9.卒業式
仰げば尊し、我が師の恩。
私の三年間の高校生活はいろんなことがあった。
嫌いだった勉強ができるようになった。
苦手だったスポーツが好きになった。
みんなとの共同作業が楽しめるようになった。
人付き合いがうまくなった。
ちょっとおしゃれになった。
よく走るようになった。
どんなに目を閉じていても目覚ましは鳴るし、走れば授業に間に合ってしまう。卒業式の歌も、何度か練習したら覚えた。
三月一日は世界平等にやってくる。
「卒業しても私達、ずっと友達だからね!」
当日、意外にも、泣くと思っていたカレンが穏やかで、みよのほうが泣きそうにしていた。
「バンビと離れるの、いや……」
「ちょっとみよ、アタシは!?」
「カレンはいい、また会えるから。」
「アタシだってバンビと離れるのイヤ!」
「ふふ……二人とも、また遊ぼうよ。」
「バンビ…。」
潤んだ瞳で見てくる二人に笑って両手で片方づつ頭を撫でた。
「でも、もう二度と戻れない気になって。」
「制服じゃなくなるだけだよ。私たちキューティー3なんでしょ?」
私は四月から大学生になる。みよも私と違う大学に進み、カレンはニューヨークへ留学。でも離れても、友情は変わらない。これもこの高校生活で学んだこと。
「じゃあね、また電話する!」
「またね!」
「また。」
三人は散り散りに別れた。家に帰って制服を脱げばもう高校生じゃなくなる。ずっと、高校生という肩書を恨んでた。でも、もう今日で高校生活はこれで最後なんだ。気丈に見えても、一番センチメンタルなのは私だろう。
ずっとここにいたい、卒業なんてしたくない。
そんなことを思うのは、我がクラスの担任教師だった先生が三年間見守っていてくれたから。
オレンジの時。
日が沈む頃を見計らって私は浜辺に行った。やっぱり、いた。あの時と同じように、いつもの、よく似合うジャージ姿で。
最後まで迷った。でもどうしても伝えたい、伝えなければいけない。どうか、この気持ちを受け止めて欲しい。でなきゃ、私はいつまでも卒業できない。
「せんせい。」
走って降りた。先生は、私に気づくと笑顔を向けた。
「おう、卒業おめでとう。」
いとしいひと。
「先生……!せんせい…、」
胸が馬鹿みたいに鳴る。
「先生……っ」
息が苦しい。今にも絶えそうだ。
「おいおいどうした、落ち着け。おまえらしくないぞ。なんだどうした、言ってみろ。」
「……先生、私、この三年間、青春してきました、」
先生は頷いて微笑んだ。
「うん。おまえの青春、先生が見届けた。」
「私は、それを終わらせたくありません、」
「ああ。」
「先生、私、」
わたし、わたし、
「……先生のことが、好きです」
胸につかえていたものがやっと取れて、後は気持ちが流れ出るだけだった。
「先生の恋人にしてください…!」
「なんだって?」
「好き、なんです………」
先生は大きな目を丸くして沈黙した。私は顔をまっ直ぐ見据え息を整えながらじっと先生の答えを待った。
「…………よく聞いてくれ。」
先生は、声を落とした。
「おまえの気持ち、先生すごく嬉しい。本当だ。」
私は唇を噛んだ。
「でもな、おまえの今の気持ちは、恋愛とは違うものなんだ。」
その諭す目に、違うと言えない。先生から教えを受ける時はいつも幸せな瞬間だったから。
「……先生、おまえにはもっともっと広い世界を見て欲しいんだ。おまえは若い、自分の将来を簡単に決めちゃだめだ。…わかってくれるな。」
私は俯き、頷いて右手を出した。また前を見て、先生の顔を見て笑ってみせた。涙が流れたけど拭うことはしなかった。
「先生は、私の青春でした。」
「……ああ、ありがとう。」
夕日と共に先生の顔が滲む。涙が頬を伝い砂に落ちる。
「……っ」
泣きじゃくるなんて子供っぽいから、声を抑えたのに嗚咽が漏れる。波の音にかき消えてしまえばいいのに。
「…おまえ、前に先生がどうして国語の先生になったのか聞いてきたことがあっただろう?」
最初の補習の時のことだ。私はそう聞いたことがあった。単純な疑問だったからだ。
「…はい。」
先生は静かに言った。
「それはな。青春に言葉は必要だからだ。体を動かすことも青春だが、言葉にしか出来ないこともある、言葉でしか伝えられない時がある。伝えられない事がある。」
「……はい。」
「…ははっ、……おまえは素敵だ……。」
砂浜に伸びる先生の影が揺れた。
「先生今、青春してるよ。ありがとう。」
我が先生は、私の手を握った。
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