作品の話

カレイドスコープの煌びやかさを思い出すように、真夏の窓から光が散った。
いつの記憶かと酸素が薄い脳の裏で考えたら、その昔ママに連れられて行った、最初の国の海辺の記憶だった。
セナがいない夏だった。今おれのこんな奥の方まで思いきり入り込んでいる男。あの町には居なかった男。おれはあの暑い海辺に、心を取り残してきてしまったのかもしれない。
確か南の方の、暑い国の夏だった。夕方になると庭に潮が満ちる川辺のアパートに、空気を食べるみたいにして三ヵ月過ごしていた。深すぎる感覚にリンクしたあの夏。いろんな体液にまみれたセックスの合間に、相容れないあの景色を思い出したのは、今も昔もおれがセナのことばかりを考えているからかもしれない。


「れおくん、お水飲んで」

昼下がり、クーラーをかけた部屋の中、日曜日。フィレンツェ。
十分くらいの間に三回も天国に連れて行かれてしまったおれの、気怠い身体をタオルで拭いながらセナがコップ一杯の水をサイドテーブルに置いた。
セックス中に突然瞼の裏に散った記憶が、余韻に浸る目の奥をキラキラ焼いている。やわらかい熱が、あの時の波の奥に感じた微熱にも似ていたからかも。
ついさっきまで市街のオープンフェアに食料の買い出しに出かけていた。帰宅してすぐに、炎天下に置かれてファイヤーボールになったトマトの歌を書こうとソファに腰かけたら、背後から抱きしめられて深いキスをされた。そのまま流されるようにリビングで三十分くらい愛し合った。おれが火の玉みたいになった。セナとくっつくとおれの手も足もお腹の奥もぜんぶセナのもので、大好きなセナの好きなように愛されると自我ごとセナの身体に混ざるようで、侵食されて身体の中身をぐちゃぐちゃにいじられているようで、おれはこの感覚が大好きだった。
カレイドスコープの記憶はへんなふうに現れた。セナのものになっているおれの脳に、誰かが、過去の記憶がアクセスしてくるみたいにチカチカした。
あの町にいたおれは、すでにセナと身体の関係があった。だけど今みたいに心の底までは繋がり合えていなくて、悲しみに暮れていた。あのときのおれの心は、セナを求めてセナに会えなくて、崩壊寸前だった。振り切ろうとしてあの町にあった海辺の高台からジャンプして思いきりダイブしたって、一張羅がびしょ濡れになっただけでその思いは晴れなかった。

「どうしたの? 痛かった?」

セナが手渡したカップに、清廉な水が入っている。いっぱい喘いで疲れた喉に流し込んでいると、隣に腰掛けてきたセナに片手で抱き寄せられた。汗を拭いて服を着たセナの首筋も肩も、まだ熱っぽかった。

「ううん、気持ちよかったよ」
「じゃあ、つかれちゃった? 一緒にお昼寝する?」

ちゅう、と額に口付けられる。セナはおれのことが大好きだ。あの頃に比べて格段に良くなった。セックスもそうだ。どんなに機嫌が悪くても、セナにキスされるだけでスイッチが入ってとろとろになってしまう。キスも上手いしセックスも上手い。ちんぽもおっきくてすごく良い。顔もいいし。おれはセナに完全に手懐けられている自覚がある。特別な男だ。おれのものだし離さない。誰に渡すつもりもない。
あの頃のおれは惨めにもセナを思って自分で自分の体をいじっていたけど、気持ちよくも満たされもしなかった。カレイドスコープの夏。かき回すように手を伸ばしても、あのマグマ煮みたいな夏に溶かしたおれの感情は、あの町に吸い込まれてしまったままなんだ。取りに行かなきゃ。じゃなきゃ、セナと暮らして快楽に身を焦がすおれの、取り残されたいちぶがかわいそうだ。
素直じゃないセナの考えていることだって、こんなに長くいたら感覚的にわかる。でも、こいつのスイッチが入る瞬間は今もあんまりわからない。セナがおれを愛おしいと思っている匂いと、抱きたいと思っている匂いは同じように感じるし。
クーラーの真下、セナの熱くて冷静な舌が口の中に入ってくるのを、カレイドスコープの夏に重ねて思い出していた。あの町の図書館の入り口には、大きな切り絵が飾っていて、それが大きな窓の光に照らされて万華鏡みたいに見えた。だからあの町の名前はおれのなかで「カレイドスコープの町」だ。おれは本も読みたくなかったし、併設された音楽ホールに行ったところでインスピレーションの一つも沸かなかったというのに、フリーwifiを求めてあの場所に入り浸っていた。
あの町でもおれは、ずっとセナのことばっかり考えていた。まるで町全体にセナの記憶がしみついているみたいに。昼間の絶望的に広い海辺にも、コンクリートの熱だけが灼けるように残ったライブイベントの夜にも、激しい雨と雷とが短時間で過ぎ去っていく日に入った、ガソリンスタンドの中の簡素なコンビニの中にも。
あの町にも、それ以外の町にも、きっとおれはあの頃のセナへの恋情の一部分を置きざりにしてきてしまった。瞼の奥のキラキラは、きっと治らない。拾い集めに行かなきゃ。本物のセナと一緒に。
そうしてあの頃のおれの記憶に、美しいセナを見せてあげなきゃ。

「セナ、来月旅行行かない?」
「どこに行きたいの?」
「カレイドスコープの町」

蒸し暑い夏にたくさん雨の降るあの町。アパートのリビングでは、セナはきっと、不機嫌な顔をしてうっとおしそうに髪先をひねるんだろう。
それを見たら、セナがセックスしたいと思う瞬間を、おれも嗅ぎ分けられるようになるかもしれない。
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