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8.砂糖は甘く


 新年の朝。先生からの年賀状を見て、冬休みに入って凍らせておいた心が溶けだしていく。待っていた癖に。あたたかな芋版の馬は、自分だけに宛てられていないことを証明しているけれど、それでも彼からの贈り物には間違いない。寝間着姿でお雑煮を食べていると間もなくして、キューティー3で初詣に行こうとカレンから電話があった。もちろん承諾した。

「高校最後の初詣か〜…」

「今年で、卒業。」

「卒業してもキューティー3は不滅だからね!」

「その名前は滅びていい。」

「ふふっ。」

 カレンとみよの漫才に笑いながらも寂しくなった。あと三ヶ月で高校生活が終わる。まだまだある、そう思わないとやりきれない。賽銭箱の前で大きな鈴を鳴らし、手を合わせて祈る。
 もしも願いが叶うなら。




 今期の現国は身分違いの恋を描いた小説を学んでいる。私はいつものように、目と耳に神経を集中させ授業に臨んでいた。

「ではここ、‘’我は許すべからざる罪人である‘’これはなぜそう思ったか?わかるやついるかぁ。」

「はーい、彼女をほったからかして帰ったからでーす。」

「そうだ。デートのすっぽかしどころじゃないぞ、だが、そうしてしまった主人公の気持ちを良く理解しろ、ここは重要だぞ、ノートに取る!」

「ねえ先生、早く結婚しなよ。」

 少しギャルっぽいクラスメイトが、半ば嬉しそうにしながら提言した。

「つまらん事言ってないでノートに取る!」

 教室の中は笑いに満たされていたが、私一人が目を見開いて動悸を抑えていた。先生、最初の挨拶の時恋人は教育だって言ってたけど、やっぱり、もう本当の恋人が出来たんじゃないだろうか。鼻の奥が痛い。これは、乾燥じゃない。ぽろりと涙が零れノートに丸いシミが出来てしまって、慌てて制服のニットで拭った。
 先生は、先生のものだ。誰のものでもないのに。一体どこから私のものだって思いたかったんだろう。





「バンビは、渡すの?」

「何を?」

「とぼけちゃう〜?」

「14日。チョコレート。」

「もうすぐバレンタイン♪忘れたとは言わせないよ。」

 カレンとみよと三人で一緒に帰っていたらそんな話題を振られた。全く忘れていたが、二月も中盤に差し掛かり、今週末にその日がやってくる。

「ああ、えっと……そうだね。」

「三人で手作りしようよぉ!絶対楽しいって!」

「渡す相手はいないけど、作ること自体は面白そう。」

「ねっバンビ!」

「う、うん。」

 そういうことで前の日に三人で手作りチョコを作ることになった。場所は私の家で、材料は二人が買ってきてくれた。

「ベースはどれにする?トッピングは何にしようかしら、迷っちゃう!」

「カレン、これはバンビのチョコ。……選んで、バンビ。」

「渡す相手をイメージして!」

 チョコを今までの人生で作ったことがないから始めて尽くしで戸惑うことばかりだったけど、二人の助力のおかげでなんとか食べ物にはなりそうだ。しかし、飾り付けだけは私のセンスが問われる。
 渡す、相手……。私は目を閉じた。一人しか浮かばない。
 ……ハート型はいかにもだ、やめよう。友チョコの延長みたいな感じにしよう。それなら渡しやすいし貰いやすいはず。ココア味のカップケーキにした、甘さ控えめだ。上にココアのホイップクリームをぐにゅにゅっと乗せて、アラザンを振ってキラキラさせて、ちょっとカラースプレーを乗せて色を加えて……、こんな感じでいいかな?二歩下がって出来上がったカップケーキを俯瞰した。
 なんか……ミステリアスなものができた…。

「う、う〜ん、これは正直……。」

「えっと…独創的……斬新………。」

「でも!バンビが作ったチョコなら喜んでくれるはず。」

「大切なのは、気持ち。」

「いいよ、気遣わないで。」

 二人はフォローしてくれたが私は笑った。はなから渡さなくていいんだ、どうせ変なチョコだ。でも、渡したいから胸が痛い。



 バレンタイン当日、結局鞄に昨日作ったカップケーキを忍ばせ、一日授業を受けた。

アタシの愛、受け取ってくれよベイビー。

作ったのも、貰うのも、星の導きです……

 渡し方が解らなくて三時になってしまった。……どっちのノリを頂いても渡せない、絶対無理。せっかく作ったけど、これは一人で食べよう。
と、悄然と下校すると校門前で倒れている流夏くんに出会った。

「どうしたの?」

「……あ……ねえ、…食い物……持ってない…?」

私は鞄の中からカップケーキを出して琉夏くんにあげた。

「えっ、もしかしてバレンタインの?……わーお。個性的……」

「うるさいなあ。」

「ショコなんとかとは言えないね。」

そう言いながら早速ラッピングを開けて頬張っている。

「ふむ、でも、ほいひいよ。」

「もう食べてる!」

「ごちそうサマ。ああ、生き返った。」

「……あんなものでも?」

「美味しかったよ。食えたらいいけどな、俺なら。……はい、手出して。」

言われるままに掌を広げて出すと、小さな飴玉が置かれ、その掌を琉夏くんの手が包んで飴玉を握らされた。

「物々交換の飴ちゃんね。おかげで餓死にしなずに済んだ。本命の誰かさんに感謝しなきゃ。」

「ほん、」

「さっきのカップケーキとその飴ちゃんの価値、同じだから。じゃっ。」

「ちょ、……聞いてないし…。」

琉夏くんは私の手に飴玉を残して、たっと走っていった。

「……。」

掌を広げ飴玉に目を落とす。私は校舎に戻った。要件を思い出した。
歩きながら現国の教科書を出し、遠く離れた職員室の扉をノックして、我がクラスの担任教師の机へ向かった。

「先生。ここなんですけど。」

「……おぉ、久しぶりに来たな。」

学年一位を取ったあたりから質問に行っていなかったから、先生は驚いたようだった。目を大きくしていたが、口を閉じると人懐こいいつもの顔になる。

「どうして豊太郎は、エリスを捨てていったんですか?」

「それはこのへんに書いてある。よく読み込め。」

「じゃあ、………」

言葉に詰まっていたら、ん?と小首をかしげる。

「先生は、豊太郎の気持ちがわかりますか?」

余計な事を聞いてしまった。なんてこと聞いたんだ。

「お?知らない角度だな。」

うわぁ、しまったと俯いた。掌を握り締めた。

「……そうだなぁ、先生にもわからん!そう言っておこう。」

「……なんでですか?」

「恋人を置いて国へ帰る気持ち、先生は経験した事がない。先生の恋人は教育だからなぁ。」

私は握り締めていた飴玉を先生の机の上に置いた。

「先生、これ……。」

「ん?くれるのか?」

「失礼します。」

職員室の扉を締めた途端、涙がぼろぼろと零れた。

薔薇は赤く菫は青い、砂糖は甘くそしてあなたも。
先生、あなたは素敵です。
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