DC/風f降
「これから二週間の間、毎日二十三時に定時連絡を入れる。連絡がなかった場合は君が陣頭指揮を執り、指定した住所に人員を向かわせてくれ」
そう降谷から指示を受け、風見はしばらくの間、夜に気を張り詰めることになった。メールやチャットなどでは降谷以外が成り代わって送ることもできるため、連絡は電話で来る。
一日目は二十時ごろからそわそわしてしまった。風見が抱えている案件は常に膨大で、やらなければならないことはたくさんあったが、中でもあまり集中力を必要としない作業を選んで進めていた。二十一時ごろには意味もなく席を立ち、インスタントコーヒーを淹れて席に戻るとデスクチェアに座ってくるくる回った。ただただ証拠データの整理をしたり、監視カメラの映像を早送りで見続けるなどして──これもどうせやらなければならない仕事ではあるので──二十三時を待った。
二十二時五十七分から、風見はずっと時計の秒針を見つめていた。カップにほんの少し残った冷めたコーヒーを啜る。
二十三時きっかり、降谷専用のスマートフォンが震えた一秒後に応答する。
「はい」
「僕だ。今日は何してた?」
「え?」
風見は一瞬戸惑ったが、降谷が、もし誰かに聞かれていても問題がないようにただの雑談を装っているのをすぐに察した。今回の場合は連絡が定時に来ることが重要なのであって、話の内容はなんでもいいのだ。
「仕事してました」
「それはそうだろうけど。まあ、その内容を今聞いても仕方ないな。夕食は何を?」
正直に話すと教育的指導を受けそうだが、嘘をついてもすぐばれそうなので、正直に話すしかなかった。風見が「コンビニで買ったコロッケパンとプロテインバーを食べました」と報告すると「そうか」とだけ返ってきた。機械越しでももっと色々言いたそうな空気をひしひしと感じたが、あまり猶予もなかったのか「野菜も摂れよ」とだけ言われた。
「僕が言うのもなんだが、残業はほどほどにな。おやすみ」
そう言って降谷からの通信は打ち切られた。
──おやすみ。
時間帯的に当然の挨拶で、深い意味はないだろう言葉だ。しかし風見はこの一言に少しむず痒さを感じたのだった。そして、自分も「おやすみなさい」と返すべきだったかな、と思った。
二日目、三日目も、降谷からの定時連絡の時間が近づくと風見は緊張していた。ただ、一日目の反省を踏まえて夕飯は近場の定食屋で済ませた。流石の降谷もそれに文句はつけなかった。アジフライ定食を食べたと伝えると「いいな。僕も久々に食べたくなってきた」と言うので、風見が「ご自分で揚げるんですか?」と聞くと「できればそうしたいね」と返ってきた。揚げ物はやはり揚げたてが一番美味しいからと弾む降谷の声に緊張感はあまりない。連絡がある時点で今日をやり過ごせたということで、夜は風見が想像するほど緊迫した時間ではないのかもしれなかった。
四日目以降も降谷からの連絡はきっちり二十三時にやってきた。その度に風見の一日の緊張が解ける。なんでもない雑談を数分だけする──今日の昼食、夕食、天気の話、コンビニの新商品、歩いていて見かけた犬の話。ある日には降谷が風見の好きなアイドルの話題を振ってきたので、思わず長話をしてしまうところだった。
毎日二十二時半には万が一連絡がなかった時のために招集の手順を確認しながらも、気づけば二十三時を少し心待ちにしている風見がいた。朝から一日仕事をこなし、その日が終わりかけるタイミングでなんでもない話をとりとめなくするのは、悪くないルーティーンだと思った。
何日目からかは、降谷の「おやすみ」に、風見も「おやすみなさい」をごく自然に返せるようになっていた。
*
優秀な降谷のこと、今回の案件は全て首尾よく片付けたようで、連絡は毎日途切れることのないまま二週間を終えた。
風見が指示を受けてから十五日目の朝十時には風見の所属部署に降谷がやってきて、いくつかの物品やデータのやりとりと書類の受け渡しが行われた。
昼過ぎにはとりあえずの処理を終えた降谷は風見を昼食に誘った。風見が降谷に叱られないようにと通っていた定食屋に降谷が行きたいというので、二人で並んでその店の暖簾をくぐることになった。
ランチメニューの中から風見は鯖の塩焼きがメインの日替わり定食を選び、降谷は天ぷら定食を選んだ。しばらくして温かな料理たちが机に届けられ、降谷と風見は揃って「いただきます」と唱えた。
「ここの味、降谷さんのお眼鏡に適うといいんですが」
「うん、うまいよ。しいたけの天ぷらにはやっぱり塩だよな」
もりもりと天ぷらを、副菜の味噌汁や白和えや香のものを平らげていく降谷を見て、やはりこの二週間、あまり落ち着いて飯を食べられなかったのかなと風見は想像し、そして降谷の食べっぷりに安堵した。
「今回の案件が無事片付いたのはよかったですが、今夜からは降谷さんの定時連絡がないのはちょっと寂しいですね」
少し気恥ずかしくはあるが、それは風見の正直な気持ちだった。
降谷は一瞬箸を止め、風見の方を見る。
「そうだな。僕の方も毎日気を張ってたから、一日の終わりに君の声が聞けて嬉しかったよ」
「そうでしたか」
風見はそれを聞いて、自分が少しでも降谷の精神の助けになっていたなら何よりだ、と思った。誇らしい気持ちで、箸で崩した鯖の切り身を白米と共に口に運ぶ。
「毎日寝る前に電話するなんて、なんだか恋人同士みたいだったよな」
ごほっ、ごっほ、と大きな咳を立て続けにして風見はむせた。「おい、大丈夫か?」と声をかける降谷の顔を睨む。
「自分は思っても言わなかったのに」
風見がそう言うと、降谷は何故かいたずらっぽく笑っていた。
そう降谷から指示を受け、風見はしばらくの間、夜に気を張り詰めることになった。メールやチャットなどでは降谷以外が成り代わって送ることもできるため、連絡は電話で来る。
一日目は二十時ごろからそわそわしてしまった。風見が抱えている案件は常に膨大で、やらなければならないことはたくさんあったが、中でもあまり集中力を必要としない作業を選んで進めていた。二十一時ごろには意味もなく席を立ち、インスタントコーヒーを淹れて席に戻るとデスクチェアに座ってくるくる回った。ただただ証拠データの整理をしたり、監視カメラの映像を早送りで見続けるなどして──これもどうせやらなければならない仕事ではあるので──二十三時を待った。
二十二時五十七分から、風見はずっと時計の秒針を見つめていた。カップにほんの少し残った冷めたコーヒーを啜る。
二十三時きっかり、降谷専用のスマートフォンが震えた一秒後に応答する。
「はい」
「僕だ。今日は何してた?」
「え?」
風見は一瞬戸惑ったが、降谷が、もし誰かに聞かれていても問題がないようにただの雑談を装っているのをすぐに察した。今回の場合は連絡が定時に来ることが重要なのであって、話の内容はなんでもいいのだ。
「仕事してました」
「それはそうだろうけど。まあ、その内容を今聞いても仕方ないな。夕食は何を?」
正直に話すと教育的指導を受けそうだが、嘘をついてもすぐばれそうなので、正直に話すしかなかった。風見が「コンビニで買ったコロッケパンとプロテインバーを食べました」と報告すると「そうか」とだけ返ってきた。機械越しでももっと色々言いたそうな空気をひしひしと感じたが、あまり猶予もなかったのか「野菜も摂れよ」とだけ言われた。
「僕が言うのもなんだが、残業はほどほどにな。おやすみ」
そう言って降谷からの通信は打ち切られた。
──おやすみ。
時間帯的に当然の挨拶で、深い意味はないだろう言葉だ。しかし風見はこの一言に少しむず痒さを感じたのだった。そして、自分も「おやすみなさい」と返すべきだったかな、と思った。
二日目、三日目も、降谷からの定時連絡の時間が近づくと風見は緊張していた。ただ、一日目の反省を踏まえて夕飯は近場の定食屋で済ませた。流石の降谷もそれに文句はつけなかった。アジフライ定食を食べたと伝えると「いいな。僕も久々に食べたくなってきた」と言うので、風見が「ご自分で揚げるんですか?」と聞くと「できればそうしたいね」と返ってきた。揚げ物はやはり揚げたてが一番美味しいからと弾む降谷の声に緊張感はあまりない。連絡がある時点で今日をやり過ごせたということで、夜は風見が想像するほど緊迫した時間ではないのかもしれなかった。
四日目以降も降谷からの連絡はきっちり二十三時にやってきた。その度に風見の一日の緊張が解ける。なんでもない雑談を数分だけする──今日の昼食、夕食、天気の話、コンビニの新商品、歩いていて見かけた犬の話。ある日には降谷が風見の好きなアイドルの話題を振ってきたので、思わず長話をしてしまうところだった。
毎日二十二時半には万が一連絡がなかった時のために招集の手順を確認しながらも、気づけば二十三時を少し心待ちにしている風見がいた。朝から一日仕事をこなし、その日が終わりかけるタイミングでなんでもない話をとりとめなくするのは、悪くないルーティーンだと思った。
何日目からかは、降谷の「おやすみ」に、風見も「おやすみなさい」をごく自然に返せるようになっていた。
*
優秀な降谷のこと、今回の案件は全て首尾よく片付けたようで、連絡は毎日途切れることのないまま二週間を終えた。
風見が指示を受けてから十五日目の朝十時には風見の所属部署に降谷がやってきて、いくつかの物品やデータのやりとりと書類の受け渡しが行われた。
昼過ぎにはとりあえずの処理を終えた降谷は風見を昼食に誘った。風見が降谷に叱られないようにと通っていた定食屋に降谷が行きたいというので、二人で並んでその店の暖簾をくぐることになった。
ランチメニューの中から風見は鯖の塩焼きがメインの日替わり定食を選び、降谷は天ぷら定食を選んだ。しばらくして温かな料理たちが机に届けられ、降谷と風見は揃って「いただきます」と唱えた。
「ここの味、降谷さんのお眼鏡に適うといいんですが」
「うん、うまいよ。しいたけの天ぷらにはやっぱり塩だよな」
もりもりと天ぷらを、副菜の味噌汁や白和えや香のものを平らげていく降谷を見て、やはりこの二週間、あまり落ち着いて飯を食べられなかったのかなと風見は想像し、そして降谷の食べっぷりに安堵した。
「今回の案件が無事片付いたのはよかったですが、今夜からは降谷さんの定時連絡がないのはちょっと寂しいですね」
少し気恥ずかしくはあるが、それは風見の正直な気持ちだった。
降谷は一瞬箸を止め、風見の方を見る。
「そうだな。僕の方も毎日気を張ってたから、一日の終わりに君の声が聞けて嬉しかったよ」
「そうでしたか」
風見はそれを聞いて、自分が少しでも降谷の精神の助けになっていたなら何よりだ、と思った。誇らしい気持ちで、箸で崩した鯖の切り身を白米と共に口に運ぶ。
「毎日寝る前に電話するなんて、なんだか恋人同士みたいだったよな」
ごほっ、ごっほ、と大きな咳を立て続けにして風見はむせた。「おい、大丈夫か?」と声をかける降谷の顔を睨む。
「自分は思っても言わなかったのに」
風見がそう言うと、降谷は何故かいたずらっぽく笑っていた。
