第十二章
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合宿も残す所2日となり佳境に入っていた。
今日も恋はいつも通りにマネージャーの仕事をこなしている。
まだ消えぬ首筋と手首の痕にジャージはずっと着込んだままだ。
首筋は大分薄まりつつあるが、手首はかなり強い力で掴まれていたのか斑に内出血が起きていた。
日に日に高くなる気温にも多少は慣れて来たが、暑さにはどうしようもないものもあった。
タオルを首に掛け汗が流れる度に拭うので化粧も崩れてくる。
恋は暑さと格闘しつつ、伸びをして体育館内に戻る為歩き出した。
サンサンと降り注ぐ直射日光に眉をしかめぼんやり歩いていると、ふと先日の事が頭を過ぎってしまう。
先日の一件以来、三井とも流川ともまともに話をしていない。
三井にジャージを返す事すらままならず恋は気落ちしていた。
しかし、表立っては態度に表したくなくて明るく振る舞うしかない。
数人は3人の雰囲気に気付いているのかもしれない。
しかし、私情を合宿中に持ち込むわけにもいかなかった。
それは三井、流川の両名も分かっているのだろう。
だからこそ恋自身下手に動けないのだ。
恋が、ドアから誰もいないコートだけをぼんやり眺めていると彩子が声を掛けて来た。
手には財布を持っている。
「恋」
「彩子さん。何ですか?」
「コールドスプレーとスポーツドリンク買って来てくれない?」
彩子はキャップを取り、同じく肩に掛けたタオルで汗を拭うと財布を恋に差し出した。
恋はそれを静かに受け取る。
端からは談笑の声が聞こえていた。
暫く休憩をとるのか皆、各々壁際で休息したり雑談をしている様だ。
恋は無意識に三井と流川を視線で探してしまう。
「あ、はい。良いですけど」
「荷物持ちも呼んどいたから」
彩子が指差した方向には、恋が思わず探してしまっていた流川が立っていた。
恋は余りの事にギョッとして彩子を見る。
流石に気まずさは隠しきれない。
それでも彩子は気付いているのか、はたまた気付いていないのか、笑顔を向けるだけだ。
「じゃあ、頼んだわよ」
彩子はそれだけ言うとそそくさと去って行った。
2人の微妙な距離感を感じ、恋が気まずそうに流川を見ると、流川は何も言わず体育館内を出た。
無言で通り過ぎる流川に恋もその後を追い駆け、数歩後ろを歩きながら暑さと緊張で額には異常に汗が滲み流れていく。
しばらく歩き続けていても2人の間に会話はない。
恋はこの場から立ち去りたい気持ちでいっぱいだった。
「前にもあった」
流川が突然口を開いたので恋は驚いて流川を見上げた。
流川の歩く速度が少し遅くなったのか、恋は今流川の隣りに並んでいる。
「前にも買い物行っただろ」
「え?あ、うん。あの時は海南の人達に会ったよね」
恋は流川の言う時の事を思い出す。
2人で買い物に行ったのはその時だけなのですぐ記憶は蘇る。
恋は戸惑いながらも会話が続く様、細心の注意を払い返事をしたが流川はそれ以上言葉を返さない。
恋はまた気まずさにさいなまれた。
努力も水の泡だ。
そのまま特に会話もなく店に到着し、買い物を済ませ出ると流川が見当たらない。
いつの間にか流川は恋の近くから消えていた。
会計前まではいた筈だが、知らぬ間にいなくなったので恋は辺りを見渡した。
が、いない為その場にしゃがみ込む。
ずっとジャージを羽織っている為恋は暑くて仕方がない。
そして、三井に借りたジャージも返さなければ…そんな事ばかりを考える。
あの日の翌日からは乾いた自身のジャージを着ているのだ。
しばらく流川がいない事で緊張の糸がほぐれ、ぼんやり考え事をしていると、突然頬に冷たい物が当たり小さく悲鳴を上げる。
見上げると流川がアイスを差し出していた。
「暑いだろ」
「あ、ありがとう」
恋は礼を言い遠慮がちにアイスを受け取る。
流川はアイスを口に含み何も言わずにその場に立ちすくむ。
恋が袋を破りそれを頬張ると、冷たさが口いっぱいに広がりホッと一息ついた。
「帰ろうか」
「あぁ」
どこか緊張の解けた恋の言葉に、流川は荷物を軽々と持ち上げ歩き始めた。
恋もそれに続き学校へと並んで帰る。
2人の間を爽やかな風が吹き抜けた気がした。
校門前へ着くと宮城がヤンキー座りをして待っており、2人に気付くと立ち上がり声を掛けて来た。
その態度は待ってましたと言わんばかりである。
「やっと帰って来たな。夜、肝試しすっから校門前に集合だぜ。常誠も加わってくれんだってよ」
「肝試し…ですか」
宮城は、はしゃいでいるのか喜々として笑顔を浮かべていた。
「グループは如月、流川、三井さんだかんな」
「え!?」
宮城は二カッと笑い、尚も伝えたい事を続けるので恋は驚き声を上げた。
流川も声には出さないものの僅かに目が見開いている。
「じゃあ、夜な。練習始まるぜ」
宮城は言うだけ言うとさっさと去って行ってしまった。
残された恋は、自身のツイてなさに頭を抱えたくなる。
今気まずいのは分かりきっていた。
3人が揃えば空気は悪く居心地もかなり悪いだろう。
恋があれこれ悩んでいる間に流川は恋を置いて先に行ってしまったのか、恋は気付けば1人その場に立ち尽くしていた。
恋は頭痛を軽く覚えるのだった。
時刻は21時になり辺りは暗くついに肝試しが始まった。
場所は学校から少し離れた所にある森の中だった。
夏でも流石に21時にもなれば真っ暗で辺りはしんと静まり返っている。
肝試しの詳細は、恋のチームを含む数組が脅かされ役に回り、それ以外の者が脅かし役となった。
昼間、宮城が森の奥にある祠に置いて来たという箱を取って来る。
そして、その行く先々には常誠の生徒と湘北の残りのメンバーがオバケ役で配置されていた。
恋は溜め息を小さく吐きながら道を歩いている。
歩き始めて約30分、会話は一切なかった。
幸いにも流川は今この場にいない。
流川はこの肝試しの参加自体を早々に断った様だ。
けれど、流川がいずとも今の恋と三井の間はとても気まずい。
恋が小さく溜め息を吐くのも何度目だろう。
恋は気まずさに叫び出したい衝動にかられていた。
脅かし役も次々現われるが2人は驚いていない。
否、実の所三井は時々ビクリと肩を震わせているので驚いてはいるだろう。
しかし、平静を装っているのか何もあからさまな反応を示さなかった。
恋自身はオバケと呼ばれる代物は元より信じていないし、顔見知りの者が扮しているのを分かっているので怖くもない。
ただ異様に物静かな森の方が怖いくらいだった。
程なくして祠に着き箱を手に来た道を戻る事となる。
帰りも沈黙が続くのかと思うと恋の気は落ちるばかりだった。
「大丈夫なのか?」
だが、唐突に今まで押し黙っていた三井が声を掛けて来たので恋はすぐに反応出来なかった。
そして数秒後やっとの事で声を出した。
「何がですか?」
「お化けとか。全然怖がってなかったしよ」
三井は前を向いていて表情までは分からない。
恋が余りに驚かないので声を掛けた様だ。
恋を心配したのかもしれない。
「あー…はい、平気です。どっちかって言うと、こういう静かな暗闇が怖いですね」
「そうか」
そして会話は再び途切れた。
恋は何も話題が浮かばず、話し掛けられずにそのまま静かな森の中を2人で歩いていた。
たまに虫の音が耳障りな程うるさく感じるが、今の恋にはむしろ有り難い。
全くの沈黙では、叫び出してでもそのままどこかへ突っ走って行ってしまいそうだった。
他愛もない会話を切り出す勇気もなく、恋は何度目かの溜め息を漏らしてしまう。
しばらくして三井がまた声を掛けてきた。
今度は少しだけ恋に振り返る。
「良かったな、流川いなくて」
「え?」
「あ…いや、気まずいだろ流石に。まぁ、俺とでも変わんねぇんだろうけど」
「そんな事ないですよ」
三井の言葉に恋は精一杯の笑顔を作る。
三井に悟られまいと作り笑いばかり浮かべてしまう。
内心そんな風に言われるのは結構堪える。
気まずく話をしないのならば何故、三井は流川の様に断らなかったのか。
そして、恋自身何故断らなかったのか。
そんな疑問が浮かび、恋は淡い期待を寄せてしまっている事に気付いた。
恋が断らなかったのも仲直りが出来るかもしれないと思ったのが大きい。
昼間、流川とほんの少しだけ距離が縮まった様に三井とも僅かでも距離が縮まるかもしれないと。
それは一種の賭けでもあった。
一気に全てが壊れてしまうかもしれないとは思っていた。
それでも、むざむざ断る事など出来なかった。
特に三井とはどうしても仲直りがしたかったのだ。
好きな相手から距離を取られる事程悲しい事はない。
だからと言って、恋から会話をどんどんする勇気はなかった。
何度も話そうとはした。
でも、少しでも話し掛けようものなら三井は明らかに拒んでいた。
そんな事をされれば勇気は削られ臆病にもなる。
だが、こうして三井に会話を振られるのは嬉しい。
だからこそ笑顔を絶さない様にしてしまうのだ。
内心は不安で仕方がなくても…だ。
「じゃあ、何でそんな顔すんだよ」
「え…?」
「俺、お前にそんな顔ばっかさせてるよな…」
三井はそれきり何も言わなくなり、また前を向いてしまった。
恋も口が開けないでいる。
三井にはやはりバレてしまう。
否、恋自身が偽るのが得意でないのかも知れない。
だから三井からすれば否が応でも気付いてしまうのか…。
三井も素直なのか思った事を口にしてしまうのだろう。
それが空気を悪くするとは知っているにも関わらずだ。
そんな三井が一体どうしたいのか恋には分からなかった。
そして2人で元来た道を戻るが、その間会話もなくお互い気まずさだけをヒシヒシと感じていた。
わりと近場まで来ていたのかすぐに入口に戻りはした。
2人を確認した彩子が小さく手を振ってくる。
恋はホッと胸を撫で下ろし彩子に近付いた。
「もう終わりですか?」
「そうね。あんた達を驚かせた5分後に戻る事になってるから、そろそろ皆戻るでしょ」
「そうですか」
恋はやっと帰れるかと思うと安堵せずにはいられない。
三井も赤木達の所へ行ってしまった。
何も知らない彩子はムフフと笑い恋に言った。
「どう?先輩とラブラブになれたの?」
「え?」
「あんた達、いい加減くっついたらいいのに」
少し離れた場所で赤木、宮城と話している三井の背を彩子は見ていた。
恋は悟られまいと彩子をゆっくり見る。
「どういう事ですか?」
「それなら、外野がしゃしゃり出て来る事もないんじゃない?」
「え?」
恋が言葉を続け様とした時、三井が彩子の名を呼んだ。
「彩子」
「何ですか?」
三井は2人に近寄ると後ろを指差した。
ちらほらと他のメンバーも戻って来たらしく、宮城は戻って来た者達と話をし赤木は木暮と話している。
少し距離があったので三井が呼びに来た様だ。
ただ彩子と話すその間も、三井から恋に視線は送られなかった。
「…それから、赤木が呼んでるぜ」
「はいはい」
彩子は言って赤木達の元へ行ってしまう。
またも三井と2人きりになり恋は戸惑う。
「如月」
「はい?」
「いや…何でもねぇ」
「え?あの…」
歯切れの悪い三井に恋はポカンとする。
何を言いかけたのか検討がつかない。
三井は額に手を当て話を逸らした。
「あ、それよかよ…」
「何ですか?」
「俺といて、辛いなら離れろよ」
「え?言ってる意味が…」
「俺といても意味ないだろ?俺は…お前を……振ったんだしよ」
三井は少し言いにくそうに言葉を発する。
恋は余りの衝撃に言葉が出ない。
三井はそのまま恋から視線を外して続けた。
「だからさっさと他に好きな奴でも見付けてよ、その…」
「何でそんな事言うんですか」
「え?」
三井の言葉を静かに遮る恋に三井はハッとした。
恋がゆっくりと上げた表情が酷く歪み今にも泣き出しそうに見えた。
「何でそれを今言うんですか?私、2回も先輩にフラれなきゃなんないくらい邪魔でしたか?そんなに側にいちゃダメなんですか?」
「…違…」
「私だって先輩を諦めたいよ!でも、それでも私は…」
恋は唸る様に怒気を込めて言ったが俯き言葉を止めた。
怒鳴って周りに気付かれるのも嫌だと思った。
それでも抑え切れない何かにぐっと唇を噛み締め、堪らずバタバタと森へと走って行った。
三井も慌てて追いかける。
しかし、森の中は暗く視界も悪い為すぐに見失ってしまった。
恋は泣きそうなのを必死で堪えながら走っていた。
目には涙が溜まり周りは霞んで見える。
溜まりに溜まった涙は器から溢れる様に次から次へと零れ始めた。
何度も涙を拭い走っていたが、疲れて足を止め気付くとそこはどこなのかも見当が付かなかった。
「どうしよ…」
恋は無鉄砲に森へ入り込んだ事を後悔した。
涙も自然と止まり迷ってしまった事に今更ながら気付き不安になる。
携帯を見ても、どこか電波が悪くアンテナが立ったり消えたりと不安定である。
1人、元来た道を戻ろうとするが合っているのかすら分からない。
辺りは暗くいつの間にか虫の音も止んでいた。
「きゃ!」
突然鳥が羽ばたき木々が揺れ恋は小さく叫ぶ。
暗闇は1人を実感させ恋は一気に不安になった。
しかし、助けを呼ぼうにも周りには誰もいない。
恋は立ち止まったまま足がすくんでしまい、ついには歩き出せなくなった。
恐怖感に腕を握ると微かに体は震えていた。
「何してる」
「ぎゃっ!?」
声がしたので見ると、そこにいたのは恋に懐中電灯を向けている流川だった。
余りに唐突で恋は瞬き1つできない。
流川は普段通りの態度で恋を見る。
「肝試しは」
「あ…迷子になっちゃって…」
「他の奴は」
「あの…肝試し自体は終わって、その後森に私が迷い込んじゃったから」
「ふうん」
流川には先日までのとげとげしさがなくなっている気がする。
恋はそれでも僅かに警戒し流川に尋ねた。
「流川くんは出口とか分かる?」
「分からん」
「え?」
「でも勘はある」
「ちょ…それは…」
「来い」
恋は頼れる人が今流川しかいない為、ついて行くしかないし人に会えた事に安堵していた。
それに何となく流川には野性的勘がありそうだとは思う。
だから根拠のない確証が持てた。
しかし、流川はここで何をしていたのだろうか。
「何してたの?」
「散歩」
「そっか」
流川はどこか不思議な部分があると恋は思う。
1人で散歩より寝ている方が似合うのだ。
だが、余り流川の事を詳しいわけではないので頷くしかない。
聞いてみたはいいが、今の恋には茶化したりする余裕すらない。
流川は道なき道をズンズン先に進み、恋はその後ろを静かについて行った。
何かを深く考えられず気落ちしている恋を見て流川は言った。
「楽しくなかったのか」
「何が?」
「肝試し」
「あ…えっと…」
恋は言葉に詰まり何も言えなくなる。
目を伏せる恋を流川はチラリと見て言った。
「言わなくてもその顔見れば分かる」
「そう…」
恋の目と鼻は赤く泣いていたのだろうと簡単に予測出来る。
恋が肩を落としトボトボ歩いているのを見て流川は続けた。
それには微かに気遣いが感じられる。
「何か言われたのか」
「え?」
「今も泣きそうな顔してる」
「あ…うん…分かってる。ダメなんだけどね、こんな顔してちゃ…」
恋は苦笑いを浮かべる。
恋は今にも泣き出しそうに見えた。
何か言葉を間違えれば涙はまた溢れそうである。
それを必死で抑えている様が気にかかる。
落ち込みきっている恋に流川は静かに言った。
「泣きたけりゃ泣けばいいだろ」
「んーん、泣くの苦手だしさ…」
「ちょっと来い」
「え?」
流川は言いスタスタと道を外れる。
やっと道なりを見付け通っていたのだが、草を掻き分け流川は進んで行く。
鬱蒼と茂る草を踏み進むので恋は後を追うしかないのだった。
流川は道を知っているのかズンズンと進んで行く。
恋は後を歩きながら尋ねた。
「どこ行くの?」
「すぐ着く」
流川は恋が危なくない様、高い草がある場所や枝がある所では立ち止まり恋が通り易くなる様手で掴み道を開かせた。
そんなこんなでしばらく無言で歩いていると、恋は目の前の道が広がるのに気付いた。
そして、しばらく行くと小さな川があり辺りに小さな光が浮いていた。
それは良く見れば蛍だった。
話には良く聞くが、実物を見るのは初めてで恋は目を輝かせ一気に興奮気味になる。
「何これ…凄い!凄いよ!えっ、何でこんなのあるって知ってるの!?」
「昨日見付けた」
「わーわー、凄いこんなの初めて見た!!」
「そうか」
はしゃぐ恋を見て流川は微かに笑う。
恋は涙も止まり嬉しそうに辺りを見渡す。
しばらくの間2人は蛍の光に包まれていた。
一定のリズムで光る蛍に自ずと声は消え、ただただその光景に目を奪われる。
そこだけ時間が止まった絵画の様に恋の心には刻まれた。
その後、蛍を堪能した2人は来た道を戻る。
流川の勘もあながち外れておらず入口に近付いている気がした。
恋は先刻の蛍を思い出し笑顔を浮かべ流川を見た。
「ありがとう。何か元気出た」
「あぁ」
「あ…電話だ…」
静かな森の中に恋の携帯が着信を知らせる曲を流し静寂は破られた。
いつの間にか電波の届く範囲にまで来ていたらしい。
恋が通話ボタンを押すと共に怒鳴り声がした。
『ちょっとあんた、何してんの!?どこいるのよ!?』
「あ…すみません。今流川くんといて…すぐ戻りますから」
恋は携帯を耳元から放し、耳を押さえて返事をした。
しかし恋の口から出た名に彩子が不審に思う。
『流川!?何でいんのよ?』
『何してんだ、あいつ?』
『肝試しには参加してなかったのになぁ』
彩子の声に反応したのか宮城や木暮の声が受話器越しに微かに聞こえた。
彩子は溜め息を吐き落ち着いた声で言う。
『まぁ、いいから早く戻って来なさいよっ』
「はい、すみませんっ」
恋は頭を下げながら誤り通話を終了した。
彩子には見えないが、思わず行動してしまう程に彩子の剣幕が尋常でなく感じたのだ。
流川は恋の様子を伺っていたが通話が終わると再び歩き始めた。
「大丈夫か」
「うん、戻ったら凄い怒られそうだけど…」
恋は微かに暗い声を出す。
戻って彩子にどやされるのは確実だ。
流川はフッと笑い言った。
「自業自得」
「もう!そうだけど言わなくても良くない?」
「どあほう」
「酷いなぁ」
恋は思わず顔が綻ぶ。
流川も微かに微笑んでいた。
久し振りに聞くいつの間にか聞き慣れてしまった流川の口癖。
2人の間には昨日までの空気はもう1ミリも流れていなかった。
恋達が他愛ない会話をしながら直接合宿所に戻ると、皆は部屋に戻った様で静かなものだった。
「ごめんね、ありがとう」
「あぁ」
流川はそれだけ言うと部屋に戻って行った。
流川の背を見ながら恋はぽつりと言った。
「普通に話してくれたけど…もう怒ってないのかな…?」
恋の心には安堵と少しの不安が残っていた。
和解したと思えるが流川の態度は険悪になる前とも少し違う。
まだ気は抜けないのかもしれないと恋は思った。
今日も恋はいつも通りにマネージャーの仕事をこなしている。
まだ消えぬ首筋と手首の痕にジャージはずっと着込んだままだ。
首筋は大分薄まりつつあるが、手首はかなり強い力で掴まれていたのか斑に内出血が起きていた。
日に日に高くなる気温にも多少は慣れて来たが、暑さにはどうしようもないものもあった。
タオルを首に掛け汗が流れる度に拭うので化粧も崩れてくる。
恋は暑さと格闘しつつ、伸びをして体育館内に戻る為歩き出した。
サンサンと降り注ぐ直射日光に眉をしかめぼんやり歩いていると、ふと先日の事が頭を過ぎってしまう。
先日の一件以来、三井とも流川ともまともに話をしていない。
三井にジャージを返す事すらままならず恋は気落ちしていた。
しかし、表立っては態度に表したくなくて明るく振る舞うしかない。
数人は3人の雰囲気に気付いているのかもしれない。
しかし、私情を合宿中に持ち込むわけにもいかなかった。
それは三井、流川の両名も分かっているのだろう。
だからこそ恋自身下手に動けないのだ。
恋が、ドアから誰もいないコートだけをぼんやり眺めていると彩子が声を掛けて来た。
手には財布を持っている。
「恋」
「彩子さん。何ですか?」
「コールドスプレーとスポーツドリンク買って来てくれない?」
彩子はキャップを取り、同じく肩に掛けたタオルで汗を拭うと財布を恋に差し出した。
恋はそれを静かに受け取る。
端からは談笑の声が聞こえていた。
暫く休憩をとるのか皆、各々壁際で休息したり雑談をしている様だ。
恋は無意識に三井と流川を視線で探してしまう。
「あ、はい。良いですけど」
「荷物持ちも呼んどいたから」
彩子が指差した方向には、恋が思わず探してしまっていた流川が立っていた。
恋は余りの事にギョッとして彩子を見る。
流石に気まずさは隠しきれない。
それでも彩子は気付いているのか、はたまた気付いていないのか、笑顔を向けるだけだ。
「じゃあ、頼んだわよ」
彩子はそれだけ言うとそそくさと去って行った。
2人の微妙な距離感を感じ、恋が気まずそうに流川を見ると、流川は何も言わず体育館内を出た。
無言で通り過ぎる流川に恋もその後を追い駆け、数歩後ろを歩きながら暑さと緊張で額には異常に汗が滲み流れていく。
しばらく歩き続けていても2人の間に会話はない。
恋はこの場から立ち去りたい気持ちでいっぱいだった。
「前にもあった」
流川が突然口を開いたので恋は驚いて流川を見上げた。
流川の歩く速度が少し遅くなったのか、恋は今流川の隣りに並んでいる。
「前にも買い物行っただろ」
「え?あ、うん。あの時は海南の人達に会ったよね」
恋は流川の言う時の事を思い出す。
2人で買い物に行ったのはその時だけなのですぐ記憶は蘇る。
恋は戸惑いながらも会話が続く様、細心の注意を払い返事をしたが流川はそれ以上言葉を返さない。
恋はまた気まずさにさいなまれた。
努力も水の泡だ。
そのまま特に会話もなく店に到着し、買い物を済ませ出ると流川が見当たらない。
いつの間にか流川は恋の近くから消えていた。
会計前まではいた筈だが、知らぬ間にいなくなったので恋は辺りを見渡した。
が、いない為その場にしゃがみ込む。
ずっとジャージを羽織っている為恋は暑くて仕方がない。
そして、三井に借りたジャージも返さなければ…そんな事ばかりを考える。
あの日の翌日からは乾いた自身のジャージを着ているのだ。
しばらく流川がいない事で緊張の糸がほぐれ、ぼんやり考え事をしていると、突然頬に冷たい物が当たり小さく悲鳴を上げる。
見上げると流川がアイスを差し出していた。
「暑いだろ」
「あ、ありがとう」
恋は礼を言い遠慮がちにアイスを受け取る。
流川はアイスを口に含み何も言わずにその場に立ちすくむ。
恋が袋を破りそれを頬張ると、冷たさが口いっぱいに広がりホッと一息ついた。
「帰ろうか」
「あぁ」
どこか緊張の解けた恋の言葉に、流川は荷物を軽々と持ち上げ歩き始めた。
恋もそれに続き学校へと並んで帰る。
2人の間を爽やかな風が吹き抜けた気がした。
校門前へ着くと宮城がヤンキー座りをして待っており、2人に気付くと立ち上がり声を掛けて来た。
その態度は待ってましたと言わんばかりである。
「やっと帰って来たな。夜、肝試しすっから校門前に集合だぜ。常誠も加わってくれんだってよ」
「肝試し…ですか」
宮城は、はしゃいでいるのか喜々として笑顔を浮かべていた。
「グループは如月、流川、三井さんだかんな」
「え!?」
宮城は二カッと笑い、尚も伝えたい事を続けるので恋は驚き声を上げた。
流川も声には出さないものの僅かに目が見開いている。
「じゃあ、夜な。練習始まるぜ」
宮城は言うだけ言うとさっさと去って行ってしまった。
残された恋は、自身のツイてなさに頭を抱えたくなる。
今気まずいのは分かりきっていた。
3人が揃えば空気は悪く居心地もかなり悪いだろう。
恋があれこれ悩んでいる間に流川は恋を置いて先に行ってしまったのか、恋は気付けば1人その場に立ち尽くしていた。
恋は頭痛を軽く覚えるのだった。
時刻は21時になり辺りは暗くついに肝試しが始まった。
場所は学校から少し離れた所にある森の中だった。
夏でも流石に21時にもなれば真っ暗で辺りはしんと静まり返っている。
肝試しの詳細は、恋のチームを含む数組が脅かされ役に回り、それ以外の者が脅かし役となった。
昼間、宮城が森の奥にある祠に置いて来たという箱を取って来る。
そして、その行く先々には常誠の生徒と湘北の残りのメンバーがオバケ役で配置されていた。
恋は溜め息を小さく吐きながら道を歩いている。
歩き始めて約30分、会話は一切なかった。
幸いにも流川は今この場にいない。
流川はこの肝試しの参加自体を早々に断った様だ。
けれど、流川がいずとも今の恋と三井の間はとても気まずい。
恋が小さく溜め息を吐くのも何度目だろう。
恋は気まずさに叫び出したい衝動にかられていた。
脅かし役も次々現われるが2人は驚いていない。
否、実の所三井は時々ビクリと肩を震わせているので驚いてはいるだろう。
しかし、平静を装っているのか何もあからさまな反応を示さなかった。
恋自身はオバケと呼ばれる代物は元より信じていないし、顔見知りの者が扮しているのを分かっているので怖くもない。
ただ異様に物静かな森の方が怖いくらいだった。
程なくして祠に着き箱を手に来た道を戻る事となる。
帰りも沈黙が続くのかと思うと恋の気は落ちるばかりだった。
「大丈夫なのか?」
だが、唐突に今まで押し黙っていた三井が声を掛けて来たので恋はすぐに反応出来なかった。
そして数秒後やっとの事で声を出した。
「何がですか?」
「お化けとか。全然怖がってなかったしよ」
三井は前を向いていて表情までは分からない。
恋が余りに驚かないので声を掛けた様だ。
恋を心配したのかもしれない。
「あー…はい、平気です。どっちかって言うと、こういう静かな暗闇が怖いですね」
「そうか」
そして会話は再び途切れた。
恋は何も話題が浮かばず、話し掛けられずにそのまま静かな森の中を2人で歩いていた。
たまに虫の音が耳障りな程うるさく感じるが、今の恋にはむしろ有り難い。
全くの沈黙では、叫び出してでもそのままどこかへ突っ走って行ってしまいそうだった。
他愛もない会話を切り出す勇気もなく、恋は何度目かの溜め息を漏らしてしまう。
しばらくして三井がまた声を掛けてきた。
今度は少しだけ恋に振り返る。
「良かったな、流川いなくて」
「え?」
「あ…いや、気まずいだろ流石に。まぁ、俺とでも変わんねぇんだろうけど」
「そんな事ないですよ」
三井の言葉に恋は精一杯の笑顔を作る。
三井に悟られまいと作り笑いばかり浮かべてしまう。
内心そんな風に言われるのは結構堪える。
気まずく話をしないのならば何故、三井は流川の様に断らなかったのか。
そして、恋自身何故断らなかったのか。
そんな疑問が浮かび、恋は淡い期待を寄せてしまっている事に気付いた。
恋が断らなかったのも仲直りが出来るかもしれないと思ったのが大きい。
昼間、流川とほんの少しだけ距離が縮まった様に三井とも僅かでも距離が縮まるかもしれないと。
それは一種の賭けでもあった。
一気に全てが壊れてしまうかもしれないとは思っていた。
それでも、むざむざ断る事など出来なかった。
特に三井とはどうしても仲直りがしたかったのだ。
好きな相手から距離を取られる事程悲しい事はない。
だからと言って、恋から会話をどんどんする勇気はなかった。
何度も話そうとはした。
でも、少しでも話し掛けようものなら三井は明らかに拒んでいた。
そんな事をされれば勇気は削られ臆病にもなる。
だが、こうして三井に会話を振られるのは嬉しい。
だからこそ笑顔を絶さない様にしてしまうのだ。
内心は不安で仕方がなくても…だ。
「じゃあ、何でそんな顔すんだよ」
「え…?」
「俺、お前にそんな顔ばっかさせてるよな…」
三井はそれきり何も言わなくなり、また前を向いてしまった。
恋も口が開けないでいる。
三井にはやはりバレてしまう。
否、恋自身が偽るのが得意でないのかも知れない。
だから三井からすれば否が応でも気付いてしまうのか…。
三井も素直なのか思った事を口にしてしまうのだろう。
それが空気を悪くするとは知っているにも関わらずだ。
そんな三井が一体どうしたいのか恋には分からなかった。
そして2人で元来た道を戻るが、その間会話もなくお互い気まずさだけをヒシヒシと感じていた。
わりと近場まで来ていたのかすぐに入口に戻りはした。
2人を確認した彩子が小さく手を振ってくる。
恋はホッと胸を撫で下ろし彩子に近付いた。
「もう終わりですか?」
「そうね。あんた達を驚かせた5分後に戻る事になってるから、そろそろ皆戻るでしょ」
「そうですか」
恋はやっと帰れるかと思うと安堵せずにはいられない。
三井も赤木達の所へ行ってしまった。
何も知らない彩子はムフフと笑い恋に言った。
「どう?先輩とラブラブになれたの?」
「え?」
「あんた達、いい加減くっついたらいいのに」
少し離れた場所で赤木、宮城と話している三井の背を彩子は見ていた。
恋は悟られまいと彩子をゆっくり見る。
「どういう事ですか?」
「それなら、外野がしゃしゃり出て来る事もないんじゃない?」
「え?」
恋が言葉を続け様とした時、三井が彩子の名を呼んだ。
「彩子」
「何ですか?」
三井は2人に近寄ると後ろを指差した。
ちらほらと他のメンバーも戻って来たらしく、宮城は戻って来た者達と話をし赤木は木暮と話している。
少し距離があったので三井が呼びに来た様だ。
ただ彩子と話すその間も、三井から恋に視線は送られなかった。
「…それから、赤木が呼んでるぜ」
「はいはい」
彩子は言って赤木達の元へ行ってしまう。
またも三井と2人きりになり恋は戸惑う。
「如月」
「はい?」
「いや…何でもねぇ」
「え?あの…」
歯切れの悪い三井に恋はポカンとする。
何を言いかけたのか検討がつかない。
三井は額に手を当て話を逸らした。
「あ、それよかよ…」
「何ですか?」
「俺といて、辛いなら離れろよ」
「え?言ってる意味が…」
「俺といても意味ないだろ?俺は…お前を……振ったんだしよ」
三井は少し言いにくそうに言葉を発する。
恋は余りの衝撃に言葉が出ない。
三井はそのまま恋から視線を外して続けた。
「だからさっさと他に好きな奴でも見付けてよ、その…」
「何でそんな事言うんですか」
「え?」
三井の言葉を静かに遮る恋に三井はハッとした。
恋がゆっくりと上げた表情が酷く歪み今にも泣き出しそうに見えた。
「何でそれを今言うんですか?私、2回も先輩にフラれなきゃなんないくらい邪魔でしたか?そんなに側にいちゃダメなんですか?」
「…違…」
「私だって先輩を諦めたいよ!でも、それでも私は…」
恋は唸る様に怒気を込めて言ったが俯き言葉を止めた。
怒鳴って周りに気付かれるのも嫌だと思った。
それでも抑え切れない何かにぐっと唇を噛み締め、堪らずバタバタと森へと走って行った。
三井も慌てて追いかける。
しかし、森の中は暗く視界も悪い為すぐに見失ってしまった。
恋は泣きそうなのを必死で堪えながら走っていた。
目には涙が溜まり周りは霞んで見える。
溜まりに溜まった涙は器から溢れる様に次から次へと零れ始めた。
何度も涙を拭い走っていたが、疲れて足を止め気付くとそこはどこなのかも見当が付かなかった。
「どうしよ…」
恋は無鉄砲に森へ入り込んだ事を後悔した。
涙も自然と止まり迷ってしまった事に今更ながら気付き不安になる。
携帯を見ても、どこか電波が悪くアンテナが立ったり消えたりと不安定である。
1人、元来た道を戻ろうとするが合っているのかすら分からない。
辺りは暗くいつの間にか虫の音も止んでいた。
「きゃ!」
突然鳥が羽ばたき木々が揺れ恋は小さく叫ぶ。
暗闇は1人を実感させ恋は一気に不安になった。
しかし、助けを呼ぼうにも周りには誰もいない。
恋は立ち止まったまま足がすくんでしまい、ついには歩き出せなくなった。
恐怖感に腕を握ると微かに体は震えていた。
「何してる」
「ぎゃっ!?」
声がしたので見ると、そこにいたのは恋に懐中電灯を向けている流川だった。
余りに唐突で恋は瞬き1つできない。
流川は普段通りの態度で恋を見る。
「肝試しは」
「あ…迷子になっちゃって…」
「他の奴は」
「あの…肝試し自体は終わって、その後森に私が迷い込んじゃったから」
「ふうん」
流川には先日までのとげとげしさがなくなっている気がする。
恋はそれでも僅かに警戒し流川に尋ねた。
「流川くんは出口とか分かる?」
「分からん」
「え?」
「でも勘はある」
「ちょ…それは…」
「来い」
恋は頼れる人が今流川しかいない為、ついて行くしかないし人に会えた事に安堵していた。
それに何となく流川には野性的勘がありそうだとは思う。
だから根拠のない確証が持てた。
しかし、流川はここで何をしていたのだろうか。
「何してたの?」
「散歩」
「そっか」
流川はどこか不思議な部分があると恋は思う。
1人で散歩より寝ている方が似合うのだ。
だが、余り流川の事を詳しいわけではないので頷くしかない。
聞いてみたはいいが、今の恋には茶化したりする余裕すらない。
流川は道なき道をズンズン先に進み、恋はその後ろを静かについて行った。
何かを深く考えられず気落ちしている恋を見て流川は言った。
「楽しくなかったのか」
「何が?」
「肝試し」
「あ…えっと…」
恋は言葉に詰まり何も言えなくなる。
目を伏せる恋を流川はチラリと見て言った。
「言わなくてもその顔見れば分かる」
「そう…」
恋の目と鼻は赤く泣いていたのだろうと簡単に予測出来る。
恋が肩を落としトボトボ歩いているのを見て流川は続けた。
それには微かに気遣いが感じられる。
「何か言われたのか」
「え?」
「今も泣きそうな顔してる」
「あ…うん…分かってる。ダメなんだけどね、こんな顔してちゃ…」
恋は苦笑いを浮かべる。
恋は今にも泣き出しそうに見えた。
何か言葉を間違えれば涙はまた溢れそうである。
それを必死で抑えている様が気にかかる。
落ち込みきっている恋に流川は静かに言った。
「泣きたけりゃ泣けばいいだろ」
「んーん、泣くの苦手だしさ…」
「ちょっと来い」
「え?」
流川は言いスタスタと道を外れる。
やっと道なりを見付け通っていたのだが、草を掻き分け流川は進んで行く。
鬱蒼と茂る草を踏み進むので恋は後を追うしかないのだった。
流川は道を知っているのかズンズンと進んで行く。
恋は後を歩きながら尋ねた。
「どこ行くの?」
「すぐ着く」
流川は恋が危なくない様、高い草がある場所や枝がある所では立ち止まり恋が通り易くなる様手で掴み道を開かせた。
そんなこんなでしばらく無言で歩いていると、恋は目の前の道が広がるのに気付いた。
そして、しばらく行くと小さな川があり辺りに小さな光が浮いていた。
それは良く見れば蛍だった。
話には良く聞くが、実物を見るのは初めてで恋は目を輝かせ一気に興奮気味になる。
「何これ…凄い!凄いよ!えっ、何でこんなのあるって知ってるの!?」
「昨日見付けた」
「わーわー、凄いこんなの初めて見た!!」
「そうか」
はしゃぐ恋を見て流川は微かに笑う。
恋は涙も止まり嬉しそうに辺りを見渡す。
しばらくの間2人は蛍の光に包まれていた。
一定のリズムで光る蛍に自ずと声は消え、ただただその光景に目を奪われる。
そこだけ時間が止まった絵画の様に恋の心には刻まれた。
その後、蛍を堪能した2人は来た道を戻る。
流川の勘もあながち外れておらず入口に近付いている気がした。
恋は先刻の蛍を思い出し笑顔を浮かべ流川を見た。
「ありがとう。何か元気出た」
「あぁ」
「あ…電話だ…」
静かな森の中に恋の携帯が着信を知らせる曲を流し静寂は破られた。
いつの間にか電波の届く範囲にまで来ていたらしい。
恋が通話ボタンを押すと共に怒鳴り声がした。
『ちょっとあんた、何してんの!?どこいるのよ!?』
「あ…すみません。今流川くんといて…すぐ戻りますから」
恋は携帯を耳元から放し、耳を押さえて返事をした。
しかし恋の口から出た名に彩子が不審に思う。
『流川!?何でいんのよ?』
『何してんだ、あいつ?』
『肝試しには参加してなかったのになぁ』
彩子の声に反応したのか宮城や木暮の声が受話器越しに微かに聞こえた。
彩子は溜め息を吐き落ち着いた声で言う。
『まぁ、いいから早く戻って来なさいよっ』
「はい、すみませんっ」
恋は頭を下げながら誤り通話を終了した。
彩子には見えないが、思わず行動してしまう程に彩子の剣幕が尋常でなく感じたのだ。
流川は恋の様子を伺っていたが通話が終わると再び歩き始めた。
「大丈夫か」
「うん、戻ったら凄い怒られそうだけど…」
恋は微かに暗い声を出す。
戻って彩子にどやされるのは確実だ。
流川はフッと笑い言った。
「自業自得」
「もう!そうだけど言わなくても良くない?」
「どあほう」
「酷いなぁ」
恋は思わず顔が綻ぶ。
流川も微かに微笑んでいた。
久し振りに聞くいつの間にか聞き慣れてしまった流川の口癖。
2人の間には昨日までの空気はもう1ミリも流れていなかった。
恋達が他愛ない会話をしながら直接合宿所に戻ると、皆は部屋に戻った様で静かなものだった。
「ごめんね、ありがとう」
「あぁ」
流川はそれだけ言うと部屋に戻って行った。
流川の背を見ながら恋はぽつりと言った。
「普通に話してくれたけど…もう怒ってないのかな…?」
恋の心には安堵と少しの不安が残っていた。
和解したと思えるが流川の態度は険悪になる前とも少し違う。
まだ気は抜けないのかもしれないと恋は思った。