第十一章
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どれくらい時間が経ったのか翌日の早朝、恋は合宿所を抜け出し1人街を歩いていた。
近くにあった公園を見付けそこのベンチに座る。
気を紛らわそうとバスケをする気にもならなかった。
昨日の出来事が嫌でも頭を巡る。
あの後三井が部屋まで恋を送ってくれた。
「大丈夫か?」
「はい」
恋は思っていたよりも冷静な声が出ていた。
泣き続けた恋を三井は黙って抱き締めてくれていた。
恋が泣きやみ部屋に帰ろうとすると、心配そうに部屋まで送ってくれる。
だが、今の恋には流川を理由が分からなくとも怒らせたと言う事実だけが頭を占拠していた。
三井の心配そうな顔も言葉も、今の恋には届かない。
部屋まで送って貰い挨拶を交わして中に入ると彩子はもう寝ていた。
恋は彩子を起こさないよう静かに布団に入る。
不思議と涙はもう出なかった。
だが一睡も出来なかった恋は、翌朝外を当てもなく歩いていた。
考えていても堂々巡りで答えなど出ては来ない。
やがて陽が高くなって来たので仕方なく合宿所に戻る事にする。
「如月」
部屋へ戻ろうとした恋に後ろから声が掛けられた。
振り返れば三井がいる。
「えらく早いな。寝てねぇのか?」
「…はい」
「あんま気に病むなよ」
「ありがとうございます」
三井は少し言いにくそうに恋を励ます。
恋は力なく笑った。
途端に三井の顔が歪む。
「んな顔すんなよ…」
「え?」
三井がぼそりと言った為、聞き取れなかった恋は聞き返した。
三井は頭をガシガシと掻き毟る。
「笑いたくないなら笑うな」
三井は恋が無理をしているのに気付いていた。
恋は少し目を伏せた。
「…すみません」
「謝るな」
「はい」
「別に怒ってるわけじゃねぇぞ」
「心配ですよね。『妹』にするみたいな」
「…あぁ」
恋は出てしまった言葉にハッとしたが三井は低い声で肯定した。
恋はたちまち居心地が悪くなる。
「ありがとうございます。平気ですから。私、もう行きますね」
バタバタと駆けて行く恋を三井は静かに見送った。
恋は部屋に戻りドアの前で気落ちする。
言った言葉に自己嫌悪していた。
恋は溜め息を漏らし1人着替える。
そして露になった首筋を見て驚いた。
鏡越しの首筋には、小さく赤い跡がくっきりといくつも写っていた。
そして手首にも赤く痣が残っている。
そして、唇には血が固まった跡。
「痛い…よね…」
ポツリと声を漏らし恋はジャージを羽織った。
「おはようございます!」
恋は体育館に入るなり元気良く挨拶をした。
そんな恋を見て皆驚いた。
そこへ彩子が声を掛けて来る。
「えらく元気ね?あら?あんた寒いの?」
「え?あ…ちょっと…あはは」
「?まぁ、いいけど」
今は朝方の為多少は涼しく感じるかもしれない。
しかし、言っても夏なので長袖では暑いだろう。
恋がジャージを来ている事を不思議そうにしていた彩子だが、そのまま赤木の元に行ってしまう。
恋はニコニコと笑顔を浮かべていた。
そこへ木暮がやって来た。
「どうした?恋」
「こーちゃん。何が?」
「元気良いなぁと思って」
木暮は苦笑いを浮かべて恋の頭に手を置いた。
恋は首を傾げる。
「変?」
「いや、でもあんまり無理するなよ」
「ありがと、こーちゃん」
木暮は言ってコートに向かう。
恋は笑顔を浮かべ手を振った。
木暮が言いたい事は分かっている。
正確な理由を知らない木暮。
しかし、恋の性格を多少なりにも詳しい木暮が気付かないわけがない。
しかし、だからと言ってそれを表に出す事は出来ない。
「おい」
「あ…三井先輩」
恋は声を掛けられ、その主を見てみると三井がいた。
三井は心配そうに恋を見やる。
「大丈夫か?」
三井の言葉にも恋は笑顔を浮かべるしか出来ない。
「はい。今朝も言いましたけど、平気ですよ」
「笑いたくなけりゃ笑うなっつったよな?」
「あー…はい…。でも笑ってないと皆が心配するんです」
恋はハハハと空笑いをする。
恋はずっと無理をしているのは明らかである。
三井は眉間に皺を寄せた。
「作り笑いでも心配すんだろうが」
「笑顔、上手く出来てませんか…?」
「出来てねぇわけじゃねぇけど…」
「なら…」
笑顔を浮かべていた恋だが、突然三井の後ろを見つめてピタリと動きが止まる。
三井が不審に思い振り返れば流川が現われた。
流川は、恋にも三井にも一瞥もくれる事なくコートへ向かう。
恋はきゅっと三井の服の裾を掴んだ。
「大丈夫か?」
「は…い」
「おい、顔色悪ぃぞ?」
「あ…平気です。ちょっと驚いただけです。あ、練習始まるみたいですよ?」
恋は三井の背を押し自身もコートへ向かう。
三井はそれ以上追及出来なかった。
恋はバシャンと顔に水をかける。
真夏の日に長袖ジャージをしっかり着込んでいたら暑くて仕方なかった。
中にキャミソール1枚と言っても、長袖の風通しの悪さは予想を超えている。
それでもTシャツに着替える事は出来なかった。
ぼんやり蛇口から出る水を見つめていると、突然頭からザバッと水が掛かった。
一瞬何が起きたのか分からなかったが、すぐに顔を上げれば流川がタオルに含ませた水を恋の頭上から絞ったのだと理解した。
「何す…」
髪から滴る水滴が服と地面を濡らす。
流川に表情の変化はない。
「ずぶ濡れだな。脱げば、ジャージ」
「え?」
「また脱がして欲しいか?」
「なっ…」
流川がガッと恋の首元のジャージを掴む。
「やっ!」
恋は流川の手を退けようとする。
今回はいとも簡単に手は離れた。
恋は目を見開き流川を見た。
流川には、やはり表情の変化がない。
流川は無表情なまま冷たく言い放った。
「脱いで、痕でも見せつけてやれば?」
「何…」
「あぁ、でもあんたと同じのが俺にもある」
流川は恋の顔に手を添え唇の傷に親指を当てる。
恋はパシンとその手を払った。
「…触らないで」
「あんたって情緒不安定なだけか?それとも、ただの男好きか?」
「何よそれ…」
「分からないならいい」
流川はそう言い残しその場を去った。
恋には流川の言いたい事が分からなかった。
流川の背を見つめていると三井、宮城がやって来た。
宮城は恋の姿を見るなり声を上げる。
「うおっ、何してんだ如月」
「ずぶ濡れだな」
三井も驚き恋を見た。
今までのやり取りを知らない2人は、何故恋が頭から水を滴らせているのか不思議でならない。
恋は笑いながら言った。
「蛇口捻り過ぎて、水被っちゃいました」
「何してんだよ」
三井の声は微かに怒気が混じっている様に感じる。
しかし、宮城は笑いながらあっけらかんと恋に言う。
「ジャージ脱がねぇと風邪ひくぜ?」
「あー…はい。そうですよね」
「…如月、ちょっと来い」
「はい?えっ、うわっ…」
言い淀む恋を見て、三井は恋の腕を掴む。
恋は三井に手を引かれ荷物のある場所まで連れられた。
「あの?」
恋の手を放し、三井はしゃがみ込み自身の鞄からゴソゴソと衣服を取り出した。
それを恋の前に差し出す。
「着てろ」
三井はジャージを恋に貸してくれたのだった。
恋は受け取り広げてみる。
恋の体に、それは誰が見てもサイズが合わない物だ。
「でかいかもしんねぇけど、ないよりマシだろ」
「でも…」
「他に長袖ねぇんだろ?」
恋はハッとして三井を見下ろす。
恋が何故ジャージを羽織っているのかを三井が知っているとは思ってもいない。
「何で分かっ…」
「朝から腕気にしてんだろ。痣でもあんじゃねぇの」
三井の言葉に恋は素直に驚いた。
それと同時に、首元の痕には気付いていない様で安心する。
恋はギュッとジャージを持つ手に力を入れた。
「ありがとうございます」
恋が満面の笑顔で言ったので三井も微かに微笑む。
そして、三井は鞄のファスナーを締め恋を見た。
「早く着ろよ」
「ここでですか?」
「あ?いや…別に他でもいいけどよ」
「先輩のエッチ」
「あぁ!?」
恋はべーと舌を出しトイレへ向かった。
そこで三井のジャージに袖を通す。
「やっぱり、大きい…」
恋は袖を腕の痣が見えない程度に捲る。
そして、恋が動く度に仄かに香る三井の匂いにドキリとした。
昨日、三井に抱き締められた時は石鹸の香りがしていた。
今は普段の三井の香りでドキドキと鼓動が勝手に早くなる。
恋は三井自身に包まれている様な感覚に囚われていた。
夕方、練習も終わり恋が歩いているとクラリと目眩がした。
暑い中、ずっとジャージを着ていた為だろうと思い、水を飲み日陰でしゃがみ込んでいた。
それを見付けた三井が駆け寄って来る。
「おい、どうした?」
「あ…。ちょっと…」
「気分悪ぃのか?」
「大分マシですよ」
「そう…か。っ!?」
顔を上げた恋を見て三井は動きを止めた。
恋はしゃがみ込んだ時、ジャージの首元を緩めていた。
恋は、三井の視線が自身の首筋に向いている事に気付き襟元を掴む。
「今の…」
「見えちゃいました?」
「…あぁ」
三井は少し顔を赤らめ視線を逸らした。
恋も観念して言葉にする。
しかし手は襟元を握ったままだ。
「昨日付けられてたみたいです。何がしたかったんでしょうね、流川くん…」
「お前…何も分かって…」
「え?」
「何でもねぇ」
思わず口を噤む三井に恋は疑問を持つ。
三井はその時、流川の気持ちを初めて知ったのだった。
恋は夕食を終えると、昨日作ったゼリーを皆に配っていた。
休憩中に渡そうと思っていたが、タイミングが合わず今になる。
皆デザートが出た事に驚き感謝していた。
まさか、手作りのデザートが出て来るとは思ってもいなかったのである。
特に今日は暑く、そんな日に冷たい物が食べられるのは有り難かった。
恋は、最後に流川へとゼリーを差し出すが流川は立ち上がった。
「いらない」
「え?」
「甘過ぎる」
流川はそれだけ言うと食器を片付け食堂を出て行った。
恋は小首を傾げたが、流しのトレーに置いてあったスプーンとカップを思い出す。
昨日、体育館へと置き去りにしたゼリーは今朝見ればなくなっていた。
昨日の夜、三井に部屋まで送って貰った時にあったのかは定かではないが、どこに行ったのか分からなかった。
誰かが捨てたのだろうと思って、台所に置きっ放しにしていたスプーンとカップを今朝方引き出しへ片付けに行った。
すると、余分にスプーンとカップがあったのである。
誰かが食べたのか、片付けてくれたのかは分からない。
そんな事も今まで忘れていた。
だが、今の流川の言葉に恋は理解した。
流川が食べたのである。
恋には、流川がどういうつもりで持ち去ったのかは分からないが、食べていたのなら何か一言言っても良い物だと思う。
流川は今まで何も言わなかった。
恋は流川を追いかける。
「流川くん」
流川を後ろから呼び止めると流川はピタリと足を止めた。
恋はゆっくり近付き小さな声で言った。
「あの…昨日のゼリー食べたんだよね?マズいなら先に言ってくれたら作り直したのに…。それと片付けてくれて、ありがとう」
「何、礼なんか言ってる?別にあんな所に置いておく方が悪いし、お前が食べてたやつだろ」
「え?」
恋は驚き流川を見上げた。
流川は無表情のままで、恋に徐々に顔を近付ける。
「間接キスしたな。直接もした。胸も見た。体も舐めた。キスマークも残した。次は何が良い?」
「何…」
「あんたは、何されたら俺を嫌いになる?」
「何それ…」
恋は理解出来ずに尋ね返すしか出来ない。
しかし流川の言葉は止まらなかった。
「嫌いな奴に犯されたら、あんたは傷付くか?」
「え?」
「俺はあんたが嫌いだ。だから俺の前から消したい」
「何で、そんな事…」
「あんたを無茶苦茶にしたい」
流川はそう言うと恋を壁際へと追い詰めた。
追いやられた恋は壁に背を付き、顔の両側には流川の手があり逃れられない。
何より流川の視線から逃れる事が出来なかった。
「いつも先輩に守られて満足か?それとも満足いかないから、あいつといたのか?」
「あいつ…?」
「あんたは何がしたいんだ」
「え?」
流川の表情が一瞬曇った気がした。
しかし、流川は少し顔を伏せ恋からはその表情が少し見え辛くなってしまう。
「いつも無理して笑って、何が楽しい。辛いなら諦めれば良い。何でそんな顔して俺の周りをうろつく。……したら……る…だ」
最後が聞き取れず恋が聞き返そうとすると、流川はすっと恋から離れた。
恋から視線を外した流川の目の先を見れば三井が駆け寄って来ている。
「何してんだっ」
2人の元に駆け寄ると、三井は今にも流川に掴みかかりそうな勢いである。
恋は慌てて三井に言った。
「先輩、私何もされてな…」
「あんたも嫌いだ」
恋の言葉を遮り流川は三井を見て言った。
三井は威嚇するかの様に言葉を荒げる。
「あぁ!?」
「何でフったなら優しくする。あんたがそんなだから、こいつはどっちつかずなんだ」
「何?」
「責任感じて手放さないのか?好かれたから手放したくないのか?どっちにしろ、最低だ」
「何だとっ」
「応えられないなら優しくするな」
三井が腕を振りかざした時、恋は三井の服の裾を掴んだ。
恋が三井を見る目はどこか寂しそうである。
「あんたらどっちも最低だ」
流川はそう言い残しその場を去った。
恋と三井の間には僅かに沈黙が走る。
それから口火を切ったのは三井だった。
「悪かった」
「え?」
「今まで優しくして悪かった。もうしねぇよ」
三井は逃げる様に恋の手を払い去って行った。
恋はポツンと1人その場に残され動く事が出来なかった。
→第十二章
近くにあった公園を見付けそこのベンチに座る。
気を紛らわそうとバスケをする気にもならなかった。
昨日の出来事が嫌でも頭を巡る。
あの後三井が部屋まで恋を送ってくれた。
***
「大丈夫か?」
「はい」
恋は思っていたよりも冷静な声が出ていた。
泣き続けた恋を三井は黙って抱き締めてくれていた。
恋が泣きやみ部屋に帰ろうとすると、心配そうに部屋まで送ってくれる。
だが、今の恋には流川を理由が分からなくとも怒らせたと言う事実だけが頭を占拠していた。
三井の心配そうな顔も言葉も、今の恋には届かない。
部屋まで送って貰い挨拶を交わして中に入ると彩子はもう寝ていた。
恋は彩子を起こさないよう静かに布団に入る。
不思議と涙はもう出なかった。
だが一睡も出来なかった恋は、翌朝外を当てもなく歩いていた。
考えていても堂々巡りで答えなど出ては来ない。
やがて陽が高くなって来たので仕方なく合宿所に戻る事にする。
「如月」
部屋へ戻ろうとした恋に後ろから声が掛けられた。
振り返れば三井がいる。
「えらく早いな。寝てねぇのか?」
「…はい」
「あんま気に病むなよ」
「ありがとうございます」
三井は少し言いにくそうに恋を励ます。
恋は力なく笑った。
途端に三井の顔が歪む。
「んな顔すんなよ…」
「え?」
三井がぼそりと言った為、聞き取れなかった恋は聞き返した。
三井は頭をガシガシと掻き毟る。
「笑いたくないなら笑うな」
三井は恋が無理をしているのに気付いていた。
恋は少し目を伏せた。
「…すみません」
「謝るな」
「はい」
「別に怒ってるわけじゃねぇぞ」
「心配ですよね。『妹』にするみたいな」
「…あぁ」
恋は出てしまった言葉にハッとしたが三井は低い声で肯定した。
恋はたちまち居心地が悪くなる。
「ありがとうございます。平気ですから。私、もう行きますね」
バタバタと駆けて行く恋を三井は静かに見送った。
恋は部屋に戻りドアの前で気落ちする。
言った言葉に自己嫌悪していた。
恋は溜め息を漏らし1人着替える。
そして露になった首筋を見て驚いた。
鏡越しの首筋には、小さく赤い跡がくっきりといくつも写っていた。
そして手首にも赤く痣が残っている。
そして、唇には血が固まった跡。
「痛い…よね…」
ポツリと声を漏らし恋はジャージを羽織った。
「おはようございます!」
恋は体育館に入るなり元気良く挨拶をした。
そんな恋を見て皆驚いた。
そこへ彩子が声を掛けて来る。
「えらく元気ね?あら?あんた寒いの?」
「え?あ…ちょっと…あはは」
「?まぁ、いいけど」
今は朝方の為多少は涼しく感じるかもしれない。
しかし、言っても夏なので長袖では暑いだろう。
恋がジャージを来ている事を不思議そうにしていた彩子だが、そのまま赤木の元に行ってしまう。
恋はニコニコと笑顔を浮かべていた。
そこへ木暮がやって来た。
「どうした?恋」
「こーちゃん。何が?」
「元気良いなぁと思って」
木暮は苦笑いを浮かべて恋の頭に手を置いた。
恋は首を傾げる。
「変?」
「いや、でもあんまり無理するなよ」
「ありがと、こーちゃん」
木暮は言ってコートに向かう。
恋は笑顔を浮かべ手を振った。
木暮が言いたい事は分かっている。
正確な理由を知らない木暮。
しかし、恋の性格を多少なりにも詳しい木暮が気付かないわけがない。
しかし、だからと言ってそれを表に出す事は出来ない。
「おい」
「あ…三井先輩」
恋は声を掛けられ、その主を見てみると三井がいた。
三井は心配そうに恋を見やる。
「大丈夫か?」
三井の言葉にも恋は笑顔を浮かべるしか出来ない。
「はい。今朝も言いましたけど、平気ですよ」
「笑いたくなけりゃ笑うなっつったよな?」
「あー…はい…。でも笑ってないと皆が心配するんです」
恋はハハハと空笑いをする。
恋はずっと無理をしているのは明らかである。
三井は眉間に皺を寄せた。
「作り笑いでも心配すんだろうが」
「笑顔、上手く出来てませんか…?」
「出来てねぇわけじゃねぇけど…」
「なら…」
笑顔を浮かべていた恋だが、突然三井の後ろを見つめてピタリと動きが止まる。
三井が不審に思い振り返れば流川が現われた。
流川は、恋にも三井にも一瞥もくれる事なくコートへ向かう。
恋はきゅっと三井の服の裾を掴んだ。
「大丈夫か?」
「は…い」
「おい、顔色悪ぃぞ?」
「あ…平気です。ちょっと驚いただけです。あ、練習始まるみたいですよ?」
恋は三井の背を押し自身もコートへ向かう。
三井はそれ以上追及出来なかった。
恋はバシャンと顔に水をかける。
真夏の日に長袖ジャージをしっかり着込んでいたら暑くて仕方なかった。
中にキャミソール1枚と言っても、長袖の風通しの悪さは予想を超えている。
それでもTシャツに着替える事は出来なかった。
ぼんやり蛇口から出る水を見つめていると、突然頭からザバッと水が掛かった。
一瞬何が起きたのか分からなかったが、すぐに顔を上げれば流川がタオルに含ませた水を恋の頭上から絞ったのだと理解した。
「何す…」
髪から滴る水滴が服と地面を濡らす。
流川に表情の変化はない。
「ずぶ濡れだな。脱げば、ジャージ」
「え?」
「また脱がして欲しいか?」
「なっ…」
流川がガッと恋の首元のジャージを掴む。
「やっ!」
恋は流川の手を退けようとする。
今回はいとも簡単に手は離れた。
恋は目を見開き流川を見た。
流川には、やはり表情の変化がない。
流川は無表情なまま冷たく言い放った。
「脱いで、痕でも見せつけてやれば?」
「何…」
「あぁ、でもあんたと同じのが俺にもある」
流川は恋の顔に手を添え唇の傷に親指を当てる。
恋はパシンとその手を払った。
「…触らないで」
「あんたって情緒不安定なだけか?それとも、ただの男好きか?」
「何よそれ…」
「分からないならいい」
流川はそう言い残しその場を去った。
恋には流川の言いたい事が分からなかった。
流川の背を見つめていると三井、宮城がやって来た。
宮城は恋の姿を見るなり声を上げる。
「うおっ、何してんだ如月」
「ずぶ濡れだな」
三井も驚き恋を見た。
今までのやり取りを知らない2人は、何故恋が頭から水を滴らせているのか不思議でならない。
恋は笑いながら言った。
「蛇口捻り過ぎて、水被っちゃいました」
「何してんだよ」
三井の声は微かに怒気が混じっている様に感じる。
しかし、宮城は笑いながらあっけらかんと恋に言う。
「ジャージ脱がねぇと風邪ひくぜ?」
「あー…はい。そうですよね」
「…如月、ちょっと来い」
「はい?えっ、うわっ…」
言い淀む恋を見て、三井は恋の腕を掴む。
恋は三井に手を引かれ荷物のある場所まで連れられた。
「あの?」
恋の手を放し、三井はしゃがみ込み自身の鞄からゴソゴソと衣服を取り出した。
それを恋の前に差し出す。
「着てろ」
三井はジャージを恋に貸してくれたのだった。
恋は受け取り広げてみる。
恋の体に、それは誰が見てもサイズが合わない物だ。
「でかいかもしんねぇけど、ないよりマシだろ」
「でも…」
「他に長袖ねぇんだろ?」
恋はハッとして三井を見下ろす。
恋が何故ジャージを羽織っているのかを三井が知っているとは思ってもいない。
「何で分かっ…」
「朝から腕気にしてんだろ。痣でもあんじゃねぇの」
三井の言葉に恋は素直に驚いた。
それと同時に、首元の痕には気付いていない様で安心する。
恋はギュッとジャージを持つ手に力を入れた。
「ありがとうございます」
恋が満面の笑顔で言ったので三井も微かに微笑む。
そして、三井は鞄のファスナーを締め恋を見た。
「早く着ろよ」
「ここでですか?」
「あ?いや…別に他でもいいけどよ」
「先輩のエッチ」
「あぁ!?」
恋はべーと舌を出しトイレへ向かった。
そこで三井のジャージに袖を通す。
「やっぱり、大きい…」
恋は袖を腕の痣が見えない程度に捲る。
そして、恋が動く度に仄かに香る三井の匂いにドキリとした。
昨日、三井に抱き締められた時は石鹸の香りがしていた。
今は普段の三井の香りでドキドキと鼓動が勝手に早くなる。
恋は三井自身に包まれている様な感覚に囚われていた。
夕方、練習も終わり恋が歩いているとクラリと目眩がした。
暑い中、ずっとジャージを着ていた為だろうと思い、水を飲み日陰でしゃがみ込んでいた。
それを見付けた三井が駆け寄って来る。
「おい、どうした?」
「あ…。ちょっと…」
「気分悪ぃのか?」
「大分マシですよ」
「そう…か。っ!?」
顔を上げた恋を見て三井は動きを止めた。
恋はしゃがみ込んだ時、ジャージの首元を緩めていた。
恋は、三井の視線が自身の首筋に向いている事に気付き襟元を掴む。
「今の…」
「見えちゃいました?」
「…あぁ」
三井は少し顔を赤らめ視線を逸らした。
恋も観念して言葉にする。
しかし手は襟元を握ったままだ。
「昨日付けられてたみたいです。何がしたかったんでしょうね、流川くん…」
「お前…何も分かって…」
「え?」
「何でもねぇ」
思わず口を噤む三井に恋は疑問を持つ。
三井はその時、流川の気持ちを初めて知ったのだった。
恋は夕食を終えると、昨日作ったゼリーを皆に配っていた。
休憩中に渡そうと思っていたが、タイミングが合わず今になる。
皆デザートが出た事に驚き感謝していた。
まさか、手作りのデザートが出て来るとは思ってもいなかったのである。
特に今日は暑く、そんな日に冷たい物が食べられるのは有り難かった。
恋は、最後に流川へとゼリーを差し出すが流川は立ち上がった。
「いらない」
「え?」
「甘過ぎる」
流川はそれだけ言うと食器を片付け食堂を出て行った。
恋は小首を傾げたが、流しのトレーに置いてあったスプーンとカップを思い出す。
昨日、体育館へと置き去りにしたゼリーは今朝見ればなくなっていた。
昨日の夜、三井に部屋まで送って貰った時にあったのかは定かではないが、どこに行ったのか分からなかった。
誰かが捨てたのだろうと思って、台所に置きっ放しにしていたスプーンとカップを今朝方引き出しへ片付けに行った。
すると、余分にスプーンとカップがあったのである。
誰かが食べたのか、片付けてくれたのかは分からない。
そんな事も今まで忘れていた。
だが、今の流川の言葉に恋は理解した。
流川が食べたのである。
恋には、流川がどういうつもりで持ち去ったのかは分からないが、食べていたのなら何か一言言っても良い物だと思う。
流川は今まで何も言わなかった。
恋は流川を追いかける。
「流川くん」
流川を後ろから呼び止めると流川はピタリと足を止めた。
恋はゆっくり近付き小さな声で言った。
「あの…昨日のゼリー食べたんだよね?マズいなら先に言ってくれたら作り直したのに…。それと片付けてくれて、ありがとう」
「何、礼なんか言ってる?別にあんな所に置いておく方が悪いし、お前が食べてたやつだろ」
「え?」
恋は驚き流川を見上げた。
流川は無表情のままで、恋に徐々に顔を近付ける。
「間接キスしたな。直接もした。胸も見た。体も舐めた。キスマークも残した。次は何が良い?」
「何…」
「あんたは、何されたら俺を嫌いになる?」
「何それ…」
恋は理解出来ずに尋ね返すしか出来ない。
しかし流川の言葉は止まらなかった。
「嫌いな奴に犯されたら、あんたは傷付くか?」
「え?」
「俺はあんたが嫌いだ。だから俺の前から消したい」
「何で、そんな事…」
「あんたを無茶苦茶にしたい」
流川はそう言うと恋を壁際へと追い詰めた。
追いやられた恋は壁に背を付き、顔の両側には流川の手があり逃れられない。
何より流川の視線から逃れる事が出来なかった。
「いつも先輩に守られて満足か?それとも満足いかないから、あいつといたのか?」
「あいつ…?」
「あんたは何がしたいんだ」
「え?」
流川の表情が一瞬曇った気がした。
しかし、流川は少し顔を伏せ恋からはその表情が少し見え辛くなってしまう。
「いつも無理して笑って、何が楽しい。辛いなら諦めれば良い。何でそんな顔して俺の周りをうろつく。……したら……る…だ」
最後が聞き取れず恋が聞き返そうとすると、流川はすっと恋から離れた。
恋から視線を外した流川の目の先を見れば三井が駆け寄って来ている。
「何してんだっ」
2人の元に駆け寄ると、三井は今にも流川に掴みかかりそうな勢いである。
恋は慌てて三井に言った。
「先輩、私何もされてな…」
「あんたも嫌いだ」
恋の言葉を遮り流川は三井を見て言った。
三井は威嚇するかの様に言葉を荒げる。
「あぁ!?」
「何でフったなら優しくする。あんたがそんなだから、こいつはどっちつかずなんだ」
「何?」
「責任感じて手放さないのか?好かれたから手放したくないのか?どっちにしろ、最低だ」
「何だとっ」
「応えられないなら優しくするな」
三井が腕を振りかざした時、恋は三井の服の裾を掴んだ。
恋が三井を見る目はどこか寂しそうである。
「あんたらどっちも最低だ」
流川はそう言い残しその場を去った。
恋と三井の間には僅かに沈黙が走る。
それから口火を切ったのは三井だった。
「悪かった」
「え?」
「今まで優しくして悪かった。もうしねぇよ」
三井は逃げる様に恋の手を払い去って行った。
恋はポツンと1人その場に残され動く事が出来なかった。
→第十二章