円か

「くぼしー、今日お暇ですか」
しばらく、私はスマホの画面を見つめている。ただ何気ないメッセージで私の心は波をうつ。そのリズムも波の大きさも1秒ごとに違っているのが分かる。いつからこんなことになっちゃったんだっけ。とやけに考え込んでいるとスマホがぶぶっと震えた。マネージャーさんからの連絡だ。私はすぐに画面を切り替え、スムーズな指遣いでメッセージを打ち込んでいく。よし、できた。いつも少し長くなってしまうのが私の悪い癖だ。送信ボタンを押して一度顔を上げる。電車の窓の形に切り取られた夕陽が見えた。私はすぐに返せなかったメッセージのことを想った。

「やほ、久しぶり」
「久しぶり、元気にしてた?」
「元気元気、くぼちゃんは?」
「私も元気だよ」
「ならよかった」
結局メッセージには「暇です」と返した。本当は明日の朝からミュージックビデオの撮影がある。だから今日は早めに家に帰って振り付けの確認とカメラワークの確認をしなくちゃいけなかったけど私はそれをほっぽり投げた。山下の為なら私はそんなことができるんだな。そう思った。
「いつぶりだ……?」
「卒コンぶり、あなたの」
「うっそ、やば」
「だから結構久しぶりかも」
「あれ5年くらい前だよね?」
「アホか、全然今年だわ」
まじかよ〜と声をあげて山下はなにかを考えている素振りをする。
「じゃああれだ、遠距離恋愛のカップルって感じだ」
「何を言ってるんだいあんた」
考えた末に出てくる言葉が未だにテキトーなものであることに私は少しだけ嬉々とした気持ちになる。あれから、私たちは変わっているのだと思っていたけれど案外そうでもないのかもしれない。
山下との待ち合わせ場所はお台場だった。お台場はまぁそれなりに行く回数は多い方だとは思うけれどこの辺には特にこれと言ったお店は無く、私はなんでこんな場所で。と思った。とりあえずまぁ、となんとも煮え切らない言葉とともに山下は湾岸沿いのベンチに腰掛ける。私もそれに続いて隣に腰掛ける。あっちにスタバあった!と言って山下は自分の分のカフェラテと私の分のブラックコーヒーを買ってきてくれていた。私がブラックを好むようになったのはちょうど山下の卒コンのときくらいだった。特にそれを話した覚えはないけれど、こういうところが山下だ。ひと口コーヒーを流しこむ。あたたかいコーヒーにリップが移る、私は親指でスッと飲み口を拭いた。
「なんか乃木坂じゃなくなってから暇な時間増えた」
「いいことじゃない?」
「ん〜そうかなぁ、なんか身体動かしてないと不安な気持ちになってくる」
「職業病だね」
「まぁあ、アタシは一生アイドルだしぃ〜」
「ふふ、はいはい」
「くぼちゃんは?最近どう?」
「どう……?」
「アイドル、楽しい?」
「たぶん、楽しい。今までは守らなくちゃいけないものだった人とかモノとか価値とか意味とかそーゆーのが全部守りたいものに変わったんだ」
「そか、それはいいことだ」
山下はカフェラテをひと口すする。
「あのね」
山下の声が少しだけ震えているような気がして私はハッとして山下の目を見つめる。でもその瞳は力強くてあぁ、やっぱりこの人は山下美月なんだなぁと思った。
「あのね、この間ポテチ食べたの、コンソメパンチ、久々に。でもね、全然美味しくなかった。くぼちゃんと一緒に食べたときはあんなにも美味しかったのに、ひとりで買ってひとりで食べたら何にも味が分かんなくて怖くなって半分くらい残して捨てた」
「そっか」
「時が流れてるって思ってた。もう半年くらい経って、私の時計はきちんと時間が流れてるって思ってた、なのに……なのに……」
山下はわんわんと声をあげて泣いた。まるで小さな子どもみたいに。私はその横でひと口コーヒーを飲んだ。まるで味がしなかった。だから、私も泣いた。わんわんと泣いている山下の横でバレないようにしくしく泣いた。
ひとしきり泣いた後で山下はカバンをがさごそと漁った。そしてはい!と言って差し出してきたのは一輪のバラだった。
「くぼちゃん、私最近知ったんだけど耳たぶの裏にホクロがあるの」
「へぇ」
「反応うっす」
「なんでそれを教えてくれたの?」
「誰かに知って欲しかったの」
「うん」
「でもその誰かは誰でもよくなんてなかったからくぼちゃんに教えてあげた」
「ふふ、そっか」
私は手渡されたバラの花を携えて、彼女が教えてくれた秘密を忘れていくのでした。
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