現実
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私は、普通に歩道を歩いて登校していたはずで、気付けば車に跳ねられていた。事故に遭った場所は、交差点のど真ん中。
空が下に見えた後、全身に衝撃が走って、真夏のコンクリートの灼熱を肌で味わった。訳が分からなくて、震える腕を支柱に上半身を起こしたら、強烈な吐き気と目眩に襲われて、その場で嘔吐した。
視界の端に、色んな靴が入り込んで来る。細目を開いて、もう一度辺りを見渡す。
知らない人。知らないビル。知らない店。知らない看板。
「大丈夫?聞こえる?おじさんの言ってることわかる?わかったらうなずいて」
ぼうっとした頭が、やっと、目の前の知らない男性の顔を捉えた。大きな、はっきりした声。言ってることは分かったので、とりあえず、頷いた。
あれ、と思い、鉛の瞼をこじ開けたら、次は真っ白な板が視界を制圧していた。それが天井だと気付いたのは、私は今ベッドに寝かされているという事が分かったからだ。
眼球を動かして右側を見ると、直感で朝日だと分かる、あの鋭く刺すような明るさが目を眩ませた。少し慣れて来ると、そこには壁一面に大きな窓があって、ガラスを隔てた向こう側で、瑞々しい緑が揺れていた。
「お嬢さん」
ふと、左側から聞こえた声に反応して、首を捻った。ポキ、と中で関節の音が響く。
「起きたかしら」
笑い皺を含んだ、壮年の女性が、瞳をぱちぱちさせて、私を見ていた。
「…はぁ」
「じゃ、看護師さん、呼ぼうかしらね」
緩慢な動きで、時間をかけてベッドから降りたご老体は、私の枕元に手を伸ばし「よいしょ」と何やらスイッチを押した。
すると、あたりは急に慌ただしくなり、バタバタと女性が駆けつけて来て、行われる軽い応答。
少し人の波が引いて、最後にやって来たのは、白衣を着た中年の男性だった。男性は私のベッドのすぐ脇にあるスツールに腰掛けて、口元は穏やかに笑み、確 と私の目を見据える。
「おはようございます」
「おはよう、ございます」
「ここがどこだか、分かりますか?」
「…病院?」
「そうです。ここは、烏野総合病院で、私はあなたの担当医になった、マツカワトモヤと言います。よろしくお願いします」
「…はい」
首から下げた名札を示して、礼儀正しく頭を下げた先生に、対して私は半分上の空で返事をしていた。頭にあったのは、先生の事より、病院名だったのだ。
カラスノ総合病院?どこだろう。聞き覚えのない病院だ。しかし、いや、どこか違和感がある。カラスノ総合病院…カラスノ、は、聞いた事がある気がする。なんだっけ。
「まず、あなたのお名前を、お聞きしても良いですか?」
「…名前」
「はい」
名前。私の名前を言えばいい。分かってる。ただ、カラスノ。それが気になり続けて、いや、待たせては駄目だ、先生も困った顔をしている。でも、カラスノ、カラスノって、どこかで。
思考が早まる。比例して鼓動も早まっていく。喉奥でバクバクと拍動し音を立てる心臓。
カラスノ、カラスノって、漢字は?
烏野?
「…お名前を、教えて頂けますか?」
訝しげな先生の顔を改めて見て、舌が干からびたように感じた。面立ちが、誰かに似ていた。そろりと視線を名札に落とすと、先生の名前は、松川 、倫也 。
「…あ、の」
「はい」
「なまえ…、知らないです」
嘘を吐いた。言ってはいけないと思った。警鐘を鳴らす自分がいた。だって、その名前は、きっと、調べられたら駄目なやつ。だと思う。気がする。
先生は心配そうに瞬きをした。私は思わず手元に目を逸らした。
「…そうですか。大丈夫です。あまり、気負わないで下さい。──しかし、では、あなたが何故いま病院にいるかも、覚えていませんか?」
聞かれて、普通に戸惑った。なぜ? 記憶を遡ろうとすると、さっきの違和感とは違う、妙な不安に襲われる。
朝ごはんを食べて、制服に着替えて、髪はうまく結べたのに、前髪の調子が悪くて。家を出て、川沿いの通学路を歩いて、昼食を買いによく行くパン屋に。
──何を買ったんだっけ?そもそも、今日はパン屋に行ったっけ?まだ、行ってない気がする。でも、何で?何が?
「…分かんないです」
「そうですか。分かりました。」
先生は、ボードに何か書いて、一息ついた。私に向き直って、真剣な表情で身を乗り出す。
「落ち着いて聞いてください。決して、パニックになる必要はありませんから。」
「──あなたは、先日、交通事故に遭いました。この病院から、そう遠くない、駅近くの交差点で、目撃した方によれば、車と正面衝突してしまったそうです。それから、すぐにこの病院に運び込まれて、処置を受けた後、2日間眠っていました。事故から2日後の朝、目覚めたあなたは、今こうして、私と会話をしています」
衝撃と回転と暑さを、一気に思い出した。追体験したような激しい目眩に襲われ、思わず掛け布団の上に被さり、握り締める。
先生は、慣れた様子で声を掛けてくれて、気持ち悪いですかとか、そんな事を聞いて来た。先生の言う通りに、目を閉じて、少しじっとしていたら、大分落ち着いた。
「詳しい話は、後日にしますか?」
「いえ。…大丈夫です」
「では、無理はしないでください。気分が悪くなったら、途中で止めても結構です」
それからは、怒涛の日々だった。事故直後のこと以外、あらゆる自分のことに対して、私は「覚えていない」「知らない」の一辺倒を繰り返した。
すると病院からは、案の定というか、事故を起因とした記憶喪失の扱いを受けた。
私の所持品からは身元を特定できるような学生証などは一切見つからず、事故当時に私が着用していた制服も、近隣の、ひいては県内のどの高校の物とも一致しなかった。捜索届けを出されていた同年代と思しき女子学生とも顔や特徴は一致しておらず、また念の為と、指名手配犯の顔人相や指紋検証なども行ったが全て不一致に終わり、私は完全に身元不明の患者となってしまった。
その調査の間に、私と正面衝突を起こしてしまった車の運転手の方と、向こうの弁護士の方を含めてお話をした。私の身の上を知ったからか、親切な事に、私にも分かるよう比較的簡単に説明をしてくれ、その上で示談に収まった。
その方の主張では、私が突然フロントガラスの端から現れたという事で、警察の人が事故当時の目撃者の話を聞いても、益になる収穫は得られなかったそうだ。私はここでもやはり、「跳ね飛ばされてからの記憶しかない」と言い張った。
事故による怪我も完治に近付き、そろそろ退院の目処を立てなければならないという折、松川先生を交えて、児童養護施設の方と相談をした。
現状、身寄りを確認できない私は、これから児童養護施設の保護下で生活する方針となる、との事だった。身元不明、つまり後見人はおろか戸籍も無い未成年の私には、その方向しか考えられない、と。
ただ「可能性は低いが別の手もある」とも付け加えられた。
私はその先日、簡易的な学力テストを行い、医学的な検査の結果であった『満16歳前後』を裏付ける成績を出していた。県内・また全国の規模で見ても、中の上程度の悪くない学力である事から、性格・素行に不良の可能性を低く見られ、引き取りたいと言う家庭がおられるかも知れない、という事。
要は、里親の元で過ごす道がある、という事だ。見込みについては何とも言えないが、もし後者も選択肢に入った場合、選ぶのは私だと。
──巡って季節は4月。事故にあった冬の入りから、慌ただしく濃密な数ヶ月が過ぎ、私は日記を書いている。
ここは里親の家。お子さんのいらっしゃらないお家で、以前から里子・ゆくゆくは養子を迎えたいとは思っていたが、幼い子を育てるには些 か年高なのを気にして、一歩踏み切れなかったらしい。件 の児童養護施設が出した情報の中にいた私を気に留めて、引き取る事を決めてくださった親切な方々だ。空いた一人部屋も頂けたし、明日から全日制の高校に通わせて貰えることにもなっている。
家庭裁判所を通して、戸籍も新しく登録し直した。苗字は里親のものを、下の名前は「名付けるのが夢だった」と感極まって泣いてしまった里親の両親が考えてくれたものを、それぞれ私の名前とした。その日から、呼ばれ慣れない名前で返事をするのに必死だ。
普通に考えて、この状況で、私はあまりに冷静が過ぎる気もする。けれど、やり過ぎなくらい冷静でないと、きっとこれから先に起こり得る事には、対処できないのではないだろうか。
私と同じ嗜好を持ち、同じ道を辿って来た人間には、私の気持ちがきっと分かると、信じている。
16歳にもなって恥ずかしい。
この度私は、キャラクターに夢見る存在でありながら、交通事故で別世界にトリップを果たしてしまった。
空が下に見えた後、全身に衝撃が走って、真夏のコンクリートの灼熱を肌で味わった。訳が分からなくて、震える腕を支柱に上半身を起こしたら、強烈な吐き気と目眩に襲われて、その場で嘔吐した。
視界の端に、色んな靴が入り込んで来る。細目を開いて、もう一度辺りを見渡す。
知らない人。知らないビル。知らない店。知らない看板。
「大丈夫?聞こえる?おじさんの言ってることわかる?わかったらうなずいて」
ぼうっとした頭が、やっと、目の前の知らない男性の顔を捉えた。大きな、はっきりした声。言ってることは分かったので、とりあえず、頷いた。
あれ、と思い、鉛の瞼をこじ開けたら、次は真っ白な板が視界を制圧していた。それが天井だと気付いたのは、私は今ベッドに寝かされているという事が分かったからだ。
眼球を動かして右側を見ると、直感で朝日だと分かる、あの鋭く刺すような明るさが目を眩ませた。少し慣れて来ると、そこには壁一面に大きな窓があって、ガラスを隔てた向こう側で、瑞々しい緑が揺れていた。
「お嬢さん」
ふと、左側から聞こえた声に反応して、首を捻った。ポキ、と中で関節の音が響く。
「起きたかしら」
笑い皺を含んだ、壮年の女性が、瞳をぱちぱちさせて、私を見ていた。
「…はぁ」
「じゃ、看護師さん、呼ぼうかしらね」
緩慢な動きで、時間をかけてベッドから降りたご老体は、私の枕元に手を伸ばし「よいしょ」と何やらスイッチを押した。
すると、あたりは急に慌ただしくなり、バタバタと女性が駆けつけて来て、行われる軽い応答。
少し人の波が引いて、最後にやって来たのは、白衣を着た中年の男性だった。男性は私のベッドのすぐ脇にあるスツールに腰掛けて、口元は穏やかに笑み、
「おはようございます」
「おはよう、ございます」
「ここがどこだか、分かりますか?」
「…病院?」
「そうです。ここは、烏野総合病院で、私はあなたの担当医になった、マツカワトモヤと言います。よろしくお願いします」
「…はい」
首から下げた名札を示して、礼儀正しく頭を下げた先生に、対して私は半分上の空で返事をしていた。頭にあったのは、先生の事より、病院名だったのだ。
カラスノ総合病院?どこだろう。聞き覚えのない病院だ。しかし、いや、どこか違和感がある。カラスノ総合病院…カラスノ、は、聞いた事がある気がする。なんだっけ。
「まず、あなたのお名前を、お聞きしても良いですか?」
「…名前」
「はい」
名前。私の名前を言えばいい。分かってる。ただ、カラスノ。それが気になり続けて、いや、待たせては駄目だ、先生も困った顔をしている。でも、カラスノ、カラスノって、どこかで。
思考が早まる。比例して鼓動も早まっていく。喉奥でバクバクと拍動し音を立てる心臓。
カラスノ、カラスノって、漢字は?
烏野?
「…お名前を、教えて頂けますか?」
訝しげな先生の顔を改めて見て、舌が干からびたように感じた。面立ちが、誰かに似ていた。そろりと視線を名札に落とすと、先生の名前は、
「…あ、の」
「はい」
「なまえ…、知らないです」
嘘を吐いた。言ってはいけないと思った。警鐘を鳴らす自分がいた。だって、その名前は、きっと、調べられたら駄目なやつ。だと思う。気がする。
先生は心配そうに瞬きをした。私は思わず手元に目を逸らした。
「…そうですか。大丈夫です。あまり、気負わないで下さい。──しかし、では、あなたが何故いま病院にいるかも、覚えていませんか?」
聞かれて、普通に戸惑った。なぜ? 記憶を遡ろうとすると、さっきの違和感とは違う、妙な不安に襲われる。
朝ごはんを食べて、制服に着替えて、髪はうまく結べたのに、前髪の調子が悪くて。家を出て、川沿いの通学路を歩いて、昼食を買いによく行くパン屋に。
──何を買ったんだっけ?そもそも、今日はパン屋に行ったっけ?まだ、行ってない気がする。でも、何で?何が?
「…分かんないです」
「そうですか。分かりました。」
先生は、ボードに何か書いて、一息ついた。私に向き直って、真剣な表情で身を乗り出す。
「落ち着いて聞いてください。決して、パニックになる必要はありませんから。」
「──あなたは、先日、交通事故に遭いました。この病院から、そう遠くない、駅近くの交差点で、目撃した方によれば、車と正面衝突してしまったそうです。それから、すぐにこの病院に運び込まれて、処置を受けた後、2日間眠っていました。事故から2日後の朝、目覚めたあなたは、今こうして、私と会話をしています」
衝撃と回転と暑さを、一気に思い出した。追体験したような激しい目眩に襲われ、思わず掛け布団の上に被さり、握り締める。
先生は、慣れた様子で声を掛けてくれて、気持ち悪いですかとか、そんな事を聞いて来た。先生の言う通りに、目を閉じて、少しじっとしていたら、大分落ち着いた。
「詳しい話は、後日にしますか?」
「いえ。…大丈夫です」
「では、無理はしないでください。気分が悪くなったら、途中で止めても結構です」
それからは、怒涛の日々だった。事故直後のこと以外、あらゆる自分のことに対して、私は「覚えていない」「知らない」の一辺倒を繰り返した。
すると病院からは、案の定というか、事故を起因とした記憶喪失の扱いを受けた。
私の所持品からは身元を特定できるような学生証などは一切見つからず、事故当時に私が着用していた制服も、近隣の、ひいては県内のどの高校の物とも一致しなかった。捜索届けを出されていた同年代と思しき女子学生とも顔や特徴は一致しておらず、また念の為と、指名手配犯の顔人相や指紋検証なども行ったが全て不一致に終わり、私は完全に身元不明の患者となってしまった。
その調査の間に、私と正面衝突を起こしてしまった車の運転手の方と、向こうの弁護士の方を含めてお話をした。私の身の上を知ったからか、親切な事に、私にも分かるよう比較的簡単に説明をしてくれ、その上で示談に収まった。
その方の主張では、私が突然フロントガラスの端から現れたという事で、警察の人が事故当時の目撃者の話を聞いても、益になる収穫は得られなかったそうだ。私はここでもやはり、「跳ね飛ばされてからの記憶しかない」と言い張った。
事故による怪我も完治に近付き、そろそろ退院の目処を立てなければならないという折、松川先生を交えて、児童養護施設の方と相談をした。
現状、身寄りを確認できない私は、これから児童養護施設の保護下で生活する方針となる、との事だった。身元不明、つまり後見人はおろか戸籍も無い未成年の私には、その方向しか考えられない、と。
ただ「可能性は低いが別の手もある」とも付け加えられた。
私はその先日、簡易的な学力テストを行い、医学的な検査の結果であった『満16歳前後』を裏付ける成績を出していた。県内・また全国の規模で見ても、中の上程度の悪くない学力である事から、性格・素行に不良の可能性を低く見られ、引き取りたいと言う家庭がおられるかも知れない、という事。
要は、里親の元で過ごす道がある、という事だ。見込みについては何とも言えないが、もし後者も選択肢に入った場合、選ぶのは私だと。
──巡って季節は4月。事故にあった冬の入りから、慌ただしく濃密な数ヶ月が過ぎ、私は日記を書いている。
ここは里親の家。お子さんのいらっしゃらないお家で、以前から里子・ゆくゆくは養子を迎えたいとは思っていたが、幼い子を育てるには
家庭裁判所を通して、戸籍も新しく登録し直した。苗字は里親のものを、下の名前は「名付けるのが夢だった」と感極まって泣いてしまった里親の両親が考えてくれたものを、それぞれ私の名前とした。その日から、呼ばれ慣れない名前で返事をするのに必死だ。
普通に考えて、この状況で、私はあまりに冷静が過ぎる気もする。けれど、やり過ぎなくらい冷静でないと、きっとこれから先に起こり得る事には、対処できないのではないだろうか。
私と同じ嗜好を持ち、同じ道を辿って来た人間には、私の気持ちがきっと分かると、信じている。
16歳にもなって恥ずかしい。
この度私は、キャラクターに夢見る存在でありながら、交通事故で別世界にトリップを果たしてしまった。
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