DC/風f降

 魔がさした、としか言いようがない。
 公安警察官であり私立探偵であり組織の探り屋である降谷は、推理をするのが仕事である。
 だから「解くべき謎」が視界に入れば、それに手を伸ばさずにいられなかったのだ。

「悪かったよ、風見」
「ええ、まあ、降谷さんの見えるところに置いてしまっていた自分が悪かったです」
 風見は降谷の部下であるが、最近はただの部下と言うにはおさまらないほど、降谷の部屋に入り浸っていた。仕事関連の伝達に来ることもあれば、降谷の留守に飼い犬の世話を頼まれることも、ついでに服の洗濯やクリーニングにベッドメイクなどをすることもあり、単に夕食に誘われることもある。そんなこんなで、自然と降谷の部屋に風見の私物が置かれることも増えてきた矢先の出来事。
 降谷は風見が置いていた、解きかけのクロスワードを解いてしまった。それもまだ最初の方しか手をつけていなかったクロスワード雑誌一冊の、残りのページを全て。雑誌の間に書き味のいいボールペンが挟んであったのもよくなかった。
──わかります。楽しいですよねクロスワード。降谷さんは博識ですからスラスラ解けてしまうでしょうし、夢中になっている姿が目に浮かびます。でもやっぱり自分で解きたかったですよ。自分の数少ない余暇の楽しみなのに。
 風見は声にこそ出さなかったが、見事にすべて顔に出ていたようだ。公安にあるまじきことだが、このところの風見はもはや降谷との距離が近くなりすぎていて、降谷に対して表情を繕おうという発想すらなくなってしまっている。
「そんなに拗ねるなよ。何かお詫びをしよう。何がいい? 君の好物を作るとか」
「お詫びって言っても……あ、そうだ」
 風見は降谷へのささやかな復讐を思いついた。

 降谷のエプロンを借りて、風見はこの家の台所に立った。台所が降谷の縄張りであることは重々承知している。
「降谷さんは絶対に手を出さないでください。口もです。ワンちゃんと大人しく待っていてください」
 降谷に提案された罰は、「風見に好きに料理をさせること」。降谷が風見のクロスワードを解いてしまったのと同じく、降谷の楽しみ──思う存分料理をすること──を奪うという。なんとも可愛らしい復讐だ。冷蔵庫のものは好きに使わせてもらいます、と言う風見にベランダの野菜やハーブも使っていいぞと付け足しておいた。
 ステンレスのワークトップに食材を並べる風見の背中に声をかける。
「それ、できたものも僕は食べられないのか?」
「さすがにそこまで意地悪くないですよ。二人分作ります」
 それじゃ仕返しにならないだろと思った言葉は含み笑いの中に閉じ込めた。

 風見も一人暮らしがそこそこ長く、ある程度の自炊はできる。しかし自分の得意分野でただ見守るだけというのは、降谷にとって確かにストレスになった。
 この材料で何ができるだろうかと思案しながら調味料の場所を聞く風見に、今ある材料でできるおすすめのレシピの組み合わせを教えてやりたくなる。
 自分より遥かにゆっくりと材料を切る手際を見ていると自分でやりたくなったし、それは乱切りにした方がいいとか、それは手で千切った方がとか、キノコを水で洗うなとか、料理をしながらスマホを触るなとか(レシピを確認しているのでこれは仕方がないが)、火加減は最初だけ強火でとか、肉は火が通ったら一旦取り出せとか、葉物は水から煮るなとか。
 喉から出かかるそういう言葉を全て飲み込んで、ハロを撫でて気を紛らわした。時々風見の背中に視線をやって、姿勢がいいなと眺める。じゅうじゅうという音とともに美味しそうな匂いが漂ってくる。

 夕飯の空気を吸い込む換気扇は、まるで平和の象徴に思えた。
 米が炊けた。がちゃがちゃ皿を用意する。
 甘酢っぱく香る酢豚、キャベツとエリンギの透き通ったスープ、トマトと卵の中華炒め。降谷の予想していた以上にちゃんとした献立が食卓に並んだ。
「なかなかやるじゃないか」
「降谷さんも。いつ止められるかヒヤヒヤしてましたよ。出来にも文句はなしでお願いします」
 憎まれ口を憎からず感じる。降谷の事情を知った上で、気を使わずにいられる相手はいまや風見しかいない。
「君の手料理を食べられるのは新鮮で嬉しいよ。でもこれじゃ仕返しにならないな。また今度、新しいクロスワードパズルを買ってくる」
「いつかみたいに片っ端から買って送ってくるのはやめてくださいね。一冊でいいですから」
 降谷は非番の風見を働かせたお詫びにとアイドルグッズを山ほど送り付けた時のことに思い至って、そうか、と返事をした。
 風見の料理は文句なく旨かった。普段はチョコやインスタントラーメンでエネルギー補給をやりすごすような男が、降谷のために作った食事。ちょっと味が濃いのや食材に火が入りすぎていることなんて、ちっとも気にならなかった。
「全部うまい」
 スープを飲んで一息つくと、テーブルの向こうの風見がなにやらもじもじしていた。
 やっぱり次は自分がこの男を満腹にしてやりたい、と降谷は思った。
6/7ページ
スキ