持ちが保てない。
いっそ三井には嫌われてしまいたいとすら思っていた。
そうすれば、三井は自身から離れて行くだろうと考えていたのだ。
だが、そう容易く思い通りにならないのが現実だった。
「何で泣きそうな顔してんだよ」
「してません」
「してるだろ。…だから…すんなよ、その顔っ」
三井が少し声を荒げて言った。
その表情は酷く傷付いた様な、それでいて腹立たしげで、辛そうで、そんな複雑な表情だった。
恋は「あぁ、やっぱり」と思ってしまう。
この顔をされるのは恋自身1番辛い。
そして、溢れ出た言葉はもう止まらない。
「先輩だって…」
「あ?」
「先輩だってそんな顔しないで!!」
突然の恋の大きな声に三井は肩をビクッと揺らした。
恋はそんな事には構わず、乱暴に腕を振りほどき言葉を続ける。
「私にそんな顔するなって…そんなの無理な事くらい分かるでしょ!?私にそんな顔するなって言うなら私に近寄らないでよっ。私と目が合う度に気まずそうに辛そうにするなら私を見ないでよっ。この前だって私は言ったよ!?フッたのに優しくしないでって!なのに、何で私に構うのっ。私が傷付いた顔見るのが楽しいですか!?私の真剣な想いを否定したくせにっ。応えられなかったくせにっ!それなのに今さら私に優しくしないで!私を…私を……早く嫌いになって…」
恋の勢いは急速に失速した。
恋はボタボタと大粒の涙を流しながら叫んでいた。
周りには幸い誰もいないが、屋外で叫ぶ声は一体に響いたかもしれない。
恋は叫びながらどんどん分からなくなっていった。
もう気持ちがコントロール出来ない。
そんな恋を見かねて、三井は恋に近寄り腕を掴む。
グッと抱き寄せられると思った瞬間、恋は三井の頬に平手を食らわせていた。
「あっ…」
恋は乾いた音にハッとして三井を見るが、三井は唐突に叩かれたにも関わらず少しも動じてなかった。
暗い中、ハッキリとした表情を読み解く事は出来ないが、三井の瞳は恋を真っ直ぐに見据えていた。
恋が少し怖いとも思える程に、その瞳は真剣なものに思えた。
視線を外す事もはばかれる。
それ程までにジッと見つめられ身動きが取れなくなった。
(誰か助けて。ここから…先輩の前から連れ出してっ)
そう恋が願う声が聞こえたかの様に、恋は突然ふわりと誰かの腕の中にくるまれた。
「何してる」
低く唸る様な声を出すのは流川だった。
恋はすっぽりと流川の腕の中に収まっていて、三井の表情が見えなくなる。
「先輩は、こいつが本当に好きじゃないのか?」
「お前に…関係ないだろ」
三井は突如現れた流川の言葉に苛立たしげに返した。
その時、三井は何か言葉を飲み込んだ様に流川には見えた。
恋は茫然としていてそれには気付いていない。
流川は恋の背に回す腕の力を緩め視線を落とす。
「おい」
「え?」
「どうする」
「何が…?」
「このままここにいるか、俺と行くか、選べ」
流川はどこか恋を試すような口調で言っている。
恋はすぐに理解出来なかった言葉を徐々に理解し口を開く。
「流…川くんと…行…く」
恋は喉がカラカラに乾いて掠れた声で言った。
もうここにはいたくなかった。
三井の前にいるのがこんなに辛くなる程までに恋は追い詰められていたのかも知れない。
そんな恋の発言に三井の目は大きく見開かれた。
流川はそんな恋の背を押し、その場を離れる為歩を踏み出す。
「如月っ」
三井が絞り出す様に言った声は余りに悲痛に聞こえた。
瞬間振り返りたいと恋は思ってしまった。
でも、それはどうしても出来ない。
流川が背を抱く様に歩いているから振り向けないと言うのもあるが、今振り向けば恋の頑なな想いは崩れ去ってしまうと解ったからだ。
諦める事など2度と出来なくなると思った。
これが最後のチャンスだと思い、小さな、けれどとてつもなく大きな決意の元の最後の反抗だった。
そのまま静かに去っていく恋達に三井はグッと拳を握る。
「俺は……が…」
三井の小さな小さな声は誰にも届く事はなかった。
→第十四章