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Caligula-カリギュラ-

「そうだ、先輩に話したいことがあったんです。聞いてくれますか。」

 昼下がりの音楽準備室で、僕は雑誌をぱらぱらと流し読みをする先輩に話しかけた。何、とだけ言って僕には目もくれない。とはいっても、彼はいつもこんな感じにドライなのだけれど。

「昨日の放課後、同じクラスの女の子から告白されたんですよ。」
「へえ。それで?」

 相変わらずクールなもので、少々面白みがない。どうせだったら少しぐらい嫉妬してくれてもいいんじゃないかと思うが、それは望みすぎか。

「いいよ、とも、ごめんなさいとも言ってません。」
「ふぅん…。そう。」

でもね、鍵介、とようやく彼が雑誌から目を離し、僕を見た。

「その子にはOK 出しておきなよ。」

 予想外の答えに驚いた。彼のことだからそんなことを言うとは思わなかった。僕は何だか逆に焦ってしまう。それは『もう終わりにしよう』とでも暗に伝えようとしているのかと想像してしまうから。

「…どうしてですか。」
「――ねえ鍵介。現実に帰った後も俺たちはずっと続いてると思ってるの?いつまでも男同士で付き合っていられるとでも?…そうはいかないでしょ。だからこそ、ここで恋人を作っておいて、現実を満喫したらどう?…保険、だよ。彼女はさ。」
「それは、そういう意味ですか。僕たちは、終わりだと。」
「君の未来を考えて、大人からアドバイスだ。」
「…僕は、認めませんよ。そんなの。」
「俺はどっちでもいいけど、君は違う。俺なんて社会から切り離されてしまっているし、この先の未来なんて既に決まってる。だけど君は真っ当な人間だ。いずれは離れていく。そんなものだ。」
「僕は、ずっと先輩の傍にいますよ…!例え、世間に冷たい目で見られようとも。」
「…――俺が、『犯罪者』だとしても?」
「!?」
「…ふふ。冗談だよ。」

 そう言って彼は僕から視線を外した。そしてさっきと同じように雑誌を読み始める。これ以上は干渉してくるな、という意味なのだろう。

「あなたが僕を突き放そうとしているのなら…、僕にも考えがありますよ。」

 そうは言ってみたものの、考えなど一つもない。ただ、どうにか先輩の意識をこちらに向けてほしくて、必死だった。これ以上、離れてほしくないのだ。それでもやはり先輩は無言のままだった。

「…それで、おしまい?だったら俺はお悩み解決をしに行くけど。」
「…冷たいですね、先輩は。」
「何、失望した?」

 先輩は立ち上がり、僕に近づいた。僕を見下す灰色の瞳には底冷えする何かが宿っている。…こんなところでひるむわけにはいかない。きっと”普通”の反応をしてしまえばようやく近づいたこの距離もすべてが水の泡になってしまうだろう。

「…ええ、おしまいですよ。失望なんかしていません。そもそも、何も期待していませんから。」
「ふぅん…。そう。なら良かったよ。」

 どうやら今の答えは正解だったらしい。あの冷酷な表情は消え、ふわりと微笑み、それじゃあ一緒に行こうと言う。僕も断る道理はないので、そのまま先輩のお悩み解決とやらに同行する。

「先輩、今日はどんなお悩みなんですか。」
「確か…《裏切り症候群》。」
「…それって結構問題ですよね。人格的にも。」
「ああ、そうだね。でも、裏切りたい衝動なんて誰でも持ってそうだけど。自分を信頼していた人間を裏切ることが快感な訳だ。…そうだ。」

 急に先輩が立ち止り、くるりと振り返った。

「ねえ、鍵介はドミノ倒し、好き?」
「は…?」

 突然、脈絡のないことを言われ、口からは自分でも驚くぐらいに間抜けな声が出た。一体何の関係があるのだろうか。

「ドミノって、あれですよね。ドミノ碑を並べて、倒すゲームですよね。」
「うん。そうだよ。子供のころとか、やらなかった?何なら、積み木でも良いけど。」
「そりゃ…やったことありますよ。」
「好きか嫌いかで言えばどっち?」
「…。まあ、好きですね。」
「ふふ。ほら。」

ほら、って何が?よく解らない。先輩を理解するのは容易でない。

「…ドミノ倒しが好きなのは爽快感を味わえるから。それが人間関係に現れた場合が《裏切り症候群》だよ。ただ並べて倒すだけの簡単なゲーム、そこにあるのは爽快感。ましてやそれが誰かが一生懸命並べたものであればあるほど快感は強くなる…そうでしょ?人間はタブーを犯すことが大好きだからね。」
「所謂…スリルってやつですね。」
「そうそう。根本的にあるその衝動を彼はどうしても直したいんだってさ。だから優しい俺が何とかしてあげようって思ってね。」
「…具体的には?」
「簡単だよ、孤独であればいいの。信頼さえなければ裏切る必要はないし、それに自己嫌悪に陥ることもない。どう?素敵でしょ?」
「…本気ですか?」

 先輩はいつもこうだ。悩みの解決方法があまりにも極端なのだ。でも、合理的かと言われたら、まあそうなんだろうなと思えてしまって僕たちはその場にいても、先輩の極端な解決策を止めたことはない。

「…どうしたの?鍵介。いつもなら同意してくれるのに。」
「いえ。別に。」
「そう…。賢明だよ、鍵介。」

 ちょっと考えれば明らかにおかしいのに、僕はそれを言えない。先輩は時々、別の世界の人間のように思えてしまう。…正直、恐ろしい。でも僕は離れたくないと思ってしまう。ありのままの僕を受け入れてくれた先輩を嫌いにはなれないのだ。たぶん、これほどまで僕を理解してくれる人はいない。だからこそ僕は必死に先輩に嫌われないようにしてしまう。…これはきっと、依存だ。

「それじゃ、行こう。屋上で待ち合わせをしているんだ。」
「…それじゃあ早く行きましょう。待たせても悪いでしょうし。」

 屋上への扉は施錠されておらず、いつでも誰でも自由に来られる。現実ではそんなことありえないが、ここは理想を追求した世界だ。そんなものは関係ない。屋上というものは告白だとか、昼食だとか、サボりだとかの人気のスポットだ。それは全部漫画の影響だろう。メビウスを支配する女神は”現実”を知らないのだから。ほとんどがネットやら、人の願いだとかで作られている。

軋む屋上への扉を開くと、男子生徒が先輩を待っていた。

「ごめん、遅くなっちゃって。」
「いや、いいんだ。それよりも早く何とかしてくれないか…」

その男子生徒は縋るような目で先輩を見つめる。先輩はいつもの柔和な笑みを浮かべている。何だか奇妙なものを見ているような気がする。どこもおかしいことなんてないのに。

「…?どうしたんだよ、お前。」
「…ん?ふふ、何でもないよ。じゃあ解決してあげようか。」


 先輩のお悩み解決は早々に終わった。何をしたかなんて思い出したくもない。あんなに容易く人の精神を変貌させるなんて、異常だ。

「…っ、ふふ…。あははっ…!」
「せ、先輩…?どうしたんですか?」

 突然先輩が笑い出し、肩がびくりと跳ね上がった。ばれていないと良いけれど…。

「…んーじゃあさ、人間にとって一番幸せなことって何だと思う?」
「…。そんなの、メビウスを見れば解るんじゃないですか?」
「違うよ、もっと根本的な所の話。」
「えぇ…?」
「――人間を自分の思い通りに動かせること。それしかないよ。」
「確かにそうですけど…」
「そうでしょ?すべての根本。人を思い通りに動かせることは何よりも幸せなんだよ。ほかの生徒の悩みの解決なんて、本当はこれで解決できるんだよ。どうせ現実じゃないことに気づいていないんだから、NPCで良いんだ。悩むことは一つもない。でも、メビウスはあまりにも弱い。NPCの大量生産なんて出来やしない。だから俺が解決に導くんだよ。」
「先輩…あの、大丈夫ですか?」

 いつも以上に興奮気味な先輩につい言ってしまった。何だか、踏み込んではいけない領域に感じる。聞いていたら僕までもがやられそうだった。

「大丈夫って、何が?俺はいつも通りだよ?何のために俺が話しているんだと思う?他でもない、君のためだよ。君が俺にどうしたのかって言うから、教えてあげようと思ったんだ。」
「…遠回し過ぎやしませんか?解りにくいです。」
「あはは、君に理解してほしくてさ。俺の思考回路。俺がわざわざ面倒な生徒の悩みを請け負っている理由とか、気になるでしょ?」
「ま、まあ…。気になりはしますけど。」

 というか、面倒だと思っていたのか。

「そこでさっきの話だ。人間にとっての幸福は人を思い通りに動かすことだ。俺はそれをするためだけにお悩み解決をしているんだよ。みんな、俺の思い通りに動く。」
「…聞いて後悔しました。歪んでいますよ、それ…」

 …先輩もソーンと同等か、それ以上に狂っている。若干引き気味に言うと、先輩は予想通りだとでも言うように、満足げに笑っていた。

「いい?メビウスにいる人間の全てがただの弱い人間だけじゃないんだよ?中には 犯罪者も紛れている。模範囚だなんていたな。…というか、俺は歪んでないと思うけど…。まあいいや。欲望に素直なんだよ、俺は。」
「…どうでしょうね。そういうことにしておきます。」
「ええ~?心外だな。」

 いつも通りな先輩の態度に僕も拍子抜けしてしまう。そう、”いつも通り”なのだ。正しく言うのならば雰囲気ごと普通になってしまったのだ。釈然としない違和感は拭えない。妙なことになっている。…きっと、今の僕の態度ですら彼の思い通りなのだろう。

「特に今日は無いし、もう家に帰ろうか。」
「え、今日の帰宅部の活動は?」
「ないよ。はい、お疲れ、鍵介。」
「えぇ!?」
「休息も大事だと思うけど。…それよりも、君はやることがあるでしょ?」
「やること…ですか?」
「そう。告白してきた女の子にOK出すこと。忘れてたの?」
「えぇ…そりゃあもう。」

 お悩み解決と先輩の独自のロジックのせいですっかり抜けていました、とは口が裂けても言えない。

「いや、待ってくださいよ。僕は先輩とお付き合いしているんですよ。二股になってしまいませんか?不誠実でしょう…」
「うわー恥ずかしいこと言うなぁ。まあいいけど。不誠実かどうかなんてどうだっていいじゃないか。だって、相手は知らないでしょ。知らなきゃそれでいいんじゃない?」
「それ、最低って言われますよ。」
「なんで?あっちから言ってきたんでしょ。じゃあどうだっていいよね。それはこっちが望んでお付き合いしたいって訳じゃないし。」
「…。それを言ってしまえば僕もそれに当てはまりますね。」

 最悪だ。それにこの人に”普通”は通じない。根本的な所が僕たちとは違うのだ。

「鍵介は…何だろう、違うな。たぶん、違う。どうでもいいかと言われると…肯定できないな。…鍵介は、”特別”なんだと思うな。」
「先輩…。」

 何だ、僕は特別なのか――なんて一瞬でも思ってしまったらきっとダメだ。そう思ったが最後、結果は目に見えている。こうやって先輩は何度も人を騙してる。

「…冗談、笑えないですよ。」

 ほら、やっぱりそうだ。先輩の形の良い唇が歪に三日月を描く。

「…いや?鍵介は特別だよ。そうやって、俺の思い通りにならないところとか。」
「思い通りじゃないんですか?」

 僕も先輩につられ、口角が上がる。

「ふふ、悪いカオだな。…そういうの、凄いそそる。」
「そうですか?だったら幸いだなぁ。」
「うん、そうだね、これが良い。俺と君の関係性なんてこれで良いんだよ。」
「でしょうね。」

鍵介と別れ、帰路に着いたとき。彼はそっと呟く。

「…やっぱり、思い通りだね。鍵介は今、俺の”理想”に作り上げられている。」
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