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ジューンブライドにさよならを。

ジューンブライドにさよならを。

理鶯の料理が好きだ。材料が問題だが、こちらで用意しそれで作って貰えばクリアできる。
始まりはどうだったかもう覚えていない、だが今は帰れば家に明かりがついていて、穏やかな声でおかえりと言ってもらえるのが日常の一部になっていた。
理鶯は俺の帰宅に合わせて調理をしていてくれる、温め直す手間と待機時間を減らすためだと言っていた。ここにきて調理をすることが仕事やなにかのように思えて、寂しく思ったのをよく覚えている。
ふたりで揃って食事をしたあと、理鶯はベースキャンプへと帰ってしまう。過去に何度か、このままここに住んでしまっても構わないと伝えている。だがその提案を受け入れられたことはなかった。どんな悪天候でも、夜遅くとも必ずヨコハマの森の奥深くへと帰って行く。左馬刻の家で、あいつに言われれば素直に泊まって行くのに。俺とあいつでは何が違うというのだろうか。
気がつけば理鶯にチームメイト以上の気持ちを抱いていた、常に警戒を怠らないあの男の、気の安らぐ場所になれたらと願ってしまった。
「おや、雨」
急に降り出した雨、天気予報では言っていただろうか。
「なかなか強い雨だな。少し弱まってから帰るとしよう」
今日もまた帰る気なのか、帰って行く理鶯に対する理不尽な苛立ちと、強く引き止めることもできない自分に対する情けなさで苦しくなる。

急な雨のおかげで、いつもより少し長くそばに入られた。この恋に来る区切りをつけるのは今夜にしよう。
今日理鶯が雨だから帰らないといったなら、今夜こそ思いを告げよう。帰ると言ったら何も告げずに諦めよう、ただのチームメイトのままでいよう。そう心に決めた。
「理鶯、雨がやみそうにないですし、今日は泊まっていってはどうですか?雨に濡れては風邪をひいてしまいますよ」
余裕がないのを隠していつもと同じ声色で話す。平静を装ったつもりだが、うまくできていただろうか。いっそのこと帰らないでくれ、と縋ってしまいたいのを必死で堪えた。理鶯からの返答などそう時間のかかるものではないはずなのに、緊張のせいかひどく長い時間に感じられた。
「帰りたくない」
息が止まる、衝撃で思考も止まった。望んでいた、願っていた、ようやく言ってもらえたと喜んだ、だが理鶯はさらに言葉を重ねた。
「帰りたくないが、荷物が心配だ。なんの用意もせずに来てしまったからな」
理鶯が困ったような微笑みを見せる。告白をしようと思った、結ばれると思ってしまった。
どうしてそうやって惑わせるんだ。こんなんじゃ諦めがつかない。心が騒めくのを感じながら、平静を装い立ち去る理鶯の背を見送った。
理鶯がいなくなった部屋で落ち着かない気持ちを誤魔化すように、酒を煽った。
諦めると決めたのは自分なのに、手を掴んで無理やり引き止める勇気もないくせに。
忘れなくてはいけない。


小官は銃兎のそばに居たくない、居られない理由がある。小官は恋をしていた、同性のチームメンバーである入間銃兎に恋をしていたのだ。だがこの恋は叶わないだろうと悟っていた。報われない思いをわざわざ銃兎に告げて、この関係が壊れてしまうのが、そばにいられなくなることが、何より恐ろしかった。この想いは墓まで持っていくつもりだった、だから何か間違いが起きないようにと二人きりで過ごすことを避けてきた。
銃兎に別れを告げ雨夜の中、鬱蒼と生い茂る森を突き進む。銃兎の言うように今夜の雨は止みそうにない。服に染み込んだ、銃兎を思い出させるタバコの香りを、洗い流すような雨が、今日ばかりはありがたく思えた。雨を言い訳に泊まって仕舞えばよかったと、できもしないことを思う。
この恋が叶わなくとも、銃兎のために料理を作ることだけで十分満たされていた。小官の料理で彼の身体が出来ている、それは身に余るほどの名誉だ。


理鶯のいない部屋で目を覚まして、重苦しい気持ちのまま仕事へ向かう準備をする。
どれだけ憂鬱であっても、仕事には向かわなくてはいけない。
くだらない業務を片付けて、一服つこうと席を立つ。喫煙所まで向かう途中で上司に捕まった。ただでさえ苛立っているのに、無駄話を聞かされ自分が殺気立っていくのを感じる。
「それで、見合い話があるんだが、受けてもらえないだろうか」
「は?見合い、ですか?」
早く話を切り上げたくて適当に相槌を打っていたが、聞き捨てならない言葉が聞こえた。よく聞けば上層部の人間の一人娘の相手にどうかと、自分の名が上がったらしい。この見合いを成功させれば俺の将来も盤石なものになるだろう。理鶯への思いを振り払うのにも、いいきっかけかもしれない。
「そうですね、お会いするだけお会いしておきましょう。気に入っていただけるかわかりませんが」
この恋に決別を。

いつものように銃兎の家で食事を作る、今日は銃兎の備蓄に新鮮な魚があったからそれを使おう。明日は金曜日だからカレーにしよう、そういえば以前銃兎は小官の料理でカレーが一番好きだと言ってくれた。明日のものも美味しいと言ってもらえたらいい。明日のことまで考えながら、調理を進めていく。もうすぐ完成といったところで玄関のドアの開く音がした。おかえり、と声をかけようとして、銃兎をみると何か違和感があった。
「ただいま帰りました、どうかしましたか?」
「いや、なんでもない。おかえり」
違和感の正体を探ろうとしたが、銃兎の声によって阻まれた。気のせいだったのだろうか、一瞬酷く傷ついたような顔をしたように見えたのだが。
「今日もいい匂いですね、もうお腹ぺこぺこで。はやく着替えて来ますね」
「ああ」
銃兎の言葉によって関心は食事に向かってしまった。
いつもの通り銃兎と食事をする、笑って美味しいと言ってくれる。穏やかで大切な時間だ、願わくばこの時がいつまでも続けばいい、そう思っていたのに。

「理鶯、話があるんです」「どうした、かしこまって」
ダイニングテーブルの向かいで、理鶯が不思議そうな顔をする。伝えなければならないこと、不思議と緊張はしなかった。諦めがついていたからだろう。叶うことはなかったが、幸せな恋だったと思う。
「…お見合いをするんです」
「…それは、断れるものなのか」
「無理でしょうね。相手は上層部の1日娘、それに私を随分と気に入ってくださってるようですし」
戸惑った顔、今日こそはいつもの感情の読めない無表情のままでいて欲しかった。
「これから忙しくなってしまうので、もう料理を作っていただけなくなるんです」
机上の指先を眺めていた瞳がこちらに向く、理鶯が静かに口を開いた。
「そうか、ここにはもう来ることはなくなるんだな。お前は、銃兎は小官の知らない女の料理をその身体にいれるのか。ふっ…人の細胞は三ヶ月周期で入れ替わる。あと三ヶ月は小官が作ったものだ」
理鶯が自嘲気味に笑うのをみた。それに見とれて、理鶯の言葉は殆ど理解できなかった。いや、理解したく無かったんだろう。
「帰る。ああ、もう使うことはないからな。この鍵も返そう」
机の上に渡していた合鍵が置かれた時、関係は変わらないはずなのに、何故か強い喪失感が胸を襲った。
何も言えないまま、家を出て行く理鶯を見つめた。玄関のドアが閉まる寸前、理鶯の唇が何かを告げる。聞こえなかった。縋るような目と視線があったが、もう確かめるすべはない。扉一枚隔てたすぐそばにいるはずなのに。

「好きだ」
扉が閉まる直前に呟いた。聞こえて欲しくて、聞こえないで欲しくて。無情にも扉は閉まって、もう開くことも開かれることもないだろう。言い様の無い喪失感に、立っている気力すら無くなった。扉に背を預けて、ズルズルとしゃがみこむ。扉を隔ててすぐそばに銃兎がいる、いやもういないのかもしれない。元に戻っただけだと、気にもとめずに晩酌でもしてるかもしれない。この時間に縋っていたのは自分だけだ。
関係が壊れないように、そばに居られるようにと気持ちを押し殺して、伝えないできた。それなのに何もかも無意味になってしまった。こんなことなら伝えてしまえばよかった。津波のように後悔が押し寄せて来る。
ここにいても仕方ない、もう行かなければ。銃兎の家の前からようやく立ち上がって、歩み出す。

時が経てば、あの叶わなかった恋も綺麗な思い出になるものだ。M.T.Cとして集まれば以前のように会話もできる、理鶯の態度も変わらなかった。
見合いの相手は、穏やかで聡明な人だった。式までの段取りもつつがなく進み、式まであと一ヶ月ほどとなった。左馬刻は立場も問題だが、あいつが式の最中におとなしくしていられる筈がないから、式に呼ぶわけには行かない。理鶯は?理鶯は呼んでもいいだろうか。仲間として、祝福してもらいたい。
久しぶりにヨコハマの港近くの森を歩く。うんざりするほど歩いたところで、やっと理鶯のキャンプ地へとたどり着いた。俺が来ていることに気づいているのだろう、銃の手入れを中断し、こちらへと向かって来る。
「どうした銃兎、ここまで来るのは大変だっただろう」
「少し話があって」
不思議そうな顔をしながらも、テントの中へと導いてくれる。
「理鶯、よければ私の結婚式に参列していただきたいのですが」
「…嬉しい誘いだが、小官には礼服がない」
予想していた通りのことを言う。断るならそれぐらいしかない。
「こちらで用意しますよ、理鶯には料理を作ってもらっていたのに、なんのお礼もできていませんし」
もうすこし、言葉をかけるべきだろうか。
理鶯が一瞬目を泳がせたあと、諦めたように一息ついてこちらを見る。
「わかった、そこまでするなら出席しよう」
「では、スーツのオーダーに行きましょう!」
急かすように理鶯の手を引いて、テントを出る。

今日が銃兎の結婚式だ。左馬刻は呼ばなかったのかと聞いたら、あれはそういう関係じゃないらしい。なら小官は、銃兎とどんな関係だったのだろう。結婚式に呼ぶだけの親しい間柄だったのだろうか。
今日の銃兎は白を纏っている、一点の汚れもない純白。いつもの赤と黒じゃない、それにまた違和感を覚えた。穏やかに笑って傍らの女性に笑いかける、パートナーにはそんな顔を見せるのか。内臓から焼かれるような嫉妬。小官のものにならないのなら、誰のものにもならないで欲しかったなんて、子供のような我儘が頭に浮かんでは自己嫌悪する。
誓いの言葉も、誓いのキスも聞きたくなくてみたくなかった。それでも、祝福して欲しいと銃兎が言ったのだから、せめてそれだけは叶えてやりたかった。恋慕も嫉妬も、悲しみも怒りも隠して祝福をしてみせる。永遠の愛を誓うお前をこの目に焼き付けた。
叶わないと思い知っているのに、恋の熾火は未だくすぶったままでいる。

式が終わって数週間経った、新しい生活にも慣れたころのこと。ヨコハマの港近くで理鶯に会った。二人で会うのは久方ぶりで、飲みにでも行こうと理鶯をつれて繁華街へと向かった。
酒を飲みながらお互いの近況報告をした。新しい料理を覚えたから是非たべて欲しいとの誘いを、機会があればとやんわりと断った。相変わらず理鶯の側は心地よくて、安心する。無理に告白しなくて良かった。今ならもう思い出話にできる。

「私、実は理鶯が好きだったんですよ。貴方の隣は心地よかった。諦めがついたので、言ってしまおうと思って」
理鶯の目が見開かれる。青い瞳に涙の膜。
「…今更何を、あの日白い服を着て愛を誓うお前を小官がどんな思いで…どうして…今になって」
彼の声が震える、大きな手が目を覆って表情が見えない。
「理鶯…?」
嫌な予感がする。言いようのない不安と後悔。もうなにも聞きたくないのに、理鶯が口を開くのをみていることしかできなかった。
「好きだ…銃兎のことが好きだ、今更もう遅いがな。お互いいい年だ、衝動に身をまかせるなんてできなかった」
「待って、待ってくれ理鶯!」
「幸せになれ、銃兎。さよならだ」
理鶯が懐から何枚かの札を出し、振り向くこともなく店を後にする。追いかけることなんてできない、そんな資格今の俺にはない。

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