あとがき

以下「こういうつもりで書いてました」という解説をしてます。
大オチの解説が含まれるので作者解説苦手な方はそっ閉じでおねがいします。


▶虫の描写が多いのはなんで?
蟷螂とハリガネムシは、この話での泉とレオのメタファーでした。
自由も尊厳も奪われて生きる側と、寄生してコントロールする側。
通常、蟷螂にとってハリガネムシは「天敵」なんですが、この場合の月永の思考回路がちょっと歪んでいて、ひとつだった自分たちをバラバラにするものこそが、「天敵」と見做しています。(死であれ外部要因であれ)これは月永の中のゆうくんのメタファーです。

▶なぜ月永は冷凍庫にカップを突っ込んだのか?
「ばらばらになっても永遠に一緒」を望んだからです。月永が冷凍庫にカップを突っ込んだとき、二匹はまだ生きていたんだと思います。だから「冷凍庫心中」でした。
ただし、それは真の手によって「埋めてしまう」ことで二つの命は土に還り、永遠に二人きりという道は断たれてしまいます。この辺も三人の関係性のメタファーです。

▶大オチの「もしかして」は結局なんだったのか
冬まで生きてる蟷螂を見て月永は、「蟷螂は胎内のハリガネムシを愛しているからこそ、なるべく長い時間一緒にいたいんだ」と捉えています。(自分と瀬名に重ね合わせている)

▶月永は計算して行動していたのではない?
「瀬名の自分への愛を見せつけるために自分をハメた」というのが真からの見え方なんですが、月永側からすると自分たちのような蟷螂で遊んでただけで、相手が真だったのは蟷螂を見つけたときにそこにいたからです。一回くらい他の人と遊んでみるか、って気持ちで行ったらそれを理解できない真にハマられて、大変な目に合ったよぉ……と、瀬名には言うと思います。
ただ、一番深い本心は本当にそうだろうか?真はそれを最終的に見抜いたのかどうか、というところです。深淵。

解釈は基本的に読み手にお任せしますってスタンスですが、考察送ってくれる方が多かったのでその回答に返る補足でした。
ご清聴ありがとうございました。
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