このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

6.夏期講習


 海岸沿いを歩く時は注意しなければいけない。波の音がすると、それだけで同じように胸が荒れるから。夕日は見ないほうがいい、走り出したくなってしまうから。今日が終わる淋しさと、いつか会える日を想い、気持ちを抱えたまま居ても立ってもいられなくなるから。





 学校の中で自分を見てもらうためには、まず成績を上げること。でも、勉強だけじゃだめ、スポーツだって頑張らないと。それと見た目にも気を配らないと。浮いた前髪はどうしたら大人しくなるんだろう、どんな香りの香水なら学校にバレないだろう、いや、バレなきゃ意味ないのか……今までオシャレらしいオシャレをしてこなかった自分が憎い。
 私は夜、雑誌を読んで研究していた。キラキラしたモデルさんたちが着こなしているファッションは私には似合わないんだろうって思ってるけど、少しでもいいからあやかりたい。オシャレのご利益がほしい。
 校則では髪は染められないし、スカートもミニには出来ない。……だからせめて最低限メイクは透明マスカラ、目尻に細くアイライン、グロスタイプのリップは持ち歩いて、爪には透明のマニキュアを……?派手すぎず、ラフすぎず、背伸びしすぎず高校生らしい服装が好印象……?雑誌を読み込んでいるとそんな指南が書かれていた。私はある一文に引っかかった。
 高校生らしい、ってなんだ。私は確かに高校生だけど、今胸に抱えてるこの気持ちも高校生らしくないといけないのかな?高校生らしくしなきゃ、私の恋が叶わないなら、はじめから無かったことになってしまう。私は開いた雑誌を顔に被せて形容し難いうめき声を上げた。
 ああ。どうして幼なじみでも同級生でも先輩でもない、先生なんか好きになっちゃったんだ。

 思い起こせば高校一年の始業式の日が全ての元凶だったんだ。忘れもしない。忘れもしなくなったと言っていい。私が始めてあの人に会った日、私が始めてあの人に名前を呼ばれた日。そして、私があの人の名前を呼ばされた日であり、黒板のチョークの白い文字の、まさに迫力が瞼の裏に焼き付いている。

「そこの女子!読んでくれ!」

「えっと……ダイハク、リョク?」

 空白をつけないで書かれたら誰だってそう読むだろう、少し恥ずかしかったけどある種正解だったらしく、教室に響く笑いの中で彼も満足そうに笑っていた。オオサコ チカラと彼は名乗った。教壇に立って最初に説明するのが先生の名前なのはベーシックだけど、あんなに忘れられない自己紹介はない。

「なりは小さくても大迫力!一年間よろしくな!」

 小さくて面白い人だと思った。最初の大迫先生の印象はそれしかなかった。短い髪がトゲトゲしてて、目が大きくて、かなり小柄で、私よりは高いくらい。あまり見上げなくて良さそう。何センチですか?と聞いたら教えてくれそうだけど、わざわざ聞くのも野暮だ。本人は気にもしてなさそうだし、それに童顔にその体格がよく似合ってる。私のタイプではなかったけど、なかった、のにここからその後私の恋の相手になるとは。今にして思えば、最初の補習の時から私は……。



 夏休みは時間がありすぎる。早く進路を考えないといけないのに、会えない時は頭の中が先生のことでいっぱいだった。私、先生のこと好きだ。……そう認めてしまうともうダメで、毎日先生の妄想が私を襲う。今までの先生との会話、先生と過ごした時間を何度も何度も頭の中で再生している。
でも、きっとこの恋は叶わない。相手は教師で私はただの一生徒、好きになってはいけない人だ。と、そう思うと、余計に好きになってしまう。もし違う場所で出会っていたら、はば学で出会わなければ、と考えるのだけど、現状は変わらないのだから今できることをやるほかにない。
 出来ること、がわからない。カレンにそれとなく恋愛のことを聞いてみると、恋愛って哲学だからと悟ったようなことを言うし、いっそみよにこの恋の行方を占って貰うのも手だけど彼女の占いは本当に当たるから、もしも最悪な結果ならしんどい。結局私に出来ることは自分を磨くことと、フクロウのストラップに祈ること。古着屋さんにあったあのワンピース、バイト代入るまでに残ってますように…。
 欲望には限りがない。今私はすごく先生に触れたい。人を好きになるとこういう欲が出ることを初めて知った。
 先生に、触りたい。でもどうやって?また足を挫けばいいのだろうか。
 そうだ、触れるには、握手してください!と言えば簡単なんじゃないだろうか。いやいやそんな、芸能人じゃあるまいし。担任教師が今や私のアイドルになっている……?空想の先生に空想の私が手を差し出す。はぁ、何日会っていないんだろ。


 会える場所。学校しかない。
 電話番号?知ってるわけない。
 聞いたら教えてくれそう、いや、ないか。こういうの、近年うるさいだろう。教師が生徒と不純異性交友……交友どころか、淫行になりかねない、何もしてなくても狭い世間だ、噂が立てばアウト。そうならないように、たぶん先生も気をつけてるはず。一番生徒に近い年齢だから、他の先生より近い場所で寄り添ってくれるけど、私と先生の間には見えないマーカーが引かれてる。はぁ。落ち込んできたから勉強でもしようと引き出しを開けるといつかのプリントが出てきて死んだ。
 今年の私の夏休みには、バイトと遊びと勉強の中に先生が加わった。というか、先生の中に、バイトと遊びと勉強が加わったようなものだ。何をしていてもはちきれそうな毎日を送った。





 髪というものは、どうしてこっちだけ跳ねるのだろう?
 ついたちの朝、洗面台で格闘して、急いで朝食を済ませ、久しぶりに制服に袖を通したとき、ひどく懐かしかった。玄関先、ローファーの中の砂粒にあの日を思い出して赤面した。行こう、やっと二学期が始まる。
1/1ページ
    スキ