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その日、三井は廊下を一人歩いていた。
暦の上では秋に差し掛かるというのに、今日も暑さが身に染みる。
所々空いた窓からは生温い風が入るも、まだまだ部活をするには辛い季節だと実感させられ、ため息が漏れ出た。
「だぁかぁらぁ!戻す気ないって言ってるでしょ!」
と、前方から怒気を含んだ声が聞こえ三井が顔を上げると、そこには同じクラスの恋がいた。
その前には他のクラスで見かけた事のあるような気もする男がいて、どうやら揉めているのだと見てとれると、三井は少しだけ様子を窺うように立ち止まった。
「えー、でも俺は好きだし」
「知らないから!」
男が言いながら恋の体に触れようと手を出すと、恋は強く振り払い邪険に扱っていた。
恋には感情表現豊かな印象を三井は持っていたが、ここまで怒気を顕にしているのも珍しく感じる。
三井は不思議に思いながら、恋に声をかけた。
「よぉ、恋」
「あ、三井!ちょうど良いところに!じゃあね!」
恋は助かったと言わんばかりに、三井の腕に自身の腕を絡ませ足早にその場を去る。
三井はその距離にドキリとしながらも、去り際に男の顔をチラリと盗み見た。
呆気に取られている男が、恋の元彼氏だと気付いたのはその時で、痴話喧嘩だろうかと三井は少し落胆した。
恋は、男の姿が見えなくなると三井の腕を解放する。
男が追いかけてくる気配はないようだ。
「どうしたんだ?」
「あぁ……今の元カレなんだけど、最近ヨリ戻そうってしつこくて」
「はぁ?」
「あっちが振ってきたくせに、マジありえない!」
ワナワナと怒りを露わにする恋に、三井は複雑な気持ちになった。
それは、三井の胸にある密かな感情のせいである。
実の所、三井は恋が以前から好きだったのだが、今の男に先を越されていた。
と言っても、三井自身告白する気はまだなかったのだから、仕方のない事ではあった。
恋に想いを寄せたのは、一年生の頃。
気付けば目で追う存在となり、想いは日々募った。
ただ、三井が告白を決心するよりも先に、恋は今の男と付き合い始めたのだ。
そこで三井は失恋をしたのだが、男がだらしなく二人の噂はずっとあまり良いものでもなかったからか、中々諦めきれずにいた為に、気づけば二年ほど想い続けている。
バスケで挫折し不良になってからは、学校もサボりがちになり恋との接点も少なくなっていたが、気持ちは美化されたように変わらなかった。
そんな三井の想いなど知らずに、何故か二人は別れては復縁を繰り返していた。
ただ、ついに恋も本気で嫌気がさしたのか、先日別れたとの噂を聞いてから二人はまだ復縁していないと小耳には挟んでいて、良くも悪くも噂は広まりやすく、それに三井は一喜一憂している。
「ちゃんと断ってんのか?」
「断ってるよ。でも、とにかくしつこいの!あの根性だけは、本当尊敬する」
「ヨリ戻す気はねぇんだよな?」
三井は疑わしげな瞳で恋を見る。
前例があるだけに、その言葉を信用しきれないのだが、恋はそれを笑って払拭した。
「ないない、ありえない!新しい彼氏でも作れば寄ってこないかなぁ……」
うーんと唸りながらそう呟く恋に、三井は内心ホッとしながらも口から出たのは淡白な言葉だった。
「ふーん」
「反応薄くない!?ま、でも今は彼氏いらないけどさ」
「そうなのか?」
「うん、好きな人いないし、あいつで懲りたから暫くはいいかなって」
「へぇ」
その暫くがいつまでを指すかは不明だが、三井は安堵から微かに口元が緩んだ。
恋の感情が立ち止まっている間に、告白すべきかとも考える。
「何?」
「いや。まぁ断り続けるしかねぇんじゃねぇの。それか……」
『俺と付き合わないか』
喉まで顔を出していたその言葉は口から出る事なく、また胸の奥へと沈んでいく。
好きな人はいないと言った恋に告白して、付き合える保証などない。
そう思うと、勇気が出なかったのだ。
「ん?」
「何でもねぇ」
「何よー、途中でやめるとか気持ち悪いんだけど?」
「何でもねぇっつーの」
ふざけてパンチするフリをする恋に、三井は苦笑しながらそれを避ける。
その何気ないやりとりが、三井には嬉しかった。
その日も部活に向かう途中、廊下を歩いていた三井はどこからか聞こえた声に既視感を覚え、辺りを見回した。
すると、視線の先に見たことのある光景が入り立ち止まる。
「だぁかぁらぁ!」
「何でダメなんだよ?」
「だから無理だって言ってるでしょ?」
「でも、こないだ二人で出かけただろ?」
「あれは!アンタがグチグチ女々しく、付き合ってた時の事言い出したから、仕方なくでしょーが」
「あぁいうのは、一緒に出かけてくれるって事だな?」
「あれ一回だけだから!あれで終わり!」
「あー、思い出した!付き合って暫くした時……」
二人のやりとりは二人の中で完結していて、三井が入る余地などないように感じられる。
そもそも二人の声は大きく、こんな所で言い合いなどせずともいいだろうにと三井は思わなくない。
たが、その光景を好意的に見る事は決してなく、三井は二人の空気を壊すかのように声をかけた。
「おい、恋」
後ろから声をかけると、恋はパッと明るい表情を三井に向けた。
「えっ?あ、三井!何々ー?…じゃあね!」
恋は目の前の男を冷たくあしらうと、早々に三井の手を引きその場を立ち去った。
三井は、触れたその体温にまたもドキリと高鳴る自身の胸が単純だと思いつつ、男をチラリと見る。
男は気にした素振りもなく、踵を返してその場を後にしたところだった。
「また迫られてたのか?」
三井が視線を戻すと同時に、恋は立ち止まり振り返った。
そこにはホッとしたような笑みがあり、三井は少しだけ複雑な想いが過ぎる。
「うん、助かったー。何か用だった?」
「いや、絡まれてたから声かけただけ」
「マジ!?カッコよすぎなんだけど!皆、またかーって感じで助けてくれないのに、三井って、本当良い人だね!」
その言葉に、三井は返答に困り短く返事をするしかなかった。
「あー……おう」
「じゃあね!本当、ありがとうね!」
恋は用がないと分かるや否や、手を振り去って行った。
その場から動けずにいる三井の胸には、『良い人』という言葉が突き刺さっていた。
それは、以前から恋が三井に対する評価として度々口にしていた事でもあった。
あくまで、『良い人』止まりなのだと、三井は男として見られていないのだと実感させられる言葉に感じて嫌だったが、恋はそんな事は露にも感じていないのか、度々それを口にしていた。
今も自然と出た言葉に、三井は苦虫を噛み潰したような気持ちになり、部活へ向かう足取りが重くなるのだった。
三井が移動教室先に向かっていた休み時間、前方である男女が仲良さげに談笑していた。
目的地はその二人の横を通り過ぎなければ着かず、三井との距離が近くなった時、それが恋の元彼だと気付き、不快に感じながらもすれ違うと、次の瞬間耳に入った言葉に目を見開いた。
その言葉は、気持ちがこもっているのかいないのか軽々しく出ているのだと感じたが、それでも三井にとっては聞き逃せない言葉でもあった。
自然と足は止まりそのまま立ち尽くしていると、男は女と別れ三井に気付き声をかけた。
「あれ?三井じゃん。何突っ立ってんの?」
同じクラスになった事もない男の事などよく知りはしないが、恋の元彼というだけでも腹立たしく思い、三井はつっけんどんな態度をとった。
「お前、恋に復縁迫ってんじゃねぇのか」
「そうだけど?」
あまりにあっさりとした返事に、三井の眉はピクリと動き言葉がついて出た。
「じゃあ今……いや、何でもねぇ」
ハッとした三井は思わず言葉を呑み込んだ。
言った所で、現状三井は蚊帳の外でしかない。
男は三井の反応を見て、ニヤニヤとした笑みを浮かべた。
「何々ー、三井ってもしかして恋の事好きとか言う?」
「そんなんじゃねぇ」
「へぇ〜」
男は意地の悪い笑みでそう返しただけで、一瞬三井は殴りかかりたい衝動にかられるも、そんな事は出来るはずもなく、睨みつけるだけでいると男は嘆息して去って行った。
それから、三井は複雑な思いのまま目的の教室へ着き、ドアを開けると中にいた恋が一番に視界へと入る。
友人と談笑する姿を見て、先程の二人の姿は目にしていないのだと、三井は一人安堵した。
出来る事ならば、恋の視界に余計なものは入って欲しくはなかったからだ。
その日もまた、既視感を覚える光景に三井の歩みは止まる。
目の前では、ここ数週間何度か見たやりとりが繰り広げられていた。
「しつっこい!きもい!」
「またまた〜」
「本当、ここまでしつこいと思わなかった。ある意味尊敬する」
「だろ〜」
「褒めてないし」
「そう言えば、あれさー」
男は顔を寄せヒソヒソと何か耳打ちすると、恋は驚きの表情を浮かべた。
「……えっ!?マジで言ってる!?」
その距離の近さに三井はギリリと拳を握る。
そこには二人だけの世界があり、三井が声をかける事など憚られるようで疎外感があった。
と、同時に怒りの感情が渦巻いてくる。
恋は男が嫌だったのではないのか、それなのに、何故そこまで近い距離で普通に話すのか、やはりヨリを戻すのではないか、そんな堂々巡りの考えが三井の頭を支配し始める。
三井は、頭をクシャクシャと掻きむしると踵を返して去って行くしかなかった。
放課後、三井はある自動販売機で飲み物を買おうとしていた。
何にしようかとぼんやり考えていると、そこに声をかける人物がいた。
「あ、三井お疲れー」
自動販売機の影に隠れて座っていた恋が立ち上がり、飲み干したばかりの缶をゴミ箱に捨てるのを見て、三井は返事をした。
「おー。何してんだ?」
「ん?誰か来ないかなーって暇潰してたとこ」
「……誰かってあいつか?」
「あいつ?」
「元カレ」
「あはは、ないない」
休み時間に見た光景が三井の頭からは離れず、つい出てしまった言葉は恋によって簡単に否定された。
けれど、素直に納得出来る気にはならず、三井は声のトーンを落として言った。
「あいつ、他にも声かけてるだろ」
「何が?」
「他のクラスの奴に、好きだって言ってた」
それは、先日見聞きした光景。
男は、女に軽々しく「好き」と言っていた。
その言葉を簡単に言い出せない三井にとっては、羨ましくも腹立たしい出来事だった。
その言葉を軽々しく口にする事に、妙な嫌悪感もある。
まして、恋に言い寄っているのにも関わらず、他にも手を出しているのが許せなくもあった。
だからこそ、わざわざそれを恋に教えて、同じく嫌悪感を持って欲しいと淡い期待を抱きながら口にしたが、恋は苦笑してから言葉を返すだけだった。
「あぁ、挨拶代わりみたいなもんだから、あれ」
その言葉は、二人にしか分からない関係性を示されたみたいに三井は感じた。
二人は実際過去には付き合っていて、周りから見ただけでは分からない姿が互いにあるのだろう。
けれど、それを今突きつけられた事に、昼間と同様の沸々とした感情が三井の中で湧き起こり始めた。
同時に、自身の淡い期待が自己嫌悪の原因にもなり始めてしまう。
「ふーん」
「何か機嫌悪い?」
「別に」
「そ?じゃ、部活頑張ってね」
恋は気にした素振りもなく、手を振ってその場を後にしようとした。
今日、三井は部活が休みだった。
けれど、恋はそんな事も知らないくらいには、関係性が薄いのだと三井は思い知らされる。
瞬間、三井は恋の腕を掴むと壁際にその体を追いやり、肘を壁につけて至近距離で睨み付けた。
「っ!?な、何!?」
突然覆い被さるような位置での三井の存在に、恋は驚き視線を上げる。
三井との身長差をまざまざと感じ見下ろされる様子は、まるで大型動物に迫られた小型動物のようだ。
「何で黙ってるの!?意味分かんないんだけど!?」
黙ったまま姿勢を変える様子がみられない三井に、恋は少し怒気を含んだ声音を出す。
何故、この状況になっているのかが分からないのだ。
三井はジッと恋を暫く見つめていたが、観念したようにため息を吐くと静かに言った。
もう限界だったのだ。
「どうやったら、俺の事意識するんだよ。男として見ろよっ」
「えっ?」
恋の瞳に戸惑いの色が滲み始めると、三井は畳み掛けるように言葉を続けた。
「好きだ」
「えっ!?」
「好きなんだよっ。分かれよ!つーか、気づけ!俺は…俺は、お前がずっと前から好……」
「ちょ、ちょちょ、ちょっとストップ!」
恋は、慌てて三井の体を押しのけようと胸を押す。
その顔は赤く、戸惑いが隠せない事は明白だ。
それを見ると、三井はニヤリと口元を歪めた。
「へぇ、ちょっとは意識したのか?」
「分かったから、ちょっと離れて!本当近い!」
「腕掴んでねぇし、抜け出したきゃ抜け出せるだろ?」
「そう……だけど…」
恋の視線は横を向いたままだ。
確かに、三井はあくまで片肘を壁に付いているだけで、恋がズレればすぐに解放される状態ではある。
ただ、三井はついた肘の手の甲に額をつけたまま恋を見下ろし、その瞳から向けられる色に恋は何故か動けなかったのだ。
「何だよ?」
「いや、本当に近いから。ドキドキ止まらないから、離れて欲しい」
恋はため息混じりに顔を覆うと、弱々しくそんな事を口走る。
紅潮していた範囲は耳にまで伸びていて、そこで、ふと我に返った三井はバッと距離をとった。
恋の仕草に当てられ、三井の頬も徐々に紅潮していく。
「…〜っ、悪い」
「うん」
沈黙が訪れ、三井が動けずにいると、恋は視線を外したまま小さく笑った。
「はは、めっちゃ気まずいね」
「悪い」
「あのさ、三井。私、別に三井の事、男の子ってちゃんと分かってるよ?」
「あ?あー、いや、まぁ……何つーか…」
三井は恋の言葉に自身が望む意味はないのだと感じ、言葉に詰まり頭をガシガシと掻いた。
見切り発車で出た言葉は、今更撤回する事も出来ず、恋からの言葉を受け入れるしかなかった。
それが、三井の胸にズキズキと痛みを発する原因になろうとも、それを否定する事など叶わないのだ。
恋は、自身の胸元の服をぎゅっと握るとポツリとこぼす。
「うん、ちゃんと男の子だって分かってるし、最近意識し始めてたから、今のは困る」
「は?」
思わず三井は声が漏れ出た。
言っている意味がすぐに理解できなかったのだ。
恋と、そこで初めて視線がちゃんと交わった気がした三井は、怪訝そうに眉を寄せた。
「べ、別に好きとかまではいってないよ!?ただ、何か良いなーって思い始めてたって言うか……」
モニョモニョと言葉を濁す恋に、三井の頬は真っ赤に染まり上がる。
それは予想だにしていなかった言葉で、思わず喚きたくもなってしまう。
「何だそれっ!」
「あはは、三井も顔真っ赤」
「お前もだろーが!」
「当たり前じゃん。ドキドキしてるんだから」
照れた笑みを浮かべて言う恋を不覚にも可愛いと思い、三井は全てがどうでも良くなりその場にしゃがみ込んだ。
目に入る床を睨みながらも、脈ありだと言う事実に、三井の口元には喜びが現れてしまっている。
「あー、くそっ!」
「何!?」
急にしゃがみ頭を抱えて悪態つく三井に、恋は驚きの声を上げる。
三井は、恋を睨み付けるように視線を上げると、想いの丈をぶちまけた。
「ぜってぇ惚れさせる」
「あはは、惚れかけてはいるからね?」
「その言葉、忘れるなよ!」
「あはは、うん、忘れない忘れない」
恋がどこか茶化したように笑うと、三井は勢いよく立ち上がり間合いを詰める。
ここまで来るとヤケになっていた。
「……他の男なんか目に入らないくらい、離れられなくしてやるからなっ」
妙にそわそわする距離感と、どこか虚栄心の感じられる三井から出た言葉に、恋は反応出来ず一瞬の間が生まれる。
どこか歯の浮くような台詞を吐いてはいても、真摯な瞳には熱が込められ、三井の微かに赤いままの頬を見ると、恋は照れ隠しを含んで小さく笑った。
「あはは、顔真っ赤だから!」
「うるせー!」
三井がそう吠えその場から立ち去ろうと歩き出すと、恋は慌ててその後を追いかける。
三井は、恋が追いかけて来た事を目視すると少しだけ歩を緩めた。
恋はその行動に嬉しさが込み上げ、無防備な三井の手を握った。
三井は反射的に手を離すが、驚いた表情を向ける恋に罪悪感が生まれて、再びその手を乱暴に握った。
恋は、一連の流れに笑いが込み上げる。
三井は一瞬カチンときたが、それでも笑う恋を見て、すぐにその感情はどこかへ消え去った。
ずっと望んでいた光景が、今目の前にはあるのだ。
奥に秘めていた想いは、今青くも満たされた。
その後、二人が付き合い始めたのは言うまでもないだろう。
→アトガキ
暦の上では秋に差し掛かるというのに、今日も暑さが身に染みる。
所々空いた窓からは生温い風が入るも、まだまだ部活をするには辛い季節だと実感させられ、ため息が漏れ出た。
「だぁかぁらぁ!戻す気ないって言ってるでしょ!」
と、前方から怒気を含んだ声が聞こえ三井が顔を上げると、そこには同じクラスの恋がいた。
その前には他のクラスで見かけた事のあるような気もする男がいて、どうやら揉めているのだと見てとれると、三井は少しだけ様子を窺うように立ち止まった。
「えー、でも俺は好きだし」
「知らないから!」
男が言いながら恋の体に触れようと手を出すと、恋は強く振り払い邪険に扱っていた。
恋には感情表現豊かな印象を三井は持っていたが、ここまで怒気を顕にしているのも珍しく感じる。
三井は不思議に思いながら、恋に声をかけた。
「よぉ、恋」
「あ、三井!ちょうど良いところに!じゃあね!」
恋は助かったと言わんばかりに、三井の腕に自身の腕を絡ませ足早にその場を去る。
三井はその距離にドキリとしながらも、去り際に男の顔をチラリと盗み見た。
呆気に取られている男が、恋の元彼氏だと気付いたのはその時で、痴話喧嘩だろうかと三井は少し落胆した。
恋は、男の姿が見えなくなると三井の腕を解放する。
男が追いかけてくる気配はないようだ。
「どうしたんだ?」
「あぁ……今の元カレなんだけど、最近ヨリ戻そうってしつこくて」
「はぁ?」
「あっちが振ってきたくせに、マジありえない!」
ワナワナと怒りを露わにする恋に、三井は複雑な気持ちになった。
それは、三井の胸にある密かな感情のせいである。
実の所、三井は恋が以前から好きだったのだが、今の男に先を越されていた。
と言っても、三井自身告白する気はまだなかったのだから、仕方のない事ではあった。
恋に想いを寄せたのは、一年生の頃。
気付けば目で追う存在となり、想いは日々募った。
ただ、三井が告白を決心するよりも先に、恋は今の男と付き合い始めたのだ。
そこで三井は失恋をしたのだが、男がだらしなく二人の噂はずっとあまり良いものでもなかったからか、中々諦めきれずにいた為に、気づけば二年ほど想い続けている。
バスケで挫折し不良になってからは、学校もサボりがちになり恋との接点も少なくなっていたが、気持ちは美化されたように変わらなかった。
そんな三井の想いなど知らずに、何故か二人は別れては復縁を繰り返していた。
ただ、ついに恋も本気で嫌気がさしたのか、先日別れたとの噂を聞いてから二人はまだ復縁していないと小耳には挟んでいて、良くも悪くも噂は広まりやすく、それに三井は一喜一憂している。
「ちゃんと断ってんのか?」
「断ってるよ。でも、とにかくしつこいの!あの根性だけは、本当尊敬する」
「ヨリ戻す気はねぇんだよな?」
三井は疑わしげな瞳で恋を見る。
前例があるだけに、その言葉を信用しきれないのだが、恋はそれを笑って払拭した。
「ないない、ありえない!新しい彼氏でも作れば寄ってこないかなぁ……」
うーんと唸りながらそう呟く恋に、三井は内心ホッとしながらも口から出たのは淡白な言葉だった。
「ふーん」
「反応薄くない!?ま、でも今は彼氏いらないけどさ」
「そうなのか?」
「うん、好きな人いないし、あいつで懲りたから暫くはいいかなって」
「へぇ」
その暫くがいつまでを指すかは不明だが、三井は安堵から微かに口元が緩んだ。
恋の感情が立ち止まっている間に、告白すべきかとも考える。
「何?」
「いや。まぁ断り続けるしかねぇんじゃねぇの。それか……」
『俺と付き合わないか』
喉まで顔を出していたその言葉は口から出る事なく、また胸の奥へと沈んでいく。
好きな人はいないと言った恋に告白して、付き合える保証などない。
そう思うと、勇気が出なかったのだ。
「ん?」
「何でもねぇ」
「何よー、途中でやめるとか気持ち悪いんだけど?」
「何でもねぇっつーの」
ふざけてパンチするフリをする恋に、三井は苦笑しながらそれを避ける。
その何気ないやりとりが、三井には嬉しかった。
***
その日も部活に向かう途中、廊下を歩いていた三井はどこからか聞こえた声に既視感を覚え、辺りを見回した。
すると、視線の先に見たことのある光景が入り立ち止まる。
「だぁかぁらぁ!」
「何でダメなんだよ?」
「だから無理だって言ってるでしょ?」
「でも、こないだ二人で出かけただろ?」
「あれは!アンタがグチグチ女々しく、付き合ってた時の事言い出したから、仕方なくでしょーが」
「あぁいうのは、一緒に出かけてくれるって事だな?」
「あれ一回だけだから!あれで終わり!」
「あー、思い出した!付き合って暫くした時……」
二人のやりとりは二人の中で完結していて、三井が入る余地などないように感じられる。
そもそも二人の声は大きく、こんな所で言い合いなどせずともいいだろうにと三井は思わなくない。
たが、その光景を好意的に見る事は決してなく、三井は二人の空気を壊すかのように声をかけた。
「おい、恋」
後ろから声をかけると、恋はパッと明るい表情を三井に向けた。
「えっ?あ、三井!何々ー?…じゃあね!」
恋は目の前の男を冷たくあしらうと、早々に三井の手を引きその場を立ち去った。
三井は、触れたその体温にまたもドキリと高鳴る自身の胸が単純だと思いつつ、男をチラリと見る。
男は気にした素振りもなく、踵を返してその場を後にしたところだった。
「また迫られてたのか?」
三井が視線を戻すと同時に、恋は立ち止まり振り返った。
そこにはホッとしたような笑みがあり、三井は少しだけ複雑な想いが過ぎる。
「うん、助かったー。何か用だった?」
「いや、絡まれてたから声かけただけ」
「マジ!?カッコよすぎなんだけど!皆、またかーって感じで助けてくれないのに、三井って、本当良い人だね!」
その言葉に、三井は返答に困り短く返事をするしかなかった。
「あー……おう」
「じゃあね!本当、ありがとうね!」
恋は用がないと分かるや否や、手を振り去って行った。
その場から動けずにいる三井の胸には、『良い人』という言葉が突き刺さっていた。
それは、以前から恋が三井に対する評価として度々口にしていた事でもあった。
あくまで、『良い人』止まりなのだと、三井は男として見られていないのだと実感させられる言葉に感じて嫌だったが、恋はそんな事は露にも感じていないのか、度々それを口にしていた。
今も自然と出た言葉に、三井は苦虫を噛み潰したような気持ちになり、部活へ向かう足取りが重くなるのだった。
***
三井が移動教室先に向かっていた休み時間、前方である男女が仲良さげに談笑していた。
目的地はその二人の横を通り過ぎなければ着かず、三井との距離が近くなった時、それが恋の元彼だと気付き、不快に感じながらもすれ違うと、次の瞬間耳に入った言葉に目を見開いた。
その言葉は、気持ちがこもっているのかいないのか軽々しく出ているのだと感じたが、それでも三井にとっては聞き逃せない言葉でもあった。
自然と足は止まりそのまま立ち尽くしていると、男は女と別れ三井に気付き声をかけた。
「あれ?三井じゃん。何突っ立ってんの?」
同じクラスになった事もない男の事などよく知りはしないが、恋の元彼というだけでも腹立たしく思い、三井はつっけんどんな態度をとった。
「お前、恋に復縁迫ってんじゃねぇのか」
「そうだけど?」
あまりにあっさりとした返事に、三井の眉はピクリと動き言葉がついて出た。
「じゃあ今……いや、何でもねぇ」
ハッとした三井は思わず言葉を呑み込んだ。
言った所で、現状三井は蚊帳の外でしかない。
男は三井の反応を見て、ニヤニヤとした笑みを浮かべた。
「何々ー、三井ってもしかして恋の事好きとか言う?」
「そんなんじゃねぇ」
「へぇ〜」
男は意地の悪い笑みでそう返しただけで、一瞬三井は殴りかかりたい衝動にかられるも、そんな事は出来るはずもなく、睨みつけるだけでいると男は嘆息して去って行った。
それから、三井は複雑な思いのまま目的の教室へ着き、ドアを開けると中にいた恋が一番に視界へと入る。
友人と談笑する姿を見て、先程の二人の姿は目にしていないのだと、三井は一人安堵した。
出来る事ならば、恋の視界に余計なものは入って欲しくはなかったからだ。
***
その日もまた、既視感を覚える光景に三井の歩みは止まる。
目の前では、ここ数週間何度か見たやりとりが繰り広げられていた。
「しつっこい!きもい!」
「またまた〜」
「本当、ここまでしつこいと思わなかった。ある意味尊敬する」
「だろ〜」
「褒めてないし」
「そう言えば、あれさー」
男は顔を寄せヒソヒソと何か耳打ちすると、恋は驚きの表情を浮かべた。
「……えっ!?マジで言ってる!?」
その距離の近さに三井はギリリと拳を握る。
そこには二人だけの世界があり、三井が声をかける事など憚られるようで疎外感があった。
と、同時に怒りの感情が渦巻いてくる。
恋は男が嫌だったのではないのか、それなのに、何故そこまで近い距離で普通に話すのか、やはりヨリを戻すのではないか、そんな堂々巡りの考えが三井の頭を支配し始める。
三井は、頭をクシャクシャと掻きむしると踵を返して去って行くしかなかった。
放課後、三井はある自動販売機で飲み物を買おうとしていた。
何にしようかとぼんやり考えていると、そこに声をかける人物がいた。
「あ、三井お疲れー」
自動販売機の影に隠れて座っていた恋が立ち上がり、飲み干したばかりの缶をゴミ箱に捨てるのを見て、三井は返事をした。
「おー。何してんだ?」
「ん?誰か来ないかなーって暇潰してたとこ」
「……誰かってあいつか?」
「あいつ?」
「元カレ」
「あはは、ないない」
休み時間に見た光景が三井の頭からは離れず、つい出てしまった言葉は恋によって簡単に否定された。
けれど、素直に納得出来る気にはならず、三井は声のトーンを落として言った。
「あいつ、他にも声かけてるだろ」
「何が?」
「他のクラスの奴に、好きだって言ってた」
それは、先日見聞きした光景。
男は、女に軽々しく「好き」と言っていた。
その言葉を簡単に言い出せない三井にとっては、羨ましくも腹立たしい出来事だった。
その言葉を軽々しく口にする事に、妙な嫌悪感もある。
まして、恋に言い寄っているのにも関わらず、他にも手を出しているのが許せなくもあった。
だからこそ、わざわざそれを恋に教えて、同じく嫌悪感を持って欲しいと淡い期待を抱きながら口にしたが、恋は苦笑してから言葉を返すだけだった。
「あぁ、挨拶代わりみたいなもんだから、あれ」
その言葉は、二人にしか分からない関係性を示されたみたいに三井は感じた。
二人は実際過去には付き合っていて、周りから見ただけでは分からない姿が互いにあるのだろう。
けれど、それを今突きつけられた事に、昼間と同様の沸々とした感情が三井の中で湧き起こり始めた。
同時に、自身の淡い期待が自己嫌悪の原因にもなり始めてしまう。
「ふーん」
「何か機嫌悪い?」
「別に」
「そ?じゃ、部活頑張ってね」
恋は気にした素振りもなく、手を振ってその場を後にしようとした。
今日、三井は部活が休みだった。
けれど、恋はそんな事も知らないくらいには、関係性が薄いのだと三井は思い知らされる。
瞬間、三井は恋の腕を掴むと壁際にその体を追いやり、肘を壁につけて至近距離で睨み付けた。
「っ!?な、何!?」
突然覆い被さるような位置での三井の存在に、恋は驚き視線を上げる。
三井との身長差をまざまざと感じ見下ろされる様子は、まるで大型動物に迫られた小型動物のようだ。
「何で黙ってるの!?意味分かんないんだけど!?」
黙ったまま姿勢を変える様子がみられない三井に、恋は少し怒気を含んだ声音を出す。
何故、この状況になっているのかが分からないのだ。
三井はジッと恋を暫く見つめていたが、観念したようにため息を吐くと静かに言った。
もう限界だったのだ。
「どうやったら、俺の事意識するんだよ。男として見ろよっ」
「えっ?」
恋の瞳に戸惑いの色が滲み始めると、三井は畳み掛けるように言葉を続けた。
「好きだ」
「えっ!?」
「好きなんだよっ。分かれよ!つーか、気づけ!俺は…俺は、お前がずっと前から好……」
「ちょ、ちょちょ、ちょっとストップ!」
恋は、慌てて三井の体を押しのけようと胸を押す。
その顔は赤く、戸惑いが隠せない事は明白だ。
それを見ると、三井はニヤリと口元を歪めた。
「へぇ、ちょっとは意識したのか?」
「分かったから、ちょっと離れて!本当近い!」
「腕掴んでねぇし、抜け出したきゃ抜け出せるだろ?」
「そう……だけど…」
恋の視線は横を向いたままだ。
確かに、三井はあくまで片肘を壁に付いているだけで、恋がズレればすぐに解放される状態ではある。
ただ、三井はついた肘の手の甲に額をつけたまま恋を見下ろし、その瞳から向けられる色に恋は何故か動けなかったのだ。
「何だよ?」
「いや、本当に近いから。ドキドキ止まらないから、離れて欲しい」
恋はため息混じりに顔を覆うと、弱々しくそんな事を口走る。
紅潮していた範囲は耳にまで伸びていて、そこで、ふと我に返った三井はバッと距離をとった。
恋の仕草に当てられ、三井の頬も徐々に紅潮していく。
「…〜っ、悪い」
「うん」
沈黙が訪れ、三井が動けずにいると、恋は視線を外したまま小さく笑った。
「はは、めっちゃ気まずいね」
「悪い」
「あのさ、三井。私、別に三井の事、男の子ってちゃんと分かってるよ?」
「あ?あー、いや、まぁ……何つーか…」
三井は恋の言葉に自身が望む意味はないのだと感じ、言葉に詰まり頭をガシガシと掻いた。
見切り発車で出た言葉は、今更撤回する事も出来ず、恋からの言葉を受け入れるしかなかった。
それが、三井の胸にズキズキと痛みを発する原因になろうとも、それを否定する事など叶わないのだ。
恋は、自身の胸元の服をぎゅっと握るとポツリとこぼす。
「うん、ちゃんと男の子だって分かってるし、最近意識し始めてたから、今のは困る」
「は?」
思わず三井は声が漏れ出た。
言っている意味がすぐに理解できなかったのだ。
恋と、そこで初めて視線がちゃんと交わった気がした三井は、怪訝そうに眉を寄せた。
「べ、別に好きとかまではいってないよ!?ただ、何か良いなーって思い始めてたって言うか……」
モニョモニョと言葉を濁す恋に、三井の頬は真っ赤に染まり上がる。
それは予想だにしていなかった言葉で、思わず喚きたくもなってしまう。
「何だそれっ!」
「あはは、三井も顔真っ赤」
「お前もだろーが!」
「当たり前じゃん。ドキドキしてるんだから」
照れた笑みを浮かべて言う恋を不覚にも可愛いと思い、三井は全てがどうでも良くなりその場にしゃがみ込んだ。
目に入る床を睨みながらも、脈ありだと言う事実に、三井の口元には喜びが現れてしまっている。
「あー、くそっ!」
「何!?」
急にしゃがみ頭を抱えて悪態つく三井に、恋は驚きの声を上げる。
三井は、恋を睨み付けるように視線を上げると、想いの丈をぶちまけた。
「ぜってぇ惚れさせる」
「あはは、惚れかけてはいるからね?」
「その言葉、忘れるなよ!」
「あはは、うん、忘れない忘れない」
恋がどこか茶化したように笑うと、三井は勢いよく立ち上がり間合いを詰める。
ここまで来るとヤケになっていた。
「……他の男なんか目に入らないくらい、離れられなくしてやるからなっ」
妙にそわそわする距離感と、どこか虚栄心の感じられる三井から出た言葉に、恋は反応出来ず一瞬の間が生まれる。
どこか歯の浮くような台詞を吐いてはいても、真摯な瞳には熱が込められ、三井の微かに赤いままの頬を見ると、恋は照れ隠しを含んで小さく笑った。
「あはは、顔真っ赤だから!」
「うるせー!」
三井がそう吠えその場から立ち去ろうと歩き出すと、恋は慌ててその後を追いかける。
三井は、恋が追いかけて来た事を目視すると少しだけ歩を緩めた。
恋はその行動に嬉しさが込み上げ、無防備な三井の手を握った。
三井は反射的に手を離すが、驚いた表情を向ける恋に罪悪感が生まれて、再びその手を乱暴に握った。
恋は、一連の流れに笑いが込み上げる。
三井は一瞬カチンときたが、それでも笑う恋を見て、すぐにその感情はどこかへ消え去った。
ずっと望んでいた光景が、今目の前にはあるのだ。
奥に秘めていた想いは、今青くも満たされた。
その後、二人が付き合い始めたのは言うまでもないだろう。
→アトガキ
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