青に光る
名前設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
初夏特有の暑さと寒さが混在するある日の夕方、沢北はバスケ部員達と連なりながら校門に向かっていた。
今日の練習も終わり、少しの物足りなさを感じながらの帰宅路。
前方では、河田や深津がバスケの話をしながら歩き、隣では一之倉や松本が雑談をしている。
「あのっ!」
校門をちょうど出た所で、ふいに誰宛かも分からない声がかけられ皆が振り返る。
「ん?」
「また、沢北に用だピョン?」
それは他校生の少女で、深津はよくある事のようにサラリと言葉を口にするが、沢北は焦った声を出すしかない。
「えっ!?いや、他の誰かにじゃ…」
「この状況、お前しかいねぇだろうが」
沢北がモテる事は周知の事実だ。
それは沢北本人も少しだけ認識している。
その白々しい態度にイラついた河田が、沢北に技を決めると、途端に情けない声が出た。
「い、いでっ!いでででで!ギブギブギブ!」
「あの、沢北くん!好きです、付き合って下さい!」
沢北が痛がり会話などする余裕がないのにも関わらず、少女は顔を真っ赤にしてそう叫んだ。
あまりに唐突な事で、河田も腕の力を緩める。
沢北は瞬間、その腕から逃れると少女の手を掴んだ。
「ちょっと、こっち来て!」
沢北は、部員達の姿が見えなくなった路地まで走ると振り返る。
そこで繋いだ手を照れながらも凝視する少女の視線に気づき、慌ててその手を離す。
少女は物寂しそうな表情を一瞬浮かべたが、すぐに切り替えて沢北をまっすぐに見据えた。
「あのっ、私、如月 恋と言います。初めまして!」
ガバリと音がしそうな勢いでお辞儀をする恋に、沢北は少したじろいだ。
「えっ、あ、初めまして」
「あの、沢北くんの事が好きです。付き合って下さい!」
「えっ、ちょ、俺、君のこと何も知らないし……」
たたみかける恋に、沢北は困った様子でそう言うしかない。
今まで見かけた事も話した事もない人物から告白をされても、判断材料が少なすぎて返答が出来ないのだ。
恋は、当然だというように小さく笑った。
「……ですよね。ごめんなさい」
「えっ!?いや、あの、と、友達からなら!」
恋の態度に、沢北は慌ててそんな事を口にした。
言葉を瞬時に頭で反芻するが、出てしまったものは仕方がなく後悔はないと、沢北は自身に言い聞かせる。
恋は、聞き間違いかと目をパチパチさせて聞き返した。
「えっ!?」
「友達から始めるなら、いいかなって。好きになれるかは分からないけど……俺バスケが好きだし」
「はい!全然それで良いです!ありがとうございます!」
「う、うん」
恋の満面の笑みに、沢北は少しだけ戸惑い目を泳がせる。
敢えて保留にしたような逃げを自身に感じつつも、それを受け入れる恋の反応はどこか罪悪感を湧かせる気がしていた。
しかし、沢北自身、今頭の中は混乱している。
今までにも、他校生からの告白は時々あった。
だからこそ、それは見慣れた光景でもある。
ただ、恋の言動にどこか目を惹かれるものがあったのか、いつもと同じ反応が出来ずにいて、今の混乱した頭の中ではその理由が分からなかった。
それでも、恋の笑みを見てそう答えて良かったのだと、沢北は何となく思ったのだった。
翌日の練習時間後、渡り廊下を歩いていた河田は、前方を歩く後ろ姿を見つけると暫し考えてからその肩を掴んだ。
「沢北ぁ」
「ひっ!」
沢北は唐突に掴まれた肩に小さく悲鳴を上げるが、振り向いて河田と深津の見知った顔があった事に、少しだけ安堵した表情を浮かべる。
辺りはすっかり暗くなっていて、一人で歩く廊下は少しだけ薄気味悪さを感じていたところだ。
そんな中、声をかけられれば驚くのも無理はないのだろうが、二人の無愛想な顔を見て違った意味で冷や汗が出る。
何故か、今の表情から次に発せられる言葉がわかった気がした。
「昨日の子とは、どうなったピョン」
「えっ、あ、あのですね」
「付き合うのか?」
「いや、付き合ってはないです!」
沢北が慌てた様子でそう言うと、河田はスッと腕を沢北の体に伸ばして締め上げる。
「はぁあ!?贅沢だなぁ、お前は」
「いでででで!」
関節技をかけられて沢北は抵抗するも、河田の体はびくともしない。
体格差故か、単にコツを得ているのか、河田から事あるごとにかけられるプロレス技は本気で痛く、沢北は毎回涙目になる。
深津はそんな二人を見届けながらも我関せず言葉を発した。
「断ったピョン?沢北のタイプっぽかったのに」
その言葉に河田は腕を緩め、沢北は素に戻って声を上擦らせる。
「えっ!?何で知って……」
「バレバレだピョン」
「うっ」
「勿体ねぇなぁ」
河田は、追い討ちをかけるように嘆息して言葉を投げかける。
沢北の言動は素直さ故か分かり易い事も多く、部員達には女の子の好みも知られているくらいだ。
だからこその言葉だったのだが、沢北はそんな事が知られているとは思ってもおらず、今の今まで隠しているつもりでいた。
そう、実を言うと、恋は沢北好みの容姿をしていたのだ。
その為に、今までになかった「友達」という言葉が出てしまったのかもしれないとよくよく思い始めていた所だった。
沢北はドギマギしながら二人を見るが、二人はそれ以上聞いてくる事はなく、妙にソワソワした時間を過ごす事になった。
その日は、インターハイ予選の試合だった。
特段手強くもない相手校の分析結果を頭の中で沢北が反芻していると、深津が軽くその肩に触れた。
視線を移すと深津は前方を顎で指し、流れるように沢北もその方角を見る。
ザワザワと人が行き交う中のある一点。
そこには見覚えのある姿があり、沢北は目を丸くして声を上げる。
「えっ、何しに来たの!?」
「えっ?試合観に来たんですけど……ダメでしたか?」
そこにいたのは私服姿の恋で、きょとんとした様子で首を傾げる。
不覚にも私服姿の恋も可愛いく、やはり好みの容姿であるのだと少なからず自覚した沢北は、小さく咳払いをした。
「いや、あー…」
「沢北ぁ」
不意に、肩へ手を置かれた沢北は顔色が青くなる。
その手が誰の手かなど、振り向かずとも分かってしまった。
「う、な、何でもないんすよ!」
「なくはねぇだろ」
河田は、ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべて沢北と恋を見るが、珍しくプロレス技はかけられなかった。
沢北は、いつ技が出るのかとヒヤヒヤしながら河田を見ていたが、恋はそんな空気を無視して言葉を発する。
「あの、試合頑張ってください!」
「えっ、あ、うん」
恋は笑顔を向けてから、他の部員達に会釈するとその場を後にした。
その場には一瞬の間が流れ、ザワザワとした雑音が辺りを包み混むと誰からともなく歩き出し、道中、深津は沢北に話しかけた。
「沢北、やっぱりあの子となんかあったピョン?」
「な、ないですって!」
「断ったのに、試合観に来て、直接声援送るとか根性あるピョン」
「うっ」
その言葉に沢北は息が詰まる。
別にやましい事などないのだが、冷や汗がダラダラと垂れ始め、深津は不思議そうに尋ねた。
「断ってないピョン?」
「こ、断りましたよ!ただ友達からならって……」
モゴモゴと歯切れの悪い沢北に、河田は盛大なため息を吐いた。
「キープかぁ」
「なっ、人聞きの悪い事言わないでくださいよ!」
「まぁいいんでねぇの。どうせ、夏終わったらアメリカ行くんだし、付き合っても遠距離だろ」
それは単なる予想ではなく、確実となる未来だ。
沢北は、夏が終わればアメリカへ留学する事が決まっている。
それは、まだごく一部の人間しか知らない事ではある。
それを知ったら、恋はどうするのかと勝手な想像が巡る。
「あの子は知ってるピョン?」
「えっ、いやどうなんすかね」
「まぁ、友達止まりなら別に伝えなくてもいいんじゃねぇの」
河田は溜息混じりにそんな事を言うが、沢北は妙にソワソワして隣にいた美紀男に意見を求めた。
「美紀男はどう思う?言った方がいいかな?」
「えっ!?やややっぱり言った方がいいとは…思うっす……?」
「そっかぁ」
沢北は小さな声でそう言うと、どこかトボトボとした様子で歩いて行った。
圧勝だった試合も終わり、沢北がトイレからの帰りにロビーを鼻歌混じりに歩いていると、後ろから声がかかった。
試合前の悶々とした感情など、試合をしてしまえばどこかへ消し飛んでしまい、やはり自分にはバスケが一番だと思い始めていた矢先だった。
「あの、沢北くん!」
振り向けば恋がいて、沢北は驚きつつも会釈をした。
「えっ!?あ、どうも……」
恋の行動力は、どこから来るのだろうかと思ってしまう。
今まで告白して来た女の子達は、友達と連れ立った複数人でいる事も多く、一人でズンズンと自身に向かってくる恋が、沢北には不思議な存在に見えた。
「試合、おめでとう。カッコ良かったです!」
「あ、ありがとう」
「また観にきますね」
「う、うん」
「じゃあ、また!」
「えっ!?」
「えっ?」
あまりの潔さに、沢北は思わず声が漏れた。
その反応は予想外だったのだ。
恋がつられて驚いていると、沢北は言葉を探しながらポツリと漏らす。
「あー、いや、もう帰るの?」
「はい、試合も終わったし、沢北くん達は学校戻るんでしょう?」
「う、まぁミーティングはあるけど。すぐ終わるし」
「そうなんですか、頑張ってくださいね」
満面の笑みで声援を送られ、沢北は名残惜しく感じてしまった。
もう少し引き止めて欲しいと思う自身に、矛盾が生じ始めた気もする。
今までこのような賛美の言葉の後には、引き止め話を続ける人間が多く、面倒だと感じる事が多かったのだが、それに比べて恋は実にあっさりとしていて沢北は戸惑っていた。
「えっ!?あ、あー、今日時間ある?」
「はい?ありますけど…」
返事をする恋の頭の上には、クエスチョンマークが浮いていると言っても過言ではないほどの不思議そうな顔をされ、沢北は少しだけ視線を逸らして、声も少しだけ小さくなってしまう。
「どっか食べに行かない?」
一瞬間が出来たが、恋はすぐに目を見開き前のめりに言葉を出す。
「いいの!?」
「えっ、うん」
「ありがとう!待ってます!」
「う、うん」
恋は満面の笑みでそう返し、沢北は少しだけ照れてしまう。
そこまで嬉しそうに返されると、言って良かったのだと実感もしていた。
そして、あれから二時間後、恋と沢北はとあるファーストフード店で待ち合わせ、向かい合わせで座っていた。
互いに無言で食事を進めていると、沢北は何となく申し訳なさそうに言葉を発した。
「ごめん、こんな所で」
「どうしてですか?美味しいですよね、ハンバーガー。私も、よくこのお店来ますよ」
「うん」
恋は笑顔でそう言うと、パクリとハンバーガーを頬張った。
高校生なのだからファーストフード店で時間を潰すのは当たり前だが、沢北はもう少し静かな所にすべきだったかと思っていた。
周りの席は学生と見られる年齢の者が多く見受けられ、必然的にその空間は賑やかだ。
けれど、恋はそんな事を気にせず屈託なく空間を共にしていて、沢北は内心ホッとしながら同じくハンバーガーを頬張った。
「やっぱり、沢北くんもいっぱい食べるんですね」
「やっぱり?」
「スポーツしてる人って、結構食べるって聞いてたから」
沢北の注文したトレーには、恋の三倍の量が乗っている。
試合後という事もあり、お腹はペコペコだったのだ。
沢北は苦笑して、他の部員達が不意に浮かんだ。
「うん、そうかな。でも、先輩達の方が食べるよ」
「皆さん食べそうですよね」
恋が見かけたバスケ部員達は、皆一様に大きく良く食べるのだろうと容易に想像出来た。
と、その時、ある少年が恋に声をかけた。
「あれー?如月じゃん」
それはどこかの席で同じく飲食をしていたのであろう、恋の中学生時代の友人達だった。
急な出会いに恋は驚いた声を出す。
「え?あ、どうしたの?」
「こっちのセリフだって。何してんの?」
「えっ、デート?」
隣にいた少女が沢北と恋を交互に見比べると、少し驚きつつもニヤニヤとからかうように言い、恋は口籠もった。
「あ、えっと…」
デートと言えばデートなのだろうが、付き合ってもいない男女の食事はデートなのだろうかと、恋は考え始めてしまう。
「私ら、中学の時の同級生ー」
少女は沢北に自己紹介も兼ねているのか、そんな事を口にする。
沢北は、唐突な出来事に笑みを返すしか出来ないでいる。
と、少年が沢北の顔を見て意外そうな顔を浮かべた。
「あれ?沢北くんじゃん」
「えっ!?」
沢北の名が予想外のところから出て、恋は声を出して驚き、沢北も少なからず驚いたのか反応が鈍かった。
少年は、笑いながら当然そうに言葉を続ける。
「あ、知らないよなー。俺も山王なんだよ。一個上だし接点ないから知らないだろうけど」
「えっ!?」
「ん?」
沢北の大きな声に少年は不思議そうに聞き返すが、沢北は恋と少年達を見比べ声を上擦らせる。
「と、年上!?」
「えっ、何でそんな驚くの?」
少年と少女は顔を見合わせるが、沢北は口をパクパクさせてから大きく息を吸い込むと、そっと吐き出すように尋ねた。
「如月さんって年上なの…?」
その言葉に、恋よりも先に反応したのは友人達だった。
「えっ、何、知らなかったの?ちょっと、恋、言ってなかったのー?」
「言い忘れてた…かも」
「あはは、如月らしー」
二人は実に可笑しそうに笑うが、恋は沢北の様子に慌てて謝った。
「ご、ごめんね!」
気まずい雰囲気を感じ取ったのか、友人達は顔を見合わせて小さく頷いた。
「取り込み中みたいだし行くねー」
「如月、またなー」
「えっ、うん、ばいばい」
友人達は去って行き、恋と沢北の間には微妙な空気が流れる。
恋は言葉を探しながら、自身の失態に情けない気持ちで口を開いた。
「あの、ごめんね。私言ってなかったですか?」
「言ってないし、敬語使ってくるから同い年くらいと思ってました」
「ごめん、私高三で…」
「いえ、大丈夫っす。年上なら敬語やめてもらって大丈夫っす」
沢北からの明らかな距離を感じて、恋は慌てて口走る。
「えっ、何で沢北くん口調変えるの!?今までみたいにタメ口で大丈夫です!」
「そう?」
「はい」
「そっかー。あの如月さんの事聞いてもいい?まだよく知らないし。それから、俺の方が年下なんだから敬語はなし」
「う、うん」
それから二人は、他愛もないお互いの話題を続けた。
その瞬間は、確かに距離の縮まりを感じていた。
窓の外から夕暮れの光が入り始めると、二人は店から出て帰り道を歩き出す。
互いに付かず離れずの位置で歩き続けていると、沢北はずっと言おうかどうかを迷っていた言葉を口にした。
「あのさ、俺、夏終わったらアメリカ行くんだけど……それって知ってた?」
「うん、知ってるよ」
「えっ!?」
余りにあっさりと返ってきた言葉に、沢北は虚をつかれる。
そんな沢北に、恋は首を傾げた。
「えっ、何でそんなに驚くの?お父さんがそんな話をしてたとかで噂されてるよね?」
「そうなの!?」
「知らなかったの?多分、皆が知ってるわけじゃないと思うけど、会場とかでも時々話している人いたよ」
恋は、うーんと少しだけ考えを巡らせるとそう答える。
今日の試合でも、周りからはそんな話が聞こえていたのだ。
沢北の実力ならば海外に行くものなのだろうと恋は納得していたが、沢北の口から直接聞いた事で少しだけ物寂しさを感じていたのも事実だった。
けれど、それを言うべきとも思わず笑顔で冷静さを装うしかない。
「会場、よく来てたの……?」
「うん、学校がない時は必ず試合観に行ってたよ」
「そ、そうなんだ」
沢北は、一体いつから恋は自身を好いていてくれたのだろうかと疑問が出てきたが、それを聞いてもいいものかと言葉に迷っていた。
恋は、そんな沢北の心中など知らずに言葉を続ける。
「初めて観たのは去年なんだけど、試合中の姿が凄くカッコ良くて、一目惚れ…しちゃった」
恋は言いながらその姿を思い出すと照れてしまい、頬をかすかに染めて尻すぼみに言葉を発した。
それは、去年のとある試合。
試合中の沢北はキラキラと輝き目が離せず、恋の胸の鼓動は自然と速くなっていった。
また、何度も見たいと思える姿でもあった。
そんな経験が今までになく初めは分からなかったが、その後、何度も試合を見ているうちに、一目惚れをしたのだと恋は気付いたのだ。
恋の反応に、沢北は照れが伝染して言葉が辿々しくなってしまう。
「あ、ありがとう。でもどうして、俺がアメリカ行くの知ってるのに、告白なんかしてきたの?」
熱を持った頬を冷まそうと手で触れていた恋は、はたと止まると小さく笑った。
「もう会えないなぁと思ったから…かな。いつ戻ってくるのかも知らないし、ちゃんと終わらせておきたいなって思って。多分、ずっと想っちゃいそうだから」
諦めにも似た笑みを浮かべる恋に、沢北は言葉が見つからない。
「一目惚れだから、表面上しか知らないし、そんなので告白ってのもおかしいよね」
「ありだと思う…けど」
「ありがとう」
沢北の返事に、恋は朗らかな笑みを返した。
それは、どこか諦めの色を滲ませている。
「だからね、今日こうやってデートみたいな事してくれて嬉しかった。ありがとう」
「うん」
二人の間には初々しい雰囲気が漂い、気恥ずかしくも離したくはない心地だった。
と、二人の後ろから、異常なベルを鳴らす自転車が走ってきて、沢北は思わず恋を端へと押しやる。
自転車は、そのままベルを鳴らし続けながら走り去り、二人は呆気に取られた。
ふと、沢北は恋の肩に触れていた手を慌てて離し、その表情を固まらせた。
沢北は、モテるとは言っても女の子の扱いに慣れているわけではない。
それは、工業高校特有の男子と接する機会の多さと、バスケ三昧な今までを思えば当然で、自然と出た手に沢北自身驚き、その感触と匂いの違いをまざまざと感じていた。
普段の屈強な男達との感触とは真逆で、髪からほのかに香った匂いに女の子なのだと改めて意識してしまい、恥ずかしさが込み上げる。
こんな風に、女の子を意識した体験は中学生以来だろうかと沢北は思うと同時に、店内で涼んだとはいえ、試合後の自身は臭くなかっただろうかと頭によぎっていた。
「俺、臭くない!?」
制汗剤は振ったかなど頭の中がグルグル回り始める沢北に、恋は、思わず吹き出してしまった。
「全然。大丈夫だよ」
笑みを浮かべてそう言う恋に、沢北は心底安堵した表情になる。
と、何をそこまで必死になって気にしているのかと冷静さが訪れ、自然と笑い出してしまう。
その場は一気に和やかな空気に変わった。
恋は、少しだけ言葉を探しながら口を開いた。
「あのね、もし、戻って来た時にまだ好きだったら、また告白してもいい?」
「えっ!?」
「今日話したらまた好きになっちゃった」
照れた笑みを浮かべる、恋の素直な言葉に沢北はドキリとした。
「あ、えっと…」
「ごめん、困らせた?」
「ううん!いいよ」
口をついて出たのは肯定の言葉だった。
恋の言葉は悪い気にはならず、むしろ嬉しいとさえ沢北は思い始めていた。
恋は、嬉しそうに目を細める。
「ありがとう。多分、きっと、好きなままだと思うから、よろしくね」
「うん」
「あとね、もし良かったら住所教えてほしいな…って。手紙出しちゃダメかな?」
「えっ、大丈夫だけど、まだ住所とか分からないから……分かったら教える!」
「ありがとう。もし面倒になったら返事しなくていいからね。そうなったらちゃんと諦めるから」
「はは、すげーなぁ」
恋の言い切る言葉に、沢北は単純に感心して言葉が漏れる。
状況が逆だったならば、沢北はきっとそう言い切れはしないだろう。
「ん?」
「何でもない。返事はするよ!」
「うん、じゃあちょっと期待してようかな」
「ちょっと?」
「忙しいでしょ?だから、なくても仕方ないかなって」
「ありがとう」
沢北を気遣う言葉からは、諦めのような突き放した雰囲気は感じられず、単純にそれをありのままとして受け入れようとしている恋に、沢北は笑顔で礼を言う。
ここで、必ず返して欲しいと言われてしまえば、沢北は少し距離を置いていた事だろう。
ふと、恋は時計に視線を移すと切り出した。
「もう少しで終わっちゃうね」
そろそろ駅が近い。
外はまだ明るくも、時刻は七時をとうに過ぎており、名残惜しくも高校生はそろそろ帰る時間だろう。
駅に向かう足取りは、どちらからともなくゆっくりになり、名残惜しいと感じているのだと分かる。
「出発する日教えてって言ったら迷惑かな?」
「大丈夫!教えるよ!」
「うん。あと……時間があったらで良いから、またデートしてくれませんか?」
「えっ!?」
「本当に時間がある時でいいし、これ、私の連絡先です」
「う、うん」
恋から渡された一枚のメモには電話番号がかかれており、沢北はドキドキとその字を見つめる。
ここは自身の連絡先を伝えるべき場面なのだろうかと考え始めていると、恋が立ち止まり尋ねた。
「あとね、最後に一個聞いていい?」
「何?」
沢北がメモから視線を上げると、どこか自身なさげな表情をする恋がそこにはいた。
「私の事、嫌いではないよね?」
恋が今日接して思った事が全て、その言葉に詰まっていた。
沢北からの反応に拒否は感じられず、恋は少しだけ今後を期待してしまっている。
「嫌いじゃないよ!」
「そっか。良かった」
恋は、ホッと安堵の息を漏らすと沢北をジッと見つめてから笑みを浮かべた。
「あのね、今日の試合観てやっぱりカッコ良いと思ったし、話してみてやっぱり良いな、好きだなって思ったよ。……うん、やっぱり私は沢北くんが好きです」
噛み締めるように紡ぐ言葉に、沢北はグッと息を呑む。
「あ、ありがとう」
「ごめんね。でも、言いたくなったから」
「はい」
恋が嬉しそうにそう話すからか、沢北はそれ以上返す言葉が見つからなかった。
今、沢北の中では本人の知らぬうちに変化が起きようとしている。
それは、夏の陽射しのように熱くも、時折吹く風のような心地よさを伴うものだ。
再び歩き出した二人の影は仲良く伸びているのだった。
→アトガキ
今日の練習も終わり、少しの物足りなさを感じながらの帰宅路。
前方では、河田や深津がバスケの話をしながら歩き、隣では一之倉や松本が雑談をしている。
「あのっ!」
校門をちょうど出た所で、ふいに誰宛かも分からない声がかけられ皆が振り返る。
「ん?」
「また、沢北に用だピョン?」
それは他校生の少女で、深津はよくある事のようにサラリと言葉を口にするが、沢北は焦った声を出すしかない。
「えっ!?いや、他の誰かにじゃ…」
「この状況、お前しかいねぇだろうが」
沢北がモテる事は周知の事実だ。
それは沢北本人も少しだけ認識している。
その白々しい態度にイラついた河田が、沢北に技を決めると、途端に情けない声が出た。
「い、いでっ!いでででで!ギブギブギブ!」
「あの、沢北くん!好きです、付き合って下さい!」
沢北が痛がり会話などする余裕がないのにも関わらず、少女は顔を真っ赤にしてそう叫んだ。
あまりに唐突な事で、河田も腕の力を緩める。
沢北は瞬間、その腕から逃れると少女の手を掴んだ。
「ちょっと、こっち来て!」
沢北は、部員達の姿が見えなくなった路地まで走ると振り返る。
そこで繋いだ手を照れながらも凝視する少女の視線に気づき、慌ててその手を離す。
少女は物寂しそうな表情を一瞬浮かべたが、すぐに切り替えて沢北をまっすぐに見据えた。
「あのっ、私、如月 恋と言います。初めまして!」
ガバリと音がしそうな勢いでお辞儀をする恋に、沢北は少したじろいだ。
「えっ、あ、初めまして」
「あの、沢北くんの事が好きです。付き合って下さい!」
「えっ、ちょ、俺、君のこと何も知らないし……」
たたみかける恋に、沢北は困った様子でそう言うしかない。
今まで見かけた事も話した事もない人物から告白をされても、判断材料が少なすぎて返答が出来ないのだ。
恋は、当然だというように小さく笑った。
「……ですよね。ごめんなさい」
「えっ!?いや、あの、と、友達からなら!」
恋の態度に、沢北は慌ててそんな事を口にした。
言葉を瞬時に頭で反芻するが、出てしまったものは仕方がなく後悔はないと、沢北は自身に言い聞かせる。
恋は、聞き間違いかと目をパチパチさせて聞き返した。
「えっ!?」
「友達から始めるなら、いいかなって。好きになれるかは分からないけど……俺バスケが好きだし」
「はい!全然それで良いです!ありがとうございます!」
「う、うん」
恋の満面の笑みに、沢北は少しだけ戸惑い目を泳がせる。
敢えて保留にしたような逃げを自身に感じつつも、それを受け入れる恋の反応はどこか罪悪感を湧かせる気がしていた。
しかし、沢北自身、今頭の中は混乱している。
今までにも、他校生からの告白は時々あった。
だからこそ、それは見慣れた光景でもある。
ただ、恋の言動にどこか目を惹かれるものがあったのか、いつもと同じ反応が出来ずにいて、今の混乱した頭の中ではその理由が分からなかった。
それでも、恋の笑みを見てそう答えて良かったのだと、沢北は何となく思ったのだった。
***
翌日の練習時間後、渡り廊下を歩いていた河田は、前方を歩く後ろ姿を見つけると暫し考えてからその肩を掴んだ。
「沢北ぁ」
「ひっ!」
沢北は唐突に掴まれた肩に小さく悲鳴を上げるが、振り向いて河田と深津の見知った顔があった事に、少しだけ安堵した表情を浮かべる。
辺りはすっかり暗くなっていて、一人で歩く廊下は少しだけ薄気味悪さを感じていたところだ。
そんな中、声をかけられれば驚くのも無理はないのだろうが、二人の無愛想な顔を見て違った意味で冷や汗が出る。
何故か、今の表情から次に発せられる言葉がわかった気がした。
「昨日の子とは、どうなったピョン」
「えっ、あ、あのですね」
「付き合うのか?」
「いや、付き合ってはないです!」
沢北が慌てた様子でそう言うと、河田はスッと腕を沢北の体に伸ばして締め上げる。
「はぁあ!?贅沢だなぁ、お前は」
「いでででで!」
関節技をかけられて沢北は抵抗するも、河田の体はびくともしない。
体格差故か、単にコツを得ているのか、河田から事あるごとにかけられるプロレス技は本気で痛く、沢北は毎回涙目になる。
深津はそんな二人を見届けながらも我関せず言葉を発した。
「断ったピョン?沢北のタイプっぽかったのに」
その言葉に河田は腕を緩め、沢北は素に戻って声を上擦らせる。
「えっ!?何で知って……」
「バレバレだピョン」
「うっ」
「勿体ねぇなぁ」
河田は、追い討ちをかけるように嘆息して言葉を投げかける。
沢北の言動は素直さ故か分かり易い事も多く、部員達には女の子の好みも知られているくらいだ。
だからこその言葉だったのだが、沢北はそんな事が知られているとは思ってもおらず、今の今まで隠しているつもりでいた。
そう、実を言うと、恋は沢北好みの容姿をしていたのだ。
その為に、今までになかった「友達」という言葉が出てしまったのかもしれないとよくよく思い始めていた所だった。
沢北はドギマギしながら二人を見るが、二人はそれ以上聞いてくる事はなく、妙にソワソワした時間を過ごす事になった。
***
その日は、インターハイ予選の試合だった。
特段手強くもない相手校の分析結果を頭の中で沢北が反芻していると、深津が軽くその肩に触れた。
視線を移すと深津は前方を顎で指し、流れるように沢北もその方角を見る。
ザワザワと人が行き交う中のある一点。
そこには見覚えのある姿があり、沢北は目を丸くして声を上げる。
「えっ、何しに来たの!?」
「えっ?試合観に来たんですけど……ダメでしたか?」
そこにいたのは私服姿の恋で、きょとんとした様子で首を傾げる。
不覚にも私服姿の恋も可愛いく、やはり好みの容姿であるのだと少なからず自覚した沢北は、小さく咳払いをした。
「いや、あー…」
「沢北ぁ」
不意に、肩へ手を置かれた沢北は顔色が青くなる。
その手が誰の手かなど、振り向かずとも分かってしまった。
「う、な、何でもないんすよ!」
「なくはねぇだろ」
河田は、ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべて沢北と恋を見るが、珍しくプロレス技はかけられなかった。
沢北は、いつ技が出るのかとヒヤヒヤしながら河田を見ていたが、恋はそんな空気を無視して言葉を発する。
「あの、試合頑張ってください!」
「えっ、あ、うん」
恋は笑顔を向けてから、他の部員達に会釈するとその場を後にした。
その場には一瞬の間が流れ、ザワザワとした雑音が辺りを包み混むと誰からともなく歩き出し、道中、深津は沢北に話しかけた。
「沢北、やっぱりあの子となんかあったピョン?」
「な、ないですって!」
「断ったのに、試合観に来て、直接声援送るとか根性あるピョン」
「うっ」
その言葉に沢北は息が詰まる。
別にやましい事などないのだが、冷や汗がダラダラと垂れ始め、深津は不思議そうに尋ねた。
「断ってないピョン?」
「こ、断りましたよ!ただ友達からならって……」
モゴモゴと歯切れの悪い沢北に、河田は盛大なため息を吐いた。
「キープかぁ」
「なっ、人聞きの悪い事言わないでくださいよ!」
「まぁいいんでねぇの。どうせ、夏終わったらアメリカ行くんだし、付き合っても遠距離だろ」
それは単なる予想ではなく、確実となる未来だ。
沢北は、夏が終わればアメリカへ留学する事が決まっている。
それは、まだごく一部の人間しか知らない事ではある。
それを知ったら、恋はどうするのかと勝手な想像が巡る。
「あの子は知ってるピョン?」
「えっ、いやどうなんすかね」
「まぁ、友達止まりなら別に伝えなくてもいいんじゃねぇの」
河田は溜息混じりにそんな事を言うが、沢北は妙にソワソワして隣にいた美紀男に意見を求めた。
「美紀男はどう思う?言った方がいいかな?」
「えっ!?やややっぱり言った方がいいとは…思うっす……?」
「そっかぁ」
沢北は小さな声でそう言うと、どこかトボトボとした様子で歩いて行った。
圧勝だった試合も終わり、沢北がトイレからの帰りにロビーを鼻歌混じりに歩いていると、後ろから声がかかった。
試合前の悶々とした感情など、試合をしてしまえばどこかへ消し飛んでしまい、やはり自分にはバスケが一番だと思い始めていた矢先だった。
「あの、沢北くん!」
振り向けば恋がいて、沢北は驚きつつも会釈をした。
「えっ!?あ、どうも……」
恋の行動力は、どこから来るのだろうかと思ってしまう。
今まで告白して来た女の子達は、友達と連れ立った複数人でいる事も多く、一人でズンズンと自身に向かってくる恋が、沢北には不思議な存在に見えた。
「試合、おめでとう。カッコ良かったです!」
「あ、ありがとう」
「また観にきますね」
「う、うん」
「じゃあ、また!」
「えっ!?」
「えっ?」
あまりの潔さに、沢北は思わず声が漏れた。
その反応は予想外だったのだ。
恋がつられて驚いていると、沢北は言葉を探しながらポツリと漏らす。
「あー、いや、もう帰るの?」
「はい、試合も終わったし、沢北くん達は学校戻るんでしょう?」
「う、まぁミーティングはあるけど。すぐ終わるし」
「そうなんですか、頑張ってくださいね」
満面の笑みで声援を送られ、沢北は名残惜しく感じてしまった。
もう少し引き止めて欲しいと思う自身に、矛盾が生じ始めた気もする。
今までこのような賛美の言葉の後には、引き止め話を続ける人間が多く、面倒だと感じる事が多かったのだが、それに比べて恋は実にあっさりとしていて沢北は戸惑っていた。
「えっ!?あ、あー、今日時間ある?」
「はい?ありますけど…」
返事をする恋の頭の上には、クエスチョンマークが浮いていると言っても過言ではないほどの不思議そうな顔をされ、沢北は少しだけ視線を逸らして、声も少しだけ小さくなってしまう。
「どっか食べに行かない?」
一瞬間が出来たが、恋はすぐに目を見開き前のめりに言葉を出す。
「いいの!?」
「えっ、うん」
「ありがとう!待ってます!」
「う、うん」
恋は満面の笑みでそう返し、沢北は少しだけ照れてしまう。
そこまで嬉しそうに返されると、言って良かったのだと実感もしていた。
そして、あれから二時間後、恋と沢北はとあるファーストフード店で待ち合わせ、向かい合わせで座っていた。
互いに無言で食事を進めていると、沢北は何となく申し訳なさそうに言葉を発した。
「ごめん、こんな所で」
「どうしてですか?美味しいですよね、ハンバーガー。私も、よくこのお店来ますよ」
「うん」
恋は笑顔でそう言うと、パクリとハンバーガーを頬張った。
高校生なのだからファーストフード店で時間を潰すのは当たり前だが、沢北はもう少し静かな所にすべきだったかと思っていた。
周りの席は学生と見られる年齢の者が多く見受けられ、必然的にその空間は賑やかだ。
けれど、恋はそんな事を気にせず屈託なく空間を共にしていて、沢北は内心ホッとしながら同じくハンバーガーを頬張った。
「やっぱり、沢北くんもいっぱい食べるんですね」
「やっぱり?」
「スポーツしてる人って、結構食べるって聞いてたから」
沢北の注文したトレーには、恋の三倍の量が乗っている。
試合後という事もあり、お腹はペコペコだったのだ。
沢北は苦笑して、他の部員達が不意に浮かんだ。
「うん、そうかな。でも、先輩達の方が食べるよ」
「皆さん食べそうですよね」
恋が見かけたバスケ部員達は、皆一様に大きく良く食べるのだろうと容易に想像出来た。
と、その時、ある少年が恋に声をかけた。
「あれー?如月じゃん」
それはどこかの席で同じく飲食をしていたのであろう、恋の中学生時代の友人達だった。
急な出会いに恋は驚いた声を出す。
「え?あ、どうしたの?」
「こっちのセリフだって。何してんの?」
「えっ、デート?」
隣にいた少女が沢北と恋を交互に見比べると、少し驚きつつもニヤニヤとからかうように言い、恋は口籠もった。
「あ、えっと…」
デートと言えばデートなのだろうが、付き合ってもいない男女の食事はデートなのだろうかと、恋は考え始めてしまう。
「私ら、中学の時の同級生ー」
少女は沢北に自己紹介も兼ねているのか、そんな事を口にする。
沢北は、唐突な出来事に笑みを返すしか出来ないでいる。
と、少年が沢北の顔を見て意外そうな顔を浮かべた。
「あれ?沢北くんじゃん」
「えっ!?」
沢北の名が予想外のところから出て、恋は声を出して驚き、沢北も少なからず驚いたのか反応が鈍かった。
少年は、笑いながら当然そうに言葉を続ける。
「あ、知らないよなー。俺も山王なんだよ。一個上だし接点ないから知らないだろうけど」
「えっ!?」
「ん?」
沢北の大きな声に少年は不思議そうに聞き返すが、沢北は恋と少年達を見比べ声を上擦らせる。
「と、年上!?」
「えっ、何でそんな驚くの?」
少年と少女は顔を見合わせるが、沢北は口をパクパクさせてから大きく息を吸い込むと、そっと吐き出すように尋ねた。
「如月さんって年上なの…?」
その言葉に、恋よりも先に反応したのは友人達だった。
「えっ、何、知らなかったの?ちょっと、恋、言ってなかったのー?」
「言い忘れてた…かも」
「あはは、如月らしー」
二人は実に可笑しそうに笑うが、恋は沢北の様子に慌てて謝った。
「ご、ごめんね!」
気まずい雰囲気を感じ取ったのか、友人達は顔を見合わせて小さく頷いた。
「取り込み中みたいだし行くねー」
「如月、またなー」
「えっ、うん、ばいばい」
友人達は去って行き、恋と沢北の間には微妙な空気が流れる。
恋は言葉を探しながら、自身の失態に情けない気持ちで口を開いた。
「あの、ごめんね。私言ってなかったですか?」
「言ってないし、敬語使ってくるから同い年くらいと思ってました」
「ごめん、私高三で…」
「いえ、大丈夫っす。年上なら敬語やめてもらって大丈夫っす」
沢北からの明らかな距離を感じて、恋は慌てて口走る。
「えっ、何で沢北くん口調変えるの!?今までみたいにタメ口で大丈夫です!」
「そう?」
「はい」
「そっかー。あの如月さんの事聞いてもいい?まだよく知らないし。それから、俺の方が年下なんだから敬語はなし」
「う、うん」
それから二人は、他愛もないお互いの話題を続けた。
その瞬間は、確かに距離の縮まりを感じていた。
窓の外から夕暮れの光が入り始めると、二人は店から出て帰り道を歩き出す。
互いに付かず離れずの位置で歩き続けていると、沢北はずっと言おうかどうかを迷っていた言葉を口にした。
「あのさ、俺、夏終わったらアメリカ行くんだけど……それって知ってた?」
「うん、知ってるよ」
「えっ!?」
余りにあっさりと返ってきた言葉に、沢北は虚をつかれる。
そんな沢北に、恋は首を傾げた。
「えっ、何でそんなに驚くの?お父さんがそんな話をしてたとかで噂されてるよね?」
「そうなの!?」
「知らなかったの?多分、皆が知ってるわけじゃないと思うけど、会場とかでも時々話している人いたよ」
恋は、うーんと少しだけ考えを巡らせるとそう答える。
今日の試合でも、周りからはそんな話が聞こえていたのだ。
沢北の実力ならば海外に行くものなのだろうと恋は納得していたが、沢北の口から直接聞いた事で少しだけ物寂しさを感じていたのも事実だった。
けれど、それを言うべきとも思わず笑顔で冷静さを装うしかない。
「会場、よく来てたの……?」
「うん、学校がない時は必ず試合観に行ってたよ」
「そ、そうなんだ」
沢北は、一体いつから恋は自身を好いていてくれたのだろうかと疑問が出てきたが、それを聞いてもいいものかと言葉に迷っていた。
恋は、そんな沢北の心中など知らずに言葉を続ける。
「初めて観たのは去年なんだけど、試合中の姿が凄くカッコ良くて、一目惚れ…しちゃった」
恋は言いながらその姿を思い出すと照れてしまい、頬をかすかに染めて尻すぼみに言葉を発した。
それは、去年のとある試合。
試合中の沢北はキラキラと輝き目が離せず、恋の胸の鼓動は自然と速くなっていった。
また、何度も見たいと思える姿でもあった。
そんな経験が今までになく初めは分からなかったが、その後、何度も試合を見ているうちに、一目惚れをしたのだと恋は気付いたのだ。
恋の反応に、沢北は照れが伝染して言葉が辿々しくなってしまう。
「あ、ありがとう。でもどうして、俺がアメリカ行くの知ってるのに、告白なんかしてきたの?」
熱を持った頬を冷まそうと手で触れていた恋は、はたと止まると小さく笑った。
「もう会えないなぁと思ったから…かな。いつ戻ってくるのかも知らないし、ちゃんと終わらせておきたいなって思って。多分、ずっと想っちゃいそうだから」
諦めにも似た笑みを浮かべる恋に、沢北は言葉が見つからない。
「一目惚れだから、表面上しか知らないし、そんなので告白ってのもおかしいよね」
「ありだと思う…けど」
「ありがとう」
沢北の返事に、恋は朗らかな笑みを返した。
それは、どこか諦めの色を滲ませている。
「だからね、今日こうやってデートみたいな事してくれて嬉しかった。ありがとう」
「うん」
二人の間には初々しい雰囲気が漂い、気恥ずかしくも離したくはない心地だった。
と、二人の後ろから、異常なベルを鳴らす自転車が走ってきて、沢北は思わず恋を端へと押しやる。
自転車は、そのままベルを鳴らし続けながら走り去り、二人は呆気に取られた。
ふと、沢北は恋の肩に触れていた手を慌てて離し、その表情を固まらせた。
沢北は、モテるとは言っても女の子の扱いに慣れているわけではない。
それは、工業高校特有の男子と接する機会の多さと、バスケ三昧な今までを思えば当然で、自然と出た手に沢北自身驚き、その感触と匂いの違いをまざまざと感じていた。
普段の屈強な男達との感触とは真逆で、髪からほのかに香った匂いに女の子なのだと改めて意識してしまい、恥ずかしさが込み上げる。
こんな風に、女の子を意識した体験は中学生以来だろうかと沢北は思うと同時に、店内で涼んだとはいえ、試合後の自身は臭くなかっただろうかと頭によぎっていた。
「俺、臭くない!?」
制汗剤は振ったかなど頭の中がグルグル回り始める沢北に、恋は、思わず吹き出してしまった。
「全然。大丈夫だよ」
笑みを浮かべてそう言う恋に、沢北は心底安堵した表情になる。
と、何をそこまで必死になって気にしているのかと冷静さが訪れ、自然と笑い出してしまう。
その場は一気に和やかな空気に変わった。
恋は、少しだけ言葉を探しながら口を開いた。
「あのね、もし、戻って来た時にまだ好きだったら、また告白してもいい?」
「えっ!?」
「今日話したらまた好きになっちゃった」
照れた笑みを浮かべる、恋の素直な言葉に沢北はドキリとした。
「あ、えっと…」
「ごめん、困らせた?」
「ううん!いいよ」
口をついて出たのは肯定の言葉だった。
恋の言葉は悪い気にはならず、むしろ嬉しいとさえ沢北は思い始めていた。
恋は、嬉しそうに目を細める。
「ありがとう。多分、きっと、好きなままだと思うから、よろしくね」
「うん」
「あとね、もし良かったら住所教えてほしいな…って。手紙出しちゃダメかな?」
「えっ、大丈夫だけど、まだ住所とか分からないから……分かったら教える!」
「ありがとう。もし面倒になったら返事しなくていいからね。そうなったらちゃんと諦めるから」
「はは、すげーなぁ」
恋の言い切る言葉に、沢北は単純に感心して言葉が漏れる。
状況が逆だったならば、沢北はきっとそう言い切れはしないだろう。
「ん?」
「何でもない。返事はするよ!」
「うん、じゃあちょっと期待してようかな」
「ちょっと?」
「忙しいでしょ?だから、なくても仕方ないかなって」
「ありがとう」
沢北を気遣う言葉からは、諦めのような突き放した雰囲気は感じられず、単純にそれをありのままとして受け入れようとしている恋に、沢北は笑顔で礼を言う。
ここで、必ず返して欲しいと言われてしまえば、沢北は少し距離を置いていた事だろう。
ふと、恋は時計に視線を移すと切り出した。
「もう少しで終わっちゃうね」
そろそろ駅が近い。
外はまだ明るくも、時刻は七時をとうに過ぎており、名残惜しくも高校生はそろそろ帰る時間だろう。
駅に向かう足取りは、どちらからともなくゆっくりになり、名残惜しいと感じているのだと分かる。
「出発する日教えてって言ったら迷惑かな?」
「大丈夫!教えるよ!」
「うん。あと……時間があったらで良いから、またデートしてくれませんか?」
「えっ!?」
「本当に時間がある時でいいし、これ、私の連絡先です」
「う、うん」
恋から渡された一枚のメモには電話番号がかかれており、沢北はドキドキとその字を見つめる。
ここは自身の連絡先を伝えるべき場面なのだろうかと考え始めていると、恋が立ち止まり尋ねた。
「あとね、最後に一個聞いていい?」
「何?」
沢北がメモから視線を上げると、どこか自身なさげな表情をする恋がそこにはいた。
「私の事、嫌いではないよね?」
恋が今日接して思った事が全て、その言葉に詰まっていた。
沢北からの反応に拒否は感じられず、恋は少しだけ今後を期待してしまっている。
「嫌いじゃないよ!」
「そっか。良かった」
恋は、ホッと安堵の息を漏らすと沢北をジッと見つめてから笑みを浮かべた。
「あのね、今日の試合観てやっぱりカッコ良いと思ったし、話してみてやっぱり良いな、好きだなって思ったよ。……うん、やっぱり私は沢北くんが好きです」
噛み締めるように紡ぐ言葉に、沢北はグッと息を呑む。
「あ、ありがとう」
「ごめんね。でも、言いたくなったから」
「はい」
恋が嬉しそうにそう話すからか、沢北はそれ以上返す言葉が見つからなかった。
今、沢北の中では本人の知らぬうちに変化が起きようとしている。
それは、夏の陽射しのように熱くも、時折吹く風のような心地よさを伴うものだ。
再び歩き出した二人の影は仲良く伸びているのだった。
→アトガキ
1/2ページ