綴る
この手紙は封を切る前から温かかった。
なぜかこの手紙には体温がある。そんな気がしていた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
僕はこの小さな町のたった一人の医者。
ありがたいことに、町の人々は僕を信頼してくれていた。
この出来事が起こったのはめずらしく多忙な1日が終わろうとしていたときだった。
「あー、疲れた」
自身なさげについた街灯の下を重い足取りで歩いていく。
上を見上げるとすべてを見透かしたようなまあるい月がこちらを見つめている。
1軒、1軒を後にし自分の家にたどり着く。
ついた瞬間、なぜか胸がざわめいた。
古ぼけた赤いポストから白い封がそっと顔を覗かせている。
「ん?めずらしい…」
手紙なんて家に届いたことはほとんどない。
ポストを開け、そっと覗かせた手紙を取り出す。
手紙を手に取るととあることに気づく。
「これ、何も書かれてない」
見たこともないくらい白く、異様な雰囲気を放つ封だ。
宛名もましてや差出人の名前も書かれていなかった。
手紙を手にしたまま、その場に立ち尽くす。
これは、誰からなのか。もしや間違って届いたのかもしれない。
郵便局に持って行く?でも…
「でも、あったかい」
封はあけていないのだ。
手紙を開けると感じられるインクの匂いや、その人の生活の一部になっているようなあたたかな気持ち。
それが封を開けずとも分かる。不思議な思いがこの手紙からあふれ出していた。
違和感を感じながらも郵便局にすぐ持って行くにはもったいない気がする。
そのままその手紙とともに自分の家の中に入っていった。
家に入り、短い廊下を進んでいくとリビングがある。
そのリビングの机の上にそっと手紙をおいた。
ぽかんと穴が空いたような殺風景なリビングに真っ白な見たこともない手紙が目立つように何かを物語っているかのようだった。
その不思議な手紙ともう一度向き直る。もしかしたら、封を開けた中の方に名前が書かれているかもしれない、何か見つかるかもしれない。
そう考えるとわくわくしてきた。
他人の手紙かもしれないのに僕の探究心が心の奥で埋めいている。
そんな好奇心と少しの罪悪感(そんなものはなかったが)とともに手紙にもう一度手をのばす。
しばらく真っ白な封を見つめた後、丁寧に封を開けた。
封を開けるとやはりあたたかな陽だまりな中にいるような感覚になる。
手紙の中は……
何も書かれていなかった
「はあ…」
深い溜息をつき、隣のソファにどっと腰かける。
期待外れのなんの面白みのない手紙を再度机の上に置く。
開いている窓から桜のような甘く、少しすっぱいような香りがゆっくりと風と共に流れ部屋の中を満たしていく。
「……」
何か思い出せるような気がする匂い、あたたかな気持ち。
いや、忘れてはいけないのだ。
この香り、そしてあたたかなこの気持ち。
この感覚は何度も経験してきたものだ。
「そっか…」
ふと思い出し、急いで本棚の中にあるアルバムを開ける。
このアルバムには、家族、そして病院に入院していた人達との思い出が入っている。
次のページをめくった時、アルバムには見覚えのある封が挟まっていた。
真っ白な封、中を開けると思いの込められた彼女の文字。
机の上にある封と便箋とそっくりそのまま同じものだ。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
数十年前、僕はとある研究所で彼女に会う。
彼女は研究室の中で1番目立つ存在だった。
闇の中の星が映えそうなほどの長く美しい黒髪。
春の温かな花が咲き誇りそうな彼女の優しい微笑み。
可愛らしく凛とした声。
…そうだ、僕は一目惚れだった。
数年経ったある日、僕は彼女に思いを打ち明ける。
すると彼女は少し涙ぐみながら「はい」とあの凛とした声で答えてくれた。
そんな幸せな日々を春の女神は残酷に奪い去る。
彼女が重い病気で倒れてしまった。
当時、治療法も分からず僕は医者として、恋人として、彼女を救おうとその日から奮闘する。
すべては、彼女のためだった。
彼女自身は「大丈夫」だと言っていたが、今思えば相当な痛みと戦っていただろう。
彼女の優しい笑みは病によって疲れたような苦しい笑みに変わる。
可愛らしく凛とした声はやがて声も出ず、聞くことも出来なくなっていた。
やがて、その病気を治す治療法をみつけたとき彼女は1人静かに息を引き取った。
春の温もりが感じられる日。
あたたかく、優しい彼女は春の女神に連れ去られたようにこの世を去った。
病室に入る風が妙に心地よかった。
「ごめん。ごめんなさい…」
あの日、何度も何度も彼女自身にかけた言葉を今度は手紙に向かって気持ちを表す。
止まらない涙と彼女への気持ち。
会いたい、会えない、会わせてくれ…
女神にそれを願うが聞いてはくれない。
…彼女は何を書こうとしたのか。
もしかしたら、最期の別れの挨拶かもしれない。
それとも最期の日に隣にいなかった僕に怒りをこめた手紙だったのかもしれない。
いや、書かれていないのだ。
僕に呆れて何も書けなかったのかもしれない。
どうして、どうしてこんなに大切なことを今まで思い出せなかったのだろうか。
まるでそのページが抜け落ちたかのようにそこだけ思い出せなかったのだ。
そんな今までの僕を…叱ってくれよ……
後悔なんてものでは言い表せられないほどの深い罪と今後も向き合って生きていくしかないのだ。
……彼女の分まで。
アルバムから出てきた手紙とポストから出てきた真っ白な手紙。
その2つの手紙を握りしめ、その場でうずくまる他なかった。
…この時僕は気づいていなかった。いや、気づけなかったのかもしれない。
ポストから出てきた真っ白な手紙の便箋の隅に、彼女が去った日の快晴を表したような青いインクが寂しく1つ落ちていたことに。
「空白の手紙」Fin
なぜかこの手紙には体温がある。そんな気がしていた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
僕はこの小さな町のたった一人の医者。
ありがたいことに、町の人々は僕を信頼してくれていた。
この出来事が起こったのはめずらしく多忙な1日が終わろうとしていたときだった。
「あー、疲れた」
自身なさげについた街灯の下を重い足取りで歩いていく。
上を見上げるとすべてを見透かしたようなまあるい月がこちらを見つめている。
1軒、1軒を後にし自分の家にたどり着く。
ついた瞬間、なぜか胸がざわめいた。
古ぼけた赤いポストから白い封がそっと顔を覗かせている。
「ん?めずらしい…」
手紙なんて家に届いたことはほとんどない。
ポストを開け、そっと覗かせた手紙を取り出す。
手紙を手に取るととあることに気づく。
「これ、何も書かれてない」
見たこともないくらい白く、異様な雰囲気を放つ封だ。
宛名もましてや差出人の名前も書かれていなかった。
手紙を手にしたまま、その場に立ち尽くす。
これは、誰からなのか。もしや間違って届いたのかもしれない。
郵便局に持って行く?でも…
「でも、あったかい」
封はあけていないのだ。
手紙を開けると感じられるインクの匂いや、その人の生活の一部になっているようなあたたかな気持ち。
それが封を開けずとも分かる。不思議な思いがこの手紙からあふれ出していた。
違和感を感じながらも郵便局にすぐ持って行くにはもったいない気がする。
そのままその手紙とともに自分の家の中に入っていった。
家に入り、短い廊下を進んでいくとリビングがある。
そのリビングの机の上にそっと手紙をおいた。
ぽかんと穴が空いたような殺風景なリビングに真っ白な見たこともない手紙が目立つように何かを物語っているかのようだった。
その不思議な手紙ともう一度向き直る。もしかしたら、封を開けた中の方に名前が書かれているかもしれない、何か見つかるかもしれない。
そう考えるとわくわくしてきた。
他人の手紙かもしれないのに僕の探究心が心の奥で埋めいている。
そんな好奇心と少しの罪悪感(そんなものはなかったが)とともに手紙にもう一度手をのばす。
しばらく真っ白な封を見つめた後、丁寧に封を開けた。
封を開けるとやはりあたたかな陽だまりな中にいるような感覚になる。
手紙の中は……
何も書かれていなかった
「はあ…」
深い溜息をつき、隣のソファにどっと腰かける。
期待外れのなんの面白みのない手紙を再度机の上に置く。
開いている窓から桜のような甘く、少しすっぱいような香りがゆっくりと風と共に流れ部屋の中を満たしていく。
「……」
何か思い出せるような気がする匂い、あたたかな気持ち。
いや、忘れてはいけないのだ。
この香り、そしてあたたかなこの気持ち。
この感覚は何度も経験してきたものだ。
「そっか…」
ふと思い出し、急いで本棚の中にあるアルバムを開ける。
このアルバムには、家族、そして病院に入院していた人達との思い出が入っている。
次のページをめくった時、アルバムには見覚えのある封が挟まっていた。
真っ白な封、中を開けると思いの込められた彼女の文字。
机の上にある封と便箋とそっくりそのまま同じものだ。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
数十年前、僕はとある研究所で彼女に会う。
彼女は研究室の中で1番目立つ存在だった。
闇の中の星が映えそうなほどの長く美しい黒髪。
春の温かな花が咲き誇りそうな彼女の優しい微笑み。
可愛らしく凛とした声。
…そうだ、僕は一目惚れだった。
数年経ったある日、僕は彼女に思いを打ち明ける。
すると彼女は少し涙ぐみながら「はい」とあの凛とした声で答えてくれた。
そんな幸せな日々を春の女神は残酷に奪い去る。
彼女が重い病気で倒れてしまった。
当時、治療法も分からず僕は医者として、恋人として、彼女を救おうとその日から奮闘する。
すべては、彼女のためだった。
彼女自身は「大丈夫」だと言っていたが、今思えば相当な痛みと戦っていただろう。
彼女の優しい笑みは病によって疲れたような苦しい笑みに変わる。
可愛らしく凛とした声はやがて声も出ず、聞くことも出来なくなっていた。
やがて、その病気を治す治療法をみつけたとき彼女は1人静かに息を引き取った。
春の温もりが感じられる日。
あたたかく、優しい彼女は春の女神に連れ去られたようにこの世を去った。
病室に入る風が妙に心地よかった。
「ごめん。ごめんなさい…」
あの日、何度も何度も彼女自身にかけた言葉を今度は手紙に向かって気持ちを表す。
止まらない涙と彼女への気持ち。
会いたい、会えない、会わせてくれ…
女神にそれを願うが聞いてはくれない。
…彼女は何を書こうとしたのか。
もしかしたら、最期の別れの挨拶かもしれない。
それとも最期の日に隣にいなかった僕に怒りをこめた手紙だったのかもしれない。
いや、書かれていないのだ。
僕に呆れて何も書けなかったのかもしれない。
どうして、どうしてこんなに大切なことを今まで思い出せなかったのだろうか。
まるでそのページが抜け落ちたかのようにそこだけ思い出せなかったのだ。
そんな今までの僕を…叱ってくれよ……
後悔なんてものでは言い表せられないほどの深い罪と今後も向き合って生きていくしかないのだ。
……彼女の分まで。
アルバムから出てきた手紙とポストから出てきた真っ白な手紙。
その2つの手紙を握りしめ、その場でうずくまる他なかった。
…この時僕は気づいていなかった。いや、気づけなかったのかもしれない。
ポストから出てきた真っ白な手紙の便箋の隅に、彼女が去った日の快晴を表したような青いインクが寂しく1つ落ちていたことに。
「空白の手紙」Fin
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