電解
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
私がお師匠の元で修行を始めて一年。
私は全集中の呼吸 雷の呼吸の壱から陸ノ型全てを漸く会得し、練度に磨きをかけることに研鑽していた。
そんな、夏が終わり、秋の色が見え始めた日のことだ。
太陽が顔を出し始めたこの時間帯。
いつもなら既に鍛錬をしている時間だが今日はお預けして、おっとりした兄弟子をお師匠とお見送りしている。
何故なら今日は兄弟子が鬼殺隊士になる最終選別試験に臨む日だからだ。
半年前、兄弟子はついにお師匠から最終選別試験の許可が出たのである。
その時の兄弟子の喜びようといったら。小さな子供のようにぴょんぴょん飛び跳ねて喜びを体現していた。
二年の修練期間が一部報われた瞬間なのだし仕方ないとも思うけれども。
でも、うるさすぎてお師匠からたんこぶも貰ってたっけな。
「では、師範。行って参ります。
明衣も行ってくるね」
「生きて帰って来い」
「行ってらっしゃい!気を付けて」
「はい!」
行ってきます!そう言って兄弟子は山を降りていった。
私もお師匠から教えられて初めて知ったが、鬼殺隊士になるには育手の元で数年単位で修練を積んだあと、最終選別試験を通過して初めて隊士となれる。
試験会場は毎年同じ場所、年中鬼が忌避する藤の花が狂い咲く藤襲山。そこで藤の花の結界に生け捕りにされている鬼十数体から一週間生き残れば良いのである。
ただ、生存率は五割を切る過酷な試験である。
必ず、や絶対などという言葉を兄弟子が使わなかったのはその為だ。
そして、お師匠と私は一週間ずっとそわそわしっぱなしで過ごした。
私はただ漠然と兄弟子が帰ってくることを当然だと思いこんでいた。
しかし、兄弟子は試験期間が終わり、何日何週間経てども帰ってくることはなかった。
もしかしたら怪我を負っていてそれが回復していないからかもしれないが、そうであっても優しいあの人が連絡を寄越さないなんてことあるわけが無い。
つまり、あの人はそういうことなんだろう。
正直な所、私はこの世界を知っているだけで、分かっていなかったことを兄弟子の死で思い知らされた。
この世界では前の世界よりも簡単に人が死ぬ。
私は頭では分かっていても本当の意味でが理解していなかったのだった。
「人って思ってる以上に呆気ないですね」
「そんなものだ、人間なんて」
遺骨はないので兄弟子が『帰ってきたら片付ける』と言って置いていき、遺品となってしまったものを骨の代わりに土に埋め、墓を建てた。そして、生前彼が好きだと言っていた花を添えた。
その前で私がそう言えばどこか遠くをお師匠は見ながら言った。
それ以降私達の間に会話は無かった。
秋も始まったばかりで肌寒いだけなはずなのに冬が来たように寒かった。
電解 参
兄弟子が亡くなってから半年。
私は15歳になった。その夜のことだ。
私はお師匠の自室へと呼ばれ、入室するなり尋ねられた。
「明衣、お前がここに来て何年だ?」
「もうすぐ二年ですね」
畳の上に正座するお師匠の正面に同じく正座で座って私は答えた。
思い返すと様々なことがあった。
最初は基礎的な体力づくりから始まり、山の麓から中腹ダッシュを繰り返し、現代で言う筋トレ、それから仕掛けまみれの中腹から頂上まで走る。
素振りを数百、数千回こなし、どんな態勢からでも起き上がれるように受け身をとる。
徐々にレベルアップしていくそれらを半年続けていると、鬼殺の基本、全集中の呼吸の修練に入った。
増強した心肺で、酸素を多く取り込むことにより一時的に身体能力を引き上げる。ようはブーストをかける。これが全集中の呼吸だ。
この全集中の呼吸には流派があり、その中でお師匠から雷の呼吸を教えられた。これがとんでもなく習得に時間がかかり、ものにするまで半年近くかかった。
その時に、お前は器用なのか不器用なのか分からんな、と貶されたような褒められたような微妙なお言葉をお師匠から頂いた。
毎日痣だらけで、疲れなかった日はない。兄弟子が亡くなってからしばらくは何も考えたくなくて無心になって修練に明け暮れた。
お師匠はそうか…と視線と声のトーン落としながら目を閉じた。
「半年後、最終選別試験がある」
「はい。知っています」
「兄弟子は帰ってこなかった。それでも行くか?」
「行きます」
目を開いたお師匠の目を真っ直ぐ見つめて、間髪入れずに私は答えた。
今でもお師匠が最初に言った鬼を斬ることの意味も意義も見出だせずにいる。一年半、その問をずっと考え続けた。それでも私は分かっていない。
ただ、どうありたいか、何故鬼殺剣士になりたいかは揺るがない。
「私は逃げて隠れて生きるだけの人生なんて嫌です。
折角人間として生まれたんですから、薄暗い生き方する暇があるのなら藻掻いてでも明るい道を生きます」
「それで死んだとしてもか」
「それが私の選んだ道なら後悔はしません」
あわよくば、鬼から狙われる稀血の人達が鬼に怯えていくのではなく自分の好きに生きていける道を示せればいいと思う。
そう言えばお師匠は深いため息をついて手で目を覆った。
「本当に……兼吉に似て頑固で、親不孝者だな、お前は」
「親子ですから」
前もそんなこと言ってたな、なんて思いながら私は笑って答えた。
そうすればお師匠は私の頭を叩いて言った。
「そこは誇るところじゃない」
「いたっ」
※※
半年後。
日が昇って間もない早朝に私は袴姿でお師匠から貸してもらった日輪刀と簡単な荷物を背負って玄関に立っていた。
お見送りはお師匠一人である。
予想はしてた。
してたけど、普通今生の別れになるかもしれない姉弟子を無視するか。どんな神経してんだ。半年とはいえ同じ屋根の下暮らした仲だろ……。
そう、実は私が最終選別試験の許可を貰った直後くらいに私に弟弟子ができた。
最初は嬉しくて喜んでいたのだけど、これが凄まじいトンガリボーイで取り付く島がなかった。
初見から何故か嫌われ、昨夜も少し話したが「お前なんぞ食う鬼の気が知れない」「どこぞで野垂れ死ぬ方が世の為だ」と言われた。
まぁ、そんなことを言う奴がお見送りなんてするわけもなく、お師匠がお一人な訳である。
私は生きて帰ってくる気満々なので軽く挨拶をした。
「それじゃあ。お師匠行ってきます」
「明衣、わかっていると思うが兼吉に儂から訃報など言わせるなよ」
「ふふ、善処します」
「あと、一度くらいは師範と呼べ」
「嫌ですよ、可愛くない」
可愛くないのはどっちだ、というお師匠の嘆きの小言を右から左に流して私は本当は良くないが言付けをお師匠へ頼んだ。
目上の人を伝言板代わりにするとか本当は良くないが、こうでもしないとあいつは聞きやしない。
何が起こるのか分からないのが世界だ。もしかしたらポックリ逝ってしまう可能性もある。そうなった時そんなことで心残りを残したくない。
まぁ、宝くじ一等が当たるくらいの確率だけれども。念には念をってよく言うしね??
「可愛くない弟弟子にも一応行ってくるって言っておいてくれます?多分一蹴されると思いますけど」
「繊細な年頃だからな、あいつも…」
「そうですか?そんな可愛いもんじゃないと思いますけど」
自己顕示欲が強いというか剥き出しというか強過ぎるだけだと思うんですけどねぇ、と言えば思い当たる節があるのかあぁ…とお師匠も遠い目をした。
「人のことよりもお前はまず自分の心配をしろ」
「はぁい」
「伸ばすな」
「はいはい」
「返事は一回」
「お師匠心配し過ぎですよ」
「心配するしか儂には出来んのだから心配くらいさせろ」
「困ったお師匠様だこと」
ムッとしかめっ面をしたお師匠に笑ったら、お前はいつでも経っても…と渋い顔でお小言が始まろうとする。
いつでも経っても…はこっちのセリフなんだけどなぁ身構えていると、大きな息を吐く音がお師匠の口から零れた。
「明衣」
「はい」
「兼吉に言われたことを覚えているか?」
『生き汚くても良い。生きろ』
「もちろん」
別れ際に送られた言葉を思い出して私は頷いた。
お師匠は、朝焼けを見ながら言った。
「結局世の中なんてのは生きてなんぼの世界だ。
忘れるな。死人に口なし。
死んだら何もかも終いなんだ。
…生きて帰れ」
「それ以外考えてませんので、お気遣いなく」
そうして、私は一礼して、山を降りだした。
「……あ。
ご飯は鯖の味噌煮を所望しまーす!!」
坂道を振り返って私は平屋の前で居続けているお師匠に手を振ると今度こそ振り返ることなく藤襲山を目指すのだった。
「あぁ、帰ってきたらたらふく食わせてやる」
お師匠は私の後ろ姿を私が山を降りきるまでずっと見続けていたのだと後から聞いた。
4/8ページ