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本当は私が彰にお礼をする名目で誘ったはずだった。それなのに、展覧会を見終わった後に彼に連れてこられた先は会員制のフレンチレストランだった。仕事の接待でも来たことが無いようなお店。びっくりして固まる私をエスコートするように彼はまた手を引く。応対したスタッフの人と親し気に話している様子から彼がここに来るのが初めてでは無いことが分かる。当たり前のように通された部屋は完全個室で、テーブルの上に二人分のカトラリーが並んでいた。スタッフの人が椅子を引き、そこに連れられた私は彰に促されるまま腰かける。名残惜しそうに離された手は最後に私の手の甲を撫でていった。
「……こういうところに来るんだったら先に言ってほしかった」
スタッフの人が部屋を出ていったタイミングでこっそりと彰に話しかける。彰はにっこりと笑顔を浮かべて「そんなに固くなんなくても、案外気心の知れた所だから」と軽い口調で言う。そういう問題じゃないのだ。当然ドレスコードはあるだろうし、テーブルマナーもそんなに自信があるわけじゃない。何より彰の顔を汚すような真似をしてしまったらと不安になる。
「心配すんなって」
彰はゆったりとした動作でナプキンを膝に置く。形式ばったものでは無い自然な動作は彼の柔らかな雰囲気を崩さない。昔から何でもそつなくこなす彰はそんな些細な動作ですら様になっていた。
「オレが連れて来た店ですずねに恥かかせるなんてことはしない」
彰は自信に満ちていた。彼が時折見せる自信に付いていけない時もあるけれど、今日は少し頼もしい。そう経たない内に運ばれてきたオードブルを前に、私もちゃんとしなきゃ、と背筋を伸ばした。
「デートだから」
どうしてこのお店にしたの?という私の問いかけに彰はあっけらかんと言い切った。思わず付け合わせの野菜を喉に詰まらせそうになった私に、「大丈夫か?」と彼は笑う。お酒の代わりに注がれたミネラルウォーターを喉に流し入れ、ナプキンで口元を押さえながら、何とかむせ返らないように堪える。
「あ、のね……冗談はいいから」
あの時彰だって冗談だと言ったはずだ。私だって今日はデートじゃないと必死に言い聞かせていたのに。
「冗談だと思う?」
切り分けた和牛のサーロインを口に運びながら彰が問いかけてくる。大きな口を開けることはせず、静かにゆっくりとフォークが引き抜かれていく。
「……自分で冗談って言ってたでしょ」
私の席に運ばれてきたナイフを入れる料理ははじめから切り分けられていた。彰が事前に私が右腕のリハビリ中だということをレストランに伝えていたらしい。その配慮のおかげで不自由なく食事を進めることが出来ている。
「あはは。それはすずねがテンパってたから」
悪気無く言う彰。これもきっと冗談だ。私をからかって楽しんでいるのだ。そうじゃないのは分かってしまうのに、そうであってほしいと思っている自分が居る。
彰は声のトーンを少し落とした。何もかもを見透かすような真剣なまなざしが正面から私を射抜いてくる。
「本気だよ。すずねだって分かってるだろ」
ドクリと心臓が跳ねる。瞳の中で燻っている熱から咄嗟に目を逸らす。
「オレはこのままで良いと思ってねーよ」
ナイフとフォークを置いた彰は依然として静かな声で語り掛けてくる。あまり力を入れずとも噛み切れてしまうサーロインの旨味がじゅわりと口に広がった。
「再会した時からずっと、どうしたらより戻せるかなって考えてる」
──変わってしまう。
踏み込めなかったエリアに一歩足が踏み入れられた。グラグラと揺れるその先はもう、私たちにしか分からない。
*
その場面を見たのは偶然だった。本当にたまたま、偶然。委員会の仕事があって、たまたま通っただけなのだ。でも、こっそり隠れて覗き見てしまっているのだから、意図的だったと言われてももう弁明出来なかった。
2個上の先輩。つまり3年生の女子生徒が見覚えのある人物に告白をしていた。──仙道くんだ。私の隣の席の仙道くんが3年生の先輩に告白されている。別に他人の告白なんて興味ない。それなのにこうして盗み見てしまっているのは身近な人物が告白されていることが物珍しかったのかもしれない。
確かに仙道くんはかっこいい。学校中で既に有名な彼が3年生の先輩に告白されるのもそんなに不思議なことでもない。意外だったのは、彼が「すいません」と先輩からの告白をきっぱりと断ったことだ。
同性目から見ても綺麗な先輩だった。些細な仕草からは育ちの良さが見て取れる。穏やかな雰囲気を持つ仙道くんにはお似合いの先輩だった。
先輩は彼に縋りつくような真似はしなかった。それでも理由のない振られ方は嫌だったのか、「理由だけ、教えてもらっても良い?」と問いかける。
「バスケに集中したいんで」
彼の至極もっともな理由に先輩は気まずそうな顔をして「……そう、そうだよね。ごめんね、ありがとう」と逃げるように去っていった。したたかな人なんだろうなと思う。振られた相手の前では涙を見せなかった。
まいったな、とでも言いたげに頭をかいている仙道くんがこちらにやってきていたことに気付いたのは、既に彼が私を視界に収めていた時だった。去っていく先輩を視線で追っていたら彼の存在に気付くのが遅れてしまった。
「……もしかして、見てた?」
ギクリと震えて、でももう誤魔化すことは出来ないから素直に頷く。
「ごめん、目の前で告白し始めたからつい」
「あはは、そりゃ気になるよな」
仙道くんは先程までの困ったような表情からいつもと変わらない穏やかな表情に戻す。気持ちの切り替えが早い人だ。私だったら絶対にしばらくは引きずっている。
「仙道くんも大変だね。これが初めてじゃないでしょ?」
「んー、まぁな。気持ちはありがてーんだけど、毎回断るのも結構しんどいんだ」
しんどい。仙道くんもしんどいって思うことがあるんだ。全く気にしてませんって感じがするのに。
「っていうことは結構告白されてるんだ」
「……まぁ、そこそこな」
そんなに嬉しそうじゃない。私には分からないけど、モテる人なりの苦労もあるんだろう。
「さっきのさ」
じゃあ、私委員会の仕事があるからと去ろうとしたところだった。仙道くんが切り出したことによりまだ会話が続く。
「バスケに集中したいっての、あれ噓なんだ」
えっ、と声を上げる。あんなに清々しい顔で堂々と噓をついていたのかと驚いてしまう。しかも、まあまあ良くない噓だ。バスケ部の監督が聞いたら失神してしまいそうな。
「いや、それもあるっちゃああるんだけど」
あぁ、良かった。バスケ部の期待の新人がバスケに集中するつもりはないと言い切ったのかと肝を冷やした。「ほんとはさ」と言った後に微かに笑った彼に私は何故か目を奪われる。
「好きな子が居るんだ」
綺麗に笑う人だ。仙道くんは、私が今までに見た人の中で一番、綺麗に笑った。
「内緒な」
そっと口元に人差し指を当てて微笑む彼にドクンと心臓が跳ねる。──思えばこの時が、きっかけだったのかもしれない。私は、彼が誰を好きかも知らないで、誰かに恋をする仙道彰に恋をしたのだ。
「……こういうところに来るんだったら先に言ってほしかった」
スタッフの人が部屋を出ていったタイミングでこっそりと彰に話しかける。彰はにっこりと笑顔を浮かべて「そんなに固くなんなくても、案外気心の知れた所だから」と軽い口調で言う。そういう問題じゃないのだ。当然ドレスコードはあるだろうし、テーブルマナーもそんなに自信があるわけじゃない。何より彰の顔を汚すような真似をしてしまったらと不安になる。
「心配すんなって」
彰はゆったりとした動作でナプキンを膝に置く。形式ばったものでは無い自然な動作は彼の柔らかな雰囲気を崩さない。昔から何でもそつなくこなす彰はそんな些細な動作ですら様になっていた。
「オレが連れて来た店ですずねに恥かかせるなんてことはしない」
彰は自信に満ちていた。彼が時折見せる自信に付いていけない時もあるけれど、今日は少し頼もしい。そう経たない内に運ばれてきたオードブルを前に、私もちゃんとしなきゃ、と背筋を伸ばした。
「デートだから」
どうしてこのお店にしたの?という私の問いかけに彰はあっけらかんと言い切った。思わず付け合わせの野菜を喉に詰まらせそうになった私に、「大丈夫か?」と彼は笑う。お酒の代わりに注がれたミネラルウォーターを喉に流し入れ、ナプキンで口元を押さえながら、何とかむせ返らないように堪える。
「あ、のね……冗談はいいから」
あの時彰だって冗談だと言ったはずだ。私だって今日はデートじゃないと必死に言い聞かせていたのに。
「冗談だと思う?」
切り分けた和牛のサーロインを口に運びながら彰が問いかけてくる。大きな口を開けることはせず、静かにゆっくりとフォークが引き抜かれていく。
「……自分で冗談って言ってたでしょ」
私の席に運ばれてきたナイフを入れる料理ははじめから切り分けられていた。彰が事前に私が右腕のリハビリ中だということをレストランに伝えていたらしい。その配慮のおかげで不自由なく食事を進めることが出来ている。
「あはは。それはすずねがテンパってたから」
悪気無く言う彰。これもきっと冗談だ。私をからかって楽しんでいるのだ。そうじゃないのは分かってしまうのに、そうであってほしいと思っている自分が居る。
彰は声のトーンを少し落とした。何もかもを見透かすような真剣なまなざしが正面から私を射抜いてくる。
「本気だよ。すずねだって分かってるだろ」
ドクリと心臓が跳ねる。瞳の中で燻っている熱から咄嗟に目を逸らす。
「オレはこのままで良いと思ってねーよ」
ナイフとフォークを置いた彰は依然として静かな声で語り掛けてくる。あまり力を入れずとも噛み切れてしまうサーロインの旨味がじゅわりと口に広がった。
「再会した時からずっと、どうしたらより戻せるかなって考えてる」
──変わってしまう。
踏み込めなかったエリアに一歩足が踏み入れられた。グラグラと揺れるその先はもう、私たちにしか分からない。
*
その場面を見たのは偶然だった。本当にたまたま、偶然。委員会の仕事があって、たまたま通っただけなのだ。でも、こっそり隠れて覗き見てしまっているのだから、意図的だったと言われてももう弁明出来なかった。
2個上の先輩。つまり3年生の女子生徒が見覚えのある人物に告白をしていた。──仙道くんだ。私の隣の席の仙道くんが3年生の先輩に告白されている。別に他人の告白なんて興味ない。それなのにこうして盗み見てしまっているのは身近な人物が告白されていることが物珍しかったのかもしれない。
確かに仙道くんはかっこいい。学校中で既に有名な彼が3年生の先輩に告白されるのもそんなに不思議なことでもない。意外だったのは、彼が「すいません」と先輩からの告白をきっぱりと断ったことだ。
同性目から見ても綺麗な先輩だった。些細な仕草からは育ちの良さが見て取れる。穏やかな雰囲気を持つ仙道くんにはお似合いの先輩だった。
先輩は彼に縋りつくような真似はしなかった。それでも理由のない振られ方は嫌だったのか、「理由だけ、教えてもらっても良い?」と問いかける。
「バスケに集中したいんで」
彼の至極もっともな理由に先輩は気まずそうな顔をして「……そう、そうだよね。ごめんね、ありがとう」と逃げるように去っていった。したたかな人なんだろうなと思う。振られた相手の前では涙を見せなかった。
まいったな、とでも言いたげに頭をかいている仙道くんがこちらにやってきていたことに気付いたのは、既に彼が私を視界に収めていた時だった。去っていく先輩を視線で追っていたら彼の存在に気付くのが遅れてしまった。
「……もしかして、見てた?」
ギクリと震えて、でももう誤魔化すことは出来ないから素直に頷く。
「ごめん、目の前で告白し始めたからつい」
「あはは、そりゃ気になるよな」
仙道くんは先程までの困ったような表情からいつもと変わらない穏やかな表情に戻す。気持ちの切り替えが早い人だ。私だったら絶対にしばらくは引きずっている。
「仙道くんも大変だね。これが初めてじゃないでしょ?」
「んー、まぁな。気持ちはありがてーんだけど、毎回断るのも結構しんどいんだ」
しんどい。仙道くんもしんどいって思うことがあるんだ。全く気にしてませんって感じがするのに。
「っていうことは結構告白されてるんだ」
「……まぁ、そこそこな」
そんなに嬉しそうじゃない。私には分からないけど、モテる人なりの苦労もあるんだろう。
「さっきのさ」
じゃあ、私委員会の仕事があるからと去ろうとしたところだった。仙道くんが切り出したことによりまだ会話が続く。
「バスケに集中したいっての、あれ噓なんだ」
えっ、と声を上げる。あんなに清々しい顔で堂々と噓をついていたのかと驚いてしまう。しかも、まあまあ良くない噓だ。バスケ部の監督が聞いたら失神してしまいそうな。
「いや、それもあるっちゃああるんだけど」
あぁ、良かった。バスケ部の期待の新人がバスケに集中するつもりはないと言い切ったのかと肝を冷やした。「ほんとはさ」と言った後に微かに笑った彼に私は何故か目を奪われる。
「好きな子が居るんだ」
綺麗に笑う人だ。仙道くんは、私が今までに見た人の中で一番、綺麗に笑った。
「内緒な」
そっと口元に人差し指を当てて微笑む彼にドクンと心臓が跳ねる。──思えばこの時が、きっかけだったのかもしれない。私は、彼が誰を好きかも知らないで、誰かに恋をする仙道彰に恋をしたのだ。